(日付の新しいものから順にならべてあります)



                              [参考資料No.22] (2019.01.14)

  
今なぜ「霊性の目覚め」が求められるのか


 人類は、近代に入り、科学や医学の分野で目覚しい発展を遂げてきた。原子を開放し、月に人を立たせ、人間の肉体を生きたまま輪切りにするなど、特に今世紀における技術革新は、まさに目を見張るばかりであった。その結果、人々は多くの便利さと快適な暮らしを享受し、海外旅行は日常茶飯事となり、人の平均寿命も20年以上も延ばすことがかなえられた。
 ところが、このような華々しい成果とは裏腹に、人間は数多くの過ちをも犯してきた。そして、もはや人類が持つ知識や智恵では、もはや解決不可能なところまできてしまったかの感すら与えている。
 中でも核の問題は根が深く、その脅威は戦争だけに限らない。平和利用と称してもてはやされた原子力発電においてさえ、スリーマイル島やチェルノブイリのような大事故が起きたし、その恐怖は今もなお人々の脳裏から消えていない。最終汚染物質の処理もまた、人類が抱える大きな悩みのひとつである。ロシア北部ノバヤゼムリヤ島近くの海域に、原子炉7基が使用済みの核燃料とともに投棄されたというニュースは、世界中の人々を震憾させた。
 フロンガスによるオゾン層の破壊や、硫黄酸化物・窒素酸化物による「大気汚染」も、想像以上のハイテンポで進行している。発展途上国の南米や東南アジアの国々における熱帯雨林の伐採や、焼畑農業による潅木の焼失は、自然が持つ大気の浄化能力を低下させ、先進国の工場や、クルマが吐き出す大量の炭酸ガスがもたらす地球温暖化に追い打ちをかけている。また、海に棲む多くの生物の生命を脅かしている工業廃棄物や除草剤に含まれる種々の化学物質は、ほどなく、人類に大きな災いをもたらすことになるだろう。
 人類にとってかけがえのない「惑星地球号」が、長い間保ち続けてきた自然のバランスや動植物の相互依存の生体系は、大きく崩れようとしているのだ。それを裏づけるように、毎日のニュースは世界各地から、自然破壊が元凶と思われる異常気象と、それがもたらす歴史的規模の大災害の様子を伝えている。
 このように、パンドラの箱のいくつかを開けてしまった人類は、自分の愚行にようやく気づき、その箱をどのように閉じたらいいのか、暗中模索を始めたところである。
 一方、人類が性懲りもなくくり返す戦争という名の蛮行は、多くの人々の心に深い傷跡と怨念を残し、新たな紛争の種を世界各地に撒き散らしている。2001年9月11日に起きたアメリカの同時多発テロとその後のアメリカの軍事行動は、強大な戦力と経済力を楯にした大国(マジョリティー国家)と貧困にあえぐ弱小国(マイノリティー国家)との亀裂を一段と深め、際限のないテロの報復合戦へと人類を導こうとしている。
 そして争いは集団同士の紛争に止まらず、個と個の間の争いにおいても一段と陰惨さを増している。親子間の殺人事件は、その最たるものだろう。かつては稀だった尊属殺人のニュースでさえも、最近は見る人に特段の驚きを与えなくなってしまっている。
 このように見てくると、有史以来綿々と続いてきた人類の戦争と殺我の歴史は、今やその総仕上げの時期に入ったかの感すら与えるほどである。人はなにゆえに、これほどまでに愚かな生き物なのだろうか。
 私たちが今日のような混迷状態に陥った真の要因は、精神文明をないがしろにしてきた唯物論的思考と、そこから生まれた自己中心的、物質至上主義的な考え方にある。
 産業革命とダーウィニズム(自然淘汰に基づく進化論)の追い風に乗った唯物論的思考は、19世紀から20世紀にかけて次第に人々の心に、刹那主義、自己主義、物質至上主義的な考え方を広めていった。
 肉眼がとらえる「現象世界」以外は一切実在せず、「死」は、人の全てを無に帰するとする唯物論的思考によって、古来、人々がその行動や考え方の規範となしてきた、目に見えぬものに対する「畏怖の念」はないがしろにされ、「利他心」(他人のために尽くす心)や「自己犠牲心」が人々の心から消え去り、「精神文明」は次第に衰退の道をたどることになった。そのあげくにたどり着いたのが、混迷を窮めた今日の世界なのだ。
 となれば、唯物論的思考に対時する唯心論なり二元論的思考、つまり、心は肉体とは別の存在であり、「現象世界」の他に、私たちの目には見えない「霊的世界」が実在するとする考え方を基盤にした、精神文明の復興が求められることになる。
 そのことは、今から2000年前、初期キリスト教「グノーシス派」の人々が投げかけた人類に対する根源的な問いかけ、つまり、「人間とは何か」「自分とは誰か」「なぜ、自分は今ここに存在しているのか」といった問題に、人類の存亡を賭けて真正面から取り組まねばならない時代を、私たちは、ふたたび迎えたことを意味している。
 人は、脳の内深部に「間脳」と呼ばれる部位を持っており、この間脳に霊的世界の存在を認識する「霊性」の場があることが、古くから説かれている。釈迦、孔子、ソクラテス、プラトン、キリスト等が百花繚乱のごとく出現した紀元前6世紀から紀元前後にかけて、「間脳」は大いに開発され、「霊性」に目覚めた人々が輩出された。
 しかしその後、精神文明の衰退とともに 「間脳」 の働きは次第に弱められ、人々の心から「霊性」は失われていった。特に近代に入ってからは、その傾向が一段と加速されたのである。
 阿含宗管長・桐山靖雄師は、「霊性」 について次のように述べている。
 
 人間の生命は多くのひとたちが考えているように、決してひとつの生涯で終わるものではないのである。ある生涯が終わったら、またひきつづき次の生命形態に移ってゆくのである。
 多くのひとたちはその認識がなく、ひとつの生涯のみで、人の生命は終わるものだと思っている。ここに、決定的な、そして、致命的な欠陥があるのである。
 「霊性」とは実にそれを知る趨性なのだ。ひとの依ってきたるところを知り、去るところ、往くところを知る能力である。いわゆる来所を知り、往所を知る智慧である。これを得れば、ひとはおのずから、何をなすべきか、何をなさざるべきかがわかってくる。そこから人間の真の進歩、発展がスタートするのである。それがないから、人間は、霊的に少しも進歩せず、発展せず、いつまでも低いところを輪廻して、無限にさまよいあるいているのである。
 いやそれだけではない。その果てに、人間は、自分の住む大切な世界を、みずからの手で壊滅させてしまうことになるのである。その無知を、シャカは、「無明」と名づけたのである。(『間脳思考』)

 つまり、今日の「混迷の世界」の要因は、人間が自分の来所・往所を知る智恵、つまり「霊性」を失ったことにあるというわけである。まったく同感である。そこで私は、人類が失ってしまった「霊性」をふたたび人々の心に取り戻すべく、「心霊現象」と呼ばれる超常現象の探究に取り組むことにした。この種の現象を探ることによって、人間の根源的な問題、つまり、私たちがどこから来て、どこに行くのかが明らかにされ、人々の心に「霊性」を取り戻すことができると考えたからである。
 昨今、「臨死体験」をはじめ、「生まれ変わり現象」や「霊姿現象」、「憑依現象」といった超常的な「心霊現象」は、研究者の地道な努力によって、従来考えられていた以上に「現実的」で「普遍的」な現象として、その実体が次第に明らかにされつつある。そこで、これから種々の心霊現象をさまざまな角度から検証することによって、「人の来所・往所」を探る試みに挑戦してみようと思うのである。
 その結果、私たちが「死」と呼ぶ現象が、唯物論者がいうように、人の生命を無に帰するものではなく、人間の本体(心・自我)が「現象世界」から「霊的世界」へ移行する際の、「脱皮現象」に過ぎないものであることが明らかになるはずだ。また「人の一生」が、私たちが霊的に進化を遂げる途上の「一里塚」でしかないことが確かめられたなら、人々が持ち続けてきた伝統的な価値観や考え方も、大きく転換することになるだろう。同時に、長い間閉ざされてきた「間脳」が刺激され、精神文明の復興とともに、人々の心にふたたび「霊性」が取り戻されることになるに違いない。
 その結果、初めて、人類は真に歩むべき道、目指すべき目的がいかなるものかを知る智恵を手にすることがかない、今日の危機的状況から脱出する光明を、暗くて長いトンネルの先に見出すことになるであろう。

   淺川嘉富『人間死んだらどうなる?』(中央アート出版、2011)(pp.20-26)




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                                    [参考資料No.21] (2018.12.27)
      宮沢賢治と『銀河鉄道の夜』


 メーテルリンクの『青い鳥』は、世界ではじめて臨死体験を描いた童話であるといわれている。霊界からの通信で、コナン・ドイルがこの『青い鳥』について触れ、この本が霊界の真実を伝えていると称賛したことがある。そのメーテルリンクの『青い鳥』および『死後の存続』を愛読した日本人の兄妹がいた。宮沢賢治と妹のトシである。もともとはトシがメーテルリンクを愛読し、兄の賢治にも勧めたようであるが、彼女は若くして亡くなる。その死を心から悲しんだ兄は、ひとつの物語を書き上げた。それが『銀河鉄道の夜』である。
 前稿と同じく、東日本大震災の犠牲者遺族に向かって書かれた、一条真也『のこされたあなたへ』(佼成出版社、2011)には、この宮沢賢治と『銀河鉄道の夜』について、次のように述べているくだりがある。その部分を引用しておきたい。ここでも、小見出しには、便宜上、私が番号をつけた。



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 1.宮沢賢治のひみつ


 今回の大震災で被災した岩手県の花巻が生んだ偉大な詩人であり童話作家である宮沢賢治は、また偉大なシャーマンでもありました。
 賢治が生前に出した唯一の童話集である『注文の多い料理店』の「序」を思い出してください。そこで、賢治は自分の物語のことを「虹や月あかりからもらってきたのです」と書いています。わたしは、その言葉は比喩でも誇張でもなく、事実そのものだったのではないかと思っています。賢治は虹や月あかりからのメッセージを受けとれる一種の霊能力者だったのではないかということです。
 森荘己池氏という、岩手県盛岡市出身の直木賞作家がいます。花巻農学校教諭時代の賢治と文学仲間だったことでも知られていますが、その森氏が賢治の霊的能力について明かしています。
 森氏が『春と修羅』に対して好意的な評論を書いたことがきっかけで、賢治は森氏の自宅をよく訪れて文学談義をしたそうです。その際、賢治はいろいろと不思議な体験のことを話してくれたというのです。たとえば、木や草や花の精を見たとか、早池峰山で読経する僧侶の亡霊を見たとか、賢治が乗ったトラックを崖から落とそうとした妖精を見たとか、そういったおどろくべき体験です。また、賢治が窓の外を指さして「あの森の神様はあまりよくない、村人を悩まして困る」と語ったこともあるそうです。
 賢治には、迷った霊魂が見えたようです。今でも花巻の地元では、賢治のことを「キツネ憑き」と呼んで敬遠する人々がいるそうで、宮沢家の人々も賢治の不思議な能力については知っていましたが、タブーとして決して語らないそうです。
 また、どうやら賢治は人生のさまざまな場面でアストラル・トリップ、すなわち幽体離脱を繰り返していた節があります。
 『銀河鉄道の夜』は、高い霊能力を持っていた賢治が書いた大いなる臨死体験の物語であると、わたしは以前から思っていました。
 ここで『銀河鉄道の夜』がなぜ臨死体験の物語かという説明をしなければならないでしょう。まず、簡単にストーリーを追ってみます。



 2.『銀河鉄道の夜』と臨死体験


 少年ジョバンニは貧しい家の子です。父親は監獄に入れられて、母は病気で床についたままです。そのため、彼は学校の帰りに活版所の手伝いをして母親を養っています。友達はみんな彼に意地悪をしますが、カムパネルラだけはやさしい目で彼を見てくれます。
 それは星祭りの夜のことでした。ジョバンニは病気の母のために牛乳を買いに走ります。街は星祭りを祝う人出でごった返し、みんな祭り気分で浮かれていて楽しそうです。しかし遊ぶことが許されていないジョバンニは、楽しげな親子連れを横目で見ながら、牛乳屋に走るのです。
 ところが、せっかく大急ぎで走って来たのに牛乳屋の主人は留守で牛乳を売ってもらえません。留守番の老婆に、「ではもう少したってから来てください」といわれて、ジョバンニは仕方なく、牧場の近くの原っぱに行って寝転がりました。空には一面に星があり、銀河がジョバンニに語りかけているようです。
 すると突然、力強い汽笛の音がしたかと思うと、汽車がジョバンニのいる草原を走って来て、彼の前で止まりました。この突然の汽車の登場こそ臨死体験のはじまり、つまり幽体離脱を表現しています。
 ジョバンニが汽車に乗ると、すぐに汽車は走りはじめます。車内を見ると、カムパネルラが乗っています。カムパネルラに向かってジョバンニは、「僕たち、どこまでもどこまでも一緒に行こう」といいます。
 カムパネルラは「うん」と弱々しく答えますが、それがどことなく暖味で、ジョバンニの不安をかきたてます。ジョバンニは自分の降りる駅も知らなければ、なぜこの汽車に乗り合わせたのかもわかっていません。でも、カムパネルラはそれを知っているのです。
 人がまばらだった汽車には、いくつかの駅を通過するにつれて、さまざまな人々が乗ってきます。じつは、彼らは死者であり、この銀河鉄道は死者たちを彼らが行くべき場所へと運ぶ汽車だったのです。カムパネルラはすでに死んでおり、死後の世界へと旅立っていたのです。
 賢治はこの世界を「幻想第四次の世界」と呼んでいます。すなわち、そこは四次元であり、幽界つまりアストラル界なのです。
 銀河鉄道の乗客でただ一人だけ死んでいないのが、ジョバンニです。だから彼は自分の降りる駅を知りません。死者の降りる駅は、彼らの生前の行ないに対して決まるものであり、各人によって異なります。しかし死んでいないジョバンニは、汽車を降りてそのまま行ってしまうことはありません。途中下車してさまざまな場所を見学することはできても、必ず汽車に再乗車しなくてはならないのです。
 ジョバンニは切符も持っておらず、検札係が来て切符の提示を求められても、どうしていいかわかりません。自分と同様に切符を持っていないだろうと思われたカムパネルラは、ちゃんとポケットから切符を出して検札を受けています。ジョバンニもポケットの中を探してみると、切符らしきものが出てきました。それを見て、隣の席に座っていた鳥捕りの男がいいます。
 「おや、こいつはたいしたもんですぜ。こいつはもう、本当の天上さえ行ける切符だ。天上どころじゃない。どこでも勝手に歩ける通行券ですよ」
 死者たちは自分の行き先がもう決まってしまっているのに、ジョバンニはどこにでも行けるというのです。本人が希望すれば、天上でもどこでも自由に行けるというのです。すなわち、生きているうちはどんな可能性でもあるということです。死後の世界は生きているときの過ごし方によって行くところが決まるので、生きている間は行くところを選ぶチャンスがあるのです。天上へさえ行ける切符というのは、努力次第で天上に行けるほどのレベルまで自分が成長することができるということなのです。
 死者たちの降りる駅はそれぞれちがっていますが、ほとんど全員が降りてしまっても、カムパネルラだけは降りません。彼は、最後の駅で一人だけ降りていきます。なぜなら、カムパネルラは自己犠牲によって死んだからです。同級生で、いじめっ子のザネリが川に落ち、それを救うためにカムパネルラは川に飛び込みました。ザネリは助かりましたが、カムパネルラは命が尽きて死んでしまいました。そのためにカムパネルラは死後、高いところに昇ることになるのです。
 カムパネルラが下車したあと、たった一人で車内に取り残されたジョバンニは、ブルカニロ博士という不思議な人物に出会います。そして彼と話しているうちに、ジョバンニは自分の生き方の根幹となるものを見いだします。
 ブルカニロ博士と話をして汽車から降りるとき、ジョバンニは次のように言いました。
 「ああマジエランの星雲だ。さあもうきっと僕は僕のために、僕のおっかさんのために、カムパネルラのために、みんなのために、ほんとうのほんとうの幸福をさがすぞ」
 この言葉こそ、臨死体験によってジョバンニが学んだことでした。博士は、ジョバンニとの別れ際にこういいます。
 「さあ、切符をしっかり持っておいで。おまえはもう夢の鉄道の中でなしに、ほんとうの世界の火やはげしい波の中を大股にまっすぐに歩いて行かなければいけない。天の川のなかでたった一つのほんとうのその切符を決しておまえはなくしてはいけない」
 そして、博士はジョバンニに向かって、次のような謎めいた言葉を吐くのです。
 「ありがとう。私はたいへんいい実験をした。私はこんなしずかな場所で、遠くから私の考えを人に伝える実験をしたいとさっき考えていた。おまえの言ったことばはみんな私の手帳にとってある。さあ帰っておやすみ。おまえは夢の中で決心したとおりまっすぐに進んで行くがいい。そしてこれからなんでもいつでも私のとこへ相談においでなさい」
 「僕きっとまっすぐに進みます。きっとほんとうの幸福を求めます」
 ジョバンニは力強く答えます。博士は切符をジョバンニのポケットに入れて消えてしまいます。
 そして、ジョバンニは目を覚まします。そこは、もとの原っぱでした。彼の顔はほてり、頬には涙が流れています。でも、すぐわれに返り、あわてて起き上がって牛乳屋へと走ります。今度はなじみのおじさんが出てきて、まだ熱い牛乳を手渡してくれます。
 家路を急いで街に入ると、星祭りの騒ぎはやんでおり、街かどや店の前に女たちが七、八人ぐらいずつ集まって、橋のほうを見ながら何かひそひそ話をしています。橋の上もいろいろな明かりでいっぱいです。
 そこで初めてジョバンニは、ついさっきまで自分と一緒に汽車に乗っていたカムパネルラの死を知るのです。このとき、ジョバンニはすべてを悟ります。

 以上のように、『銀河鉄道の夜』が臨死体験の物語であることは明らかだと思います。しかもこの幻想的な物語は、死が霊的な宇宙旅行であり、死者の魂は宇宙へ帰っていくということをうまく表現しています。さらになによりも重要なことは、ジョバンニが死後の世界からの帰還後、「ほんとうの幸福」の追求を決意する点です。
 チルチル、ミチルやジョバンニは、蘇生後、幸福を求めて二度日の生を精一杯に生きる数多くの臨死体験者そのものの姿です。彼らはこの世に戻って来たとき、大いなる普遍思想に目覚め、その瞬間から幸福、愛、平和といったものを追い求めずにはいられなくなるということが、たくさん報告されています。
 このようにメーテルリンクや賢治は、霊的真実をファンタジーとして子どもや一般の人々に提供したわけです。ブツダにしろ、イエスにしろ、たとえ話の天才でした。こういった物語づくりのセンスはいつの時代にも求められているといえるでしょう。
 そして重要なことは、メーテルリンクがその少年時代に実際に臨死体験をしているのと同じく、賢治も臨死体験をしていたということです。
 賢治が亡くなった一九三三年九月二十一日の早朝四時半から五時。賢治は森荘己池氏の自宅を訪れたそうです。
 森氏が寝ていると、階下の土間をゴム長靴をはいた人の歩く昔がしました。二度も三度も行き来するので、隣に寝ていた夫人も目を覚まし、泥棒かと思って階段を降りました。
 すると下から三段目まで降りたところで音はパタリとやみ、土間には誰もいませんでした。鍵もかかったままで、外から人が入った形跡はありませんでした。
 そんなことがあって間もなく、その日のうちに森夫妻は賢治の死の知らせを受けました。死亡時刻は午後一時半であり、朝の四時半か五時には動けない状態で床に臥せていたはずです。午前十一時半、にわかに起きて、父親に国訳法華経を千部つくって知人に配るように遺言しました。その後は安心して、自分の手で体をオキシフルで拭い、それが終わって母親に頼んだ水を飲んでから、賢治は午後一時半に他界しました。
 生前の賢治はいつもゴム長靴をはいていて、ゴポゴポという音をさせながら森家にやって来たそうです。森夫妻は、臨終の日に賢治が会いにやって来たのだと確信しています。明らかな幽体離脱現象だといえるでしょう。つまり、賢治は臨死体験をしたのです。

 さて、ジョバンニは賢治自身であり、命を失う級友カムパネルラは亡くなった彼の妹に重ね合わせることができます。
 賢治の妹は、宮沢トシといいました。日本女子大学を卒業し、教師も務めた才媛でした。二歳ちがいの妹を賢治が心から愛し、その死を心から悲しんだことは、有名な「永訣の朝」をはじめとする挽歌群からよくわかります。悲しむだけでなく、その死後のゆくえを兄は強く求めました。そして、最愛の妹の死の直後に『銀河鉄道の夜』は書かれたのです。



 3.タイタニック号から銀河鉄道へ


 トシは、自身のはかない生命を予期していたのか、少女のころから死後の問題をきわめて重視していました。彼女の祖父宛ての書簡の内容から、死後の魂の存続を信じていたことがわかります。当然ながら、当時流行していた心霊学にも大きな関心を寄せました。
 トシの愛読書は、メーテルリンクの『死後の存続』(当時の書名は『死後は如何』)でした。恩師である日本女子大学創立者の成瀬仁蔵の影響があったようです。トシは自ら記した「自省録」に、自分を力づけてくれた「メーテルリンクの智慧を信ずる」と書いています。
 そして、『青い鳥』を読んだ彼女は、『死後の存続』に書かれたメーテルリンクの霊界観が夢のあるファンタジーとして見事に表現されていることにとても感激しました。そして、仲のよかった兄の賢治にその感激を伝えたのです。
 賢治もトシも結核という病に苦しんでいました。思うに、ともに不治の病を抱え、つまり死の影とともに生きている自分と兄を、トシはチルチルとミチルに重ね合わせたのではないでしょうか。そして、妹から勧められた『青い鳥』を読んだ賢治は、さらにイマジネーションを膨らませて、『銀河鉄道の夜』を書いたのです。チルチルとミチルはジョバンニとカムパネルラになり、「青い鳥」は「ほんとうの幸福」に言い換えられたのです。
 そして、賢治とトシの兄妹は宗教の枠を超えた普遍宗教のようなものを意識していたと考えられます。トシに強い影響を与えた成瀬仁蔵は名高い教育思想家でしたが、メーテルリンクやタゴールなどとも親交があり、すべての宗教のもとは一つ、めざすところも一つという「万教帰一」思想を唱えていました。
 『銀河鉄道の夜』には興味深い記述がいろいろと見られます。まず、世界の海難史上最大の悲劇とされるタイタニック号の犠牲者とおぼしき人々が乗り込んでくるところです。船が氷山にぶつかって沈んだという点、救命ボートに子どもや女性を優先して乗せようとしたけれどボートの数が不足していた点、沈みゆく船で賛美歌が歌われた点など、タイタニック号沈没事件をモデルとしていることは明らかです。
 賢治はこの事件を「岩手日報」などで知り、大きな関心を持ちました。また事件の直後、それまでの人生で海を見たことのなかった賢治が盛岡中学の修学旅行で船に乗り、初めて海を見たばかりか船で外洋に出ています。彼の心はさぞかし揺れ、タイタニック号の多くの犠牲者の魂のゆくえに想いを馳せたことは想像に難くありません。
 また、タイタニック号の犠牲者たちが賛美歌「主よみもとに」を合唱したことは有名です。賢治も『銀河鉄道の夜』に「いろいろな国語で一ぺんにそれをうたひました」と書いたように、死を前にしてあらゆる国の人々の心が一つになった出来事に大いに感動したようです。言葉の違いが乗り越えられたという現実は、彼をしてエスペラント運動へ向かわせる原動力となりました。
 ほかにもタイタニック号がらみの描写では興味深い部分が多いのですが、『宮沢賢治 妹トシの拓いた道』(朝文社)で著者の山根知子氏が指摘した「沈没船から銀河鉄道への乗り換え」というテーマはとくに注目すべきです。山根氏は次のように述べています。

 「タイタニック号は、二十世紀初頭の近代科学技術を結集した、人間の驕りの乗り物として出航した。しかし、それがもろくも沈んだ事件によって、人びとは科学万能の価値観を同時に沈ませ、代わりにそれを超えて沈まない真の価値観を再確認した。賢治は、そこに浮上してきた信仰の世界の真の価値観を求める乗り物として銀河鉄道を想定し、タイタニック号と思われる船から銀河鉄道へと乗り物を乗り換えてきた青年たちの思いを語らせ、さらにジョバンニがその青年と『ほんとう』の生き方を求める問答をすることで、その価値観を吟味させたといえるのではなかろうか」

 乗り物の問題はとても重要です。仏教では多くの人々を救う教えを大きな乗り物にたとえて「大乗」といいますが、銀河鉄道こそは大乗のシンボルとして描かれているのです。
 そして、ほかの乗客に救命ボートを譲ったキリスト教徒の青年も、友人の命を救ったカムパネルラも、ともに「犠牲の愛」を実行して命を落としました。
 しかし、青年たちは「サザンクロス」で降りましたが、カムパネルラはもっと先のおそらくは銀河鉄道の終着駅である「天上の野原」まで行きます。ここの部分には、キリスト教の犠牲的精神に強い共感を示しながらも、「たったひとりの本当の神様」という考え方にはどうしても賛同できなかった賢治の信仰上の本音が出ているように思います。



  4.宗教、哲学、科学、そして物語


 死後の世界を考えるとき、多くの人はまず「宗教」を思い、次に「哲学」や「科学」を思います。しかし、そのほかにもう一つ「物語」という方法があるのです。
 「死んだら星になる」とか「海の彼方の国に住む」とか「千の風になる」とかのファンタジーの世界があるのです。そのことを『銀河鉄道の夜』はやさしく教えてくれます。
 二〇一一年三月十一日、日本に未曾有の大災害が起こりました。東日本大震災です。一万五〇〇〇人を超える人々が亡くなりました。
 この多くの死を前にして、日本人はぜひ、壊滅的な被害を受けた岩手県が生んだ宮沢賢治の名作『銀河鉄道の夜』を読んでいただきたいと思います。
 わたしは、『銀河鉄道の夜』とは宇宙的視点から地球をながめ、「人類愛」を訴えた奇跡のような物語だと思います。
 そして「死」について語るとき、「宗教」や「哲学」や「科学」のほかに「物語」という方法があることを教えてくれます。
 涙は世界で一番小さな海です。
 あの大津波によって多くの人命を奪った三陸の海と、愛する人を亡くした悲しみであなたが流した涙とはつながっているのです。
 そして、あなたが流した涙と、ほかの多くの方々が流した涙もつながっているのです。
 涙でかすむ風景の向こうに、幻の銀河鉄道の姿が浮かび上がってきます。
 わたしは、東日本大震災で亡くなった方々が東北発の銀河鉄道に乗って、「ほんとうの幸福」が待つ場所へと向かわれ、無事に目的地に着かれることを心より祈っています。

   (一条真也『のこされたあなたへ』佼成出版社、2011、pp.228-241)