2001.6.5発行
 【こすもすセミナー特別講演】

  生と死の彼方にあるもの

    ー 霊界通信による希望のメッセージ ー

             武 本 昌 三


  私は死なないと、私は知っている。
  これまでに、私が一万回も死んでいることは疑いがない。
  あなた方が死滅と恐れるものを、
  私は笑う。
  私は時の大きさを知っているから。

                  ー ウォルト・ホイットマン ー



  は じ め に

  新潮文庫に、佐藤愛子さんの『こんなふうに死にたい』という本があります。これは小説家の彼女の霊に関する実体験をまとめたものですが、佐藤さんも初めは、霊魂の存在など全く信じてはいませんでした。彼女は、「私がこれから語ることを、おそらく読者の大半はナンセンスだというだろう。なぜなら現代に生きる大部分の人は、目に見えるもの、耳に聞こえるもの、科学的に分析実証できるものしか信じないからだ。かつての私もその一人であった」とこの本の中で書き出しています。
 佐藤さんは、たまたま訪れた北海道の浦河という町で、気に入った土地を見つけてそこに別荘を建てました。浦河は、太平洋に面した牧場と漁港の小さな町で、千歳空港から急行電車で東南に向かって三時間あまりのところにあります。 その浦河の牧草地の中の丘の上に来た佐藤さんは、急にそこに別荘を建てることを思いついて、預金通帳の残高のことも頭に入らずに家を建て始めたのだといいます。ところがその家で、次から次へと霊現象が起こりはじめたのです。
  かつての佐藤さんは、死とは無であると思っていました。「そう考えるのが一番簡単だった。そこには何もない、自分もない。自分もないのだから闇もない(闇を感じる自分がない)。死は生物の完全消滅を意味する。魂? そんなものは迷信だ」と書いたりしていました。その彼女が、別荘の屋根の上を何者かが歩く重い足音、水道のないところでザアザア水が流れる気配、物品の破損と消失等々、全く不可思議な現象に見舞われて、悩み苦しむことになります。思いあまった佐藤さんは、ある日ついに東京の美輪明宏さんに電話をかけて救いを求めました。美輪さんは歌手、俳優として有名ですが、実は大変優れた霊能者だと聞いていたからでした。
  美輪さんは東京にいても、霊視によって、佐藤さんのその北海道の別荘や周辺の景色などが手に取るようにわかりました。その後、東京でもしばしば美輪さんに会った佐藤さんは、美輪さんから、先祖の霊についてのみならず、自分自身の前世の霊についてもいろいろと聞かされるようになります。
  これらのことを佐藤さんは小説家の巧みな筆致で、淡々と述べていますが、彼女は、前世では、アイヌの女酋長だったことがあるそうです。その女酋長の名前もわかりました。そこで佐藤さんが調べてみると、その女酋長が戦いに敗れて命を落とした場所と北海道の彼女の別荘地とのつながりなどがわかりはじめてきたのです。
 長い霊体験との関わりを通じて、佐藤さんは、だんだん霊について理解を深めるようになっていきました。「私は成仏できずにさまよう霊が存在することを、様々な体験で信じるようになっている。たとえ死に際が安らかであったとしても、死後にさまよう霊のあることも知っている」と語るようになりました。そして、「まっすぐ霊界へ行くことが出来なければ、私は死に変わり生き変わり輪廻転生をくり返す覚悟を決めるだろう」と、最後に述べています。佐藤さんもまた、いまは光の中を歩み始めている、ということになるのかもしれません。
  この本には、佐藤さんに高い霊能力を示してきた美輪明宏さんの「霊を受け入れる柔和質直な心」という文も載せられています。美輪さんには霊がはっきり見えるわけですから、「霊なんかあるわけがない」と広言する人などは、殊更に愚鈍に思えるのかもしれません。実は、そのような人は、物事をよく知っているつもりの、科学者、医者、学者、文化人、知識人といわれる人たちのなかに多いといわれているのですが、美輪さんは、それらの人たちこそ無知で蒙昧であると、次のように非難しています。
 
  通常の医者や科学者は、超常現象や己の無知なる部分を認めれば沽券にかかわる、それらを否定することこそ立派な科学者で常識ある人間だと思いこんでいる。この姿こそ小心翼々とした哀れむべき根性である。頑迷ということは愚か者だということである。「超常現象なんてあるわけはありません」とそれに対する勉強も研究もせず何の知識もない癖に頭から否定してかかるのが傲慢なる愚者の発言であり、「この世の中には自分が知らない事はまだまだ山の様にあります。私には知識も経験も無いのでわかりません」と発言する人が聡明で謙虚な人なのである。@

  美輪さんに言われるまでもなく、私たちが見えない霊の世界を見るのは容易ではありませんが、だからといって、知ろうともせず勉強もしないで、「そんなものはない、迷信だ」と片づけてしまうのは、傲慢ということになるのでしょう。人はなぜこの世に生まれて、死んだ後はどうなるのか。これは、生きていくうえでも何よりも大切な重大問題であるだけに、私はこのセミナーでも、皆さんといっしょに、生きる意味と死後の世界の実相を知ろうとする努力だけは続けていかなければならないと考えています。


  一  霊界が見える人と見えない人

  霊魂は存在するか、しないか。この問題については世の中にいろいろと異論がありますが、それらを少しみてみることにしましょう。一例として、たとえば、立命館大学・国際平和ミュージアム館長の安斎育郎氏の「調査」のようなものもあります。昨年(二〇〇〇年)、氏が京都周辺の仏教各派に霊魂の有無について照会したら、いろいろな宗派から返事が返ってきました。それによりますと、「霊は存在しない」(仏光寺・浄土真宗)から、「霊は実体を持った存在」(金剛峰寺・真言宗、延暦寺・天台宗)まで、大きな差があることがわかったそうです。同じ真言宗系の寺院でも、「霊は実体を持った存在」、「霊は観念であって実体ではない」、「霊は存在しない」など多様性が見られたといいます。
  この結果について、安斎氏は、「結局、霊に関する見解は多様で、十三宗百四十派を超えるといわれる日本の仏教では、どの宗派のどの僧侶に出会うかによって、霊に関する理解に大きな差が生じることが示された」と述べています。そして、「たたり」についても、「あるはずがない」から「人間は前世における業の報いを受けて生きる」まで宗派の見解がいろいろと分かれていることを紹介した後、「仏教界はこの混乱をどう見るか?」と、締めくくっています。A
  霊魂は目には見えませんから、その存在を知るということは、もとより容易ではないでしょう。しかし、霊に深く関わっているはずの仏教界でさえ混乱しているといわれるのは、大きな問題であるといわれても仕方がないかもしれません。
  もっとも、この安斎育郎氏は、霊現象などの超自然現象を批判的に研究する「ジャパン・スケプティクス」という会の会長でもあります。そして、「霊は存在しない」と主張する浄土真宗仏光寺の僧侶とは、同じ会の工学博士でもある日野英宣氏です。日野氏は、「霊魂とは、煩悩が生む妄念妄想にすぎない。その作用は、自分自身が原因なのに霊に責任を転嫁する、未知への不安を霊に託して安心する、脅迫や報復の手段として悪用する、の三つに分類できる」などと述べています。そして、「釈尊自身は、古代インドの輪廻転生観や霊魂存在説を否定されたが、その後、さまざまにねじ曲げられた。ブッダとは目覚めた人の意味であり、本来の仏教はそうした妄想からの自由を目指している」ともつけ加えています。B
  この種の見解も、特に珍しいことではなく、美輪明宏さんの言うように、いわゆる、知識人・文化人と称するような人に多いといわれています。いろいろな意見立場をもつことは自由であるとしても、僧職にある身で日野氏は、霊魂を否定して何故僧侶が勤まるのか、また、たとえば、般若心経の「是諸法空相・不生不滅・不垢不浄・不増不減」などをどのように理解しているのか、ちょっと聞いてみたい気もしないではありません。
  しかし、ここでも公平のために付け加えておきますと、前記の安斎氏などはこの「不生不滅・不増不減」を、輪廻転生を含めて次のように考えているようです。人間は死んで火葬に付されれば、体を構成していた諸元素は原子や分子になってしまいます。例えば、成人一人の体には炭素原子が七キログラムほど含まれており、それは火葬によって二酸化炭素(炭酸ガス)の分子となり放出されていきます。その数は、氏によると、およそ三五〇兆個の一兆倍だそうです。
  この二酸化炭素分子が、全地球上の高さ一〇キロメートルまでの大気中にかりに均等に拡散していくとします。そのうえで、アメリカのボストンでもブラジルのリオデジャネイロでも日本の網走でも、どこでも地球上の一地点で一リットルの風船に大気を封入したら、その中に火葬にされた一個人の体に由来する二酸化炭素分子は何個ぐらい含まれていることになるでしょうか。その数は、実に、六万六千個にもなるというのです。
 それらの二酸化炭素は光合成で野菜や雑草に利用され、それを餌にした動物の細胞となり、さらにそれを食べた人間の体に利用されます。つまり生まれ変わることになるのです。地球はその創世以来、原子は基本的に増えることも減ることもありませんから、地球は巨大なリサイクル工場として、「使い回し」をしていることになります。そう考えると、「輪廻転生」を科学的に解釈したような気がして面白い、と氏は書いています。C たしかに、これは科学的な真理であって、面白いかもしれません。しかし、その「真理」の奥にはもっと大きな深い真理があり、科学的に解釈できるような真理も、実は広大無限な宇宙の真理のごく一部であるにすぎないといえないでしょうか。
  このことをもう少しここで考えてみましょう。大般涅槃経のなかに、つぎのような「盲人と象」のたとえ話があります。

  昔、ひとりの王があって、多くの盲人を集め、象に触れさせて、象とはどんなものであるかを、めいめいに言わせたことがある。象の牙に触れた者は、象は大きな人参のようなものであるといい、耳に触れた者は、扇のようなものであるといい、鼻に触れた者は、杵のようなものであるといい、足に触れた者は、臼のようなものであるといい、尾に触れた者は、縄のようなものであると答えた。ひとりとして象そのものをとらえ得た者はなかった。

  これは、大変わかりやすいたとえ話です。牙に触れたり、耳に触れたり、鼻に触れたりしていますが、それだけでは、象の実像にせまることは出来ません。しかし、例えば、耳に触れている盲人Aは、自分が確かに象に触っているわけですから、象とは、扇のようなものだと固く信じて疑わないでしょう。同様に、尾に触れた盲人Bは、実際に手に触れた感触で、縄のようなものだと思っているわけですから、その判断の正しさには盤石の自信を持つかもしれません。この場合、盲人AもBも、彼らの立場では確かに正しいのです。しかし、それらはあくまでも象の一部であって、象の実像からは遠く、結局、彼らの見方は間違いであることになってしまいます。部分としては確かに正しいのですが、しかし、間違っているのです。
  この象の実像を、仮に「真理」と置き換えて考えてみることにしましょう。その真理を捉えるのには、どういう見方をすればよいでしょうか。少なくとも、視野を広げなければならないことがわかります。象の実像を捉えるためには、牙や耳や鼻だけに触れて、それだけで結論を出してしまうのではなく、一人の盲人が、足や尻尾や大きなおなかまでできるだけ多くの場所を触ってみて、そのうえで、全体像を組み立てれば、かなり実像、つまり「真理」に近づくことができるはずです。つまり、象=牙、象=耳、象=鼻ではなくて、象=(牙+耳+鼻+尾+・・・・・)ということになります。
 真理の探究というのは、学問の目的であり、学者の本分でもあるわけですが、しかし、往々にして、学者は対象を深く見つめているうちに視野が狭くなって、小さな自分の専門領域に閉じこもりがちです。 広大な宇宙の中では米粒ひとつほどの大きさにもならないちっぽけな地球の上で、科学で説明できないものは真理ではない、と広言しているような科学者がいるとすれば、ちょっと滑稽な気がしないでもありません。盲人と象のたとえでは、象の尻尾だけを繰り返し触り続け、毛の数まで知り尽くして、それで象のことは権威であると錯覚してしまうようなものです。そして、本当に象の全体が見える人から、象というのはもっと巨大で複雑な存在だと聞いても、そんなものは迷信だと一笑に付すことになるのでしょう。
  さまざま見方があることを知るために、ここでもう一つ、アメリカでの調査にも触れておきたいと思います。ジョージア大学のエドワード・ラーソン氏らが実施したアンケートによると、最先端の研究に携わる米国科学者の約四〇パーセントが、神や死後の世界を信じているそうです。歴史学者のラーソン氏らは、「米国科学者名簿」から数学、生物学、物理、天文学の計千人を無作為で抽出し、約六百人から回答を得ました。それによりますと、「神を信じる」が三九パーセント、「死後の世界を信じる」が三八パーセントにのぼりました。同じアンケートは、一九一六年にも実施されていて、その時は、神、死後の世界は、それぞれ、四二パーセントと五一パーセントの科学者が信じている、という結果でした。八〇年間で、信じる科学者の傾向はあまり変わっていないということです。D
  このような調査は、かって、一九七六年に世論調査のギャラップ社が、アメリカ国民全体を対象に実施したことがあります。その時のデータでは、「神の存在を信じる」は九四パーセント、「死後の生を信じる」は六九パーセントというようにかなり高い数字を示していました。E この全体調査に比べると、科学者の場合は確かに、神の存在、死後の生とも、懐疑的に見ている人が多いといえるでしょう。美輪さんに言われるまでもなく、科学者や文化人といわれるような人々の間では、やはりどうも、神や死後の世界は、真理として受け止めにくい傾向があることは否めないような気がします。
  ここで思い出されるのは、エリザベス・キューブラー・ロスのことばです。彼女は、アメリカのシカゴ大学の精神医学部教授を勤め、末期ガン患者をどのように看護するかというターミナル・ケアの世界的な権威として有名です。皆さんの中にもご存じの方が少なくないと思いますし、このセミナーでも何度か紹介してきました。キュブラー・ロス博士自身も臨死体験をしていますが、それとは別に、彼女が医者として患者の治療に当たっている間に、患者の臨死体験の例を二万件も集めました。人間は死んでも死なない、死というものはないのだ、ということを人々に説いてまわるのが自分の使命だと、感じていたからだということです。
  しかし、やがて、彼女は悟ります。人間のいのちは永遠であって、本来、死というものはないのだということは、聞く耳を持った人なら彼女の話を聞かなくてもわかっている。しかしその一方で、その事実を信じない人たちには、二万はおろか百万の実例を示しても、臨死体験などというものは脳のなかの酸素欠乏が生み出した幻想にすぎない、と言い張るに違いないのです。そういうことを知るようになって彼女は、臨死体験の例を集めて「死後の生」を証明しようとする努力を二万件でやめてしまいました。彼女は、少し自嘲気味に言っています。「わかろうとしない人が信じてくれなくても、もうそんなことはどうでもよいのです。どうせ彼らだって、死ねばわかることですから。」F 
  見えないものを見えないからといって信じられない人は致し方のないことかもしれません。美輪さんが東京にいて、北海道の浦河にある佐藤愛子さんの別荘の様子が手に取るように見えた、と聞いても、「そんなことがあるはずはない。何らかのトリックか嘘にきまっている」とまともに考えてみようともしないでしょう。しかし、美輪さんのような霊能者に取っては、霊魂はあるか、ないか、の問題ではありません。美輪さんのこころの目には亡くなった人の姿でもはっきり見えるからです。
 先に引用した佐藤愛子さんの本には、一九四九年に亡くなっているお父さんの姿を美輪さんから告げられて驚く場面があります。彼女のお父さんというのは、名前をご存じの方もおられると思いますが、『ああ玉杯に花うけて』などの作品で知られている小説家の佐藤紅緑氏です。ついでにつけ加えますと、詩人のサトー・ハチロー氏は紅緑氏の長男で、佐藤愛子さんの兄さんに当たります。その、すでに亡くなっている佐藤紅緑氏のことを、美輪さんから「佐藤さんのお父さんっていい男ねえ。色が白くて、面長でぽっちゃりしていて」と言われたのだそうです。「びっくりした」彼女は、そのときの様子をつぎのように書いています。

 ・・・私は父が五十の時に生まれている。私が知っている父は特に色白でもなければ、ぽっちゃりもしていなかった。初老の色素の沈んだ皮膚をして、まあ若い頃はいい男だったといわれれば、そうかもしれないと思うような顔立ちの人だった。しかし父の若い頃を知っているという年寄りたちが、
 「紅緑さんはいい男だったよねえ・・・。色が白くて、頬のあたりに何ともいえない色気があったねえ・・・」
と感に堪えたようにいうのを私は度々聞いていた。そして母もまた、「お父さんは昔はとても色白の人だったのに、あんなになってしまった」とよくいっていたのだ。
  美輪さんに見えるのは、四十代の父の姿なのである。そして四十代は父がその人生の中で最 も苦しんだ時代だったのだ。私はそのことを、『花はくれない』という父の伝記小説を書くときに調べて知っていた。G


  二  霊界の家族とのコミュニケーション

  霊能者にもいろいろありますから、この美輪さんのように、霊界にいる人物の容姿を見ることが出来る人もいれば、そればかりではなく、その人からのメッセージを受けとることが出来る人も少なくはありません。そういうすぐれた霊能者のことも、これまで何度か、このセミナーでお伝えしてきました。また、死後の世界からのメッセージを扱った日本語の本も、翻訳を含めていまではたくさんあって、書店で簡単に手に入れることも出来ます。
  最近では、アメリカでベストセラーを続けた『もう一度会えたら ー最愛の人、天国からのメッセージ』(光文社)が和訳されて、書店の書棚に並べられています。まだ信じられないという方もおられるかもしれませんが、実は、亡くなった人とこの世に残された人が霊能者を通じて「会話」するのは、そう珍しいことではありません。どのようにしてあの世からメッセージが送られてくるのか、その本のプロローグから、その一例を抜き書きしてみましょう。
  ここでは、この本の著者で世界有数の霊能力者といわれるジェームズ・バン・プラグが、夫と息子を飛行機事故で亡くしたマリリンという女性にあの世からのメッセージを伝えている場面をつぎのように述べています。

 ・・・わたしは彼女を交霊室に案内し、できるだけくつろげるようにしました。そして、これからどういうことが起きるのか、手短に説明しました。それが終わるか終わらないうちに、わたしはマリリンの左隣に男性の存在を感じました。
 「ロジャーという名前に心当たりはありますか?」とわたしは尋ねました。
  ロジャーは夫の名前だと彼女は答えました。
 「赤みがかったブロンドの髪の男性が見えます。彼はしきりに髪を櫛でといていますね」
  私がその動作を真似してみせると、マリリンの目がみるみる赤くなりました。
 「まあ、そうです。あの人はいつも髪を気にしていました」
 「彼が飛行機のコックピットを見せてくれています。コントロールパネルに並んだ文字盤や針がすでに作動しなくなっていますね。煙や火が見えます。そして、真っ暗になった。これで何か思い当たることがありますか?」
 マリリンは震えはじめ、ティッシュを出して目頭を押さえました。
 「ロジャーは一年前に飛行機事故で亡くなったんです。夜、飛行機が墜落して。そう、私はあの人とコンタクトを取りたいと思っていたんです」
 「あなたを心から愛している、あなたと話す機会を自分もずっと待っていた、と彼が言っていますよ。彼はとっても興奮していますね。結婚記念日おめでとう、とあなたに言いたいそうです」
 マリリンはひどく驚きました。「今週が結婚記念日だったんですよ。まあ、なんてことでしょう!」
 「あなたの知っている人が彼の隣に立っています・・・小さな少年だ。名前はトミー。ご存じですか?」
 マリリンはすっかり興奮して文字通りさけびました。「ええ、もちろん、知っていますとも!トミーは私の息子です。ロジャーと一緒に飛行機に乗っていました。それがそもそもの発端だった。トミーが飛行機に乗せてほしいって、パパに頼んだんです」
 「彼はこう言ってますよ、『ママ、そんなにびっくりしないで。ぼくはここでパパと一緒なんだから!』と。彼の部屋に行って『スターウォーズ』のポスターを壁からはずしてほしいそうです。もう必要ないそうだ」
 マリリンは信じられないといった表情で首を振りました。「そのポスターはあの子のベッドの上にかけてあるんです」
 「彼はボビーという名前を口にしてますね。ボビーに言いたいことがあるそうです」
 「ボビーはもうひとりの息子です」とマリリンが説明しました。
 「ボビーが二番目の引き出しからぼくの赤いシャツを出して着ているけど、ぼくはべつに怒っていないよ、とトミーが言っています」
 依頼人の口からあえぎ声が洩れました。マリリンはまたもや言葉を失っていたのです。この意味がわかりますか、とわたしは尋ねてみました。
 「今日、ボビーは赤いシャツを着ているんです。わたしが家を出る直前にあの子がそれを着たんですわ」
 夫と息子に交信していることをマリリンは確信しました・・・ H

  ここでは、霊能者のジェームズが、マリリンに対して、飛行機事故で亡くなった夫のロジャーと息子のトミーからのことばを仲介しています。霊能者はただ単に、聞いたことを先入観なしに伝えるだけですから、霊界からの「ロジャー」とか「トミー」という名前を聞いても、彼らが夫であり息子であることは、時には、説明を受けなければわかりません。これは、この世での対話の場合と状況は同じです。「スターウォーズ」のポスターや、二番目の引き出しから出した赤いシャツも同じで、霊能者のジェームズがマリリンに聞いて、ことばの意味を納得しています。時には、霊能者がことばを仲介しても、しばらくはその意味がわからないこともあるようです。それもみてみましょう。同じ本のなかで、著者は、グループ交霊会でカーラという名前の女性に話しかけたときの、つぎのような例を紹介しています。

 「カーラ、存命中の人でジョアンヌという名前に心当たりはありませんか?」
 カーラは考えていましたが、それらしい人物は思い当たらないようでした。そこでわたしは先を続けました。
 「実は、わたしの横に男の人が立っていて、あなたにぜひ思い出してほしいと言ってるんですがね」
 それでもカーラにはまだ思い出せません。
 「彼はバイクの事故の話をしています。バイクの衝突で亡くなったそうです。仕事から帰る途中だったらしい」
 カーラはしきりに首をひねっていましたが、不意に顔が真っ青になりました。そして、叫んだのです。
 「そうよ、そうだわ」
 「彼はキャッシーという名前を口にしていますが?」
 「ええ。わたしの親友の名前がキャッシーです。ポールは彼女のご主人です。バイクの事故で亡くなったんですよ」
 カーラはひどく興奮してきました。彼女が落ち着くまでわたしたちはしばらく中断しなければなりませんでした・・・・
 「赤ちゃんを見た、とポールが言ってます。赤ん坊のことはちゃんと知っている。生まれたときには彼もその場にいたんだそうです。この意味がおわかりですか?」
カーラはぽかんとした顔つきでした。ところが、不意に泣き出し、口を手でおおいました。そして、途切れ途切れに話してくれたのです。
 「ええ、はい・・・やっとわかりました。ポールが事故死したとき、キャッシーは妊娠二カ月だったんです。でも、彼はそれを知らなかった。キャッシーは五カ月前に出産しました。女の子で、名前がジョアンヌです」
 ・・・愛する夫が向こう側の世界で生きているばかりか、天国から幼い娘を見守っていると知って、キャシーは現在も大きな安らぎに包まれています。I

  このように、亡くなった人とは無関係のこの世にいる霊能者が、霊界にいる人の名前をあてるということは、考えてみると大変なことですね。トリックでは絶対に出来ないことで、このことが示している重大な意味を私たちはかみしめておかねばならないと思います。しかし、それでも、どうもまだよく納得できないと思われる方もおられるでしょうか。私はただ、淡々と事実をお伝えするだけですが、実は、これと同様のことは、私自身がロンドンで経験しているのです。そのことについては、一昨年の私の講演でもお話ししましたので、ご出席下さった方々は覚えておられることと思います。また、その亡くなった私の妻や長男との「再会」の模様は、講演集「生と死の実相について」にも、書き記してあります。
  日本ではまだこのような体験は、どうも疑心暗鬼の目で見られがちですが、この点では欧米の方がまだ、受けとられやすい傾向があるといってもいいかもしれません。例えばアメリカでは、一九八七年に全国世論調査センターがおこなった興味深い調査があります。「故人と何らかの接触を持ったと信じている人」の割合を調べて、その結果を「アメリカン・ヘルス」という雑誌の一、二月号に発表しているのですが、それによりますと、そうした体験がある人は、成人では四二パーセントにもなるそうです。また、配偶者を失った女性では、実に六七パーセントが、体験があると答えていたということです。J
  もっとも、アメリカでも、心理学者や精神科医、死別体験カウンセラーや牧師などの多くは、これまでずっと、そういう体験を幻覚、妄想、あるいは単なる空想というふうに捉えてきました。こういう世論調査の結果が出ても、大多数の専門家は「悲嘆に誘発された幻覚」として、信じようとしなかったようです。そこで、ADC (After-Death Communication)プロジェクトという「死に別れた家族や友人と直接に、また自然発生的に接触した体験」を調査するグッゲンハイム夫妻の運動が始まり、一九八八年五月以降、七年をかけてアメリカの五〇州のすべてとカナダの一〇の州の三千三百件を超える体験者自らの報告を収集しました。
  その面接調査の記録は一万ページを超えたそうです。その結果、控えめにみてもアメリカ合衆国の総人口の二〇パーセント、少なくとも五千万人のアメリカ人が、霊界の家族や友人との何らかのコミュニケーション体験をもっており、子供や配偶者を失った人々の間では、さらにこの数字は劇的に高くなる、と述べられています。K グッゲンハイム夫妻はそれをHello From Heaven(邦訳・『生きがいのメッセージ』)という本で紹介していますが、この本では、霊能者によらない、あの世とこの世の家族同士の直接の霊界通信の「証言」が数多く紹介されています。そのなかの一つだけをつぎに引用してみましょう。 

  母が亡くなって一週間ほどたったころ、父が、「母さんが五千ドルの貯蓄債券を寝室のどこかに隠してたんだがね」と言い出したんです。「捜さなきゃ!」
ところが、それから二時間も捜したのに見つかりません。引き出しも箱もクローゼットも、全部くまなく調べましたが。マットレスの下までめくってみました。とにかく寝室じゅうの、ありとあらゆるところを全部覗いてみたんです。
 父も私も、とうとうベッドにひっくり返りました。「お父さん、ここじゃないわ、どっかほかの部屋じゃないの」
 そのときです。母がくすくす笑うのが、聞こえてきたんです。それから、「ダメね、あなたたち。あれは衣装バッグの二重底の中にあるのよ」って。私の頭の中にそう聞こえてきたんですよ。紛れもなく、母の声なんです。
 ぎょっとして跳ね起きて、「衣装バッグの二重底の中にあるんですって! お母さんがそう言うのよ」って大声を上げながらクローゼットへ飛んで行きました。衣装バッグに手をつっこんでみると、なんてことでしょう、確かに二重底になってるじゃありませんか。上底を取り外してみたら、その下にあったのは、まさしく五千ドル分の貯蓄債券。
 債券を取り出したとき、父がまじまじと私を見て言いました。「ルース、本当だね、母さんはここにいるんだね」って。L


  三  霊界の家族の消息を伝えるリーディング 

  個人的な、私や私の家族のことを話すのは、特に大勢の方々の前では、差し控えたいという気持ちがどこかにありますが、やはり大切なことをご理解いただくための判断材料の一つとして、ここでも私の体験をお伝えしていくことにいたします。
  霊界とのコミュニケーションのひとつに「リーディング」といわれる手法があります。リーディングというのは、直訳すれば「読みとり」になります。霊能力の一つで、「霊視」に近いのですが、霊界の魂と通信するだけでなく、相手の頭の中の記憶を遠い過去にまで遡って感じ取ることもできます。通常は、普通の人には感じることの出来ない何らかの宇宙の存在をソースにして、そこからのメッセージをリーディングの対象者に伝えるという形を取ります。
  私は毎年、亡くなった長男の誕生日の六月五日に、ロンドンの霊能者アン・ターナーを通じて、霊界の妻や長男と「文通」していますが、実は日本でも、毎年同じ日に、日本人の霊能者A氏によるリーディングを受けてきました。この場合、A氏はリラックスした瞑想状態の中で、質問を受け、それを宇宙のソースに伝え、そこから回答を引き出すという手順になるようです。その回答を録音したものを、一字一句、正確にそのまま文字化したものを私は持っていますが、例えば、一昨年(一九九九年)の六月五日のリーディングでは、私の長男・潔典は、つぎのように伝えてきました。

  僕は死んですぐ、霊界に行きました。といっても、すぐに正式の霊界に赴けたわけではありません。まず、黄泉の国といって、中間段階を経て行ったのです。そこで待機させられていました。どのくらいだったかは定かではありません。ただ、随分と長かったのは、いまでも覚えています。
  特に苦しんだことはありません。むしろ、肉体から解放されて、自由を感じることが出来ました。神様が居られるということを、あとでだんだんと、わからせられました。二人か三人の 守護者達がついてくれていて、いろいろと教えてくれたりなどして、導いてくれてきているのです。最初はよく誰だかわかりませんでした。守護者たちのことです。でもなにか覚えているという感じは最初から自分のなかにはありました。なじみがあるような気がしたのです。けれど、誰だかはわかりませんでした。
  肉体を離れてから自由を感じました。特に痛烈な打撃とか痛みは伴いませんでした。肉体から魂を分離させたときのことです。お母さんと僕とはとても縁が強く、一方、お父さんとお姉さんとは縁が強く、お互いに対照的に位置しています。お互いに向かい合っているような関係にあるのです。
  あの世というのがあるのは、聞いていましたが、本当にあるということがわかり、安心できました。ひとつの扉を通っていくようなものです。ひとつの部屋といまひとつの部屋とがあります。二つの領域のことです。扉が間にはあります。そこからいまひとつの領域へ移行できる のです。あの世からこの世、この世からあの世、いずれの場合も同じです。ただこの世のほうが粗雑な世界で、重い感じがします。ちょうど鎧を身にまとって戦士として戦に出向くような のがこの世の生き方です。それに対して、鎧を脱ぎ、家庭のなかで憩い安らぎ、自分の本心に 帰れるのがあの世です。もちろん鎧というのは肉体の喩えです。そのぐらいあの世に来てみると、肉体の重たげなことがわかったのです。それ故、あの世に行って苦しんだり悲しむということは、この世にいる間想像していたほどのものはありません。最初は悲しかったり辛かったりというよりも、戸惑いを覚えました。この世に残っている人たちのほうが悲しむことがわかりました。
 
 「僕は死んで・・・」などという長男のことばを聞きますと、やはりどきっとしますが、それはまだ、私が霊界のことをわかっているつもりでも理解が浅いからでしょう。それでも、気を静めて読んでいけば、死がそんなに悲しむべきことではないこと、残された者がそれを知らずに嘆き悲しむことは、私たちのいう「供養」にはならないのではないか、というようなことも教えられるような気がいたします。この後を続けてみましょう。
 
  あの世であるここに来てから、あの世側からはあまり寂しくはありません。何故というに、この世のことが見通せて、死んでも生きていることがわかったし、引き離されたというわけでもなく、いまでも身近に居るからです。それで、引き裂かれたという気はしません。だから、寂しくはありません。肉体をまとっていると鈍くなるので、引き離された感じになり、寂しかったり悲しみます。あの世とこの世とで、ご縁のある四つの魂が二つの領域で、縁ある二組でペアーをなし、向き合って暮らし続けています。別の世界に行ったわけではありません。いまでも一緒です。ただ次元が違うだけです。
  お母さんと僕とには、守護者がついてくれています。同様に、お父さんとお姉さんには僕たち二人が守護者です。守護者というのは、縁のある魂のなかで先輩格のことです。この世の年齢とは異なり、あの世や神様のことに精通している者たちが先輩ということになります。
  お母さんと僕とはとても縁が強く、一対をなしています。同じように、お父さんとお姉さんとは対をなし、とても縁があります。それでこの二人同士は引き裂かれません。多少、この世やあの世の事情や都合によって、もう一人が結婚したり、多少、別に居をかまえたりなどしたりしても、完全な別れは体験しないように考慮されています。でも、二人と二人との間は、このように、別な次元に分けられました。あの世とこの世の二つの領域を股に掛けてバランスを とるようにということでした。また、お父さんを目覚めさせ、導くために高い霊が動かれ、このようなことを起こされました。
  お父さんなら、頭も聡明で、苦しませるのは高い霊たちにとっても辛いことで、決断を要したということです。でも必ず目覚めて立ち直る人だということがわかり、一人の苦しみが何百、何千人、いや何万人の人たちの魂を目覚めさせ、同様の苦しみや悲しみのなかで沈んでいる同胞に慰みと魂の癒しをもたらすことを、その聡明さによって、やってくれるということが期待されたからです。僕は純粋だということで、その純粋さを保持してほしいというので、早々と引き上げさせられました。あまり世俗の垢にまみれてほしくないということのようです。
  お父さんは僕に、仕事や勉強など、とりわけ語学の面と国際文化の領域で跡を継ぎ、活躍してほしいと期待をかけてくれていました。でも守護霊たちが、もっとあの世のことに精通するほうへと導いていき、たいそう大きな力が働き、このような具合に流れ上、なってきました。
  お父さんと僕とは、前世において何度か、国際関係のなかで重要な役目を果たしてきた使命のパートナー同士でした。また、実際、肉の親子であったときもあり、たいそう可愛がってくれました。使命のパートナーであったときはいろいろと助言してくれ、教え導いたり守ってくれました。古代から近代にかけて、何度かお互い格別な関係を結び、特に国際関係において二つの国と国の間の調整役などを務めたり、学問の世界でも言語学の分野でお互いに切磋琢磨しあいました。
  いまの時代、それをまたやろうと思っていたのですが、切迫していることがあり、霊界にも異変があるなどして、大きなカルマや意向がはたらき、僕たち家族に大きな力が介入してきました。アトランティスの当時のカルマが動いて、もっと人類が魂のレベルで目覚めるように僕たち家族に働きかけだしたのです。特に僕たちが前世で罪を犯したとか、いけないことをしたから苦しまねばならないということではなかったのです。もっとほかの人たちが目覚めるため、私たち、僕たちみんな四人が捧げられ、皆の目覚めのために尽力するように求められたのです。自分の場合は、純潔を魂の領域で保つようにということで、新しい守護者になるよういま訓練をうけているところです。
  お母さんとお姉さん、お父さんと僕との間には同質性のものがあります。それで比較的通信 しやすく、目をつぶってリラックスし、自分に素直になりながら相手をイメージ上で立ち上らせて正直に向かいあえば、イメージ上の相手の表情や顔つきの変化でメッセージを受け取ることが出来ます。異なった次元間でのコミュニケーションは、このようにしてなされます。目をつぶって瞑想状態のなか、イメージ上ではありますが、相手の口が動き始めて声に聞こえたり 聞こえなかったり、いずれにしても口が動いて、何かを語り伝えてくることが生じ始めます。
  お父さんにはお姉さんが、そして、僕にはお母さんがどうしても必要で、異性のペアー同士でお互い支え合い、またかばい合い慕い合い生活を支え共にすることが必要で、そのように二分されました。また会えます。通信上のことばかりではありません。あと数年か十年そこらで、また実際にお会いできます。でも急がないでください。こちらの世界で待っています。すぐ会えるということです。すぐというのは数年の「すぐ」という意味より、迷わずすんなりという意味です。そのためにもお姉さんにはパートナーが必要で、結婚するようになりました。お姉さんともいずれ会えます。


  四  霊界でまた会う日まで

  霊界からのコミュニケーションがどういうものか、少しでもご理解を深めていただくために、あえて、このような私的な「通信文」を披露させていただきました。皆さんは、こういう霊界からの「通信文」を読まれて、どのようにお感じになるでしょうか。これは遠い外国の誰かに起こったことではなく、この東京で私自身が現実に体験した一例です。
  昨年(二〇〇〇年)の長男の誕生日にもまた、このリーディングを受けました。昨年も「現在の潔典の霊界での消息についてお教えください。潔典はどういうことを私に伝えたい思っていますか」と同じようなことを質問しました。それに対しては、つぎのような回答を受け取っています。

  まず捉えられましたのは、白くてうっすらとした光であります。それほど強烈な光ではありません。ボアーとした感じです。ただ、広がりはあります。あまり強い念のようなものは感じ取れません。だんだん昇華され、霊格が高まってきているのがわかります。以前にもまして霊的成長を遂げ、神様の一体のようになってきています。
  凛々しい姿で立っており、こちらに向いています。古代日本の装束のような衣装を身にまとって、立ってこちらを向いているのです。だいたい無言の様子です。高貴な人のようなたたずまいです。古代日本の大和のような、いまでいえば神社の神主さんのような衣装です。日本の神様の下で受け容れられ霊格が高まってきたあらわれです。同時に、古代日本における前世のしるしでもあります。
  無言なのであまりことばに翻訳して伝えるというのが難しいのですが、もう少し同調して、聞き出してみましょう。まずわかりますことは、その立派になったお姿をお見せしたいという 意向が感じられることです。「お父さん、見てください。このように立派に私はなれました」 ということが第一の意思表示です。高貴で凛々しく、きりっとした様子です。年格好は二十代 前半で、あれから年とっていません。ちょうど他界された頃の様子です。しかし霊的には随分 上がってきています。だいぶん落ち着いて安定しています。
  無色透明なものを感じさせてくれます。じーとこちらを向いて立っています。何かまだありそうですが、すぐには出てきませんので、とりあえず次の質問に移り、そしてその中でまた追々見ていくことにしましょう。

  一昨年の「通信文」と比べてみても、このように、通信のための波長の同調が必ずしもスムーズにいくとは限りません。同調に手間取ることもあります。そこで、つぎの質問に移りました。「私と長男・潔典との前世における関係についてお教えください。私と潔典はそれぞれどのような前世をもち、いつどこでどのような関係で生きてきましたか」。これが私の出した質問です。そしてこれには、かなり詳しい返事が返ってきました。これも一切文章上の修正は加えないで、一字一句、言われたとおりに書くと、つぎのとおりになります。

  まずわかりますことは、同じ使命を分担しあって生まれ変わってきたということです。使命は同じ、役目が異なる、それ故協力しあって相補うかのように、バランスをとりながらともに進めてきています。もちろん違うといっても、共通の使命のなかで担う役目が異なるということですので、助け合い、補い合い、協力しあって、その使命を完成させようとしてきているわけです。
  二人とも大使でした。国と国、民族と民族との間を調停したり、国交が回復するように計らったり、あるいは文化や教育、ときに技術の面で互いの国が成長し、繁栄するために力を尽くしました。古代の日本の大和朝廷の時代には、朝鮮半島と日本との間で国交が始まり、朝鮮半島のほうから技術や文物を帰化人となった人たちがもたらしてきています。そのころの時代、二人は日本と朝鮮半島との間で、互いに有益となるように、またバランスがとれるように、計らいました。しかしそれは、なかなか難しいことでもあったのです。紀元四世紀から五世紀にかけての頃です。神宮皇后からその息子の応神天皇にかけての時代です。
  中国のほうとの国交も始まっていました。あなたは主に中国のほうとの間での国際交流ということで役目がありました。彼の方は、朝鮮半島との関わりで責任がありました。当時の世界といえば、日本にとって中国や朝鮮半島でした。あなたは中国との国交のほうで忙しく、責任も重かったので、ほとんどそちらに忙殺されていました。朝鮮半島との国交はなかなか難しい問題をはらんでいて、彼はとても大変でした。あなたは何となく気にはなっていたけれども、自分のほうでかかずらわされて、なかなか意識を彼のほうに向けることができませんでした。
  あなたは彼を含めて、何人か何十人かの規模の、国際交流に役目のある大使や外交官のような人たちのまとめ役、また育て役の親という立場にありました。彼を含めて何十人かの使節で派遣される者たちの育成者、また指導者だったのです。日本対海外での交流の派遣員らのあなたは元締め的存在でした。彼のことは、直接の息子ではなかったようですが、とても有望であると見なし、とても楽しみにしていました。朝鮮半島との国交が始まったので、とてもそれは日本にとっても重大だと思われ、有能で将来有望視されていた彼をそちらに振り向けることとなりました。

  すでにお気づきのことと思いますが、前の通信が、私の長男・潔典からの直接の語りかけになっているのに対して、ここでは、A氏が仲介者の立場で霊界での事情を私に説明してくれています。また、前回では、長男が私に、「お父さんと僕とは、前世において何度か、国際関係のなかで重要な役目を果たしてきた使命のパートナー同士でした」と言い、「特に国際関係において二つの国と国の間の調整役を務めたり、学問の分野でもお互いに切磋琢磨しあいました」と述べています。しかし今回では、その「国際関係での重要な役目」にあたるものとして、紀元四世紀から五世紀にかけての日本で、長男は朝鮮半島との国際交流を担当し、私は中国との国交に責任を負っていた、とより具体的に説明されています。一年前の長男の話を、A氏がまだ覚えていたとは考えにくいので、このように、状況説明に矛盾がなく一貫性がみられることは、注目に値するといってよいかもしれません。このような整合性ないしは一貫性は、ほかでもいろいろとみられますが、ここでは、特に注釈を挟むことなく、伝えられた内容をそのまま最後まで、書き記していくことにいたします。

  あなたと彼とは、二つの領域、二つの世界、比喩的に二つの国々、という両者間におのおの身を置きながら交信しあい、一つの世界を築き上げるための使命上のパートナーなのです。それ故、今世においてもそのことが早めに起きました。起きてしまったといえるでしょう。しかし、人情的に「起きてしまった」というのであり、もっと真実と高い愛からすると、それは「計らい」だったというべきです。いずれにせよ、二人の位置関係からすると、広い世界を作り出 すためにおのおの共通の使命を担って対照的な両サイドを分担しあい、お互いに交信し、どこかで協力しあって、一つの世界、たとえばあの世とこの世という二つの国を一つにするということを行っているのです。あなたがたとえ、通信したり交信したりしているという自覚や意識が伴わないにせよです。
  すでにあなたがいまでも、あちらの世界、そして、彼のこと、奥様のことを、常に思い念頭から離れないということ自体が、そちらに意識が向いていてどこかで無意識のうちにも交信が交わされているということを表しているのです。それ故、自分では意識できなくても、それが着実に為されてきているということをさらに確信してください。そうすると本当にだんだん遅ればせながら意識上にそれが上ってきて、自覚できるようになってきます。おそらくこれから、そのような意識になっていくのでしょう。そしてそれがかなり明確となり、確信が定まった頃、ちょうどあなたも他界し、そして、あいまみえることになるのでしょう。その時彼は、日本の大和式の装束に身を固めていることでしょう。あなたはそこで、みんなの世話役であり、まとめ役、教育の顧問官だったからです。そしてそれは遠いアトランティスにおける前世と合似通った役目とポジションの継承であります。
  二人が十分におのおののところで成長しきって使命を果たし、その上で再会するということが起きます。今度の再会はあなたが肉体という衣を脱ぎ捨てたときに起きます。二つの領域、二つの世界を一つにするためにおのおの家族で、二人ずつ、分かちもち合う関係性にあります。もともとどこかそのように、お互いに分けもつような関係性をこの世においてももっていた家族です。アトランティスにおける今ひとつの前世、いまと同じ家族構成であったときに、お互い協力し、分担し合って、足りないところを補い合い、世界が一つになるような日を夢見ていました・・・・
  アトランティス時代は大規模な範囲で国際交流がありました。そのようななかで国のカルマのために身を挺して捧げた者たちがいます。そのように大きな単位のカルマ、国とか民族、国家間の目的のために、あなた方家族はありました。そしてそのように大きな単位での目的とカルマのために献身したということがアトランティス時代にあったために、今世その事故が起きました。亡くなられた方がすべてそのようであるという意味ではありません。あなた方にとってのその事故の意味や内容のことであります。一つの世界がもたらされるために、大きな範囲での目的のために、というところに結びつけられた家族の魂だからです。
  さて、近代ヨーロッパにおける前世をみてみましょう。あなた方二人は、同士であり、学友の関係にありました。ライバルというよりもっとよき関係で、お互いに切磋琢磨し、将来を夢見ていました。いまよりもっと、法律とか文化とか、あるいは、神理学的な方面にも関心を寄せていました。でもあなたはとても堅く、頑固な人でした。興味があってもあまり介入してはならないと、自分の立場を守ることを優先させていました。今世においてそれをバランス化させるようなことが起きて、今世学ぶ機会を与えられました。それでもあなたの周囲には、霊的なことや心霊学的なことに関心を寄せる人たちがいたのです。それはあなた自身、ローマ帝国の前世や、また、古代エジプトにおける別の前世で、そのような者とどこか関わりがあったことに基づきます。
  それ故あなたは、生まれ変わるごとに再三、直接ではないけれども、そのようなことに自分が隣接しているのを体験してきています。とりわけ、ローマ帝国の時代、あなたは信仰もあり、そしてそこでも指導者でした。あなたは責任感の強い人でした。そしてそこでも、潔典さんは有能な弟子の一人でした。弟子以上の存在です。二人でよく、将来のことを夢見ながら語り合いました。しかしあなたの愛は、偏ったものでもありました。悪気はなかったのですがほかの生徒たちや研究生たちに対してあなたの愛は向けられませんでした。向けなかったつもりはなかったのですが、そのようになっていきました。それ故、今世において、カルマをバランス化させることが起きました。
  あなたは今世において、一つの出来事によって、大半のカルマを清算したのです。あなたの累積されてきたカルマは、たった一つのことでもって、ほとんど清算されました。そしてそのあと、学びが始まりました。長い期間かけてカルマを果たす人が多いのですが、あなたの場合、今世、一つに集約させて、一つの具体的な出来事でもって自分の大半のカルマを果たし、またそれを学びのきっかけとし、自分の傾向を矯正するために用いました。そして互いの試練のなか、お互いに干渉しあうことなく引き離されるような形で、おのおのが自分に向かい合い、浄められ、その上で、再び会える時を待っているところです。
  長い長い魂の時間のなかでは、二〇年や三〇年はほんの一瞬なのです。後で振り返ってみて、その時には、お互いに別々でカルマを清算し、試練にとり組んでいたその二、三〇年間が夢のようであったことを気づかせられることでしょう。おのおの別々にというのはいまであり、試練期間なのです。そしてそれは長いように感じますが、ほんの一瞬なのです。いまの形態や関係はあなた方にとって一時的であり、基の関係ではありません。このようにしておのおの別々のところでカルマを果たし、試練に立ち向かい、それを終えたとき、あなたは他界し、ふたたび一つになれるのです。


    お わ り に 

  私たちが、例えば、百メートル競走に参加することを考えてみましょう。みんな、スタートから全力をあげて走ります。スタートでちょっとつまずいたり、途中で転んだりしたら大変で、もうそれだけで、その人は敗者になってしまいます。また、うまくスタートをきることができた場合でも、百メートルで勝負は決まるわけですから、途中のちょっとした気のゆるみも許されません。競走相手から一センチでも先に出るように、一秒でも早く着くように、無我夢中で走り続けます。そして、百メートルのゴールでは、一着になったり、二着になったり、あるいは、ビリになったりして、喜んだり、残念がったり、悔しがったりします。
  けれども、もしこれが、実は百メートル競走ではなくて、マラソンであったとすれば、どうなるでしょうか。百メートルのつもりで、マラソンを走るのは滑稽です。マラソンの距離は四十二キロもありますから、マラソンで、スタートから全力で走る人はいません。そんなことをすれば落後するだけです。スタートで出足がちょっと遅れても、ちょっとつまずいたりしても、あまり気にすることはないでしょう。他の人々を押しのけてでも前へ出ようとはしないでしょう。
 人間のいのちが、たかだか百年くらいで終わると思いこんでいる人は、あるいは、このマラソンを百メートル競走と勘違いしているような人といえるかもしれません。百メートルを疾走し、力を出し切ってゴールに飛び込んで息を切らしていたら、そこへ審判員がやって来ます。そして、「あなたが走るのは、百メートルではなくて、四十二キロですよ」と告げられるとしてら、どんな気持ちになるでしょうか。びっくりして、無我夢中で走ってきたことを後悔することになりかねません。実は、それが、かっての私自身の姿でもありました。
  地位だとか名誉だとか財産だとか出世だとか、もろもろの欲望が渦巻く世の中で、人に負けないように、ひたすらに百メートルを走っていたように思います。そして、その熾烈な勝ち抜き競走のなかでいつのまにか家族の姿さえ見失い、ある日突然、レースそのものに、壮大な勘違いをしていることに気づかされることになるのです。目の前の道が四十二キロどころか、どこまでも永遠に続いていることを知って、へたへたと座り込んでしまいます。自分の無知を深く悔やむことになりますが、しかし立ち直ってみると、そのあとに来るのは深い安らぎでしょう。ふーーと肩の力が抜けたような大きな安堵感です。このセミナーの講演でも私は、その気持ちを皆さんにお伝えできればと思ってきました。
  かつて、中世ヨーロッパでは、人々は自分たちの住むこの地球が宇宙の中心であると大きな勘違いをしていました。ポーランドの天文学者コペルニクスが、一五四三年に地動説を発表し、実は地球は太陽のまわりを回っていると言い出すと、教会はこれを異端として弾圧しました。その地動説を受け継いだイタリアの自然哲学者ブルーノは、一六〇〇年に異端として火刑に処せられています。その後、イタリアの物理学者ガリレイもまた、地動説を主張して一六三三年に審問され、呪われた異端者として教会から破門されたのです。彼が一六四二年に死んだ時も、葬儀さえ許されなかったといいます。そのガリレイが、教会によって破門を解かれたのは、一九九二年十一月のことで、審問以来、実に三百五十九年も経ってからでした。一つの真理が明らかにされ、狭量な人間のこころを開かせるのには、時には、これほどまでの時間がかかることもあります。
  霊的真理とは、あるいは、現代における地動説のようなものかもしれません。しかしこの霊的真理は、おそらく地動説の真理以上の重みを持っているといってよいでしょう。その真理は、この世に生をうけているすべての人々ひとり一人の生き方を規定していくと思うからです。「他人は知らず、あなた個人にとって神とは何か? 神があるか否かについてのあなた自身の答えが重要なのだ。あなたが真剣にこの問題を考えるならば、あなたの答えはあなたの生とは何かの最重要な答えである。あなたの答えはあなたの未来を決定するばかりか、現在のあなたの生き方をも決定する」と、アメリカの著名な内科医で『死の扉の彼方』の著者でもあるモーリス・ローリングズ博士も言っています。M
  このセミナーでの私の講演も、これで五回になりますが、これまでいろいろと、人間は死んでも死なないこと、いのちはいつまでも続くこと、そして、何度もこの世に生まれ変わることなどの霊界の実相について多くの研究成果や証言などを紹介してきました。N 講演の度に毎回違った角度から問題に迫ろうとしていながら、私自身はいつも何か、同じような話をくり返しているような気がしないでもないのですが、あとはただ、これらの話が、皆さんの生と死の意味をお考えになる上で、そして、本当のこころの安らぎや幸せをつかみ取っていただく上で、少しでもお役に立つことが出来れば、私としても大変有り難いことだと思っています。



 

@ 佐藤愛子『こんなふうに死にたい』新潮文庫、一九九二年、
  一五〇〜一五八頁。
A 「朝日」二〇〇〇年九月一三日。
B「超能力に科学の目」「朝日」一九九七年五月六日。
C 安斎育郎「錯誤の世界」「朝日」二〇〇〇年八月二八日。
D 「朝日」一九九七年四月四日。
E モーリス・ローリングズ『死の扉の彼方』(川口正吉訳)
  第三文明社、一九八一年、二二四頁参照。
F キュブラー・ロス『死ぬ瞬間と臨死体験』(鈴木晶訳)
  読売新聞社、一九九七年、一二九頁。
G 佐藤愛子、前掲書、四九頁。
H ジェームズ・プラグ『もういちど会えたら』(中井京子訳)
  光文社、一九九八年、八〜一〇頁。
I ジェームズ・プラグ、前掲書、一一七〜一一九頁。
J グッゲンハイム『生きがいのメッセージ』(片山陽子訳)
  徳間書店、一九九九年、二六頁。
K グッゲンハイム、前掲書、三五〜三六頁。
L グッゲンハイム、前掲書、二四三頁。
M モーリス・ローリングズ、前掲書、二一八頁。
N これまでの講演内容については以下の講演集(小冊子)
  にまとめてあります。
  『いのちを慈しみ明日に向かって生きる』(一九九八年四月刊)
  『生と死の実相について』(一九九九年六月刊)
  『光に向かって歩む』(二〇〇〇年五月刊)




 謝 辞

 武本昌三先生の特別講演も、今年で五回目になります。六月二十四日に「生と死の彼方にあるもの」と題してご講演をいただくことになり、その講演内容をあらかじめこのような小冊子にまとめて下さいました。先生の講演集もこれが四冊目になります。
 最近日本人は、物質的には豊かになったがこころは貧しくなった、というようなことがよく言われるようになりました。これは、古来日本人が豊かな自然のなかで、自然と親しみ、山川草木のなかにも神を見てきたようなものの見方からも離れてきたからかもしれません。 こころが貧しいということは、おそらく、本来人間に備わっている霊性から遠ざかっているということで、その意味では、この霊性に対する認識を新たにし、霊性を取り戻していくことが、私たちがこれからこころ豊かに生きていくためには最も必要なことのように思われます。武本先生のご講演は、生と死の問題を通して、このことを私たちに強く訴えられているような気がいたします。
 私たち、葬祭の業に携わる者といたしましても、先生のご講演からいろいろと学ばせていただきながら、葬祭の本質的な意義を考え、こころをこめて奉仕させていただくことに気持ちを注いで参りました。生と死の尊厳性と、死ぬということは取りも直さず生きることであるという霊的真理の根幹を、私たちも忘れてはならないと考えております。
 毎回、熱心にご参加いただいている皆様方に厚くお礼申し上げますと共に、今回もこのように小冊子をまとめて下さった武本先生にも、改めて衷心より感謝の意を表したいと存じます。

  二〇〇一年六月五日   
       株式会社 溝口祭典 代表取締役  溝 口 勝 巳