40.  (23. 一人で逝ってしまった息子を案じて )

 23-a 一人で逝ってしまった息子を案じて(来信)   (2011.06.10)

 初めてメールを送らせていただきます。こんな個人的な内容で大変失礼な事と承知しておりますが、ご無礼をお許し下さい。
 今年になってまもなく息子を自殺で亡くしました。前日までいつもと変わらず接していたのに・・・どうして?なぜ私の息子が?信じられませんでした。
 自分を責める毎日・・・どうしたらいいのかわかりません。あの日から息子に会いたくて、会いたくて、いろいろなサイトを探しているうち 武本先生のホームページに辿り着きました。
 ワイス博士の本 (まだ全部読んではいないのですが)や、シルバー・バーチ (これもPC上だけなのですが)その他もいろいろ読みました。でも何を見ても自殺者はあの世へ行っても何十年、何百年も苦しむとのことでした。
 この世に生まれてくるときすべて計画を立てて生まれてくるという事は、自殺であってもそうなんでしょうか?この世に偶然は存在しない、すべて必然のことなのでしょうか?
 私が思っていることは、今息子は苦しんでないだろうか?自分でしてしまったことを悔いていつまでも死んだことを自覚できずに苦悶しているのではないか?毎日毎日そのことばかりです。
 もし私がこれから何年後、何十年後、時が来てあちらの世界に行った時、息子に会う事が出来るのだろうか、とも思ったりします。
 また私があの世へ行った時、息子は生まれ変わっていて会う事ができなかったりもするのでしょうか?あの子に会いたくて、会いたくて・・・・今はただ辛い毎日を送っていますが、あの子をまだ感じることはありません。
 知りたいだけなのです!今僕は苦しんでないよ!大丈夫だよ!という声が聞きたいだけなんです。本当に私自身がそれを感じられたら、この地上での生活に耐えていけるような気がするのです。
 何か殺人よりも自殺した者たちの方が罪なような言い方をされるのは、残された家族にとってとても耐えがたいものなのです。
 でも息子は病気だったのです。うつ病という・・・・・私にとって明るくて優しいいい息子でした。宝物です。その息子が苦しんでいるなんて思いたくないんです。
 夢中で先生にこのような事をメールしてしまいました。お忙しことと知りながら大変申し訳ありません。
 武本先生,そしてご家族のご健康を心からお祈り申し上げます。(S. A.)


 23-b 霊的真実を知ることで癒される悲しみ (返信)   (2011.06.11)

 ご子息を亡くされてお苦しみのご様子、お察し申しあげます。このメールでは、あなたがどのような返事を期待しておられるか、分かるような気がしておりますだけに、お答えの仕方をいろいろと考えさせられています。
 一般的には、自殺は、自分が選んで生まれてきた地上生活を勝手に終わらせるわけですから、魂の成長にとっては決してプラスにはなりません。これは誰にもわかることです。地上生活はよく学校に例えられますが、いわば、自分で選んで入学した学校を、卒業を待たずに退学してしまうようなものです。
 だから、この場合、これも一般的には、もう一度生まれ変わって、前回の経験を活かし、今度は挫けずに卒業まで学び続けていくことになります。
 ただ、自殺した者は、すべて、あなたが書いておられるように、「あの世へ行っても何十年、何百年も苦しむ」ということはないでしょう。シルバー・バーチも、「自殺した者がみんな暗黒界の暗闇の中に永遠に閉じ込められるわけではない」と言っています。
 一番大切なことは、なぜ自殺したのかという動機です。それから、自殺者の死後の生活も、その人のそれまでの生き方や、霊的進歩の程度によっても、いろいろと変わってきますから、一概には言えません。
 全米でベストセラーになった『もういちど会えたら』という本の中で、著者で優れた霊能者であるジェームズ・ヴァン・プラグは、自殺はたしかに不適当な行為ではあっても、例外があるといって、つぎの二つをあげています。

 一、精神異常や生化学的アンバランスのある個人によって自殺が行なわれた場合。このような状況では、本人が自分の決断を完全には理解していません。彼らが亡くなると、一種の施設″のようなところに入り、そこで精神状態が癒やされ、魂本来の適切な状態を取り戻します。
 二、第二の例外は、適切な時機が来る前に物質界に戻ってしまった魂で、本人がまだ未熟なためにレッスンを学びきれない場合です。自分ではそれなりの力があると思ってはいても、実際に地上に来てみるとどうも落ちつけません。こうした欠陥を持つ場合、死ぬ前にしばしば次のような言葉を言い残します。「ぼくは合わない」とか「わたしには今はふさわしくないと思う」といった言葉です。(中井京子訳、光文社、1998、pp.157-159)

 私は霊能者ではありませんから、この問題ではジェームズ・ヴァン・プラグのような人に頼らざるを得ないのですが、その彼は、「自殺にはそれぞれに異なる事情がありますから、この間題には単純な解決法などありえないことをまず理解してください」といっています。
 そしてその後で、しかし、そうした「過ちを犯した人」でも、助ける手だてはあると、次のように述べています。私たちは、霊界にいる家族とは決して無関係で生きているわけではないので、これは貴重な助言ということになるのかもしれません。

 ・・・そうした死者たちには私たちの思いをこめて話しかけるしか方法はありません。まず、相手に想念を送り、物質界に戻ろうとして無駄なエネルギーを使うのはやめなさいと語りかけます。彼らもすでに肉体から離れていることにきっと気づくでしょう。次に、愛と平穏と許しの念を伝えます。このような美しい思いを伝えることで、悩める霊たちも慰められ、自分の置かれた状況に対する認識を深めるにちがいありません。(前掲書、pp.159-160)

 このような、霊的な学びが大切であることはいうまでもありませんが、悲しみや嘆きが、愛する家族との間に、大きな厚い壁を作ってしまうことも知っておく必要があります。
 私は、自分が長い間悲しんできて、そのために、霊界の家族に余計な心配をかけてしまいました。やはり、知らないということは怖いことで、熱心に学び続けているうちに、必ず光に辿りつくことを、強く信じていきたいものと思います。
 それから、自殺は、よく知られているように、そんなに稀なことではありません。私たちも、永遠の生命のなかで、何十回、何百回と、輪廻転生を繰り返しているうちに、どこかの人生で、誰もが、一度や二度は自殺や自殺未遂があったかもしれないのです。
 確かに、自殺はよくないことですが、過ちを犯してもやがてそのことに気がつき、その後の輪廻転生の中で、その経験を活かしてより充実した生活を築き上げることも十分にありうるはずです。一度失敗したら、もうそれだけで絶望しなければならないことは決してないでしょう。
 私の長年の知人で、現在、映画制作のディレクターをしているTさんという方がいます。優れた霊能者で、自分の過去生のうち、自殺したことも、殺されたことがあったことも、思い出すことが出来るといいます。
 もちろん、それ以外の過去生では、それぞれに生を全うして霊界へ還っているわけで、今生では、おそらく誰からも、Tさんは霊性に目覚めて充実した生活を送っている、と思われていることでしょう。
 あなたはメールで、自殺も必然か、と聞いておられますが、その前に、お子さんを亡くすことにも意味があることを知らなければならないでしょう。霊界での再会もそうですが、私のホームページだけでも、「学びの栞」などに、学ぶべき資料は、数多く用意してあります。
 冷たいと思われるかもしれませんが、実は、そういう資料によって、自分で答えを見つけ出していくことが、あなたには求められていることを、何よりもまず、どうぞご理解ください。
 あなたのお悲しみが、これからの学びによって、少しずつでも確実に癒されていくことを、こころからお祈りしています

    武本昌三『天国の家族との対話』 ―生き続けているいのちの確かな証し(pp.269-275)



  41. (24. 大震災で妻と息子と義母たちが行方不明に)

 24-a  大震災で妻と息子と義母たちが行方不明に (来信)  (2011.06.18)

 はじめまして、私は三十三歳の会社員です。
 三月の大震災で、妊娠九カ月の妻三十三歳、息子二歳、義母・義祖母が被災し、 未だに全員行方不明です。
 住まいは千葉なのですが、第二子の里帰り出産で妻の実家がある福島県南相馬市へ震災の1週間前に息子を連れて戻っていました。
  震災時は、地震発生から三十分後に妻から「すごく揺れたけど、全員無事です」 と私の携帯にメールが入り、何度も電話しても繋がらなかったのですが、東京で安心して仕事をしておりました。
  翌朝五時に義父から私の携帯に、「家も流され、妻達全員避難所にも居ない。誤った・・・・」と泣きながら連絡して来ました。もう頭の中は放心状態で、その後何を受け答えしたのか覚えていません。
 原発の影響もあり、私が現地に行けたのは一か月後でした。「絶対に助かっている」 その希望も、現地の現実を見た時に絶望へと変わりました。もうこの世には居ないと諦めた瞬間でした。
 捜索もしましたが、結果手に入れたものは、妻の運転免許証、パスポート、避難した車の中にあったチャイルドシートだけでした。
 どうして妻達が逝かなければならなかったのか。お腹の子が無念で、かわいそう。息子は本当に可愛い盛りで、私にとっての宝物でした。
 私達のこれからの幸せをすべて奪いさり、神が居るならばなぜこのような試練を与えるのか。他に死ぬべき人間はいるのではないか。色々とこの三か月間考えましたが、答えはありませんでした。
 そんな時に、この本『天国からの手紙』と出会いました。 読んだ率直な意見として、心が少し救われました。
 妻は、世話好きで自分よりも他人を思いやる人でした。 本当に優しかった。息子も同様で、まだ二歳なのに公園の滑り台で遊んでいた時に、他の子供に先に遊ぶのを譲ったり、とても優しい子でした。
 本を読み終えた後ふと、選ばれてしまったのかなと感じてしまいました。 しかし、残された私にとっては納得がいきませんが・・・ 妻と息子に会いたい・・・ 話したい・・・本を読んでさらに思いが膨らみました。 (T. K.)


 24-b 被災された奥様やお子さん達のためにも (返信)    (2011.06.18)

 メールを拝見しました。三月の大震災で、奥様と二歳のお子さん、義母、義祖母の方々が被災し、未だに全員行方不明とお伺いし、私も涙を抑えることができません。さぞお悲しみのことと、ご心中、こころからお察し申しあげます。
 先日の私の出版記念講演会のあと、しばらく経って、何年か前にお子さんを亡くされた方から、つぎのようなお手紙をいただきました。その前にも何度か、私の講演を聞いてくださっていて、私もよく存じ上げている大変明るい、前向きな女性の方です。

 ・・・・息子が亡くなった時、私の世界は一変しました。暗黒の中に、長い苦しみの中に突き落とされたようでした。でもそうではなかった。「真実」を知った時、私の世界は再び一変し、光り輝く喜びの世界の扉を開けたのでした。それは、今までに味わったことのない様な、幸せで満たされた世界でした。今もその世界に居ることに変わりはないはずなのに、私自身の未熟さから心の中に葛藤を抱え、憂え、気持ちの落ち込む状況の中に、最近の私は居りました。
 ご講演を聞きながら、「起こるべきことは、必要だから起こる」、「起こったことはすべて自分にとっては悪いことではない」という、先生の力強いメッセージをいただき、私は目の覚める思いでした。そうでした。私達は「宇宙の摂理」の中で生かされているのでした。有難うございました。先生のお話とご本で、私は原点に立ち戻れたような気がします・・・・

 私は、このお手紙への返事を先ほど投函したばかりです。その返事のなかで私は、いのちの真理を知って得たものの大きさに比べれば、この世の中の悩みは、それがどのようようなものであれ、小さな、「可愛い」もののように思えることがあります・・・・・などと書いていました。あなたからのメールを拝見したのは、そのあとです。衝撃を受けて、私は泣き出しました。
 「世の中の悩み」とは次元の違う悲しみであるといえないことはありません。しかし、いまのあなたには、私は決して、この返事のような、こういう書き方はしないでしょう。出来ないでしょう。ただ、涙を流すだけです。
 私は、妻と子を亡くした時、妻の友人であった札幌の霊能者から、「まだこれから三年くらいは苦しまれるでしょうね」と言われたことがあります。しかし、三年どころか、四年経っても、五年経っても、苦しみからは抜け出せませんでした。
 その私が、いまのあなたに、「どうか悲しまないでください」という資格はありません。優しい奥様や、可愛いお子さんを思い出して、涙が出ないはずはないのです。気が済むまで存分に泣かれたらいいと思います。
 ただ、それでも、真理は真理で、それは、悲しみに暮れている人々のための唯一の救いです。
 この世の不幸は、「宇宙の摂理」の中では決して不幸ではないでしょう。永遠の生命のなかでは不公平もないでしょう。どうかその「真実」を、あなたのこころの片隅に、そっとしまっておいてください。
 そして、いつの日か、もう一度、『天国からの手紙』のなかで私が心を込めて書いてきたことばの数々を、辿りなおしていただくことができれば望外の仕合わせです。あなたからいつも離れず、あなたを見守ってくださっているはずの奥様とお子さんたちのためにも、こころからのお祈りと共に、このことだけをお願いしておきたいと思います。

  武本昌三『天国の家族との対話』 ―生き続けているいのちの確かな証し(pp.275-280)



  42. (25. 死後の世界があるという確信に近い気持ち
 
 25-a 死後の世界があるという確信に近い気持ち (来信)   (2011.07.12)

 はじめまして。Y.S と申します。『天国からの手紙』、拝見致しました。読み終わった後、死後の世界があるという確信に近い気持ちが強まりました。
 日本でもイギリスで行われているような霊界通信が行われれば、スピリチュアルの発展につながっていくのではないかと思いました。
 日本で、信頼できる霊能者の方がいらっしゃれば、教えていただければ幸いです。今後も新しい著書のご出版を期待しております。 (Y. S.)


 25-b 求め続けなければならない霊的真理 (返信)    (2011.07.12)

 『天国からの手紙』をお読みくださって有難うございます。「死後の世界があるという確信に近い気持ち」が強まったというのはなによりです。
 もっとも、この「死後の生存」については、私のホームページでも、いろいろと繰り返し、紹介してきました。いわば、「当たり前の事実」ですが、それでも、なかなかそのことが理解できずに、死にまつわる苦しみから抜け出せない人々が世の中には決して少なくはありません。
 すぐ目の前に、真理の光が輝いていても、それを見ようともしない人もいますし、眼が曇っていて、見えない人もいます。これは、イギリスでもそうですし、日本でも同じことで、住んでいる国にはあまり関係がないのかもしれません。『天国からの手紙』にも書きましたが、真実を受け容れるこころの準備ができているかどうかが何よりも重要なのだろうと思います。
 「信頼できる霊能者」についても、同じようなことがいえるのではないかと思われます。
 日本にも優れた霊能者は少なくありませんし、「霊界通信」も多く行なわれていますが、特定の霊能者の名前をあげて、そこへ行けば霊界通信も出来て、「救われる」というように紹介することが、はたしてその人の霊的真理探究の道に沿うことになるのであろうかと、私はいまでもよく迷わされます。
 これも本に書いてありますが、私は、大英心霊協会で、何人もの「信頼できるミーディアム」に会うまえに、数多くの「霊能者」といわれている人々に何年にも亘って、数十回も会って来ました。
 何一つ、確信の持てるような情報は聞きだすことができませんでしたが、それでも、それが無駄であったとは今でも思っていません。そのようなこころの準備が私には必要でした。そして、少しずつでも準備を進めていけば、やがて必ず、目の前に自ずから真理への道が開けてくるのではないかと思っています。
 ミーディアムについてのメールのご要望に直接お応えせず、というよりは、お応えできずに、このような言い方を私がするのにも、それなりの意味があるのだと、もし、お考えいただくことができれば、大変ありがたく存じます。

  武本昌三『天国の家族との対話』 ―生き続けているいのちの確かな証し(pp.280-282)



 43. (26. 『天国からの手紙』に込められた力強いメッセージ)

 26-a 『天国からの手紙』に込められた力強いメッセージ (来信)  (2011.08.21)

 ご著書を拝読させていただきました。
 「もう永遠に会えないとなぜ思い込むのか。話しあうこともできないと、だれがそういったのか。死んでしまったのだから、本当にもう会うことも話し合うこともできないのか。それを自分で確かめたのか」という序章から始まる最愛のご家族を突然奪われた先生のご悲嘆、ご心痛に胸が張り裂けそうでした。
 私は先生に実際にお目にかかったことはありませんが、いつも穏やかで暖かく、品性の高いそのお人柄を心より尊敬いたしております。
 ご自分にも他の人にも常に誠実に真摯に生きていらっしゃる先生が何故あのような悲劇に巻き込まれてしまわなければならないのか。そして潔典さんの愛らしく素晴らしいお人柄を、奥様のお優しい慈愛に満ちたお人柄を思うとますます訳がわからなくなります。
 しかし霊界の潔典さんが次のようにおっしゃったとき、少しだけわかったような気がいたしました。
 「お父さんは必ず目覚めて立ち直る人だということがわかり、ひとりの苦しみがなん百、何千人、いや何万人の人たちの魂を目覚めさせ、同様の苦しみや悲しみに沈んでいる同胞に慰めと魂の癒しをもたらすことを、その聡明さによってやってくれるということを期待されたからです」
 先生の社会的なお立場はもちろん、高潔なご人格の先生のお言葉に、どれだけ多くの人たちが耳を傾け、救われることでしょう。
 「愛する人たちは実は死んではいない」という力強いメッセージは、私たちに希望と勇気、そして生きていく意味をも与えてくださるのです。
 「宇宙の摂理の中では悲劇も犠牲者もない。起こるべきことは必要だから起こる。決して不公平もない。不足のものは何もない。あるのは世界のすみずみにまでいきわたる大きな慈愛に満ちた神のこころだけである」
 終章で先生が仰られている上のお言葉を心の灯りとしてこれからの人生を少しでも誰かの助けになれるよう過ごしていきたいと思っております。
 素晴らしいご本を書いてくださった武本先生、それをサポートしてくださった由香利さん、潔典さんと奥様の富子さん、本当にありがとうございます。(N.K)


  26-b いのちの真理を伝えていくための小さな貢献を (返信)   (2011.08.22)

 重ねてのメールを拝見しました。新しい本の翻訳作業でお忙しいなかを、拙著をお読みくださって有難うございます。
 一九五七年からの留学生としてのアメリカ滞在以来、三度目の長期滞在中に、あのような事件に巻き込まれることになろうとは、想像もできませんでしたが、あれからもう二十八年が過ぎていきました。
 そして事件当時は、将来、いまのような安らかな心境になれるというようなことも、まったく想像もできませんでしたから、それだけに、霊界の大きな愛の計らいが、ひとしお有難く思えてなりません。
 あの本は、私にとってもちょっと不思議な本で、出版の企画を聞かされてから執筆を始め、出版が終わって出版記念講演会が開かれるまで、すべてが極めて順調に進みました。あっというまに本が一冊出来上がった感じです。
 やはり、霊界からいろいろと援助されていたようで、霊的に鈍感な私にも、何度も、そのような導きの手を感じさせられたことがありました。自分の生き様をすべて曝け出してあのように書いていくのには些かのためらいもありましたが、この本を書くのも、私に課せられた一つの使命であったのかもしれません。
 あなたがロンドンで、翻訳出版を含めて霊的知識の普及のためにいろいろとご活躍しておられるように、私も私なりに、いのちの真理を伝えていくための小さな貢献を続けていきたいと思っています。これからも、どうぞよろしくお導きくださいますように。ご健勝をお祈り申し上げます。

   武本昌三『天国の家族との対話』 ―生き続けているいのちの確かな証し(pp.282-285)



 44. (27. 11歳で亡くなった愛し子への感謝)

 27-a  11歳で亡くなった愛し子への感謝  (来信)   (2011.09.06)

 はじめまして。私は京都に住む四十歳の主婦です。二〇〇九年五月二十八日に十一歳になる息子を病気で亡くしました。急性りんぱ性白血病でした。
 七歳で発病し長い治療をがんばり退院し、一年少しで再発しました。助かる可能性は無いと医師に告げられましたが家族は奇跡を信じ骨髄移植に向け頑張るしかありませんでした。
 長く続く厳しい治療、息子はよく頑張りました。息子の骨髄の方はドナーさんを見つけることも難しく、移植に持っていく状態も難しいともいわれました。後は神様にお任せしよう。悲しく苦しい毎日だけど笑顔で過ごす努力をしました。
 江原さんの本、『神との対話』、バシャール、いろいろな本に出合い心を強くさせてもらいました。 そんなある日先生が検査結果で「寛解」していることを告げにこられ、まさかの結果にびっくりされていました。
 その後ドナーさんも見つかり骨髄移植できることになりました。今いる病院から大阪にある松下記念病院に転院しました。その後、移植も無事終わり退院まじかで再発。大阪の病院で半年、また京都にもどりました。
 緩い治療をしながら週末は家で家族と過ごしました。五歳下の妹のことを大事にしていた息子。外泊の時は東寺に行ったり元気になったら行こうと決めていたお伊勢さんにも行きました。その一か月後、いっぱいがんばってくれた息子は天国に旅立ちました。
 息子に感謝の気持ちでいっぱいです。息子は今どうしているのか知りたくて霊界の本をよく探しにでかけます。
 そしてお盆の休みのときに『天国からの手紙』を手に取り家に帰りました。私が思ってきたことは間違っていなかったと確信できました。家族みんなで読み、みんな気持ちが楽になりました。
 二日前、夢で息子からはじめて電話で会話できました。「お母さん」っていうので、私も息子の名前を呼んで「元気か、そっちはきれいやろ」、と言うとまだぼんやりと息子は答えていました。
 前に読んだ本に、亡くなって一、二年眠ってる魂もあると書いてありました。「何かおねがい事ある」、と聞くので私は前から息子と話していたアセンションをして「またみんなと暮らしたい」、と言いましたが返事を聞けぬまま目が覚めました。まだその時期ではないんだよということだと思います。
 天国で困ったことがあったら富子さん潔典さんに相談に行くように伝えてあるので私も安心です。勝手に言ってすみません。
 武本さんの本に出会い感謝しています。いつかお目にかかれると信じています。ではお体に気をつけて。 (E. W.)


  27-b 愛する家族のいのちを取り戻すために (返信)   (2011.09.06)

 私は、『天国からの手紙』の「はじめに」のなかで、「愛する家族が死んでしまったから悲しいのであって、生きているのであれば、決して悲しむことはないはずであろう。それならば、自分で自分の愛する家族のいのちを取り戻すべきである・・・・」と書きました。
 そして、「あくまでも『本当に生きている姿』を求め続けることである。決して諦めずに。必ず見つけて、愛する家族のいのちを取り戻すために」とも書きました。そのことを実践しておられて、十一歳で亡くなられたお子さんのいのちを「取り戻し」、お子さんに感謝しておられるあなたの姿に心からの敬意を表します。
 あなたからのメールを拝見して、私は、メーテルリンクの『青い鳥』のなかのエピソードを思い出しました。それは、私のホームページの「随想集」(65) にも取り上げていますが、未来の国へ行ったチルチルとミチルが、その翌年、チルチルとミチルの弟として生まれてくることになっている「一人の子」に出会う場面です。
 未来の国のその子は、広間の奥から走ってきて、まわりに沢山いる子どもたちを掻き分け、チルチルの前に出て挨拶をします。その子は、地球へ生まれるときに持っていく袋を抱えていました。そして、その袋の中には、地球への贈物や知識だけでなく、自分が患うことになる百日咳や狸紅熱といった病気も、きちんと包まれて入っています。
 「その子」は、猩紅熱、百日咳、はしかを病んで、そして子どもの時に死んでいくことを自ら「選んで」、地上に生まれてくるわけです。
 地上では、これは大変不幸な生涯という捉え方をしてしまいますが、霊界では、永遠の生命は自明ですから、当然のことながら、それは決して「不幸」ではないはずです。むしろ、純真無垢のまま、幼くしてこの世を去るのは、自らと愛する家族のための霊性向上を目指した大切な意味をもつていることになるのでしょう。
 そしてそれが、決して、単なるおとぎ話ではなくて、「大変な真実」であることを、霊界にいるイギリスの作家・コナン・ドイルも再確認してくれているのです。
 あなたが熱心に霊界のことを学ばれ、いのちの真実を理解されていくなかでお子さんに感謝しておられることに、私も救われる気持ちです。お子さんもそのようなお母さんの姿を見て、霊界できっと安心し、うれしく思っていることでしょう。
 私の『天国からの手紙』をお読みくださって、お子さんが元気に生き続けている事に確信を深め、「家族みんなで読み、みんな気持ちが楽になりました」と書いて下さっていることに対しても、著者としていささかのお役に立てたことを有り難く思います。
 私からも、改めてこころからのお礼を申しあげます。 

    武本昌三『天国の家族との対話』 ―生き続けているいのちの確かな証し(pp.285-289)



 45. (28. 霊界と地上界とを結ぶ通路としての役割)

 28-a   霊界と地上界とを結ぶ通路としての役割 (来信)   (2011.10.10)

 インターネットのアマゾンから私に時々書籍のお勧めが来ます。7月頃でしたか『天国からの手紙』のことでメールが入り、その時一度読んでみようかなと思いましたが、日常生活の慌しさに紛れて何時しか忘れていました。そしてこの間アマゾンから再度この本についてのメールがきましたので取り寄せて今読ませて頂いているところです。
 肉親との突然の離別という悲劇を通したご自身の心の有り様などが飾り気無くありのままに書かれていてなるほどそういうお人柄だからこそ霊界からの支援を受けておられるのだなと思いました。本の中の奥様の写真を見ると距離と次元を超えて訴えてくるものを感じます。生前から高い霊格を持たれていた方だと思いますが、現在もあちらから先生の活動を支援しておられるのではないでしょうか。
 今人々の間で霊的覚醒の芽が少しずつ見られるようになりました。先生には霊界と地上界を結ぶ通路となるべく役割が課せられているのでしょう。現在、他にも無数の通路が築かれつつあるのだと思います。個人であろうとある組織であろうと、その状況やレベルに応じて、開いた通路を通して真理が流入しつつあるようです。人間は一人一人の意識のレベルが違うので、真理というものはある人には理解できることであってもある人には理解できません。そういう環境において霊的に目覚めた人間はそれを広めることが要求されていると思います。
 既存の宗教は人々の知性の進歩によってその存在価値が失われつつあり、これからはより高度な知識、より真実に近いものが求められることでしょう。宗教では色々難しそうな事を言っているけど、わかったようでわからない、実際はどうなのかということが問われていると思います。そういう疑問に答えられるものは霊的真理をおいて他にはありません。
 私もささやかながら四年ほど前から親類や知り合いに見てもらいたいという動機から自分のホームページを開いています。何分にも素人の作品なので至らぬ所ばかりだと思いますがお暇な時に見て頂ければ幸いに存じます。先生の今後のご活躍とご自愛を祈っております。
 以下は私のホームページです。
 http://ww81.tiki.ne.jp/~okwhiro/    H.O


   28-b 霊界の家族に対する一番の供養とは (返信)   (2011.10.10)

 メールを拝見しました。私の『天国からの手紙』 をお求めくださり、霊的な視点から貴重なご教示をいただきましたことを厚くお礼申しあげます。
 あなたのホームページ「いのちの波動」も一部ですが拝見させていただいております。格調の高い文章で大切な霊的真理を分かり易く説いてくださっていて、いろいろと大変参考になります。私のホームページの読者の方々にも、是非読んでいただきたいと思いました。
 例えば、「若くして世を去ることの意味」については、私も何度か、この「メール交歓」で取り上げてきておりますが、「いのちの波動」では、つぎのように、諸神から直接お受けになったお教えを紹介しておられます。
 〈早く世を去るもの達の共通点は霊的にレベルが高くすでに過去多くの事を学んでいるのでそれ以上この世では学ぶ必要がないということである。顕在意識の上では本人も気付かないが潜在意識のレベルではすでに十分に学び多くを知っているのである。好人物で皆から慕われる、人のために尽くせるような人物は早死にすることが多いがそれはそういう理由からである。親より早く死ぬというような場合、実はその者は親よりも霊格が高く自らの死をもって親に霊的覚醒を促すことになっている場合がある。〉
 また、「死後の世界」のなかでは、霊界のご尊父からのメッセージをつぎのように紹介されていますが、私たちにも関心が深い「供養とは何か」について、これも、実に明快な指針になっていると思います。
 〈我々が常に地上の縁ある人々を援助したいと思って色々と救いの手を差し伸べているのに殆どの人はそれに気付いてくれない。
 我々にとって一番喜ばしいのは、この世の人たちが道を間違えることなく自分の本分を全うして生き生きと充実した人生を歩んでくれること。それが我々に対する一番の供養になるのだ。
 我々に対する形式的な供養は必要が無い。むしろ供養して貰わなくてはならないのは地上の人たちだ。我々はいつでもどこでも縁ある人の手の届くところにいるし、地上の人たちのように物質の束縛が無くはるかに自由なのだ。〉

 私のほかにも、一人でも多くの方々に、このような大切な教えに触れていただきたく、その一端を、ここで再録させていただきました。これからも折に触れて、「いのちの波動」から学ばせていただきたいと思います。貴重なメールをいただきましたことを重ねて厚くお礼申しあげます。有難うございます。

    武本昌三『天国の家族との対話』 ―生き続けているいのちの確かな証し(pp.290-293)



 46. (29. シルバー・バーチの「霊訓原文」を読む)

 9-a  シルバー・バーチの「霊訓原文」を読む (来信)  (2011.10.31)

 みずしらずの私がメールをさせていただくことをお許しください。 私は S. U.と申します。一九五九年生まれで、一九八二年に上智大学の教育学科を卒業しました。現在は H県 F市在住です。
 今年の九月下旬にシルバー・バーチの原文を探しておりまして、こちらのホームページにたどり着きました。そして武本様の一九八三年から今に至る長い道のりを知り、『天国からの手紙』を読ませていただきました。
 奥様と潔典さまを突然の事故、それもありえないようなソ連軍機による撃墜で失われたこと、武本様とお嬢様の悲しみはいかばかりでしたでしょう。そしてイギリスでのミディアムとの出会いで、お二人に再会され、少しずつ心の平安をとりもどされ、霊界と人間界のつながりをホームページや著書で広く知らせていただいたことは、この時代に生きている私たちにとって大きな道しるべとなりました。
 繰り返し著書を読ませていただいているうちに、私も今与えられた人生を悔いなく、やさしさと思いやりに満ちたものにしたいと心から思えるようになりました。そして先日ミディアムの方にリーディングをしていただき、十年前に亡くなった父と再会することができました。そしてご縁のあった数人の人たちからもメッセージをもらうことが出来ました。
 ミディアムの方に私はこれから霊的な生き方をはじめることになるでしょうと言われ、あらためてこれから新しい人生が始まることを感じております。
 この半年、武本様のホームページにたどり着くまでにはっきりと一本の道が引かれていた様に感じています。
 二月末に広島の図書館で飯田史彦氏の著書にめぐりあい、その後三年前に購入していた「シルバー・バーチの霊言」とブライアン・L・ワイス氏の著書を取り出し読み返しました。それから地元の図書館で関連した著書をむさぼるように読む日々が続きました。そんな中でどうしても繰り返しシルバー・バーチに立ち戻るのでした。
 そして「シルバー・バーチの霊言」を原文で読み、味わいたいと考えるようになり、ある方のブログから武本様へとたどり着きました。
 原文はやはりシンプルで美しい文章で、さらに感動が深まりました。その日から少しずつノートに原文と訳文を写させていただいております。武本様にはホームページと著作の文章を通じてではありますが、お会いできたことを神様に心から感謝しております。
 しばらく迷っていたのですが、やはりそれをお伝えしておくべきかと考えメールさせていただきました。ありがとうございます。武本様のこれからのご活躍と、ご健康をお祈りいたしております。 (S. U.)


  29-b 一人でも多くの方々の目覚めのために (返信)  (2011.10.31)

 メールを拝見しました。私のホームページで「霊訓原文」をお読みいただいていることを厚くお礼申し上げます。
 私は「霊訓原文」の冒頭で、「三千年前の古代霊であるシルバー・バーチが現代英語で私たちに語りかけているのは、奇跡としかいいようのない事実ですが、それだけに、その貴重な真理のことばを翻訳によらないで、原文のまま吟味してみることも十分に意味があることと思われます」と書きました。
 ご存知のように、英語と日本語というのは互いに異質の言語で、背景にある文化も大きく異なりますから、厳密にいうと、例えば、英語の「mountain」は日本語の「山」とは違いますし、「river」も決して「川」とは同じではありません。ですから英語の原文と日本語の訳文ではどうしても多少の「誤差」が生じます。訳者によっては、その誤差の振幅もさらに増幅されたりして変わってくるわけです。
 シルバー・バーチの教えは重大で貴重ですから、それだけに、誤差のない形でそれらを受けとめていくためには、やはり、シルバー・バーチの使った英語をそのままのかたちで、読んでいくほかはありません。私が「霊訓の原文」を取り上げてきたのも、そのような理由からですが、それをお読みいただいていることは、私にとってもたいへん有難く、うれしく思います。
 私の『天国からの手紙』もお読みいただき、有難うございます。あなたのように、霊的真理を受け容れる用意が出来ている方には、こういう本も目に留まるのでしょうが、そういう方々は、確実に徐々に増えてきているとはいえ、まだまだ少数派です。
 これほど大切ないのちの真理に気がつかないまま、肉親の死に際して深く嘆き悲しむ方々が跡を絶ちません。一人でも多くの方が目覚めのきっかけを掴めるように、共に力を尽くしていきたいものと思います。あなたのこれからのご研鑽とご健勝をこころからお祈り申し上げます。

    武本昌三『天国の家族との対話』 ―生き続けているいのちの確かな証し(pp.293-297)



 47. (30.突然亡くなった長男の行方を捜し求めて)

 30-a  突然亡くなった長男の行方を捜し求めて (来信)  (2011.12.07)

 『天国からの手紙』を拝読し、武本先生が、必死に奥様と息子さんを捜されたお気持ちを、同じ思いを抱いた一人として、お手紙を書かせていただいております。
 私も昨年、かわいい大切な長男を二十歳で突然亡くし、それからずっと息子を探しています。どこで、今、何をしているのか、どんな気持ちでいるのか、毎日苦しく悲しい想いを背負い、自責の念でつぶれそうな心で息子の行き先を追っています。
 私がだめな母親だったばっかりに輝かしい未来が待っていた二十歳の息子がこの世を去ってしまい、ほんとうに苦しいです。ブログで、先生の著書を紹介させていただきました。
 私のようなものが、ずうずうしくお手紙を書いてしまい申し訳ありません。ただ、先生の言葉がとても私に救いとなりましたこと、どうしてもお礼がいいたくて書いております。
 お忙しいところ、読んでいただき感謝しております。お寒い中、どうぞご自愛くださいませ。
 (T. R.)


 30-b 霊界のご長男と安らかなこころの対話を (返信)   (2011.12.07)

 メールを拝見しました。『天国からの手紙』をお読みいただいたことで、大切なご長男は、決して「亡くなった」のではなく、いまも、かつてと少しも変わらず、すぐあなたの側におられることをご理解いただけるきっかけになればと、こころから願っています。
 ブログのなかで、ある雑誌の私へのインタビュー記事の一部を引用しておられますが、そこで私が言っていますように、「死んだ事実」をただ諦めることによっては決して悲しみや苦しみからは抜け出すことはできないと思います。「死んでいない」のが真実で、その真実を知ることによってしか、救いの道はありません。
 問題は、「死んでいないこと」を知るためには、厳然と生と死を隔てている高く厳しい壁を乗越えなければならないことです。古来多くの聖人、高僧たちはそのために難行苦行を重ねてきましたが、今では私たちは、身近に示されている霊的真理を理解することでその壁を乗越えることができます。
 もちろん、これも決して容易なことではありませんが、これにも重要な意味があるのでしょう。だからこそ、私は、迷信に縋ることなく、新興宗教に没入して幻想のなかで生きるのでもなく、あくまでも自分の力で、決して諦めずに、お子さんの行方を捜し求め続けることが何よりも大切であることを、『天国からの手紙』のなかでも訴えてきました。
 もうすでに感づいておられることと思いますが、「毎日苦しく悲しい想いを背負い、自責の念でつぶれそうな心」でおられるあなたの姿は、ご長男も霊界から辛い思いではらはらしながら見守っておられるはずです。そのことをどうかよくわかってあげてください。なぜなら、ご長男は生きておられるからです。そして、それが揺るぎのない真実だからです。
 霊的真理だけが、悲しみのこころを癒してくれます。世間の常識からはかけ離れていても、大切なのはあくまでも真理であって、「世間の無知」に引きずられることではありません。
 かけがえのないご長男を突然に二十歳で亡くされた悲しみがどれほど深いものか、私にはよくわかります。私も、何年も何年も苦しみ続けました。しかし、そのことが、霊界の妻や長男にも辛い思いをさせていたことには長い間気がつきませんでした。
 今ではそのことも分かるようになり、霊界の妻や長男に申し訳なかったと、自分の無知を深く反省させられています。それだけに、あなたにも、どうか私の徹を踏まないでくださいと申しあげたいのです。私は、そのために本を書き、講演もし、ホームページでも訴え続けているのです。
 生と死を隔てている壁は確かに高く厳しいものではありますが、決して乗越えられないことはありません。むしろ、それを乗越えることが残された家族の使命であり、特権であり(あえて申しあげますが)、生き甲斐でもあろうと思います。どうか引き続き霊的真理の学びを深められて、なるベく早く、いまも元気に生き続けておられるご長男と、安らかな心の対話ができるようになりますことを、心からお祈り申しあげております。

    武本昌三『天国の家族との対話』 ―生き続けているいのちの確かな証し(pp.297-300)



 48. (31何度も『天国からの手紙』を読んで)

 31-a   何度も『天国からの手紙』を読んで (来信)   (2011.12.16)

 はじめまして、KB と申します。主人が昨年七月に事故で亡くなりました。これほど辛い悲しみがあるんだと強く思い知らされました。
 初めは江原さんの書籍などで「寿命だったんだ」と納得しようと努力し助けられ、四か月後の昨年十一月にミーディアムを通して主人とお話しすることが出来、物凄くうれしく癒され、いつでもそばにいるんだと実感できるようになりました。その時に武本様のホームページ、シルバー・バーチの本などを紹介して頂きました。
 そして出会った『天国からの手紙』。何度も読ませていただきましたが、事故のくだりは読む事が出来ません。武本様とミーディアムを通しての奥様・息子様との対話を読む度、奥様の言葉が私の主人からの言葉のように思えて、本に向かって「わかった」「はい」とかひとりごとを言っている自分がいました。
 納得はしても寂しさはますばかりですが、体は日々元気になり、当然の事ですが日々生活は出来てます。「普通に生活して良いんだよね、歳をとっても主人の事忘れたりしないよね」とか不安葛藤は消えません。
 多くの人・書籍に助けられ感謝です。出会い、色々な経験をさせてくれている主人にも感謝です。
 武本様、いつまでも元気でホームページ続けてください。勉強させてくれて有難うございます。癒やしてくれて有難うございます。


  31-b 真理を知るための確かな歩みを  (返信)   (2011.12.16)

 メールを拝見しました。ご主人を事故で亡くされてまだ日が浅いうちは、お悲しみもさぞ深いこととお察し申しあげます。しかし、その悲しみのなかで、ミーディアムを通してご主人とお話しできたことなどもお伺いし、私も少し救われる思いがしました。
 事故や災害で亡くなったりする方は、東日本大震災を例にとるまでもなく、無数におられますが、それを受けとめている遺族の方々の受けとめかたは、人によってまちまちです。そのなかでも、あなたのように熱心に「亡くなった」ことの意味を求め続けることは、とても大切なことのように思えます。
 あなたは、ご主人が「いつでもそばにいるんだ」と実感できるようになったと書いておられます。そして、納得しても「寂しさはますばかり」とも書いておられます。そういうものだろうと思います。
 人間にはやはり弱い側面もありますから、それから、霊的真理から離れた世間の常識にあまりにも長く染まっていますと、真理の一端に触れたからといって、すぐに救われることにはならないのかもしれません。
 あえて申しあげれば、大切な家族を失って悲しむのは、いのちの真理を「知らない」ことが大きな原因です。知り始めても、悲しみの余韻は残るでしょう。しかし、本当によく知ることができれば、悲しみは消えていきます。必ず、そうなります。
 あなたはいま、その知るための道を着実に歩んでおられます。どうか、挫けないで、決して迷信のようなものに捉われることなく、希望をもってそのまま歩み続けていってください。今後のその足取りが確かなものであることを、こころからお祈りしています。

    武本昌三『天国の家族との対話』 ―生き続けているいのちの確かな証し(pp.300-303)



 49. (32 長男を失った悲しみをまた吐き出して)

 32-a   長男を失った悲しみをまた吐き出して (来信)   (2011.12.19)

 十二月七日にメールを出して、先生にまたメールを送らせていただくのは、お邪魔になると思い、とまどいましたが、読み捨てていただいてよろしいですので、どうか、また書かせてくださいませ。
 「魂が、そばで今も変わらず生きている」。これは、自分では理解しているつもりですが、返事のない会話を、息子と心でいつもしています。ただただ、空しいです。
 「もうすでに感づいておられることと思いますが、毎日苦しく悲しい想いを背負い、自責の念でつぶれそうな心でおられるあなたの姿は、ご長男も霊界から辛い思いではらはらしながら見守っておられるはずです。そのことをどうかよくわかってあげてください」。
 これは先生のおっしゃる通りです。
 私の思いは、息子を苦しめていることを承知していても、悲しくて悲しくて、どうしようもありません。なぜ、魂が生きているのなら、その想念といいますか、亡くなった相手と気持ちが通じ合えないのでしょうか。
 霊界のしくみは、もう何年も学んできましたが、こちらの思いが伝わるだけでなく、むこうの人の思いも受け止めることができたら・・・・。「心の対話」が、とても空しくてたまりません。息子の、あの元気な笑い声が聞こえてこないこと、ほんとうに涙が溢れてきます。
 一方通行な対話では、心が折れてしまいそうです。生きているなら、姿を見せてほしい。声を聞かせてほしい。そう思うのが、本音である現状です・・・・。
 こんなことでは、この世の修行が完成しなくて、霊界で再会できないと思います。悲しみを乗り越える特権を、人生の折り返しの励みにしたいと思いますが、まだまだ、先は長いです。
 苦しみを吐きだしてしまったメールを送らせていただくことをどうか、お許しください。
 読んでいただき、ありがとうございました。(T. R.)


 32-b   決して絶望ではない死の真実を知る  (返信)    (2011.12.19)

 すでに前のメールのお返事は差しあげましたが、あなたからの二度目のメールに対しのどのようにお答えしたらいいのか考えさせられています。答えははっきりしているのですが、ここでは、シルバー・バーチのことばを引用させてください。
 かつてイギリスで、戦場に出たばかりで戦死してしまった若者がいました。その若者の親が、なんとかわが子の霊と話し合いたいと思いながらも「対話」ができずに嘆いていたのですが、その親に対して、シルバー・バーチはつぎのように言いました。

 「苦悩の淵に沈まれたあなたの心は私にはよく分かります。ですから、あなたの心の奥底で動めいているものを私が知らずにいると思ってはいけません。あなたはまさに悲しみのドン底を体験されました。そしてその悲しみを少しでも和らげてくれるものを求めておられます。しかし、こんなことを申し上げては非情に思われるかも知れませんが、あなたが求めておられるものを叶えられなくしているのは、知らず知らずとはいえ、実はあなたご自身であることを知ってください。」(栞A:41-k)

 また、最愛の息子さんを亡くして嘆き悲しんでいる母親に対しては、「どうか次のことをよく理解してください。冷たいことを言うと思わないでください。本当のことを謙虚にそして真剣な気持ちで申し上げます。死は、死ぬ人自身にとって少しも悲劇ではありません。あとに残された人にとってのみ悲劇なのです」と言ったあとで、こう続けたこともあります。

 「あなたは見慣れたあの姿が見られなくなったことを淋しがっておられるのです。物的身体が二度と見られなくなったことを嘆いておられるのです。しかし、本当の息子さんは立派に元気で生きておられるのです。ただその手で触わってみることができないだけです。どうかその物的感覚の世界、五感というお粗末な魂の窓の向こうに目をやり、霊的実在を知ることによって得られる叡智を身につけるように努力なさってください。」(栞A:41-l)

 愛する家族を亡くして深く悲しむのは、人間の情ですが、しかし、あえて言えば、やはりそれは、いのちの真実を十分に理解していないことからきていると思います。深い悲しみがまわりに暗い影を作り、それが厚い壁となって霊界の愛する家族からの思いを遮ってしまうことにもなります。だから私は、前のメールで、「ご長男も霊界から辛い思いではらはらしながら見守っておられるはずです」と書きました。
 私の『天国からの手紙』のなかでも少し触れていますが、私の知り合いで映画ディレクターのTさんは高い霊能力をもっていて、Tさんのお母さんの葬儀の折にも、「死んで」いるはずのお母さんと、対話を続けていましたし、軽い冗談なども交わしていました。まわりの家族は涙を流していたのに、Tさんだけは、特に悲しむことはなかったようです。
 しかし、Tさんのような霊能力がなくても、死がどういうものかをしっかり把握していれば悲しむことはないはずで、そういう「悲しまない」人々は、世間にはおそらく無数と言っていいほど大勢います。
 このホームページのリンク集にもありますが、「大空の会」では、事故や自死を含めて、お子さんをさまざまな原因で亡くされた大勢のお母さん方が集まって毎月例会を開いています。霊界やお子さんとの霊界通信などについても会場の皆さんは熱心に学んでいますが、そこを訪れる人の誰もが、その悲しみとは無縁の雰囲気の明るさに驚かれるかもしれません。
 世間の多くの人が考えているように、もし死が無と絶望であるならば、お子さんの死で悲しんでいる人を慰める術はありません。私がかつて強く反発していた「時が癒してくれる」などというような言葉も、何の役にもたちません。私もこのようなホームページで書き続けることも決してないでしょう。しかし、死が希望とまではいえなくても、決して絶望ではないことを知れば、そのことを本当によく理解すれば、事情はまったく変わってきます。このメールでは、そのことだけを最後に申しあげて、返事にさせていただきたいと思います。

    武本昌三『天国の家族との対話』 ―生き続けているいのちの確かな証し(pp.303-308)