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                           【参考資料 10】 (2011.06.20 )
                           =『天国からの手紙』関連原稿=


  天の摂理の中で生きる


 私はいま実感をもって書くことができるが、私たちは一人ひとりが神の愛のもとに生かされている。ただ、その神について語るのは容易ではない。神は無限の存在であるのに、それを語ろうとする人間の言語や概念、心象といったものにはどうしても限界があるからである。つまり、有限で無限を測ることはできない。シルバー・バーチは、それでも、宇宙を見れば、ある程度まで神についての概念を掴むことが出来ると、つぎのようにいう。

 《この大宇宙は法則によって規制されているのです。千変万化の諸相を見せていながら、その一つ一つに必ず配剤がなされているのです。見えないほど小さいものであっても、途方もなく巨大なものであっても、動き、呼吸し、存在しているものはすべて自然法則によって支配されているのです。

 何一つとして法則のワクからはみ出るものはありません。四季は順序よく巡り、地球は地軸上を回転し、汐は満ちては返します。種子を蒔けばその中にあったものが芽を出すのです。自然は正直なのです。

 法則は絶対です。新しい発見も、それが何であれ、どこであれ、やはり同じ自然法則のもとで統制されているのです。何一つ忘れられることはありません。何一つ見落とされることはありません。何一つ無視されることはありません。

 何の力でそうなっているのか。それは限りある存在ではありません。尊大にかまえた人間的存在ではありません。旧約聖書に出てくるエホバ神でもありません。復讐心に燃え、機嫌を損ねると人間に災いをもたらすような神ではありません。気まぐれで、いつ腹を立てるか分からないような神ではありません。》 (『霊訓 (9)』一二九〜一三一頁)

 つまり、シルバー・バーチによれば、神とは、宇宙の自然法則である。物的世界と霊的世界との区別なく、全生命の背後に存在する創造的エネルギーであり、完全なる愛、完全なる叡智である。その神は宇宙のすみずみまで行きわたっていて、全存在の内部に宿っている。宇宙の大霊であり、大生命である測り知れない大きさの存在を、ちっぽけな概念しか抱けないわれわれには、描写しようがない、というのである。そして、神とは法則であることを理解することの大切さを、次のように説いた。

 《人間的存在としての神は人間がこしらえた観念以外には存在しません。人間的存在としての悪魔も人間が発明した概念以外には存在しません。黄金色に輝く天国も火焔もうもうたる地獄も存在しません。そうしたものはすべて視野を限られた人間の想像的産物にすぎません。神は法則なのです。それさえ理解すれば、人生の最大の秘密を学んだことになります。なぜならば、世の中が不変にして不可変、全智全能の法則によって治められていることを知れば、絶対的公正が間違いなく存在し、宇宙の創造活動の大機構の中にあって一人として忘れ去られることがないことを知ることになるからです。

 だからこそ全てが知れるのです。だからこそ何一つ手落ちというものがないのです。だからこそ人生のあらゆる側面が宇宙の大機構の中にあって然るべき位置を占めているのです。だからこそ何一つ見逃されることがないのです。いかに些細なことでも、いかに巨大なことでも、すべてが法則のワク内に収められているからです。すべてが法則だからです。存在を可能ならしめている法則なくしては何一つ存在できないのが道理です。法則が絶対的に支配しているのです。人間に与えられている自由意志が混乱を引きおこし、法則の働きを正しく見えなくすることはあっても、法則は厳然と存在しますし、また機能してもらわなくては困ります。》 (『霊訓』(5)一五五〜一五六頁)

 こう述べた上で、シルバー・バーチは、「私も摂理のすみずみまで見届けることはできません。まだまだすべてを理解できる段階まで進化していないからです。理解できるのはほんの僅かですと」と言ったあと、こうも付け加えている。

 《しかし、私に明かされたその僅かな一部だけでも、神の摂理が完全なる愛によって計画され運営されていることを得心するに十分です。私は自分にこう言い聞かせているのです---今の自分に理解できない部分もきっと同じ完全なる愛によって管理されているに相違ない。もしそうでなかったら宇宙の存在は無意味となり不合理な存在となってしまう。もしこれまで自分が見てきたものが完全なる愛の証であるならば、もしこれまでに自分が理解してきたものが完全なる愛の証であるならば、まだ見ていないもの、あるいはまだ理解できずにいるものも又、完全なる愛の証であるに違いない、と。

 ですから、もしも私の推理に何らかの間違いを見出されたならば、どうぞ遠慮なく指摘していただいて結構です。私はよろこんでそれに耳を傾けるつもりです。私だっていつどこで間違いを犯しているか分からないという反省が常にあるのです。無限なる宇宙のほんの僅かな側面しか見ていないこの私に絶対的な断言がどうしてできましょう。ましてや地上の言語を超越した側面の説明は皆目できません。こればかりは克服しようにも克服できない、宿命的な障壁です。そこで私は、基本的な真理から出発してまずそれを土台とし、それでは手の届かないことに関しては、それまでに手にした確実な知識に基づいた信仰をおもちなさい、と申し上げるのです。》 (『霊訓』(6)一八五〜一八六頁)

 時空を超えた偉大な智慧と体験をもちながら、それでも、このように謙虚に語りかけているシルバー・バーチの姿勢にはこころを打たれる。その推理に間違いがあれば遠慮なく指摘してほしいと、いわれているが、細い針の先ほどの狭い視野と小さなシミほどの智慧しかもっていない地上の人間が、間違いを指摘することなどありうるはずもない。

 そのシルバー・バーチは、折に触れて、何度も、この宇宙の法則が一分一厘の狂いもなく完璧に働くことを繰り返して述べている。おそらく、これを理解することが、私たちが真の意味で、幸せに生きていくための必要条件であろう。世のなかの、運、不運とか、公平、不公平のような捉え方も、すべて、この法則を理解するかどうかにかかっていると思われるからである。

 この宇宙の法則、或いは、大自然の法則については、シルバー・バーチは、人間の健康や生き方にまで触れて、こうも言っている。

 《人間には一種の機械としての物的身体が与えられています。あなたはその身体を通して自我を表現している一個の霊なのです。あなたが悩みを抱くと、霊と身体との間の水門が閉ざされ、身体は生命力の補給路を失うことになります。補給源とのつながりを断たれることになります。そのことに気づいて心構えを改めないかぎり、あなたの身体はその不健康な作用と反作用の法則に従いつづけることになります。

 心配の念はあなたの霊的大気であるオーラの働きを阻害し、その心霊的波長を乱します。その障害を取り除くまでは生命力が流れ込みません。泰然自若の境地に至るには長く厳しい修行、過酷な試練、そして心配の念の侵入を許すまいとする不断の努力が要請されます。
 無限の愛と叡智を有する神がこの摂理を創案したのです。完璧に出来あがっており、必ずその通りに作用します。心配することに費やしているエネルギーを建設的な思念へ転換すれば、健康上の問題は生じなくなります。神の計画は完全であり、あなたもその計画の中に組み込まれているのです。あなたも自分自身を完成しなくてはいけません。そのための機会は日常生活の中にいくらでも用意されております。

 私には自然法則を変える力はありません。因果律という不変の法則に私が干渉することは許されません。たとえばあなたの身体が衰弱している兆候を見つければ、大切にするよう警告してあげることしかできません。身体は一種の機械です。したがってそれなりの手入れがいります。手入れを怠れば故障するにきまっています。すると休息と修理によって機能を回復させるほかはありません。法則はごまかせないのです・・・・・。

 法則は無限なる愛と叡智の働きによって完壁に機能しています。各自が受け取るのはそれまでの努力にふさわしい分だけです。私がそのように定めたのではありません。そのようになっていることを私が知ったというだけです。それを因果律といいます。原因と結果の間にはいかなる者も干渉できません。偶発事故とか不測の事態というものは起きません。すべては自然の摂理でそうなっているのです。

 その摂理が廃止されたり一時停止されたり、妨害されたりすることは絶対にありません。自然の摂理は絶え間なく作用しており、変わることもなければ修正することもできません。その摂理と調和して生きることです。すると良い結果が得られます。摂理にひっかからないように上手にすり抜ける方法はありません。その作用は絶対です。宇宙の大霊は摂理の精髄であり、権化であり、哀願も弁解も通用しません。》 (霊訓9 pp.48-53)

 私たちの生き方にとって、これは極めて貴重な教えだと思うが、この自然の摂理がよく理解できれば、世の中には実は、不運や、不公平はないということがわかってくる。

 別の見方をすれば、自分に起こることはすべて、必要だから起こっているのである。必要だから起こっている、というのは、起こっていることはすべて、本当は、自分にとってはいいことだということでもある。この「真理」に気づかないために、「自分だけが何故?」と、不平、不満、不幸を嘆くことになるのではないか。

 確かに世の中には、時として、不公平に思えることがある。ある人は苦労も苦痛も心配もない人生を送っているのに、ある人は反対に、惨めな生活ぶりで、生きていく意欲も希望もなくして苦しんでいたりする。しかし、そのような見方も、実は、真実の反面しか捉えていないことになるのであろう。

 シルバー・バーチは、それを、つぎのように諭している。

 《私はあなた方に較べれば遥かに長い年月を生き、宇宙の摂理の働き具合を遥かに多く見てきましたが、私はその摂理に絶対的敬意を表します。なぜなら、神の摂理がその通りに働かなかった例を一つとして知らないからです。こちらへ来た人間が″自分は両方の世界を体験したが私は不公平な扱いを受けている″などと言えるような不当な扱いを受けている例を私は一つも知りません。神は絶対に誤りを犯しません。もしも誤りを犯すことがあったら宇宙は明日という日も覚束ないことになります。》 (霊訓1 p.47)

 最後に、ここでもう一つ、シルバー・バーチの大切な教えを付け加えておきたい。宇宙には偶然の巡り合わせや偶然の一致はない、ということである。つまり、私たちは、寸分の狂いもなく働く神の摂理の中で生かされている。

 かつての私は、このことが分かっていなかった。分かっていなかったから、絶望し、悲嘆し、不幸のどん底に陥っていた。いまでこそ、身に染みて理解させられているが、それらの悲しみや苦しみは、私を導くために天から与えられた恩恵であった。

 その神の摂理を、シルバー・バーチはこのように説いている。

 《一人ひとりの人生にはあらかじめ定められた型があります。静かに振り返ってみれば、何ものかによって一つの道に導かれていることを知るはずです。

 あなた方には分からなくても、ちゃんと神の計画が出来ているのです。定められた仕事を成就すべく、そのパターンが絶え間なく進行しています。人生の真っただ中で時としてあなた方は、いったいなぜこうなるのかとか、いつになったらとか、どういう具合にとか、何がどうなるのかといった疑問を抱くことがあることでしょう。無理もないことです。しかし私には、全てはちゃんとした計画があってのことです、としか言いようがありません。天体の一分一厘の狂いのない運行をみれば分かるように、宇宙には偶然の巡り合わせとか偶然の一致とか、ひょんな出来ごとといったものは決して起きません。

 全ての魂がそうであるように、あなたの魂も、地上でいかなる人生を辿るかを誕生前から承知していたのです。その人生で遭遇する困雄、障害、失敗の全てがあなたの魂を目覚めさせるうえでの意味をもっているのです。価値ある賞ほど手に入れるのが困難なのです。容易にもらえるものはもらう価値はないことになります。簡単に達成したものほど忘れやすいものです。内部の神性の開発は達成困難なものの中でも最も困難なものです。

 人生は全て比較対照の中で展開しております。光も闇もともに神を理解するうえでの大切な要素です。もし光と闇とが存在しなければ、光は光でなくなり闇は闇でなくなります。つまり光があるから闇があり、闇があるから光があるのです。同じく昼と夜がなければ昼は昼でなくなり夜は夜でなくなります。愛と憎しみがなければ愛は愛でなくなり憎しみが憎しみでなくなります。その違いが分かるのは相対的だからです。しかし実は両者は一本の棒の両端にすぎないのです。元は一つなのです。しかしその一つを理解するには両端を見なければならないのです。それが人生です。光と闇の両方がなければなりません。温かさと寒さの両方がなければなりません。喜びと悲しみの両方がなければなりません。自我を悟るにはこうしたさまざまな経験が必要です。》 (霊訓1 pp.70-72)




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                           【参考資料 09】 (2011.06.20 )
                          =『天国からの手紙』関連原稿=

      ラムサの教え


 シルバー・バーチの場合と同じように、これもほとんど奇跡と言ってもいいと思うが、近年のアメリカで、霊界からのメッセージを送ってきた高級霊がいる。ラムサという名の遠い古代の人物である。

 J.Z.ナイトというアメリカ人女性をチャネルにした人類へのメッセージが、アメリカで、一九八六年に『RAMTHA』というタイトルで出版された。日本では、『ラムサ―真・聖なる預言』(川瀬勝訳、角川春樹事務所) として、一九九五年に紹介されている。

 人間というのは、輪廻転生して生死を繰り返すものだが、ラムサは、この地上界では一度の生しか生きることはなかったという。それは、現在のわれわれの時間の観念でいうと、3万5千年前のことである。三千年前に生きたシルバー・バーチと比べても、格段に古い。

 彼は、レムリアと呼ばれる土地からやってきた巡礼の一団という貧しい人たちの子として生まれた。レムリアというのは、いわゆるムー大陸のことで、いまのわれわれがアトランティスと呼んでいる当時のアトランティアとは、人々の交流があったらしい。そのレムリアからアトランティアにやってきたラムサは、アトランティア南部の最大の都市、オナイのスラムで惨めな生活を強いられていた。

 十四歳になったとき、骨と皮ばかりに痩せ、世間に対する憎しみの塊であった彼は、地平線に聳え立つ巨大な山に入り、この世の不条理を正すべく「未知の神」との戦いを交えようとする。ここから、彼の話は始まるのだが、やがて彼は、征服者となり、王となって、最後には、死を迎えることはなく高次元へと飛翔した。その彼が、なぜいま、アメリカにやってきて、私たちにメッセージを伝えようとするのか。まず、彼は言う。

 《私がここにやってきたのは、人間が遠い遠い昔に忘れ去ってしまった遺産を、あらためて思い出してもらうためだ。今いるところよりもずっと高い位置からものごとを見ることを教え、あなたはまさに神なる存在、永遠なる存在であり、神と呼ばれる本質的なものがつねにあなたを愛し、守ってきたことをわかってもらうためである。そして、あなたが、あなた自身こそが、自分の深い知性を通して人生のあらゆる現実をつくり上げたということを悟るための、手助けをするためである。そしてまた、その同じ力を使って、自分の望みどおりのどんな現実でも創造するのが可能であることをわかってもらうためなのである。》 (同書一〇頁)

 おそらく私たち一人ひとりの魂には、「遠い昔に忘れ去ってしまった遺産」が刻み込まれたまま残っている。それを思い出すためにも、「いまよりずっと高い位置からものごとを見る」ことを学ばなければならない。なぜなら、私たちは、一人ひとりが「神なる存在」であるから、といういい方は、こころにずっしりと重く響く。それを伝えるために、J.Z.ナイトを選んだというのだが、彼女は、つぎに述べられているように、かつては、ラムサの愛する娘であった。

 《自分が奉られることを避けるため、私は自分本来の姿で現れてはいない。かわりに私は、自分がこの地上界に生存していたときに自分の愛しき娘であった存在を通して、あなたたちに語りかけることにした。親切にも自分の身体を使わせてくれている娘は、私という存在の本質を伝えるために、純粋な「チャネル」と呼ばれる形となる。私があなたに語りかけるとき、娘は自分の身体にはいない。彼女の魂と精神は、そこから完全に離れてしまっているからだ。》

 これは、シルバー・バーチがバーバネルを介して、私たちに話かけるのと同じである。このようにして語りかけるラムサの話は、ひろく公開され、本だけではなく、ビデオによってもその様子を見ることができる。堂々としたその話しぶりは、アメリカの多くの観客を魅了した。私も講演で、このビデオを使ったことがある。

 このなかで、ラムサは、「あなたは誰なのか」と問いかけた後、こう述べている。

 《あなたは自分がいったいどこからやってきたと思っているのだろうか? あなたは単にひとつの細胞から進化した細胞の集合体であるだけなのか?それなら、あなたの目の奥からじっと見つめているのは誰なのか?あなたにあなたの独自性や人格、性格、魅力を与えている本質とは何か? 人を愛し、抱擁し、希望と夢を持ち、そのうえに創造するという偉大な力まであなたに与えているのはいったい何なのか? あなたが子供の頃にすでに見せていた知性、知識、智慧はどこで積み重ねてきたものなのか? 永遠の中で見ればほんの一呼吸にしかならないいまの人生の中で、あなたはいまの自分になったと思っているのだろうか?》 (七一〜七二頁)

 この最後の、「永遠の中で見ればほんの一呼吸にしかならないいまの人生の中であなたはいまの自分になったと思っているのだろうか」というのは、大切なそして鋭い問いかけである。まずこのことについて、ラムサがいうように「ずっと高い位置から」視野を広げて、考えてみることにしたい。

 私たちの社会では、常識的によく、胎児は「十月十日」で生まれる、と言ったりする。

 「十月十日」というのは旧暦での計算だそうであるが、しかし、人間一人が十月十日で出来上がるわけでは決してないであろう。まず、十月十日で生まれてくるようないのちの誕生の仕組みができあがるまでには、気の遠くなるような時間が必要であった。その時間をどれくらいの長さで捉えていけばよいのであろうか。

 私は、少なくとも、この地球上に生命が芽生えた三十五億年前からの時間を考えなければならないと思っている。私たちの一人一人は、その三十五億年の生命進化の歴史を間違いなくDNAに刻み込んで体内にもっているはずである。しかし、その生命が芽生えるための準備期間も考慮に入れると、やはり、地球誕生の四十六億年前に潮って考えるべきなのかもしれない。

 ラムサは「生命は、あなた方が何十億年とよぶ一瞬のあいだに、一連の段階を通って発達した。そして、聖なる瞬間がやってきて、あなた方は海という生命の水から陸地へ上がり、いまのようなかたちをとるようになった」と言っているが、このように、生命はまず、海の中から生まれた。

 地球最古の生命の化石が一九七六年にオーストラリアで発見されているが、これは、ストラマトライトという海中の生物からできた三十五億年前の化石である。このストラマトライトが、太陽光線に反応して酸素を放出し、新しい、酸素によって生きる生物の誕生に結びついていった。この生命については、二十億年くらい前までさかのぼれるようである。

 約十億年前には、それまでの単細胞生物から多細胞生物へと進化していくが、すべての生物は、人間をも含めて、この時期にあらわれた生物の子孫ということになる。五億年前になると、爆発的な生物の進化がみられるカンブリア紀を迎える。

 そして四億年前には、空気を呼吸する能力をもつ肺魚があらわれ、生命の海から陸への進出が始まった。五千万年前には、犬に似た動物が逆に、陸から海へ帰っていったこともあったが、これがいまのイルカやクジラの祖先である。

 人間はシーラカンスという魚から進化してきたと考えられている。この魚のヒレが長い年月を経て、サルやヒトの祖先の手足になっていった。さらに時が流れて、ヒトの祖先はオランウータンから分かれ、ゴリラとも分かれて、五百万年くらい前には、チンパンジーとも分かれた。

 その頃、ヒトの祖先でもあったチンパンジーはアフリカに住んでいた。そのアフリカで、大規模な地殻変動が起こり、その当時のアフリカの森林は南北に走る大山脈によって二分されてしまう。いまのアフリカ大地溝帯である。そして、山脈の東側では、西風と雨が山脈に遮られて、徐々に乾燥化がすすみ森林が消えていった。

 この森林が消えてしまった東側にいたチンパンジーがヒトの祖先である。何不自由なく暮らしていた森をなくして、チンパンジーは、仕方なく食料を求めて歩き始めた。これがやがて二足歩行の猿人になった。アファール猿人と名付けられた三百万年前の骨がアフリカの東側で発見されている。

 DNAの鑑定によると、その後もヒトの祖先は、ジャワ原人、北京原人、ネアンデルタール人といった系統とも分かれて、およそ二十万年前にアフリカから地球上に広がっていった。そして、住み始めた環境によって、現在の白人、黒人、黄色人種などになっていったのである。

 この魚から始まって、ヒトになっていった数億年分の過程は、人間の胎児が、母親の胎内の羊水のなかにいる十か月の間に、忠実にたどられていくようである。この羊水は、原始の海と成分がよく似ているといわれる。魚であった名残のエラは、受精後四週間目に現れ、やがて、下あご、のど、耳の一部になる。ヒレの部分も手と足に発達していく。尻尾も四週間目に現れるが、これは六週間目から消えていく。ひと言でいえば、十か月の中に、数億年分の発達過程が凝縮されて詰め込まれているのである。

 生命の準備期間としての数十億年、それに魚になってからの数億年、チンパンジーと分かれてからの数百万年、これらのうちの一年が欠けても、私たちは人間として生まれることは出来ない。また、アフリカから地球上に広がっていった原人の時からでも、二十万年間の長い命の連鎖が、一度でもどこかで切れたら、私たちはこの世に存在することは出来ない。

 そのようにみてくると、この世に生を受けた人間の一人一人は、一人の例外もなく、選んで選んで選び抜かれた奇跡の存在であることがわかってくる。

 しかし、これも宇宙の中では米粒一つにもならないような地球に限定した見方である。私たちは確かに地球に生まれたが、地球は生命の生存環境のすべてでは決してない。さらに視野を広げてみていけば、その地球も、銀河系のなかの小さな一つの惑星に過ぎないのである。

 その銀河系の直径はだいたい十万光年であるといわれている。光の速さというのは秒速で三十万キロだから、その速さでも十万年かかる距離ということになる。月の光が地球に届くまでの時間はわずか一・三秒、太陽からは八・三分と比べると、銀河系がいかに広大であるかがわかる。

 この銀河系の中心部はアルジとよばれる年老いた星の集まりで、その周辺部には若い星々が群がっている。その星の総数は約二千億だそうである。そして、その銀河系もまた、宇宙の中の一千億を越える銀河系の一つであるにすぎない。

 このようにみてくると、私たちのいのちの誕生を考えるのには、地球誕生の四十六億年前よりさらにずっと遡って、宇宙誕生のビッグバンまでの一五〇億年の時間を考えるべきなのであろうか。

 一五〇億年前にビッグバンで始まった宇宙は、強烈な光のもとに、時が刻み始め、猛スピードで膨張する空間に多量の物質が創成されたと考えられている。この世界のすべての存在の根源が、このエネルギーに満ち満ちた「真空」から生まれ出たのである。

 何も存在しない「無」の状態に詰め込まれた巨大エネルギーが爆発して、宇宙そのものが具体的な姿をとって立ち現れた。私たちが、光を懐かしいように感じるのは、ビッグバンの光が私たちの存在の原点であることを、どこかに記憶しているからかもしれない。

 このビッグバンは、神の光であろう。そして、それは多分、いのちの光でもある。

 ラムサはさらにこうも言っている。

 《自分を創造したのは両親だと思っているのであろうか。あなたの両親は、遺伝的な意味では確かに親ではあるが、あなたを創造したのではない。より大きな真実の意味では、彼らは愛すべきあなたの同胞だ。そしてあなたは彼らと同じくらい年を重ねてきている。なぜなら、すべてのいのちは同じ瞬間に創造されたからだ。すべては偉大で崇高な思考である神が、己に思いをめぐらせ、自分を拡大して輝ける光となったときに生まれたのである。あなたの本当の親は神なのだ。すべての生命の父母原理を体現する神そのものなのだ。

 あなたは自分の体が自分であると考えているであろうか。それは違う。あなたの肉体とは、あなたの真の姿である眼に見えない本質を包み込んでいるマントにすぎない。その真の姿とは、あなたの肉体のうちにある人格=自己という、感情や価値観の集合体のことだ。》(七二頁)

 世間では、母親が子に向かって、「おまえを生んだのはこの私だ」と言うようなことも珍しくはない。しかしラムサはここで、親は子を創造することはできないと言っている。意外な言い方のようではあるが、しかしこれは、科学的あるいは確率論的な見方からいっても、間違ってはいない。

 人間誕生の過程を考えてみれば、親は共同作業で子を産むことはできても、一人一人の子を選んで産むことは決してできないからである。

 人間の誕生は、いうまでもなく、母親の卵子と父親の精子の結合によってもたらされる。

 数百万から選び抜かれた細胞から卵子は月に一つずつ放出されるが、その数は女性の一生のうちでわずか五百であるにすぎない。その卵子を目指して放出される精子の数は一度に三億とも四億ともいわれている。しかし、その精子がミクロの世界のなかで抜きつ抜かれつの壮絶な勝ち抜きレースを展開して、やっと勝ち残ったわずか百前後が子宮の入り口までたどり着いても、そこに目指す卵子がいるとは限らないのである。

 数百万の細胞の中から選び抜かれて育った卵子が、卵管を通って子宮に移動するまでの数時間だけが受精可能で、そこで無事に卵子とたった一つの精子が結ばれる確率の低さは、ゼロに限りなく近いといってよいであろう。つまり、一つの勝者の精子が無事卵子と結合できるまでには、おそらく数十億あるいは数百億の敗者の精子が勝ち抜きレースから脱落するわけである。

 この勝ち抜きレースの主役は一人一人の「子」であって、決して親ではない。親は、この勝ち抜きレースに誰が勝とうが誰が負けようが、その選択には全く関わることができずに無力なのである。

 このように親は、遺伝的には確かに親であるが、どの子を産むかを選ぶことはできない。選ぶのは、子の側でありえても、決して親ではない。そして、もし子の側にそのような主体的な選択の意志が認められないというのであれば、残された可能性としては、神の意志とでも考えなければならなくなる。

 これは科学的レベルで捉えた真理の一端であるが、ここまではわかる。しかし、これ以上はわからない。視野をいくら広げても、実は、いのちの根幹である霊的要素を抜きにしては、いのちの営みは捉えられないことを、私たちはここで理解しなければならなくなる。

 それでは、霊的次元にまで視野を広げていけば、いのちの本質はどのようにみえてくるのであろうか。子は本当に親を選ぶのであろうか。

 これについては、ラムサはこう述べている。

 《あなたがここに戻ってきたのは、自分でそれを選んだからであり、自分で選んだ身体を通してやってきたのです。あなたの母親の卵子と父親の精子から、この「創造する幻」という次元で自己を表現するために自分の身体をつくり出したのです。前にしたことの帳尻を合わせるためにここに戻って来たのではなく、固体という存在を通して進化し、この次元での体験から得られる感情の中で自分を完成させるためなのです。》 (同書、一九七頁)

 ここで述べられているように、「自分で望み、自分で選んだ身体を通して」この世に生まれてくる、といわれても、この世的な視野のなかでは、なかなか理解が容易ではない。そこで、ある時、一人の女性が交霊会でラムサに質問した。たまたま妊娠中のその女性は、「この子が、なぜ私のところに来ることを選んだのか、それに、私たちはどうやって自分の親を選ぶのかが知りたいのです」と言ったのである。

 それに対しては、ラムサはこう答えている。

 《 ・・・・・この次元を離れてから再びこのレベルに戻りたいと望む者たちは、皆、子どもをつくろうとしている存在を待っているのです。前世で子孫をもたらした者には、あなたが「親」と呼んでいる生命の遺伝パターンがあり、それを通じて戻ってくることもできます。

 ほとんどの場合、人は自分の知っている者を親に選びます。前の生で子どもや親であった存在たちです。でも、この地上界での自己表現の媒体を提供してくれるというだけの理由で、自分の知らない人を親に選ぶ人もいます。自分が戻りたいときに、そのための媒体がないこともよくあって、場合によっては自分に合った化身を見つけるのに何百年もかかることもあるのです。

 本当の意味で人の母親、父親である者は誰ひとりとしていません。すべての人間は、神という、生命の父母原理の息子であり、娘です。ここにいる者はすべて、兄弟姉妹であり、互いに同じ親から生まれた子どもなのです。あなたの子どもも親も、本当は兄弟姉妹であり、皆、等しく神の精神の一部なのです。》 (同書、一一〇〜一一一頁)

 三次元の視点からはみえないが、このような霊界からの「証言」は、決して少なくはない。あと二つ付け加えておこう。シルバー・バーチもこう言っている。

 地上に生を享ける時、地上で何を為すべきかは魂自身はちゃんと自覚しております。何も知らずに誕生してくるのではありません。自分にとって必要な向上進化を促進するにはこういう環境でこういう身体に宿るのが最も効果的であると判断して、魂自らが選ぶのです。ただ、実際に肉体に宿ってしまうと、その肉体の鈍重さのために誕生前の自覚が魂の奥に潜んだまま、通常意識に上がって来ないだけの話です。(『霊訓』(1) 三八頁)

 もうひとつ、別の高位霊からの貴重な「証言」がある。ここでは、この地上に生まれ出ることを決意した魂が、いろいろと霊界での援助を得て、母親を探し、家柄なども検討していることが、かなり具体的に述べられている。

 《人はみな永遠の存在である。腕に抱かれた幼子や赤ん坊も、星々と同じく大昔から存在している。意識は永遠であり、不滅なのだ。

 人は自分の人生の境遇を選択する。もしこちらの領域に来てみたなら、皆さんの世界に生まれ出る機会を切に待ち望む、数知れない仲間たちを目のあたりにするだろう。彼らは地上の喜びと豊かな環境を懐かしがり、切望している。また多くの人にとって、魂の領域自体も学ぶべきことは多いのだが、「地球学校」という意義深い領域にとってかわることはできない。

 赤ん坊はすっかり成熟した完全に進化した魂であり、魂の領域では成人の姿をして見える。もし彼らの魂がこの世でさらに学ぶように駆り立てれば、彼らは、自分たちが入っていくのにふさわしい環境を検討し探す。彼らは母親を捜し、そして一種の宇宙の順番待ちのリストに登録する。家柄を慎重に調べ、適切な縁組みを探すのはわたしたちの領域にいる多くの者たちの仕事だ。そんなわけで、赤ん坊は皆さんの世界への新参者ではなく、おそらくその両親と同程度の年月を経ているのである。両親が子供から非常に多くのことを学ぶのも不思議はない。》 (ジュディー・ラドン『輪廻を超えて』片桐すみ子訳、人文書院、一九九六年、一八頁)

 同様の「証言」はほかにも沢山あるが、子供はこのように、自ら親を選んで生まれてくる。そして、ほとんどの場合、人は自分の知っている親を選ぶ。前の生で子供や親であった存在たちである。このことは、実は、私と富子や潔典との過去世での関係性をみても、うなずけることである。( 『天国からの手紙』 過去世の付表参照)

 ただ、この地上界での自己表現の媒体を提供してくれるというだけの理由で、自分の知らない人を親に選ぶこともあるようである。また、自分が戻りたいときに、そのための媒体がないこともよくあって、場合によっては自分にあった化身を見つけるのに何百年と待たされることもあるという。

 しかし、ラムサも言っているように、本当の意味で、人の母親、父親である者は一人もいないのであろう。すべての人間は、神という生命を分け与えられた息子であり娘だからである。つまり、私たちの誕生は「神の意志」であり、本当の親は神であることを知らねばならない。

 ラムサはさらに、子は親を選んで生まれるだけではなく、自分自身の人生をも創り上げていくと、つぎのように述べている。

 《あなたは、いったい誰が自分の人生を作ってきたと思っているのだろうか。自分以外の崇高なる知性、あるいは何かの偉大な力があなたの人生を支配してきたと思うだろうか。それはそうではない。本当は、あなたがしてきたこと、あなたの人となり、あなたが体験してきたこと、それらすべてはあなた自身に責任がある。無数の雄大な星を創造する力があるあなたは、自分の人生のあらゆる瞬間、すべての状況を創造してきたのである。どんな人間であるかは自分で選んできた。自分の容姿も自分で創造してきた。どういう生活をするかも、すべて自分で設計し決めてきた。それこそが神なる人に与えられた課題であり、特権なのである。》 (同書、七五頁)

 これは、極めて大切な指摘である。私たちは、両親、生まれた祖国、生活環境なども含めて、自分の人生のすべてを選んでいるのである。同じく私たちは自分の人生の日時を選び、本当の自分を知るのに最適の過不足のない完璧なチャンスが得られるよう、人や出来事や環境を日々創造し続けている。

 したがって、自分の魂が達成したい目標が何であるか理解できれば、私たちが人生の道を歩んでいくなかで、誰も不利な、あるいは不運な立場にいることはないということになる。

 たとえば、あるいは魂は、自分が障害のある身体で生まれたり、抑圧的な社会や厳しい政治的、経済的環境の中で生きたりして、この人生での仕事をしたいと願うかもしれない。自分が設定した目標を達成するのに必要な環境を創り出すためである。

 だから、物理的な意味では不利な、不運な立場に置かれているように見えることがあっても、本当は、無意識ではあるにせよ、的確で完璧な環境を自ら選んでいるということになるのであろう。




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                           【参考資料 08】 (2011.06.20 )
                          =『天国からの手紙』関連原稿=


  シルバー・バーチの教え


 潔典のような霊界で勉強中の者と違って、高位霊といわれるような人になると、霊界通信もほとんど一点の曇りも曖昧さもない明噺さで、高度で詳細な内容のものを伝えている。その代表例の一人がシルバー・バーチであろう。心霊主義の世界ではあまりにも有名で、一九二〇年代から実に六十年間にわたって、イギリスで霊界の真実を伝えるためのメッセージを送り続けてきた。

 しかし、私が初めてシルバー・バーチのことばに接したのは、すでに述べたように、一九九一年の夏であった。イギリスの孤独な生活のなかで、私はやっとシルバー・バーチの教えの重大さに気づき、何度も読み返し、原文で熟読するために、翻訳してみたりもしている。

 特に、大英心霊協会で、何度もミーディアムたちからシッティングを受けた後では、シルバー・バーチのことばの一つ一つが、深くこころに浸み込んでいった。それ以来、私はシルバー・バーチを読み続け、そのことばを書き続け、今では、ホームページで毎日のように、その珠玉の教えを紹介し続けている。

 改めてここに書いておくと、シルバー・バーチというのは仮の呼び名で、紀元前千年ごろ地上で生きていた人である。しかし、どういう人であったかはわからない。何度訊かれても、本人は最後まで身分を明かそうとはしなかった。

 「人間は名前や肩書きにこだわるからいけないのです。前世で私が王様であろうと乞食であろうと、そんなことはどうでもよろしい。私の言っていることがなるほどと納得がいったら真理として信じてください。そんなバカな、と思われたら、どうか信じないでください。それでいいのです」と答えていた。

 私は、このことばが好きである。シルバー・バーチがどのような人かと聞かれたら、「どうか、シルバー・バーチの文を読んでください」と私は答えるであろう。「文は人なり」で、読めば分かるはずだからである。自分の理性で読み、自分の魂で受け止め、そして、それでも信じられなければ、シルバー・バーチのいうように、信じなければよい。

 このシルバー・バーチのことばを取り次いだのは、有能な著作家、編集者として知られたモーリス・バーバネル氏であった。彼は、シルバー・バーチが「すらすらと完璧な文章を述べていく」稀代のことばの達人であると述べているが、そのシルバー・バーチですら、このように、ごく自然に霊界から語りかけるのには、霊界での長い準備と勉強が必要であった。

 霊の世界ではことばは使わないから、地上へ降りてきて霊能者に乗り移った霊は、意識に浮かんだ映像、思想、アイデアを音声に変える必要がある。この音声に替える作業は、霊能者が仲介して音声にする場合と、霊体が直接、霊能者の発声器官を使って、音声を発する場合があるように思われる。潔典の手紙の場合は前者であろう。だから、どうしても曖昧さが残ることになる。しかし、シルバー・バーチの場合は後者である。しかも質的には、明らかに、類をみないほど、高い。

 シルバー・バーチは、心霊知識の理解へ向けて指導するという使命を帯びて地上に降りるとき、いろいろな周到な準備をしている。そのなかで、現代英語の勉強もしたことを、自らつぎのように述べている。

 《あなた方の世界は、私にとって全く魅力のない世界でした。しかし、やらねばならない仕事があったのです。しかもその仕事が大変な仕事であることを聞かされました。まず英語を勉強しなければなりません。地上の同志を見つけ、その協力が得られるよう配慮しなければなりません。それから私の代弁者となるべき霊能者を養成し、さらにその霊能者を通じて語る真理を出来るだけ広めるための手段も講じなければなりません。それは大変な仕事ですが、私が精一杯やっておれば上方から援助の手を差し向けるとの保証を得ました。そして計画はすべて順調に進みました。》 (『古代霊は語る』p.14)

 一九二〇年代にこの霊能者として選ばれたのが前述のモーリス・バーバネル氏であるが、シルバー・バーチは、氏が生まれる前から調べ上げて彼を選び、その受胎の日を待っていたという。また、ここで触れられている「同志」というのは、当時、反骨のジャーナリストとして名を馳せ、「英国新聞界の法王」とまでいわれたハンネン・スワッハー氏である。

 氏は、シルバー・バーチのための交霊会を、はじめは私的なホーム・サークルという形で開いたのだが、それが延々と半世紀以上も続いて、シルバー・バーチの教えは、人類の膨大な知的遺産として残ることになった。日本でも、一九八五年から潮文社『シルバーバーチの霊訓』一〜十二巻(近藤千雄訳)として、出版されている。

 「語りかける霊がいかなる高級霊であっても、いかに偉大な霊であっても、その語る内容に反発を感じ理性が納得しないときは、かまわず拒絶なさるがよろしい」とくり返していたシルバー・バーチが、一旦口を開くと、「何ともいえない、堂々として威厳に満ちた、近づきがたい雰囲気が漂い始め」て、交霊会の出席者たちは、思わず感涙にむせぶこともあったという。

 活字になってしまうと、そのような雰囲気は伝わりにくいが、ここでは、シルバー・バーチの教えのほんの一部を、再現してみることにしたい。

 交霊会では、話が終わったあと、シルバー・バーチはどんな質問にも、明快的確に即答しているが、ある日、「霊界についてテレビで講演することになったとすれば、どういうことを話されますか」という質問が出された。それに対して、すかさず、シルバー・バーチはつぎのように答えた。(『霊訓』3、pp76-78)

 《私はまず私が地上の人たちから「死者」と呼ばれている者の一人であることを述べてから、しかし地上の数々の信仰がことごとく誤りの上に築かれていることを説明いたします。生命に死はなく、永遠なる生命力の一部であるが故に不滅であることを説きます。私は視聴者に、これまで受け継いできた偏見に基づく概念のすべてをひとまず脇へ置いて、死後存続の問題と虚心坦懐に取り組んで真実のみを求める態度を要請いたします。寛容的精神と厚意をもって臨み、一方、他人がどう述べているからということで迷わされることなく、自分みずからの判断で真理を求めるよう訴えます。そして世界中の識者の中から、いわゆる死者と話を交わした実際の体験によって死後の生命を信じるに至った人の名前を幾つか紹介します。そして私自身に関しては、私もかつて遠い昔に地上生活の寿命を割り当てられ、それを全うして、一たんベールの彼方へ去ったのち、この暗い地上へ一条の光をもたらし久しく埋もれたままの霊的真理を説くために、再び地上に戻る決心をしたことを述べます。》

 これが切り出しの部分である。パラグラフにすると全体で五つになるが、ここでは、自己紹介と地上へ戻ってきた理由について述べている。そのメッセージは明らかである。私はこの地上では「死者」と呼ばれるが、死んではいない。いのちは永遠で滅びることはない。それが霊的真理であり、それを伝えるために、地上に降りてきた、というのである。

 私にとっては、この「生命に死はない」というのは、体験的事実である。富子も潔典も、この地上では「死者」と思われているが、決して死んではいない。明るく元気に生き続けている。しかし、こういう命の真理を、これほどまでにわかりやすいことばで教えてくれた人が、他にいたであろうか。

 シルバー・バーチの「テレビ講演」はまだ続く。つぎは、第二、第三パラグラフである。

 《私はその霊的真理を平易な言葉で概説し、視聴者に対して果たして私の述べたことが理性を反発させ、あるいは知性を侮辱するものであるか否かを訊いてみます。私には何一つ既得の権利を持ち合わせないことを表明します。こんなことを説いてお金をいただかねばならないわけでもなく、仕事を確保しなければならないわけでもありません。私には何一つ得るものはありません。霊界での永い永い生活を体験した末に私が知り得たことを教えに来ているだけです。聞くも聞かぬもあなた方の自由です。

 人間は不滅なのです。死は無いのです。あなた方が涙を流して嘆き悲しんでいる時、その人はあなた方のすぐ側に黙って立っている…………黙って、というのは、あなた方が聞く耳をもたないために聞こえないことを言っているまでです。本当は自分の存在を知らせようとして何度も何度も叫び続けているのです。あなた方こそ死者です。本当の生命の実相を知らずにいるという意味で立派な死者です。神の宇宙の美が見えません。地上という極小の世界のことしか感識していません。すぐ身のまわりに雄大な生命の波が打ち寄せているのです。愛しい人たちはそこに生き続けているのです。そしてその背後には幾重にも高く界層が広がり、測り知れない遠い過去に同じ地上で生活した人々が無数に存在し、その体験から得た叡智を役立てたいと望んでいるのです。》

 この文中の、「あなた方が涙を流して嘆き悲しんでいる時、その人はあなた方のすぐ側に黙って立っている」というのは、極めて重大な指摘である。黙って立っているのも、「あなた方が聞く耳をもたない」からだ、ということばにも、粛然とさせられる。シルバー・バーチは、これを想像で言っているのではない。霊界にいて、目の前にみている状況をありのままに語っているのである。

 ただ、ここで、これらがシルバー・バーチのことばであると聞かされても、テレビに映って話していると仮定されるのは、モーリス・バーバネル氏のはずだから、バーバネル氏の口からシルバー・バーチのことばが出てくることに一種の違和感を持つ人もいるかもしれない。霊能者の意識と発声器官を占有していることが理解できても、霊能者の潜在意識が影響を与えるということはないのか、と考えたりもする。

 一般的には、霊の意識が霊能者を通じて百パーセント正確に伝えられることは非常に難しい、ともいわれる。しかし、この場合は違う。シルバー・バーチは、バーバネル氏を生まれる前から選び、霊界からの操作で、生まれてからもさまざまな霊能者になるための経験を積ませ、その結果、氏の潜在意識を完全に支配して、自分の考えを百パーセント述べることが出来ると言い切っている。(『霊訓』3、p.18)

 「金銭目当てで言っているのではない、聞くも聞かぬもあなた方の自由」というのも説得力がある。世の中には、いわゆる霊感商法とか、悪霊除去とかで法外なカネをとる悪質業者が後を絶たないが、本来、真理を伝えるのにカネを要求することはないはずなのだ。逆に言えば、法外なカネを要求するような教えや霊的治療は、真理とはかけ離れたものといえるであろう。

 一方、いくら無償の愛のこころで真理を伝えようとしても、「聞く耳をもたない」人も少なくはない。いのちの真理を知らず、知ろうともせず、「死んだ」家族に取りすがってただ泣いてばかりしているとすれば、その人こそ本当の意味での死者である、というのもよく理解できる。私自身もかつてはそうであった。これも、現に「死者」であるシルバー・バーチが言っているわけだから、これほど確かな「証人」はいないということになるであろう。

 シルバー・バーチは、さらに、残りの二つのパラグラフを、こう続けた。

 《見えないままでいたければ目を閉じ続けられるがよろしい。聞こえないままでいたければ耳を塞ぎ続けられるがよろしい。が、賢明なる人間は魂の窓を開き、人生を生き甲斐あるものにするために勇気づけ指導してくれる莫大な霊の力を認識することになります。あなた方は神の子なのです。その愛と叡智をもって全宇宙を創造した大霊の子供なのです。その大霊とのつながりを強化するのは、あなた方の理解力一つです。もし教会がその邪魔になるのであれば、教会をお棄てになることです。もし邪魔する人間がいれば、その人間と縁を切ることです。もし聖典が障害となっていると気がつかれれば、その聖典を棄て去ることです。

 そうしてあなた一人の魂の静寂の中に引きこもることです。一切の世間的喧喋を忘れ去ることです。そして身のまわりに澎湃として存在する霊的生命の幽かな、そして霊妙なバイブレーションを感得なさることです。そうすれば人間が物的身体を超越できることを悟られるでしょう。知識に目覚めることです。理解力を開くことです。いつまでも囚人であってはなりません。無知の牢獄から脱け出て、霊的自由の光の中で生きることです。》

 ここでは、大霊との繋がりに教会が邪魔になるのなら教会を捨てよ、とまで言っているが、これは、キリスト教会が心霊主義を認めていないことを批判しているのである。キリスト教徒の迫害を続けていたローマ帝国が、方針を転換してキリスト教の公認に踏み切ったのは三一三年のことで、コンスタンチヌス帝によってであった。

 実は、この頃まではまだ、聖職者と霊能力で教会を支えていた霊能者は共存していたのである。その両者の関係がだんだん分離していき、三二五年に異端の弾劾を審議する第一回ニカイア会議が開かれた頃には、教会から霊能者と心霊主義を追放することが決定的になったといわれている。

 もともと教会では、聖職者が俗世の悩み事の相談に乗り、霊能者が天界からのお告げを伝えるというように、民衆を二重に導いていた。それが、聖職者だけが運営する教会となって、教会は次第に民衆からの尊敬を失い始め、衰退していったと、シルバー・バーチは述べている。(『霊訓』3、p.16)

 この両者の違いは、イエス・キリストの奇跡の捉え方にもあらわれてきた。病人を癒した奇跡も、憑依霊を追い出した話も、イエス自身の復活も、霊能者の心霊主義ではすべて説明できることで、謎でも不思議でもない。しかし聖職者たちは、それらが霊能力のなせるわざであり、その霊能力は本来誰にでも備わっているものだというような考え方を、認めようとはしないのである。

 たとえば、キリスト教徒であった作家の遠藤周作さんには、キリスト教関係の著作も少なくないが、そのキリスト教や信仰に関する労作も、おそらく遠藤さんが意識しないままに、このキリスト教と心霊主義との乖離をよく示しているように思える。

 復活は自然の法則の一つにすぎない、(『霊訓』3、p.89)とする心霊主義に対して、遠藤周作さんが、復活の奇跡を最後まで「謎」としてしか捉えられなかったのも、このような教会と心霊主義との乖離が背景になっているからにほかならない。

 ともあれ、「テレビに出たら」という仮定で、シルバー・バーチは、以上の内容をよどみなく一気に語り終えた。素朴で荘厳で慈愛に満ちた彼の肉声を聞くことが出来ないのは残念だが、その彼が、一方的な困難と負担を乗り越え、しかも何の見返りも求めず、地上に降りてきて熱心に説いたのは、私たちは本来、霊的存在であって、死んでも生きる、いのちは永遠である、ということに尽きると思われる。

 その真理を私たちが素直に自分のものとして受け止めたとき、私たちははじめてシルバー・バーチが言う「霊的自由のなかで生きる」ことになるのであろう。




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                            【参考資料 07】 (2011.06.16)


    『天国からの手紙』
    ―
愛する家族との18年間の霊界通信
  天国からの手紙






  第1章 慟哭
  第2章 生きながらえて
  第3章 告発
  第4章 再生への道
  第5章 祈り
  第6章 大英心霊協会へ行く
  第7章 差し込んできた光のなかで
  第8章 霊界で長男はどのように生きてい
       るか
  終 章  神の恵みと宇宙の摂理
 



   [帯メッセージ] 

    武本氏が経験した愛する家族との別れ、苦悩と葛藤。
   そして、霊的真理と邂逅するまでの日々が実に克明に描かれた一冊。
                             ――― 江原啓之


     人は死なない。というより、死ぬことができない。
   愛する家族も死んではいない。いまも生きつづけている。
        話し合えないことも決してない。
    確かに、その姿は目の前に見えないかもしれない。
    しかし、もう永遠に会えない、となぜ思い込むのか。
      話し合うこともできない、と誰がそう言ったのか。
                              ――― 終章より


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                     ―「はじめに」より一部抜粋―

 ・・・・・・・愛する家族を失って、悲嘆に暮れるのは人の常である。
 私も随分長い間、嘆き悲しんだ。死をどうしても受け容れることができず、妻と息子の葬式をすることも自分では考えることができなかった。
 「時が癒してくれる」などという言葉には、強く反発した。失った家族のいのちが返ってこない以上、まわりの人たちの、どのような慰めのことばも耳には入らなかった。
 心理カウンセラーなどの、もっともらしいタイトルの本の数々も、まったく受けつける気持ちにはならなかった。
 だから、私は、何年も何年も苦しんだ。
 それでは、愛する家族を失えば、もう、救われることはないのか。いつまでも、今度は自分が死ぬまで、悲しみつづけなければならないのか。
 そうではない。
 救いへの道は確かに存在する。
 とはいえ、救われたい一心で、迷信にすがるのは論外である。何かにつけてカネのかかる新興宗教に凝って、幻想のなかで生きるのは惨めである。豪華に着飾って権威を印象づけようとする「教主」や「救世主」たちの、あやしげな法力に縋るつもりも、さらさら、ない。
 では、どうすればいいか。
 愛する家族のいのちを失ったのであれば、そのいのちを、取り戻せばよい。
 それしか、絶望と悲嘆から逃れるすべはない。
 愛する家族が死んでしまったから悲しいのであって、生きているのであれば、決して悲しむことはないはずであろう。
 それならば、自分で自分の愛する家族のいのちを取り戻すべきである。
 それも、真実のいのちを、愛する家族の生きている姿を、しっかりと、自分で見極め、取り戻すのである。
 それしか、ない。
 それが、自分を救い、亡くなった家族を救う、ただひとつの道である・・・・・・・。


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              ― 終章「神の恵みと宇宙の摂理」 より一部抜粋―

 ・・・・・・私は五歳のころ、大阪の尻無川で溺れて死にかけたが、死ぬことはなかった。いまの私には、あのときなぜ救われたのかが、わかるような気がしている。
 十五歳のとき、生まれて初めて高熱を出して、戦争末期で薬もなく死を待つだけであったが、父の超人的な努力と愛情で私は奇跡的に救われた。それもいまでは、実は「奇跡」ではなく「必然」であったことも、わかるような気がする。
 そのときに、まぶしいほどの光を放ちながら、瀕死の私をじっと優しく見守ってくれていた御仏の姿も、決して幻想ではなかった。いまの私はそのことも、信じている、というよりは、知っている。
 私は、一九五九年にアメリカ留学を終えて帰国したその翌年、結ばれるべくして富子と結ばれた。二人の子どもが生まれて幸せであったが、後に、大韓航空機事件に巻き込まれることになる。
 富子と潔典とを失って、私は悲嘆の底に突き落とされたが、長い年月を経て、いまでは、それも「悲劇」ではなく、「神の恵み」であることも、わかるようになった。
 それも、単純で明快な、いのちの真理を知ることができたお陰である。
 その、いのちの真理とは、何か。
 それは、私たちは本来が霊的存在で、宇宙の摂理のなかで生かされているということである。
 単純ではあるが、これは重大な真理である。明快だから、誰にでもわかる。しかし、あまりにも単純明快であるがゆえに、かえって、誰にもわかりにくいのかもしれない。
 私たちは、霊的存在として肉体をまとっているのであって、肉体が霊を伴っているのではない。
 霊は不死で永遠である。だから、私たちの肉体が滅びても、いのちは生き続ける。
 富子も潔典も、決して死んではいなかった。ここで取り上げてきたのは、過去十八年間の交信の記録の一部にすぎないが、これだけでもわかるように、「死んでいるような」 状態であったのは彼らではなく、むしろ、私のほうである。
 愛する家族が、大韓航空機事件の犠牲になったとずいぶん長い年月悲しんできたが、実は、富子も潔典も「犠牲」になったのではなかった。
 米粒のひとつにもならないようなちっぽけな地球の上で起こったことを、この世での人間の一生という短い「瞬間」でしか捉えようとしていなかったから、実相がつかめず、「悲劇の犠牲者」になったと思い込んでいた。
 しかし、宇宙の摂理のなかでは、悲劇もなければ犠牲者もいない。
 ただ、起こるべきことは、必要だから起こる。だから、起こったことはすべて自分にとっては「悪いこと」ではない。
 宇宙の摂理は、一分一厘の狂いもなく完璧に働くから、決して、不公平もない。あるのは、世界のすみずみにまで行き渡る大きな慈愛に満ちた神のこころだけである・・・・・・。

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     *2011年 6月3日 全国書店にて発売開始  (定価 2,100円)*
      学習研究社(学研パブリッシング)発行 四六版上製 336ページ

       お問い合わせは、 03-6431-1506 (編集部直通)まで。





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                                【参考資料 06】 (2011.06.15)

   Correspondence with Ann Turner
      Letter to Shozo Takemoto、Japan

             


 Dear Shozo,

    Simply a little letter hoping to find you, and all your family in the very best of health, enjoying the different seasons.

    I received your most welcomed letter this morning Wednesday 21st of May 2008 concerning your special request, unfortunately I have to inform you that all my spiritual work is on hold at the moment and for the foreseeable future due to health reasons.

   I am at present undergoing extensive courses of chemotherapy for lung cancer, and I also have emphysema. As you can imagine this leaves me very weak, and unwell for most of the time, please know that you are always in my heart, and healing thoughts, I will always remember and treasure your friendship, and that of your wife Tomiko, and son kiyonori the very special channel from Spirit life.

  May the love, and light of spirit be with you always.

         Yours sincerely,
              Love
                  Ann & Tony


  Shozo's Reply

  Dear Ann & Tony,

    I received your letter today the 26th May 2008 in which you told me about your chemotherapy for lung cancer, and emphysema. I don't know what to say at the sad news.

   Only I would like to pray for you that the chemotherapy is working well, and that you are on the way to recovery. I am sure that my wife Tomiko, and my son kiyonori of the spirit world, are also very much concerned about your illness.

   I am sending you a donation under the same cover, my humble donation is for your chemotherapy treatment, and hospital care. Together with Tomiko, and Kiyonori I am praying for your recovery.

   May the love and light of God be with you always
             Shozo


  Another Letter to Shozo, Japan, 13thAugust 2008

  Our dearest friend Shozo,

  I have been meaning to write but time, one way or another has simply flown by. Firstly we thank you for your lovely card it was very much appreciated as are all your healing thoughts, and prayers.

   Although Chemotherapy in the UK is paid for by the National Health Service the  donation was used in many ways all of course connected to my health conditions.

   Words fail us to describe our appreciation of the generous donation that came from you, your wife Tomiko, your son Kiyonori, and all spirit family.

   We would like to relate to you a very special spiritual experience that occurred in our lives just recently the 5th of August 2008. We are sure that this special event will bring to you as much happiness as it did to us, if not more, coincidently the date of this special event is also our wedding anniversary.

   There are a few facts concerning my health conditions that I need to tell you of first. In November of 2007 I was diagnosed with cancer of the right lung, and also emphysema, after many appointments with the consultants, and team of doctors it was decided that chemotherapy was the way forward, Although the better option/treatment would have been an operation to remove the right lung followed by a course of Radiotherapy, but unfortunately with emphysema in both lungs my life would have certainly been put at risk.

   In February 2008 chemotherapy treatment sessions started, and continued weekly until July 2008 with the hope that the cancer would shrink. Unfortunately I was in, and out of hospital during this period of time suffering from the many side effects of the chemotherapy.

    It was decided to discontinue the chemotherapy as the cancer has grown, there is still hope. The consultants, and doctors (in consultation with us, and family) have decided even though it goes against their initial decision, to start me on a six week course of intensive Radiotherapy. As we have already written this could put my life at risk, and for certain I will lose even more lung capacity, but this is the only road open to us at this time.

    Getting back to the 5th August 2008 this was our first appointment at Singleton Hospital, Swansea, South Wales Radiotherapy Department. When Tony, and I arrived for our 11am appointment we were a little early, and feeling very tense, and a little apprehensive as you can imagine, so we decided to have a cup of tea at a little charity run tea shop that was in the reception area.

  We took our tea, and sat down at a small table next to a wooden stand that was selling second hand books, all proceeds greatly received went to Cancer Research. So Tony whilst his tea was cooling went over to browse through the hundred or so books that were for sale, words fail me at the following, for the one, and only book that Tony picked up was called Shoot-down by R W Johnson which told the story of the last flight of KAL 007.

    We took this as the first sign that your wife Tomiko, and son kiyonori were with us from their life of spirit, telling us that we were in the right place at the right time, we were so elated, unbelievable, all our nerves, and tension simply fell away. After being called in for my treatment I felt their presence, holding my hand, surrounding me with love, and healing, reassuring and comforting me.

    As I closed my eyes during treatment (the lining up of the radiotherapy beams, to ensure that I am always in the same position) their spiritual light was blinding..

     Whoever donated the book was, without knowing it, being inspired by spirit to leave it at the Radiotherapy Department, this was done in advance showing that spirit knew before we did that we were going to be there on that day 5th August 2008, we give thanks to spirit for their loving intervention into our lives every day.

   Our first book is still with the publishers and should be going into print, although we still don't know when that will be, when it is published we will most certainly be sending you a copy. We are now thinking of starting to write book two, and with your kind permission we would like to include this very special spiritual event.

  We are humble to life, and after in Gods name,
              Ann & Tony


      Shozo's Reply 24th August 2008

  Dear Ann & Tony,

    Thank you very much for your letter of August the 13th it was very much appreciated, as it was written especially when you were taking a special treatment at the hospital. I do hope, and pray that the six week course of intensive radiotherapy will do you good, and without any hazardous side effects.

    I was moved by your spiritual experience of the 5th August 2008, 1 didn't tell you much about the Korean Airline incident which occurred on the 1st of September 1983. My wife Tomiko, and son kiyonori were on board the plane when they were returning back to Japan from the United States. At that time I was a visiting professor at North Carolina State University, but I couldn't continue my teaching, and I went back to Japan with Yukari my daughter.

    I have a copy of the same book you mentioned Shoot Down by R W Johnson. This year the bereaved family members will hold a special memorial service at Wakkanai, the northern tip of Hokkaido, as this year is the 25th year after the incident, Wakkanai is the nearest place within Japan to the incident site off of the coast of Sakhalin, where we erected the prayer tower in memory of the 269 victims. So I am leaving Tokyo for Wakkanai in three days time to attend the ceremony on the 1st September 2008.

   You have helped me to recover from the agony, and despair I suffered, as you have helped many others, who were more or less in a similar situation, and you still have a lot of precious work to do including publishing your spiritual books.

    I would like to pray that Gods light be always with you, and you will be on the steady pathway to recovery.

    With love,
         Shozo



     More Correspondence  - Email - 1st September 2008

  Dear Shozo,

   When you our dear friend were attending that very special 25 year ceremony, the memorial service at Wakkanai, I was undergoing my very first session of intensive radiotherapy. I know that your wife Tomiko, and son kiyonori were administering their healing to me without a doubt, I thank them, and you, with all my heart.

   Thinking of you, and your family, always in excellent health, and all happiness in life.

    God's divine love to you all
                             Ann & Tony

    PS Following the intensive radiotherapy treatment we were informed by our        consultant that although the cancer is incurable, he is 90% sure that it is now in     hibernation (asleep). We pray that it stays that way.


     Shozo's Reply - E-mail

  Dear Ann & Tony,

   Thank you very much for your new e-mail, I was moved to hear that on the very day that I was at Wakkanai to attend the special 25 year ceremony you were having your first radiotherapy session. You mention my wife Tomiko, and son kiyonori were administering their healing love to you at that time. I know they were, and always are very thankful to you for the spiritual service you have applied to them as well as to me.

    On behalf of my wife, and son I would like to repeat thank you very much again and again. I am greatly relieved to hear that you are well, and that the cancer is in hibernation, I do hope the cancer stays asleep forever, and ever.

    I will keep praying for you everyday.

          God bless you,
                        Shozo


   Tony & Ann Turner Walking With Spirit Con-Psy Publications,
        Greenford,Middlesex, 2010, pp.111-115
   



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                                 【参考資料 05】 (2011.06.15)

     Ann Turner and I  
             by Shozo Takemoto, Japan


        


 It was in February 1992 when I first met Ann Turner at the Spiritualist Association of Great Britain (S.A.G.B) in London. In those days I lived in Rochester, a small historic town about 30 miles to the south east of London. I was a visiting professor at the University of London, and I used to go to the university, to take classes three days a week.

  On this particular day I had no classes, so I travelled up to Victoria Station by train, and walked the short distance to the S.A.G.B arriving there about noon. I had an appointment with a medium at l pm, and I was waiting for the sitting in the lounge named Lincoln room. No one else was there, then a young lady came in, "Hello" she said.

  She was dressed in a white track-suit with the brand name of Beneton on the front. I said to her "Are you waiting for a sitting, too?" “No” she answered, "I am a working medium here". After a short while I asked her if it was possible for me to have one of her business cards, she gave me her card. That was Ann Turner.

  She then left the room, Bye! Bye! I took a look at her card and noticed that she also lived in Rochester! (coincidence?) Not too far away from my house, perhaps about 15 minutes' walk. I remember that I felt something familiar with her at the time!

   After that I went for my appointed sitting and was told about my wife and son and other family members in the spirit world. I was still in a state of half doubt about the messages that I had been given from those in spirit! But I made a promise to myself that I would return to the S.A.G.B to see if I could obtain any further proof (messages) from my family in the world of spirit. I was like a drowning man clutching at a straw!

   My family used to be four, my wife, daughter Yukari, son Kiyonori, and myself. I went to the University of Arizona as a Fulbright senior researcher in April 1982. I was planning to take my wife, and my daughter as she was able to enroll at the same university. My son kiyonori was a university student in Tokyo, and was to remain there alone.

  Unfortunately my wife's mother was hospitalized because of cancer, so my wife decided to stay in Tokyo with our son to look after her mother. My daughter and I went as planned to America, and the following year in 1983 I went on to teach at the North Carolina State University, my daughter also transferred to there with me.

  We set up home in Raleigh which is the capital city, in the summer of that year, and my wife and son came over from Tokyo to spend the summer vacation with us, one big happy family together again! We managed to visit many tourist attractions, and some lovely places of interest. We thoroughly enjoyed our sight-seeing trips!

  But this happy summer vacation was soon to end in tragedy. When my wife and son were on their way back to Japan, the airliner KAL 007 on which they were boarded strayed far into soviet (Russian) airspace, and was shot down by a soviet fighter pilot. All the 269 passengers and crew were killed, including my beloved wife and son!

  My daughter and I returned to Japan after the tragedy. I just couldn't face the harsh reality of it all, and spent nearly every day and night, week after week in my bed like an invalid. I didn't want to be wake; when I was asleep I could escape from this living nightmare, I felt as though I was half dead.

   My deep grief and sorrow went on month after month; even after 3 years the shadow of this darkness still hung over me. I had been a professor for many years at one of the National Universities in Hokkaido, a northern island of Japan, but I resigned and moved to Tokyo.

  In 1991 I was given the chance to be a visiting professor at the University of London. I thought that this would be a good diversion for my mind. In the course of time, when I die, my daughter Yukari will be on her own in this world and I hoped that this would be an appropriate time for her to experience living alone without close family members, so I left Japan on my own!

  My appointment at the University of London was for one year, from the 1st of April 1991 to the 31st of March 1992. My classes kept me very busy for the first six months. On my days off I was enjoying travelling around England, and on Sundays I would go to church and study the Bible. In February of 1992 I started to visit the S.A.G.B in London, and it was about this time that I first met "Ann Turner"

   On the 11th of February, I went to the S.A.G.B again. This day was the anniversary of my brothers death! I made an appointment with Ann Turner for the first time, and as I sat face to face with her (although I hadn't told her anything about myself). I wondered if she would remember me from the Lincoln room a few days before? She knew nothing about my family, or the fact that I was from Japan and living temporarily in Rochester, Kent!

   Ann Turner said a small prayer asking for guidance, and then started speaking to me without asking any questions at all and a miracle happened in that small room; my son Kiyonori "appeared" in front of me. I was able to have a miraculous family reunion with the help of Ann Turner, and my heart swelled up. I was struck by such deep emotion. I was almost weeping in gratitude. As soon as I returned home I wrote the following letter to my daughter in Tokyo to tell her of this miraculous reunion!

  "On this particular day I made an appointment for a sitting at the S.A.G.B in London. The medium was sensitive enough to have an insight into another world; her name was Ann Turner. She was able to speak with your mother and brother in the spiritual world, and informed me that Kiyonori was standing in front of me, looking very moved!

  "I met Ann Turner in her sitting room for the first time, and I sat in front of her without saying a word, so Ann Turner didn't know anything about me, our family, or the incident. This is what she said: “The young man that stands in front of you is your son, he is about 5ft 8in tall, and looks very intelligent.” Yes! He was about that tall, but I stayed silent as I sat in front of her.

  "She went on, 'your son is saying his name is Kiyuoni or Kiyohni?' She repeated it again trying to pronounce it correctly, 'Kiyhoni? Kooyoney?' I was very startled by the sound of the name that she was trying so hard to pronounce. She must be trying to say Kiyonori, no other name would sound like this.

  "Just to make doubly sure I asked Ann Turner the following question: 'Is it an English name?' 'No it is not' she replied, 'it sounds foreign to my ear'. Certainly the name of Kiyonori would not be easy for an English lady to hear, so I ventured to ask her could it be Kiyonori?  'Yes, it is Kiyonori,' she said. 'he is saying his name is Kiyonori!'"

    It was truly amazing to be told Kiyonori's name in this way. I thought it was so unbelievable. I was concerned that my letter would have an effect on my daughter, and I tried to hold my emotions and write as dispassionately as possible, but I was finding it hard to control my loudly throbbing heart! I had been in agony and despair for so long now, month after month for many years and now I knew that I was going to overcome this hardship at last. The hardest part of the tragedy was starting to fade.

   The letter to my daughter continued; "also Ann Turner said, 'your son says that you have a scar on your left foot!' By this time I was answering her, and informed her that I did not have a scar on my left foot! But she was undaunted, saying 'you must have this scar, it might be almost faded, but you must have this scar, try to find it!'”

   Ann Turner must be an excellent Spiritualist medium but I knew myself better than she did, and I positively declared that I did not have a scar on my left foot, and I was a little dismayed at this "incorrectness". On the way back to Victoria Station, however I suddenly realised that as a child I was burnt on my right foot, and as it was quite serious I still have a scar on my right foot! The word “ scar” also means mark or burn, which I certainly do have, and from where Kiyonori was standing in front of me my left foot would have been seen as my right foot! It really was Kiyonori standing in front of me at the time as Ann Turner had said. It was quite a revelation to me, and I was greatly moved.

  Three days later I made an appointment to see Ann Turner again at the S.A.G.B. I wanted to be sure that it was not a made up story, or just her imagination. I wanted to be confident that my beloved wife and son were alive as many times as I could.

  Ann Turner started talking in the same way as before, she talked about my brother and my wife, she delivered messages from the spirit world in a way that carried firm and honest conviction.

   After listening to her for a while I said, "May I ask you questions?" "Yes!" she said. "Three days ago you told me that I had a scar on my right foot, that message turned out to be correct, could you tell me who told you of this?" Ann Turner replied, "Your father did! ....No, not your father, it was your son!" My father also knew, when he was alive that I had this scar so if she had said your father did, it would not have been wide of the mark, but she properly pointed out my son!

   I went on to ask, “Is my son here in this room?” “Yes he is here now, your wife is also here with other family members!”

   I went on to say, “My son can speak English, can you ask him in what year he passed away?” This may seem a very crossed grained way of asking a question, but as she knew nothing about my family or the incident it would be impossible for an unacquainted person to know when a person was killed.

   But Ann Turner replied without hesitation. “1973, No, ・・・・1983 was an especially sad year for you, this year is close to your heart!” She then continued; “I can see a vehicle moving very fast, suddenly it is destroyed; so suddenly that all was in confusion, he didn't understand what had happened. He saw his own body.....”


   Ann Turner went on to say much more about the incident, but I would rather not repeat the details here, all I can say is that the messages were very much to the point and I was totally convinced that my son was actually in the room, and communicating with us on that day!

    I left England at the end of March 1992. Even after returning to Japan. I have kept in touch with Ann Turner, and with her help and special gift I have been able to communicate with my son Kiyonori each year on his birthday.

   The 1st of September is the day of the incident, and each year on this day for the last 19 yrs Kiyonori's friends have visited us, to pay tribute to the memory of him and his mother. They will probably come again this year to listen to the messages from Kiyonori, to share this special time with us!

   The following is one of the special spiritual communications between the two worlds which took place on the 5th of June 2000.

 Dear Kiyonori,

  Today is your 38th birthday, and I would like to say "Happy Birthday" to you Kiyonori with all my heart. I am now 70yrs old and I am always very thankful that you are my son, and have been for the last 38yrs. I still vividly remember your phone-call from Kennedy International Airport in 1983. That was your last call and I sensed in your tone of voice something uneasy and frightening..

   After many years of agony and despair I can now understand what it was. I must first of all apologise for my ignorance and arrogance that finally lead you and your mother to the fatal journey. I have written a book with the title of; Beyond the World of Life and Death; it will go on sale in August of this year. The book is dedicated to you and your mother. I hope you get to read it; also I am planning to publish another book, which includes your essays on linguistics. This is my last year at school before retirement and I feel obligated to do what I ought to do within this year.


   Your sister Yukari is fine, she is doing voluntary work to help the needy people in the neighbourhood. As you know she has been married nearly eight years now, but still does not have a baby! She seems to be suffering and I pray every day that God will bless her with a child. This is the only concern that we have at present, and everything else is fine. I understand that you are doing some school work in your world. Please let me know how your studies are going, also I would be pleased to hear anything about your life and the people around you; how is your mother, and your grandparents? I know that in the future I will see you and other family members, and I don't feel lonely even living here alone. I feel you are always here with me.

   I am very proud of you Kiyonori. You are a warm hearted and intelligent son; I do hope that everything is fine with you and your mother. I pray that Gods light will always be with you both, I am looking forward to hearing from you before long..

  From your father
.


 Dear Father,

   Thank you father for your Birthday Greetings. I received it with a very open and full happy heart, although a little reminder that I am truly getting older, well mature, I can still be a little conceited! Anniversaries are so special never to be forgotten. You would have felt our presence on your 70th birthday wishing you a very happy day. Anniversaries are proof of ones life growth and communication, a time to share with all those we love dearly, and I love you so my dear father.

   It was such a long time ago that our last conversation took place in the physical sense that is. Please father forgive my attitude; let my arms embrace you. We have certainly moved forward, and learnt so much over the past 17yrs, much understanding and knowledge we have shared and required which can never be taken or removed from our memory. Many happy times, moments to call upon, when feeling a little sad or lonely.

   Do you still have my little clock? Tick! Tock! I speak to you my father with much pride and gratitude for being your son, know that we do have freedom of personal choice and responsibility of ones family and yes! friends a love that is certainly very special, never can it be severed. It is in ones heart, in Gods truth, spirit within.

   Congratulations on your forthcoming retirement and the many years of happy most fulfilling work that you have done. More time for you father to spend putting your own secret dreams into reality and you do have quite a few don't you? More people to meet, places to visit and most of all books to write. What a hectic time you are in for, not sitting around on your bottom.  

  Your book, Beyond the World of Life and Death certainly places our two worlds together; always do that of which your heart inspires you. People need to read your wisdom and comforting words to know of our world and life of spirit. Knowledge will grow through understanding of writings such as yours father, filling the gap of our two worlds, eventually putting an end finally of fear and superstition, bringing us all closer together, hence removing so much pain and suffering that grief brings; death being no more than simply a step into another dimension with harmony in ones heart.


   Much love to my sister Yukari, my sister. She is so sensitive, using that special gift working with people, helping them in their moments of need, advising talking to them with her quietly controlled mannerism. Please father, give her a big embarrassing cuddle from me, her big brother! She will understand. Regards to her husband, my brother in-law; shake his hand strongly from me, tell him to celebrate that special anniversary in March, enjoy be happy. I am, and we are all so pleased that he joined our family.

   Mother wishes to speak to you father.

  My dear husband, you have become a worrying man in your older age, do not deny this! You are still so modest saying little and thinking too much. Yukari is fine; she enjoys her work as you know. It takes her mind off her own problems. Be a little more stronger for her my husband for she senses your concern and worry. Ask her to drink 2 litres of water per day religiously; I know that this will not please her, water not being one of her favourite drinks; however this will do her good giving her physical body equal balance and will help to assist, to keep her system clean.

   I have seen her contentment of recent years; tell her we are all in Gods hands. Whatever his great and mighty plan and will, it will be when the time is correct for the birth of that bundle of joy. There will be many happy years shared, many happy years shared together.

  I am never far away from you my daughter and know your feelings on this matter, slow down a little, Rome wasn't built in a day! Why all that rushing? Whatever am I going to do with you, listen to your husband with both ears! With much affection and love, from your mother.

  I am truly proud of you, and for you, my husband, live your life to the full for it is good, all family members give their love to you in abundance. They do draw close and keep their eyes on you at all times, helping when they can my husband, but not interfering into your life too much, simply being near to you. Feel us! Sense us and hear all our little messages directly from our son for we place them into your mind at all times.

   When you have a special reunion, my husband, and play the tape machine and these messages feel our love and energies like an envelope enclosing you, all being there all around you, our family is such a family unit that we are. We look forward to that special reunion when our worlds are brought together by the love we share. I love you my husband; I am always and forever your wife.

   As you know father I am studying spirit communication, how many marks out of ten do you give your son? Your answer will tell me, how well my studies are going and doing. Please confirm my laughing father and send your answer directly to me via your thought.

   Our medium Ann and channel we use most gratifying for this communication as you know has such a draining effect on her energies which are getting very low. So I will say, we will all say Bye! Bye for now, and thank you father for being my father. I love you,

  from your son Kiyonori


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  Just a little note here to mention that when Shozo left England to return home to Japan, after his one year stay ( April 1991- March 1992) as a visiting professor at the University of London, the actual date of his return was 31st of March which coincidently is my birthday, and also Hydesville day in the modem Spiritualist calendar. I would also like to write here that Shozo, his family, and us (Tony and I) have become firm friends. He has on several occasions over the years (when in England) visited our home for lovely spiritual conversations, tea and biscuits, we always exchange Christmas cards, and memorabilia each year and I pray that the communicating link, that exists between our two worlds, which I have been privileged to serve as a channel, (And I give a heart warming "thank you" to spirit life) continue for the many years to come.

   Please see photo of Shozo and I, taken in our front garden, when we lived in Rochester about nine years ago.


   



      Tony & Ann Turner Living Breathing Spirit
  
Con-Psy Publications, Greenford,Middlesex, 2010, pp.127-135



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                             【参考資料 04】 (2011.06.07)

   「スピリチュアルラボ」による紹介文

  天国からの手紙―
愛する家族との18年間の霊界通信


天国からの手紙『天国からの手紙愛する家族との18年間の霊界通信』、大病や老齢によって死を身近に感じることが、人を「霊的な人間」に向かわせるきっかけになる場合があるといいます。本書の著者・武本昌三さんのように肉親を事故などで失ったことを切っ掛けとして霊的真理を探究する人もいます。

そのような苦難の人生を送ることで「動物的人間」から「霊的人間」へと、人の心[意識]を成長させて行きます。幼い子どもは死を考えず、動物もまた死を考えることはできません[〈動物的人間〉〈霊的人間〉参考]。若者や愚かな大人も今ある我が世の春を謳歌し快楽的に「死に向き合うことなく」生きている人がいます。しかし、皆どのような人間も「死」を免れることはできません。

どのような人も「動物的人間」として生きている時代(過去生も含め)があります。しかし、そのなかで一人ひとりが何かをきっかけに霊的な物事に対する目が啓けて「霊的人間」になろうと気づき心を入れ替える時期があるといいます。その時期は人それぞれ、今生の意識ではその目が啓かない人もいることでしょう。本書は、その目を啓くきっかけになるかもしれない貴重な話が詰まったものに感じました。家族を死別で失った人達への励ましにもなるかもしれません。

本書の流れは、大韓航空機事件で妻息子を亡くされた当時の記録から始まり、イギリスの伝統的な英国スピリチュアリスト協会(SAGBシッティング[霊媒に何も情報を与えずに霊界側からの話を受け取る]を受けた霊界通信の話しへと続いてゆきます。見ず知らずの霊媒から明確な証拠を得た話は読んでいて驚きを感じます。

またSAGBでミーディアム[霊媒]をしている方達の地味で質素な働き振りも語られています。以前ブログで著書を紹介したゴードン・スミスさんも英国の優れたミーディアムでしたね。この本にも何か得るものがあるかもしれません。時間に余裕がある人は読んでみてはいかがでしょう。

愛する家族との「魂の絆」 http://imaging.jugem.jp/admin/img/review/stars_50.gif

愛する家族との死別は、どのような境涯の人にも耐えられない程の喪失感をもたらす事でしょう。病気や老齢による死でも悲しみに暮れる死別。事故や災害によるものであれば、遺された者は身を引き裂かれるような想いを抱きます。

著者の武本昌三氏は家族を航空事故で亡くされた方で、大韓航空機撃墜事件の遺族だった事を初めて知りました。本書ではこの事件がただ単なる事故ではなく米ソ間で行われていた冷戦による軍事的な摩擦で起こった事も明確に述べられています。

そのような理不尽な事件で愛する家族との別れを契機として、武本氏は、人の死,運命,生命,死後の生について果敢に探究をはじめられたそうです。その探究の克明な自伝です。自然災害や殺人事件などで無念にも家族を亡くした人にとって道標となるような内容に心が揺さぶられる事でしょう。江原啓之氏が帯にコメントを寄せている通り霊的な事柄「霊界通信」を隠さずに書かれています。武本氏はこう語ります。

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よく、霊的に目覚めるのが一番遅いのが、いわゆる知識人、科学者、大学教授などの科学信奉者だと言われている。
 大学教授の場合でも、大学というのは真理を探究する場であって、その真理とは、科学に裏づけされたものでなければならない。つまり、科学でないものは真理ではない。だから、科学では証明されない「霊」に関心をもったり近づいていったりすることは、大学教授としてあるまじきことなのである。
 この頑として抜きがたい「無知」は、いまでも、多くの科学者や知識人といわれてる人々の中で深く根を張っている。私もまた、その「無知」のなかで生きてきたひとりであった。

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世の人の「無知」を少しでも払う切っ掛けになる貴重で真摯な記録です。

著者ホームページ「ともしび」
http://www.takemoto-shozo.com/

スピリチュアルラボ http://teruterulog.jugem.jp/?eid=838#sequel




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                               【参考資料 03】 (2011.06.02)
                               取材・文 並木由紀

   家族に先立たれる
  哀しみを越え

   
霊的真理に至る道程

 
1983年の大韓航空機事件でご家族を亡くされた、跡見学園女子
 大学名誉教授の武本昌三先生。スピリチュアル研究は御法度で
 ある日本のアカデミズムのなかで、シルバー・バーチの再訳をし
 ながら霊的真理を追究し、衷しみを乗り越えた先生に、生と死の
 真実について伺った。



 われわれは霊的存在、
 宇宙の真理のなか生かされている


 ―武本先生が、哀しみや困難からどう立ち直ってきたのか教えてください。

 武本 私は大韓航空機事件で、妻と子を失いました。当時は、本当に辛くて、毎日寝てばかりでした。寝ている間だけは忘れていられる。このまま目が覚めなければいいと思いました。私は二人の葬儀をすることもできませんでした。「何で私の息子が、何で私の妻が!」と、いなくなったことを納得できなかったんです。

 1991年4月にロンドン大学客員教授として渡英した私は、その翌年2月、妻と息子に何とか近づきたい一心で、大英心霊協会のアン・ターナーというミディアムに会いに行きました。大英心霊協会は、1872年の創設以来、作家コナン・ドイルをはじめとする多数の名士によって支えられてきた、世界的に有名な心霊研究の殿堂です。日本でも、何人かの霊能者を訪れてはいました。しかし、衷しみに打ちひしがれ、心霊に対しても疑心暗鬼だった私は、真実を受け止めることができない状態でした。アン・ターナーから、霊界で妻と息子がどうしているのか、正確で具体的な情報を沢山得ていくうちに、だんだんと二人は霊界で生きていると確信することができるようになっていきました。本当にうれしかったですね。死んだと思っていた息子も妻も、霊界で生きているのがわかったわけですから。その後も、現在に至るまで、霊界で二人がどうしているのか、情報を受け取り続けています。


 ―先頃の東日本大震災で家族を亡くされ、悲しみにくれている方もたくさんいらっしゃいますが、そういう悲しみはどう乗り越えていけばいいでしょう。

 武本 生と死の真実を知ることが、いちばん大事です。自分の子どもが目の前からいなくなってしまったら、母親と父親は必死で探しますよね。私の場合も迷子の子どもを捜すように、家族の行方を死にものぐるいで捜しました。そして、死んでも灰になって終わりじゃない、死は無になるわけではない、ということがわかって、初めて救われました。

 一般的な遺された者へのカウンセリングでは、「死という事実を受け入れ諦めなさい」と言います。でも、諦めることでは、人間は救われません。実際、死んでいないわけですから、それがわかれば救われます。私はいま、息子たちは霊界留学をしているのだと思っているんです。遠く離れて少し寂しいけれど、生きているんだから、嘆き悲しむことはないですよね。むしろ、留学先で勉強し成長していると聞けば、喜ばしいじゃないですか。自分の子どもが、死の真実を私に教えるために先に霊界に行った。そして、霊界でちゃんと生きている。それがわかったら、悲しくないですよ。いい子だからこそ、先立つんです。

 われわれは霊的存在であり、宇宙の摂理のなかで生かされています。神というのは、宇宙の法則、摂理なんです。霊は、永遠であり、死ぬことはありません。死んだらまた生まれ変わるだけです。震災で、家が流されてしまった、家族を亡くしてしまった。「自分たちばかり不公平だ」と思うかもしれません。しかし、宇宙の摂理、永遠のスパンで考えないといけません。100年ほどの短いスパンで考えたら、人生は不公平だらけです。だから、その一瞬のなかで、人を押しのけてでも這い上がろうと利己主義にもなるわけです。

 この世の視野だけで見ると、「死」は最悪の出来事に感じられるかもしれません。「われわれは霊的な存在である」ということに気づくと、命は永遠で、いまはただ瞬間的な生を生きているだけだと気づきます。永遠のスパンのうちに、必ず不公平が埋め合わされ、天秤は水平になっていきます。ただ、そのためには、それだけのことをしておかなければなりません。それが奉仕です。

 人のために何もせず、利己主義で生きてきて、それで埋め合わせをしてもらえるなんてことはありません。家も流され、家族も亡くせば、その段階では「神も仏もない」と思ってしまいますよね。でも、長い目で見れば、そういう経験も必要なのです。幸せばかりの人生で終わったら、かえって不幸です。それは何も学んでいないことになりますから。

 私たちはみな平穏無事を祈りますが、平穏とは仕事中の休憩時間のようなものです。休みばかり続いていたら、何のためにこの世に生まれたのか、意味がなくなってしまいます。だから苦難には、意味があるんです。


 アトランティスから続く
 家族とのカルマ


 ―武本先生の今世での使命はなんでしょうか。

 武本 大学教授とは、研究して教えることが仕事です。私はいままで一生懸命学生たちを指導してきました。でも、いまはそれ以上に、死とは何か、生とは何か、つまり人間とは何かという霊的な真理を伝えています。これは大学の研究とは次元が違う、はるかに大事なことで、これが私の使命だと思っています。知っているということは、伝える責任があります。だから、心を開いて受け取ってくださる方には伝える義務がある。受け入れてくれるかどうかはわかりませんが、生と死の真実を知らずに哀しみ苦しんでいる人たちに、私は伝える責任があると思っています。


 ―霊界についての本『天国からの手紙』を出されるそうですが、どのような内容でしょうか。

武本
 大韓航空機事件から、その真相究明をし、苦しんで恨みながら、霊的な真理にたどり着いていく。いまとなってみれば、私が失ったものは何もありません。妻も子どもも、失っていないんです。その境地に至るまでのことを、時間を追って書きました。18年間にわたり、ミディアムに「いま妻と息子はどうしているのか」と聞き続けてきた内容を紹介していますので、霊界で魂がどう成長していくかがわかるでしょう。また、私がどういうカルマをもって生まれ変わってきたのか、アトランティスから現代に至るまでの転生、家族とのカルマの変遷を紹介していますので、いままでにない本になると思います。

 大韓航空機事件万年慰霊祭では、「25年たっても私たちの衷しみは癒えません」と言う遺族が多くいましたが、私はもう全然悲しくありません。もし「妻や子どもが生きていて、息子も大学教授になって成功している世界のほうがよかったか?」と言われたら、「いえ結構です、これが私にとっていちばんいい人生でした」と答えます。涙は出ましたけれど、「この世に生き返らせてほしい」と言ったら、息子が怒りますよ。「何千年という魂の遍歴のなかで、勉強して準備してきたのになぜ?」と。もう一度、生まれ変わってやり直しになってしまいますから、それは失望します。私も家族も、決して犠牲者ではないんです。



 武本昌三
 ShozoTakemoto
 跡見学園女子大学名誉教授。1983年
 の大韓航空機事件で奥様と息子さん
 を亡くされたことから、生とは何か、死
 とは何かを見つめ、霊的世界の存在を
 確信するようになる。著書に『生と死の
 彼方に』(文芸社)等がある。5月31日
 には、霊界にいらっしゃる奥様と息子さ
 んとの交信を綴った『天国からの手紙一
 愛する家族との18年間の霊界通信』
 (学研)が出版され、6月5日には講演会
 が予定されている。
 「武本昌三ともしぴ」サイト
 http://www.takemoto-shozo.com/




 Star People 2011 Summer vol.37
ナチュラルスピリット (pp.86-87)  [2011年5月31日発行]




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                               【参考資料 02】 (2011.05.17)

                       スピリチュアル・レポート  文=中村友紀

     大韓航空機撃墜事件の遺族に届いた霊界通信
        大英心霊協会がつないだある大学教授と亡き家族との絆

                1983年9月1日に起きた衝撃的な大韓航空機撃墜事件。
                    この事件で妻と息子を奪われた大学教授の武本昌三氏は、
                    長い間その喪失感から脱けだせないでいた。
                    だが、イギリスのシツティング―交霊会と出会ったとき、彼の
                    魂は救われ、安息を得たのである!




 家族を奪った大韓航空機撃墜事件

 1983年8月31日の夕方、ノースカロライナ州ローリーにあるアパートで、武本昌三氏は娘の由香利さんとふたり、夕食のテーブルについていた。
 武本氏は当時、ノースカロライナ州立大学の客員教授で、専攻は英語学・比較文化論、由香利さんは同じ大学の学生だった。
 前日まで、同じテーブルには奥さんの富子さんと長男の潔典さんもいた。ふたりは夏休みを利用してアメリカを訪れ、8月30日、ニューヨークのケネディ空港から、ソウル経由成田行きの大韓航空機で日本へ帰っていったのだ。
 「いまごろはママと潔典が、ソウルの空港でブラブラしているころだね……」
 食事を摂りながら、武本氏は由香利さんに話しかけようとした。ところがどうしたことか、声にならない。昨日まで4人で暮らしていた室内はがらんとして、よけいに広く感じられる。それが寂しさをあおっているようだった。
 夕食が終わり、後片づけを始めたときのことだ。テレビからいつものように、ニュースが流れてきた。ところが―。
 「大韓航空機が予定の時間になってもソウルに到着せず……」
 アナウンサーの言葉にはっとして、思わずテレビに駆け寄る。見なれた女性アナウンサーが、叫ぶようにニュースを伝えていた。
 「大韓航空007便、ニューヨーク・ケネディ空港発アンカレッジ経由ソウル行、予定時間になってもソウルに到着せず、行方不明……」
 間違いなかった。富子さんと潔典さんが乗った飛行機だ。瞬時にして、武本氏の血が凍りついた。
 1983年9月1日(日本時間)、大韓航空のボーイング747が、ソ連(現ロシア)領空を侵犯したという理由で、戦闘機に撃墜されるという事件が起こった。乗員乗客合わせて269人全員が死亡している。
 読者もご存じだろう。いわゆる大韓航空機撃墜事件である。
 武本氏の奥さんと息子さんは、不運にもこの大韓航空機に乗ってしまったのだ。
 事件が起こった理由については、さまざまな説明が行われている。武本氏も真相を究明すべく、何度もアメリカ政府や当時のレーガン大統領に手紙を出した。
 本稿は事件の真相究明が目的ではないので詳しくは触れないが、背後にアメリカ政府における国家的陰謀が潜んでいたことは間違いない。つまりこれは、単純な事故や事件ではなかったのである。
 奥さんと息子さん、乗客たちは、その「犠牲」になったのだ。


 何年たっても消えない悲しみ

 悲しみや苦しみを癒す最良の薬は時間だというが、事件から何年たっても、武本氏と娘さんの苦しみが消えることはなかった。
 それどころか、事件前の潔典さんの言動のひとつひとつが、ふたりの胸をかきむしった。潔典さんはまるで、事件を予知していたかのようだったのである。
 たとえば帰国前にバーベキュー・パーティーを行うことになり、スーパーマーケットで見つけた一キロ半はありそうな牛肉の塊を見たとき、潔典さんはこういった。
 「こんなビフテキを、死ぬまでに一度は食べてみたいな」
 武本氏には「死ぬまでに一度」という言葉が少しだけひっかかったが、思わず笑ってしまった。
 「いくらお前でも、それは無理だ。こっちにしろよ」
 そういって、半分くらいの大きさの肉を選んだ。
 出発する何日か前には、由香利さんに真顔でこうもいっている。
 「お姉ちゃん、大韓航空って大丈夫なんだろうか」
 リビングルームで家族とおしゃベりをしていたときにも、こんなことをいった。
 「まっすぐ成田へ直行しないのは、面倒だな……」
 潔典さんは、漠然とした不安を感じていたに違いない。だからこそ、こうした言葉を口にしたのだ。
 「大韓航空はパイロットの技術が優秀だし、大韓航空にしか乗らないという学生もいるくらいよ」
 由香利さんがいうと、潔典さんはほっとした顔で「助かった!」といったという。
 こうしたなか、富子さんと潔典さんは出発していったのだ。それが今生の別れになるとは思いもせずに・・・・・・。


 霊能者との出会いが一大転換期に

 事件後、失意のなかで武本氏は、ふと、富子さんの友人の霊能者を訪ねてみようと思い立った。
 武本さん夫婦は、霊能力というものはまるで信じていなかった。それでも奥さんはときおり彼女と会っては、気のおけない話を楽しんでいたのだという。武本氏自身は彼女との面識はなかった。しかし彼女は、彼の顔を見るなりこういったのである。
 「もうそろそろ、お見えになるころだと思っていました」
 彼女は事件の後、富子さんと潔典さんのために2週間、供養をしてくれていた。そしてそのとき、霊界のふたりと話をした、と。
 「霊感を感じましてね、清らかな雰囲気に包まれて、潔典さんが現れたんです。最初は富子さんだと思ったのですが、よく見ると潔典さんでした……」
 武本氏は驚いた。もちろんにわかには信じられない。心の動揺を抑えながら、黙って聞いていた。
 彼女は続けた。
 「潔典さんは初めに“ありがとう”っておっしゃって、それから“楽しかった”といわれました。それで私が“アメリカ旅行が楽しかったのですか”と聞きますと、潔典さんは“いいえ、アメリカ旅行だけではなくて、いままでの生活すべてです”と答えられました」
 この瞬間、武本さんは心のなかで思わず「あっ」と叫んでいた。それはまぎれもなく潔典さんの言葉だった。
 父親である武本氏にはわかる。気がつくと、頬をぽろぽろと涙が伝っていた。
 このとき武本氏のなかで、何かが動いた。そして、ケネス・リング、レイモンド・ムーデイ、モーリス・ローリングスなどの、死後の世界に関する研究書や調査報告をひも解くようになっていった。
 いつしか彼にとって死後の生命の存在は、信じるか信じないかではなくなっていた。それは生きていくために解明しなければならない、大問題となっていたのだ。
 1991年4月、武本氏はロンドンへと向かった。ロンドン大学客員教授として一年間、イギリス生活を送ることになったのである。この一年で、何かが変わるかもしれないという淡い期待もあった。しかし、1年は短い。赴任期間が残り少なくなっても、生きていくための拠りどころらしきものさえつかめないままにいた。
 英国国教会の教会へ毎週通い、ロンドン大学では仏教学を聴講させてもらった。キリスト教も仏教も、何年も学びつづけていながら、いまひとつ教義の核心に触れることができない。
 そしていつしか、彼の心のなかで大英心霊協会に対するイメージが、大きく膨らみはじめていた。


 イギリスで受けたシッティングの衝撃

   
大英心霊協会の前に立つ武本氏。
    氏はここで奇跡を知ることになる。


 霊能者のもとで潔典さんのメッセージを受けとった後、武本氏は日本心霊科学協会の会員になった。
 ロンドンに来てからは、大英心霊協会にも会員登録をしていた。
 本誌読者ならご存じだと思うが、大英心霊協会は1872年の創設以来、作家のコナン・ドイルや物理学者オリバー・ロッジなど、多数の名士によって支えられてきた心霊研究の名門である。
 その門前まで来ながら、なかなか直接、足を向けることができずにいたのには理由がある。
 一般に、霊的に目覚めるのが一番遅いのはいわゆる知識人―科学者、大学教授などの科学信奉者だといわれる。
 大学というのは真理を探究する場であって、その真理は科学に裏づけられたものでなければならない。だから、科学では証明されない「霊」に関心をもったり近づいたりすることは、大学教授としてあるまじき行為なのである。
 武本氏はいう。
 「この頑として抜きがたい“無知”は、いまでも多くの科学者のなかで深く根を張っている。そして私もまたその“無知”のなかに生きてきたひとりであった」と。
 大英心霊協会を前に武本氏が逡巡していたのは、まさにこの「無知」のせいだったのだ。
 しかし―武本氏にとって大英心霊協会は、希望を取り戻す最後のチャンスだった。かくして、ついにミディアム(霊能者・霊媒)とのシッティング(事前情報のないまま、ミディアムが面談者に関係する霊と交信すること)を予約したのである。
 その日、武本氏は大英心霊協会のl室で、霊能者アン・クーパーと対峠していた。緊張で少し固くなっている彼の前で、彼女ははっきりした口調で語りはじめた。
 ―ふたりのレディーが現れている。ひとりはまだ若い。ひとりは老人だ。若いレディーは、親しげにあなたのそばに立っている。美しい人だ。あなたの妹か?
 「霊界に妹はいない。私の妻だろう。どのように見えるのか?」
 ―髪は黒く、化粧はしていないようだが美しい。控えめな態度で、洋服を着ている。もうひとりはあなたの母親だ。ふたりの若い男性が出てきた。あなたは霊界にふたりの息子がいるのか?
 「いや、息子はひとりだけだ。その息子が霊界にいる」
 ―では、もうひとりの男性は近親者のだれかだ。息子は身長5フィート8インチ(約173センチ)くらいに見える。黒い髪、美しい顔だ。好ましい青年だ。
 彼は、何か忙しく仕事をしている。図書館が見えてきた。図書館を指差して、研究をしているといっている。あなたの息子はたいへん知能が高く、むずかしい研究をしているので私には説明しにくい。
 心理学のようなものだろうか。人間の心を世代を超えてコミュニケートさせる方法のようなものを研究しているらしい。
 「私がいま、ここにいるのを彼は知っているのか?」
 ―もちろん知っている。あなたに強い感情を送っている。姉とは、年齢があまり違わないのではないか? 姉が子どもたちに囲まれて、デスクワークをしている姿を見ているらしい。


 シツテイングで得た喜び・疑問・奇跡!

 おわかりのようにこのシツティングでは、断片的ではあるが富子さんと潔典さんについて、かなり正確に語られている。
 なかでも注目は潔典さんの身長だ。彼は174センチだったから、ミディアムの指摘はほぼ完璧といっていい。性格も純粋で優しく、大学の成績も全部「優」だった。語られた容貌、性格、知的資質もそのとおりだ。そして、姉の由香利さんとも1歳違いだった。
 何より武本氏自身、語られる内容にまるで違和感がなかった。このことは、きわめて大きな意味をもつ。霊媒が語る死者の言葉に近親者が違和感を覚えたなら、それはとうてい受け入れられないものになるからだ。
 その後、武本氏は、もうひとりの優れたミディアム、アン・ターナーと出会った。彼女も武本氏については、何も知らなかった。
 そして――奇跡が起こった。武本氏は彼女を通じて、霊界の潔典さんと「再会」したのである!
 「あなたの前に立っているのは、あなたの息子さんです。身長は5フィート8インチくらい。とても聡明な顔つきに見える……」
 アン・ターナーはいった。またしても身長はぴたりと合っていた。しかし、それだけではまだわからない。武本氏はじっと黙っていた。すると彼女は次に、驚くような言葉を口にしたのだ。
 「息子さんが、自分の名前はキユオーニとかクヨーニだと名乗っている……キューオーニ、キヨーニ、クヨーニ・・・・・?」
 はっとした。キヨノリ…‥潔典だ! 思わず声が出そうになった。それでも念のために、次のように聞いた。
 「それは英語の名前か?」
 「そうではない、外国語の発音で私にはよくわからないが、そのように聞きとれるのだ」
 たしかに英米人には、日本人の名前は聞きとりにくいだろう。そこで思いきって聞いてみた。
 「その発音は、“キヨノリ”とは違うのか?」
 「そうだ、キ・ヨ・ノ・リだ。キヨノリといっている!」
 武本氏の心は激しく揺れ動いた。事件から何年も苦しみつづけてきて、初めてひとつの大きな山を越えようとしている。その思いが強く心を揺さぶっていたのである。
 ところが―。
 「あなたの左足に、scar「(傷痕)があるといっている」
 この言葉を聞いた瞬間、まるで冷水を浴びせられたようなショックを受けた。武本氏の足には傷痕などないのだ。ならば目の前に息子がいるというのも間違いなのか。
 アン・ターナーは怯まなかった。
 「必ずあるはずだから……」
 いくらいわれても、ないものはなかった。こうしてその日の面接は半ば失意のうちに終わった。ところが帰宅途中、武本氏ははっと気がついたのだ。
 「scar」という言葉から彼は、つい刃物の傷痕のようなものを連想していた。しかし、やけどの痕も英語では「scar」という。そして武本氏の右足には、子どものころのやけどの傷痕が大きく、はっきりと残っていたのである!
 それを知っているのは、家族しかいない。違うのは右足だということだが、前に立っていたはずの潔典さんから見れば、まさに「左の足」になる!
 そう、潔典さんはこのとき、確かに武本氏の前に立っていた。まさに奇跡が起こったのである!


 命の真理を知り、天の摂理に感謝する

 それから武本氏は、熱心に英国心霊協会のミディアムと面接するようになった。そして、天国にいる息子さんと奥さんからたくさんの言葉をもらった。
 そのすべてをここで紹介する余裕はない。ただ、そこにはたくさんの教示も含まれていた。
 武本氏と奥さんが結ばれ、子どもたちが生まれ、家族となった意味や、なぜ奥さんと息子さんが先に天国に召され、武本氏と娘さんが取り残されたのかという理由もわかった。同時にそこには、宇宙の大きな仕組みも語られていた。武本氏の苦しみも、霊的世界との出会いも、すべてはあらかじめ仕組まれていたのである。
 そしてその仕組みのなか、富子さんと潔典さんが、いまも天国で「生き生きと」過ごしていることを知ったのだ。武本氏はいう―。
 「人は死ぬと焼かれて灰になり、無に帰すると考えるのは、無知である。愛する家族が亡くなって、会うことも話すこともできないと嘆き悲しむのは、間違いである。
 私はその無知と間違いのなかで生きてきた。そして無知であること、嘆き悲しむことの恐ろしさを痛いほど思い知らされてきた。
 人は死なない。
 というより、死ぬことができない。愛する家族も死んではいない。話し合えないことも決してない。
 そのことを知らずに、死んだら終わりだと諦めて、愛する家族を自ら忘却の彼方へ押し流してしまう人たちがいるだけである。
 私はこの無知と愚かさから、ようやくひと筋の光明にたどり着くことができた。命の真理とは、きわめて単純で明快なものなのだが、そのことを長い間知らなかった。
 だからいまは、悲しみも嘆きもない。心安らかに幸せな気持ちで生きている。かつては想像もつかなかったその穏やかな心境が、何とありがたいことか。
 ここまで私を導いてくれた天の摂理とでもいうべきものに、ただ感謝を捧げるのみである」
 富子さんと潔典さんを失って、武本氏と由香利さんは悲嘆の底に突き落とされた。しかしいまでは、それも「神の恵み」だったことが理解できるのだという。
 命の真理とは、人が霊的存在であり、宇宙の摂理のなかで生かされているということである。
 人は霊的存在として肉体をまとっているのであり、肉体が霊を伴っているのではない。霊は不死で永遠である。だから、肉体が滅びても命は生きつづける―と。
 富子さんも潔典さんも、決して死んではいなかったのだ。「死んだような」状態だったのは、むしろ武本氏たちだったのである。
 ご存じのように、この3月11日、東日本で未曾有の大震災が発生した。原発事故まで引き起こし、犠牲者や被災者の方々の苦しみを思うと言葉もない。しかし――誤解を恐れずにいえば、こんなときこそ、命の本当の姿に気づくチャンスでもある。
 いずれにせよ紙幅が尽きた。なお、本稿は武本昌三氏の著書 『天国からの手紙―愛する家族との18年間の霊界通信』(5月31日発売予定 学研パブリッシング)を参考にさせていただいた。興味ある読者は、ご一読いただければ幸いである。

 

 月刊「ムー」2011年6月号 (No.367)
   学研パブリッシング、pp.38-43




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                           【参考資料 01】 (2011.04.25)


   「今は暗黒、将来は天国」不安・恐怖を抱く必要なし 

                                       玉ノ井 重孝

      このホームページに何度か投稿してくださったこともある玉ノ井さんから、頭書の
     原稿が送られてきました。玉ノ井さんのご了解をえて、全文(A421頁) を転載させて
     いただきます。
       なお、この転載にあたって、玉ノ井さんから、つぎのようなご伝言がありましたので、 
     お伝えしておきます。

      1.この文章全文は、誰でも、印刷して、インターネットを使えない人々読めるように
        「大いに、ぜひとも積極的に、どしどし転載や配布をしてほしい」。
      2.ただし、コピー転載にあたっては、句読点を含めて、内容は一切変更しない。
      3.文責を明示するため、作成者名(玉ノ井重孝)も削除せず、記載する。

      なお、玉ノ井さんから送られてきた文書は以下の4件ですが、転載させていただく
      のは、そのうちの最期の文書です。

      ◎災害時の徒歩帰宅での教訓
      ◎洪水時(床上浸水)の教訓
      ◎原発は核兵器と同じ、絶対に使うべきではない/空間エネルギーを使うべき
      ◎「今は暗黒、将来は天国」不安・恐怖を抱く必要なし

          〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 今回の大震災によって、日本は地球人類史上前例のない「最終段階」に突入した可能性があります。
 もしそうであれば、いずれ、今までの常識では、対応できなくなります。
 では、どうすればいいのか?
 その答は、「本当の真実を知れば良い」です。
 なお、宗教に良く似た部分が多々あるかも知れません。しかし、宗教ではありません。これは非常に大事なので、最後に述べます。

 <宇宙の真理>

 被災者の方々が、今、大変な苦しみを味わっているのは言うまでもありません。
 家族が目の前で亡くなり、自分だけが助かり、生き残ってしまった自分を責めている被災者も、あるいは少なくないかと思います。

 人間はなぜ苦しまなければならないのか?

 この答は、既存の常識や論理では得られません。
 多くの人々が、この答を求めて、あるいは宗教の道に進み、あるいは哲学の道に進み、あるいは科学の道に進みました。
 宗教の信者なら、自分の信仰する宗教によって、この答がすべて得られたと思っているかも知れません。
 しかしながら、「本当の答」ではありません。宗教、哲学、科学いずれでも、それは同じです。

 「本当の答」とは、いったい何か?
 それは「宇宙の真理」です。
 「宇宙の真理」を理解すれば、いろいろなことが明確に分るようになります。
  人間とは何か?
  人間は、何のために生れてきたのか?
  人間は、何のために生きているのか?

 これらが分ると、人間はなぜ苦しむのか、なぜ苦しまなければいけないのか、この理由も明確に理解できます。
 同時に、苦しむことはちっとも悪いことではない、ちっとも恥ずかしいことではない、ちっとも情けないことではない・・・等々も明確に理解できます。
 さらには、いくら苦しくても不安を感じる必要はない、感じるべきでもないと、明確に理解できるようになります。

 昔から伝わる、ことわざや言い回しがあります。
  可愛い子には旅をさせよ。
  若い時の辛労は買(こ)うてもせよ。
  あの人は苦労人だ。
  あいつは苦労がたらん。

 これらは、いったい何を意味しているのか?
 言うまでもなく、人間は苦労することによって成長できる、苦労しなければ成長できない、ということです。
 だからこそ、誰にとっても、生れてから死ぬまで、うんざりするほど次々と苦労が向うから押し寄せてくるのです。
 人間を痛めつけるためではありません。人間を成長させるために、わざと苦しめているのです。いわば愛の鞭(むち)です。
 苦しめば苦しむほど、目には見えなくても、自分が成長しているのです。ですから、苦しみを毛嫌いする必要はありません(毛嫌いしたくなりますが)。

 <誕生は必然の一致>

 大多数の人々は、人間(赤ん坊)は偶然の一致で生れてきたと思っているはずです。
 しかし、それはまったくの誤解です。
 人間をこの世に生み出すための巨大なシステムの中に、偶然の要素は存在していません。すべてが必然です。

 だからこそ、例えば、生年月日で運命を占う手法が成り立つのです。
 ただし、生年月日がその人の運命を決めるのではありません。運命が、その人の生年月日さえも決定づけるのです。
 そのため、生年月日を手がかりにしてさかのぼり、出発点である、その人の運命を推定できるわけです。
 例えば、20歳の時に、今回の大地震に直面する運命にある人なら、ちょうど20年前に生れる必要があるのは明かです。

   (注)占いはすべて正しいと言うつもりはありません。的中しても不思議ではなく、 
       外れても不思議ではありません。天気予報とまったく同じです。


 以前、ある若い女性タレントがテレビで、「自分は、母親の胎内から出産する時の状況を良く憶えている」と大まじめに話していました。その状況も具体的に語っていました。
 また、「前世を記憶している子どもたちが実在する」と主張する医師や学者も存在しています。
 これらは、いったい何を意味するのか?

 人間は肉体だけではなく、いわゆる魂も存在していることを、指し示しています。
 肉体と魂が一体になって、一人の人間を構成しています。
 例えば、コンピュータは、ハードとソフトが一体になって成り立っています。機械装置であるハードだけでは動きません。
 ハードを動かすプログラム、つまりソフトがぜひとも必要です。
 かつて「冷蔵庫、電気なければただの箱」というキャッチ・フレーズが流行しました。それと同じで、「コンピュータ、ソフトなければただの箱」です。

 同様に、「人間、魂なければただの物体」です。
 「仏作って魂入れず」のことわざは、ここから来ているはずです。
 人間から魂が抜けた時、それを死と呼びます。
 人間に魂が入った時、つまり胎児に魂が入った時は、つわりが起きた時だとの説があります(この説が正しいかどうか、現時点では分りません)。

 生れてきた赤ん坊の肉体は、幼児そのものです。しかし、その魂は、幼児ではありません。一人前の大人です。
 そのため、出産時の様子を赤ん坊自身が見たり憶えていたとしても不思議ではありません。
 しかし、圧倒的大多数の人は、まったく覚えていません。その理由は、生れてくる時に、今までの記憶(魂としての記憶)をすべて消されてしまうからです。
 ただし、消されてしまうのは表面意識の中の記憶だけです。潜在意識の中の記憶はすべて残っています。
 だから、前世を記憶している子どもがいくらいても不思議ではありません。表面意識の記憶が完全には消えず、少し残っていたわけです。

 何のために、魂の記憶をすべて消し去るのか?
 それは、新しい人生勉強をするためです。

 人間が「この世」に生れる理由は、「魂としての自分が人生勉強」をするためです。
 要するに、この世は「学校」です。
 この世に生れるということは、この世という名の学校に入学することです。
 生れてから死ぬまでのすべての人生体験が、「学校」での授業です。
 したがって、死とは、人生学校の「卒業」に他なりません。
 ゼロ歳の幼児として入学し、(原則的に)数十歳の老人として卒業して行きます。

 卒業した魂は、どこへ行くのか?
 入学してくる魂は、どこから来たのか?

 それは、いわゆる「あの世」です。
 人間の魂は、あの世から、この世へ来て、再びあの世へ帰って行きます。
 仏教で言う輪廻転生(りんね てんしょう)です。

 あの世 → この世 → あの世 → この世 → ・・・ぐるぐる回っています。
 だから、「人は死んでも死にません」
 死ぬのは肉体だけです。
 魂は、永遠に不滅です。

 長島監督いわく「巨人軍は、永遠に不滅です」(笑)

 魂の抜けた肉体は物体に過ぎないと前述しました。役目を終え不要になった肉体が土に還って行くのは当然であり、自然なことです。
 したがって、亡骸(なきがら)を抱きかかえて、「愛する人が死んでしまった」と嘆き悲しむ必要は、本当はないのです。
 逆に、「人生学校のご卒業おめでとう」とお祝いするのが、本来ならば、あるべき人間の姿なのです。「長い間お疲れ様でした」と定年退職者を見送るのと同じようなものです。

 人間は、この世とあの世を次々と渡り歩いています。
 したがって、過去における、多数の「この世」が存在します。そのため、過去の人生経験(過去世)がかえってじゃまになる可能性が生じます。

 例えば、今現在は夫婦である相手が、過去世では親子であり、もっと前は、ご主人様と奴隷であっても不思議ではありません。

 そうなると、今、目の前にいる配偶者を、どのようにとらえればいいのか分らなくなります。
 夫婦ではなく、本当は親子と思うべきなのか、それともご主人様と奴隷なのか、それとも、やっぱり夫婦と思うべきなのか、わけが分らなくなります。
 頭が痛くなって、夜も寝られません。これでは人生勉強どころではありません。
 そのために、わざと生れてくる時にすべての記憶を消し去っておくのです。
 (これ以外にも理由はありますが)。

 例えば、テレビの心霊番組で、霊能者が「あなたの過去世は、○○です」と、過去の自分がどのような人物であったかを掘り起すのは、両刃の刃です。
 本人の今後の人生にとってそれがプラスに作用すれば有益ですが、マイナスに作用する恐れもあります。少なくとも、遊び目的で過去世を掘り起すのは避けるべきです。

 <完全な個人授業>

 この世の「人生学校」は、完全個人授業制です。
 一人ひとり、何をどのように学ぶかすべて異なっています。
 だからこそ、各人の人生は、一人ひとりすべて違いがあるのです。同じ兄弟姉妹でも、すべて性格が異なり、人生もすべて異なるのはそのためです。
 ある人は百歳まで生き、ある人は生れたとたんに死んでしまうのもそのためです。

 この授業計画は、生れる前に「あの世」で作り上げます。
 どこの国で、どのような人物として、どの親から生まれ、どのような人生をたどり、いつどのようにして死ぬか、すべて決めてから生れてきます。
 これがいわゆる運命です。つまり運命とは、自分の「人生勉強一生涯計画書」です。だから、前述のように、生年月日も運命によって定まるのは当然です。

 親も自分が選んで決めます。同時に、親になってくれる人の承諾も必要です。事前にあの世でお互いに同意しあっているため、実際にこの世に生れてくると、親子ならではの非常に強いきずなが、あたかも自然発生したかのように生じるのです。

 一方では、非常に仲の悪い親子も存在します。これもお互いに同意の上です。
 そのような厳しい家庭環境の中で生れ育ち、それを通じて厳しい種類の人生勉強をするために、わざと、この世ではそりの合わない相手を意識的に選んで生れてきます。
 これも、数ある人生勉強の一つです。

 今回の大地震に限らず、事故でもなんでも同じですが、前述のように、自分だけ助かって、家族が皆死んでしまうことがよくあります。
 これも、一人ひとり異なった人生勉強計画に基づいて生れてきているためです。いつ死ぬかも、基本的には一人ひとりすべて異なります。どんなに仲の良い家族であっても、一人ひとり勉強計画は異なっています。完全個人授業制です。
 だから、生き残った人が自分を責める必要はまったくありません。責めてはなりません。

 「あの時、こうすれば助かった」「あの時、ああしなければ助かった」このように思い悩むのも、まったくの考え違いです。
 どのようにして、いつ死ぬのかも、生れる前からの計画です。
 自分が相手に対して「その時、こうしたら」それに基づいて新しい状況が展開し、その結果、「別の原因で」やはり相手が死ぬことに変りありません。
 その日、その時、その人物が死ぬと決っていたら、周囲の人がどんなことをしても、その人物は必ず死にます。人間の力で、それを覆すのは物理的に不可能です。
 なぜならば、その人がその時に死ぬのも、意味があるからです。必然性・必要性があるからです。それを覆してしまったら、かえって本人のためになりません。
 本人のためにならないとは、あらかじめ決めてきたその人の人生勉強計画書に反してしまう(じゃまをしてしまう)という意味です。

 「奇跡の生還」がよくありますが、これも、そのような形で助かると、事前に決っているから助かったのです。奇跡が起きて、本人の人生勉強計画上で死ぬと決っていたのを覆したわけではありません。
 奇跡の生還が起きた時は、「偶然の一致」がその陰に存在している場合が多いはずです。
 例えば、運良く小さな隙間があって押しつぶされないですんだ、運良く看護師が近くに居合せて応急措置をすぐに受けることができた・・・などです。
 「隙間」「看護師」・・・いずれも偶然ではありません。本人が死なないように、人生勉強計画書があらかじめ用意していたのです。

 死にそうな人を助けるのは無意味なのか?
 人を助けてはいけないのか?

 もちろん、そんなことはありません。全力をあげて助けるのは言うまでもありません。
 それでもなお助からなかった場合に、どのように受け止めたら良いのか、どのように考えたら良いのか、ということです。
 これは、決して、悲しみやつらさをごまかそうとしているのではありません。

 <運命は決っているが、変更できる>

 一説によると、運命は、「天命」「宿命」「運命」の3種類から成り立っているとのことです。
 このうち、天命と宿命はすでに決っているものであり、当人が変更できません。
 しかし、3番目の運命は、本人の自由意志でどうにでも変更できます。
 この説が正しいかどうか、現時点では分りませんが、生れてしまった後に、生れた国や生年月日などは、いまさら絶対に変更できません。
 しかし、例えば、どこの大学へ入学するか、どこの会社に就職するか、このようなことは、本人がいくらでも自由に選択できます。
 どれかを選択することによって、それに応じた新しい人生勉強計画書が生れます。それ以降が、全面的に書き換るのではなく、選択した部分に関係するものだけが換るものと思います。

 別の例えをすれば、道を歩いている時に交差点に出会って、直進するか、右折するか、左折するか、それとも後に戻るか、いずれかを選択することによって、それに見合った次の人生が生じるということです。
 例えば、直進したら交通事故に出会い、右折したら財布を落してしまうならば、直進を選択したら、交通事故に遭うけれども財布は落さなくてすみます。一方、右折を選択したら、財布は落すが交通事故には遭わずにすみます。

 人間は生きたロボットではありません。ロボットのように、すべてプログラムどおり、あるいはリモコン装置の指令に従って、機械的に生きるために、この世に生れてきたわけではありません。
 生れる前に人生勉強計画を決めてくるけれども、上記のように、自分で能動的に選択できる余地も、きちんと用意されています。その部分は自分の責任と権限で、みずからの意志で選択する必要があります。
 どこまでが決っている部分で、どこから先が自由に選択できる部分か、それは見えません。
 だからこそ、その日その日で、自分なりに最善と思える選択をし続ける必要があります。それもまた、人生勉強の一環です。

 <自分以外はすべて教師>

 この世で生きること、それ自身が、前述のとおり「人生勉強」そのものです。
 そのための教師はどこにいるかと言うと、ある意味ではどこにもいません。逆に言えば、いたるところにいます。

 「人のふり見て、我がふりなおせ」このとおりです。
 他者は自分自身の姿を映し出す「鏡」です。
 例えば、自分自身が悪い心を持っていたら、目の前の相手も、自分に対して悪い反応を示します。
 逆に、良い心を持っていたら、相手も、自分に対して良い反応を示してくれます。

 これも、単なる精神論や道徳論ではなく、物理学の「作用・反作用の法則」が人間にもそのまま当てはまるということです。
 別紙『災害時の徒歩帰宅での教訓』の教訓10 情けは人のためならず」で述べたとおりです。

 上例で言えば、相手が悪い反応を返してきた時は、自分自身がそれに見合う悪い心を持っていたと、相手が言葉ではなく、体で教えてくれたことになります。
 良い反応を返してきた時は、ちょうとその逆になります。
 両者とも、相手がこの時、自分の「人生勉強」の教師役を図らずも務めてくれたわけです。

 誰にとっても、職場などで「嫌なやつ」が一人や二人は必ずいると思います。どうしても毛嫌いしたくなります。避けたくなります。
 しかし、上記の面から見れば、嫌なやつほど、自分の人生勉強にとって大事な教師に相当します。いわば、「人一倍口やかましい熱血教師」みたいなものです。
 まさに、「良薬は口に苦し」です。
 キリストが「右の頬(ほほ)を打たれたら、左の頬を出せ」と言ったそうですが、このことを指しているとも言えます。

 別の例え話ですが、足元の小さな石ころを、なにげなくけとばしたとします。それが勢いよくはね返り、自分が怪我をしたら、この石ころが、立派な教師役を務めたと言えます。
 つまり、小さな石ころといえども、その扱い方にきちんと配慮(注意)しなければいけないと教えてくれたわけです。

 このように、人生勉強の教師役は、どこにいるか分りません。
 他人はもとより、動物であれ、植物であれ、海・山のような自然物にいたるまで、自分以外のすべてが教師です。しかも、相手は教師役だとは言ってくれません。
 自分で見抜く必要があります。誰が教師役かを認識すること、それ自体も人生勉強の一環と言えます。

 知らぬは本人ばかりなりけり。
 知らぬが仏。
 あって七癖(くせ)なくて四十八癖。

 これらも、自分に対する教師役を図らずも見落してしまったことによって生じた出来事だとも言えます。

 私の場合、技術者として体験的に、自然からいろいろ学びました。
 別紙『原発は核兵器と同じ、絶対に使うべきではない/空間エネルギーを使うべき』の主張をするのも、人間が自然に逆らった時、自然が人間に対して牙をむいて襲いかかってくる凶暴さがいかにすさまじいものであるか、自分なりに良く分かるからです。
 例えば、家庭の交流100ボルトの電気でさえ、条件がそろえば、人間を真っ黒焦げにするのは不可能ではありません。
 通常では、そのような条件がそろう心配はないので、子どもでも安心して電気を使えるのです。家庭用といえども、電気を甘く見たら命取りになります。
 電気に限らず、原発に限らず、大自然に対しては、限りなく謙虚な気持で臨むのがぜひとも必要です。
 「おごれる平家は久しからず」「おごれる東電は久しからず」です。

 <地球人類全体の人生勉強計画書>

 一人ひとりに個別の人生勉強計画書があるように、一つの国や国民にも、全体でひとかたまりの「人生勉強計画書」があります。
 そのため、それぞれの国や国民にも、個人と同様に個性の違いが生じるわけです。つまり「国民性の違い」です。
 同様に、地球人類全体を包含する、人生勉強の計画書もあります。

 地球の今までの歴史の流れは、この「全地球人類人生勉強計画書」のうち、過去の部分が目に見える形で表面化したものだと言えます。
 例えば、第一次世界大戦、第二次世界大戦、ベトナム戦争、湾岸戦争、911テロ事件、アフガン・イラク攻撃・・・等々いろいろな苦しみがあります。

 これらも、前述のように、個人がそれぞれの人生でさまざまな苦しみを味わうことで、知らず知らずに成長するように、人類全体としても、苦しみを通して、知らず知らずのうちに少しずつ成長してきました。

 戦争での爆撃が好例です。第二次世界大戦では、連合軍も日本軍も敵国に戦略爆撃をどんどん行いました。

       (注)爆撃は、以下の2種類に大別できます。
            「戦術爆撃」は敵部隊への爆撃です。
            「戦略爆撃」は敵部隊ではなく、その後方である敵国の、例えば、軍需
       工場、石油基地、鉄道、都市などを爆撃します。
              軍人だけではなく、丸腰の民間人も多数殺傷することになります。


 第二次世界大戦までは、戦争だから戦略爆撃もしかたないと思われてきました。
 ところが、平成の現代では、いくら戦争といえども、丸腰の民間人まで爆撃するのは、明かに非人道的でやってはいけないと、人々の考え方が大きく変ってきました。
 戦争自体は、今でも世界中に存在します。それでも、戦争に対する考え方が、このように変化しました。
 目には見えなくとも、人類全体が少しづつ成長してきた何よりの証拠です。

 チュニジアに端を発した民主化運動、独裁政治を倒そうとする動きが、エジプト、パーレーン、リビア・・・次々と燃え広がっています。
 これも偶然の一致ではありません。人類が成長したために、「もう独裁政治なんかごめんだ。終りにしよう」と本気で思うようになったからです。
 一説によれば、この動きは、裏から糸を引いている者が存在するとのことです。仮に、それが事実であったとしても、その者たちの思惑を超えて、「本物の民主化」が実現する方向へ地球全体が、やがてどんどん動いて行くことに変りありません。

 インターネットが好例です。
 インターネットは、人々のためを思って生れたのではありません。
 地球を裏から牛耳っているろくでもない連中が、人々をパソコンの前にくぎ付けにするために、わざと作り出し、投げ与えた「エサ」です。
 インターネットは非常におもしろいため、「これを与えれば、愚民たちは夢中になり、一日中パソコンにかじりつくはずだ」という計算のもとに、彼らが意図的に生み出しました。
 インターネットという名の「目に見えない収容所」に人々を放り込み、縛り上げるのが目的です。それを通じて、人々を彼らの思いどおりに操ろうとしました。
 そのもくろみが「成功」したのは言うまでもありません。

        (注)もちろん、実際にインターネットを作ったのは、コンピュータの専門
        家です。彼らではありません。専門家たちがみずらの意志で自発
        的にインターネットを作り上げるように、社会的な環境を巧妙に彼ら
        が作り出したのです。


 同時に、一方では、彼らのもくろみは完全に外れ、やぶへびになりました。
 インターネットのおかげで、マスコミがさんざん垂れ流してきた「もっともらしいウソ」が次々とばれて行きました。
 「知る人ぞ、知る」状況が、続々と生れています。

 世界を裏から牛耳っている彼らの存在自体が、明るみに出てきました。
 911テロ事件は彼らの自作自演だったとバレてしまいました。
 アメリカ政府が密かに開発したHAARP(ハープ)という大がかりな装置を用いて、台風や地震、津波などの自然現象に対して、人為的に干渉していることも明かになりつつあります。
 端的に言えば、台風や地震、津波などをアメリカ政府が密かに引き起しています。
 台風の場合は、起すというよりも、自然発生した台風の進行方向を意識的に操ったり、台風の勢力を意識的に増大させたりしているようです。
 この装置は、電離層を観測研究するための装置ということになっています。

 台風などの自然現象を人間が直接いじくり回すのは、最先端医学を活用してクローン人間を造ろうとするのと、まったく同じ発想です。
 クローン人間造りは、フランケンシュタインを造り出したのと同じです。
 宗教的表現をすれば、「人類は、ついに神の領域にまで、土足で踏み込んでしまった」と言えます。
 そんなことをすれば、人類は自然界から、強烈なしっぺ返しを受けるのは目に見えています。
 「やれる」と「やって良い」はイコールではなく、まったく別次元の話です。
 例えば、子どもでも人殺しは「やれます」が、「やって良い」はずがありません。

 <地球人類の目的地>

 地球人類全体にとって、人生勉強計画書の目的地はいったいどこなのか?
 人類は「人生勉強学校」をいつ卒業するのか?
 「卒業」とは死、すなわち人類滅亡なのか?

 結論から先に言えば、「人類の進化」これが目的地です。
 進化した時、それが卒業です。
 人類滅亡ではありません。

 南米に古くから伝わる「マヤ歴」が西暦2012年12月で終りになっているので、その時、人類が滅亡するという説があります。しかし、早とちりの誤解です。

 平成の現代に生きる地球人類にとっては、「人類の進化」を達成するために生れてきたと言っても過言ではありません。

 冒頭で「最終段階に突入した可能性がある」と述べました。
 すでにお分かりと思いますが、最終段階とは、人類の進化へ到達するための、長い長い地球人類の歴史の中で、最後の段階に入ったということです。
 この段階を過ぎれば、人類の進化に到達できます。

 換言すれば、今は、我々地球人類が、進化できるか進化できないか、運命の分れ道の時です。
 非常に端的に言えば、生きるか死ぬかの瀬戸際(せとぎわ)です。
 個人も人類全体も、苦しむことによって成長すると前述しました。何のために成長するのか。言うまでもなく人類が進化するためです。
 一人ひとりが進化することによって、初めて人類全体も進化できます。

 したがって、今回の大震災は、進化するための強烈な苦しみとして与えられたのは言うまでもありません。
 ですから、「これからいったい日本はどうなるんだ。破滅するのではないか」と心配する必要はまったくありません。恐怖を感じる必要もありません。心配するべきでもありません。恐れおののくべきでもありません。
 破滅させるための苦しみではなく、進化させるための苦しみだと、はっきり理解する必要があります。

 <地球は虚構世界>

 以上のように「本当の真実」を述べれば述べるほど、常識とかけ離れ、頭のおかしい人物と思われてしまいます。

 この矛盾はいったいなぜなのか?
 それは「常識が間違っている」からです。

 世の中の圧倒的大多数は、常識人です。そのため、常識が間違っているはずがない、常識は正しいに決っていると心の底から思っています。
 ところが、現実には常識が間違っています。「虚構の常識」です。

 この世は「学校」だと前述しました。
 学校ならば、教育理念や教育方針があります。
 「地球学校」にも当然あります。しかも、「非常に強烈なスパルタ教育」を行うというのが、地球学校の独特の教育理念であり方針です。
 そのために、わざと虚構の常識を作り上げました。

 この資料の始めの方で、「本当の答とは、宇宙の真理である」と述べました。
 「地球学校」では、強烈なスパルタ教育を行うために、わざと「宇宙の真理」がまったく分らない状況にしてあります。
 もし、宇宙の真理が分っていたら、地球人類の目的は進化することであると容易に理解できてしまいます。
 進化するために、戦争や犯罪、災害などの苦しみを味わうのだということも容易に理解できてしまいます。
 そういった、さまざまなことが事前に分ってしまったら、スパルタ教育になりません。すでに種の分っている手品を観客に見せたら、白けてしまいます。
 これと同じです。
 わざと肝心なことがまったく分らない社会環境を作り出し、その中で、さまざまな苦しみを与え、徹底的に苦しませて成長を促そうとしているのです。

 ライオンが我が子を鍛えるために、わざと谷底に突落とすという俗説と同じことを行なっているわけです。

 虚構社会の構築に、マスコミが「多大の貢献」をしてきました。
 前述のように、報道の美名のもとに「もっともらしいウソ」ばかり垂れ流しています。もう少し正確に言えば、ウソをついているのではなく、「都合の悪い事実を報道しない」という手法で、ウソをついたのと同等以上の効果を上げています。

 例えば、前述のとおり、911テロ事件はアメリカの自作自演です。当時の小泉首相も裏の真相を良く知っているからこそ、まったく知らないふりをして、米国のアフガン攻撃やイラク攻撃に、たちまち全面的に賛同加担しました。
 自作自演は、これらの攻撃を正当化するための口実作りです。

 南北2棟のWTCビルには飛行機が突入したことになっています。そのためビルが崩壊したというのは、一応の理由が成立するとも言えます(本当は成立しない)。
 ところが、その近くにある第7ビルまでもが、あっと言う間に崩壊しました。このビルは、飛行機が突入していません。上記2棟の瓦礫がぶつかってもいません。
 崩壊する理由がありません。にもかかわらず、崩壊しました。明かに不自然です。
 これ以外にも、不自然なことがいろいろあります。すでに多くの人々が指摘しています。

 第二次世界大戦後、日本の歴代首相は、いずれもアメリカの操り人形です。小泉首相だけではありません。
 アメリカの言いなりにならなかったら、叩きつぶされます。
 その典型が、田中角栄首相です。ロッキード事件を口実に、徹底的に叩かれ、結果的に亡くなってしまいました。
 日本のエネルギー政策をより良くするために、オーストラリアから独自にウランを輸入しようとして、アメリカの逆鱗(げきりん)に触れたとの説があります。
 世界のウランは、アメリカなど一部の者たちが事実上独占しています。

 鈴木宗男議員も、ロシアとの経済協力を積極的に推進しようとして、アメリカに、にらまれ叩きつぶされました。
 民主党の鳩山首相が、沖縄普天間基地の国外・県外移転を言明したにも関わらず、最後に挫折したのも、強大なアメリカの圧力に屈服したからです。
 ただし、直接妨害したのは、アメリカではなく日本の官僚や企業など、普天間基地が存在することで甘い汁を吸っていた者たちです。
 しかし、彼らも、結局はアメリカの操り人形に他なりません。「真犯人」はアメリカに変りないと言えます。
 (アメリカ自身は、自国の国益に基づいて、以前から普天間基地の海外移転をみずから計画していたと言われています。それならば、鳩山首相が、県外・国外移転は絶対実現するとの態度をずっと取り続けたのも納得できます)。

 第二次大戦以前は、イギリスなどが日本を裏から操ってきました。明治維新も、彼らが裏から操って引き起したものです。日本人だけで起したものではありません。
 坂本龍馬も、裏の世界で、彼らの工作員だったので、あれだけ「大活躍」ができました。もちろん、本人の能力や努力があったのは言うまでもありませんが。

 平成の現代にいたるまで日本を支配してきたイギリスやアメリカも、実は支配されています。
 ロックフェラー財閥がアメリカを裏から支配し操っています。ロスチャイルド財閥がイギリスを裏から操っています。
 イギリス王室、バチカン市国(ローマ法王)なども世界を牛耳る支配者の一員です。
 ブッシュ大統領父子は、米国の大統領としては支配される側ですが、ブッシュ家としては支配者側の一員です。
 彼らが、世界を裏から支配し私物化している「闇の支配者」の代表的な者たちです。
 オバマ大統領も、彼らの操り人形に過ぎません。
 ダイアナ元妃は、イギリス王室の真相を暴露しようとしたため、事故に見せかけ暗殺されたと言われています。

 「情報を制する者は、世界を制する」これを誰よりも一番良く分っているのが、彼らです。したがって、マスコミも彼らがしっかりと抑え込んでいます。
 そのため、彼らに都合の悪いことは一切報じません。報じようとした記者を自殺などに見せかけて殺害するのも珍しくありません。

 経済も、がっちり抑え込んでいます。アメリカの中央銀行に相当するFRBは、アメリカ政府の機関ではありません。完全な「民間企業」です。ロックフェラーやロスチャイルドたちが、この銀行を一手に握っています。
 日銀も同様です。紙幣の裏側に印刷してある日銀マークは「支配者の、人々に対する監視の目」をデザインしたものです(日銀の「日」に見せかけていますが)。

 要するに、地球全体の通貨や金融、経済など、彼ら「闇の支配者」たちが裏の世界で独占的に支配し、ほしいままに動かしているのです。
 原油価格なども彼らが自在に操っています。
 マスコミはそれを知っているからこそ、まったく知らないかのような顔をして、虚構の報道を毎日垂れ流しています。

 「スイカ」「イコカ」などの交通機関共通プリペイド・カードも、人々のためを思って作ったものではありません。
 一人ひとりの単位で、人々の行動を監視するためです。誰がいつ、どこからどこまで行ったか、どこの駅で何を買ったか、すべてが政府に筒抜けとなります。
 GPSも、車による行動が筒抜けです。
 最終的には、「闇の支配者」にすべての情報が伝わります。

 地球温暖化防止のために、クリーンな原発を使おうという世界的な動きも、彼らが意識的に作り出したものです。
 今までは、石油を独占していたロックフェラー財閥が、どんどん石油を世界に売りまくっていました。
 ところが、ロックフェラーの力が弱まってきました。それに代って再び台頭してきたロスチャイルド財閥が原発を世界に売り込もうとして、原発クリーン論を盛んに吹聴しているのです。
 『不都合な真実』で一躍有名になったアル・ゴア元副大統領は、彼らの「広告塔」に過ぎません。
 マスコミも彼らの広告塔なのは、言うまでもありません。

 <闇の支配者たちも立派な教師>

 見れば見るほど悪質で恐ろしい「闇の支配者」たちですが、彼らも地球人類全体の人生勉強の教師です。
 誰よりも地球で一番、人々を苦しめているわけですから、スパルタ教育を行う教師の中の教師です。
 これからも、徹底的に我々を苦しめてくれるはずです。

 しかし、前述のように、いずれ地球は進化します。その時スパルタ教育も終了します。教師である彼らも、その役目を終え、支配者としての彼らは消滅します。
 支配者として君臨できるのも、今だけです。

 すでに、支配者としての地位や立場が、あちらこちらで崩れ始めています。911テロ事件が自作自演だと世界中にバレてしまったのがその好例です。
 闇支配者たちの中にも、反乱を起している者、寝返った者もいます。今後ますます増えるのは目に見えています。
 一説によれば、一番上の首謀者たちは、すでに地球から逃げ去ったとのことです。
 崩壊を目前に控え、必死で悪あがきしているリビアのカダフィ大佐と同じです。
 闇の支配者たちは、これ以上無駄な抵抗をするべきではありません。
 しかしながら、今すぐやめるはずもありません。

 したがって、我々の方が、このような真実に気付き、地球全体が虚構の上に成り立っていると、はっきり認識する必要があります。
 「常識は正しいに決っている」と、だまされ続けている場合ではありません。一日も早く、目を覚ます時です。
 今回の大地震・大津波・原発大惨事によって、目覚し時計のベルが一斉に鳴り出したのです。

 <本当の世界は、天国>

 今までの地球が虚構の世界ならば、進化によって生れる、虚構ではない本当の世界とはいったい何か?

 正直に言って、今の私には明確には分りません。なぜならば、それをまだ自分の目で見たことがないからです。
 しかし、少なくとも、例えば、以下のような世界であるのは間違いありません。

 ◎戦争や犯罪が存在しない。
 ◎軍隊や兵器が存在しない。
 ◎病気や事故が生じない。
 ◎生活苦が生じない。
 ◎国境線が存在しない。
 ◎独裁者・支配者が存在しない。
 ◎環境汚染が生じる不完全な科学は存在しない。
 ◎貨幣制度が存在しない。
 ◎意見や見解の相違はあっても、お互いを尊重しあい、争いは生じない。
 ◎進化を妨げる不適切な常識、知識、論理、発想、行為・・・等々が存在しない。
 ◎誰もが「宇宙の真理」を会得し、それにかなった生き方を当り前にしているため、十分な幸福感、満足感が得られる。

 以上の各項目をそれぞれ説明すると、さらに長文になるので、やむなく省略します。
 進化した世界を一言で表現すれば、「天国」のような世界です。

 今現在、被災者の人々に、日本はもとより世界から膨大な善意の手が差し伸べられているのは、言うまでもありません。
 もし仮に、このような社会状況(人々の熱い思い)が、災害時だけではなく、何でもない平常時でも、1年365日、毎日続いたら(熱い思いをお互いが毎日持ち続けたら)どうなるか?
 非常に住み心地の良い社会になると、誰もが容易に想像つくと思います。

 このような非常に良い社会が、上記の進化した世界の入口段階であり、予告編の段階であると言えます。
 このように申し上げたら、進化した世界がどのようなものか、多少なりともイメージして頂けるのではないかと思いますが、いかがなものでしょうか?

 上記の「◎貨幣制度が存在しない」についてだけ、触れておきます。

 今回の大災害により、日本経済全体が悪化し、どんどん衰退して行くかもしれません。それが世界に悪影響を及ぼし、アメリカの没落が生じ、結果的に、資本主義自体の崩壊を招くかもしれません。
 その限りでは非常に困ったことですが、究極的には悪いことではなく、非常に良いことです。

 貨幣制度は、戦争や犯罪が本来あってはならないのと同様、あってはならない反社会的な制度、犯罪的なひどい制度です。お金によって、すべての人々が、経済面でがんじがらめに縛り上げられてしまっています(貧乏人から金持ちまですべて)。

 「自分の働きに対して、見返りを求めない」のが、人間本来の当り前の姿です。
 しかしながら、前述のとおり、強烈なスパルタ教育のために、地球全体が虚構社会を構成しています。
 そのため、「見返りを求めるのが、人間として当然」という、虚構の考え方を意識的に定着させたのです。

 地球が進化すればスパルタ教育も終了するので、貨幣制度も消滅します。その結果、すべてが無償になります。
 すべての人にとって、生れてから死ぬまで一生涯、1円のお金も払う必要がなくなります。衣食住すべてです。
 そのため、生活費を稼ぐ必要がまったくありません。給料をもらう必要がありません。商店なら、客に代金を請求する必要がありません。

 お金を払う側も、受け取る側も、それぞれお金が必要なくなります。したがって、日本だけではなく全世界で、誰もお金を手にする必要がなくなります。
 個人、企業、政府・・・等々すべてがそうなります。
 お金が必要なくなり、貨幣制度が必要なくなり、経済それ自身が不要となります。経済の面から、誰もが、がんじがらめにされていた状況から完全に開放されます。

 今、被災者の人々に無償で食料や衣類が配布されています。多くの企業も無償で商品を提供しています。
 このような無償の行為は、上記の進化した世界の、すべてが無償になる姿の、最も初歩的な段階と言えます。

 進化した世界では、衣食住すべてが無償だからといって、必要以上に物を抱え込むことはしません。
 自分に必要な物は、誰もが、深い感謝の心を抱いて、無償で入手します。一方、必要以上の物は、目の前にいくらあっても、それを手に入れることはしません。
 それだけ、精神的にレベルが高いということです。そこまでの高い精神性がなければ、進化したことになりません。

 「自分の家にはまだトイレットペーパーがある。目の前にあるこの品を買うのは控えて、被災者の人たちに回して上げよう」
 このような心境と似たようなものだとも言えます。
 違うのは、災害時だけではなく、平常時でも常にこのような心を、進化した世界では当り前に持ち続けています。

 <宗教との違い>

 冒頭で、「宗教と良く似ているが、宗教ではない」と言明しました。

 この資料で述べたことは、自分の頭の中で勝手に考え出した論理ではありません。30年ほど前から「精神世界」を学び、自分なりに理解したものに基づいています。

 「精神世界」と宗教が良く似ているのは当然です。どちらも目的は同じだからです。
 「宇宙の真理」を会得し、宇宙の真理にかなった生き方をすることによって、人間としてまっとうな幸福を得るために存在しています。

   (注)私は宗教を信仰していません。

 では、精神世界と宗教は同じかというと、同じではありません。

 精神世界を「現代の新幹線」に例えるならば、宗教は明治時代の「陸(おか)蒸気」に例えることができます。(陸蒸気とは、当時の汽車のことです)。
 どちらも鉄道に変りありません。
 例えば、大井川鉄道では、今でも汽車を走らせています。
 しかし、汽車は新幹線なみに実用性のある交通機関ではないと誰もが知っています。

 キリストや釈迦が、どれほど偉大な人物であっても、現実問題として過去の人なのは誰も否定できません。
 例えば、今回の大震災をどのようにとらえたらよいのか、キリストや釈迦に聞きたくても物理的に不可能です。
 現代の牧師や僧侶に聞くしかありません。その答が、どれほど誠意にあふれ、どれほど高邁(まい)なものであっても、キリスト自身の答ではありません。釈迦自身の答ではありません。
 宗教には、このようにどうしても超えることのできない限界がまぎれもなく存在しています。

 この限界を打破するために精神世界が誕生したと言えないこともありません。
 精神世界は過去のものではなく、今現在に生きているものです。
 今回の大震災についても、いずれ、著書・講演会・インターネットなど、さまざまな場で、具体的に語られるのは言うまでもありません(すでに、ほんの少しですが私自身、目にしています)。

 精神世界が扱う領域の大きさは、地球を含めた全宇宙と同じです。
 この宇宙が持つ大きさ、時間の長さ、次元の深さ(高さ)、そのすべてが精神世界の対象です。
 結果的に、宗教をも包含します。
 したがって、精神世界を学べば、結果的に宗教も学んだ効果が得られるはずです。
 一方、宗教を信仰しただけでは、上記のように限界に突き当らざるを得ません。宗教の熱心な信者ほど、精神世界を同時に学ぶのが好ましいと思えてなりません。
 精神世界の理解が深まるほど、信仰する宗教の真意もより深く理解できるはずと思います。
 なぜならば、前述のように、両者が目指しているものは同じ「宇宙の真理」だからです。
 また、宗教の信者でなければ、わざわざ宗教まで学ぶ必要はないと思います。精神世界を理解できれば、上述のように、宗教も学んだ効果が得られるからです。

 精神世界を学ぶも、学ばないも個人の自由です。
 しかし、精神世界を理解しなければ、前述のように、「本当の真実」を理解することができません。
 「精神世界なんて馬鹿げている」と嘲笑(ちょうしょう)するのは自由ですが、地動説が世に広まりつつあるにもかかわらず、天動説に固執するようなものです。
 やがて到来する新しい時代について行けず、置去りにされてしまう可能性が十分あります。
 地球人生学校は、完全個人授業制だと、前述しました。
 また、自分が教師役だとは、前述のとおり誰も言ってくれません。
 みずからの意志で、能動的に学ばなければ、理解する機会は絶対に手に入りません。

 <精神世界を理解すれば、「良い反作用」が得られる>

 精神世界を交通法規に例えます。
 「交通法規なんかあるわけない」と思い込んで道を歩けば、結果的に法規を徹底的に無視することになります。
 毎日、交通事故に出会い、痛い目にばかり遭います。
 しかも、なぜそうなるのか、まったく分りません。一生涯、わけも分らず、痛い目に遭い続けます。
 一方、「交通法規は実在する」と理解し、会得し、法規に従って歩けば、交通事故に遭いません。何の不安も恐怖も感じることなく、安心して道を歩けます。
 どちらが自分のためになるのか、交通法規の話ならば、子どもでも分ります。

 前述のように、人間にも「作用・反作用の法則」は、そのまま当てはまります。
 精神世界、つまり「宇宙の真理」なんかないと思うという「作用」を行えば、上例のように「痛い目に遭う反作用」が返ってきます。
 「宇宙の真理」の実在を理解し、会得しようとする「作用」を行えば、「好都合な反作用」が返ってきます。

 そもそも、地球人全員が宇宙の真理を会得し、それに従った生き方を完全にしていれば、この地球上に、痛い目はまったく存在しません。
 なぜならば、そのような生き方をさせるために、人類を痛い目に遭わせ、痛みを通じて、それを会得させようとしているからです。
 宇宙の真理に従った生き方ができるようになれば、痛い目に遭わせて、それを分らせる必要性はまったくなくなります。これが「人類の進化」です。

 私自身は、前述のように30年ほど前から精神世界を学んできました。しかし、痛い目に遭わなくなったわけではありません。
 それどころか、今現在も多数の強烈な痛みに遭い続けています。人生のどん底状態です。人生が破滅してもおかしくありません。
 しかし、そうならずにすんでいるのは、「なぜ人間は苦しむのか」を明確に理解できているからです。非常に強い根源的な支えになっています。

 宇宙の真理を学び、私よりもっと高い精神レベルまで到達した人ならば、痛い目に遭う度合いがはるかに少なくなるのは言うまでもありません。

 ご参考までに、現在活用している手法を述べます。
 ◎和みのヨーガ(日本人向けに開発した独特のヨガ)/和みのヨーガ研究所
   『和風ヨーガ』ガンダーリ松本著(講談社+α新書)
 ◎音楽CD『夢のかなたに』/いやしの村。JOYヒーリングの会
 ◎『健康を呼び込む奇跡の言葉』
   /銀座日本漢方研究所(銀座まるかん)創設者 斎藤一人著(小冊子)
 ◎『伝説の気功師・戸嶋正喜の 画像からすごい「気」が出るDVDブック』
   /戸嶋正喜著(マキノ出版)
 ◎コーヨー核酸(健康飲料)/(株)向洋

 ※主に肉体面に効果がありますが、精神面にも効果があるものもあります。
 ※どのような効果が、どれほどあるかは、一人ひとり千差万別です。
 ※以下もかなり有効と言われています。(私はまだ行っていません)。
 ・ディクシャ/JOYヒーリングの会
 ・『たった4つの言葉で幸せになれる! 心が楽になる ホ・オポノポノの教え』
   /イハレアカラ・ヒューレン著(イーストプレス)
 ※各項目を具体的に説明すると、さらに長文になるので省略します。
 インターネットが使える方は、検索してみて下さい。

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 精神世界を象徴する言葉は、例えば、以下のようなものがあります。

 宇宙人、UFO(空飛ぶ円盤)、宇宙連合、高次元世界、次元上昇(アセンション)、プレアデス星団(すばる)、シリウス星、至高の存在、内なる神、魂、死後の世界、霊界、霊能者、超能力者、念力、瞑想、ヨガ、気功法、気(プラナ)・・・その他。

 東京の場合、大手書店には、宗教書に隣接して必ず精神世界の本が多数あります。
 良書でも売れない本はすぐに店頭から取り除くのが、今の書店の実情です。
 そういう時代に、精神世界の本を多数売っているのは、購入者が少なくない、つまり精神世界の理解者が少なくないと、書店が実証しています。

   (注)魂は実在しないとの説もあります(厳密にはこれが正しいはず)。
       しかし、話が複雑になるので、ここでは、魂が存在するとの前提で
       述べています。

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 以上は、人間にとっての理想論を述べたとも言えます。
 したがって、私がこのレベルにすでに到達しているわけでは決してありません。
 私自身、学んでいる最中に過ぎません。会得できたことよりも、まだ会得できていないことの方が、はるかに多いのは申し上げるまでもありません。

                          [作成 平成23(2011)年4月6日]