米ソ超大国に訴える
    ー 大韓航空機撃墜事件の真相公表を ー


 昨年九月一日未明、ソ連の戦闘機は、サハリン南西部で大韓航空機007便を撃墜した。私は同機搭乗者の遺族の一人である。かけがえのない妻と子を、同時に、一瞬にして虐殺された激しい怒りと、深く絶望的な悲しみは、事件後半年を過ぎた今もなお、少しも薄らぐことがない。

 領空侵犯があったとはいえ、ソ連戦闘機が、非武装の民間航空機を十分に確認しようともせず、強制着陸もさせず、いきなりミサイルを発射したことは、明白な国際法上の不法行為で、人道上も許すことのできない極めて冷酷な蛮行である。

 ソ連が主張しているように、仮りに同機がスパイ機であったとしても、乗客には罪がない。乗客はただ、所定の運賃を支払い、安全を疑わず、人間の善意を信じて、夜明け前のひとときをやすらかにまどろんでいただけではなかったか。多数の無辜の人命を奪った残虐は、いかに強弁を弄しても、断じて正当化できないことをソ連は知るべきであろう。

 一方、この事件に関しては、アメリカの人道性にも重大な疑念を抑えることができない。アリューシャン列島のシェミヤ基地などの米軍傍受施設によって、アメリカは二時間半にもわたって、007便の航路逸脱の全容を摘んでいながら、いったい何故、一片の警告も発しようとはしなかったのか。一月八日付の「ワシントンポスト・マガジン」で、バムフォード記者も述べているように、アメリカは同機を救える立場にありながら救わなかった。アメリカにとっては、二六九名の人命よりも軍事情報を得ることの方が大切であったからか。INSのインプット・ミス等だけでは到底説明がつかず、故意としか思えないような、あの、あまりにも異常な007便の航路逸脱は、このアメリカの非情な対応と関係があったのか、なかったのか。米ソ両大国のエゴの犠牲となって、冷戦の狭間の中で、無残に虐殺された家族の怨念を晴らすためにも、さらには、真の意味での世界平和を自分なりの立場で模索していくためにも、これらの真相を究明することは、私のみならず、遺族全体の一致した悲願である。

 事件後、アメリカはソ連と先を争って、ブラックボックスの回収に躍起になったが(あるいは躍起になっているふりをしたが)、あれが事件の全貌を解明するための努力であったとは信じ難い。むしろ特徴的なのは、米ソが十分な量の情報をすでに持っていると思われるのに、それを独占していることであり、自国に都合の悪い部分は意図的に覆い隠して、遺族の深い嘆きをよそに、情報を政治的にのみ利用しようとしてきたことであろう。

 真実は一つであって、超大国といえどもこれをいつまでも欺瞞で糊塗することはできない。米ソが人道の名において、事件の真相をいさぎよく公表し、謝罪すべきことは謝罪することこそ、超大国の矜持であり、ひろく、平和を愛する世界各国民の信頼を繋ぐ道であることを、私は米ソに強く訴えたいのである。

  ー1984年2月ー



 「付記」
 これは、N・H・Kの国際放送「日本の主張、世界の声」に投稿した日本語原稿です。本稿は約二十か国語に翻訳され、一九八四年三月の第一週に、「ラジオ・ジャパン」により、世界に向けて放送されました。