学びの栞 (B) 


 49.時間・空間


 49-a (霊界では理解しがたい人間の世界の太陽と時間)

 私は時間について霊たちと議論したことがある。私は大体つぎのように説明した。
 人間の世には時間というものが存在する。人間の世では太陽は霊界の太陽と違って回転ということをする。人間は、この回転の結果として春、夏、秋、冬という季節の変化を経験する。春は全ての生命あるものがその生命の芽を吹き、夏はいよいよ生命さかんとなる。そして秋は生命が実を結び、冬には眠りに入る。そして、その流れはつねに同じ順序で流れ、逆転したりすることはけっしてない。
 また太陽が東の空に出て西の空に没するのを一日とし、一日を太陽の動きに合わせて朝、昼、夕、夜ともっとこまかく分け、これを時間といっている。人間の世界の大事な物指しの一つが時間というものである----。
 この話を聞きながら霊は、時にはうなずくような表情を見せたが、大体は、変なことを聞くものだ、奇妙な世界があるものだ、そんな世界は本当にあるのだろうか----といった顔つきになったり頭痛でもするように顔をおさえていたりした。
 ある霊はいった。
 「われ、汝のいえる如きこといまだ一度も聞けることなし。汝、狂せるにあらずや? そも人間界の太陽とは如何なるものなるや、もし太陽ならば動くことあるべからず。われ汝のいえる如きこと全く理解しえざるなり。ただ、汝のいえることのうち春、夏、秋、冬の変化あり、それに応じ生命の状態に変化ありということはわが了解しうるところなり。わが了解しうるはそのことのみなり。わが見るところ汝はなかば正常にして、なかば狂せるなり。われ汝のいえることを聞き、わが眼の前闇に閉ざされたる思いせり」

  エマニュエル・スウェデンボルグ『私は霊界を見てきた』
    (今村光一抄訳・編)叢文社、1983年、pp.122-123

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 49-b (霊界は時間という小さな物差しを超越した永遠の世界である)

 さっき人間界にも永遠の相を人々に感じさせる事物があると私は述べた。人々もこのことは容易に認めよう。これに対し霊界の事物は全てが永遠の相を表わして存在している。人間界では永遠の相を見せるのはアルプス山脈や大洋、大砂漠といった特殊なものだけだが、霊界では全てのものが永遠の相の中にある。一本の小さな草花、一つの小さい石のかけらでも、それは太古から永遠の未来へ向かって不動、不変のものとして存在し厳とした永遠の姿をその小さな形の中に見せているのだ。
 この理由は霊界が時間という小さな物差しを超越した、時間のない世界だからだ。そのため霊たちには当然時間という観念が彼らにないのと同様にやはりないのである。私の話に対し、霊が
 「そのようなことは聞いたことがない。自分は眼の前が闇に閉ざされた思いがしてきた」といっていたのは、彼らには「時間」というものは考えたり想像したりすることすらできないのだからやむをえないのである。
 彼らは、人間が時間の観念で考えることはすべて、せいぜい状態の変化という観念で考えることができるくらいである。これもさっきの霊の話の中に
 「春、夏、秋、冬というものがあり、それぞれに生命の様子に変化があるということだけは理解できる」
 といった言葉に表われている。
 状態の変化という大海の中で、潮の干満に応じて上下に揺られながら生を続けている霊たちには、この潮の干満だけが彼らの生きている目印なのだから「時間」は生じようがないのだといってよい。

  エマニュエル・スウェデンボルグ『私は霊界を見てきた』
    (今村光一抄訳・編)叢文社、1983年、pp.123-124

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 49-c (人間として死んだときの顔つきは霊界に行っても残る)

 霊たちの時間の観念に関連して私はひとつだけ面白いことをいおう。
 ここに二人の霊がいたとしよう。一人は人間界的にいえば二十歳過ぎの青年の顔つき、一人は同じように六十歳を越えた老人の顔つきをしている。あなたは、どっちの霊が若くどっちが年寄りだと思うだろうか。この世のいい方でいえば青年は若く、老人は年をとっているということになるが、青年のほうは老人より数千年も前に死んで霊界に入っているのである(霊はふつう年はとらない)。それなら青年のほうが年をとっているのだとあなたが考えるとすれば、それも間違いである。霊界には時間がなく、したがって年齢もないからだ。ただ彼らは人間として死んだときの顔つきを残しているに過ぎない。

  エマニュエル・スウェデンボルグ『私は霊界を見てきた』
    (今村光一抄訳・編)叢文社、1983年、p.125

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 49-d (霊界では瞬間にして無限に広い河の向こう岸に移動する)

 ある霊が河幅の無限に広い河のそばに座って河の水面を眺めていた。河は永遠の太古からの様相そのままに静かにゆったりと流れていく。河の向う岸はあまりの遠さのため彼の眼にはかすんでいて見えない。そのうち彼はふと思った。
 -----この河の向う岸は一体どのへんにあるのだろう? それにその対岸には何があるのか?
 そんなことをボンヤリ考えながら彼は河の水面を眺め続けていた。しかし、その時彼は彼自身の中で何が起こりつつあるのかを知らなかった。
 ------霧が晴れてきたのか?
 彼はチラとそう思った。彼が眺めていた水面は少しずつ遠くのほうまで見えるようになり、また遠くの水面に描かれる流れの水の模様までが見えるようになってきたからだ。そして最後についに向う岸も見え、さらにその先に一つの城郭のようなものさえ見えてきたのである。城郭の手前には城壁があり、その壁の前には一人の老人らしい霊、その霊は地に着くほど長い白いひげを生やしていた-----が立って彼のほうを見ている。だが、その顔はリンカクだけが見えるだけで、目、鼻もなければ、むろん表情などは知りようがなかった。
 彼は思った。-----あの霊は何者か、会ってみたい。
 つぎの瞬間、彼は無限の河幅と思えたこの河を越え、その老人らしい霊の目の前に立っている自分を発見した。

  エマニュエル・スウェデンボルグ『私は霊界を見てきた』
    (今村光一抄訳・編)叢文社、1983年、pp.127-128

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 49-e (霊界では希望しさえすれば堅固な岩石でも自由に通り抜ける)

 霊界の広さは広大無辺である。この世に人間が誕生して何百万年、肉体の人間として死に霊界へ入った霊がどれほどかを考えてみればこのことは誰にでも容易に想像がつく。
 だが、私はここで、この広大無辺な世界に住む霊たちの空間に対する観念の不思議さについて記そう。結論をいうと、彼らは、こんなに広大で無辺な世界を自分の住み家としながら空間という観念を全く持たないのだ。これはこの世の人間には誰にでも不思議に思わないわけにはいかないことだ。しかし、よく考えてみると、実は不思議でも何でもなく彼らにとっては当然すぎるほど当然のことなのである。
 というのは彼らは、心で思っただけでどこへでも瞬間にして自分の身を思ったところへ移動することができる。これは今、河のそばに立っていた霊のことからすぐわかるだろう。彼が老人の霊の前に立っていたのは、彼が老人に会いたいと思った″ためだ。ただ、それだけのことで彼はもう無限の距離を飛び老人の前に行けたのだ。
 もうひとつは、彼らは彼ら自身が希望しさえすれば堅固な岩石だろうが山だろうが、また壁でも樹木でも、その他何でも、その中を自由に通過(透過)してしまうことができる。また、霊界の結婚のところでいった男女の霊が体ごと一つになってしまったのでもわかるようにその中に入り込んだままになってしまうのも自由にできる。
 主に、この二つの理由から彼らは空間の観念は持てないし、また持つ必要など少しもないのだ。また同じわけから彼らは距離の観念も持てない。少なくともこの世の人間と同じような距離の観念は持てない。なぜなら彼らが距離として感ずることがもしあるとすればそれは彼らが、その心に思う対象物に対する望みが少ない時に過ぎない。その望みが強ければ彼らは瞬時にして対象物と同じ位置へ行くことができるのである。だからもし霊界に距離というものがあるとすれば、それは霊自身の対象に対する熱意の多い少ないかがこれを決めるということになるだろう。

  エマニュエル・スウェデンボルグ『私は霊界を見てきた』
    (今村光一抄訳・編)叢文社、1983年、pp.128-129

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 49-f[70-d] (幽霊はなぜ現場″に現われるか =1=)

 世間にはよく幽霊屋敷といわれるものがある。幽霊を頭から否定する人々は、これは幻想であるとか、その屋敷の造作や庭の樹木の配置、そして昼間幽霊の出る幽霊屋敷では、その屋敷の太陽の光線の具合、夜なら月や星の明かりとの関係などが、人々に幽霊と思わせるものを見せるのだとかいった、もっともらしい理くつを付ける。これらは、いずれも全く根拠のないものだから、私はことさらに議論をしようとは思わない。私は、なぜ幽霊が出るのか、そして幽霊屋敷といわれるものにはひんぱんに幽霊が出現することがあるのかについて、もっと根拠のある説明をしようと思う。
 私は例によって一つの実例を上げて話を始めることにしよう。この幽霊屋敷はとくに有名なものだからイギリスでは多くの人々がベランダの幽霊として知っている。
 この屋敷はエディンバラ(英国中部の街)の街のはずれにあった二階建の建物だ。建物は相当大きく、広い庭には古くからの大きな木々がそびえ昼間でもひっそりと静まり返っているほどの静かな環境にあった。最初に幽霊の出現が知られたのは一七二〇年頃で、これを見たのは、その家に数十年も仕えていた下僕だった。彼は、ある夕方、建物の戸締りをして回っていたが、二階のベランダに面した部屋まで来たとき、ベランダに人影を見たので、声をかけようとして驚いた。
 その人影が十年ほど前に死んだ、この家の娘エレンだったからだ。驚いている彼にはもちろん、その幽霊は周囲の何物にも気づかぬ様子でベランダの向うの端のほうまで五、六メートル歩いて行くとふっと姿を消してしまった。
 このことがあってから、この屋敷にはエレンの幽霊が、しばしば現われ、しかも決まってベランダに現われるのでベランダの幽霊屋敷といわれるようになってしまった。その後、この屋敷には住む人がなくなってしまったが、一七四〇年頃になって、エレンの家族とは何の関係もなく、この噂も知らないハント氏という人が、この屋敷を買い取って改造して住むようになった。改造後の屋敷はもとの屋敷より庭の奥に造られ建物も小さかった。だが、このエレンと何の関係もなく、噂すら知らなかったハント氏の家族も、しばらくするうちエレンの幽霊を見るようになった。しかも、エレンの幽霊は改造前の屋敷の二階のベランダのあった位置に現われ、昔下僕が見たように、あたかもその昔のベランダの上を端から端まで歩いて行くように空中を歩いてからふっと消えるのであった。また、エレンの幽霊が周囲の様子には全く気付かないふうである点は同じであった。
 なお、付け加えておくと、このエレンは、厳格な紳士であった父親の許さぬ事情のため、ベランダで自殺したものであった。
 このようなことを霊の立場、霊界の側から説明すれば、そんなに難しくなく、また何にも不思議なことではない。私はすでに霊はその想念によってどこへでも自由に自分の体を移動させることができ、このため霊は空間とか距離という概念をもっていないことは述べた。また、この話の中にある同じ場所≠ノエレンが現われる点に注意してほしいと思う。

  エマニュエル・スウェデンボルグ『私は霊界を見てきた』
    (今村光一抄訳・編)叢文社、1983年、pp.209-211

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 49-g[70-e] (幽霊はなぜ現場″に現われるか =2=)

 では、もっと詳しく説明することにしよう。実はエレンが人々にすぐエレンであると認められること(霊となったエレンの顔つきに大きな変化はないことを示す)また、エレンが幽霊となってしばしば現われることからしてエレンの霊は、まだ霊界へは行かず、この世と霊界の中間である精霊界にいたのだ。そして、精霊界にいる死後まだ間もない霊たちと同じようにエレンの霊的な心の状態は、まだ人間界にいたときの記憶がかなり残っていたのである。私がしばしば記したように、霊たちの記憶の中に残るのは、まだ、その霊が肉体にあったときの記憶でも、その心の本当の内部である霊の表面、霊の平面において記憶されたことのみであり、たとえば表面的な知識といったものは全て消滅してしまうものである。このような知識などは、人間がその肉体的な感覚、目、耳、鼻などによって知ったものに過ぎず、その人間の肉体のうえの記憶に止まり霊にまでは達していないためだ。
 だが、特異な例外的な場合には、人間界の記憶でも普通は霊の平面にまで達しないはずのものが、霊の平面にまで達し、この記憶が死後もかなり残存することがある。これは、例えばエレンの場合のように自殺とか、あるいは殺人のような死に方で死んだ霊の場合はその最後の場面や場所の記憶といった物質界的な記憶でもこれが霊の平面にまで達するようなことがある。(東洋の仏教徒の間で「想いが残る」というような表現で表わしているのも、このことだと思われる)
 したがって精霊としてのエレンの想念にはまだかなりこの世にあったときの物質界的なものが混じっており、エレンは、この想念が精霊的な想念の中に起ってくることがある。そして、そのようなときにはエレンはこの想念によって霊界の中を自分も気付かぬまま移動し、その想念の場所---この例ではベランダに(この世も霊界の一部分に過ぎないことはすでに述べた)現われることになるのだ。エレンの霊が死後相当の時間を経てもまだ霊界へ行かず、いまだに精霊界にいるというのも、彼女の霊(精霊)としての想念の中に物質界の桎梏を脱し切っていないものが少し残っていることを示している。
 なお、エレンばかりでないが、幽霊が全て周囲の状況に全く気が付かない様子で行動するという理由は、すでに述べたように、まだ物質界の桎梏を完全に脱し切っていないといっても、幽霊たちはすでに霊であり、霊には物質界のことは眼に入らず、彼らには物質界の存在することが解らないからに過ぎない。

  エマニュエル・スウェデンボルグ『私は霊界を見てきた』
    (今村光一抄訳・編)叢文社、1983年、pp.211-213