2004.6.5発行
【こすもすセミナー特別講演】

 永遠のいのちを生きる

   ー 死とは本来の自分のいのちに還ること ー


       武 本 昌 三


  私たちの真の自我である霊は滅びません。
  霊は永遠です。死ぬということはありえないのです。
  死は霊の第二の誕生です。
  第一の誕生は地上へ生をうけて肉体を通して表現しはじめた時です。
  第二の誰生はその肉体に別れを告げて霊界へおもむき、
  無限の進化へ向けての永遠の道を途切れることなく歩み始めた時です。
  あなたは死のうにも死ねないのです。生命に死はないのです。
 
    ーー シルバー・バーチ ーー(本文19〜20頁より)


  は じ め に

 ポーランドのワルシャワ市街の中心部を歩いていますと、ショパンの心臓が埋められている聖十字架教会があり、その北側には、通りを隔ててワルシャワ大学があって、その隣接する広場に、大きな石の台座の上に腰をかけた姿の銅像が見えます。片手で膝の上にミニチュアの地球を抱いていますが、これがあの地動説で有名なニコラス・コペルニクスです。

 彼は、ワルシャワから東北一八〇キロの小都市トルンで、一四七三年に富裕な商人の子として生まれました。一四九一年には、聖職者になるためにポーランドの南部にある古都クラクフのクラクフ大学に入学します。この大学は、ヨーロッパでも最も古い大学の一つで、コペルニクスは、ここで聞いたブルゼウスキー教授の数学や天文学の講義で、宇宙観について啓発されたといわれています。彼の地動説は、いわば、この大学時代に芽生えていったわけで、それを記念して、学生時代の若いコペルニクスの銅像が、この大学の校舎の一隅にも、残されています。

 地動説とはいうまでもなく、地球が自転しつつ、太陽のまわりを廻っているという説です。それまでは、古代・中世を通じて、宇宙の中心に地球があって、そのまわりを太陽や月が廻っていることになっていました。自分たちの立っているこの大地が動いているなどと考えることはとんでもないことで、そんなことを口に出して言えば、神を恐れぬ冒涜者として、教会からも異端の烙印をおされてしまいます。現に、コペルニクスの影響を受けたイタリアの哲学者ジョルダーノ・ブルーノは、宇宙には固定した中心はないし、際限のない空間で無数の天体が運動しているなどと主張したため、教会の教説に背く異端として、ローマで火あぶりの刑に処せられています。コペルニクスもはじめのうちは、教会の権威に逆らうのは避けて、「地球が動いている」などと軽々しく口にはしませんでした。

 コペルニクスは、一四九六年、ルネサンスの本拠地、北イタリアへ留学し、ヨーロッパ最古のボローニャ大学に編入学します。彼はここで、ギリシア語の学習から始めて、ギリシア哲学、ギリシア天文学へと進んでいきました。その後約一〇年間、イタリアのバドバ大学などを遍歴していた間に、さらに地動説の構想を固めていきました。そして、一五〇六年にポーランドへ帰ってからも、地動説の証拠を掴むために、手製の観測器で天体観測に励んでいたのです。その後二、三十年にわたって、地動説に関する著作を続けていましたが、その主著である『天体軌道の回転について』六巻は、世間での非難と迫害を恐れたため、生前には出版されませんでした。彼は一五四三年に亡くなりましたが、これらの著作が出版されたのは、その後のことであったといわれています。 

 いまでこそ、地球が回転しながら、一年かかって太陽のまわりを廻っているのは当たり前のことと考えられていますが、コペルニクス以前の世界では、このように、地球が動くなどと言うことは、とんでもない妄想であったのです。本気でそんなことを信じていたら、ブルーノのように教会の異端審判にかけられて殺されたりしていたのです。いまでは、地球の周囲は四万キロで、二四時間で一回転していることは常識になっていますから、四万キロを二四時間で割ると、時速一七〇〇キロ近い猛スピードで動いていることもわかります。ジェット機の二倍もの速さで、私たちの踏みしめている大地は回転しているのです。もしかしたら、いまでも、そんなことは信じられないという人もいるかもしれません。

 実は、私は、これからお話ししようとしている霊的真理は、「現代の地動説」ではないかと考えているのです。私たちの生死にかかわる大問題という意味では、それ以上といってもいいのかもしれません。しかし、霊的真理の話というと、そんなものがあるはずはない、世間を惑わす妄想である、科学を知らぬ者の迷信にすぎない、などと、ちょうど、あのコペルニクスの頃の人間のように、あたまから問題にしない人が決して少なくないのが実状です。いや、むしろ、大半がそうであるともいえるでしょう。そして、その傾向は、科学者や文化人といわれているような人に特に強いともいわれています。この科学万能の時代に、科学で証明できないものを信じるのは沽券にかかわると思っていますから、いくら聞かされても聞く耳をもたないのです。かつての知識人であり文化人でもあったはずの僧職者が、地動説に対してそうであったように。

 あの、ターミナル・ケアの世界的権威として有名なキュブラー・ロス博士は、自分の患者から集めた二万例もの臨死体験の記録をもとに、いのちは永遠であり、死などというものはないのだと、一生懸命に人々に伝えようとしました。しかし、わかろうとしない人にはいくら話して聞かせても、決してわかってもらえない。そういうことがわかって、ロス博士は、もうそれ以上の、いのちの存続についてのデータを集めるのは、止めてしまいました。博士は言っています。「聞く耳をもった人は、私の話など聞かずとも、すでにわかっているのです。いっぽう、信じない人たちは、百万の例を提示したって、それは大脳の酸素欠乏のなせるわざにすぎないと言い張るのです。でもそんなことは、もうどうでもいいのです。彼らだって、死んでみれば自分でわかるんですから」。@


 一 救いを求めて

 かつての米ソ両大国の冷戦の狭間で、あの大韓航空機事件が起こったのは、一九八三年九月一日のことです。昨年は、事件後二十周年にあたりますので、稚内の宗谷岬に建てられた「祈りの塔」の前で慰霊祭が行われ、遺族の一人として、私も参列してきました。札幌の自宅に残してあった妻と長男の遺品の多くも、庭先に持ち出して、少しずつ焼却する作業を続けてきました。それぞれに見覚えのあるコート、洋服、セーター、バッグ類が燃えていくと、白い煙が真っ直ぐに立ちのぼって、青空の中に消えていきます。その煙をしみじみと眺めていたのが、昨日のことのように思い出されます。

 私は、事件が起こったとき、アメリカのノース・カロライナ州の大学で客員教授をしていましたが、一緒に住んでいた娘と二人ですぐに帰国し、一か月後にはまたノース・カロライナへ帰っています。教壇に立って、教えることに専念することによってなんとかこの危機を切り抜けなければと思っていましたが、やはりだめでした。頭だけではなく、体全体に大きな打撃をうけたような感じで、教壇に立つどころか、朝、起きあがることが出来ず、とうとう教職を中断して、日本へ帰ってきてしまったのです。それからは、札幌の自宅で、何か月か、寝たきりのような状態が続きました。

 事件当時の私は、いのちの真実とか、霊界の存在などについてはまったく無知でした。失われたいのちは、もう決して返らない、と思いこんでいましたから、悲しみというよりも耐え難い苦しみです。そんな場合には無意識にも自己防御本能のようなものが働くのでしょうか、眠ることで過酷な現実から逃避しようとしていました。供養をしなければならないとは思っていても、何をどうすればよいのか、何もわかりません。眠っていて目が覚めれば、また慌てて眠ろうとするだけです。それでも眠れなければ、意味も理解できないままに、お経を読んでいました。お経を読んでいる自分があまりにも惨めで、つい泣き出してしまうというようなことも、この講演会でお話ししたことがあります。

 読んでいたお経の一つは、浄土真宗の「仏説阿弥陀経」です。このお経には、「仏説大無量寿経」と同じく、極楽浄土の有様が詳しく述べられていますが、その当時、それを読んでいると、なんとなく、こころを動かされることがありました。そのお経には、お釈迦様が、悟りの境地に達した阿羅漢や世に知られた長老たち千二百五十人とともに、祇園精舎に滞在しておられたとき、弟子の舎利弗に対して、つぎのように言われたと書かれています。

  舎利弗よ、ここから西方の十万億の仏の国を過ぎたところに、極楽という名の世界がある。 その世界には、無限のいのちと光の体現者である阿弥陀仏が住んで、いまも教えを説いておら れる。その世界に住む者たちは、身体の苦しみも心の苦しみもなく、みんな幸せに生きている。 だから、その世界のことを極楽というのだ。
  
 これが、出だしの部分ですが、このあと、極楽がいかに壮麗で美しく、幸せな世界であるか、そのすばらしさを描いていることばが、長々と続きます。耳にされている方も多いのではないかと思いますが、そのはじめの部分を、これも現代文に直して、つぎに抜き書きしてみましょう。

  舎利弗よ、極楽世界には、いたるところに、七重の石垣、七重の鈴をつけた網、七重の並木があって、すべて、金、銀、青玉、水晶の宝石で飾られている。七種の宝石から出来ている池もある。池には清浄な水があふれ、その底には、一面に金の砂が敷き詰められているのだ。池の四方には、四つの階段があって、金、銀、青玉、水晶の宝石から出来ており、階段の上には、七種の宝石で造られた高殿がある。池の中には、車輪ほどもある大きな蓮の花が、青、黄、赤、白の光を発し、その香りも清らかでうるわしい。

 このような極楽のすばらしさを述べている部分は、まだ、しばらく続いて、やがて、お釈迦様は、「もしも、生きている人たちが私の教えを聞くのであれば、このような極楽世界に生まれたいと誓願すべきである」と舎利弗に言われます。そして、「東西南北上下、それぞれの世界には、無数の仏が、阿弥陀仏を称えるお経には決してうそはない、と説いている」と述べられたあと、「是故舎利弗・汝等皆当信受我語・及諸仏所説」(だから、舎利弗よ、そなたたちは、みんな、このような私のことばと、仏たちのことばを信じなさい)と、言われたのです。

 舎利弗は、もちろんお釈迦様のことばを信じました。そして、そばにいた多くの修行僧たちも、お釈迦様のことばに歓喜して、そのことばを信じた、というところで、仏説阿弥陀経は終わっています。そうです。みんな歓喜して、お釈迦様のことばを信じたのです。

 でも、当時の私にとっては、何度読んでも夢のような話で、よくのみこめませんでした。「決してうそではない、信じよ」といわれても、取り付く島もない感じがします。縋り付きたくても縋り付けない、もどかしさのようなものもあったかもしれません。ただ、その一方では、お釈迦様がうそではないといいながら、うそをつくだろうか、と自問しながら、かすかな慰めを感じ取ろうともしていました。浄土真宗・宗祖の親鸞のことばを読み直したのは、そんな折りのことでした。『歎異抄』の第二段です。

 親鸞におひては、ただ念仏して弥陀にたすけられまひらすべしと、よきひとのおほせをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり。念仏は、まことに浄土に生ずるたねにてやはんべらん、また地獄におつべき業にてやはんべらん、総じてもちて存知せざるなり。たとひ法然上人にすかされまひらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずさふらふ。

 「私は、ただ念仏をとなえて阿弥陀仏に助けていただくだけだと、法然上人に教えていただいたことを信じるのみである。そのほかはなにもない。念仏をとなえれば、本当に浄土に行けるのか、それとも地獄に落ちるのか、そんなこともどうでもよい。かりに、法然上人に騙されて、念仏したあげくに地獄に落ちたとしても、私は決して後悔はしないであろう」

 これは、ずいぶん思いきった表現です。親鸞の子で東国にいた善鸞の変節があって、信仰に迷いを来した信徒たちが、関東からはるばる命がけの旅を続けて京都の親鸞の所へ教えを乞いにやってきました。その信徒たちは、いま固唾をのんで親鷲の顔を見守っています。この緊迫した雰囲気のなかで、親鸞は、赤裸々な自分自身の姿をさらけ出して、信念を披瀝しているのです。しかし、このようないい方は、まかり間違えば、師としての信を失いかねず、仏道の教えにも疑問を抱かせることにもなりかねません。それでも親鸞はこのように言ったのです。それを、確固たる信仰の証しとして信徒たちのこころに直裁にしみ込ませていったのは、おそらく親鸞のその時の気迫であったにちがいありません。

 親鸞はさらに続けます。

 そのゆへは、自余の行もはげみて仏になるべかりける身が、念仏をまうして地獄にもおちてさふらはばこそ、すかされたてまつりてという後悔もさふらはめ。いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定のすみかぞかし。弥陀の本願まことにおはしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず。仏説まことにおはしまさば、善導の御釈、虚言したまふべからず。善導の御釈まことならば、法然のおほせそらごとならんや。法然のおほせまことならば、親鷲がまうすむね、またもてむなしかるべからずさふらふか。せんずるところ、愚身の信心にをきては、かくのごとし。このうえは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからひなり。

 「そのわけは、念仏よりほかの修業を励んで悟りを開けるはずであったのが、念仏に打ち込んだために地獄に落ちたというのなら、その時は師に騙された、という後悔もあるかもしれない。しかし、私はどのような修業もできない身だから、どうせ私には地獄がはじめから定められた行き場所なのだ。阿弥陀仏の本願が真実であるならば、釈尊の教えにも嘘はない。釈尊の教えが真実であるなら、善導大師のお解きになったことにも誤りはない。善導大師のお解きになったことが真実であるなら、どうして法然上人の言われることが虚言でありえようか。そしてまた、法然上人の言われることが真実であれば、この親鸞の言うことも空ごとであるはずがない。これがつまり、私の信心なのだ。この上は、念仏を信じようが、捨てようが、それはあなたがたの勝手である」

 これは、信仰とはこういうものだと、親鸞が血を吐くようなことばで述べた真心からの告白でした。私は、この、阿弥陀仏の本願からはじまって、釈尊、善導大師、法然上人と続き、自分にまで至っている一筋の教えに、うそ偽りがあるはずはない、うそではない、ときっぱり言い切っている親鸞のひたむきな心情にこころを打たれていました。「仏説阿弥陀経」の極楽のことも信じきれないでいる自分の不信心を叱られているような気持ちでした。それでいて、何かしらあたたかい、安心できるようなものも感じはじめたりしていたのです。


 二 いのちとはなにか

 札幌で、妻の友人であった霊能者の青木耀子さんに会ったのはその頃のことです。藁にも縋る思いで訪ねていった私に、青木さんは、長男・潔典の霊界からのことばを伝えてくれました。この時の様子は、講演第一集の「いのちを慈しみ明日に向かって生きる」に詳しく述べていますが、潔典からの「ありがとう・・・・楽しかった・・・・いままでの生活が、すべて・・・・」ということばを聞かされたときの、大きな驚きと感動を忘れることはできません。私はぽろぽろと涙を流しながら聞いていました。私が、「霊言」というものに接したのは、これが最初です。

 それからしばらく経ったある夜、電話がかかってきました。北海道大学の学生食堂に勤めているNさんという女性からでした。私はかつて北海道大学でも教えていましたが、もちろんNさんとは面識はありません。彼女は、少し遠慮がちに、その前日、潔典の夢を見たのだと切り出しました。夢の中で、潔典から「父に会って欲しい」と頼まれたのだと彼女はいうのです。

 事件のことや私のことは、よく新聞やテレビに出たりしていましたから、彼女が私と潔典のことを知っていても不思議ではありません。潔典の夢を見たのも、たまたま、その前の日にテレビに映っていた潔典の写真を見たあとだったそうです。放送局に電話して、私の電話番号を聞きだし、電話しているのだと言っていました。

 私に会って欲しいと潔典に言われたというのは、私にとってはただ事ではありませんでした。「そんなことは信じられない」と一笑にふしてしまうような「余裕」は、私にはまったくありません。とにかく私は、すぐに会いに行きました。彼女は、潔典が元気でいること、霊界で母親も一緒に安らかに暮らしていることを、私に伝えて欲しい、と夢の中で自分に頼んだのだと何度か繰り返しました。あまりにその夢がリアルであったので、捨てておけなかったとも言いました。見ず知らずの彼女が、なぜそんな時にそんな夢を見るのか、「霊界」とはなにか、私にはまだ、どうもよくわかりません。私はいろいろと彼女に尋ねました。これが、彼女の所属していた宗教団体「真如苑」に私がつながりをもちはじめるようになったきっかけです。

 妻の友人の青木さんから、潔典のことばを聞かされて以来、私は霊界に強い関心を抱き始めるようになっていました。少しでも、何でも、霊界に関することは知りたいと思っていました。真如苑では、霊界の存在が当たり前になっていて、霊界からの霊言を伝えてくれる霊能者も三百人くらいいると聞かされて、私はすぐに、札幌支部長のKさんに会い、たまたま、Kさんがその翌日には上京して、立川の真如苑本部に行くというので、私も頼んで同行させてもらいました。

 真如苑では、接心修行と呼ばれる集会があります。小さなグループにわかれて円陣をつくり、その中に霊能者が座ります。その霊能者から、一人一人が短い霊言を聞くというやり方で、集会は進められます。私は、立川でも、札幌でも、何度も、いろいろな霊能者から「接心修行」で霊言を受けました。真如苑の幹部から霊言を受ける「特別接心」というのもありました。人数が制限されているので、申し込んで霊言をうけるまでにはかなり時間がかかりますが、これも何度も受けています。妻や長男についての具体的な内容の霊言は、なにひとつ聞くことは出来ませんでしたが、それでも私は、そのような霊言を聞く修行も大切であろうと考え、機会さえあれば、霊言を聞くことにしていました。妻と長男に対する供養の仕方もわからない私でしたから、そのような「接心修行」からでも、なにかを掴んでいかなければならないという思いがあったのです。

 自宅では、お経を読むことだけは続けていましたが、「法然上人に騙されて、念仏したあげくに地獄に落ちたとしても、私は決して後悔はしないであろう」という親鸞の『歎異抄』にもこころを惹かれるようになっていました。親鸞が、じかに私に語りかけてくれているようで、親しみが感じられるのです。なかでもその第五段には、深く考えさせられました。つぎのような文です。

  親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏まうしたること、いまださふらはず。そのゆへは、一切の有情は、みなもて世々生々の父母兄弟なり。いづれもいづれも、この順次生に仏になりて助けさふらふべきなり。

 ふだんは自宅に閉じこもって、ただ、念仏とお経を唱えていただけの私にとって、この親鸞のことばは、実に新鮮に、そして、不思議に思われました。ご自分のご両親に対する孝養のためには、一度も念仏を唱えたことはない、といわれているのですから、やはり驚かされます。それでは、孝養のためには、どうすればいいのか、私の場合は、妻と長男のために念仏を唱えることも意味はないのか、と考えてしまいます。私は、そのつぎの親鸞のことばに釘付けになりました。

 「そのわけは、一切の生きとし生けるものは、みんな生まれ変わり生き変わりしている。だから、その時々のいのちにおいては、誰もが、私の父であり、母であり、兄弟姉妹である」ということでしょう。そして、「このつぎにめぐってくる生においては、それぞれが仏になって、他の者を助けてあげなければならないのだ」と親鸞は言っているのです。

 「生まれ変わる」という話は聞いたことがありましたが、それは本当なのだろうか、と私は思いました。それなら、妻や長男も、生まれ変わってくるのか、と私は、親鸞のことばに縋り付きたいような気持ちになっていました。生まれ変わってくるのなら、少しは救われます。親鸞は、生まれ変わるから、「誰もが父母兄弟姉妹である」といっているのです。これは、たいへん重要なことばです。思い出してみると、このようなことばは、聖書にもありました。

  さて、イエスの母と兄弟たちとがきて、外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。ときに、群衆はイエスを囲んですわっていたが、「ごらんなさい。あなたの母上と兄弟、姉妹たちが、外であなたを尋ねておられます」と言った。すると、イエスは彼らに答えて言われた、「わたしの母、わたしの兄弟とは、だれのことか」。そして、自分をとりかこんで、すわっている人々を見まわして、言われた、「ごらんなさい、ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」。(マルコ三章  31-35)

 これは、親鸞の「一切の有情は、みなもて世々生々の父母兄弟なり」を彷彿とさせる感動の場面ですが、このイエス・キリストは、後にゴルゴタの丘で十字架につけられてからも、十字架の上から同様の言葉を繰り返しています。

  さて、イエスの十字架のそばには、イエスの母と、母の姉妹と、クロパの妻マリヤと、マグダラのマリヤとが、たたずんでいた。イエスは、その母と愛弟子とがそぱに立っているのをごらんになって、母に言われた、「婦人よ、ごらんなさい。これはあなたの子です」。それからこの弟子に言われた、「ごらんなさい。これはあなたの母です」。そのとき以来、この弟子はイエスの母を自分の家に引きとった。(ヨハネ一九章 25-27)

 この「婦人よ、ごらんなさい」は、日本語訳としてもあまりよくなじまないようです。英訳のKing James版では、"Woman, behold thy son!" となっていて、「女よ、見なさい。これがそなたの子だ」とでもするほうが、日本語としては少しは自然のような気もします。ともあれ、これからまさに死刑が執行されようとしているその時に、イエスは自分の母親に対して「女よ」と呼びかけているのです。それは決して、イエスが絶望のあまりにことばまで粗野になってしまった、というのではないでしょう。それはいのちの本質を伝える真実のことばで、そのことばが、威厳を帯びて、あたたかく、やさしく、母のこころに伝わっていったにちがいないのです。私は、このようないのちの捉え方に、かすかな希望の光をも感じ始めるようなっていきました。

 それにしても、親鸞のいい方は徹底しています。「一切の有情」とありますから、私たちがいのちを共有しているのは、人間だけではなく、いのちをもつものはすべて、ということになります。犬でも猫でも、魚でも、花や木でも、みんな有情です。いうまでもなく、私たちのいのちは、この大宇宙の中の小さな地球での生成の歴史を考えても、「唯我独尊」ではありません。生物学的にみれば、かつては魚と同類でしたし、猿やチンパンジーなどの動物とも「血を分けた兄弟」でした。植物でさえ、はるかに遡れば、祖先は人間と同じだといえるのです。親鸞の洞察は、そこまで示唆しているのでしょうか。

 考えてみますと、私たち人間は、この地球のうえで、多くのいのちに支えられて生きていながら、そのことに対する認識や感謝の念は薄れてしまっています。人間中心の価値観のもとに、人間以外のいのちを顧みることなく独善的に振る舞い、あげくの果てには深刻な公害問題なども起こしていますが、これでは、いのちの真実が見えにくくなるのも無理ではないかもしれません。しかし、私にとっては、いのちとは何かを考えることは、避けて通ることの出来ない重大問題でした。私は、自分が生き続けていくためにも、渇ききって水を求めるように、いのちと救いについてのつぎのような、イエスのことばにも惹きつけられていったのです。

 イエスは彼らに言われた、「わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない。しかしあなたがたに言ったが、あなたがたはわたしを見たのに信じようとはしない。父がわたしに与えて下さる者は皆、わたしに来るであろう。そして、わたしに来る者を決して拒みはしない。わたしが天から下ってきたのは、自分のこころのままを行うためではなく、わたしをつかわされたかたのみこころを行うためである。わたしをつかわされたかたのみこころは、わたしに与えて下さった者を、わたしがひとりも失わずに、終わりの日によみがえらせることである。わたしの父のみこころは、子を見て信じる者が、ことごとく永遠の命を得ることなのである。そしてわたしはその人々を終わりの日によみがえらせるであろう」(ヨハネ六章 35-40)


 三 あなたは誰か

 私たちは聖書を読むとき、そのなかにちりばめられた多くの真理の教えに感動します。美しい人間愛にもこころを打たれます。ただひとつ、かすかにこころに引っかかるのは、この聖書の話が、二千年の間、人から人へ、国から国へと伝えられている間に、どれだけイエスの真実のことばを保持し続けていくことができたであろうかという小さな疑念です。日本でも外国でも、宗教は随分時の権力者や聖職者によって、利用されてきました。聖書の場合も、それを伝える者の都合によって、たとえば輪廻転生の記述を削除したといわれるように、部分的にせよ、真実が歪められてきた可能性は否定できないのです。

 この引用文で述べられているような、「イエスを見て信じる者だけが永遠のいのちを受ける」というのも、本当はそうではなくて、人というのは、本来、誰でも、永遠のいのちを持つているのではなかったでしょうか。はじめの引用文でもそうです。「神のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」とありますが、「神のみこころを行う者は」と本当にイエスは言ったのでしょうか。かりに、神のみこころを行うことがなかったとしても、人間は本来、親鸞もいうように、みんな、「わたしの兄弟、また姉妹、また母」であるはずです。

 実は、それを確認させてくれたのは、ほかならぬ、シルバー・バーチでした。シルバー・バーチの著作に触れたのは、私の場合は早い時機ではなかったのですが、その著作からは、数々の大きな教えを受けて、いまでも、こころの強いよりどころになっています。

 一九九一年四月からロンドンに住むようになっていた私は、しばしば、大英心霊協会を訪れていました。シルバー・バーチに目を向けはじめたのはこの頃からです。大英心霊協会では、このシルバー・バーチのほかにも、コナン・ドイルの心霊研究に関する著作などにも親しんでいましたが、しかし、なによりも、私に大きな転機をもたらせたのは、大英心霊協会でうけた霊能者たちを通しての霊言でした。私は、大英心霊協会で、こころに思い続けていた妻と長男に、ついに「再会」することができたのです。この「再会」は、その時の私にとってゆるぎのない確信でした。一九九二年二月十一日のことで、それまでの迷いから抜け出したこの日のことは、私にとっては忘れられない記念の日になっています。

 札幌の青木耀子さんの霊言以来、真如苑に至るまで何十回となく霊能者と対峙してきて、半ば信じ、半ば疑い、そして苦しみ悩み、それはロンドンへ来てからも続いていました。それが、疑うにも疑いようのない明白な形で事実を突き付けられて、私は深く感動し、重苦しく漂っていた疑いの靄もすっと消えて、こころからの安堵感を覚えたのです。このことについては、いままでの講演会でも触れていますので、ここでは繰り返しませんが、私は、その時以来、シルバー・バーチの教えも、霊界の妻と長男の存在を知ることによって、より深く理解しはじめることができるようになったと思います。社会的地位や名誉財産などが重んじられる競争社会のなかにどっぷりと浸かってきた自分自身が、いったい何ものであるかを知るようになったのも、シルバー・バーチによってでした。

 シルバー・バーチはつぎのようにいっています。

 いったいあなたとは何なのでしょう。ご存知ですか。自分だと思っておられるのは、その身体を通して表現されている一面だけです。それは奥に控えるより大きな自分に比べればピンの先ほどのものでしかありません。

 ですから、どれが自分でどれが自分でないかを知りたければ、まずその総体としての自分を発見することから始めなくてはなりません。・・・・・つまりあなた方は本来が霊的存在であり、それが肉体という器官を通して自己を表現しているのだということです。霊的部分が本来のあなたなのです。霊が上であり身体は下です。霊が主人であり身体は召使いなのです。霊が王様であり身体はその従僕なのです。霊はあなた全体の中の神性を帯びた部分を言うのです。A

 私たちは本来が霊であって、肉体は霊に従属するものに過ぎない、という教えは、暗闇の中ではじめて光を見るような大きな啓示であり感動でした。何も知らずに無明の闇の中ですくんでいた私は、さらに続くつぎのようなことばにも、強くこころを打たれることになります。

 それはこの全大宇宙を創造し計画し運用してきた大いなる霊と本質的には全く同じ霊なのです。つまりあなたの奥にはいわゆる「神」の属性である莫大なエネルギーの全てを未熟な形、あるいはミニチュアの形、つまり小宇宙の形で秘めているのです。その秘められた神性を開発しそれを生活の原動力とすれば、心配も不安も悩みも立ちどころに消えてしまいます。なぜなら、この世に自分の力で克服できないものは何一つ起きないことを悟るからです。その悟りを得ることこそあなた方の勤めなのです。それは容易なことではありません。

 身体はあなたが住む家であると考えればよろしい。家であってあなた自身ではないということです。家である以上は住み心地よくしなければなりません。手入れが要るわけです。しかし、あくまで住居であり住人ではないことを忘れてはなりません。

 この宇宙をこしらえた力が生命活動を司っているのです。生命は物質ではありません。霊なのです。そして霊は即ち生命なのです。生命のあるところには必ず霊があり、霊のあるところには必ず生命があります。あなた自身も生命そのものであり、それ故に宇宙の大霊との繋がりがあり、それ故にあなたもこの無限の創造進化の過程に参加することができるのです。B

 シルバー・バーチは、このような「あなたは神のミニチュア」つまり、神の子といういい方を何度も繰り返しています。いのちを考える上で、極めて大切なポイントになりますので、ほかのところで述べているのも、もう一つ、引用してみましょう。

  星は寸分の狂いもなくその軌道上を回り、潮は間違いなく満ち引きを繰り返し、四季は一つ一つ巡りては去り、それぞれに荘厳にして途方もなく雄大かつ崇高なる宇宙の機構の中での役割を果たしております。今あなたがそれを変えようとしても変えられるものではありません。が、その大自然の営みの原動力である霊力と同じものを自分を通して働かせ、そうすることであなた自身もその営みに参加することができるのです。神からの遺産を受けついだ霊的存在として、あなたも神の一部なのです。神はあなた方一人ひとりであると同時にあなた方一人ひとりが神なのです。ただ規模が小さく、胚芽的存在にすぎず、言ってみれば神のミニチュアです。あなた方は神の縮図であり、その拡大が神というわけです。霊性の高揚と成長と進化を通じて無限の神性を少しずつ発揮していくことによって、一歩一歩、無限なる神に近づいて行くのです。C 

 本来の私たちには、大自然、宇宙の営みの原動力である霊力と同じ霊力があるということでしょうか。そして、私たちは神の一部であり、神は私たち一人一人でもある。ただ、その規模が小さいだけだ、とシルバー・バーチはいいます。だから、私たちのもつ無限の神性を、少しずつ発揮することによって、無限なる神に近づくことができる、といういいかたは、たいへん分かり易く説得力のある表現です。

 シルバー・バーチは前回もこの講演で取り上げましたが、心霊主義の世界ではあまりにも有名で、一九二〇年代から実に五十年間にわたって、イギリスで霊界の真実を伝えるためのメッセージを送り続けてきました。シルバー・バーチというのは仮の呼び名で、紀元前千年ごろ地上で生きていたといわれていますから、イエス・キリストや釈迦よりもさらに、はるかに古い存在です。

 本人は最後まで身分を明かそうとはせず、「人間は名前や肩書きにこだわるからいけないのです。前世で私が王様であろうと乞食であろうと、そんなことはどうでもよろしい。私の言っていることがなるほどと納得がいったら真理として信じてください。そんなバカな、と思われたら、どうか信じないでください。それでいいのです」と答えてきました。

 シルバー・バーチのことばを取り次いだのは、有能な著作家、編集者として知られたモーリス・バーバネル氏ですが、シルバー・バーチは、自分のことばの伝達者として、バーバネル氏の生まれる前から彼を選び、そして、シルバー・バーチ自身も、メッセージを英語で送るために英語の勉強をはじめたといわれています。つまり、シルバー・バーチの場合は、はるかに時空を越えて、直接彼自身の現代英語で、いまの私たちに話しかけていることになります。

 仏典は二千五百年前のお釈迦様の教えを伝えていますが、殆どの仏典が「如是我聞」(私はこのように伝え聞いた)で書き出されているように、お釈迦様自身のことばではありません。新約聖書も、二千年前のイエスの教えを伝えていますが、これもイエスが書き残したことばは一つもなく、すべて弟子たちが記憶をたよりにまとめたものです。しかし、シルバー・バーチの場合は違います。三千年前の「死人」でありながら、彼の話している現代英語を、直接、私たちは聞くことができるのです。これは、現代の奇跡といっても決して過言ではないでしょう。

 しかも、その話し方は、どんな場合にも「一度もことばに窮することなく、すらすらと完璧な文章を述べていく」超人的な能力を示していました。そのことは、今、私たちが手にすることが出来るシルバー・バーチの霊訓集、十数冊をみてもわかります。

 「語りかける霊がいかなる高級霊であっても、いかに偉大な霊であっても、その語る内容に反発を感じ理性が納得しないときは、かまわず拒絶なさるがよろしい」とくり返していたシルバー・バーチのことばは、読むたびに、強く胸に迫ってきます。つぎからつぎへと読んでいきながら、私は、その高遠な真理と、それを綴る美しいことばに、ただ有難くて頭が下がるだけでした。いのちとは何か、人間は死んだらどうなるのか、というおそらく人類最大の命題に対しても、シルバー・バーチは、あなたは死後も生き続けると、極めて明快に、つぎのように教えています。

 すでに地上にもたらされている証拠を理性的に判断なされば、生命は本質が霊的なものであるが故に、肉体に死が訪れても決して滅びることはありえないことを得心なさるはずです。物質はただの殻に過ぎません。霊こそ実在です。物質は霊が活力を与えているから存在しているに過ぎません。その生命源である霊が引っ込めば、物質は瓦解してチリに戻ります。が、真の自我である霊は滅びません。霊は永遠です。死ぬということはありえないのです。

 死は霊の第二の誕生です。第一の誕生は地上へ生をうけて肉体を通して表現しはじめた時です。第二の誰生はその肉体に別れを告げて霊界へおもむき、無限の進化へ向けての永遠の道を途切れることなく歩み始めた時です。あなたは死のうにも死ねないのです。生命に死はないのです。D 

 かつて、ロンドンで開かれていた交霊会では、シルバー・バーチが一旦口を開くと、「何ともいえない、堂々として威厳に満ちた、近づきがたい雰囲気が漂い始め」て、交霊会の出席者たちは、思わず感涙にむせぶこともあったといわれていますが、その状況は容易に想像出来るような気がします。これらの「完璧な」ことばは、読む人の魂に強く迫ってきて、真実に目覚めさせる大きな力を秘めているといえないでしょうか。私は、その教えに深く納得し、こころの底からの安堵感をも覚えるようになりました。仏教では、「無上甚深微妙の法は、百千萬劫にも相遭うこと難し」と礼讃文を唱えますが、「あなたは死のうにも死ねないのです」というシルバー・バーチの教えこそは、私にとっては、長い彷徨の末についに巡り会えた、「無上甚深微妙の法」であったということができます。


 四 永遠のいのちを生きる

 「死とはなにか」、「私たちは死んだらどうなるのか」、これは人類の歴史を通じて、常に問われてきた最大の難問であり続けました。多くの聖人、賢者がこの難問に取り組み、それに答えようとして、多くの宗教も興ってきたといえます。無数の本も書かれていますが、そのほとんどは、当然のことながら、こちらの世界で書かれたもので、人間は死んであの世へ行くと、もう二度とこの世へは戻れないと思われていますから、死の彼方は、厚いベールで包まれたままです。たとえば、仏門に入っている瀬戸内寂聴さんなども、職業柄、「人間は死んだらどうなるのでしょうか?」とよく聞かれているようですが、彼女はたいてい、「それはわかりません。死んだことはありませんから」というような答え方をしています。それが普通で、たとい僧侶であっても、それ以外の答え方は出来ないというのが世間の「常識」でもあります。

 しかし、シルバー・バーチは、極めて稀な例外です。まず、すでに触れたように、彼はこの世でいう「死人」です。かつては、この世に生きていましたが、もう「死んで」三千年にもなります。この世に生きることも、死ぬことも、死んでからあとのことも、自らの体験によって十分に知っています。そのシルバー・バーチが、自らのことばで、直接に私たちに話しかけているのです。ここでは、死とはなにか、それをシルバー・バーチはどのように答えているか、まず、そのことばに耳を傾けてみることにしましょう。

  死ぬということは決して悲劇ではありません。今その地上で生きていることこそ悲劇です。 神の庭が利己主義と強欲という名の雑草で足の踏み場もなくなっている状態こそ悲劇です。

  死ぬということは肉体という牢獄に閉じ込められていた霊が自由になることです。苦しみから解き放たれて霊本来の姿に戻ることが、はたして悲劇でしょうか。天上の色彩を見、言語で説明のしようのない天上の音楽を聞けるようになることが悲劇でしょうか。痛むということを知らない身体で、一瞬のうちに世界を駈けめぐり、霊の世界の美しさを満喫できるようになることを、あなたがたは悲劇と呼ぶのですか。

  地上のいかなる天才画家といえども、霊の世界の美しさの一端たりとも地上の絵具では表現できないでしょう。いかなる音楽の天才といえども、天上の音楽の施律のひと節たりとも表現できないでしょう。いかなる名文家といえども、天上の美を地上の言語で綴ることは出来ないでしょう。そのうちあなたがたもこちらの世界へ来られます。そしてその素晴らしさに驚嘆されるでしょう。E

 つまり、私たちの考える誕生は「第一の誕生」で、シルバー・バーチのことばでは、「利己主義と強欲という名の雑草で足の踏み場もなくなっている状態」へ生まれることになります。それに対して、死ぬということは、シルバー・バーチのいう「第二の誕生」で、いかなる天才画家でも表現できないくらいに美しい光明の世界に生まれることを意味します。これは、「仏説阿弥陀経」に説かれている極楽そのままの世界です。「痛むということを知らない身体で、一瞬のうちに世界を駈けめぐり、霊の世界の美しさを満喫できるようになることを、あなたがたは悲劇と呼ぶのですか」といわれますと、私たちは、ただ頭を下げて、うなだれるしかありません。

 この「第一の誕生」は、私たちは通常、赤ちゃんという目に見える形で生まれてくる、いわば「肉体的誕生」を考えます。しかし、実は、肉体はいのちそのものではなく、いのちの従属物に過ぎませんから、ここでどうしても、いのちの本質である、霊を認識しなければならなくなります。ただ、精子と卵子の結合というような目に見える現象は科学的に証明できますが、霊と肉体の結びつきは、目に見えない現象ですから、科学的には証明することも説明することも出来ません。しかし、だからといって、霊がないとは決していえないのです。見えない現象でも、それを見ることの出来る人には見えるからです。

 シルバー・バーチは、「もしも神が私に何か一つあなた方へプレゼントすることを許されるとしたら、私がなによりも差し上げたいと思うのは霊的視力です」といっていますが、その「霊的視力」があれば、ここでいう「第一の誕生」も、「第二の誕生」も、明白な事実として認識できるのかもしれません。シルバー・バーチは、この点について、つぎのようにいっています。

 実を言えば霊こそ生命であり、また生命こそ霊なのです。地上界、霊界、宇宙のあらゆる世界におけるエネルギー、原動力、駆動力はその「霊」なのです。生命のあるところには必ず霊があり、霊のあるところには必ず生命があります。

 皆さんが地上生活を営めるのは霊的存在だからです。もし肉体から霊的本質が撤退してしまったら、物質界はまったく感識できなくなります。人間は毎晩死んでいるようなものだと言われますが、再びその身体に戻って来れるのは 「生命の糸」によってつながっているからです。睡眠中に万一切れるようなことがあったら、生命力は二度とその身体に活力を与えることができなくなります。

 肉体は霊の力によって動かされている械械です。あなたは肉体ではありません。地上にいる 間だけその肉体に宿って自我を表現している「霊」なのです。肉体の用事が終われば霊は去っ ていきます。F
 
 つまり、肉体に霊が入って、いのちをもった人間になり、霊が出ていけば、霊のない肉体「死人」になるということですが、それでは、霊であるいのちは、肉体にいつ入っていくのでしょうか。これは、「霊的視力」をもっている人のことばに頼るほかはないのですが、たとえば、「幸福の科学」を主宰している大川隆法氏は、それを、はっきりと、「妊娠後、満九週目に入ったとき」と言っています。「満九週目になると、確実に魂が体内に宿ります。その日時も特定できます」と言い、「胎児の魂が入る」状況を、氏は何度も目撃した、と述べています。G

 これに対して、「第二の誕生」は、ここでいう「生命の糸」が切れるときになります。この「生命の糸」は、シルバーコードといったり、霊子線といわれたりしているようです。この「生命の糸」が切れたときが、本当の肉体の死であって、「三途の川」を渡る体験は、この時に起こります。臨死体験というのは、したがって、「生命の糸」が切れないまま、霊界をかいま見た状態です。「三途の川」も渡ろうとして渡りきっていません。キュブラー・ロス博士は、これを、「へその緒をつけたまま、霊界をかいま見た状態」と評していました。H

 この第二の誕生は、一般に考えられているような、暗い絶望的な「死」ではなくて、むしろ、閉じこめられていた自我の表現能力が自由に開放される希望の「生」として捉えられなければならないようです。シルバー・バーチによれば、それは、つぎのようになります。

  霊は無限の可能性を秘めていますから、その表現形態もまた無限です。これでおしまいという限界が無いのです。霊そのものに限界が無いからです。肉体器官を通して表現しているものの中で人間が馴染んでいるものとしては、考える、推理する、判断する、決断する、反省する、考察する、調査する、熟考するといった知的能力と、見たり聞いたり感じたり動いたり触れたりする感覚的能力があげられます。これらは肉体を通して自我を表現している霊の属性の一部です。

  肉体という制約から解き放たれると、霊はさらに広範囲の表現形態を通じて自我を表現することが可能になります。霊媒、すなわち霊界からの影響力を感識してそれを地上で再現することの出来る人をみれば、それがどの程度のものであるかが、ある程度まで判るでしょう。I

 霊が無限の可能性をもっていることは、霊媒の表現能力をみれば、どの程度のものかわかる、ということですが、そのような霊媒の奇跡とも思えるような例は、古今東西、数多く示されてきました。私自身も、霊界通信などで、多くの霊能者と接してきましたし、この講演会でも、美輪明宏さんや江原啓之さんなどについて触れてきました。このような「霊的視力」をもった人々について確実にいえることは、「死」が「第二の誕生」であって、少しも怖いものではないことを、よく知っていることだろうと思います。知らないから怖いのであって、知っていれば、希望の夢がひろがっていくことを、シルバー・バーチは、何度もつぎのように、くりかえしています。

  あなたがたはまだ霊の世界のよろこびを知りません。肉体の牢獄から解放され、痛みも苦しみもない、行きたいと思えばどこへでも行ける、考えたことがすぐに形をもって眼前に現われる、追求したいことにいくらでも専念できる、お金の心配がない、こうした世界は地上の生活の中には譬えるものが見当たらないのです。その楽しさは、あなたがたにはわかっていただけません。

  肉体に閉じ込められた者には美しさの本当の姿を見ることが出来ません。霊の世界の光、色、景色、木々、小鳥、小川、渓流、山、花、こうしたものがいかに美しいか、あなたがたはご存知ない。そして、なお、死を恐れる。

  「死」というと人間は恐怖心を抱きます。が、実は人間は死んではじめて真に生きることになるのです。あなたがたは自分では立派に生きているつもりでしょうが、私から見れば半ば死んでいるのも同然です。霊的な真実については死人も同然です。なるほど小さな生命の灯が粗末な肉体の中でチラチラと輝いてはいますが、霊的なことには一向に反応を示していません。J

 人間というのは、思った通りになる存在だと言われます。死がすべての終わりだと思いこみ、たかだか数十年の短い生涯を幸せに生きるためにあくせくとお金をためることに専念し、それで病気や死を怖れているのであれば、その状態がそのままその人の生涯になり、生命の灯も、チラチラとしか、輝かなくなるのでしょう。生命の灯が、本来の皓々とした明るさを取り戻していくためにも、私たちは、「生」を正しい視野で捉える必要があります。その中で「死」が果たしている役割を理解していかねばならないと思います。「死ぬということは生命を失うことではなく別の生命を得ることであり、肉体の束縛から解放されて、痛みも不自由も制約もない自由な身となって地上での善行の報いを受け、叶えられなかった望みが叶えられるより豊かな世界へ赴くことである」という、シルバー・バーチの教えを私たちは、自分の理性で納得して、受け容れていくことができるでしょうか。

 シルバー・バーチは、霊界にいて、死を知り尽くしていますから、だからこそ、死を悲しんではならない、と繰り返し述べています。しかし、私たちは、頭のなかでは、シルバー・バーチのことばを理解し、納得しているつもりでも、それでも、愛する家族や、友人、知人の死に際しては、やはり涙を流してしまいます。悲しみながら泣くのも、人間の情として当然ではないか、とどうしても考えてしまいます。シルバー・バーチを囲む交霊会でも、そういう、人間の自然の感情のことが話題になったことがありました。交霊会に長年出席してきた仲間のメンバーの一人が死んで、「悲しみを禁じ得ないのはなぜだろう」と誰かが言ったのです。すると、別のメンバーが、それは、「死んだ」者に対する悲しみの感情ではなくて、後に残された自分を悲しむ一種の利己的な感情から生じるのではないでしょうか」と答えます。このあとの人の答は、先の人の質問よりは、一歩進んでいるように思えますが、悲しみの感情を肯定している点では同じです。これに対して、シルバー・バーチは、こう言いました。
 
  いったい何を悲しむというのでしょう。死に際して悲しみを抱くということは、まだ進化が足りないことを意味します。本当は地上に留まること自体が苦痛であり、地上を去ることは苦痛から解放されることであり、暗黒の世界から出て光明の世界へ入ることであり、騒乱の巷から平和な境涯へと移ることを意味することを思えば、尚のことです。霊的知識を得た者がなぜその知識と矛盾する悲哀に心を傷めるのか、私は理解に苦しみます。K

 「まだ進化が足りない」とは、たいへん厳しいいい方ですが、真理を知るというのは、そういう厳しさが要求されるのかもしれません。シルバー・バーチは、さらに、そういう悲しみは、「無知から生じる」間違いであると、つぎのようにもつけ加えました。

  苦痛と老齢と疲労と憂うつとから解放された人をなぜ悲しむのでしょう。暗闇から脱して光明へと向かった人をなぜ悲しむのでしょう。霊の本来の欲求である探求心を心ゆくまで満足できることになった人をなぜ悼むのでしょう。それは間違っております。その悲しみには利己心が潜んでいます。自分が失ったものを悲しんでいるのです。自分が失ったものを自分が耐えていかねばならないこと、要するに自分を包んでくれていた愛を奪われた、その孤独の生活を嘆き悲しんでいるのです。それは間違いです。もしも霊的真理に目覚め、無知の翳みを拭い落とした目でご覧になれば、愛するその方の光り輝く姿が見えるはずです。死は決して愛する者同士を引き離すことはできません。愛はつねに愛する者を求め合うものだからです。あなた方の悲しみは無知から生じております。知識があれば愛する者が以前よりむしろ一段と身近かな存在となっていることを確信できるはずです。霊的実在を悟ることから生じるよろこぴを十分に味わうことができるはずです。L


 お わ り に

 いまから約二千二百年前、中国・秦の始皇帝が、斉の国出身の徐福に命じて、不老不死の秘薬を探しに行かせたことが、中国の歴史書『史記』に記されています。徐福は、往復三十年分の諸経費にあたる金銀財宝をもって、衣・食・住の専門家などを含めて三千人を引き連れ、八十五隻の大船団で遥か東海の国へ出かけたのですが、結局は、不老不死の秘薬をもって中国へは戻ることはありませんでした。始皇帝は、死ぬ間際まで、徐福の帰りを待ち侘びていたといいます。いつまでも生きていたいという永遠の生命への願望は、始皇帝の権力と財力をもってしても、叶えられなかったということでしょうか。

 不老はともかくとして、不死については、別に権力者でなくても、多くの人々が、できればそうありたいと、ひそかに抱いている強い願望といってもよいでしょう。もし、「不死の妙薬」と称するようなものが本当にあらわれたら、家や財産をすべて売り払っても、その妙薬を手に入れたいと思う人が続出するにちがいありません。

 むかし、私がまだ大学生であった頃、知人の事業家のMさんという人が、癌で亡くなった話を母から聞いたことがありました。かなりの資産をもっていた人でしたが、東京の病院で、余命いくばくもないと言われたとき、Mさんは、病床から手を伸ばして主治医の腕をしっかり掴み、自分の財産を全部差し上げるから、なんとかいのちを救って欲しい、と頼んだというのです。死は、それほどまでに怖ろしく、避けたいものであり、人間が「死ぬ存在」であることがわかっていても、その訪れが一日でも遅くなることを切望するのが普通です。

 しかし、だからこそ、いのちとはなにか、死ぬということはどういうことかという、真実を知ることは、なによりも大切であろうと思います。私の場合の例を持ちだすまでもなく、いのちの真実を知ることによって、肉親を失って悲しんでおられる方を含め、多くの方々が、死にまつわる怖れや悲しみから開放されるからです。実は、このいのちの真実を知るということは、「不死の妙薬」を手に入れることと同じとはいえないでしょうか。しかも、有難いことには全くお金もかからないのですが、それに気がつく人は多くはありません。

 皮肉なことに、持っている財産をすべて投げ出しても「不死の妙薬」を手に入れたいと思い焦がれている人々も、本当は、すでにその妙薬を持っていることになります。ただ、持っていないと信じ込んでいるだけです。問題は、私たちが、あまりにも永いあいだ死を生の終りと考えて、泣くこと、悲しむこと、悼むこと、嘆くことに慣れきってしまっていることにあります。この分厚い、頑固な「常識の壁」はどのようにすれば、うち破っていくことができるのでしょうか。

 私たちはときどき夢を見ることがあります。夢の中では、私たちはしばしば時間と空間を超越して、自由に動きまわれることは、誰でも知っています。夢をみている間に、私たちが、実際に霊界の生活をかいま見ることもあるようです。霊界からの訪問客を受け容れている場合もありますが、多くの場合、目を覚ますと忘れてしまいます。シルバー・バーチも言っているように、この夢の世界のなかの一部では、私たちが第二の誕生を迎えた場合のオリエンテーションが行われているのかもしれません。

 しかし、この私たちが夢をみるという現象は科学的に証明できるのでしょうか。仮に、生まれて以来一度も夢を見たことがないという人がいるとしますと、その人には、どのようにすれば、夢を知ってもらえるでしょうか。夢を見る人から、聞くしかありません。いくら夢のことを聞いても信じられない人は、それはそれで、仕方のないことです。しかし、真実を知りたいと思うのであれば、夢の世界があることが決してうそではないことを多くの信頼できる人から、何度も聞いてみることです。何度も聞いて、納得できれば、自分が夢をみなくてもそれを信じ、夢があることを知ることが出来るようになるはずです。

 いのちの真実や霊界の実存についても、同じようなことがいえます。科学的に証明することはできません。しかし、それを知っている人は沢山います。むかしは、一握りの少数の高僧、聖人、霊能者などの知識であったものが、現代では、数多くの人々がその真理に接することができるようになりました。霊界についての本も、かつては考えられなかったほど多く出回っています。誰でも、いのちの真実という「不死の秘薬」は手に入れようという意欲さえあれば、容易に手に入れることが出来るといってもよいでしょう。

 この講演会でも、いままで、臨死体験、体外離脱、退行催眠、霊界通信などによる、多くの人々による死後存続についての証言を、お伝えしてきました。いろいろとアプローチは違いますが、述べていることは一つだけです。私たちは死なない、ということです。死んでも生きているということです。この単純な、しかし重大な事実を、私たちはなんとか、信じるというより、知るようになっていきたいものだと思います。

 「信じる」と「知る」はもちろん同じではありません。「信じる」にはまだ弱さが残りますが、「知る」ことによって私たちはより強くなっていきます。私たちは、「太陽は東から昇るのを信じる」とはいいませんし、「地球が回転しているのを信じる」ともいいません。太陽が東から昇るのも、地球が回転しているのも事実ですから、事実に対しては、私たちは、信じるとは言わないで、知っていると答えます。霊界の実存も、いのちの永遠性も事実です。事実を事実として知ることによって、私たちのいのちは、間違いなく輝きを増し、こころ安らかな生き方が出来るようになっていくのではないでしょうか。

 この講演集では、シルバー・バーチの霊界からの真理のことばを多く引用してお伝えしてきました。理性と叡智で輝いている人類の遺産ともいうべきこれらのことばを、どうか、しっかりと受け止め、皆さんの、いのちの真理へ向かっての第一歩を踏み出すための、心強い道しるべにしていただくことができれば、講演者の私としても、たいへん有難いことだと思っています。


  注

@ キュブラー・ロス『「死ぬ瞬間」と臨死体験」(鈴木晶訳)読売新聞社、一九九七年、一二九頁。
A『シルバー・バーチの霊訓(一)』(近藤千雄訳)潮文社、一九八八年、二六〜二七頁。
B 前掲書、二七〜二八頁。
C 前掲書、八〇頁。
D『シルバー・バーチは語る』(近藤千雄訳)ハート出版、二〇〇三年、一三頁。 
E『シルバー・バーチの霊訓(四)』(近藤千雄訳)潮文社、一九八六年、一三三〜一三四頁。
F『シルバー・バーチの霊訓(二)』(近藤千雄訳)潮文社、一九八五年、一〇六〜一〇七頁。
G 大川隆法『永遠の生命の世界』幸福の科学出版、二〇〇四年、一六五頁。
H 立花隆『臨死体験(上)』文芸春秋、一九九四年、四二九頁。
I『シルバー・バーチの霊訓(二)』(近藤千雄訳)潮文社、一九八五年、一〇七頁。
J『シルバー・バーチの霊訓(四)』(近藤千雄訳)潮文社、一九八六年、一三一〜一三二頁。
K『シルバー・バーチの霊訓(三)』(近藤千雄訳)潮文社、一九八六年、四〇頁。
L 前掲書、四五〜四六頁。


 既刊 講演集

 第一集「いのちを慈しみ明日に向かって生きる」(一九九八年)
 第二集「生と死の実相について」(一九九九年)
 第三集「光に向かって歩む」(二〇〇〇年)
 第四集「生と死の彼方にあるもの」(二〇〇一年)
 第五集「真実の自分を求めて」(二〇〇二年)
 第六集「いのちの真実を求めて」(二〇〇三年)

   *これらの講演集は溝口祭典でお買い求めいただけます。


 謝 辞

 弊社「こすもすセミナー」では、今年も六月二七日に、武本昌三先生のご講演をお願いすることになりました。先生のご講演は、一九九七年に始まり、今年で八回目になります。講演の内容をまとめたこのような講演集の発行も、これで七冊目ですが、毎年、聴講者の皆さまのみならず、弊社を訪れてくださる多くの方々にも、好評をもって迎えられ、ひろくお読みいただいておりますことを、講演会の主催者としても、たいへん有難く存じております。

 先生のご講演では、毎年、「いのちの真実」をテーマに、なぜ生まれるのか、生きるとはどういうことか、そして、死とはなにか、というような私たちにとって極めて重要な問題を、いろいろと貴重な資料や証言などを含めて、説得力のあるお話をいただいてまいりました。今年もまた、多くの聴講者の皆さまと共に、弊社の社員一同も、「永遠のいのちを生きる」ことについて、学ばせていただける機会をもてますことを、武本先生に衷心より感謝申し上げる次第であります。

 私どもは、平素、亡くなられた方をお見送りする葬祭に、誠心誠意ご遺族の立場にたってご奉仕させていただくことをこころがけていますが、そのためにも、生と死の意味を正しく理解し、単なる形式ではない、葬祭のあるべき姿を常に見失わないように努めなければならないと考えております。このような学びの機会を通して、さらに葬祭におけるご奉仕の意義を深く認識させていただくことが私どもの念願でもあります。

 この講演会の開催にあたり、いつも無償でご尽力くださっている武本先生と、毎回、熱心にご参加いただいております多くの聴講者の皆さま方に対し、改めて、厚くお礼を申し上げます。

 二〇〇四年六月五日
    株式会社 溝口祭典 代表取締役 溝 口 勝 巳