2006.11.10発行



 宇宙の摂理のなかで生き続けるいのち

       ー 悔いのない人生を歩んでいくために ー


    物的なものには、
    その役割を終えるべき時期というものが定められております。
    分解して元の成分に戻っていきます。
    大自然の摂理の一環として物的身体はそのパターンに従います。
    が、あなたそのものは存在し続けます。
    生き続けたくないと思っても生き続けます。
    自然の摂理で、あなたという霊的存在は生き続けるのです。


        ― 『シルバー・バーチの霊訓(十)』二〇頁より ―



 は じ め に

 私たち人類は、長い間この地球上に住んでいながら、その地球の姿を自分の目で見ることは出来ませんでした。宇宙の空間に浮かぶ地球を実際に自分の目で見て、「地球は青かった」と言ったのは、一九六一年に人類最初の宇宙飛行を行ったソ連の軍人ガガーリンです。私たちは、そのとき以来、宇宙から見た青い美しい地球の映像を、人類史上初めて、眼にすることが出来るようになったのです。いまでは、私たち自身が、ガガーリンやその後に続いた多くの宇宙飛行士のように、宇宙へ飛び出して自分の眼で直接に地球を眺めなくても、「地球が青い」のは、当たり前のこととして知るようになりました。
 したがって、この地球の実像を理解するためには、宇宙飛行士でなければならないということはないわけです。この地球の美しい映像は、世紀の大ニュースとして、一九六一年以来、世界中で幾度も繰り返しテレビや新聞などで紹介されてきましたから、もう誰一人疑うものもなく、いわば地球の「真理」としてひろく受け容れられています。宇宙飛行士からの情報を、正しいか間違っているか、或いは、誇張があるのか、歪曲されてはいないのか、それを自分の理性に照らして判断するということも、この場合は必要はないようです。
 このように、いまは見えない霊界の実相も、やがては、当たり前の真理としてひろく理解されるようになる時が来るのかもしれません。「幸福の科学」を主宰する大川隆法氏は、最近出した著書に『霊界散歩』という題をつけ、「私にとっては、霊界体験とは、ちょっと庭に出るくらいの自然な感覚なのである」と述べています。そして、その本で取り上げた死後の世界や輪廻転生などが「三十世紀には科学的常識になっているだろう」とも書いています。@ 宇宙飛行士でなくても地球の姿を見ることが出来るように、霊界を見ることが出来る霊能力者でなくても、霊界の姿を当たり前のように受け容れるようになるということでしょう。
 霊界の姿を理解することは、ある意味では、地球の姿を見るよりも、はるかに重要だといえそうですが、一部の宗教界の霊覚者や霊能者を除いては、いまはまだ、一般の人々にははるかに遠い未知の世界だといっていいでしょう。科学の領域を超えた見えない世界であるだけに、特に、科学者やいわゆる知識人、文化人などは、霊界と聞いただけで拒絶反応を示すような人も決して少なくはありません。世界中のあちらこちらで、ほそぼそと、臨死体験者が垣間見た霊界の様子を語るということはありましたが、それらも、圧倒的な世間の無知と偏見の中で、闇に埋もれてしまうという状態が長く続いてきたように思われます。
 それが、ここ二、三十年で、少しずつ状況が変わってきました。たとえば、アメリカの映画女優シャーリー・マクレーンが、一九八三年に、自らの霊的体験を『Out on a Limb』(邦訳『アウト・オン・ア・リム』)という本に書きましたが、これは全米で三百万部を越す大ベストセラーになりました。その結果、全米で輪廻転生を信じる人が、一九八一年のギャラップ調査では二三パーセントであったのに対して、この本が出てからは、その割合が三五〜四〇パーセントに跳ね上がったといいます。A 
 その後、アメリカの精神科医・ブライアン・ワイスが、自分の体験した輪廻転生の神秘を、一九八八年に『Many Lives, Many Masters』(邦訳『前世療法』)にまとめて発表すると、これも二百万部のベストセラーになり、霊的知識の普及に大きな役割を果たしました。このような死後の生活や輪廻転生などを書いた本は、日本でもいろいろと出回るようになり、最近では霊能者の江原啓之さんの『人はなぜ生まれ いかにして生きるか』などの出版著書の累計が三百万部を越えるなど、一部ではスピリチュアル・ブームという声さえ聞かれるまでになっています。
 そのなかで注目させられるのは、アメリカのモンロー研究所が可能にした霊界探訪に参加して、自分の目で霊界を見てきたという日本人も増えてきていることです。その口火を切ったのが、二〇〇三年に、「臨死体験」を超えるといわれる、『死後体験』を書いた坂本政道さんでした。彼は、この本の最後に、「ひとつだけもう一度言っておきたいことがある。それはわたしは超能力者ではない、ごく普通の人間だということだ。そういう人でも好奇心と熱意さえあれば、死後の世界を探索し、未知を既知に変えることができる」と書いています。B 
 臨死体験で霊界を垣間見たという人は世界中で大勢います。この講演集でも、立花隆さんの取材例を含めて、いままでいろいろと紹介してきました。一昨年(二〇〇四年)八月二四日に亡くなられましたが、あのターミナルケアで世界的に知られていたキュブラー・ロス博士も、臨死体験の記録を二万例も集めて、人間は死後も生き続けることを数多くの著作で訴え続けてきたことは、ご存知の方も多いことと思います。しかし、臨死体験というのは、いわば霊界の入り口まで行った経験で、実際に霊界の内部にまで入り込んだわけではありません。一旦霊界の中に入り込んでしまったら、それは本当に死んだということで、もう二度とこの世には帰って来ることはできない。そう考えるのが普通の常識です。それを、好奇心と熱意さえあれば、「ごく普通の、超能力者でもない人間でも死後の世界を探索することができる」というのは、一体どういうことでしょうか。ここではまず、その普通の人の霊界訪問から取り上げていくことにいたします。

   一 霊界訪問を繰り返す普通の人びと

 『死後体験』を書いた坂本政道さんというのは、東京大学、カナダのトロント大学大学院で学んだハイテク・エンジニアです。死後の世界への好奇心から、二〇〇一年以来、アメリカのバージニア州にあるモンロー研究所を度々訪れ、死後体験を重ねてきました。それを彼は、こう書き出しています。

 六度にわたるモンロー研(ロバート・モンロー研究所)の訪問で、得たことは多い。そのなかで一番の収穫は、自分は独りではなかったということ、ガイドたちが見守ってくれていた、ということを知ったことである。その存在を直接感ずることがなくても、常日ごろ、わたしのすぐそばで、じっと見守ってくれていた。こう知ることでなにかすごくほっとした。肩の荷が下りたような気がする。また自分が死んだら、ガイドたちが面倒見てくれると思うと、死に対して持っていた漠然とした恐怖が、かなり軽減した。C

 この「死に対する漠然とした恐怖」は、おそらく誰もが持っているものでしょうが、彼は、子どもの頃から、人間は死んだらどうなるのかということに興味を抱き、死を思うと心が真っ暗になって、暗黒の闇のなかに突き落とされることもあったのだそうです。「死というのは残酷なものである。死に直面した場合、たった独りで対峙しなければならない。誰も助けてくれないのだ。そして、たった独りで死んでいかなければならない。死以外の世間事は時間の経過が解決することもあるが、死はそうはいかない。時間はことを悪化させるだけである。死に直面した場合、問題の先送りはできない」などとも書いています。そして、いずれ、死と対峙しなければならない時がくるが、その前に何とか死の恐怖を解決できないものかと思っていました。それがモンロー研究所を訪問することで、新たな展開をみることになった、というのです。彼の話は、こう続きます。

 モンロー研で死後の世界を自分で体験し、そのさまざまな世界を直接把握することができた。死後は未知ではなくなったのだ。これだけでも死の恐怖はかなり減った。ここで、重要な点は、わたしは死後の世界について、誰かの話を聞いてそんなものかと理解したのではない。自分の直接体験で知ったという点だ。この違いは大きい。言ってみれば、幽霊を見た人の話をテレビで見て、「ふーんそんなもんかね」と茶の間で言ってるのと、その茶の間に幽霊が出てきて、ぞっとしたぐらいの差がある。
 そしてガイドたち、トータル・セルフとの出会いである。ガイドたちが、常に見守ってくれていたことを知ったことは大きい。上述したように、それを知ることで得た安心感は大きい。
 モンロー研ではさらに、いくつもの過去世の自分を知ることができた。自分は悠久の過去からずっと存続してきたことがわかった。肉体は滅んでも魂は永遠なのだ。魂という表現が正しいかどうかはわからない。自分の本質とか実体とか言ったほうが、正しいかもしれない。それが肉体とは独立して存在すること自体は、体外離脱体験を通して知っていた。が、自分が悠久の過去から輪廻を繰り返していたことを、直接体験を通して知ることはなかった。モンロー研はそれを可能にした。
 それだけではない。わたしは家内といくつもの過去生で兄妹だったり、いいなづけだったり、夫婦だったりしたこともわかった。いわゆるソウル・メイト(魂の伴侶)である。死に別れたり、結婚できなかったりしたことが多かったので、いまの関係の持つ重さ、大切さが身にしみてわかる。家族に対しても同じ思いだ。袖すりあうも多生の縁。すべての出会いは偶然ではない。そこに過去からの強いつながりを感じるのである。D

 モンロー研究所というのは、体外離脱を中心に研究と実践を行っている研究機関で、ロバート・モンローが創始しました。彼は四十二歳のときに体外離脱を経験し、以来七十九歳の寿命をまっとうするまで離脱を繰り返したといわれます。
 彼は、最初の体外離脱の時には、このまま死んでしまうのではないかと思いパニックを起こしたそうですが、しばらく繰り返すうちにコントロールできるようになったのです。脳波を調べると体外離脱中は一定のパターンがあることに気がつきました。ラジオ制作会社の社長であった彼は、音響効果を利用して「ヘミシンク」と名付けられた体外離脱信号音を発明し、一般の人が体外離脱を体験するための研究所を一九七一年に設立したのです。これが、モンロー研究所です。
 へミシンクとは音響効果によって脳波のコントロールをするシステムです。たとえば右の耳から一〇〇ヘルツの音を聞かせ、左の耳から一〇五ヘルツの音を聞かせると、頭の中央では五ヘルツのうなりを生じます。これはちょうどシータ波に当たり、通常はうとうとと眠りかけたときの脳波となります。さらに脳の別の場所に一〇〇ヘルツと一〇八ヘルツで八ヘルツのうなりを作ります。これはアルファー波に当たり、精神を覚醒させるための働きがあります。これらを微妙に組み合わせると人工的に金縛りのような状態を作ることができるのです。
 この研究所の特殊な点は、体外離脱を繰り返したロバート・モンローの脳波のパターンをすべて蓄積して、データベース化していることです。それを利用して、脳の中で生じるうなりを微妙にコントロールし、ロバート・モンローと同じ脳波のパターンを作り出すことができます。ですから一般の人でも、外部からのコントロールによって、超能力者であるモンロー氏の脳波を獲得できるようになるというわけです。
 通常の人が体外離脱をするときは、よほど条件が整わなければできないといわれています。自由に好きなときにできるものではありません。しかしモンロー研究所はそれを可能にしたのです。
 研究所には、一度に二十五人までが寝泊まりして被験者として体験できる設備があります。体験コースは大きく三つに分かれています。一つはゲートウェイ(門)といってこれは入門コースです。次はライフライン(命綱)で死者の領域に達するものです。最後は体外離脱をして行ける最高の領域を目的とした、エキスプロレーション二七(探求二七)というプログラムです。
いまでは、この入門コースの日本語版CDも、東京で買えるようになりました。E

 このモンロー研究所には、二〇〇五年の時点で世界中からすでに一万人以上の人びとが訪れているそうですが、そのなかには、坂本政道さん以来、何人もの日本人も含まれているようです。これから取り上げる森田健さんもそのうちの一人です。森田さんは、坂本さんと同じように、大学では電子工学を学んだ「超能力者ではないごく普通の人」です。彼もまた、モンロー研究所で何度も霊界訪問を繰り返していますが、霊界では、亡くなった長男や父、祖母と会って、いろいろとアドヴァイスを受けたりしてきました。そのうちの一つを、つぎに引用してみましょう。胎児の時に他界した長男と最初に出会う場面です。

 「ところで君の名前は何て言うの?」
 「僕の名前はケンイチ」
 そこで初めて彼は顔を上げました。そこには胎児の顔がありました。
 私と妻は一度流産を経験しています。妊娠六カ月に入ったときに流産したのです。
 私はその出産に立ち会ったので、私のみが彼の顔を見ていました。その胎児の顔はまるで仏像のようにやすらかだったのが印象的でした。
 へその緒が切り取られ、別室に行ってしまうまで私はずっと手を合わせていました。おそらく最初で最後の私の息子でした。見つめ合うこともせず、何も話し合うこともせず、彼は生まれたと同時に逝ってしまいました。
 私たちは彼に健一という名前をつけ、彼のためにお葬式をしました。
 その顔が目の前にあったのです。私は圧倒的な感情に包まれながら彼を抱きました。
 実は死者との遭遇セッションに入ってから、私は彼のことが気になっていました。おそらくフォーカス二三にいると思っていました。だから浮かばれない魂を探すとき、どこかにケンイ チがいるかも知れないという想いを持っていました。しかし二日前から一緒にいるコビト君が彼だとは思ってもいませんでした。
 彼は、
 「僕はいつもあなた達のそばにいる」
 というフレーズに続いて、
 「僕はあなた達を助けるために生まれてきたんだ。こういう運命になることは初めから予定されていた」
 と言いました。
 彼の顔はあのとき以上にやすらかで愛に満ちていました。F

 この文中の「フォーカス二三」というのは、モンロー研究所の定義によると、霊界では一番地球に近い下層社会です。肉体を失ったばかりで死を認識できず、死の現実を受け入れられなかったり、地球の生命系に縛られて自由になれないでいる人たちが、このレベルに存在します。一般に自殺した人は成仏できないといわれることが多いのですが、その人たちはこの領域にいるわけです。また事故などで即死した人も、ここには多いといわれています。
 この上には、フォーカス二四〜二六があって、信念体系領域と名付けられています。何らかのかたちで死後の生の存在を否定する宗教や哲学を信じる人たちは、ここに来るようです。霊的真理からはなれた利己的な考えや概念を頑固に持ち続けた人たちも、肉体を離れると、まずここに来ます。霊界というのは、自分の想いがなんでも具象化、物体化するところですから、同じ想いを強固に共有する者たちがそれぞれにいろいろな世界を創り上げているわけです。人を騙したり、傷つけることによって生きがいを見出しているような人びとの世界もあれば、男女が犯しあう世界、アルコール中毒者の世界などもあって、その歪んだ思い込みの強さは、二六から二四へ降りるほど、烈しくなるのだそうです。
 さらにその上にあるのが、フォーカス二七で、ここは、自由で安らぎに満ち、霊的に進化した人々の想念で創り出された世界です。ここへ来て、人は初めて次の生へ転生することができるといわれています。フォーカス二七には、さまざまな機能があり、それぞれの機能に応じて、死者をあたたかく迎え入れるための「レセプションセンター」とか「癒し・再生センター」、「教育センター」などのほか、生まれ変わるべき次の人生についてカウンセラーと協議や計画をする「計画センター」もあるようです。森田健さんが、胎児で亡くなった健一ちゃんと実際に逢ったのも、実は、このフォーカス二七の領域でした。ただ彼は、霊界を訪れる前には、ここに引用した文の中で述べているように、「フォーカス二三」にいると思っていたのです。
 モンロー研究所の定義では、「フォーカス二七」の上にも、「フォーカス三四・三五」「フォーカス四九」などがあることになっています。「フォーカス四二」というのは、この宇宙の太陽系さえ越えた世界で、ちょっと想像もつきませんが、さらにその上の「フォーカス四九」は、銀河系をも越えることになります。二〇〇三年に『死後体験』を書いた坂本政道さんは、その後も、霊界への訪問を繰り返して、「超能力者ではない普通の人」の目で、「フォーカス四二」と「フォーカス四九」の壮大な世界を、『死後体験U』にまとめました。このなかで坂本さんは、「『死後体験』に書いた事柄はまったくの夢か幻覚ではないのか、少なくてもそうでないと証明できていない」という読者からの指摘に対して、こう述べています。

 私の立場は明白である。体験すれば現実だとわかるという考えである。まあつべこべ言わずへミシンクを一回聞いてみなさい。そうすりやわかるよ、という立場である。ま、一回じゃわからないだろうから、実際は二十回ぐらいは聞いてもらいたいが・・・・・・・
 世の中には、科学的に存在が証明されたことしか信じない人たちがいる。証明されてない事柄はすべてウソだ、幻覚だとして受け入れない人たちである。たとえば、霊や死後の世界の存在について、科学的に証明されていないからそういうものは存在しないと言う。『死後体験』や本書で述べたような事柄を、科学的に証明されていないから幻覚だと断定する。
 こういう人たちは、今の科学はこれ以上進歩発展しないと考えているのだろうか。なぜなら、今までに存在が証明されたことしか存在しないのなら、これから発見される事柄は存在しないことになるからである。
 彼らの論理に従えば、物理学の最先端で議論されている海のものとも山のものともはっきりしないような新しいアイデアや新しい素粒子はすべてウソということになる。
 たとえば「11次元の超ひも」や「M理論」などである。あるいは、宇宙物理学で登場するダークマターやダークエネルギーである。これらの存在はまだ科学的に証明されていない。彼らの論理に従えば、こういうものは存在せず、これらはウソであり幻覚ということになる。
 このように、科学的に存在が証明されたことしか信じないと言う人たちは、科学的ではない。むしろ彼らは既存の出来上がった科学を信奉する宗教家である。科学信奉という新宗教の信者である。
 真の科学者とは未知の分野に果敢に飛び込み、未知を既知へと変える努力をする人を言う。それがたとえそのときの世の常識に反していても、常識のほうが間違っているのではないかと疑う勇気のある人である。G

  二 この世とあの世を結ぶこころの絆

 世の中も進歩してきて、このように普通の人が「科学的な」霊界探訪まで出来るような時代になりましたが、かつては、一部の人たちのあいだで細々と語り伝えられるだけであった「霊界通信」などの情報にも、いまはテレビやインターネットで、誰でも手軽に接触できるようになっています。その例を、ここでいくつか取り上げてみましょう。
 霊能者がテレビに登場するのは、最近ではありふれた情景になってきましたが、今年の八月八日には、霊能者の江原啓之さんによる霊界通信の実例が「フジテレビ」で放映されました。「天国からの手紙」というこの番組は、かなり反響をよんでいたようですから、皆さんの中にも、あるいは、ご覧になった方がおられるかもしれません。このなかに、妻と三人の子供たちとともに幸せな家庭生活を送っていた広島市の斉藤勉さんが四十二歳のときに突然の交通事故で死亡した話が出ています。事故のあと一年を経て、江原さんは斉藤さんの霊と交信し、斉藤さんから家族の皆さんへ宛てた手紙が披露されました。すべて実名で公開されていましたので、そのままご紹介しますが、それは、つぎのように書かれています。

 愛する妻・洋美、そして、かけがえのない子供― 由佳、徹、真央へ
 みんな久しぶりだね。あれからもうすぐ一年が経とうとしている。みんなの前から、こんなに早くいなくなってしまった父さんを許してください。

 妻・洋美へ
 僕は家長として最後までこの家庭を見届けることが出来なくなってしまった。洋美に本当に申し訳ないと思っています。将来、お店をやろうとか、いろんな所へ行こうとか、子育てが終わったら二人で自由に暮らしていこうと、よく話していたね。それが僕の夢でもあった。でもこんなことになるなんて、無念以外の何ものでもありません。そして、僕がいなくなったことで洋美の心にとても大きな傷を残してしまった。あれだけ頑張っていた看護師も辞め、必死に暮らしている洋美を見て僕はとても心が痛いです。
 せっかく看護師という技術を持っているのに辞めてしまうのは、本当にそれでいいのか?洋美が働く姿を子供達に見せることは、とても大事なことだと思う。辛いかもしれないけれど、洋美なら乗り越えていける。お前の隣にいる子供たちのためにも、これをきっかけに立ち直って欲しい。僕は必ず、立ち直る君の姿を見ているからね。

 長女・由佳へ
 由佳は本当に親孝行な子です。いつもみんなに気を遣って、そして、気を遣いすぎて言いたいことも我慢して言わない・・・・・父さんは、そんな由佳の優しい心が大好きです。でも一つだけ、由佳がこれから成長していくなかで、その優しさが逆にプレッシャーになったりしないかととても心配です。由佳が悩んだ時は、父さんに話しかけてください。そんな時、父さんは必ず、由佳の本当の気持ちを聞いているからね。

 長男・徹へ
 徹は父さんにないものをいっぱい持っていると思う。すごく朗らかだし、よくしゃべるし、とても利口だし・・・・・父さんはそんなお前にとても期待しています。これからもその性格を大切に、強く優しく育って欲しい。父さんは、これからもずっと、お前を見守っていきます。そして徹・・・・・父さんの代わりに、母さんや姉さんや妹を男として、守っていって下さい。

 次女・真央へ
 真央とはほんの少ししか一緒にいることが出来なかった。父さんとの思い出を少ししか残せなかったことがとても心残りです。真央、ごめんね・・・・・一番やんちゃで元気だけれど、真央がこの事件のことでとても傷ついていることを父さんは知っています。でも父さんは、いなくなったんじゃない。たとえ見えなくなっても、ずっとお前の隣にいるからね。母さんやお姉ちゃん、お兄ちゃんと仲良く、元気で優しい女の子に育っていってね。

 みんな有難う。この家族で一緒に過ごした日々は本当に楽しかった。父さんは絶対に忘れない。だから洋美、これからもあの頃のように、家族みんなで笑顔で過ごしていって下さい。父さんは必ずみんなの側にいます。みんなを見守っています。僕に家族を教えてくれたみんな、本当にありがとう。
          =この家族を永遠に愛する夫、勉より=

 この手紙が読み上げられたのは、フジテレビのスタジオで、江原さんの前には、奥さんの洋美さんと三人のお子さんたちが座っていました。涙を流しながら、この手紙が読み上げられるのを聞いていた家族の皆さんの表情は、この番組を見ていた数多くの視聴者の涙をも誘ったと思われます。奥さんの洋美さんは、手紙に書かれていたことについて、「私よりも子供のことをよく知っている。主人しかかけてやれないことばだ」というふうに述べていました。
 このような霊界通信は、私にとっては特に珍しいものではありません。私自身が、霊界の妻や長男と長年の間「文通」を続けていて、霊界通信には慣れているからです。イギリスの霊能者アン・ターナーを通して、毎年、長男の誕生日に当たる六月五日に受け取っている手紙のひとつは、「長男からの霊界通信」として、講演集・第六集「いのちの真実を求めて」のなかに詳しく紹介してきましたし、そのようなイギリス経由のものとは別に、東京でも、毎年、妻や長男からの消息やメッセージを「リーディング」の形で受け取ってきました。東京でのものは、日本語ですから、聞いたままを一字一句そのままお伝えできますが、たとえば、長男潔典の消息を、昨年と今年のものの一部づつ抜き出してみますとつぎのようになります。まず、昨年八月の「近況」です。

  ・・・・・・堂々として、確信と自信にも満ちあふれている様子です。明るくて軽快な波動をまわりに放っているため、他の霊たちにとって、それが慰めや目覚め、あるいは浄化の役に立っています。それぞれの霊が清められ慰められ態勢が整ってきたのを見計らって、それぞれ行き先を指し示し、そこへ向かうように促したり、激励もしています。あるいは、最終的なすべての霊に共通する究極のゴールであるいのちの本源を指差して、最終的にはあそこに行くんですよ、と教えたり、諭してもいます。
 彼にはこの世、地上での物理的な生活は辛く、ふさわしくないものでした。苦労したり、世の汚れに染まっていったり、あるいは、あきらめて妥協したりするのは似つかわしくないことでした。そのため、純粋でよいものを保持したまま、世の汚れに染まったり、折り合いをつけたりするようになってしまう前に、引き上げさせられました。生前の名前のように、「潔」らかな魂の持ち主です。また、生きるうえでの法則や宇宙の摂理などにも精通しています。生きる規範、あるいは、人生の規範などについて知恵が働きます。それも生前の名前に表れています。「典」というほうです。
 いまあの世では、生きる規範やいのちの法則について、教え諭しているところです。特に他の霊たちの魂を癒したり慰めたり清めたりする上で、効力を発揮しています。とても爽やかで、癒したり浄化する作用があります。それとともに一人ひとりが自分に目覚めて、あの世で本当の霊になっていくことが出来ます。そのような役目を果たすようになり始めています・・・・・

 つぎに、これは今年六月の「消息」の一部です。

  ・・・・・・以前にもまして自信が感じられ、確信をもってほかの霊たちに教え、指導に当たっています。優しい穏やかな波動で周りを包み、しかし自信と確信をもって指導に当たっています。つまり、指導霊の一体としてその任務についているのです。これまで以上に輝きを増し、風格すら感じさせるようになりました。迷いや陰りのようなものは一切なく、とてもてきぱきとして、ことにあたっています。明るくて覇気に満ちています。
 生前の名前にもあるように、清らかで、ほかの者たちのお手本になるものを具えていたのです。それがここに来て開花し、はっきりと形になって現われ出るようになりました。元気よく明るく朗らかで、ほかの霊たちを備えさせ、とくに清めたり、目覚めさせたり、気分を楽にしてあげたりする働きかけが、彼の得意とするところです。陰りも重たさも暗さもなく、ほかの霊たちを安心させ、まわりの環境がとても生命に満ちあふれ、光があり、教育の場として理想的であることがすぐ分かります。
 このように彼がいま居る所は、霊界の中の霊たちに対する教育の現場です。生前からコミュニケーションに長けていました。もともと音楽や詩、文学、または工学的な技術などに長けた実体です。もしあのまま生きていたとしたら、語学関係からコミュニケーションに関する技術を、教えたり伝えたりする仕事についていたことでしょう。それが霊界に来てから実現しています・・・・・

 このような近況を知らされたあとで、いつも本人からのメッセージが付け加えられるのですが、今年は、こう言われました。
 
 お父さん、ぼくはこのように大丈夫です。お父さんのお陰で活躍できるようになりました。改めてお礼を申し上げたいのです。いま、ぼくは満足しています。だから安心してください。思う存分に活躍できて、うれしく感じています。お父さんが来られたら真っ先に迎えに行くつもりです。お父さんもそちらで十分生き切り、悔いのない人生を送ってください・・・・・

 このように、私自身は霊界の妻や長男からは、長年に亘って幾度も連絡を受けていますが、私のホームページには、いろいろな方々からも、霊界との交流の事実が寄せられてきました。つぎにご紹介するのは、Kさんという方からのメールです。生後まもなく赤ちゃんが亡くなり、その後、苦しみや悲しみを経て、その赤ちゃんと感動の「対面」をしたことについて述べられています。長いので一部省略しますが、つぎのような内容です。

 私は昨年、長い不妊治療の末得た待望の第一子を、生後間もなく亡くしました。その後二ヶ月位は思考停止状態が続き、息をするのがやっとの毎日を過ごしました。夫や家族の介護のお陰で、何とか生きてきた日々でした。
 三ヶ月ほどが経過し「本当に人は亡くなったら終わりなのか?」と、私は「輪廻転生」や「死後生」などについて書かれた本を読み始めました。けれども「いくら本を読んでも、実感出来ないことは信じられない。」そう思うようになり、四ヵ月後初めての霊視鑑定を受けました。ところが、娘が赤ちゃんで他界したため「思い出」などがなかったからでしょうか?「単なる文章」としても矛盾を孕んだ、納得できない鑑定結果を受けました。
 その後がっかりしながらも、読書やネット検索をするなどの、悶々とした日々を過ごしていました。そしてある日、先生のホームページの「メール交歓」の過去ログの中に「地上で悲しい思いをした子がいっぱいいる。その中にはこっちに来たくない子も多い。そんな子の側に行ってやさしく話しかける」というお話を見つけて、胸騒ぎがしました。そして高額な鑑定料を払って、あるご高名な方に霊視鑑定をお願いしましたが、やはり納得が行かない結果しか得られませんでした。「赤ちゃんのままで亡くなると、ぞんざいな扱いしか受けられないのだろうか?」と、かえって悲しくなる始末でした。
 そんな思いが続く中で、つい先日また別な方のリーディングを受けることとなりました。「これで納得出来なかったら、死後生のことは信じないことにしよう。」そんな気持ちを抱きながら、セッション場所の最寄り駅の改札口の上をふと見上げた時、デジタル時計の「分」表示が娘の誕生日とシンクロしていました。その瞬間「今日こそ娘に会える!」そんな予感がしました。けれどもこれまでの苦い経験から、私は甘い期待を抱かないようにして、事務所の扉を開きました。
 セッション終了後、ミディアムが伝えてくれた言葉の一つ一つを思い出すと、娘の「生涯」と呼ぶには、あまりにもはかなく短い人生を一つの「ジグソーパズル」とするならば、ミディアムの言葉の一つ一つは、まるで美しい輝きを放つピースでした。そのすべてが、寸分の狂いもなく、ピタリピタリとはまっていきます。そしてこの日のセッション中に、忘れられない出来事が起こりました。
 ミディアムと娘が、何やら二人で話し込んでいました。「いいですよ」「大丈夫ですよ」「出来ますよ」「どうぞ」などと、ミディアムが受け答えしていました。その直後です。ミディアムがじっと私の目をみつめました。時間にしたら短かったのかもしれませんが、私にはかなり長い時間のように感じられました。その後ミディアムは「娘さんは『久々の肉体はとても重たかった。』『急に大きな身体に入ったので、疲れた』って、言っていますよ」と言いました。「赤ちゃんの身体にいたのに、成人の身体に入ったものだから、重たく感じられたのでしょうね。」「?」「実は今、娘さんに私の身体をお貸ししていたのですよ。どうしても『人の眼』で、お母さんの眼を見たかったそうなのです。」
 紛れもなく娘でした。ミディアムには「生後三日目に私たちが集中治療室へ面会に行ったとき、薬で意識を失わされているはずの娘が、懸命に私たちが立っている側の目蓋を開こうとした」という話をしていませんでした。最後まで開く前に「紫外線照射中で、ドライアイにでもなったら大変だ」と思った私たちは、慌ててスタッフを呼んで、娘が目蓋を開ききる前に、閉じてもらったのでした。そのときスタッフは「自発呼吸ができないほどの薬が効いているのに、そんな馬鹿な!」と驚いていました。そしてこの日を境に、娘の容態は急速に悪化しました。
 この時娘に最後まで目蓋を開かせてあげなかったことを、私たちは非常に悔やんでいたのです。「きっとあの娘はあの時、この世の見納めをするつもりだったに違いない。最後まで目蓋を開かせてあげれば良かった」と・・・・・
 霊感も霊能力もない私でも、たとえどんなに短い期間しか一緒に過ごせなくても、住む世界が変わろうとも、「親子の絆」は存在するのだということを実感できる、すばらしい体験をさせて頂きました。ミディアムの能力の高さはもとより、文字通り「全身全霊」、「誠心誠意」というひたむきさ、そして娘の「何としてでも伝えたい」と強く願う、私たち家族への愛情があってこそ、はじめて成し得た業なのでしょう。
    = お母さんの眼を見たかった霊界の幼児 (二〇〇六・三・七)=

 愛というのは、肉体に制約された鈍重な意識ではその強い力はなかなか感じられませんが、本当は、巨大なエネルギーをもっているのだと思います。このお母さんの、お子さんに対するひたむきな愛情は、このような「奇跡」をも生み出しました。「いいですよ」「大丈夫ですよ」「出来ますよ」「どうぞ」などというミディアムとお子さんとの会話は、感動的ですが、生まれたばかりの幼児でも、霊的には成人ですから、このような会話が出来ることも不思議ではないでしょう。私は、このメールに対して、つぎのような返事を書きました。 
 
 メールを繰り返し読ませていただきました。生後まもなく亡くなられたお子さんに対する母親としてのひたむきな愛情に、強くこころを打たれています。
 長い不妊治療の末に生まれた大切なお子さんであっただけに、どれほど愛おしく思われたことでしょう。そのお子さんが手の届かぬところへ行ってしまわれて、「息をするのがやっと」であったといわれるのも、無理ではありません。ご心中、こころからお察し申し上げます。
 この間の私のホームページ(「今日の言葉」97) では、二人のお子さんを亡くされたご両親の事例を取り上げました。親にとって愛するわが子を亡くすということほど辛く悲しいことはありませんが、まして、二人の子供を亡くしたときの悲しみとなると、想像を絶するというほかはありません。シルバー・バーチは、その、二人の子供を亡くしたご両親に、つぎの様に話しました。「魂というものは、その奥底まで揺さぶられ、しかも物的なものでは一縷の望みさえつなげない状態下においてのみ目覚めるものであるというのが、基本的な霊的真理なのです。つまり物質界には頼れるものは何一つないとの悟りで芽生えた時に魂が甦り、顕現しはじめるのです。」
 このご両親は、しかし、二人の子を失うという極限の悲しみのなかから、何よりも貴重な霊的真理を掴み始めていくことになります。そのご両親に対して、シルバー・バーチは、さらに、「お二人はその大きな真理を我が子の死という大きな悲しみを通して見出さねばなりませんでした。それはまさしく試金石でした。途方に暮れて、力になってくれるものが誰一人、何一つないかに思えた時に、その自分を見出させてくれることになった触媒でした」と述べています。
 それにしても、生まれたばかりの大切なわが子を奪われるというのはあまりにも過酷で、このようなシルバー・バーチのことばも、すぐには受け容れられる気持ちの余裕がもてないのが一般であろうと思います。ただ、いまは霊界におられるお子さんとの接点を必死になって求めておられるあなたのお気持ちは、霊界でのお子さんにも、お子さんを守ってくださっている守護霊などの多くの方々にも直裁に通じていることは間違いないでしょう。霊界との接触を模索しながら、何度かの挫折にもめげずに、ついにめぐり逢うべくしてめぐり逢ったミディアムとの対話は、私たちにもほのぼのとした温かさと希望を与えてくれます。
 いまは、かつては考えられなかったような霊的知識の普及があって、体外離脱をして何度も霊界へ行き、霊界の両親や早世した自分の子どもにも逢ってきたというような人も、この日本で見られるようになりました。あなたが言われるように、たとえどんなに短い期間しか一緒に過ごせなくても、住む世界が変わろうとも、「親子の絆」は確かに存在し、切れることはありません。あなたのお子さんは、この影の世界の地上からは姿を消したかもしれませんが、霊界の実在の世界では、いまも立派にあなたのお子さんとして生きておられるのです。その愛しいお子さんと、これからもどうか、母と子の、あたたかな心の対話を続けていって下さい。
    =ひたむきな母親としての愛にこころ打たれて (二〇〇六・三・七)=

 もう一つ、私のホームページからの例をご紹介しましょう。つぎは、お子さんを亡くしたあとも幸せに暮らしているという内容のメールです。山口県の吉永さんという方からいただきました。

 私の場合も、昨年産まれたばかりの息子が感染症にかかり、短かすぎる一生を終えて天国に行きました。息子はお医者さんもびっくりされるほどの頑張りで何度も心停止を乗り越えましたが、天国へ行ってしまいました。息子とのこれからの生活を、本当に楽しみにしていた私にとってはつらすぎる現実でした。周囲の誰もが、私が立ち直れるかととても心配していました。
 ところが、息子が息を引き取ったあとから、私には不思議な事が起こりました。天国での息子の姿が見えるのです。はじめは見えるだけでしたが、ある日、息子が私の方を向いてくれて以来、お話ができるようになったのです。息子の面倒を天国で見てくださっている神様(と私たちが呼んでいる素敵なおじちゃん)ともお話ができるようになり、人の命の仕組みや、息子の体と霊魂との違いについて教えてもらい、息子が今も、体こそ無いけれども生き続けてくれていること、私の側にいつもいてくれていることが理解できるようにもなって、自分でも不思議なほど幸せに暮らしています。
  ・・・・・昨年の九月に産まれて霊界へ還って行った我が子との不思議な生活の中で、これまでの価値観、人生観は大きく変わりました。周囲の誰もが驚くほど、毎日を明るく元気に楽しく暮らしています。そんな自分の不思議な体験は、他の人に話しても信じてもらえないだろうな、と思っていたのですが、「大空の会」(子どもを亡くした親の会)のホームページを拝見して、こういうことがおこったとしても不思議ではないんだなと思い、うれしくなってしまいました。
 愛する人を亡くす悲しみ、我が子を亡くす悲しみは体験したことのない方には理解できない苦しみですが、その中で、本当の命に出会い幸せに暮らしている今に、とても感謝しています。人はそうした肉体を越えた本当の命の存在に気付きにくいのですが、肉体が本当の命そのものではないのだと思います。   
         =天国のわが子と共に生きる幸せ(二〇〇三・一一・三)=

   三 宇宙の摂理と永遠のいのち 

 このような、この地上と霊界とを結ぶ交流や対話に触れていますと、しみじみと、いのちとは何だろうと考えさせられます。私たちは何故この世に生まれて、死んだらどこへ行くのだろう、というような問題にも、改めて、深く関心を抱くようにもなります。本当に、私たちは何故この世に生まれてくるのでしょうか。このことについては、講演集の第七集「永遠のいのちを生きる」のなかでも述べてきましたが、ここでは、私たちが誰でも知っておくべきことを確認することからこの問題に迫っていきたいと思います。それは何でしょうか。私たちは死んでも死なないということです。そして、宇宙の摂理の中で神に守られて生きているということです。シルバー・バーチはそれを、こう述べています。

 今日もっとも必要なのは簡単な基本的真理― 墓場の向こうにも生活があること、人間は決して孤独な存在ではなく、見捨てられることもないこと、宇宙のすみずみにまで神の愛の温もりをもった慈悲ぶかい力が行きわたっていて、一人一人に導きを与えていること、それだけです。これは人間のすべてが知っておくべきことです。また誰にでも手に入れることのできる掛けがえのない財産なのです。H

 シルバー・バーチは、このような基本的真理さえ知らない人が、世界中に「何百万、何千万、いや何億人もいる」と嘆いていますが、私自身もかつては、そのうちの一人でした。人間は死んでも死なないのだという事実にはまったく無知でしたし、神の存在についても、いろいろと本を読んだり話を聞いたりしていながら、その存在を確信できることもなく、人生の大半を過ごしてきてしまいました。長年、大学で教鞭をとっていて、ほかの教師と同じように「学問は真理の探求である」などと教室ではしばしば繰り返していながら、人間にとってもっとも大切な基本的真理さえ、実は何も知ってはいなかったのです。
 この簡単な、しかし重大な意味を持つ「基本的真理」を理解するためのキーワードは、「霊」であろうと思います。私たちは、本来、霊であるということです。なかには、人間には霊がある、あるいは魂があると信じている人でも、実在は肉体であって、霊はその付属物であるかのように考えがちです。しかし、霊は肉体の付属物ではありません。本当は、霊が主体であり、肉体が霊に従属しているのです。つまり真の私たちは霊であるということになります。そして、霊が生命そのものであり、永遠の存在であり、神性をもっているのです。
 おそらく、この世の中のほとんどの不幸や苦しみは、この霊が人間の主体であることを知らず、肉体が人間のすべてであると思っていることから生じてくるのではないでしょうか。肉体がすべてであれば、肉体の「耐用年数」は通常七、八十年から長くても百年くらいですから、その間に思い切り自分の欲望を満足させようとするのは、あるいは当然のことかもしれません。死後にも実感をともなった霊界での生活があり、そこでは地上生活での功罪が厳然たる規範で清算されるということも知らないわけですから、ただひたすらに、物質主義、利己主義に走り、それが生きることであると錯覚を起こしてしまうことになりかねません。
 例えば、陸上の百メートル競走と四十二キロのマラソン競走では、当然のことながら走り方はまったく違います。百メートル競走ならば、スタートの瞬間から全力疾走し、ちょっとした躓きや、よろめきも許されず、一メートルでも一センチでも人より前に出ようとして必死になります。しかし、マラソン競走でそんな走り方をする人はいません。もし、マラソン競走を百メートルの競走と勘違いして、いきなり最初から全力疾走をすれば、百メートルの時点では、オリンピックに出てさえ間違いなく一着になるでしょうが、これは実は落伍者の走り方で、その姿は、随分哀れで滑稽でもあります。永遠の人生を百年の人生と勘違いするのは、ちょっとそれに似ているかもしれません。しかも、百年と永遠との差は決定的に大きいのです。哀れや滑稽ではすまされない、大変な不幸ということになるのでしょう。だからこそ、シルバー・バーチは、わざわざ霊界から地上へ降りてきて、半世紀以上もあくことなくこの基本的真理を説いてきたのです。
 シルバー・バーチについては、これまでの講演集で何度も触れてきました。死後の世界のことについては、霊能者でない私たちには確信をもって語ることができません。そこで仏典をひも解いたり聖書を読んだりもするのですが、これらはいづれも仏陀やイエスが言ったといわれることを弟子たちがまとめたもので、必ずしも正確ではありません。また、時代を経て、人から人へ、国から国へと伝えられているうちに、少なくとも部分的には、脚色されたり、曲解されたりすることも当然ありうるわけです。その点、シルバー・バーチの場合は奇跡的な稀有の例外といえるでしょう。三千年を霊界で生きてきた体験を基にした珠玉の真理のことばを、霊媒のモーリス・バーバネル氏を通してであるとはいえ、シルバー・バーチ自らが、直接現代英語で私たちに語ってくれているからです。
 そのシルバー・バーチに、ある時の交霊会に招待されて初めて出席した人が、「死後の生命の存在を立証しようとすると、いろいろと不可解に思えることが生じてきますが、どう証拠立てたらよいのでしょうか」と質問したことがありました。シルバー・バーチは即座にこう答えました。

 死後の生命とおっしゃいますが、私は時おり地上世界を見渡して、はたして死ぬ前に生命があるのかと、疑わしく思うことさえあります。まったく生きているとは思えない人、あるいは、かりに生きていると言えても、これ以上小さくなれないほどお粗末な形でしか自我を表現していない人が無数におります。
 霊界での生活がどのようなものであるかを伝えるのは、とても困難です。なぜかと言えば、私たちは人間のその五感に限られた状態で理解できる範囲を超えた次元で生活しているからです。言語というのはあなた方の三次元の世界を超えたものを伝えるにはまったく無力です。I 

 この「言語が三次元の世界を超えたものを伝えるのにはまったく無力」という言い方は、よくわかるような気がします。地球上で使用されている数千の言語の間でさえ、文化の差が大きい場合にはしばしば翻訳が困難ですから、まして、まったく次元の違う霊界の状況を地上の一言語で説明できないのは当然といえます。しかし、シルバー・バーチは一生懸命に、つぎのように続けました。
 
 死後の世界の豊かさをお伝えしようにも、それを例えるものが地上に無いので、うまく言い表せないのです。強いて言えば、本来の自我の開発を望む人たちの憧憬、夢、願望が叶えられる世界です。発揮されることなく終わった才能が存分に発揮されるのです。
 経済問題がありません。社会問題がありません。人種問題がありません。身体でなく魂が関心のすべてだからです。魂には白も赤も黄も黒もないのです。
 界層ないしは境涯というものがあり、そこに住む者の進化の程度に応じて段階的な差ができています。あなたが他界後に落着く先は、あなたが地上で身につけた霊的成長に似合った界層であり、それより高いところへは行けません。行きたくても行けません。また、それより低いところでもありません。行こうと思えば行けますが、何らかの使命を自発的に望む者は別として、好んで行く者はいないでしょう。J

 シルバー・バーチの場合は、いうまでもなく、人類に霊的真理を広めていくという使命を帯びて、霊界の高い界層から、この地上世界へ降りてきました。この死後の世界の説明は、神の摂理にも触れていくことになります。シルバー・バーチはさらに、こう続けました。

 霊的意識が深まるにつれて、自分に無限の可能性があること、完全への道は果てしない道程であることを認識するようになります。と同時に、それまでに犯した自分の過ち、為すべきでありながら怠った義務、他人に及ぼした害悪等が強烈に意識されるようになり、その償いをするための行ないに励むことになります。
 埋め合わせと懲罰の法則があり、行為の一つ一つに例外なく働きます。その法則は完全無欠です。誰一人としてそれから逃れられる者はいません。見せかけは剥ぎ取られてしまいます。すべてが知れてしまうのです。と言うことは、正直に生きている人間にとっては何一つ恐れる ものはないということです。
 難しい問題が無くなってしまうわけではありません。解決すべき問題は次から次へと生じます。それを解決することによって魂が成長するのです。何の課題もなくなったら、いかなる意味においても「生きている」ということにはならなくなります。魂は陽光の中ではなく嵐の中にあってこそ自我を見出すものなのです。
 もしも私があなたの悩みは全部こちらで引き受けてあげますと申し上げたら、それはウソを言っていることになります。私にできることは、問題に正面から対処して克服していく方法を お教えすることです。いかに大きな難題も障害も、霊の力の協力を得れば、人間にとって克服できないものはありません。K
      
  お わ り に

 聖書には、「神のみ国はあなた方の中にある」(ルカ17-21)や、「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」(マタイ5-44)など、人間の霊性に目覚めさせるための、数多くの偉大な教えが含まれていますが、中には、明らかに霊的真理と矛盾する記述もないわけではありません。例えば、ヨハネによる福音書(5-24)には、「わたしの言葉を聞いて、わたしをつかわされたかたを信じるものは、永遠の命を受け、またさばかれることがなく、死から命に移っていくのである」と書かれています。聖書によっては、これは間違いなくイエスのことばであるとして、わざわざ赤字で印刷しているものもあります。
 しかし、シルバー・バーチはこれは間違っていると断言しています。実際には、人間は一人の例外もなく死後も生き続けるからです。「何かの教義や信条、あるいはドグマを信じることによって永遠の生命を授かるのではなく、不変の自然法則によって生き続けるのです。それ自体は宗教とは何の関係もありません。因果律と同じ一つの法則なのです」というシルバー・バーチの説明は極めて明快であるといわねばなりません。L  
 シルバー・バーチは、この文句も、地上に大きな混乱のタネを蒔き人類を分裂させてきた言葉の一つであるといいます。いまの聖書に書かれている言葉は、イエスの教えを正確に伝えているとは限らないのです。むしろ、一部の信者によるとはいえ、曲解された教えは世界史のなかでも、十字軍の遠征や南米原住民の大量虐殺などに見られるような、少なからぬ暗黒のページを残してきました。「一冊の書物、それも宗教の書、聖なる書が、普通の書が起こそうにも起こせないほどの流血の原因となってきたということは、何という酷い矛盾でしょうか。宗教の目的は人類を不変の霊的関係による同胞性において一体ならしめることにあるはずです」と、シルバー・バーチも嘆きのことばを洩らしています。M 
 イエスの教えは、イエスの死後、時が経つにつれて、教会の聖職権を振り回す者たちによりその真理が虚偽の下敷きとなって埋もれてしまい、肝心の霊の威力は散発的に顕現するだけとなってしまいました。それをシルバー・バーチはこう言っています。「イエスの説いた真理はほぼ完全に埋もれてしまい、古い神話と民話が混入し、その中から、のちに二千年近くにわたって説かれる新しいキリスト教が生まれました。それはもはやイエスの教えではありません。その背後にはイエスが伝道中に見せた霊の威力はありません。主教たちは病気治療をしません。肉親を失った者を慰める言葉を知りません。憑依霊を除霊する霊能を持ち合わせません。彼らはもはや霊の道具ではないのです。」N 
 つまり、肝心の霊から離れてしまえば、その宗教的「真理」は真理ではなくなってしまうということでしょう。同じようなことは、神の摂理についてもいえるようです。神の摂理を、勝手に自分たちの宗教的「真理」で変えることはできません。たとえば、聖書には度々「イエスの赦し」についての記述がみられますが、ある時の交霊会で、キリストの赦しを受け容れることが愛の施しになる、と言うキリスト教の牧師がいました。それに対して、シルバー・バーチは、明快にこう述べています。「神は人間に理性という神性の一部を植えつけられました。あなた方もぜひその理性を使用していただきたい。大きな過ちを犯し、それを神妙に告白する― それは心の安らぎにはなるかも知れませんが、罪を犯したという事実そのものはいささかも変りません。神の理法に照らしてその歪みを正すまでは、罪は相変わらず罪として残っております。いいですか、それが神の摂理なのです。イエスが言ったとおっしゃる言葉を聖書からいくら引用しても、その摂理は絶対に変えることはできないのです。」O
 アメリカはキリスト教の盛んな国ですが、冒頭でも触れましたように、そのアメリカで、女優のシャーリー・マクレーンがキリスト教の枠を越えた『アウト・オン・ア・リム』を書きました。全米で三百万部以上の大ベストセラーとなり、ひろく一般の人々にも霊的真理を理解させていくのに大きな役割を果たしてきたといえるでしょう。日本でも、その翻訳によって、多くの人々に影響を与えてきたと思います。その本の、一九八六年に出版された日本語版のなかで、シャーリー・マクレーンは、「日本の読者の皆様へ」と題して、つぎのように言っています。

 私たちの人生に起きてくる悲劇的な事件でさえ、確かな理由があって起こっているのです。その確かな理由というのは、私たち一人ひとりの成長のために必要だからこそ起こっているということなのです。もし自分の人生は自分の内なる神を経験するためのものだと常に忘れないでいるならば、私たちの人生は輝きに満ち、一見悲劇に思えることも、実は悲劇ではないのだとわかるのです。P

 このようなことばは、シルバー・バーチの「宇宙間に発生するもので不測の事態、偶然の出来ごとというものは一つもありません。全てが規制され、全てが統御され、全てに神の配慮が行き届いているのです」という言葉を思い出させます。これが宇宙の真理であり、神の摂理です。大韓航空機事件や日本航空機事故などをも含めて、悲劇的な事故・事件の犠牲者の遺族の方々に対しては、なかなか言えないことばですが、私自身は、遺族の一人であっても私なりに理解できるようになりました。理解できれば、「犠牲者」が犠牲者でなくなることも分かるような気がしています。
 私たちは、この地球の上に生まれて進化しつつ生きています。その地球は広大な宇宙のなかでは米粒一つにもならないくらいの小さな存在ですが、その地球もまた、進化の過程にある天体のひとつです。そして、この地球もまわりの広大な宇宙も、そこで生じるあらゆる事態に備えた法則によって厳然と支配されていることを私たちは教えられています。つまり、宇宙には永遠にして絶対不変の法則があるということで、それを私たちは神と呼んでもいいのでしょう。そして、その宇宙の法則ないし摂理は、一分一厘の狂いもなく働きながら私たちを包容し、私たちがいろいろな経験を積んでいくなかで、霊性を向上させていくための機会を与え続けてくれているのではないでしょうか。
 その真実は、おそらく私たちの深層意識の奥深くにいまも秘められているのだろうと思います。私たちは、そのために自ら選んでこの世に生まれてきたからです。このささやかな講演集が、私たちは一人の例外もなく、霊性の向上を目指して宇宙の摂理の中で永遠のいのちを生き続けている霊的存在であることを、折に触れては思い出すひとつのきっかけになってくれれば幸いです。

 

 @ 大川隆法『霊界散歩』幸福の科学出版、二〇〇六年、一〜二頁。
 A ブライアン・ワイス『前世療法』(山川紘矢・亜希子訳)、PHP、一九九一年、二七一頁。
 B 坂本政道『死後体験』ハート出版、二〇〇三年、二五〇頁。
 C 坂本政道、前掲書、二四四頁。
 D 坂本政道、前掲書、二四五〜二四六頁。
 E 森田健『「私は結果」原因の世界への旅』、講談社α文庫、二〇〇五年、一八〜二三頁による。
 F 森田健、前掲書、九七〜九九頁。
 G 坂本政道『死後体験U』ハート出版、二〇〇四年、一二〜一四頁。
 H『シルバー・バーチの霊訓(三)』(近藤千雄訳)潮文社、一九八六年、六八頁。
 I『シルバー・バーチの霊訓(十)』(近藤千雄訳)潮文社、一九八八年、八二頁。
 J 前掲書、八二〜八三頁。
 K 前掲書、八三〜八四頁。
 L 前掲書、一八三頁。
 M 前掲書、一八三頁。
 N『シルバー・バーチの霊訓(三)』(近藤千雄訳)潮文社、一九八六年、一〇三頁。
 O『シルバー・バーチの霊訓(五)』(近藤千雄訳)潮文社、一九八六年、二〇三頁。
 P シャーリー・マクレーン『アウト・オン・ア・リム』(山川紘矢・亜希子訳)地湧社、一九八六年、二頁。



 既刊 講演集
   第一集「いのちを慈しみ明日に向かって生きる」(一九九八年)
   第二集「生と死の実相について」(一九九九年)
   第三集「光に向かって歩む」(二〇〇〇年)
   第四集「生と死の彼方にあるもの」(二〇〇一年)
   第五集「真実の自分を求めて」(二〇〇二年)
   第六集「いのちの真実を求めて」(二〇〇三年)
   第七集「永遠のいのちを生きる」(二〇〇四年)
   第八集「死を越えて生きる」(二〇〇五年)


    *これらの講演集は溝口祭典でお買い求めいただけます。
     *左記のホームページでも、お読みいただくことができます。

        http://www.takemoto-shozo.com


 謝 辞

 今年も十一月二十五日に、武本昌三先生のご講演をお願い出来ることになりました。「こすもすセミナー」の特別講演として、はじめて先生のご講演をいただいたのが一九九七年のことでしたが、今年はそれから十年を数えます。講演会の配布資料として、あらかじめ講演内容をまとめてくださった今回の講演集「宇宙の摂理のなかで生き続けるいのち」も、講演集としては九冊目になりました。毎年、このように、無償の社会活動を続けてきてくださっている武本先生に、まず、こころから厚くお礼を申し上げます。
 この講演集は、この講演会にご出席の皆様のみならず、弊社を訪れてくださる多くの方々にひろく読まれてまいりました。特に私たち葬祭を通してご遺族の方々に奉仕させていただく立場の者にとっては、いのちとは何か、私たちは、どこから来てどこへ行くのか、というような問題は、きわめて重要かつ切実な問題であり、葬祭の意味を真に理解するためにも、社員一同、真摯に学んでいかねばならないと肝に銘じております。
 今年は、弊社も九月から第二式場をオープンする運びとなり、九月二十七日には、これも毎年恒例となっております弊社主催のクラシック演奏会を、「オープン記念コンサート」として、第二式場で開催しました。このクラシック演奏会や特別講演会のほか、「こすもすセミナー」としての葬祭・仏事関係セミナー、人生問題セミナーなども随時開催してまいりました。私たちもまた、葬祭に携わる者としての社会的使命を自覚し、武本先生のご講演の趣旨も体して、今後とも、弊社を支えてくださっている皆様への一層のご奉仕に真心を添えていきたい所存であります。

 二〇〇六年十一月十日  株式会社 溝口祭典 代表取締役 溝 口 勝 巳