2005.11.01発行

 【こすもすセミナー特別講演】

 死を越えて生きる

   ー 怖れと悩みのない人生のために ー


 どうか次のことをよく理解してください。
 冷たいことを言うと思わないでください。
 本当のことを謙虚にそして真剣な気持ちで申し上げます。
 死は、死ぬ人自身にとって少しも悲劇ではありません。
 あとに残された人にとってのみ悲劇なのです。
 暗黒の世界から光明の世界へと旅立つことは悲しむべきことではありません。

    --- シルバー・バーチ ---  (本文25頁より)


 は じ め に

 仏典の「涅槃経第十三」につぎのような話があります。

 むかし、ヒマラヤの山中に雪山童子と呼ばれていた若い修行者がいました。その雪山童子は、衆生を救うための法を求めて、いろいろと難行苦行を続けていましたたが、その修行の姿を、天上からじっと帝釈天がみていました。

 帝釈天というのは、東京でも柴又の帝釈天で有名ですが、もともとは、インド最古の聖典『リグ・ヴェーダ』に出てくる英雄神です。むかしからインドでは、悟りを開こうとする求道者は数多くいました。しかし、固い意志で、難行苦行に最後まで耐え抜き、悟りに至る人はほとんどいません。帝釈天は、雪山童子もまた、そのような意志の弱い修行者のひとりではないかと思ったのです。そして、雪山童子の苦行が本物かどうか、試してみようとしました。

 まず、帝釈天は、恐ろしい形相の羅刹に姿を変えました。羅刹というのは、インドの食人鬼です。羅刹となって天上から雪山まで降りてきた帝釈天は、雪山童子の近くまで来ると、過去生の仏が説いた教えを詩句にして、その前半を、声高らかにつぎのように唱えました。

 諸行無常(作られたものはすべて無常である)
 是生滅法(生じては滅することを本性とする)

 これを聞いた雪山童子は、深い喜びに包まれます。これこそが長い間求めてきた真理のことばだ、どうしても、この後の句も聞きたいと思ったのです。けれども、そこにいたのは恐ろしい形相の羅刹だけでした。よもやとは思ったのですが、雪山童子は、羅刹に尋ねてみました。

 「いまのことばは、過去、現在、未来の三世にわたる仏の教えで、真理のことばです。この続きがあるはずですが、ご存じでしたら是非教えてください」
 羅刹は答えました。

 「私は幾日も食べ物が手に入らず、飢えている。お前の体を食べさせてくれるというのなら、教えてやってもよい」

 雪山童子は、しばらく考えて、静かに答えました。「わかりました。残りのことばを聞くことができたら、私の体はあなたに差し上げましょう。私の体は、たとえ天寿を全うしたとしても、どうせ獣か鳥に食われるだけです。それに、食われたからといって、なんの報いもあるわけではありません。それならば、悟りの道を求めるために、この体は捨てることにいたします」

 それを聞いた羅刹は、雪山童子の固い決意に迷いがないのを見届けると、やがて、居ずまいを正して、ゆっくりと、後半のことばを唱えました。羅刹の口からとは思えないほどの清らかな美しい声です。

 生滅滅己(生滅するものがなくなり)
 寂滅為楽(静まっていることが安らぎである)

 こう唱えてから、羅刹は、約束通り、雪山童子の体をくれるようにと詰め寄ってきました。

 雪山童子は、覚悟の上のことでしたから、体を捨てるのにはなんのためらいもありませんでした。ただ、後世の人々のために、このことばだけは残さなければならないと考えて、まわりの岩や木にそのことばを書き留めました。そのうえで、近くの高い木に登り、一気に地上へと身を投げたのです。

 その瞬間、雪山童子の体がまだ地上に着かないうちに、羅刹はさっと帝釈天の姿に戻り、空中で、雪山童子の体を受け止めました。そして、恭しく地上に降ろし、雪山童子にひれ伏して礼拝しました。

 この雪山童子こそが、実は、釈迦の前世の姿です。

 この雪山童子が羅刹から聞いた真実のことばは、雪山にちなんで仏教では、「雪山偈」とよんでいるようです。偈というのは、仏の教えや、徳を称えたりするときのことばを詩句の形であらわしたものです。

 この話は、日本文学の中にもとりいれられ、さらに、それが戦前の小学国語読本でも、六年生用の巻十二に「修行者と羅刹」というタイトルで取り上げられていました。私が小学校の時にこれを教室で教えられたのは、考えてみるともう六十年以上も前のことになりますが、この話は妙に印象深く、こころに染みこんでいったことをいまでも覚えています。

 ただ、私が、習ったときには、この雪山偈のところは、日本語に置き換えられて、「いろは歌」になっていました。「いろは歌」が、どこかから美しい声で聞こえてくる、というふうにこの話は始まっていました。

 色はにほヘど散りぬるを (花は咲いても忽ち散り、人は生まれてもやがて死ぬ)
 我が世たれぞ常ならむ (無常は生ある者のまぬかれない運命である)
 有為の奥山今日越えて (生死を超越してしまえば、もう浅はかな夢も迷いもない)
 浅き夢見じ酔ひもせず (そこにほんとうの悟りの境地がある)

 この「いろは歌」は分かり易いように思われます。これは、空海が「雪山偈」を日本語に訳したものであると、長い間考えられてきました。しかし、いろいろと考証されてきた結果、いまではそれは否定されて、空海以後の平安中期から世に広まっていったとされているようです。訳者はまだわかっていません。

 日本語への翻訳にあたっては、和音の異なる四十七文字をすべて一度だけ使って重複させずに、七五調四句にまとめているというのは驚くべき技巧です。しかもそれで、深遠な雪山偈の意味を移しているとすると、もう神業というほかはありません。

 ところで、釈迦の前世の姿である雪山童子は、短い、たった四行の、これだけの雪山偈を聞いただけでも有難くて、その代償にいのちさえ投げ出そうとしたわけですが、私たち凡人は、とても、それほど深い真理をこのことばだけから汲み取ることはできません。私たちは、どうすれば救われるのでしょうか。もっと私たちにもわかりやすい教えはないのでしょうか。


 一 救いを求めて

 私たちは、お経をよむときに、よく、「人身受け難し、いますでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く」というように、礼讃文を唱えます。そして、「無上甚深微妙の法は、百千万劫にも遭遇うこと難し」とも続けます。

「百千万劫」の「劫」とは、古代インドにおける最長の時間の単位で、たとえば、巨大な岩山を薄い白布で百年に一度さっと払うとします。それを続けて大岩石がすっかりなくなってしまうまでの時間が一劫なのです。それが、さらに百千万回も繰り返されるような、殆ど無限永久の時間がかかっても、なかなか聞くことができないのが、「無上甚深微妙の法」なのです。ところが、それを礼讃文では、「我今見聞し受持することを得たり」と唱えるのです。これは、私には、ちょっとわかりにくい気がします。

 宗教集団によっては、数百人が一堂に会して、一斉にこれを唱えます。しかし、異をはさまず、ただ、いわれるとおりに唱えておればよいというものではないはずです。雪山童子ならいざしらず、少なくとも私などは、「我今見聞し受持することを得たり」とはいえません。いう資格はないのです。それでも、慣習に従って口には出すのですが、後ろめたい気持ちもないわけではありません。それを抑えて、「願わくは如来の真実義を解したてまつらん」と唱えて、礼讃文を一段落させるのです。そして、そのあとでは、たとえば、「般若心経」が続きます。全文二百七十六文字だけで短いのですが、これもなかなか理解は容易ではありません。

 「般若心経」は、周知のとおり玄奘訳のものがもっとも広く流布していますが、これはもちろん、玄奘がインドから持ち帰ったものを、サンスクリット語から漢語に翻訳したものです。その漢語への翻訳を私たちは、そのまま日本語読みにしているわけです。わかりにくいのは、「無上甚深微妙の法」のせいだけではないかもしれません。

 出だしの、「観自在菩薩行深般若波羅密多時照見五蘊皆空度一切苦厄」は、まあ、なんとか理解できるような気がします。このうちの「度一切苦厄」については、紀野一義氏の『般若心経講義』によれば、玄奘が、サンスクリット語の原文にはないのに、勝手に入れてしまったらしいのです。それはともかく、「観自在菩薩が、深般若波羅密を行じたまいし時、五蘊は皆空なりと照見して、一切の苦厄を度したまえり」と、一応、読むことはできます。まだ、こころから納得できるわけではないのですが、ここで立ち止まるわけにはいきません。

 そして、つぎに来るのが、あの「色不異空・空不異色・色即是空・空即是色」です。これは「般若心経」のみならず、仏教そのものの神髄をあらわす核心であるだけに、いろいろな解説書があり、いろいろに解釈されています。しかし、やはり「空」の理解は容易ではありません。「あると思えばない、ないと思えばある」などと禅問答のようなことを言っている人もいますが、言っている本人はよくわかっているのだろうか、とつい思ったりもします。「空」が目には見えないもので、「色」が見えるもの、というふうに考えると、少しは捉えやすくなりますが、これも一面のアプローチでしかないでしょう。要するに、読み出したばかりで、もうこの辺からだんだんわからなくなってくるのです。

 もう十年以上も前になりますが、私がロンドンに住んでいたとき、京都のお寺で学んだというイギリス人の尼さんがいて、「仏教の会」というのを開いていました。ヴィクトリア駅の裏手にあるその会場に私も行ってみたことがあります。そこでは、日本語の発音でよむ「般若心経」をそのままローマ字にして、それを、日本語はほとんど知らないと思われる数十人のイギリス人が、一斉に声を出してよんでいました。ローマ字は、音声記号にすぎませんから、何の意味ももちません。日本人がカタカナで書かれた「般若心経」をよんでいる状態に近いといえます。しかし、尼さんの説明では、「般若心経」そのものが「真理のことば」であって、それだけに、そのことば自体にエネルギーがこもっている。だから、それを唱えることに意義はあるのだ、というようなことでした。写経が功徳があるといわれるのと、同じようなものかもしれません。

 昨年(二〇〇四年)十月に、柳沢桂子さんがこの「般若心経」を翻訳して、『生きて死ぬ智慧』という本を出されました。難解なこの二百七十六文字を果たして翻訳できるだろうかと迷われたりしましたが、実際に取りかかってからは、二日で翻訳を終えられたのだそうです。柳沢さんは、一九六九年から現在に至るまで、三十六年以上も絶え間のない病苦と孤独に悩まされ、尊厳死さえ決意したりして、「般若心経」の「空」の境地に辿り着いたといわれる人です。「いままでで、最も平明で崇高な美しい現代語訳」と銘打ったこの本は、今年の九月の時点で四十三万部突破のベストセラーになっていたそうですから、お読みになった方もおられることと思います。

 私たちは、自己と他者、自分と他のものという二元的な捉え方をするのに慣れていますが、この本では、この自己と対象物という見方をするところから、執着や欲望が生まれる、と述べられています。この二元的な捉え方に対して、「般若心経」は、ものごとを一元的に見ることを教えているのだと彼女はいうのです。それでは、一元的に見れば、どういうことになるのでしょうか。彼女の解釈は、こうです。少し長くなりますが、一元的なものの見方の核心部分になりますので、「あとがき」からそのまま引用してみましょう。

  私たちは原子からできています。原子は動きまわっているために、この物質の世界は成り立っているのです。この宇宙を原子のレベルで見てみましょう。私のいるところは少し原子の密度が高いかもしれません。あなたのいるところも高いでしょう。戸棚のところも原子が密に存在するでしょう。これが宇宙を一元的に見たときの景色です。一面の原子の飛び交っている空間の中に、ところどころ原子が密に存在するところがあるだけです。
 あなたもありません。私もありません。けれどもそれはそこに存在するのです。物も原子の濃淡でしかありませんから、それにとらわれることもありません。一元的な世界こそが真理で、私たちは錯覚を起こしているのです。
 このように宇宙の真実に目覚めた人は、物事に執着するということがなくなり、何事も淡々と受け容れることができるようになります。@

 このような一元的な見方では、たとえば、「色即是空・空即是色」に対応する解釈としては、「私たちは広大な宇宙のなかに存在します。宇宙では、形という固定したものはありません。実体がないのです。宇宙は粒子に満ちています。粒子は自由に動き回って形を変えて、おたがいの関係の、安定したところで静止します。形のあるもの、いいかえれば物質的存在を、私たちは現象としてとらえているのですが、現象というものは、時々刻々変化するものであって、変化しない実体というものはありません。実体がないからこそ形をつくれるのです。実体がなくて変化するからこそ、物質であることができるのです」というようになります。

 また、「是諸法空相」に対応する解釈としては、「あなたも宇宙のなかで粒子でできています。宇宙のなかのほかの粒子と一つづきです。ですから宇宙も『空』です。あなたという実体はないのです。あなたと宇宙は一つです」というふうに述べられています。ここで、「ですから宇宙も『空』です」とありますが、やはり「空」がよくわかりません。最初のページに、「もしあなたが目も見えず、耳も聞こえず、味わうこともできず、触覚もなかったら、あなたは自分の存在をどのように感じるでしょうか。これが『空』の感覚です」とあるのですが、それでも釈然としません。私たちの日常生活の中で実感したり納得できたりすることのできる教えからは、やはり、ほど遠いような気がしないでもないのです。

 これに関連して思い出されますのは、講演集(第四集)「生と死の彼方にあるもの」でも触れた、安斎育郎氏の見解です。氏は、霊現象などの超自然現象を批判的に研究する「ジャパン・スケプティクス」という会の会長で、霊魂などは存在しない、と考えているようです。その安斎氏は、「般若心経」の「不生不滅・不増不減」を、輪廻転生を含めて次のように考えていました。

 人間は死んで火葬に付されれば、体を構成していた諸元素は原子や分子になってしまいます。例えば、成人一人の体には炭素原子が七キログラムほど含まれており、それは火葬によって二酸化炭素(炭酸ガス)の分子となり放出されていきます。その数は、氏によると、およそ三五〇兆個の一兆倍だそうです。

 この二酸化炭素分子が、全地球上の高さ一〇キロメートルまでの大気中にかりに均等に拡散していくとします。そのうえで、アメリカのボストンでもブラジルのリオデジャネイロでも日本の網走でも、どこでも地球上の一地点で一リットルの風船に大気を封入したら、その中に火葬にされた一個人の体に由来する二酸化炭素分子は何個ぐらい含まれていることになるでしょうか。その数は、実に、六万六千個にもなるというのです。

 それらの二酸化炭素は光合成で野菜や雑草に利用され、それを餌にした動物の細胞となり、さらにそれを食べた人間の体に利用されます。つまり生まれ変わることになるのです。地球はその創世以来、原子は基本的に増えることも減ることもありませんから、地球は巨大なリサイクル工場として、「使い回し」をしていることになります。そう考えると、「輪廻転生」を科学的に解釈したような気がして面白い、と氏はいうのです。A

 たしかに、これは科学的な真理であって、面白いかもしれません。柳沢さんも、「般若心経」は科学的真理であるといっています。しかし、その「科学的真理」の奥にはもっと大きな深い真理があり、実は広大無限な宇宙の真理のごく一部であるにすぎないといえないでしょうか。それに、看過できないのは、そのような「科学的真理」を聞かされても、私たち凡人には、それだけで生や死を超越して安心立命の境地に達するのは、なかなか難しいように思えるということです。

 かつて、山本書店主で評論家でもあった山本七平氏が、インド哲学の専門家の増原良彦氏との共著で『「色即是空」の研究』という本を出されたことがありました。氏はこの本を書くために、「般若心経」と名の付いた本を片っ端から読み始めたといいます。しかし、二十数冊でやめてしまいました。何故やめてしまったのかといいますと、「わかったのか、わからないのか、それがさっぱりわからない」状態になってしまったからなのだそうです。B 宗教や文化に造詣が深く、『「常識」の研究』、『「空気」の研究』など、数多くの名著で知られている山本氏にとってさえ、「般若心経」は決して理解しやすいものではなかったのです。私はここでもまた、考えてしまうのです。私たちにも十分に納得できるような、もっとやさしい教えはないものでしょうか。

 私は、「般若心経」では長い間、釈然としないものを引きずりながら、「歎異抄」を読むようになって、いくらか救われ、それから、現代日本語でも読めるという意味で易しい「聖書」をも、改めて繙くようになりました。


 二 闇から光へ

 世の中には、愛する家族を失っていまも悲嘆にくれているという人々は大勢おられます。私のホームページにも、切々たる悲しみの情を訴えてこられたり、なかには匿名で、「気が狂いそうです」と書かれたりすることもあります。かつての私もそうでしたから、私にはそういう方々の気持ちは痛いほどよくわかります。このような悲しみ、苦しみから抜け出す方法はないものでしょうか。

 私自身は、あの一九八三年の大韓航空機事件で妻と長男を亡くしてからは、ほとんど意味も分からないままに、「仏説阿弥陀経」や「般若心経」を読み続けていました。少し時間がたって、藁にもすがる思いで、「歎異抄」や「聖書」にも救いを求めようとしていました。しかし、そのことについては、いままでにも、この講演集のなかで繰り返し述べてきましたので、ここでは、少し古いのですが、岩波文庫の内村鑑三『基督教徒のなぐさめ』との関わりについて触れてみたいと思います。私の場合は、悲嘆に打ちひしがれていた一時期、そのなかの、「愛するものの失せし時」を何度も読み返していたことがあります。

 内村鑑三はいまから百四十年以上も前の一八六一年、東京に生まれました。札幌農学校でクラーク博士のキリスト教伝道の影響で入信し、周知のように、無教会主義キリスト教の創始者となった人です。彼の主張は、キリスト教の福音主義の原理は、「律法の行為によらず、信仰による」というものでした。信仰を重視するが故に、キリスト教徒は、教会に通わなくても、また洗礼などの聖礼典を行わなくとも、ただ信仰によって救われるという「無教会主義」を提唱したのです。「私は私の信仰の絶体的自由を得んがために、教会なるものとは、いずれの教会を問わず、何の関係をも持ちません。また私はかならずしも聖書がこの信仰を伝うればとて、その威権に伏して、私の理性にそむいて、この信仰をいだくのではありません」と、内村はその著書『キリスト教問答』の中で述べています。C

 内村には、いわゆる「第一高等中学校不敬事件」というのがありました。明治二十四年(一八九一年)一月、教育勅語奉戴式で明治天皇の署名に敬礼しなかったことから、国中をあげての非難と圧迫を受け、国賊呼ばわりされるなかで、二月には第一高等中学校(旧制一高、現東大教養学部)を辞職したのです。その心労から、妻の嘉寿子は発病して四月一九日に亡くなりました。内村はその二年前、別居中の前妻浅田タケとの離婚手続きが完了し、嘉寿子と結婚したばかりでしたから、その死は内村にとってよほどの痛恨事であったに違いありません。それに、後年には、その後再婚した静子との間に生まれた、二女ルツ子を失うという不幸も加わったのです。これらの体験が彼の信仰のなかで、どのように「救い」に結びついていったか。その彼の体験を、私は、「愛するものの失せし時」のなかからなんとか掴み取っていこうとしていたのです。

 ただし彼は、この本の自序のなかで、「この書は著者の自伝にあらず」と断っています。「著者は苦しめる基督信徒を代表し、身を不幸の極点に置き、基督教の原理を以て慰めんことを勉めたるなり」とも言っています。しかし、本書が書かれたのはおそらく事件の翌年で、本書に述べられている大部分の艱難辛苦は、事件とともに実際に彼の身にふりかかっていたことでした。事実を裏付けにして書かれているだけに、ほとんど自伝であると考えてもよいでしょう。この「愛するものの失せし時」のなかで彼は、愛するものを失った悲嘆の始まりを次のように書いています。

  生命は愛なれば愛するものの失せしは余自身の失せしなり、この完全最美たる造花、その幾回となく余の心をして絶大無限の思想界に逍遥せしめし千万の不滅燈を以て照らされたる蒼穹も、その春来るごとに余に永遠希望の雅歌を歌いくれし比翼を有する森林の親友も、その菊花香しき頃巍巍として千秋に聳え常に余に愛国の情を喚起せし芙蓉の山も、余が愛するものの失せてより、星は光りを失いて夜暗く、鶯は哀歌を弾じて心を傷ましむ、富嶽も今は余のものならで、かつて異郷に在りし時、モナドナックの倒扇形を見、コトバキシの高さを望みし時、わが故郷たらざりしがゆえにその美と厳とは反て、孤独悲哀の情を喚起せしごとく、この世は今は異郷と変じ、余はなお今世の人なれどもすでにこの世に属せざるものとなれり。D

 要するに、生きてはいても、死んだも同然の身になってしまった、と嘆くのですが、この時の苦痛は、愛しているものを失ったからだけではない、と内村は言うのです。「この世は、いつかは去るべきものなれば今これを失うも三十年の後に失うも大差なかるべし」と、自分自身のいのちをも見つめて、死ぬこと自体には一応の達観を示してはいます。しかし、かつての私には、この「達観」もなく、苦しんでいました。事件で亡くなったのは、妻が四十七歳、長男が二十一歳のときです。私が死ぬのはかまいませんが、なぜ二十一歳の長男なのかと、二十一歳という年齢がどうしても諦めきれずに胸に突き刺さったままでした。私は、内村に習って、まず、その壁から乗り越えていかねばならなかったのです。

 人間が生を受けてから死ぬまでの生物学的な命は、いくら引き伸ばしてみたところで、せいぜい百年くらいでしょう。多くは八十年、九十年に至らぬままに終わってしまいます。この僅かばかりの時の流れの中で、仮に二十年と八十年とを比べてみるのであれば、その差は極めて大きく、その大きな差は、そのまま深い絶望的な悲しみの差となって跳ね返ってくるかもしれません。しかし、内村にとっては、この世の命はその後に続く永遠のいのちへの出発点でしかなかったはずです。永遠のいのちからみれば、その出発点での三十年、五十年の差は決して大差ではありません。おそらく小差でさえないでしょう。その差は限りなく零に近いのです。

 愛する者を失った内村の苦痛は、家族を若い年齢で亡くしたことよりも、むしろ、自分の必死の祈りが神に聴かれなかったと思えたことにありました。そこで彼は、懐疑の悪鬼に襲われ、信仰の立つべき土台をも失ってしまうのです。ついには、「余は基督教を信ぜしを悔いたり、もし余に愛なる神ちょう思想なかりせばこの苦痛はなかりしものを、余は人間と生まれしを歎ぜり、もし愛情ちょうものの余に存せざりしならば余にこの落胆なかりしものを、ああ如何にしてこの傷を癒すを得んや」と、イエス・キリストを信じたことさえ後悔するようになります。実際に彼は、愛する者を失って以来、数か月間、祈ることもやめてしまいました。

 しかし、内村にとって、どうしても疑いきれないのがイエス・キリストの死よりの復活でした。キリストの肉体そのものは朽ち果てたかもしれません。キリストの死体を包んだ麻衣も土になってしまったかもしれません。だが、「彼の心、彼の愛、彼の勇、彼の節、ああもしこれらも肉とともに消ゆるならば、万有は我らに誤謬を説き、聖人は世を欺けり、余は如何にして如何なる体を以て如何なる処に再び彼を見るや知らず」と、否定しようにも否定できないイエス・キリストへの信仰が残るのです。そして、そこでまた内村は、では神はなぜ自分の祈りを聴かれなかったのか、なぜ愛する者の命を奪ったのか、という深刻な疑問に立ち返ってしまいます。彼はこう書いています。

  しかれども彼は死せざるものにして余は何時か彼と相会することを得るといえども彼の死は余にとって最大不幸なりしに相違なし、神もし神なれば何故に余の祈祷を聴かざりしや、神は自然の法則に勝つ能わざるか、或は祈祷は無益なるものなるか、或は余の祈祷に熱心足らざりしか、或は余の罪深きが故に聴かれざりしか、或は余を罰せんがためにこの不幸を余に降せしか、これ余の聞かんと欲せし所なり。(一九ー二〇頁)

 苦しみ悩み、理解し、そしてまた懐疑にぶつかる。そのような内村にどこからか告げる細い声が聞こえます。それは、「自然の法則とは神の意なり。雷は彼の声にして嵐は彼の口笛たり、然り、死もまた彼の天使にして彼が彼の愛する者を彼の膝下に呼ばんとする時遣し賜う救使なり」という、厳粛な真理の声でした。「死もまた神が、神の愛する者を膝下に呼ぼうとする時に遣わし賜う救使」であるとは、内村が信仰のぎりぎりのところで捉えた、あるいは捉えざるをえなかった理解であったといえるのかもしれません。

 私の場合は、事件の翌年、『妻と子の生きた証に』を書いたとき、第二章のとびらのことばとして、イザヤ書(五五ー八・九)からつぎのように引用しました。私もまた、「死もまた神が、神の愛する者を膝下に呼ぼうとする時に遣わし賜う救使」であることを一生懸命に、自分自身に説き聞かせようとしていたのです。

 わが思いはあなたがたの思いとは異なり
 わが道はあなたがたの道とは異なっていると主は言われる
 天が地よりも高いように
 わが道はあなたがたの道より高くわが思いはあなたがたの思いよりも高い

 しかし、神の救使としての「死」の意味を理解しても、内村の悩みは、なお続きました。キリスト教には数々の奇跡があったはずです。熱心な祈りによって不治の病が治った例は決して少なくはありません。それならば、彼が彼の愛する者を死に至らしめたのは、彼の祈祷が熱心さに欠けていたからなのか。もしそうなら、彼は彼の愛する者を彼の不熱心の故に見殺しにしてしまったことにさえなってしまいます。しかし、彼は必死に祈ったのです。熱心のあらん限り、祈りに祈ったのです。そして、その祈りはついに聞き届けられませんでした。これをどう考えるか。悩みに悩んで、内村は次のように信じたのです。

  ああ神よ、爾は我らの有せざるものを請求せざるなり、余は余の有するだけの熱心を以て祈れり、しかして爾は余の愛する者を取り去れり、父よ、余は信ず、我等の願うことを聴かれしに依て爾を信ずるは易し、聴かれざるに依てなお一層爾に近づくは難し、後者は前者に勝りて爾より特別の恩恵を受けしものなるを、もし我の熱心にして爾の聴かざるが故に挫けんものならば爾必ず我の祈繭を聴かれしならん。(二二頁)

 ここまで信仰が深められれば、あとは、感謝と喜びがあるだけでしょう。神は決して、罰として艱難を下すことはありません。このような大試練に彼が耐え得ることを知っているがゆえに、神は彼の願いを聞き届けなかったのです。彼の祈りが不熟心であったからではなく、むしろ十分に熱心であったが故に、神はこの苦痛を彼に与えたのです。彼はそれを神に感謝するようになりました。そして、最後に残された「忍ぶべからざる一事」は、彼の愛する者が何ゆえに苦しみの多い不幸な生涯であったのか、という問題だけでした。

 彼が誰よりも大切にしていた今は亡き家族は、愛のためには自己を忘れて身を捧げる純白なこころの持ち主であったのです。それでいて、一日も心痛のない日はなく、生まれてから短命で死ぬまで、不幸艱難が続きました。死ぬ時には非常な苦痛をさえ味わっています。「聖書」には、この世は神を敬う者のために造られた、とあるのに、この最も神を慕っていた者が最もわずかにこの世を楽しんで死んでいったのはなぜか。この理解しがたい事実の中に、どのような神の深い意図が隠されているのか、と内村は思い悩みます。

 この問題に対する答は二つだけです。ひとつは、神は存在しないということ。そして、もうひとつは、この地球に勝る世界が義人のために用意されているということです。そのどちらでしょうか。もし神が存在しないとすれば、真理はないことになります。そして、真理がなければ、宇宙を支える法則もなくなります。法則がないのであれぱ、宇宙も自分自身も存在理由がありえないことになってしまいます。だから、自分自身が存在している限りは、また、天と地がこうして目の前に広がっている限りは、神がないと信じることはできない。結局、答は、この世に勝る未来の世界があるから、ということしかない。そう内村は結論したのです。それでも、そのように納得できただけで、彼の気持ちが安らいでいたわけではありませんでした。彼は、彼の強い信仰心とは別に、彼が失った者のことを思う度に、耐え難い後悔の念に駆られるのです。彼はその苦しみを、次のように告白しています。

  余は余の失いしものを思うごとに余をして常に断腸後悔ほとんど堪ゆる能わざるあり、彼が世に存せし間余は彼の愛に慣れ、時には不興を以て彼の微笑に報い、彼の真意を解せずして彼の余に対する苦慮を増加し、時には彼を呵責し、はなはだしきに至りては彼の病中余の援助を乞うに当って---たとい数月間の看護のために余の身も精神も疲れたるにもせよ--- 荒らかなる 言語を以てこれに応ぜざりし事ありたり、彼は渾て柔和に渾て忠実なるに我は幾度か厳格にして不実なりしや、これを思えば余は地に恥じ天に恥じ、報ゆべきの彼は失せ、免を乞うの人はなく、余は悔い能わざるの後悔に困められ、無限地獄の火の中に我が身で我が身を責め立てたり。(二五ー二六頁)

 このような苦しみと後悔にさいなまれながら、ある日、彼は彼が失った家族の墓に詣でます。墓を清め、花を手向けて、祈りを捧げようとしている時、どこからか、墓の中からなのか、天の上からなのか、次のように彼に語りかける幽かな声を聴きました。

  汝何故に、汝の愛するもののために泣くや、汝なお彼に報ゆるの時をも機をも有せり、彼の汝に尽せしは汝より報を獲んがためにあらず、汝をして内に顧みざらしめ汝の全心全力を以て汝の神と国とに尽さしめんがためなり、汝もし我に報いんとならばこの国この民に事えよ、かの家なく路頭に迷う老婦は我なり、我に尽さんと欲せば彼女に尽せ、かの貧に迫められて身を恥辱の中に沈むる可隣の少女は我なり、我に報いんとならば彼女を救え、かの我のごとく早く父母に別れ憂苦頼るべきなき児女は我なり、汝彼女を慰むるは我を慰むるなり、汝の悲歎後悔は無益なり、はやく汝の家に帰り、心思を磨き信仰に進み、愛と善との業を為し、霊の王国に来る時は夥多の勝利の分捕物を以てわが主と我とを悦ばせよ。(二六頁)

 このような一節は、親鸞の「父母の孝養のためとて、一返にても念仏まうしたること、いまださふらはず」や、イエス・キリストの「神のみこころをを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」ということばを、しみじみと思い出させます。愛する者に尽くしたいと思っても、死別したあとでは、もう尽くすことができない、というのではありません。尽くしたいと思うのであれば、いくらでも尽くす時間も機会もあるのです。まわりのさまざまな人々は、すべて愛する者の分身であり、その分身のなかに愛する人は生きているのを知ることが大切です。だから、肉身においても愛する者は決して死んではいないのです。そのように理解した内村は、終局的には失ったものはなにひとつないことに気がついていきます。それは、長い悲しみと苦しみの果てにたどりついた光明の世界でした。内村は「愛するものの失せし時」を、次のような感動のことばで結んでいます。

  余は余の愛するものの失せしによりて国も宇宙も ---時にはほとんど神をも---失いたり、しかれども再びこれを回復するや、国は一層愛を増し、宇宙は一層美と壮宏とを加え、神には一層近きを覚えたり、余の愛するものの肉体は失せて彼の心は余の心と合せり、何ぞ思きや真正の配合はかえって彼が失せし後にありしとは。
  然り余は万を得て一つを失わず、神も存せり、彼も存せり、国も存せり、自然も存せり、万有は余に取りては彼の失せしが故に改造せられたり。
  余の得し所これに止まらず、余は天国と縁を結べり、余は天国ちょう親戚を得たり、余もまた何時かこの涙の里を去り、余の勤務を終えてのち永き眠りに就かん時、余は無知の異郷に赴くにあらざれば、彼がかつてこの世に存せし時彼に会して余の労苦を語り終日の疲労を忘れんと、業務もその苦と辛とを失い、喜悦をもって家に急ぎしごとく、残余のこの世の戦いも相見ん時を楽みによく戦い終えしのち心嬉しく逝かんのみ。(二七ー二八頁)

 このように、内村を立ち直らせたものは、彼の信仰でした。信仰しかありませんでした。この場合、信仰とは、真理の眼で死をみつめることにほかなりません。それは、世俗的な「常識」を含めて無知と偏見、虚偽と欺瞞からの脱却といってもよいでしょう。そして彼は、愛するものの死が、決してトータルな剥奪ではなく、「万を得て一つを失わしめない」神の配剤であることを体得するに至ったのです。

 「余も何時かこの涙の里を去り、余の勤務を終えてのち永き眠りに就かん時、余は無知の異郷に赴くにあらざれば」と彼は最後に書いています。そして、愛するものにまた会って語り合うことを楽しみに、いそいそと、「心嬉しく逝かんのみ」と言い切っています。彼はその時、暗闇からは完全に抜け出して、光の中を歩み始めたのです。その内村鑑三の姿が、かつての私には、とてもまぶしく思えました。


  三 死を越えて生きる


 この内村鑑三の「万を得て一つを失わず」ということばは、長い間私の胸の中にあって、折に触れては思い出していました。そして、いまの私は、このことばに近い心境にあります。少なくとも、私にとっては、悲嘆の底に沈んでいた暗い日々は遠い過去のものになりました。この地上での自分に与えられた仕事を終えて、霊界へ赴くとき、それが「無知の異郷」ではないことも、私なりに理解しています。最近、私は、私のホーム・ページのうえで、お子さんを若くして亡くされた方からのメールの返事に、つぎのようなことを書きました。

  二度目のメールを拝見しました。お子さんを亡くされて深い悲しみのなかにおられるあなたに、私はいま、どうしたらよいというようなことは申し上げられません。ただ、ここでは、お子さんに対する供養ということを中心に、私の辿ってきた道を振り返りながら、考えているこ との一端だけを述べさせてください。

  私自身は、妻と長男を亡くすまでは、霊界とか死後の生というようなことは、何もわからず、 信じてもいませんでした。私は、そのような無知の状態で、それまで五十数年を生きていたこ とを、いまでは恥じています。世間でよく考えられているように、人間が死んでしまえば無になって、何も残らないのであれば、私のように事件で肉親を亡くすほど悲しく惨めなことはありません。どのように慰められようと慰められるものでもありません。ただひとり閉じこもって涙を流しながら、深い闇の中に沈んでいくだけです。

  でも、もし、それが無になってしまうのでなかったら、どうでしょうか。死んだと思い込んでいるのに、実は死んでいなかったらどうなるでしょうか。生や死の意味がよくわからないうちは、そのようなとんでもない勘違いをすることがあります。勘違いをまったく勘違いとも気づかず、いつまでも悩み苦しみ悲しむのです。私がそうでした。「科学万能」の世界の中でのみ生きていた私の無明の闇は、よほど深かったのでしょう。その苦しみから十年近くも逃れることができませんでした。

  私は、無知無明のなかで苦しみながらも妻や子の供養を一生懸命に考えていました。毎日花 を供えてお経を上げていました。私はいまははっきりとわかっていますが、それは、なんの供 養にもなっていなかったと思います。私が苦しんでいる間、妻と長男はそのような私を身近に 見つめながら「どうして自分たちが生きていることをわかってくれないのだろう」と、やはり 苦しんでいたはずだからです。長男からは、「いつまでも元気がない。お父さんはなんでも出 来る人ではないか」とある霊能者を通じて「叱られた」こともあります。

  私は確信をもって申し上げられますが、供養の第一は、亡くなった家族が立派に生きている ことを知ってあげることだと思います。それが何よりも大切な、何よりも大きな供養になりま す。いくらたくさんの花や供物を供え、立派なお坊さんにお経を読んでもらったりしても、位牌の前で悲しんで泣いていたりするのでは、供養には決してなりません。

  あなたは、また、「子供と一緒に居たい、話をしたいという気持ちを抑える事が出来ません」といわれます。親の気持ちとしては当然のことです。私も一人の親としてそう思います。 ただこれも、私は自分の体験でしかお答えできませんが、いまでは、いつも亡くなった妻や長 男と一緒にいますし、時折はこころのなかで話もしています。いまの私は、決して「惨め」ではありませんし、一人暮らしをしていても、そんなに淋しいと思うこともありません。さらにいわせていただければ、生と死の意味に気づかない世間の多くの人々よりは、かなり「恵まれている」のではないかと感謝することはあります・・・・・・・E

 一九九一年四月からロンドンに住むようになっていた私が、大英心霊協会で、こころに思い続けていた妻と長男に、「再会」したいきさつについては、前回にもお話ししました。一九九二年二月十一日のことで、この「再会」は、その時の私にとってゆるぎのない確信でした。疑うにも疑いようのない明白な形で事実を突き付けられて、私は深く感動し、長い間重苦しく漂っていた疑いの靄もすっと消えて、こころからの安堵感を覚えたのです。

 それ以来、日本に帰ってからも、大英心霊協会で知り合った霊能者アン・ターナーを通じて、毎年、長男・潔典とは「文通」してきましたし、東京でも、A氏を通じて、霊界からのメッセージを受けてきました。まだ一般的には、この種のメッセージは、世間で素直に受け容れられにくい状況であることは承知していますが、霊界理解へのささやかな道しるべになればと思い、あえて、東京で今年の八月に伝えられた長男・潔典の消息の一部をご紹介させていただきます。

  ・・・・・・いまあの世では、生きる規範やいのちの法則について、教え諭しているところです。特に他の霊たちの魂を癒したり慰めたり清めたりする上で、効力を発揮しています。とても爽やかで、癒したり浄化する作用があります。それとともに一人ひとりが自分に目覚めて、あの世で本当の霊になっていくことが出来ます。そのような役目を果たすようになり始めています。
  また、時々はそれ以外の役目も、別の領域に行って果たすこともあります。迷子になったり道から外れかかっている霊に注意したり、教え諭したりです。また、ともに瞑想に入ったり、お祈りの仕方を教えたもするときがあります。
  生前の父親であるあなたとしては、この世に普通に留まって、主に語学の分野で出世街道を歩むことが願いでした。それも可能だったのですが、神様とその許に集っている守護霊たちの判断で、むしろ早くに引き上げさせ、彼を守り、あの世で清らかなまま、その任に当たらせたほうがよいという決定が下されたのです。カルマによるものではありません。多くの場合、事故死を遂げた者たちは、執着が残り、あの世に行って苦しんで、救われていません。しかし、彼の場合はほとんどそのような経過を経ることなく、すっと、よい霊界へ向かいました。しかし、当分は、守られ、あの世について教育されたり、いわば、使命のための研修期間を過ごしていたのです。
  最初は、控えめで、おとなしくしていました。しかしここ最近は、自信が出て、積極的にその任に当たるようになって活躍しています。他の指導霊や天使たちとも連携をとって、それぞれの役目を果たしています・・・・・・

 私は、亡くなった妻や長男の行方を知りたい一心で、このような霊界からのメッセージを聞くようになるまでにも、いろいろなところで、何年もの間、数十人にも及ぶ霊能者と接触してきました。霊界に関する本も数多く読んできました。そして、長い彷徨のすえに巡り会ったのがシルバー・バーチでした。「仏説阿弥陀経」や「般若心経」などが私の学びの出発点であったとすると、「歎異抄」や「聖書」を経て、シルバー・バーチまで来たところで、私はやっと、一生学ぶべき先生と教科書を見つけたということになるのかもしれません。私は、これからも、遅ればせながら、一生懸命にシルバー・バーチに師事していこうと思っています。

 シルバー・バーチは自分のことについてこう語っています。

  私は荒野に呼ばわる声です。神の使徒以外の何者でもありません。私が誰であるかということが一体何の意味があるのでしょう。私がどの程度の霊であるかは私のやっていることで判断していただきたい。私の言葉が、私の誠意が、私の判断が、要するにあなたがた人間世界における私の仕事が暗闇に迷える人々の心の灯となり慰めとなったら、それだけで私はしあわせなのです。F

 シルバーバーチが実はインデイアンではなく、一人のインデイアンの幽体を使用している高級霊団の最高指導者であるということまでは、私たちにもわかっています。しかし、それ以上は、幾度地上時代の実名を尋ねられても、それを明かそうとはしませんでした。自分個人に対する賞賛を極度に嫌い、常に、ラベルよりも仕事の成果の方を重んじてきたのです。

 そのシルバー・バーチは、膨大な量の宝石をちりばめたような叡智のことばを残していますが、その中には、聞く人の理性に訴えて、次のように言っているところがあります。

  私が申し上げることはすべて、皆さんの日常生活に少しでも理解と知識と真理と叡智をもたらしてあげたいという一念から出ているのです。が、それの基本となっている原理の中には、皆さんが子供の時から教えられてきた神学的な教義やドグマや信条と対立するものがあることは十分に考えられます。

  私たちは皆さんの理性に訴えているのです。もしも私たちの言うことと態度にあなた方の知性を侮辱し理性を反発させるようなものがあれば、それは受け入れていただかなくて結構です。私たちはあなた方の理性、あなた方の知性による納得を得たいのです。その上でなら、私たちの仕事の協力者として、神の意志を地上へ行きわたらせるための道具となっていただけるでしょう。そしてそれが地上平和の到来を促進することになりましょう。G

 シルバー・バーチは、これを、自分で二十年をかけて習得した全く澱みのない流麗な英語で話しているわけですが、この後半部分をご参考までに原文で引用しますとつぎのようになります。

 Our appeal is directed to your reason. If there is anything we say or do that insults your intelligence or makes your reason revolt, do not accept it. We desire to win your reason, your intelligence, so that you may cooperate with us and be instruments (in the Great)of the Great Spirit in ensuring that the divine will must prevail and you will help to speed the coming of peace in your world.

 二千五百年前の釈迦は数多くの仏典を残し、二千年前のイエス・キリストは「聖書」を残しましたが、それらはいづれも、釈迦やイエス・キリストの弟子たちが聞いた話を書き残したもので、釈迦自身、イエス・キリスト自身が書き残したものは一行もありません。しかし、三千年前のシルバー・バーチは、このとおりの現代英語で、直接私たちに語りかけたのです。これらは一字一句、シルバー・バーチ自身の言葉であり、私たちは、霊媒を務めたモーリス・バーバネルの声帯を通してではありますが、このとおり語っているシルバー・バーチの威厳に満ちた肉声を録音で聞くことさえできます。これは、二十世紀の人類に起こった最大最高の奇跡のひとつといってもいいのかもしれません。

 さて、そのシルバー・バーチは、お子さんや家族を亡くしてこの地上で悲しんでいる人たちになんと言っているでしょうか。ある時の交霊会で、英国空軍に所属していた最愛の息子を戦場で亡くして嘆き悲しんでいる一人の母親が、新聞編集者のご主人とともに招待されたことがありました。彼女に向かって、シルバー・バーチは、「息子さんのことはよく存じております。聡明な、まばゆいばかりの青年でした。あなたは今その息子さんのことで心を痛めておられます。が、その息子さんは実は今もあなた方のお側にいるのです。死んでしまったのではありません。生命に満ちあふれた姿で生きておられます。いつかはその存在を証明することに成功するでしょう。そして傷ついた心をみずから癒すことになるでしょう。どうか私の言うことを素直に信じてください」と語りかけました。そして、その後で、こう述べています。

  どうか次のことをよく理解してください。冷たいことを言うと思わないでください。本当のことを謙虚にそして真剣な気持ちで申し上げます。死は、死ぬ人自身にとって少しも悲劇ではありません。あとに残された人にとってのみ悲劇なのです。暗黒の世界から光明の世界へと旅立つことは悲しむべきことではありません。
  あなたが嘆き悲しむとき、それは実はわが子を失った自分の身の上を悲しんでいらっしゃるのであり、自由の身となった息子さんのことを悲しんでおられるのではありません。息子さんは地上にいた時よりずっと幸せなのです。もう肉体の病に苦しむことがないのです。刻々と蝕まれていくということもありません。内部の霊的資質を開発し、それを何の障害に邪魔されることもなく自由に発揮し、それを必要とする人のために存分に役立てることができるのです。
  あなたは見慣れたあの姿が見られなくなったことを淋しがっておられるのです。物的身体が二度と見られなくなったことを嘆いておられるのです。しかし、本当の息子さんは立派に元気で生きておられるのです。ただその手で触わってみることができないだけです。どうかその物的感覚の世界、五感というお粗末な魂の窓の向こうに目をやり、霊的実在を知ることによって得られる叡智を身につけるように努力なさってください。
  死は生命に対してまったく無力なのです。生命はつねに意気揚々としています。愛する息子さんは決してあなたのもとを去ってはいません。むしろ死によって霊的にはさらに身近かな存在となっているとも言えるのです。むろん、そのことが今のあなたに理解できないことは私も承知しております。なぜならあなたは物質の世界に生き、物質の目で見つめておられ、霊の世界のすばらしい壮観がごらんになれないからです。しかし、いつの日かその物質のベールが取り除かれて霊的な目が開かれれば、あなたも新しい世界の目も眩まんばかりの光輝をごらんになり、人生には完壁な償いの法則があり、すべてが神の摂理によって治められていることを理解されることでしょう。H

 つぎに、十九歳の一人娘を亡くしたばかりの母親がいました。その娘さんは、肢体不自由児で、死ぬまでの十九年間、一度も歩くことなく酷しい地上人生を送ったのだそうです。しかし、彼女にとってはその娘さんがすべてでした。諦めようにも諦められない気持ちで、「地上で苦しんだだけ、それだけあちらでは報われるでしょうか。私は悲しみに打ちひしがれ、途方に暮れた毎日を生きております」という手紙を送ってきました。交霊会で、その手紙が読まれますと、シルバー・バーチは次のように答えています。

  その方にこう伝えてあげてください。神は無限なる愛であり、この全宇宙における出来ごとの一つとして神のご存知でないものはありません。すべての苦しみは魂に影響を及ぼして自動的に報いをもたらし、そうすることによって宇宙のより高い、より深い、より奥行きのある側面についての理解を深めさせます。娘さんもその理解力を得て、地上では得られなかった美しさと豊かさをいま目の前にされて、これからそれを味わって行かれることでしょう。
  また、こうも伝えてあげてください。ご両親は大きなものを失われたかも知れませんが、娘さん自身は大きなものを手にされています。お二人の嘆きも悲しみも悼みも娘さんのためではなく実はご自身のためでしかないのです。ご本人は苦しみから解放されたのです。死が鳥かごの入口を開け、鳥を解き放ち、自由に羽ばたかせたことを理解なされば、嘆き悲しむことが少しも本人のためにならないことを知って涙を流されることもなくなるでしょう。やがて時がくればお二人も死が有り難い解放者であることを理解され、娘さんの方もそのうち、死によって消えることのない愛に満ちた、輝ける存在となっていることを証明してあげることができるようになることでしょう。I

 もう一つ、最後に、夫を事故で亡くしたある婦人へのことばをご紹介しましょう。その婦人は、もとはローマ・カトリックの信者でしたが、先に他界していた娘さんからの霊界通信で、死後の生命を信じるようになり、古い信仰を捨てたということです。

  この度のご不幸はあなたにとっては忍ばねばならない重い十字架ですが、死後の存続の事実を知らずに色被せた古い信仰をもって対処するよりは、あなたのように知識と理解とをもって対処できる方はどれだけ幸せでしょう。もはやあなたの人生は処理できないほど大きな問題も 困難もありません。そうしたものが地平線上に姿を現わしても、すぐに消えていくことに気づかれるでしょう。そこに霊の力が働いているからです。空虚な信仰ではなく確固とした知識の上に築かれた信仰から生まれる平静さと信頼感のあるところには、私たち霊界からの力も注ぎやすいということです。
  弱気になってはなりません。毎朝をこれから先の使命達成の前触れとして明るく迎えることです。これからも引き続き自信に満ちた生活の模範を垂れ、あなたより不如意な境遇のもとで迷い、恐れ、疑い、たぶん大きな不安の中で生きている人々が、あなたの生活ぶりの中に聖域、憩いの場、あるいは避難所を見出すことができるようにしてあげて下さい。
  あなたみずからが魂の灯台となって明るく照らせば、あなたはふんだんに霊の力の恩恵に浴し、それはひいては霊力の伝達者が同時に霊力の受信者でもあること、そのおかげで多くの仕事を為しとげることが出来ることの証となるのです。
  私は決してご主人がいま何の悔いも感じておられない ー幸せいっぱいで満足しておられるなどというセリフは申しません。そんなことを言えばウソになります。幸せいっぱいではありません。埋め合わせをしなければならないことが山ほどあり、収支相償うところまで行っておりません。まだ今しばらく辛抱が必要です。新しい生活に適応する努力をしなければなりません。でも、感情的なストレスの多くが消えました。当初のことを思えばずっと良くなられまし た・・・・・J


  お わ り に

 人間は何よりも死を恐れます。しかし、人間にとって、おそらく、死よりもっと恐ろしいものがあるのかもしれません。それが無知でしょう。人間の無知は、自分自身を含めて、生きている人間をさえ死人にしてしまうからです。そんなことをしみじみと考えさせられるのが、シルバー・バーチのつぎのようなことばです。

  死というと人間は恐怖心を抱きます。が実は人間は死んではじめて真に生きることになるのです。あなたがたは自分では立派に生きているつもりでしょうが、私から見れば半ば死んでいるのも同然です。霊的な真実については死人も同然です。なるほど小さな生命の灯が粗末な肉体の中でチラチラと輝いてはいますが、霊的なことには一向に反応を示さない。K

 そして、「あなた方が『死んだ』といって片づけている者の方が実は生命の実相についてはるかに多くを知っております」と断じているのです。さらに、シルバー・バーチは次のようにも言いました。

  死ぬということは決して悲劇ではありません。今その地上で生きていることこそ悲劇です。神の庭が利己主義と強欲という名の雑草で足の踏み場もなくなっている状態こそ悲劇です。死ぬということは肉体という牢獄に閉じ込められていた霊が自由になることです。苦しみから解き放たれて霊本来の姿に戻ることが、はたして悲劇でしょうか。天上の色彩を見、言語で説明のしようのない天上の音楽を聞けるようになることが悲劇でしょうか。痛むということを知らない身体で、一瞬のうちに世界を駈けめぐり、霊の世界の美しさを満喫できるようになることを、あなたがたは悲劇と呼ぶのですか。L

 死ぬということが実は生きるということ。この逆説的に響く言い方の真実が理解できれば、死は確かに悲劇ではないでしょう。だから、死を悲しむのは間違っていると、シルバー・バーチは繰り返し説いてきたのです。このようにです。

  人間はあまりに永いあいだ死を生の終りと考えて、泣くこと、悲しむこと、悼むこと、嘆くことで迎えてきました。私どもはぜひとも、死を生の挫折、愛の終局、情愛で結ばれていた者との別れと見なす無知を取り除きたいのです。死ぬということは生命を失うことではなく別の生命を得ることなのです。肉体の束縛から解放されて、痛みも不自由も制約もない自由な身となって地上での善行の報いを受け、叶えられなかった望みが叶えられるより豊かな世界へ赴いた人のことを悲しむのは間違いです。M 

 死を悲しむのが間違いであるならば、死人に対してどうあるべきなのでしょうか。シルバー・バーチは、悲しむのではなくて祝福してあげることだというのです。悲しみではなく祝福なのです。霊界で三千年もの間生きてきて霊界を熟知し、生と死を含めた実体験を重ねてきたのだという、その人生の大先輩からの確信に満ちたこのようなことばには、私たちは、ただうなだれるだけです。うなだれながら、肝に銘じていくほかはありません。




@ 柳沢桂子『生きて死ぬ智慧』(小学館)二〇〇四年、四四頁。
  以下、煩雑を避けるため、同書からの引用文の引用頁記載は省略します。
A 安斉育郎「錯誤の世界」「朝日新聞」二〇〇〇年八月二八日。
B 山本七平・増原良彦『色即是空の研究』(日本経済新聞社)一九八四年、二頁。
C 内村鑑三『キリスト教問答』(講談社)一九八一年、七一頁。
D 内村鑑三『基督信徒のなぐさめ』(岩波文庫)一九八三年、一六頁。
  以下、煩雑を避けるため、同書からの引用文は末尾に頁だけを記載します。
E 武本昌三ホームページ『ともしび』「メール交歓」二〇〇五年七月二九日。
F 『シルバー・バーチの霊訓(五)』(近藤千雄訳)潮文社、一九八六年、一四〜一五頁。
G 『シルバー・バーチは語る』(近藤千雄訳)ハート出版、二〇〇三年、一七〜一九頁。
H 『シルバー・バーチの霊訓(七)』(近藤千雄訳)潮文社、一九八七年、八八〜八九頁。
I 『シルバー・バーチの霊訓(六)』(近藤千雄訳)潮文社、一九八六年、一五二〜一五三頁。
J 『シルバー・バーチの霊訓(二)』(近藤千雄訳)潮文社、一九八五年、三九〜四一頁。
K 『シルバー・バーチの霊訓(四)』(近藤千雄訳)潮文社、一九八六年、一三一〜一三三頁。
L 『シルバー・バーチの霊訓(四)』(近藤千雄訳)潮文社、一九八六年、一三三〜一三四頁。
M 『シルバー・バーチの霊訓(三)』(近藤千雄訳)潮文社、一九八六年、四四〜四六頁。


 既刊 講演集

 第一集「いのちを慈しみ明日に向かって生きる」(一九九八年)
 第二集「生と死の実相について」(一九九九年)
 第三集「光に向かって歩む」(二〇〇〇年)
 第四集「生と死の彼方にあるもの」(二〇〇一年)
 第五集「真実の自分を求めて」(二〇〇二年)
 第六集「いのちの真実を求めて」(二〇〇三年)
 第七集「永遠のいのちを生きる」(二〇〇四年)

     *これらの講演集は溝口祭典でお買い求めいただけます。
     *左記のホームページでも、お読みいただくことができます。
      http://www.takemoto-shozo.com



 謝 辞

 弊社「こすもすセミナー」では、今年は十一月六日に、武本昌三先生のご講演をお願いできることになりました。先生のご講演の内容をまとめたこのような講演集の発行も、これで八冊目になります。これらの小冊子は、毎年、聴講者の皆様のみならず、弊社を訪れてくださる多くの方々にも、好評をもって迎えられ、ひろくお読みいただいておりますことを、講演会の主催者としても、たいへん有難く感謝申し上げております。

 「講演者のことば」のなかで、先生は、「私たちは、一人の例外もなく、やがて死を迎えることになります。これほどはっきりしている厳粛な事実を前にしても、なお、死の意味を知ろうとはせず、ただ、死を忌み嫌い、死の問題に直面することを避けて通ろうとするだけでは、こころの安らぎが得られるはずもありません。死は最大の不幸であると思いこんで、嘆き悲しんだりする世間の常識に盲従する前に、私たちには知らねばならない真実があります」と述べておられます。この小冊子にも書かれておりますような「知らねばならない真実」について、多くの聴講者の皆様とともに、私たち社員一同もまた、真摯に学ばせていただきたい所存であります。

 私たちは、平素、亡くなられた方をお見送りする葬祭に、誠心誠意ご遺族の立場にたってご奉仕させていただくことを心がけております。そして、何よりも大切なことは、葬祭が単なる形式ではなく、心を捧げるものであるという認識であろうと自覚してまいりました。私たちの葬祭が、この地上と霊界を結ぶ「こころの架け橋」になることを念願していますが、そのためにも、このような学びは極めて重要であります。講演者の武本先生には、改めて衷心よりお礼申し上げます。


 二〇〇五年十一月一日
   株式会社 溝口祭典 代表取締役 溝 口 勝 巳