私たちはこう考える(2)

 ー1998年度 「比較文化論」 3千枚の学習ノートからー


     は じ め に

  今学年度の比較文化論は、125名でスタートしました。受講生が少し増えたのは、今年は2限目の10時40分から始まることになったからでしょうか。
 でも、始業が10時40分であれば、朝も少し時間的余裕ができるから、9時に始まるより遅刻が少なくなる、というものではないでしょう。かえって安心して、遅刻が増えることだってあるのかもしれません。
 今年も例年通り、始業のチャイムが鳴る前に教室に入っていただいて、チャイムが鳴り終わると同時に講義を始めるということで、一年間通してきました。遅刻者が途中で教室に入ってきて、私が叱りつけることもありましたが、それはいつも、きちんと時間を守って熱心に受講している多くの学生諸君の気持ちを乱して欲しくないという思いからです。
 私は、本当は、遅刻してはいけないとか、欠席するなとか言うのは、あまり好きではありません。もし講義がくだらないのであれば、遅刻しても、欠席しても当たり前だと思っているからです。立場を変えて考えればわかることで、私が学生で、私の教師がくだらない講義をすれば、私は平気で遅刻するというより、欠席するでしょう。そんな教師が多いのであれば、学校をやめるでしょう。
  もっとも、教師の立場からすれば、「すばらしい」講義をしているつもりなのに、学生が理解できず、「くだらない」と思われるのは心外だという嘆きもあるかもしれません。しかし、教育の場では基本的には、理由がなんであれ、学生にとってくだらないのは、くだらない講義なのです。
 遅刻と欠席に話を戻しますと、私は、遅刻や出席率にこだわっているのでありません。ただ時間が惜しいのです。皆さんの勉強を乱されたくないのです。私はあの90分の時間の枠内にどれだけの内容を詰め込めるか、何度も考え、プランをたて、準備をします。一回一回の皆さんとの出会いが、私にとってはとても大切で、これはあまり誇張ではなく、たとえ一分でも無駄にしたくはない気持ちがあります。私の一分は、125倍された125分だという意識があるからです。しかしこれは、私自身の問題です。皆さんにはちょっと忙しい思いをさせたかもしれませんが、今年もどうにか時間をフルに使った授業を続けることができました。
 一年間、たった24回の授業ですが、皆さんのこころに伝わってくれればと、いつも私が胸に抱いていた一筋の「願望」がありました。それは、大学に来て学ぶ意味であり、学問の目的は何かということです。それに勉強は楽しいということです。知識は力だということです。知らないで苦しみ悩むことからの脱却です。そして何よりも、真実の自分に目ざめるということです。
  私の気持ちは少しは通じたかもしれません。今年度は、一年間24回の講義に無遅刻、無欠席、毎回の提出ノートの評価がすべて "A" という受講生が12名もいました。教室でも発表しましたが、一年生では、荒井理恵さん、桜井理恵子さん、三上郁絵さん、佐藤亜紀さん、西村佐知子さん、早川陽子さん、福田典子さん、村山留実子さんの8名です。二年生では、田中真知子さん、蛯原幸江さん、古俣佐知子九さん、深山喜美子さんの4名です。毎年、無遅刻、無欠席で評価がすべて "A" というのは、四、五名は出ますが、12名も出たのは今回が初めてです。私はそれを大変有り難いことだと思っています。
  125名の受講生が24回の講義と期末の課題で提出してくれた学習ノートとレポートは、あわせて約3千枚にもなります。多くの皆さんが、感想をもらしているように、私たちは、この皆さんの書いた文章から、いろいろと学んできました。これらの文章は「一生の宝物」だと書いてくれた人が何人もいます。数が多くて、選ぶのがなかなか大変ですが、その貴重な皆さんの文章のうちのごく一部を、比較文化論での皆さんの足跡として、つぎに残しておきたいと思います。あの静まり返った教室での真剣な雰囲気を思い浮かべながら、皆さんもゆっくりと読み返してみて下さい。


   1 ことばと文化・日本語と英語 

  今日の資料のなかに、TOEFLの成績で日本は160か国中150位とあった。日本人は英語が苦手だとは思っていたが、ここまで低いというのには少しびっくりした。
  その原因がいろいろとあげられているが、私は、中学、高校の英語の授業はほとんど何も私にとってプラスになっていなかったような気がする。先生たちは教科書を読んで、ただひたすらに私たち生徒に訳させる。そして少しでも先生の訳と違うと、その訳を直される。中学、高校とずっとその繰り返しであった。先生たちの発音も全く日本語読みだ。そんなことにも私たちはすっかり慣れてしまっていた。
 一番学んだことが身につきやすい時期に、こんな英語ではなくて、もっと中身の濃い本当の英語を学びたかった。(英1C 戸口叶子)

  英語を母国語としない人向けの TOEFL (外国語としての英語試験)が世界各国で実施されていますが、昨年(1997年)の日本は、165か国の中で150位でした。アジアで日本より下の国は、モンゴルと北朝鮮だけのようです(「朝日」'98.10.15)。
  おそらく世界でも例を見ないほどの、時間と労力と金を費やしながら、何故こういうことになるのでしょうか。この新聞の記事では、編集委員・船橋洋一氏が、まず一番に教師が悪く、それから受験英語が悪い、と述べています。私も教師の一人ですから言いにくいのですが、私もそう思います。とにかく、日本では、日本のいわゆる「受験英語」は多少できても、生きた言葉としての英語ができない、教えられない「教師」がまだまだ多すぎるのです。
  ことばは読み書きももちろん大切ですが、なによりもまず、話し聞くことができなければなりません。話し聞くことのできないことばは、もはやことばではありません。ことばでもない「英語」を英語のつもりで教え続けさせることの愚には、もうそろそろ国民全般のレベルで気がつかなければならないと思います。来る二一世紀は、否応なしに英語の世紀になるといわれている現在であれば、なおさらのことでしょう。

  私は去年の夏、イギリスへの英語海外研修に参加していたので、今日の講義で学んだ英語と日本語の違いはその時にも 先生から教えてもらっていた。しかし、何度聞いても頷いてしまう。
  "river"は「川」ではない、"mountain"は「山」ではない、と言われても、はじめは何のことかさっぱりわからなかった。"sparrow"もなぜ「すずめ」ではないのか。このことを 先生のお話や本などの説明を聞いて初めてわかったとき、どれだけ感動したかいまでもよく覚えている。
  しかしこれらのことは、本当は今になって感動すべきことではなく、もともと知っていなくてはならないことなのだ。
 英語を日本語に訳すことが英語学習のすべてではない。ことばと同時に文化を知ってこそ初めて英語が身につくのである。(英2A 長谷川智美)

  この時間には、私がロンドンに住んでいた1990年の暮、クリスマス休暇をパリで過ごした時に撮ったビデオを見ていただきました。
  サクレ・クール寺院の下の石の階段のところで、一人の若い女性が「雀」に餌を与えている場面を写したものです。しかし、餌を与えるといっても、まわりにばらまいているわけではありません。女性がさしのべた手の平に多くの雀が群がって、手の平の上の餌を食べているのです。別の機会に、ノートルダム寺院の裏庭でも、ベンチに腰掛けた老人の手の平に群がって餌を食べている雀を見たことがありますが、パリの雀はこのようにあまり人間を恐れないのです。
  このような光景を、私はスコットランドの片田舎でも目撃しました。日本では見られないことで、これがこの講義のはじめにもお話しした稲作文化と牧畜文化の違いでもあるのです。
  フランス語では雀のことを"moineau"といいますが、このmoineauであれ、英語のsparrowであれ、日本語に直訳して「雀」と丸暗記してしまうと、この手の平に群がって餌を食べているmoineau や sparrowの姿が見えなくなってしまうのです。
  私が撮ったビデオはちょっとしたショックであったかもしれません。「・・・無知の恐ろしさ、自分自身の視野の狭さを感じた。よく私は、視野を広げたいとか口にしてきたけれど、何もわかっていなかった。何が視野を広げることなのか、何をするべきなのか、視野を広げるとはどういうことなのか、ほんの少しではあるが、そのきっかけが掴めた気がする。このような違いにもっと興味をもって、これからの勉強に取り組んでいきたい」(英1A 阿部加奈子)というような感想がいくつかありました。
  この時間にはもう一つ、洪水についてのお話もしました。洪水は"flood"ではありません。洪水は、日本では夏や秋にしばしば大きな災害をもたらし、悲惨なイメージがありますが、イギリスや他の西欧諸国の"flood"には、そのような悲惨なイメージは全くなく、冬の、あるいは初春の、ちょっと誇張して言えば、一種の「楽しい」風物詩でさえあるのです。
  イギリスの気候は、日本とは逆で、夏は乾燥して冬は湿潤である傾向が強いことも私たちはみてきました。一般的には雨量も日本の半分ほどですが、その少ない雨も、夏よりもむしろ冬に多く降りがちです。
  地形も、特にイングランドの東南部は、広々とした一続きの平野で、これがイングランドの3分の2を占めています。その北部にはペンニン山脈がありますが、その中で最も高い山クロス・フェルでさえ893メートルですから、あとの山もたかがしれています。
  湖水地方のカンブリア山地は、例外的に高い山が多い地域で、そのなかのスカフェル山は九七九メートルですこれがイングランドでは文字通りの最高峰ですから、急峻な山地の多い日本とは違って、イギリスの地形がいかに平坦であるかがよくわかります。"mountain" は「山」ではないし、"river"も「川」ではないという意味はこういうところにもあります。"flood"も、まったく災害ではなくて、冬のひととき人々の目を楽しませてくれる幻の広い水たまりであることは、私の本『イギリス・比較文化の旅』のなかでも述べてあります。


   2  日本の社会と文化・自分らしく生きる

  「変わっているね」と私は友人や先輩から言われる度に嫌な思いをしてきた。心の中ではいつも、どうして他の人と違 うことはいけないの、と思い続けてきた。それでいて実際は、周りの人に合わせなくては、同じようにしなくては、と無理に自分を抑えてきた。他人と違うことをするのがひどく怖かった。
  そんな私に、「別に無理して他人と同じにしなくてもいいのではないか。そのほうが君らしいから」と言ってくれた人がいた。こんな風に言ってくる人がいて本当によかった。そ のことの意味が、今日やっとわかった気がした。
  このことばの意味も、この講義を受けていなければ気づくことはできなかったであろう。私は改めて自分の生きている世界の狭さを感じた。本当のことを知るということは幸せだと思う。今日はじめて、ビデオの歌を聴いて私は泣いた。(生1B 佐藤千恵)

  私が風土の違いから割り出した、日本の「狭い閉ざされた三角形」に対する西欧の「ひろい開かれた円」という図式は、日本人と西欧人の人間関係の相違にももさまざまな形で象徴的に表れているような気がします。
  村人意識の延長といってよいのでしょうか、日本人はまわりの人々のことを常に気にして、全体的な行動様式に迎合しようとする傾向が強いようです。欧米では、ひとの真似はするな、と教えるのに、日本では「出る釘は打たれる」で、個性を発揮して独自の道を歩むことは、決して容易ではないのです。
  あるアメリカの文化人類学者は、このような日本人の特性を小川の中のメダカに例えました。群をなして泳いでいるメダカの前に小石をポトンと落とすと、メダカの群は一斉に向きを変えてまた同じように群をなして泳ぎます。全体としての存在感はありますが、個の姿は希薄で見えにくいのです。
  日本人も集団で行動するときは、このメダカのように、ある程度の力と能力を発揮しますが、ひとりひとり、バラバラにされれば、単独ではどのように行動してよいのか判断する力が弱くなってしまう傾向があります。物事を判断するのに、すぐ、前例はあるのか、とか、ほかではどうしているのか、を問題にしがちなのもそのせいかもしれません。次のようなノートもありました。

  いままでずっと、人が自分をどう思っているかを気にしながら生きてきた。服装から髪型、持ち物からしゃべり方まで、自分がどう思うかの前に、人は自分をどう思うかを気にして行動してきた。雑誌をみては真似をし、人を見ては真似をして生きてきた。
 今日の講義を聴いてはっとした。いままで何となく気づいていても口に出して言えなかったことを先生がすべて言ってくれたからである。自分は人と違うから自分なのだ。人の真似をする必要はないのだ。そう思うと、少し楽になったような気がした。
人のことを気にせず、自分の思うように生きていくことは難しいことだと思うけれども、これからは自分らしく生きていくように努めていきたい。 (英1A 中井香奈子)

 今日、この比較文化論の時間に、まさか尾崎豊やさだ・まさしの歌を聞くとは思わなかった。そして、先生のことばひとつひとつが今まで私が日々思ってきたけれど口には出せなかったこととぴったり重なって、思わず涙がこぼれてしまった。特に、「みんな叫び出したい素直な気持ち」を持っているということ。本当に私はそう思う。
  ひとりひとり誰もが素敵な個性を持っているのに、なぜかいまの時代は、みんな心がなくなっていて、熱くなるのがかっこ悪いとでも思っているような気がする。私はいま、生芸の学生だが、短大の授業でも、高校の進学用の授業でも、中学のやけに厳しい授業でも、こんなに心にぴったり合って、感動して泣いたことは一度もなかった・・・(生2B 飯塚厚子)

  日本では、個は常に全体の中に埋没してしまっていて「自分らしさ」を出そうとしたら、まわりからつまはじきにされかねません。本来は、自分は他人とは違うから自分であるはずですが、そういうことにも気がつきにくい社会の中では、人々はしばしば、個と全体との狭間のなかで苦しみもがくことになってしまいまうのでしょう。
  他人を基準にすれば、自分は他人にはなり得ないのだから、常に劣等感にさいなまれることになります。逆に自分を基準にすれば、いわば「いつでも自分が一番」になる道理で、それが個性の発揮につながっていくのだと思います。
  ここで一つ、注意しておかねばならないことは、授業でもたびたび言ったように、比較文化論で日本と外国の文化をいろいろと取り上げ比較していく場合、文化の優劣を論ずるのではありません。文化には優劣はありません。違いがあるだけです。 私が示した「狭い閉ざされた三角形」というのは、日本の風土的特質を表したモデルですが、この生活環境の中で日本人は、視点の低い、視野の狭い文化を生み出してきました。これは、視点の高い、視野の広い西欧文化とは対照的で、だから、考え方もことばも大きく違うのです。そして、視点が低く、視野が狭いが故に、ものごとを深く、細かくみることもできるという一面も持っています。そのことも、講義の中でいろいろと説明してきました。

  今までは欧米の視野の広さの美点を教える授業が多かったので、欧米文化の良さだけが見えて、日本文化の良さは見えなくなっていた。今日この比較文化論の授業を受けて、突然日本文化の良さが見えるようになった。
  視野が狭いということは、広く大きいものを見にくい欠点はあるが、その分、欧米文化では見えない細かい所までよく見えるということを知り、日本文化をこれから悪い面だけでとらえることはないだろう。
  虫の声が聞こえたり、草花などのひとつひとつの違いを細かく判断できる日本文化も私は好きだし、広い視野で物事を 見る欧米文化も大切だ。どちらの文化が良いとか悪いとかではなくて、良いところもあり悪いところもあるだけで、どちらも素敵なのだ。
  今まで日本文化を悪く見過ぎていた気がするが、せっかく日本人として生まれてきたのだから、日本の良さももっと知っていこうと思う。(英2C 石橋ゆかり)

  今日私は、日本人である自分がとても好きになった。日本人の多くが他人の目を気にするが、それは日本人の視野の狭 さがらきているが、視野は狭いかわりに深いのである。狭くて深い、この日本人特有のものの見方が、美しい日本語を作り出し、「わび」、「さび」のこころを生み出したのだ。現在はこの狭くて深い日本人のものの見方がとても誇りに思えるようになった。
  広い世界の中で日本人を考えると、本当に独特な文化を持つ特殊な人間であるが、この繊細な心配りのようなものは(今は少し失われてきているようであるが)大いに誇れるよ うに思う。私も日本人の一人であるのだから、日本人として生まれたことを誇りに思い、日本人のいいところをもう一度見直してみることにしたい。(生2B 鈴木美玲)


  3  真実の探求・ものの見方について

  私は今日の講義を受けるまで、「生きている」ということの大切さを忘れていた気がする。この世に生をうけていなければ、考えたり、悩んだり、喜んだりすることさえできない。自分というものがこの世の中で「無」という存在になってしまう。存在さえないかもしれない。
  私は日常生活を生きていることを当たり前と思い、常に満たされていない自分がいて、生きることにさえ不満に思える時期もあった。いまは、生きることの原点に戻り、自分の持っている感性を大事にしたい。他人と自分を比べて劣等感を感じることなく、自分という存在を大切にして輝いて生きていきたいと思う。 この講義を受けて、生きることの大切さを思い出すことができてよかった。(英1C 早川陽子)

 今日配られた資料の中の林美和さんの文章を読んで、私は彼女に絶望を感じなかった。ことばは痛々しいものばかりだったけれど、人を信じられない自分を心の中ではすごく悲しいと思っている。本当は人を信じたい、愛したい。信頼し合いたいし、愛されたい。そういうこころの葛藤が両親を憎むといった形で表現されているだけで、きっと気持ちはみんなと同じではないかと思った。
  それに、この世に絶望している人に、あの文章は書けない。彼女は、あのようなこころの叫びを世に訴える勇気を持っている。誰にでもできることではない。その彼女の勇気を、人を信じる力に結びつけていってほしいと思う。(生1A 黒田純子)

  林美和さんの文章を読んで、「かわいそう、世の中にはこういう人もいるのだ、私はとても幸せだ」というのが、すぐに頭に浮かんだことばである。
 今までの講義で沢山のヒントを与えられ、ものの考え方を学んできた。そして私なりの意見を築きあげてきた。講義を受ける数を重ねる度に自分の成長を感じてきた。それなのに、今日私は、冒頭のことばのような感じをもってしまった。多くの事実を知ったつもりなのに、まだ何もまわりがよく見えていなかった。
 考えてみれば、未だに小さなことで人を傷つけたり、恐れたり、悩んだり、泣いたりの毎日だ。宇宙の広さのなかでは、そんなことは何でもないことなのに。私にはまだまだ沢山の真実を知る必要がある。(英1A 角井 恵)

  この時間には、林美和さんの新聞投書を資料として使いました。その投書は、「お父さん、お母さん、私があなた方から教わったことは、人は信じられないということ。人を憎むということ。人間は醜いものであるということ。そして、この世に生まれてくるのは最大の不幸であるということーーただそれだけだった」と結ばれています。
  いろいろな人々がこの投書に反応を示しました。ある61歳の学院長は、「涙がポタポタと新聞紙の上に落ちてしまいました。理由が私にもわからないのです」と書き、またある57歳の主婦は、「あなたも、もう独立なさっているのですから、なぜ自分が疎外されたのか、徹底的にお尋ねになるべきだと思います。復讐ということでしたら、ぼけない前で、親が年をとり弱くなった時に問い詰めることです。お前たちの性の営みがなければ私は生まれなかったのだと、はっきり言っておやりなさい」と、激しいことばを並べていました。
  このような問題は、どう考えていけばよいのでしょうか。はっきりしていることは、単なる、涙を流すだけの同情や、復讐の勧めでは、少しも問題の解消にはならないということです。「さあ、あなたが意見を求められたら、どう答えますか?」という私の問いかけから、この日の授業は始まりました。そして私たちは、視野を広げ視点を変えて、生まれるということはどういうことか、生きる意味は何か、という問題の真実を解く手がかりを探っていくことになったのです。

  事実を知ったことで、何か自分の中で大きく変化するので はないか。私たち人間がこの世に存在できるようになるまでに、計り知れないほどの年数がかかり、そして、勝者であるものだけがこの世で生き抜いていく。私たちは、この世に生まれたことがどれほどすばらしいことかという認識をどこかに置き忘れてしまっている。だから、生きているのがつらく、劣等感にさいなまれたりするのである。このことはすごく悲しい。
  私たちは、誕生に至る事実を知りもしないで、安易に「この世に生まれてくるのは不幸である」などとは決して思ってはならない。生きていることのすばらしさを感じ取らなければならないと、強く思った。 (国2C 五十嵐聖子)

  現代のこの世の中で、自分を見失わず、流されずに生きていくことは難しいことだと思う。これだけ沢山の情報があふれている今日、一体私たちは、何を見て、何を聞き、何を信じればよいのか。しかし、そんなことは問題ではないことを、私は今日理解した。
  今まで、自分と他人を比べることで得たものがあっただろうか。それはすべて無意味なもので、私の人生にとって空虚でしかない。そんなことより、ずっと今まで、苦しいとか、辛いとか感じた経験のほうが、本当は自分にとってどれだけ貴重なものであったか。そのことを改めていま感じさせられている。(英1A 川村明子)

  「人が人生で直面するありとあらゆる困難、試練、喪失などで、否定的なものは一つもありません。それらは生きる意味を学ぶために神様がくださった贈り物です」ということばに私はとても感動した。今まで生きてきて、「どうして私だけ・・・」と思うことがあったけれど、このことばに救われたと思う。
  私は私だから尊い存在で、人の真似をしたら私がここにいる意味がなくなる。一人一人が違うからこそ、この世界に存在している意味があるのに、それをつぶしてしまったら、自分が消えてなくなってしまう。それほど個人の存在というのは大きいのだ。神様が私という人間にだけ与えてくれたもの、それはその時には辛くても必ず後には自分にプラスになるものなのだろう。この世界に生を受けた限り、自分はいつも自分でなければならないと思った。
 (英1C 吉村章子)


  4  発想の転換・生きる意味について

  今日のビデオで、人間が本来持っているのに使っていない能力の大きさを見せつけられたような気がした。私は、実際にその手がないという女性の生活を見るまでは、手がなければ一人でできないことがたくさんあってさぞ大変だろうと思っていた。でも、いま思うとそれは大きな間違いだった。足で洗濯物が干せるなんて、食事ができるなんて、ましてや字が書けるなんて。信じられないけれど本当のことだ。
  五体満足で産まれてきた私は、もちろん幸せだと思う。でも、それ故に自分の持っている沢山の能力に気がついていないのだろう。私も彼女と同じ人間なのだから、もっともっといろいろなことができるはずなのに、「できない」と思いこんでいたことが多すぎた気がする。
 (英1A  船木南里)

  東京の渋谷に西野塾という気の道場があります。西野バレエ団代表で、西野流呼吸法を主宰する西野皓三氏が、人間に備わっている生命エネルギーとしての気の使い方を教えているところで、塾生は東京、大阪合わせて数年前は五千人くらいいました。建設省の局長をしていた友人から勧められて、私も昔、半年ほど通ったことがあります。
  この道場では、西野氏が気を浴びせると、触りもしないのに屈強な若者たちが十数メートルも飛ばされていきます。その気の使い方を、天才だけの秘伝とせず、誰でもできる単純な方法に一般化して教えているのが西野流というわけです。私は、「誰でもできる」という友人の話に興味をもって通い始めたのですが、本当に若い女性のお弟子さんたちが、次々に気を放って人々を飛ばしていました。「科学」では考えられない不思議な世界で、私は人間が誰でも持っているという生命エネルギーの偉大さに圧倒されていました。
  これは、人間の本来持っている能力を示す一つの事例にすぎませんが、人間とは何か、自分とは誰か、を考える上でも大きなヒントになるような気がします。私は、自分は弱い存在だと思いこんでいる人々に、人間である以上みんなこんな能力もあるのだということを、話すようにしてきました。サリドマイド児であった吉森こずえさんの生き方も、そのような大きな人間の潜在能力を示しているといえるのではないでしょうか。

  私はいつも日常の生活に物足りなさを感じ、「何か夢中になれるもの」を求めていた。しかし、何をやっても満たされて気持ちになることはなかった。
 今日のビデオを見て、私はハッとした。吉森さんの動作の一つ一つには「生きている」という強いパワーがみなぎっていた。私が普段何も考えずに、無気力のままに行ってきた動作が、彼女の場合には輝いて見えた。
  私は、自分の考え方や悩みの小ささに恥ずかしくなった。いつもこんなに他人の評価を気にしている暇があったら、もっとこの貴重な一瞬を大切にしなければもったいない。今日の講義を受けることができた本当によかったと思う。(家2A  池田和代)

  今日の講義で先生が、「右手が使えなくなったら左手を使えばよい、両手が使えないなら足を使えばよい、目が見えなくなったら全身が目になる」と言ったとき、私はそれが理解できずに唖然としていた。しかし、授業を終えてその意味が少し分かった気がする。
  たしかに私はいままで甘えて贅沢して生きてきた。高校卒業の時に担任の先生に「何かやり残したことはないか」と聞かれても何も感じなかった。でもいま思うと、すべてが中途半端であった気がする。いろんなことを私にはできないと決めつけていた。ただそれは、「できない」のではなくて「やらなかった」ことだと気づいた。
  これからはもっと自分の才能を生かしたい。世界に一人しかいない私なのだから、自分のことを少しずつ認めてあげていきたいと思う。そして、これからの人生で「やらなかった」ことがないように生きていきたい。(英1A 小川真希子)

  ビデオの中で、吉森こずえさんは、「私は、手があったらいいなとか、手がないから悲しいとか、一度も思ったことはありません。これが自分で、生きていくのにも、これが生まれつきだから、不自由ではないと思っています」と言っていました。聞いていてただ頭が下がるようなことばです。そして私たちは、星野富弘さんのビデオも見て、人間の能力や人間にとって幸せとは何か、と考えていきました。

  今日の講義で星野富弘さんのビデオを見て、私の中に何かこみ上げてくるものを感じました。「人は失ってから失ったものの価値に気づく」と、ビデオの中で語られていたことば がとても印象的でした。
  星野さんは事故で手足を不自由にしてしまったけれど、あんなにも輝いていました。あの輝きの中には当然、苦しみが あったと思います。自分が強かったとか、立派であったなどと思い込んで地に足がついていなかった時の自分としっかり向き合っていった星野さんの姿に感動しました。
  それと同時に、私は自分がどれだけ楽な道へと逃げてきたかを思って恥ずかしくなりました。これから先、どんな困難や苦しみにぶつかっても、自分を見失わないで、光り輝く可能性を信じていきたいと思います。(英1A 山崎志都)
 
  重度障害者の星野さんは、クリスチャンとなって結婚しますが、その時のナレーターの「何気なく見えるこの結婚式の裏の、深い意味をお考えいただければ幸いでございます」ということばが印象的でした。その星野さんは色紙に、「わたしはあなたのみおしえを喜んでいます。苦しみに会ったことはわたしにとってしあわせでした」と書いていました。

  今日のビデオを見て、自分の弱さを感じた。障害を持っている星野さんのほうが私よりずっと強い。そして奥さんも自ら辛い道を選んでいる。障害を持っている人と結婚するなんて、今の私には考えられないことだ。まわりの人たちからは、大変だと思われているだろうが、でもその結婚は彼女にとっても星野さんにとっても、とても幸せなんだろう。  
  彼らの顔はとてもよかった。こころが穢れていなかった。毎日起こる楽しいこと、うれしいこと、悲しいことのすべてを優しく受け止めることが出来ていた。彼の描く絵と文章は、私たちを限りなく励ましてくれる。すばらしいことである。私自身は、身近なもののすべてが当たり前で、その大切さに気がつかないでいる。人は何か障害でも持たなければ、そういう物事の大切さにも気がつかないのであろうか。そう思うと少し悲しい。(英1A 石崎加奈)


  5  無知と偏見・人間とは何か

 今日のビデオを見て驚いた。自分が優れていると言われたらテストの成績が上がって、劣っていると言われたら、点数が下がっていた。先生が、自分がだめな人間だと思ったら本当にだめになると言われていたが、今日のびでおを見て本当にそうなのだと思った。私も自分にはこんなことはできないと思うことがあるけれど、それは自分ができることでも出来 なくしてしまっているのだと気がついた。
 これからは自分をもっと信じていきたい。でもそのためには、信じられる自分でなければならない。いろいろな知識を身につけ、努力することも必要なのだろう。(英1C 加藤優美子)

  ビデオを見て、エリオット先生のような人がいてよかったと思った。子供たちの瞳の色で差別することは、はじめは無理があるのではないかという気がしたが、素直な子供たちは、本当にそのとおり思いこんでしまった。差別される側の人々の気持ちを考えるのには、いい授業のやり方だったと思う。
  この授業で、改めて自分の思いこみというのがすごい力を持っていることがよくわかった。いいように考えれば物事は 良くなるし、悪いように考えれば悪くなっていくのは当然なのだろう。私は、日頃どうしても後ろ向きの考えで過ごしていることが多い。それは自分に自身を持っていないからであるが、それは同時に、自分の向上する力を押さえつけていたことにもなる。
  落ち込んでしまうよりも、前向きな考えでいたほうが結局はきっと良い結果になるのである。前向きな考え方を是非習慣づけていきたい。 (英1C 五十嵐まゆ)

  この「青い眼、茶色い眼」は、アメリカの小学校で、人種差別の愚かしさを教えるために取り上げた実験授業でした。差別する側は気がつかないことが多いのですが、差別されるといかに人間がこころに傷を負うか、そしてその結果、本来持っている能力を低下させてしまうか、この実験によく表れていると思います。そして、日本人は気がつかないことが多いのですが、実は、先進国のうちでは、日本人はおそらく最も人種差別意識の強い国民だということも、私たちは見てきました。
  日本人というのは、風土的な生活環境と長い社会的歴史的背景の中で、いわば、村人的意識が強く、よそ者とのつきあいに慣れていない、またはそのために、よそ者を疎外したがる傾向があります。異文化の中で育った帰国子女などは、だから、時には陰湿ないじめの対象になりかねません。ビデオの「絆」も、アメリカ文化と日本文化の狭間の中でいじめにあって苦しむ帰国子女の話でした。

  日本人とアメリカ人の視野の違いをはっきり見せつけられた講義だった。講義の中のビデオを見た私たちは、きっと誰もが「なんてひどいんだろう」と思ったに違いない。だが実際、目の前でいじめが起こったとき、止めに入る人はほとんどいないだろうし、私にもできないと思う。それは日本の文化で育ってきたからだ。
  自分の意見をはっきり言えず、まわりと違うところがあると、みんなから嫌われる日本人。そうなっていた自分に気づくのと同時に恥ずかしさがこみあけてきた。このまままわりと同じように生活していくことが、いじめなどを避ける一番良い方法なのだろうが、このままの自分でいたら私は一生自分を好きになれないし、自身を持つこともできなくなる。早く自分を好きになりたいと思った。(英1C 利根川 睦)

  私は今日のビデオを見て、改めて日本人の視野の狭さを知りました。多くの人が自分とまわりの数人の人間を基準にして、それとは違う在り方を少しも許さず生きているのです。
  数年前私は、日本という小さな空間のなかで押しつぶされそうになり、オーストラリアへホームステイに行ったことが あります。そこで私が感じたことは、みんなが「自分自身を持っている」、ということでした。洋服や靴を買うのでも、あるいは自分の生き方を選ぶのでも、みんな誰の真似をするというのでもなく、本当に自分に合ったものを選んでいたのです。 
  そんな彼らを見て私は何故か無性に靴をぬぎたくなり、裸足で歩き始めました。しかし、裸足で歩いている私を見て、誰一人笑う人はいませんでした。その時私の中で何かが変わった気がしたのです。その何かが今までわからなかったけれど、今日この講義を受けて、それは自分らしく生きることのすばらしさを知った瞬間であったような気がします。
  (英1C 林 志津花)

  今日のビデオを見て、とても腹立たしい気分になった。今とてもいじめが問題になっている日本では、こうした文化の違いが原因で起こるいじめはどこでもあり得ると思う。
  何年か前に、在日朝鮮人の女子学生が制服としてきている チマ・チョゴリを日本人から切り裂かれる事件が起こったのを思い出した。この人たちは、ただチマ・チョゴリを着ているだけでこうしたいじめにあっていたのだ。あのとき私は日本人として恥ずかしく思い、不愉快になった。
  残念ながら日本人は、よく人を差別の目で見ることが今でも多い。やはりこれも日本が生んだ視野の狭い文化が原因なのだろうか。(英1A 三上郁絵)


  6  幸せとはなにか・自分を見つめる

  今日は後期第1回目の授業で、いままで自分が書いたノートが11回分全部返された。ノートを読み返してみて、すごく興味深かった。私は自分の書いてきたことに感動していた。
  この授業を受けて、私はひとまわり大きくなったとこころから思う。今では、少しくらい苦しいことや嫌なことがあっても、これは必然なんだと思えるし、鏡を見て「あーぁ、なんてブスな顔」と思っても、「でも、これも私」と受け止め られるようになった。こういうことが日常生活の中で、全く普通に行えるようになっている。
  今までの私だったら、マイナスの方向ばかり考えて、劣等感の中でつまらなく生きていたであろう。この先もこの授業 で私は何を得ることができるのか。得たもののすばらしさを思うと、体がうずうずしてくる。(英2A 菅沼亜矢)

  この菅沼さんは、この3週間後、次のような文も書いています。これも続けて読んでください。  

  今年の夏休みに入る少し前ぐらいから、私はアルバイトの友達に、「菅沼さん、すごく明るくなったし、変わったね。何かあったの?」と言われた。また別の友達からも「変わったよね、きれいになった」と言われた。私はこの講義を受けるようになってから、それまでやっていた「化粧品を片っ端 から試してみる」ことはやめたし、外見を繕うことで気を使ったこともない。自分から変わってやろうと意識もなかった。
  友達から「変わった」と言われるのは、やっぱり比較文化論の講義のおかげだと、つくづく思う。私の中の作られていた「有限の私」から、本来の「無限の私」へ変わっていったのだろうと思う。


  前期の講義は12回で、その間に私たちは、日本とヨーロッパの風土の比較、ことばの違う意味、自然的背景、社会的背景の相違などを、学んできました。広くて浅い視野でものをみるヨーロッパ人と、狭くて深い視野をもつ日本人とでは、いろいろとものの考え方が違います。私たちがいいと思っていることが悪いこと、悪いと思っているのがいいこと、というような違いも少なからずあるのです。だから、視点を移し、視野を広げて見るということは、真実を掴むために大変重要なアプローチになると言えるでしょう。
 盲人と象のたとえ話で説明しましたように、狭い視野だけで捉えた事実は、しばしば、真実とは遠いところにあります。視点を移せばまた違う「真実」が見えてくるからです。私たちはこの日本とヨーロッパの文化比較の中でみてきたこの柔軟思考と視野拡大のアプローチを、私たちの生き方の問題にも取り入れて、考えようとしてきました。

 夏休み中に私は、とても魅力的な女性に出会った。その人はとても前向きで、輝いていて、私はなんだか自分がつまらない人間に思えて仕方なかった。どうして私は、あの人みたいな人間ではないのだろう・・・と思って、二、三日間憂鬱で、何もする気になれなかった。
  でもそんな時、ふと、比較文化論でいつも言われていた、「他人と自分を比べても無意味である。それよりも自分を好きになりなさい」という先生のことばを思い出して、急にスーッとこころのもやが晴れるような気がした。少し気がつくまで時間がかかったが、私は私。比べている時点で私は彼女に負けている。そんなことに悩む暇があったら、自分がするべきことを一生懸命にやろう、と素直に思えた。
 よく考えてみると、私がその女性を素敵だと思った理由は、彼女は自分という人間をよく知っていて、自分に自身を持っているように見えたからだ。私が自分に自身を持てるようになる時、それは自分が何かに一生懸命がんばっていると思える時だと思う。それに気づかせてくれたこの授業に本当に感謝している。(英1A 船木南里)

  毎回、講義を受けた後は、先生のおっしゃったことを心の中で何度も繰り返し、一生懸命に考えてきました。それは形 がなく見えないものだから、しっかりこころにとどめておきたかったのです。
  今まで苦しかったり、悩んだりした時期があったけれど、私は少しずつ乗り越えてきました。そこから人の優しさなど沢山のことを学び、前を向いて進んでいけるようになりました。普段なんでもなかったものにも、幸せを感じることもできるようになりました。
  いい子でいなければならないとか、人の目を気にしたりす る必要は全くないと思えたとき、すごく自分がらくになりました。自分をもっと大切にして、自信を持って生きていこうと強く思いました。 (英二A 榎本さゆり)

  私は、幸せとは一体何だろうかと、時々考えます。お金に困っているわけでも、ものに困っているわけでもありません。でもどうしてか、こころが満たされないのです。
  ある人が私に、「どうしてあなたはそんなに働いて、ブランドものや、洋服を買ったりするのか」と聞いてきました。 私は、「友達が持っているのに私が持っていなかったら変に思われる。あなたは、ブランド品や新しい服を買わなくてもいいの?」と言いました。その時その人は、「変に思うよう な友達ならいらない。そんなものにお金をかけず、もっと自分のしたいことのためにお金を使う」と言いました。
  その人は、大学に行かずフリーターをしています。私は自分が短大に行っているというだけで、その人を見下していた ような気がします。
 日本がどんなに豊かな土地であり、気候であり、物質的に裕福であっても、それに幸せを感じることができずお金の使い道もわからない私より、その人のほうが本当の幸せを知っているような気がして、いま私は自分を恥ずかしく思います。
  そして、この講義を聞かなかったら、その恥ずかしいことさえ気づかなかったであろう自分を、もっと恥ずかしく感じました。(英2B 内海聡子)

  1年前の私は、自分という人間を押さえつけていた。毎日毎日、予備校に通う日々。本当は絵を描いたり、楽器を吹いたりしたいと思っていた。でも、その頃の私は、そんなことをしたらだめな人間になってしまうと思い込んでいた。だから、自分の思いを押さえつけても勉強した。しなければならないと思った。その結果、去年の私はよく体をこわした。今考えると、少しは休みなさいという、神様からの忠告であったのかもしれない。
 今の私は、本当の自分を押さえつけているようなことはしていない。最近友達からは、「ちょっと疲れているんじゃな い?」とかいわれるけれど、それは全部自分のしたいことはしているからで、体は疲れているかもしれないが、気分は爽快だ。「病は気から」ということばがあるが、まさにその通りかもしれない。今日の講義で、何事も考え一つで大きく変わるものだと知った。(生1A 玉川喜美子)

  高校生だった頃、髪を金色にブリーチして街を闊歩していた時期がある。周囲の人は、親への反抗だの、学校への挑戦だの、いろいろと言ったが、それは当時の愚かな私にできる最大級の自己主張であった。何よりも早く私という存在を誰かに見つけてほしかった。ただ、寂しかったのだ。
  その結果、それは多くの誤解を招き、私は今度は他人の中に隠れてしまうことを望むようになった。間違ったのかもしれない、ここで。私は、考え方まで感化され始め、今度は自分がちょっとでも周囲と違う人を見ると、後ろ指を指す側になってしまったのだ。
 「己の尺度は己にも使われる」とイエスは言った。このままではいけない。そう思って最近変わりはじめている。自分とまわりのすべてを受け入れられるように、そして、自分自身で道を見つけ歩いていけるように。(英1C 鈴木和恵)

  私は最近、他人の言うことをわりに素直に聞けるようになったと思う。と同時に、自分のまわりには私のためにいろんなことを言ってくれる人がたくさんいることにも気づいた。
  以前は、何に対しても余裕がなくて、常にピリピリしていた。今考えるととても恥ずかしいと思う。夏休みの長い間に私はいろいろと考え、考えていくことで自分にも余裕ができた。落ち着いて物事を進められる現在の状態に私は満足している。
  今の私は、前のように自分に無理することがなくなった。自分のまわりに、私のためにアドヴァイスしてくれる人がい ることをとてもうれしく思う。この授業と先生に感謝したい。(英1C 樋口恵子)

  毎回、この講義を受けていて、私はいろいろ考えることが多くなった。今までの自分には想像もつかないくらい、物事に対してよく考えるようになった。そして、毎回、みんなのノートも読んで、いろいろと違った発想や考え方を知り、そのような考え方の広がりを知る中で、私の中の何かが変わってきた気がする。
 先生の話も、もっともっといろいろと詳しく聞きたいと思っている。今までの私は特に何かに関心を持つということはなかったけれど、この講義にはいつのまにか一番影響を受けていると思った。(英2B 高橋真由美)


  7  宇宙と生命・私たちはどこからきたか 

  「あなた方は19歳や20歳なのではない」と先生が言われた時、私は自分という人間に対する責任を強く感じさせられた。自分の誕生を考えるに当たって、私の遠いふるさとが海や星であるなんて、今まで全く考えたこともなかった。自分のふるさとがこれほど広大で美しいものであるならば、そこから生まれた私も、もっと大きく立派になれるのではないかと思った。私なんか、ほんのちっぽけでつまらない人間でしかないという考え方が、この世に存在するたった一人の私なんだと思えるようになった。
  私は今までただ何となく生き続けてきた。けれども、私には、いろいろな人生の筋道を選ぶ自由や責任があるのだ。そして、その筋道は自分の力でどうにでも変えられる。これからは自分の今あるいている道を改めて見直していきたい。(英2C 今井裕美)

 今日の星の誕生のビデオで、先生が「星はあなた達です」と言われて、私はとてもうれしかった。なぜなら、星は常に美しく輝いていて、最後には一番きれいに輝いて爆発し、そしてまた、新しい星になっていったからだ。
  私は今、星のように輝いているだろうか。少なくとも、輝き始めていると思う。この授業を受け、自分を知り、少しずつ私の中でなにかが変わってきているのを知っているから。 せっかく輝き始めた今、この輝きを失いたくはない。だからこそ、今を一生懸命に生きて、最後には一番きれいな爆発をしたい。
  あの星のような人生を生きることができたら、それが最高だ。(英2B 渡部通子)

  あんなに大きな星でさえも、永遠に存在することはない。しかし、爆発してもその星は再び誕生する。一つの星が一生を終わるときに放つものすごい光の輝きは、次に生まれてくる星のためのエネルギーなのである。
  私は、この講義の時間にいろいろなビデオを見ることが好きである。暗く静かな空間で映像を見ながら、なぜかこころと体が休まり、自分について多くのことを考えさせられる。 こうして毎週、自分について考える勉強をしていくうちに、その勉強が少しずつ私を大きくしていることに気がついた。(英1C 鎌形悠子)

  私たちの社会では、常識的によく、胎児は「十月十日」で生まれる、などと言ったりします。しかし、「十月十日」で人間一人ができあがるわけでは決してありません。十月十日で生まれてくるようないのちの誕生の仕組みができあがるまでには、気の遠くなるような時間が必要でした。その時間をどのくらいの長さで捉えていけばよいでしょうか。
  少なくとも、この地球上に生命が芽生えた35億年前からの時間を考えなければならないと思います。私たちの一人一人は、その35億年の生命進化の歴史をDNAに刻み込んで体内にもっているはずです。しかし、その生命が芽生えるための準備期間も考慮に入れると、やはり、地球誕生の46億年前に溯って考えるべきなのかもしれません。
  しかし、さらに視野を広げてみていけば、その地球も、銀河系のなかの小さな一つの惑星に過ぎないのです。その銀河系の直径はだいたい10万光年であるといわれています。中心部はアルジとよばれる年老いた星の集まりで、その周辺部には若い星々が群がっています。その星の総数は約二千億です。そして、その銀河系もまた、宇宙の中の一千億を越える銀河系の一つに過ぎません。このように見てくると、私たちのいのちの誕生を考えるのには、地球誕生の四六億年前よりさらにずっと遡って、宇宙誕生のビッグバンまでの150億年の時間を考えるべきなのでしょうか。
  150億年前にビッグバンで始まった宇宙は、強烈な光のもとに、時が刻み始め、猛スピードで膨張する空間に多量の物質が創成されたと考えられています。この世界のすべての存在の根元が、このエネルギーに満ち満ちた「真空」から生まれ出たのです。何も存在しない「無」の状態に詰め込まれた巨大エネルギーが爆発して、宇宙そのものが具体的な姿をとって立ち現れました。つまり「色即是空」なのです。
  私たちが、光を懐かしく感じるのは、ビッグバンの光が私たちの存在の原点であることを、どこかに記憶しているからかもしれません。
  宇宙は膨張を続けるに従い、諸々の物質の基本構造が形成されていきました。物質間に働く力が、空間の膨張を振り切って、クォークから核子(陽子と中性子)へ、核子から原子核へ、そして原子核から原子へと、より単純な物質からより複雑な物質階層へと組織化していったのです。こうしてまず、ミクロの世界の造形がなされました。
 やがて、原子の海から万有引力の働きで「銀河」が生まれてきます。ビッグバン後10億年の頃でした。私たちが住む銀河系・天の川銀河もその仲間で、回転しているために円盤状になっているといわれています。
 銀河の誕生とともに、ガスから星が次々と生まれてきました。星は核融合反応で輝いていますから、いわば「元素製造機」です。その後、寿命を終えた星は爆発して粉々に飛び散り、内部で製造してきた重い元素は、まわりのガスにかき混ぜられていきます。銀河の営みとは、ガスから星が誕生する過程と、星が死を迎えてガスに戻る過程との組み合わせなのです。このようなガスと星の間の循環運動の中で、銀河はゆっくりと年老いていくことになります。
 やがて、星で作られた重い元素が集まり、岩石惑星という新しいタイプの星を生み出すようになりました。銀河系が生まれて約100億年後、こうして私たちの住むこの地球が誕生したのです。銀河系が若い頃は、まだ重い元素が少なく、地球サイズの岩石惑星にまで成長できませんでした。銀河系の老成があってこそ、生命を胚胎しうる地球を必然の存在としたともいえるのです。
 言い換えると、岩石惑星である地球は、そして炭素を主体とした元素で構成されている私たちの肉体は、ともに星の輝きの産物なのです。炭素も酸素も、鉄もアルミも、私たち周辺の水素以外のすべての元素は、星の輝きのなかで形成されたのですから。つまり、元素のレベルで見れば、私たちは星として輝いていたし、その輝きがあったからこそ私たちの存在へとつながっていったのです。まさに、私たちは「星の子」なのです。夜空に星を見上げるとき、自然のうちに故郷を想起するのは、私たちがかっては星であった記憶がどこかに刷り込まれているからなのかもしれません。

  初めのほうのビデオで、地球のような生命体の存在する星が、宇宙には43個もあるというのにはすごく驚いた。もしかしたら、本当に遠いどこかの星で、こういう比較文化論のような授業が今行われているということもあるのかもしれない。
  先生が初めにおっしゃったように、1977年にアメリカが宇宙探査機ボイジャーを打ち上げたとき、地球の人類を代表して国連のワルトハイム事務総長が英語で宇宙にメッセージを送ったというのは、彼らが広い視野をもっている証拠だと思った。
  日本人はその頃、誰もそんなことは想像もしなかっただろう。今は日本人の中にも、宇宙に生命体が存在すると信じている人が増えてきているのは、いいことだと思う。(英1A 山寺さやか )

  この広い宇宙に、私たち以外の生命が存在するかどうか。この問いに答えるのには、太陽系に似た惑星系を宇宙の中に探し出すのが近道だといわれています。生命体の存在が宇宙には43個あるというのは、大阪大学教授の宇宙物理学者・池内了氏の推測でした。
  1999年1月末に観測を開始する日本の国立天文台の大型望遠鏡「すばる」にとっても、宇宙観測の最大の目標の一つが、太陽系の外に自分では光り輝かない星を見つけることだそうです。同じような目的で、世界中の惑星ハンターたちも観測を続けていて、すでに候補は20個以上に上っているという報道もありました(「朝日」'99.1.6)。

  私は死んでしまったらまた人間に生まれ変わるのだろうか。もう一度私に戻れるのであろうか。
  もう一度生まれ変わったら、私は特別きれいな人になったり、お金持ちになりたいとは思わない。今までの自分にできなかったことに挑戦できるような人間になりたい。
 今の私は、自分自身に特別満足しているわけでもなく、劣等感を持っているわけでもない。だが一つわかっていることは、少しずつ私の考え方が変わってきているということだ。 自分の意志で人は変わることができるのであれば、私は自分の意志を大切にしていかねばならない。(英1A 鈴木梨恵)


  8  文明の興隆と環境破壊  

  人間は、エジプトやギリシアなどあんなに高度な文明を築き、そして荒廃させてしまった。地球上でわがもの顔で生き ている現代人は、自然の恵みに感謝することを知らず、当たり前のように思っている。排気ガスや水質汚染、紙や割り箸などの無駄遣いも指摘されてきて久しい。エコロジーが見直 されたり、リサイクル運動なども少しは実行されてはいるが、本当に一人一人が問題の本質を理解しているのだろうか。
  自然は無限なのではない。しかし、私たちが自然に感謝し、自然を大切にすることで、有限の自然が無限にもなりうる。そうすることで地球は光り輝くのである。(英1A 深井美穂)

  地中海の東方、現在はトルコ領になっているエフェソスは、かっては繁栄を誇った港町でした。その港町が、森林伐採によってやがて緑土を失い、港は徐々に土砂に埋まって町自体が荒廃していく様子が科学的に分析されているのを私たちは見てきました。一昨年には、比較文化論の海外研修旅行で、このエフェソスの荒廃の現場を見学したこともあります。
  46億年前に誕生した地球にやがて海ができ、10億年ほどで生命が芽生え始めます。太陽の光による光合成で、海洋生物のストラマトライトが酸素を吐き出し、海中から大気中にまで酸素が蓄積されていきました。いまから4億年ほど前には、太陽からの有害な紫外線を吸収するオゾン層も形成されて、陸に海に、多種多様な生物が栄える舞台が整いました。
  そこへ、つい最近、最後に登場した人類が、農業や工業の技術を身につけ、我が物顔でのさばり始めたのです。その結果、今では大気の組成まで変え、オゾン層まで破壊し、数多くの生物を絶滅に追いやっています。何億年もかかって蓄積してきた生物のいのちの資産を、人間はきわめて短時間のうちに食いつぶそうとしているのです。20世紀末というのは、この地球の歴史の中で、空前の危機をはらんだ激変期といってよいでしょう。
  環境破壊といえば、日本でも例えば、長崎県諫早湾干潟での水門閉鎖で、累々たる貝の死骸が3千ヘクタール以上にわたっ散乱してしまいました。その凄惨な写真を新聞に載せて、日本ペンクラブ会長の梅原猛氏が、これはあのナチスのホロコーストに比すべき日本人の暴挙であると、強く抗議しています(「朝日」'98.7.1)。

  アメリカのサン・シティを見て、恐怖を感じた。人間が生きていくためにかけがえのない森林を破壊続けた終着点があのサン・シティであろうが、それはまるで人間の墓場のよう に感じられた。  
  今のところは、森林破壊の穴埋めとして、サン・シティのように石油に頼り、今まで以上に快適な生活ができるだろう。 しかし、森林同様、石油も有限なのである。そのことを考え ると、石油の尽きたときこそがまさに人間の滅びるときではないだろうか。そして、その未来は私たちの手の届くところまできている。
  私たちは環境破壊に対し、未だに軽視しているところがあるが、それは昔の人々が森林は無限であると思って犯したのと同じ大きな過ちを犯すことになるであろう。もう私たちには「余裕」ということばないのだ。今すぐにでも、まず個人として出来ることから始めなければならないと強く思った。(英1A 藤本梨恵)

 今日のビデオの中に、宇宙から見た夜のアメリカと日本の映像があった。夜なのにこの二つの国だけがとても明るく、本当に驚いた。そしてそれと同時に、少し恐ろしさも感じた。
 昔は夜は暗いというのは当たり前で、みんなはそれを認めて納得していた。しかし今は、もし夜に電気がつかず、真っ暗になったとしたら、大変なことになるだろうと思う。
 昔は当たり前であったことが、今では全然当たり前でなくなっている。冬は寒いのが、夏は暑いのが当たり前なのに、人間はそれをありのままに受け止めず、冷房、暖房などを季 節の必需品として必要以上に使いすぎている。こういう風に、昔当たり前でなかったことを今は無意識に当たり前だと考えていることが本当に怖い。(国2C 浅野美智)

  夜は暗いのが当たり前かもしれないのに、アメリカも日本も夜は暗くありません。国立天文台の試算では、日本の夜空には一年で200億円に相当する光が無駄に放出されているということです。
 日本の真夜中の画像を解析した結果、一晩を10時間として、365日で年間八億二千六百万から九億六千百万キロワット時のエネルギーが上空に放出されている計算になるのだそうです。一キロワット時当たり25円とすると、その総額が207億から240億になるというのが、その根拠です(「朝日」'98.4.15)。

  私の中にいま、どれだけ感謝の気持ちがあるだろうか。何もかも当たり前のようにあった食料、日用品、電化製品。当たり前のように近くにありすぎて、いつもこれらの品々があることを幸せだと感じることが少なかくなっていた。それなのに、地球環境が汚染されているというニュースを見れば怒りを感じる。なんて人間は自分勝手なのかと。でも考えてみれば一番身勝手なのは自分自身であった。
  当たり前のように私のまわりにあるものは、本当は当たり前なのではない。すごく恵まれているのである。私のまわりにある便利なものは、すべてどこかの国の人々の何かを犠牲 にしている。それに気づかないできた自分を恥ずかしく思う。 感謝の気持ちを大切にしたい。(英2C 松山帆奈)


  9  豊かな日本、飢える国々      

  今日の講義資料の写真を見て驚いた。この子はまだこんなに小さいのに、飢えで苦しんで死にかけている。そして死ぬのを待っている禿げ鷹に狙われている。この子たちが日本の私たちの生活を見たらどう思うだろう。
 当たり前だけれど、私の家では食べ物を捨てたりはしない。私も捨てない。それなのにどうして日本人は食べ物を粗末にすると言われるのだろう。それは、以前私がコンビニでアルバイトをしているときにわかった。
  賞味期限が切れてしまったお弁当やおにぎり、パンを毎日大量に捨てていたのだ。店長は、商品だから期限が切れれば 捨てなければならないと言っていたけれど、そういう問題ではないと思う。私は捨てる度にいつもこころが痛んだ。そして、日本中で一日に一体どれくらいの食べ物を捨てているの だろうと思うと恐ろしい気がした。
  この写真の子供のように、世界中にはまだ飢えている人々がたくさんいる。世界中の人々がもっと平等に、飢えずに暮らせるようにならないものか。(英1A 岩下恭子)

  飢える子供とハゲタカ。私たちは普段見慣れないものを見ると驚き、哀れんだりする。戦争や貧困は身近ではないから、珍しく衝撃的なのだ。だが、そのあとでは人々はどうするだろう。おそらくほとんどの人々が、その驚きや哀れみを忘れ、またもとの自分の生活の中に埋もれていく。
  飲食店でアルバイトをしてきて、こころから辛いのが食べ物をたくさん捨てることだ。捨てなければ商売にならないの だと一応理解はするが、どこか矛盾している。こうして捨てている間に、世界では一体どのくらいの人々が飢えで死んでいくのか。日本は食糧自給率がきわめて低いが、もっと食料を大事にして、自分たちで食べ物を作っていかなければならない。自給自足こそ、国の未来を保証するものだ。少しは便利さを減らしても、手間をかけて食料を確保する必要がある。
  また、先生がおっしゃったように、フォスター・ペアレントとして貧しい国々の家族の一員となり、助け合える世界の なかで生きていきたい。(英2A 栗原あすか)

  この「飢えで倒れ伏す子どもを、かたわらで狙うハゲタカ」の写真は、ニューヨーク・タイムズ('93.3.26)に掲載され、世界中に衝撃を与えました。
  この年、日本は戦後最悪の大凶作とかで、タイ米なども輸入していましたが、それを米穀店で国産米とセットで売り出すと、タイ米を捨てる人がいる、と問題になりました。新聞に次のような投書が載りました。「我が国の不作のために世界のコメ相場が高騰し、コメを主食にしている人々の生活をどれだけ圧迫しているか、セットで買ってタイ米を捨てた人は考えたことがあるのだろうか。この写真をじっと眺めてみてはどうか。捨てるタイ米を日本が買い付けたために、この子は飢え、ハゲタカに狙われることになったのかもしれない」(「朝日」'94.4.19)。

  私たちは自分たちの生活がどれだけ恵まれているか、その豊かさに気づかず、さらなる豊かさを求めがちです。しかし、これ以上生活が便利になって、お金を蓄えても、こころは満たされず、まして幸福なんて手に入れられるわけがないのでしょう。新しい洋服を買って、ブランドもののバッグをもって歩いても、それで得られるものがあるとしたら、一時的な 優越感ぐらいかもしれません。
  いくら高価な洋服やバッグで身を固めても、人間として大切なものを見失っている者は、内面から輝けるはずはないのです。真の豊かさとは何でしょうか。それを私はこれから考えていきたいと思います。(英1A 川村明子)

  日本は今、不況だという。ここ2、3年前から、そういわれ続けている。しかし、私たちは以前と同じように、毎日十分な食事をとり、お風呂に入り、何も不自由することなく以前と変わらない生活を続けている。でも、何かが貧しい。
  世の中が不景気だと言われ始めた頃から、物質的、外見的には何も変わりはないが、この日本の社会では私のこころからも何かが欠けていっているような気がする。常にある種の空虚感のようなものが自分にまとわりついてくるのだ。やはり、こころが貧しいのであろう。
  最近、ワールド・プレスフォートという報道写真を見た。アフリカの内戦でのどを切り裂かれた子供、アメリカのホームレス娼婦、貧しさのために重労働を強いられているどこかの国の若者たち・・・。世界では、こんな悲惨ないろいろなことが次々に起こっているのに、それらが日本人にはよく伝わっていない。世界からこれ以上嫌われることのないように、日本人はもっともっと目を外へ向けるべきだ。(生2B 飯塚厚子)

  跡見の「謝恩会」は、ドレスや着物でみんなが着飾って出席しているみたいだ。一体そんなことをして何の意味があるのだろう。
  謝恩会というのは、お世話になった方々に感謝する会ではないのか。高価な洋服で着飾り、高い食事をして、そんなことにお金をかけても、それが「謝恩」の会とはとても思えない。
  今まで普通に接してきた先生方へ、わざわざ着飾ってお礼を言う必要はない。ありのままの自分で、こころから「有り難うございました」と言えば、それだけで感謝の気持ちは伝わるはずだ。「謝恩会」ということばの意味を考えれば、跡見でやっていることは全く別のことである。私は、一年半後に跡見を卒業するときには、本物の謝恩会をしたいと願っている。(英1C 利根川 睦)

  私は、短大に入ってからは、勉強するよりももっと自分を磨こうと、一生懸命にバイトしてお金を稼いで、化粧品や洋服などを買ってきた。そのようにして飾ることで自分のコンプレックスを無くしていこうと考えてきた。しかし、先生のお話を聞いて、それは大きな間違いであることに気づいた。私が自分を飾ろうとしてやってきたことは、実は、もっとコンプレックスを大きくするだけだということがわかったのである。私は、自分の持っている良さを、自分の手で汚してしまっていたのだと考えるようになった。
 無理にうわべだけを飾って輝こうとするのではなく、本当に魅力のある人というのは、自分をよく知り、自分の良さを自然に最大限に出していける人なのだと思う。私もそうすることで自分を好きになっていきたい。(英2C 松田幸恵)


  10  宗教の本質・信仰とは何か    

  今まで、サイババはインチキなのだろうと思っていた。私はこれまで一度だって神がいると信じたこともなかった。正直に言って今も半信半疑である。しかし、今日のビデオを見て、私は感激してしまった。実際に自分の目でサイババの奇跡を見てしまった私は、もう神がいないなどとは言い切れな い。
 今までろくに考えず、知ろうともせずに、ある側面だけを見て神や宗教を否定してきたけれど、それは間違っていた。お金をだまし取るような宗教が多い中で、サイババのように一銭もお金を取らず、物も受け取らず、無償で人々に愛を与え、導いている人もいるのだ。イエスを信じても仏陀を信じてもいいのだ、ということばに、彼こそ本当の神なのかもしれないと思った。
  私にもいつか、神の存在をこころから信じる日が来るのかもしれない。そんな自分のこころの変化に、自分で驚いている。(英1C 漆原真美子)

 人間は自分を信じることで限りなく大きな力を発揮する。ビデオを見ていて、そう感じた。サイババは何ももらわず、すべて無償で人の悩みを聞いたり、助けたりしている。宗教の源とは彼のような考えであろう。彼は、「どの宗教を信じてもいい」という。人が何を信じても、彼はすべて平等に扱っている。
  彼を見て、自分自身を知ることが重要であることがわかった。「自分には出来ない」とともすれば自分の力を押し込めてきた私にとって、サイババのことば大きな発見であった。 人間は限りなく成長するが、限りなく堕落もする。その限界はない。私自身も同じである。
  自分自身を知り、信じることで、想像を超える大きな力を持つことが出来ることを感じた。これからは、今までの自分に別れを告げて、新しい大きな力を持って成長し続ける私になる。(英1C 柳沼美保)

  浄土真宗のお経の中に、「仏説阿弥陀経」というのがあります。お釈迦様が大勢の弟子たちを前にして、西の方はるか彼方に、極楽という世界があることを教えているお話です。そこでは阿弥陀仏が今も法を説き続けている。その極楽というのは光り輝く壮麗な世界で、人は誰でも、阿弥陀仏の名号を唱えることによってその極楽に往生できる。そしてそのことは、東西南北上下の六法世界の数多くの諸仏によっても証明されているのだ、というような内容だと思います。
 でも、「はるか西の彼方に極楽がある。これは証明されている、嘘ではない」と言われても、つい「本当だろうか?」と思ってしまいます。地球は球形で一回りすると約四万キロです。今は飛行機で割合簡単に地球を一周できますから、日本から飛んで西へ西へと行けば、またもとの場所、つまり日本に戻ってきてしまいます。極楽はどこにあるのでしょうか。地球の上ではなくて、それは、西の空のかなたにあるのだ、と言われても、そこには無限の大空が宇宙の果てまで広がっているだけです。極楽とはその空の彼方にあるのでしょうか。それこそ何か、雲を掴むような話で、どうも実感が湧かないような気がしてくるのです。
  結局、極楽などというものは一種の気休めであるに過ぎない。人間というのは、他の生き物のすべてがそうであるように、死んだらそれでおしまいで、あとは灰になるだけだ、というように考える人が少なくないのも致し方のないことかもしれません。実際、人間が死んで葬儀が終われば、火葬場に運ばれて目の前で灰になっていくわけですから、「死んだらそれで終わりだ」という言い方には、それなりに、説得力があるようにも思われます。そのような「迷い」に対して、かって空海は、次のように述べました。

 生まれ、生まれ、生まれ、生まれて
 生の始めに暗く、
 死に、死に、死に、死んで
 死の終わりに冥し。

  これは 『秘蔵宝鑰』という本に残されている空海(弘法大師)のことばです。人間は生まれては死に、死んでは生まれて、何度も何度も輪廻転生をくり返すものだが、いったい何度生まれ変わったら、この生と死の真理が理解できるようになるのだろうという、空海の嘆きが伝わってくるようなことばです。
  空海は、平安時代の高僧で、774年に生まれて、835年に亡くなっています。自分の死ぬ日時を、3月21日の寅の刻(午前3時〜5時)と予言し、弟子たちに「嘆くなかれ」と戒めつつ、予言通りに死んでいきました。この空海の死んでいく場面は映画にもなっていますが、死ぬ前の10日あまりは五穀を断ち、自ら体を浄めて宇宙の大日如来のもとへ帰っていくことになっています。
  私たちはどうも見える世界だけがすべてで、見えない世界のことについては関心が及ばないのかもしれません。自分の目で見えるものは信じられるが、見えないものはなかなか信じようとはしないのです。生の始めも、死の終わりも、実は「目に見えないもの」を心の目で見ることがでなければ、理解できないことを空海は教えようとしていたのでしょう。
 歎異抄の第九段に、親鸞の弟子の唯円が親鸞に極楽のことを聞く話があります。「有り難いといわれる念仏をいくら唱えてみても、どうも天に舞い地に踊るというような全身の喜びが感じられません。それに、真実の楽園であるはずの極楽浄土へも、早く行きたいという気持ちが起こらないのですが、それはどうしてなのでしょうか、と。
 親鸞は次のように答えます。実は私もそれを不思議に思うことがあるのだが、よくよく考えてみると、はるか遠い昔からいままで、生死をくり返してきたこの迷いの世界は捨て難く、極楽浄土が恋しくないというのは、それだけよほど煩悩が強いからであるに違いない。人間はみな煩悩を持っているのに、喜び勇んですぐにでも浄土へ行きたいというのであれば、その人には煩悩はないのであろうか、とかえって疑わしくなってしまうのだ、と。
  結局、大切なのは目に見えるものではなくて、目には見えないものなのです。霊の世界がそうです。そしてそれは、狭い現代科学の領域と次元をはるかに超えています。般若心経には、「照見五蘊皆空度一切苦厄」とありますが、ここでも、すべてのものの実体は「空」、つまり、見えないもので、見えるもの「色」は、実は仮の姿でしかないことをいっているのだと思います。
  ここに出てくるサイババは、現代インドの聖者といわれている人ですが、この見えない世界がよく見える希有の人格であることは間違いありません。
  サイババは、インドの片田舎、プッタパルティという村で、1926年の11月23日に生まれました。いま72歳ですが94歳で自分の肉体から離れることも予言しています。金銭や物品を一切受け取らず、自在に真理を語り、ヒンズー教、イスラム教、キリスト教、仏教の叡智を現代の社会の中に蘇らせているといわれています。
  サイババは、人格重視の教育システムを提唱し、サイババ奉仕団が小・中・高・大学を広く各地に運営していますが、これらの学校はすべて無料です。さらに、病院、孤児院、老人ホーム等も数多く運営されていて、これらもすべて無料なのだそうです。このようなサイババの精神を汲む奉仕団は世界中に広がっており、サイババの信奉者は一億人を超え、すでに千数百冊の本がサイババについて書かれている、ということです。
  日本でも、何かと理屈をつけては金銭を要求する、物欲の固まりのような いかがわしい宗教団体が珍しくありませんが、だいたい、金銭に執着するような宗教団体は、決して「ほんもの」ではありません。ほんものの宗教は、金銭を要求することはありません。イエス・キリストも、無償の愛の奉仕を説きながら、金銭や富を持つことを常にいましめていました。

  イエスは、「富がある人は魂がない」と言った。そして彼に従うことを希望する富者に「すべてを投げ捨ててついてこれるか」と聞いた。その富者の答えは、「そんなことはできません」であった。この答えを聞いたとき私はドキッとした。 私の場合も同じことを言ったであろうと思ったからだ。
  富があると幸せになれない、と言われても、全財産をなげうってまでは、と思うだろう。多分みんながついていこうと思わないだろう。それはやはり、富をなくすのが嫌だからだ。全財産がなくなれば何もできないと思うからだ。それに私はまだ、富をなくしても幸せになれる、という意味がまだよくわかっていない。
  しかし、富で解決できないもの、つまり人の心に、富の亡くなることで得られるものがあるのだと思う。私はこれが何かをこれからもっと知っていきたいし、自分の心に響く大切なものを見つけていきたい。(英1C 西村佐知子)

  私は今日の講義を受けて、事実を知るということがいかに大切かがわかった。「自分は無宗教である」というのは世界中の宗教をよく知ってからでこそ言えることばである。地球 以外に、生物が存在するのかしないのか。それも、宇宙全体にまで視野を拡大しなければ言えるわけがない。
 事実を知るということ。そうして自分の知識を増やすことで、自分の意見も述べることができる。事実を知らないでものをいうのはただの思い込みである。私は今日はじめてそのことに気がついた。思いこみではなく事実を知った上でものをいう人になりたい。
 (英1A 荒井理恵)

 現代は科学がとても発達していて、生活が便利になった。でも、暮らしやすいか居心地がいいかというと、そうでもないと思う。お腹がすけばコンビニへ行き、時間があればパソコンをいじる。すごく充実しているようでいて、実は中身がないような気がする。
 頭が痛くなったら、あるいはだるくなったら、みんなすぐ薬を飲む。私は薬は一切飲まない。私たちは科学に頼りすぎている気がする。具合が悪くなったら休めばよいのだ。自分に無理してまで働くことはない。でも、それが簡単にはでき ないのが現代。
 私たち人間には安らぎが必要だと思う。地球全体がお休みする日を作ってほしいものだ。 (英1C 南部順子)


  11  学ぶ楽しみ・書くよろこび

  今日、電車の中で私の前にアジアの男性が立っていました。その人は、「初級日本語」という本を見ながら、小声で一生 懸命に日本語の練習をしていました。その教科書はもうぼろぼろで、いろいろなページに折り目がついたりしていました。私は、勉強するというのはこういうことなのだ、といまさらながら思いました。
  私は将来、外国へ留学したいなどと心の中では思っているけれど、実際には全然勉強量が足りていません。私の英語の教科書はいつも新品同様の状態です。今年の夏、私がアメリカでホームステイをしたときに、13歳に見られたのも、いま思えば当然かもしれません。アメリカ人から見れば、私なんて大学生を装っているふうにしか見えなかったのでしょう。
 今日、後期の授業料を四分の一くらいだけれど自分で働いた金で納めてみたら、それだけでも私の授業料に対する考え方がかなり変わりました。あんなに高い授業料を払っているのだから、その分の元を取るつもりでしっかり勉強したいと思います。本当の意味でしっかり学べば、自分の中で何かが変わり、それが自然に顔にも表れてくるのでしょう。もう一度アメリカへ行ったとき、今度は年齢相応に見られればいいなと思っています。(英1C 大木理恵)

  自分は何のために学ぶのか、を今まで知らなかったし、知らなければならないと思っていた。本当の学問とは何なのか、もわからなかったし、それに出会ったこともなかった。しかし、この比較文化論を受けてはじめてわかったのである。先生が教えて下さったひとつひとつのことばに感動し、こころからの共鳴を覚えたとき、これが本当の学問なのだと。
  いま学ぶことをやめてしまえば、きっと私は、何に対しても感動を持たない「真理に遠い」人間になってしまうであろう。こうして、人類がみんな学ぶことをやめたら、世界の存続の意味もなくなってしまうだろう。だからこそ私たちはみな、学ぶことを幸せに思うべきである。
 真実は何かを知るために、私はこれからも学び続けて、その幸せを表現できるようになりたいと思う。(生2B 外山さゆり)

 かって私が、図書館報に載せた「飽食時代の知的空腹感」と題する小文があります。私は次のように書きました。

  いつか、朝日新聞の「論壇」に、ある中国人歌手の投稿が載っていた。日本の民法テレビで、ドタバタ劇の中にケーキをぶつけ合うシーンがあって、それを見ていた中国から来日したばかりの彼女の姪が、急にわっと泣き出したというのである。「こんなことがあっていいのか」と。
  私はこれを読んだとき、あのマリー・アントワネットを思い出していた。派手な性格と美貌でフランス社交界の花形となり、最後には断頭台の露と消えたルイ十六世の妃である。飢餓にあえぐ群衆が王宮にまで押し寄せてきたのを見て、彼女は側近に「彼らはなぜあのように騒いでいるのか」と尋ねた。「パンを要求しているのでございます」と答えると、「パンがなければケーキを食べればよいではないか」とマリー・アントワネットは言ったのだという。
 豊かな食事にも慣れ、そしてそれにも飽きてくると、人間のものを見る眼は、時に、どこまでも曇り、精神的にも果てしなく堕落していくものであるらしい。こころない少数の日 本人がケーキをぶつけ合う行為は、マリー・アントワネットの奢りと無知以上に、人間に対する冒涜で、「神を恐れぬ犯 罪」ですらある。しかし、そういうことをいまの飽食時代に生きる幸せな(だから、不幸な)若い人たちに実感してもらうのは、なかなか容易ではない。
 「誰でも若いうちの一時期に、もし視力や聴力を失う経験を持つことが出来たら、それはむしろ幸せである」と言ったのはヘレン・ケラーであった。私は、せめて、いまの若い人たちが、あの戦後日本の飢餓状況を一時的にでも体験することができれば大きな幸せではないか、と考えることがある。
 「空腹が最上の料理人」とは西欧のことわざであるが、飢えを知らないものにとっては、日々の山海の珍味も、しばしば、味もそっけもない不満の食事でしかないであろう。
  このような飢餓状態の欠如がもたらす不幸は、あるいはそのまま、知的空腹感の欠如にまで及んでいくのかもしれない。高い授業料を払いながら、教室では自分のいのちの糧を摂取することにはほとんど関心を示さず、豊富な「メニュー」が並べられた図書館にも無関心な一部の学生たちに、なんとか、知的空腹を感じさせるいい方策はないものであろうか。
(1988年3月、第8号)

  日本というのは、いまなお歴然とした学歴社会で、学歴がなければ将来、社会では認められない、という感覚があります。そのために、日本では多くの学生が、小学校、中学校の頃から、勉強、勉強と追い立てられます。そしてまた、多くの学生が、そのことに飽き飽きしています。最後の入試を終えて大学にはいると、遊び出す学生が決して少なくないのもそのためかもしれません。
 偏差値教育のなかで、一方的に点数をとるための教育を押しつけられますと、成績のいい者はまだいいのですが、成績がよくないと、もうそれだけで自分の能力のすべてが否定されてしまうような、救いようのない無力感と劣等感に苛まれることになってしまいます。知的空腹感を感じるどころではなく、もう勉強は沢山だと、あたかも満腹時に食事を出されたような反応を示すのです。
  私は、ここでは「知的空腹感を感じさせる何かいい方策はないものだろうか」と書きましたが、どうすればよいでしょうか。
私は、少なくとも二つあると思います。一つは、勉強は楽しいということを知ってもらうことです。もう一つは、能力がないのではなくて、みんなそれぞれに違う能力を持っていることを知ってもらうことです。能力があって、勉強が楽しいのであれば、誰でもほっておいても、勉強するのではないでしょうか。
  書くのも同じです。書くのは嫌だと思っている学生は非常に多いのですが、書くべき内容ももっていないのに、ただ書くように言われても、書くのが面白いはずはありません。楽しい勉強で学び、いろいろと知識が増えてくると、それは自然に書きたくなる気持ちにつながっていきます。書くのが楽しくなるのです。皆さんの中にも、そういう人が着実に増えてきました。

  学習ノートにより、他の人の考えを知ることができたことは、大変いい勉強になりました。誰もが悩みや不安を抱えて いて、それに立ち向かっていくのも私一人ではないということがわかり、私も強くなろうと感じさせられました。
  文章を書くのは苦手で、はじめは辛かったのですが、毎回書いているうちに、いつの間にか楽しんで書くようになって いました。それは多分、自分は苦手だからという弱い感情がなくなったからだと思います。
  いままで、授業が楽しいと思ったことは一度もなかったのですが、この比較文化論だけは、こころから楽しいと思えました。講義を受ける度に自分のことを知り、「学問は幸せのためにある、だから楽しい」という先生のことば通り、自分のためになる勉強であったからです。(英2B 高橋真由美)

  先日私は、今までに自分が講義の中で書いた文章を読み返してみた。講義の回数を重ねる毎に文章に力強さが増していくのが手に取るようにわかった。自分の文章に感動してしまうこともあったほどだ。
  比較文化論を受講して本当によかったと思う。この講義を通して学んだことは、私にとって一生の宝物になるであろう。知ることの強さ、そして知らないことの弱さも学んだ。これからも、私の前にはきっと沢山の困難が待っているでろう。
  しかし私は恐れない。必ずそれらを乗り越えて、つらさのわかる強い人間になっていきたい。(英1C 漆原真美子)

  今までのノートを読み直してみて、この一年間で身につけたことは計り知れない。そして、この講義を受講できたことを私は忘れないだろう。このような授業を私はいままで受けたことがなかったから。社会に出る前に、この授業を受けることができて本当によかったと思っている。
  この講義のなかで私が書いたノートは私の宝物になるだろう。自分の書いた文章を宝物にすることができるようになった私の成長は大きいと思う。
  比較文化論を受講して、自分の力を信じるようになった。少しは広くものを見ることができるようになった。また、先 生がおっしゃっていた言葉がいつも頭に残るようになった。
  これから、苦しいことや辛いことがあっても、先生の言葉を思い出し、乗り越えていく自信がついた。比較文化論を受講できたことは、私にとってとても幸せであった。(英1C 加藤優美子)

  今まで授業で書いてきたノートを全部読み返してみた。懐かしい。初めのうちはとても書くことが苦手だった。何をどう書けばよいのかとても悩み、チャイムのあとに遅れて出すこともしばしばであった。しかし、徐々に書くことが楽しくなっていった。書きたい、伝えたい、あれもこれもと、どんどん書きたいことが溢れて、それをまとめるのに時間がかかって遅れたりした。
  本当にこの九ヶ月という短い間に、私はこの講義を受けたことで変わり、自分が一回りも二まわりも成長したように思える。こんなことは他の授業ではないだろう。自分に自信がつき強くなった気がするし、何事も前向きに考えられるようになった。これから自分が立ち向かっていくであろう困難に遭っても、この講義で学んだことを生かして、立派に乗り越えていきたい。(英1A  鈴木まり子)

  比較文化論の授業の中で毎時間書いた学習ノートを改めて全部読み直してみた。私のこの1年間の成長ぶりが、明らかに文章に表れていた。
  先生が初めの頃、「最後にノートを全部読み返してみた時に自分の成長ぶりがわかる」とおっしゃっていたが、まさか自分もそんなノートを書いていたとは思わなかった。書くことが苦手で嫌いであった私が、いまはもう書くことが嫌ではなくなった。これも、私の成長の一つである。この他にも、私はこの比較文化論の講義を通して成長したことが沢山ある。どこがどう成長したかを、一つ一つあげていったらきりがないほどである。とにかく私は変わったのだ。
  私はこの短大生活で、見違えるほどに大きくなった。母や武本先生にまで、顔つきが変わったと言われた。本当にうれしかった。これから社会に出る私には、いろいろな困難が待ち受けているだろう。しかし、その困難はすべて乗り越えられる。勇気と自信を持って生きていく。(英2C 増永純子)

  ここに、今までの授業の中で私が毎回書いてきたノートの記録がある。初めの頃の文章と終わりの頃の文章は明らかに変わってきている。はっきり言って、初めの頃の文章は下手だ。なぜなら、自分は思ったことをうまく整理して文章で表現するのが得意でなく、いやいや書いていたからだ。
  ところが授業を受けているうちに、次々と新しい発見や感動があり、それまで忘れかけていた何かを取り戻していくことができた。すると自然に、「書かなければならない」ではなくて「書きたい」と思うようになった。素直な気持ちを文章にぶつけて、だんだん書くことが面白くなっていった。
  この一年間の学習ノートには、しっかりと成長し、強くなってきた私の姿が残されている。これから先、どんな困難や試練の壁が待っているのかわからない。しかし今の私には、それを乗り切っていける自身がある。もし少しでも、迷ったり悩んだりして不安になったりしたら、この学習ノートを読み返して、自信と強さを取り戻したいと思う。(英1A 山崎志都)


  12  最終講義が終わって

  とうとう最後の授業が終わってしまった。この講義を受けたことで私は少しずつではあるが本当に強くなれた気がする。
  そして、この授業で得た物はとてつもなく大きい。沢山の真実を学んだ。それをこれからの人生で生かしていきたいと思う。
 どれだけ人の力は強いか。そして、人類の中でどれだけの人がその「真実」を知っているだろうか。私たちは「星の子」。このことばで私は本当に強くなれた。このことを教えてくださった先生に、今とても感謝の気持ちでいっぱいです。(英1A 鈴木まり子)

  長いようで短かった一年間の講義が、ついに今日終わった。この講義を受ける度ごとに、自分の成長が手に取るようにわ かった。
  この講義では、文化の領域を超えて、真実の探求にまで至ることになった。まだまだ自分の知らないことは限りなく存在するし、自分探しの入り口に、やっと立てたような気がする。
 「嫌なこと、嫌いな人に出会うことはいいことかもしれない」という先生のことばを聞いて、ますます未来が明るくなった。人生には、プラスの現象もあればマイナスの現象もある。マイナスをプラスに受け止められる人間でありたいと、強く思う。
  自分に不可能はないことを信じて、困難からも逃げず、すべての真実に向かった力強く生きていきたい。(英1C 稲本仁美)

  今日で比較文化論の講義が終わってしまい、本当に残念に思います。しかし、この講義が終わっても、私という人間の成長は終わりません。今からが始まりだと強く実感しています。これからの私にも、さまざまな困難が降りかかってくることでしょう。しかし、その困難に立ち向かう度に、少しずつ強くなり、自分に対する自信となっていくような確信があります。
  今、こんなに自分が強く前向きなのには、かなり自分自身でも驚いています。このようなパワーを与えてくださったこの講義には本当に感謝しています。そしてこの感謝が、本当の意味での私の自信となって実を結ぶように、輝きを求めて自分自身の道を精一杯に生きていこうと思います。1年間、本当にどうも有り難うございました。(英1C 海野基子)

  この授業で、私は本当に沢山のことを学びました。日本の文化や外国の文化だけではなく、人間そして自分についていろいろと考えました。沢山のことを知り、自分が以前に比べてすごく強くなったと思います。
 「いやな人やいやな事にあうのは辛いし、やはりいやなものだ。でもそれは案外いいことなのかもしれない。いろいろ と経験し、そのことから学べることは沢山あるからだ」と先生はおっしゃいました。自分にとっていやなことからは誰だって逃げたくなりますが、それを迂回したりせず、つらくても乗り越えていきたいと思います。それがいつかは、自分にとってプラスになるし、自分の幸せにつながっていくことを今の私は知っているからです。(国1A 吉岡里美)


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  この比較文化論の講義では、私は毎回、30分前には教室に入り、空調、照明、器機の点検、資料の配付、板書などをすませて、一度研究室に戻ります。そして遅くともチャイムが鳴る5分前には教室に引き返して、気持ちを整えます。私はまだ力不足で、気持ちに余裕がないと、自分で納得できるいい講義ができないのです。
  最終講義の朝、私はいつものように講義の40分前までには学校に着くように家を出たのですが、生憎、途中で先行電車の車両故障があり、私の乗った電車も、線路の上で立ち往生してしまいました。私は今まで授業には一度も遅刻したことはありませんでしたし、休講もしたことはありません。この大切な最終講義の日に、はじめて長年の記録(別に自慢できることではなく、当たり前のことですが)を破ることになるのかと、ちょっといらいらしていました。
  幸い、電車の遅れは30分ですみましたから、私は授業開始10分前に学校に着き、何とか無事に最終講義を終えることができました。でもやはり、こころには平静さを欠いていました。私にはあの最終講義が少し不満です。講義の資料や教材などは、12月の末までに準備し、講義の進め方や、90分の時間配分のメモなどもいつものように出来上がっていましたが、いくつかのことを言い忘れていました。教師としては未熟で、私はそのことを密かに恥じています。
  最終講義の日からいま書いているこの原稿の提出日までは一週間しかありません。皆さんの最終日のノートと提出レポートは、その日から目を通し始めて、すべて読ませていただきました。その上で、ここまで原稿を書き続けてきて、私は今少し手を休めながら、改めて私たちの24回の勉強で学んできたことを、しみじみと思い返しています。
  皆さんのノートやレポートを読んでいて、「私は変わった」「強くなった」と書いている人が今年は特に多いように思われます。それから大半の人たちから、私に対する感謝のことばをいただきました。「ノートやレポートにはそんなことは書かなくてもいいのです」と、ついこころのなかでつぶやいてしまうのですが、涙を抑えながら読ませていただいたことも何度かありました。
  この比較文化論の講義は、私が皆さんに「教えた」講義ではありません。皆さんがもうよく感じられているように、皆さんと私が一緒に「学んだ」講義です。毎回皆さんが書いてきた文章は、ここに取り上げた数十名の文章とともに、皆さんと私の共通の教材でした。この貴重な教材を一つの柱として、皆さんは、一年間本当に熱心によく学んでくれました。そして私も、皆さんと一緒に一生懸命に学ばせていただきました。最終講義の日に私が言い忘れたことの一つは、皆さんに対する私のこころからのお礼のことばです。それをいま、ここで言わせて下さい。
  皆さん、どうも有り難うございました。

     (1999年1月17日)