(日付の新しいものから順にならべてあります)



  善と悪の相克のなかで (2004.03.31)
 
  (I. T. さんへの返事)
 
 メールを拝見しました。

 善と悪が同時に存在している人の世では、あなたのいわれるような、殺人を選ぶか選ばないか、レイプや拷問や自殺を選ぶか選ばないか、というような自由意志による選択の段階もあると思います。その場合、殺人、レイプ、拷問、自殺を選ばないことによって、その魂はその分だけ進化し、つぎのより高い段階で、また、善と悪の相克の中で自由意志を働かせて、自分の道を選びます。こうして、少しずつ、魂は光に向かって「上昇」していくのではないでしょうか。

 もちろん、選択によっては、上昇しない人もいるでしょう。しかし、いろいろな経験を経て、魂を磨いていった人が、さらにまた、上昇していくためには、また、もう少し高度の善と悪の選択の問題で、自由意志を働かせることにはなっても、再び、「殺人、レイプ、拷問、自殺」のレベルの問題で苦しむことはないはずだと、思います。

 「学びの栞」のなかには、多くの引用文がありますので、いろいろとお読みいただければ、もっと納得のいく答えが得られるかも知れません。いっしょに学んでいっていただければ、有難く存じます。

 以上、とりあえず、ご返事申し上げます。
 







 ほのかな明るさを感じて (2004.03.26)


 石阪さゆり様

 メールを拝見しました。周囲の人々は、口々に 「最高の不幸を背負った」と形容しているということですが、私は、あなたのメールを読ませていただいていると、なにか、ほのかな明るさのようなものを感じさせられています。ちょっと、救われるような気持ちにもなって、これを書いています。

 私が事件で妻と長男を亡くす少し前には、亡き父が残してくれていた会社(弟が社長を務めていました)が倒産して、「不幸」続きであったものですから、なにかの折りに、わが家が、「呪われている」と形容されているのを耳にしたことがあります。まだ、私が無知のままに悲嘆の底に沈んでいた頃で、私は、自分でもそうかもしれないと思ったりして、一層、つらく悲しい思いを募らせていました。

 いまは、もちろん、そういう気持ちはありません。これは誤解されやすいので言いにくいのですが、妻と長男を亡くしたことが「最高の不幸」とは思っていませんし、「呪われている」などとはまったく感じていません。また、会社が倒産したことも、世間一般の人々が捉えるようには、特に、不運であったとも、大きな損失であったとも考えていませんし、あれはあれでよかったのだと、いまでは納得しています。

 私は、前にもご紹介したSさんのことば、「子どもを亡くすことは、決してお気の毒なことでも不幸なことでもありません」にかなり近い心境です。Sさんのことばは、さらに「亡くなった子どもは神様に近い高いたましいなので、この私に『無限の光に抱かれる安心』を教えてくれるために、私の子どもとして産まれ、短い命で死にました」と続きますが、これが、真実であることを、いまは知っています。私があなたのメールにほのかな明るさを感じるのは、あなたもまた、この大切な真実を知り始めておられるという予感があるからにほかなりません。

 それでも私は、Sさんのことばを最後まで読むと、「どっとこみあげてくるものを感じる」と前に書きました。「最高の不幸」や「呪い」などではなくて、むしろ、「祝福すべきこと」であることがわかっていながら、そして、「感謝の気持ちでいっぱい」であることは共有できても、私の場合は、あまりにも長かった無明の日々がありました。そのためにつきまとった悲しみと苦しみの深く澱んでいた堆積、あるいは、決して償われることはないと思いこんでいた失意と後悔、いまでは無縁のはずのそういった過去の感情が、急に吹き出るように、せつなく思い出されることがあるから、かもしれません。

 先日のメールのなかで述べられていた、三女と長女のお子さんのことば、「お姉さんはそばにいるのがわかったから寂しくもなんともない」、「これでお別れかと思ったけれど、いつでも会える。何でそんなに泣くの」で、つくづく思い知らされるのですが、純真なお子さんというのは、人間本来の霊的実体により近い存在なのですね。人間は誕生のときには、どんな人間でも例外なく、霊的本性を示すように、まったく汚れのない、きれいに澄んだ目をしていますが、大人になるにつれて、五濁悪世の欲にまみれているうちに、だんだんと、目が曇っていくのが普通です。それだけ、霊界の真実から遠ざかるということで、その意味では、むしろ、大人は子どもから学ばなければならないのでしょう。

 あなたからのメールで感じるのですが、美樹ちゃんは、もうすでに、愛に満ちた天国から、苦しみの多い人間界のあなたに向かって、一生懸命に語りかけてくれているようですね。そういうことは、子どもだからわかっても、大人だからわかりにくい、ということがあります。これからも、どうか、お子さんたちといっしょに、美樹ちゃんの話しかけることばに、穏やかな気持ちで、耳を傾けてあげてください。お母さんにお話を聞いてもらえるのが、美樹ちゃんにとっては、いままでと同じように、なによりもうれしいことだと思いますから。


 






  「最高の不幸」とは違うのでは (2004.03.26)


 武本先生

 いつもメールさせていただき、そのたびに心に染み入るお言葉をいただいてなんとお礼申し上げてよいのか。そして皆様に読んでいただいて・・・。我田引水のようで申し訳ないなあ、と恐縮しつつ、支えられて生きる幸せをほんの少し感じられるようになりました。

 先生が「希望の光」と呼んでくださったものは、まだまだほのかな閃光にすぎません。「これ以上の悲しみってないのに、よく生きていられる」、「いっしょに棺おけの中に入りたかったでしょう」。このような悪気の無い一言に、腹も立たない代わりにいつしか真っ暗闇に放り込まれます。

 今週は亡くなった子供に関わりのあった方々に、彼女の好きだったお菓子を配って歩く辛い作業がありました。小学校のクラスメートを前にして「もう限界、私にはできない」と逃げようとしていた矢先のことでした。「よろしく。こっちは大丈夫だからさ」という声がどこかからしました。心の声か幻聴か定かでないのですが、ぐいぐいと何かに押され、5分ほど子供たちに何かを語っている自分がいました。なにを話したか覚えていないのですが、「心はみんなといつも一緒」ということだったような気がします。終了後しばらくして「ありがとう」という声も聞こえました。周囲の人々が口々に、我が家の事を「最高の不幸を背負った」と形容していますが、それは「もしかしたら違うのでは?」との思いがこのとき初めてよぎりました。

 昨日、『シルバー・バーチの霊訓』を改めて熟読していますと、ふたたび、心の中に何かが灯りました。真実を掴み取りたい欲求と現実生活とがせめぎあってはおりますが、とにかくひたすらこの試練に耐えていこうと思います。今は武本先生はじめ、お読みいただいている皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。

 石阪さゆり







 シルバー・バーチのことばについて (2004.03.25)

 「学びの栞(しおり)」には、いま、毎日、少しずつ、シルバー・バーチの霊言集から抜き書きしてご紹介していますが、昨日は、霊界の生活について、その一部を入力しました。霊界の生活がどういうものか、関心をお持ちの方々は多いことでしょう。それを、こういう形で、かいま見ることが出来ることを、私はたいへん有難いことだと思っています。

 たとえば、「仏説阿弥陀経」のなかにも、「極楽世界」の描写がありますし、「聖書」にも、断片的ですが、「天国」に触れているところがあります。しかし、仏典は約2500年前、聖書は約2000年前から、国から国へ、人から人へと伝えられているうちに、ことばが変容したり、内容に修飾・改変が加えられたりする可能性があったことを、どうしても考慮せざるをえません。その点、シルバー・バーチは、おそらく、釈迦やイエスよりもはるかに以前の人でありながら、いま、ご本人自身が、じかにこうして私たちに語りかけてくれているわけです。私も、むかし、大英心霊協会で原書を手に入れ、ここの部分を感動しながら翻訳していたことを思い出します。

 シルバー・バーチは、もちろん、英語が母国語ではありませんが、地上との交信のために、現代英語をほぼ完璧なまでに修得しました。霊界と地上世界との大きな落差、ことばによる表現可能性の限界、それに比べればおそらく極めて小さいと思える近藤千雄さんの翻訳による英語と日本語の差異、そういうものを勘案しても、シルバー・バーチの霊言集は、私たちにとっては最も理解しやすい、「理性に照らして」受け容れやすい聖典といえるかもしれません。

 この「学びの栞」には、「霊界の生活」についても、シルバー・バーチのほか、ラムサやコナン・ドイル等を入力することによって、いろいろと比較検討出来るようにしたいと思っています。しかし、それはもう少しあとのことになるでしょう。「学びの栞」のインデックスは、読みやすいように項目別に分類しているものですが、入力したあとでも、よりわかりやすく、分類し直していることもあることをご了承ください。いまは、そのように分類し直したあとで、若干の空欄が出来ている状態です。







 希望の光に導かれて (2004.03.21)


 石阪さゆり様

 「時が悲しみを癒してくれる」という言い方がありますね。私は、このことばが嫌いでした。かつての私は、失われたいのちが返ってこない以上、そんなことばがなんの慰めになるのか、と聞くたびに、強く反発していました。癒されなくてもよい、とも思っていました。絶望の果てに、生きる気力も失っていましたから、どのような慰めのことばに対しても、まったく聞く耳をもっていなかったのです。自暴自棄のようなものです。

 私の場合は、そういう無知の状態が長く続いたために、苦しみも長く続きました。もっと早くいのちの真実に気がついていれば、そんなに苦しまなくてもよかったのかもしれません。いま私が、このホームページを敢えて公開しているのも、そのような気持ちがあるからです。少なくとも、肉親の死で苦しんでおられる方々に対して、生と死の真実に早く気がついていただく一助になれば、という思いが私には強くあります。
 
 でも、どこかで、あるいは、誰かから、「いのちは永遠だ」と聞かされたからといって、すぐに苦しみから解放されるわけではないと思います。いのちの真理がこころに深く染みこんでいくのにはやはり時間がかかります。いままで私たちは、「死ねばおしまい」という世間の常識にどっぷりと浸ってきましたし、仏教でいう煩悩にも深く囚われてきました。ですから、なかなか容易には、「方向転換」できないのが普通だと思います。その意味ではやはり、真理に触れたあとでもすぐには楽にならず、「時が悲しみを癒してくれる」というふうになっていくのかもしれません。

 ただひとつ、はっきりしているのは、「心にさす一筋の光」は希望の光だということです。時間が経てば死んでしまったことも諦められる、というのとはまったく違います。この「希望の光」が、なるべく早く、強い輝きとなって、あなたの歩む道を明るく照らしていってくれることを、こころからお祈りしたいと思います。





 
 心に一筋の光がさす時 (2004.03.21)
 

 武本先生

 空海の言葉は、はかなく、哀しく、しかし美しく胸に響きます。そして救いです。日に日に寂しさが押し寄せてまいり、体の中身をえぐられるような、のた打ち回るような 苦しさが続いています。あれほど自分を責めないと誓ったのですが、いつも現実に引き戻され時折嗚咽しています。

 親の私はこのような状態ですが、残された子供たちは先にも書きましたが、四六時中明るいのでその訳を訊きますと、「そばにいるのがわかった。だから寂しくもなんともない。」「初めこれでお別れかと思ったけれど、いつでも会える。何でそんなに泣くの?」と言います。これからあの子たちにもいろいろあるのでしょうが、教えたわけでもないのに既に悟っているようなところが大人の私には理解できません。ホッとさせられる反面、こちらの心との乖離に愕然とします。

 わからないことだらけですが、でも先生に祈っていただいたように決して希望は捨てません。本当にもう何も怖いものはないような気がしています。 私たちの目の前から消えた子供は、何も苦しむことがなく、今は幸せだろうと感じています。苦しいのはこの世に残っている者だけなのですね。それでも、心に一筋の光がさす時を支えに、先生のお言葉を反芻し、「学びの栞」に触れて生きて行こうと思います。

 ご教示いただけるのが嬉しく生きがいです。自分の事ばかり書いてしまい、恐縮しています。いつか私も人の役に立つことをしたいです。先生がますますお幸せな心で過ごされ、ご活躍されますよう願っています。


 慶さんのお母様

 数少ない先輩の励ましは、なによりも今を生きる望みにつながります。美樹のことを思ってくださり、ありがとうございました。

 私も慶さまに思いをはせました。いま本当にお友達と幸せにされているのでしょうね。すっかりあちらの世界にも慣れられて生き生きとすごしていらっしゃるのでしょうね。再開の日も遠くないような気がいたします。羨ましいです。慶さんのお母様がもっともっと幸せに過ごされますようお祈りしています。

 石阪さゆり








 悲しみをともにして祈る (2004.03.20)


 拝啓、美樹ちゃんのお母さんからのメールをみていて、慶の事故の事を思い出しました。慶は、友人の車に同乗していての事故でした。運転をしていた友人は、即死。慶は意識不明のまま、5時間後に天国へ逝ってしまいました。

 あの頃、自分でもよくいろいろな対応が出来たなあと不思議に思います。でも、その分、49日が過ぎ時間が経てば経つほど寂しく苦しい毎日が続きました。慶は幸せに暮らしているとは思うのですが、慶に手紙を書いたり、「泣いてばかりでごめんね。お母さんの事は、心配しないで大丈夫だから天国の神様や皆さんに可愛がられなさいね。皆様のお役に立ちなさいね.」と言って、毎日泣いてばかりいました。今はその泣き虫さんも少しは成長しました。まだまだでしょうが。

 美樹ちゃんは、天使と一緒に今お母さんや家族のそばにいると思います。今は、ただただ、煩わしいいろいろな事を考えず、美樹ちゃんが霊界で落ち着くまで、美樹ちゃんに話をして下さい。これからも、人は親切から言っている言葉で傷つくことが今までより、いっぱいいっぱいあるし感ずることがあると思いますが、頑張って下さい。私も本当にまだまだですが、子供と逢える時の事を考えて頑張ります。

 武本先生、先生のホームページにめぐり合いそしてシルバーバーチの霊訓にめぐりあい、本当に良かったと思います。季節柄、風邪などひかぬようご自愛下さい。

 慶の母







 希望をもって生と死の真実を (2004.03.18)


 石阪さゆり様

 メールを拝見しました。小学校の作文はテーマ自体が思慮を欠いていますが、担任の先生も、そのことには気がついていないのかもしれません。世間では、自分のことでなければ、やがて関心も記憶も薄れて、何事もなかったかのような日常生活に戻っていくのが普通です。でも、あなたにとっては、これからは「時間との戦い」が続くことになりますね。
 
 ひとつだけ、お願いしたいことがあります。というより、強くお祈りしたいことがあります。いまは苦しくても、決して希望をお捨てにならないでいただきたいということです。こんな苦しいときに、もし、ほんとうに希望がもてないものであるなら、「希望をもってください」というのは、許し難い非情です。そういうことを十分に承知の上で申し上げますが、大丈夫です。どうか希望をもって少しずつでも、美樹ちゃんに近づいて行ってください。

 私の講演集 「いのちを慈しみ明日に向かって生きる」 にも引用していますが、空海(弘法大師)が残したつぎのようなことばがあります。

 生まれ、生まれ、生まれ、生まれて
 生の始めに暗く、
 死に、死に、死に、死んで
 死の終わりに冥し。

 私はこれを、人々は「いったい何度生まれ変わったら、この生と死の真理が理解出来るようになるのだろうという、空海の嘆きが伝わってくるようなことば」だと書きました。ほんとうにそう思います。それだけ、いのちの真実を見極めるのは容易ではないということでしょう。

 空海は、もちろん、このことばで、いのちの不滅を言おうとしているわけですが、逆にもし、「肉体が滅びるとすべては無に帰する」のが真実であるとするなら、この空海のことばは、世間を欺く、妄言ということになりますね。私は家では、浄土真宗のお経を読んだりすることもありますが、もし「死んだらそれですべてはおしまい」というのが本当であれば、親鸞もまた妄言をはき続けてきたことになってしまいます。空海や親鸞だけではありません。歴史上の高僧といわれてきたような人は、生と死については、みんな嘘をついてきたのでしょうか。決してそうではなかったはずです。

 メールで触れた「わが子が天国へ迎えられる幸せ」のSさんのことばは、空想や願望を述べたものではありません。彼女の真実のことばです。私は講演会に来てくださったSさんにお会いしましたが、Sさんには霊能力があって霊界のお子さんの姿が見えるのです。見えるから、あのように言っておられるのです。私も、先日(3月13日)のメールでは、「お子さんを自分で見つけだすために」を書きました。

 初七日が過ぎたばかりで、これからもまだまだ苦しい日々が続くこととは思いますが、このようなメールも参考にしていただいて、どうか、天国で幸せに過ごしている美樹ちゃんを「見つけて」いただきたいと思います。







 初七日が過ぎて (2004.03.18)


 武本先生

 暖かいお言葉ありがとうございました。昨日は初七日、目が回るほどの忙しさに紛れておりましたが、今日になってひたひたと寂しさが押し寄せてきます。静寂と対峙することは時間との戦いです。

 以前から魂の存在は信じていましたし、先生が取り上げてくださった「付き添っていたときの不思議な感覚」を心の支えに眠ること、食べること、そして朝起きることを仕事のようにやり過ごしてきましたが、やはり行きつ戻りつです。

 先生、こぼしてもいいですか。

 小学校で美樹の妹が持ってきたクラスの子供たちの作文。テーマは「いしざかみきちゃんがしんじゃった」。数人の児童の書いたものを先生がワープロでまとめてありました。その中にこんな文がありました。「事故だけならいいけど、死んだらおしまい。二度と会えないってお母さんが言ってた。だから僕にはゼッタイ死んじゃだめだよだって。」担任の先生には悪気はなかったのでしょうね。それだけに胸をえぐられる思いです。

 死んだらおしまい、二度とあえない。やはり世間一般の人たちは肉体が滅びることはすべて無に帰すると考えているのでしょうか。確かに死者を身近に感じられないというのは悲しく、寂しく、苦しい状態です。情報は視覚に頼っていますので<どうして姿がみえないのだろう>と疑問に思うと、魂のことなど忘れて、無いものを惜しんで嘆いてしまいます。それに追い討ちをかけるような言葉を人からかけられ、慰めるつもりなのでしょうが、余計におちこんでしまうのです。

 美樹の死によって、学校も警察も重い腰を上げ、近隣は現在過剰なまでの厳戒態勢をしいています。彼女の使命はそれだけではないと信じています。私は美樹の母親ですが、先のSさまがおっしゃっているように、母親より数段優れた心を持っていたため、定められた宿命に従って10歳にて天に導かれていったのかもしれません。

 わたしはやはり信じたいです。魂の存在、天国のすばらしさを知って、揺ぎ無い真理を学びたいです。今しばらく学んでいけば、美樹に会えるのであれば、もしくは美樹の所に行けるのであれば、この学びを糧としてまいります。

 かなり混乱した頭で書いた文面お許しください。美樹のためにお祈りくださりありがとうございます。天候不順の折、くれぐれもご自愛くださいますよう。

 石阪さゆり








 美樹ちゃんのためにみんなでお祈りを (2004.03.15)


 石阪さゆり様

 可愛い美樹ちゃんが急に亡くなられて、さぞ耐え難く辛いこととお察し申し上げます。4日前までは元気でおられて、ランドセルを背に「行ってきます」と出て行かれた美樹ちゃんのことを思い浮かべると、涙を抑えることができないでいます。ただ、涙を流すだけで、申し上げるべきことばを知りません。天国は素晴らしいところのはずですが、まだ10歳の美樹ちゃんが、どうか迷うことのないように、優しい天使に導かれて寂しい思いをすることのないように、このメールを読んでくださっている方々とともに、こころからお祈りしたいと思います。

 私はいま、あらためてあなたからのメールを2度、3度、読み返してみて、涙を流しながらこのキーボードを叩いていますが、事故のときに付き添って乗っておられた救急車のなかで、あなたが、「ふんわりと何かに包まれる感覚を覚え」られて、それと同時に、「ああ、これはつらいことでは決してないのだという不思議な確信が生じた」ことをお伺いして、逆に慰められているような気がしています。

 いろいろと私は、このホームページに書いていますが、でもいまは、まだなにも申し上げるべきことばをもちません。ただ、これは、昨年の12月12日の本欄 「わが子が天国へ迎えられる幸せ」で紹介させていただきましたSさんのことばですが、そのことばを、ここでもう一度、繰り返させてください。

 つぎのようなことばです。

 子どもを亡くすことは、決してお気の毒なことでも不幸なことでもありません。亡くなった子どもは神様に近い高いたましいなので、この私に「無限の光に抱かれる安心」を教えてくれるために、私の子どもとして産まれ、短い命で死にました。今では愛に満ちた天国から苦しみの多い人間界の私を心配して、あの手この手で私を助けてくれています。
 子どもが亡くなることは、親より子どもの方が立派すぎて、飛び級で天国に迎えられるという祝福すべきことだと思っています。だからとっても幸せで、感謝の気持ちでいっぱいです・・・・・・・

 この文を読んでいて、「子どもが亡くなることは、親より子どもの方が立派すぎて、飛び級で天国に迎えられ・・・」というところにきますと、私はいまでも、どっと、こみあげてくるものを感じます。美樹ちゃんがどうか、天国で寂しい思いをしませんように、大勢の優しい天使に囲まれて幸せでありますように、あらためて、こころからお祈りいたします。








 10歳で霊界へ旅立った美樹ちゃん (2004.03.15)


 武本先生、初めてお便りさせていただきます。

 長い長い4日間でした。過日3月10日の朝、8時ごろ、いつものとおりランドセルをしょって「行ってきます」と元気よく出かけていったその5分後のことでした。わが最愛の次女、美樹は横断歩道を青信号で横断中、前方不注意の空の大型観光バスにひかれて、救命救急センターに運ばれ八方手を尽くしていただきましたが、その一時間後に10年間の短い命の幕を下ろしました。

 付き添った救急車の中で、私はふんわりと何かに包まれる感覚を覚えました。そして、同時に<ああ、これはつらいことでは決してないのだ>という不思議な確信が生じました。

 その後バタバタと田舎の風習に則った盛大な葬儀が営まれ、のべ500人近い参列者の方に泣いて頂き、見送っていただきました。その間は茫然自失としたり、いろいろな人に感謝したり、気丈に振舞ったり、しかし何気ない一言に傷を押される思いがしたり、救われたり・・・夜はむなしく悲しく、「あいたいよー」と泣き叫んでみたり。はたまた「ああ、この体が不治の病にでもなっていたらいいのに」と考えてみたり。

 失意のうちにもパソコンを開き、先生のホームページにめぐり合い、しかし美樹はもうこの世にはいないのだ、それを認めて、遺された夫、長女、三女と強く生きていかなければ、とまたさめざめと泣いて電源を切ってしまいました。

 3年、4年、10年、一生。同じ経験をされた数少ない同士は悲しみが癒えて楽になる年月を語ってくれます。長女と三女は一日だけ大泣きすると、「あんまり悲しがってると美樹ちゃんが喜ばない」と、二人で楽しかった美樹との思い出ばかり語ってもうすっかり日常の生活に戻ってしまっています。穏やかな夫は時折静かに涙ぐんだりしながら、辛い気持ちをおして家事の手助けをしてくれています。

 せっかちで知りたがり屋の私はそこで、美樹に会えるのなら、もう嘆き悲しむのを止めて前進していこう。ああ、どうやったら会えるのだろう・・・と、模索を始めました。子供を亡くした母親は、この時期まだ気が狂わんばかりの日々を過ごしているものだと思い込んでいましたし、実際そうでないと違和感がある旨昨日も言われたばかりです。

 長女、三女は薄情なのか、はたまた感情にフタをして後で爆発でもするのかしら、と初め危惧したりもしましたが、美樹はとっても利発で明るい人気者です。さっぱりしたことが大好きなのです。姉妹たちのように考え、行動してみるのもいいのかな、と思い始めました。

 世間一般には、これは不謹慎なことなのでしょうか。そう思ってまたこちらに寄らせていただき、魂のことをさらに深く学びたい欲求が芽生えてきました。この4日間のわたしの思いは、本人が「苦しんだのか否か」に焦点を当てていましたが、今は武本先生に、かわいいかわいい天使のような美樹のことをお知らせしたい一心で、大変失礼ながら長文をしたためさせていただきました。ありがとうございました。

 石阪さゆり







 お子さんを自分で見つけだすために (2004.03.13)
  ー 匿名のメールを送って下さった方への返事 ー


 メールを拝見しました。メールがないと、やlはり、どうされているのか心配しますが、メールをいただくと、ひとまず、安心します。
 
 私は、妻と長男を同時に亡くして、随分長い間、嘆き苦しみました。いまの私には、その嘆きや苦しみが、私の大きな勘違いであることがわかっていますが、それがわかるようになるのに、何年もかかりました。妻や長男は生きているのに、そのことに気がつかない。そのような私を見ていて、霊界の妻も長男も、やはり、苦しく悲しかったと思います。供養をしなければならないとは思っていても、それでは、何の供養にもならないことにも気がついていませんでした。
 
 何年も何年も、随分長い間苦しんできて、私はやっとわかってきました。わかってくると、私はなんであんなに苦しんだのだろうと思ったりもします。しかし、私にはあのような苦しみが必要だったのでしょう。人一倍頑迷でしたから、いのちの真実の叡智に接するようになってからも、なかなか、素直に受け容れようとはしなかったのです。いまの私には、嘆きも苦しみもありません。気持ちは穏やかです。そして、いのちの真実に目覚めるきっかけを与えてくれた妻と長男には、こころから感謝しています。また、その妻と長男が、いまは安心して私を見守ってくれていることも、私は知っています。
 
 それにしても、知らないということは怖いと思います。苦しまなくてもいいのに苦しみ、嘆かなくてもいいことを嘆き、絶望のどん底に沈んで自分のいのちさえ断つことを考えたりもします。知らないというのは本当に怖いもlので、妻が生きているのに、死んだと思い込み、長男が元気に生き続けているのに、自分で勝手に、死んだことにしてしまうのです。そして、嘆き悲しむ自分には、世間の人々は腫れ物にでもさわるように、慰めや同情のことばをかけてくれます。しかし、それでは決して慰められませんし、救いにもなりません。救われないのが当たり前だと思います。真実でないものに救われることはないからです。真実だけが救いだからです。
 
 私はいまでは考えます。もし、「死んだ」のが真実であれば、もし、いま「生きていない」のが真実であれば、それはおおいに世間の同情に値するでしょう。まわりのみんなから「お気の毒に」と思われて当然です。諦めるしかないのですから、諦められない愛情深い母親が絶望して苦しみのあまり生きていくことさえやめてしまったとしても、それも、納得できます。しかし、それが真実でなかったら、それは大変なことになります。真実がなにかを知らなかったために、「これほどの不幸はない」と一方的に思いこみ、命さえ絶ってしまうようなことがあったら、それこそが、本当の意味で、救いようのない不幸であるとしかいいようがありません。 

 もうひとつあります。もし、死んでいるのに「生きている」 というのが迷信であれば、それがもし迷信とすれば、それには何の価値もありません。迷信によっては決して救われません。どんなに悲しくても苦しくても、迷信にすがるものではないでしょう。それではあまりにも惨めです。繰り返しますが、真実だけが、救いです。あなたのお子さんが「生きている」ことが救いなのです。「死んでいるのに生きているように思いこむ」、というのではありません。お子さんが生きているから生きている、その姿をどうかしっかりと母親の目でみとどけてください。

 自分のこころから愛する、いのちにも代えがたい大切なお子さんです。そのお子さんが、かりにどこかで行方不明になって、生死がわからないとしたら、あなたはどうされるでしょうか。あなたは、それこそ、いのちをかけて死にものぐるいになってお子さんを探しだそうとするでしょう。生きていることをどうしても確認したいと思うでしょう。どうしても自分の目で、お子さんが無事で生きていることを見届けたいと思うでしょう。
 
 では、どうか、そうして上げてください。お子さんは、いまのあなたにとっては、あなたの目の前から消えて、行方不明の状況です。どうか、お子さんのためにも、あなたのためにも、お子さんを捜してください。どんなことをしても、お子さんを無事に捜し出して、ご自分の目で、しっかりとお子さんが生きていることを確かめてください。しっかりと見るためには、努力が必要です。時間もかかります。しかし、これは、十分にそれだけの努力や時間をかける価値はあります。あなたは、必ず、あなたの大切なお子さんを、元気な姿でみることができるはずだからです。そして、それが、唯一の真実だからです。
 
 お子さんが無事生きている姿を見出してあなたが大きく安堵の息をしながら、生きていることの意味とその美しさを、なつかしいお子さんと共に分かち合う日の来ることを、「その日」がくることを、私もこころからお祈りしています。
 








 その日がくることを信じて (2004.03.13)


 武本先生、先日はお返事のメールをありがとうございました。先生の慈悲にみちた真実の言葉に、頷きながら涙する心の中は、感激でいっぱいでした。

 昨年、先生の講演をきっかけに『生と死の彼方に』をいっきに読み終わった時どうしても、先生にお会いしたくて、パソコンを始めた私にとって、先生のホームページは、毎日幾度も見せていただいています。どの内容も真実を感じます。

 気の狂いそうな今の日々を、越えるしかないという思いです・・・先生に会うまでは、絶望だけでした・・・どうして死のうかと・・・でも、先生のホームページを毎日幾度も拝見する中でいつか・・・学び、知る事ができるような光を感じます。いっそ気が狂えばいいのですが、いつもその手前でのたうちまわりそれでも、真理を知りたいと生きているのは、武本先生に会えたからです。

 なぜか?その日はくると信じています。きっと、今はこの暗闇の中で苦しむ必要が、意味があるのでしょう・・・武本先生ありがとうございました。また私の心模様を聞いてください。

  (匿名)








 霊界から見守ってくれている愛し子 (2004.03.12)

 慶三君の喜ぶことをたくさんしたい、というあなたのメールを今日のホーム・ページに載せました。昨日のあなたのメールを読んで、心配してくださっている多くの方々が、このメールを読んで、安心したり喜んでくださったりすると思います。しかし、いま、誰よりも喜んでくれているのは、慶三君自身でしょう。

 こちらのお母さんのことは、向こうではすぐわかりますから、お母さんが、そういう前向きな気持ちになっておられることは、慶三君の大きな慰めになるからです。このような霊界の消息についても、どうぞこれからいっしょに学んでいってください。






  霊界の愛し子に喜んでもらうために (2004.03.12)


 武本先生、メールの返事有難う御座いました。涙が出るほど感激しました。慶三は、本当に短い一生でしたが、高校の時もクラブで国体出場、九州大会出場など、精一杯に生きたと思います。人様に迷惑をかける事もありませんでした。

 先生の返事を頂いて、改めて慶三のいる世界について勉強しようと思います。私は、慶三が喜ぶ事をたくさんたくさんしたいと思います。先生、本当に有難う御座いました。いろいろ、分からない事や元気がでない時は、またメールを送りたいと思います。宜しくお願い申上げます。   慶三の母






 悲しみを乗りこえるために学ぶ (2004.03.11)


 メールを拝見しました。昨日の「メール交歓」では、20歳のお子さんを亡くされた匿名の方への返事を書きましたが、今日はまた、この返事を書き始めています。悲しみを抑えて、いろいろと、いのちの真実について学ばれていることをお伺いして、まず、こころからの声援をお送りしたい気持ちです。

 慶三君は21歳の誕生日を迎える直前の事故で、21歳で亡くなった私の長男とほぼ同じ21年を、この世で生きたことになります。私は、長男が亡くなったとき、なぜ21歳なのか、60歳や70歳で亡くなるのとどう違うのか、随分考えて悩みました。いまは人の平均寿命も延びて、90年どころか100年生きる人も珍しくなくなってきました。この100年と21年を比べれば、5倍もあって、たしかにその差は極めて大きく、その大きな差は、そのまま深い絶望的な悲しみの差となって跳ね返ってきます。

 しかし、この世のいのちが、永い永遠のいのちのひとときにすぎないということがわかれば、今生での100年と21年との差は、決して大差ではなく、小差でさえもないでしょう。これは、100歳と 1歳を比べても同じです。その差は限りなくゼロに近いのです。大切なのは、100歳生きたか21歳生きたかということでなくて、その21歳をどう生きたかということではないでしょうか。そして、私たち、遺された親にとって大切なことは、愛し子が、いまもちゃんと生きていることを知ってあげることであろうと思います。

 死んでしまったのに生きているというのがもし迷信であれば、もし私たちが迷信を信じているのであれば、それは、何の意味もありません。何の慰めにもなりません。それよりも、どんなに悲しくても苦しくても、迷信などにすがるものではありません。しかし、生きていることが事実であり、それが真実であれば、それを知らないでいることは、恐ろしいほどの損失です。私は、そのことを知らなかったばかりに、何年もの間、苦しみ続けてきました。だから、知ることが大切なのです。迷信ではなくて、本当のことをどうしても知る必要があります。それで私たちは救われるからです。

 慶三君のために、一番供養になるのは、どういうことでしょうか。それは、慶三君がいまも立派に生きていることを知ってあげることだと思います。そして、知ろうと思って努力すれば、必ず知ることはできるのです。それが、慶三君に喜んでもらうために親のなすべき一番大切なことで、そのためにも、どうか、「知るため」の学びを続けていってください。








 愛し子を亡くした悲しみを乗りこえるために (2004.03.11)


 初めまして。私も平成14年8月に、先生と同様、事故で長男を亡くしました。ちょうど8月31日には21歳の誕生日を迎えようとした矢先の事でした。現在、私は、下の子供(高校1年生)と左半身不随の母と3人で暮らしております。

 事故当時は、何が何かわからず、ただ、私がしっかりしなくてはという気持ちで過ごしていました。名前を慶三といいます。高校を卒業して、私の反対を押し切り自分の好きな美容の道に進学をしました。私が、反対をしていたせいか本当に頑張っていました。学校でも成績は優秀で、学校初のプロアマのコンテストで入賞を果たしました。卒業時は、学校よりアジア大会の出場の代表の一人にも選ばれました。

 私は、心では嬉しいのですが、いつも心の中で男の子が美容師なんてと思っていました。だから、嬉しくても誉めてやるという事は、なかったのです。私は、子供の事が心配で心配でたまらないから、何も子供はしなくてもいつも色々うるさい母親でした。今、考えればあれもすればよかった、これもすればよかった、と思う毎日です。

 慶三は、素直な心根の優しい子供でした.。49日を過ぎた頃、慶三がどうしているか心配で心配でたまらず、拝みやさんに行き、慶三と話をしました。慶三は、私や下の子供と違いプラス思考の人間でしたから、向こうの世界でも頑張って修行をしていました。僕の事は心配しないでと。そして、私に「ごめんなさい」と言いました。慶三は、本当に自分が悪いことをしたりすると、素直にごめんなさいが言える子供でした。私にとって、本当に可愛くてしかたなかったのです。

 それからというもの、インターネットで死についてまた霊界について勉強をするようになりました。それで、武本先生の事を知り、先生のホームページをみて、どうにか自分を持ち直さないといけないと思って、「学びの栞」を見ています。でも、先生、本当に辛い。親より先に子が亡くなるのは。早く慶三の所に逝きたいなあと思うのですが、自分から命を投げ出す事は出来ないのですよね。子供にも会えないのですよね。それに、今は下の子供と母の面倒を最期まで見るまでは、死ねないと思っています。でも、早く楽になりたいと思う時があります。

 シルバーバーチの言葉のように、自分が生きている意味または少しでも人に対して本当に優しく接する事の出来る人間になりたいと思いますし,考えていかなくてはと思います。先生、有難う御座います。むちゃくちゃな文章になりました。会社のインターネットですので、今度家にもインターネットをつけようと思っています。
                                      
   慶三の母より









 最愛の子を亡くした悲しみ (2004.03.10)
  ー匿名のメールへの返事ー


 メールを拝見しました。最愛のお子さんを20歳で亡くされたお悲しみ、お苦しみは、私にはよくわかります。昨年の7月からまだ一年もたっていませんし、「気の狂いそうな日々」であることも、私自身が体験していますので、やはり私にはよくわかります。私は、1年たっても2年たっても、ダメでした。外へも出ず、人にも会わず、家に引きこもって、ひたすらに苦しみに耐えていました。失われたいのちはもう帰ってこないと思うと、すべてが空しく、絶望の淵に沈んでいましたが、でも、それは、大きな勘違いであったことがいまではわかっています。

 私の講演をどこかで聞かれたということですが、その時には、そういうお話しもしたと思います。しかし、そういうことをいくら耳にされても、なお苦しみを抑えきれないのもよくわかります。涙を流しながらでも、どうか耐えてください。やはり時間がかかります。そして、もし、ご参考になるのでしたら、同じように21歳の長男を亡くした私の足跡を、このホームページからでも、少しずつでも辿ってみていただけませんか。あなたのメールは、少しも「滅茶苦茶」ではありません。それがむしろ、あたりまえなのです。また、その気になられたら、どうぞご遠慮なくメールをください。
  






 道を切り拓いていくための努力を (2004.03.08)

 先生、帰国早々メールを有難うございます。ポーランドに行っておられたのですね。日本では桜が咲き始めたものの、「身辺雑記」のアウシュビッツの雪を見ていると、季節だけではない、気持ちの寒暖の差を感じました。

 少し前ですが、アウシュビッツ収容所から生還した女性の物語をテレビで拝見しました。その女性は、楽器(ヴァイオリン)が弾けることで、収容所内の楽団に入団でき、それが彼女の生きるための道でした。彼女の属する楽団が演奏するその目的は、収容された人々を勇気づけるものではなく、死へと続くガス室への道を歩く人々に向けた音楽を奏でることだったのです。そして彼女のお母様は、ガス室で亡くなったということでした。

 私たちの想像を絶する恐怖の中で、その女性は生きたい一心で楽団にはいり、その結果、生涯自分がしてきたことの罪悪感で心を閉ざしておりました。彼女は、生き残るためには、そうすることでしか方法がなかったという罪の意識を背負いつつも、生き延びたことで、その罪の意識の苦しさと母の死に向き合ってきたのではないかと私は感じました。HPの写真をみて、思い出したことを、書いてしまいました。
 
 学びの栞、毎日拝見しております。「人のために役に立つには、それなりの準備がいります。辛く、厳しく、難しく、苦しい体験の中で自ら学ばねばなりません」というシルバー・バーチのお言葉から、私は努力なしに結果を急いでしまったように思います。少なからず努力はしているつもりでしたが、見返りばかり求めていたのかもしれません。辛いのは「私」だと。そして、「人間は一人で生きているのではない」を読み、どんなに小さなことでも、行動してきたことに間違いはないのだと気づきました。私には、両親も妹も、恩師も、親友もおります。決して一人ではありません。そして色々な形で光を与えてくださっていることを本当に感謝しております。

 先生のHPにたどり着くまで、私の心は不安の塊、不安だらけでした。妹の医師の手助けをお借りし、今は自分自身の心を安定させる努力をしています。人に優しくあるためにも、人とのつながりを大切にし、「考え、行動する、時には、行動して、考える」を繰り返しながら、生きていく努力をしていかねばと思います。シルバー・バーチのお言葉にありますように、「すべての発展、すべての改革はまず、自分から始めなくてはなりません」を心に留めております。武本先生、いつも有難うございます。

   M. S.








  いま悩み苦しんでいるあなたへ (2004.03.07)


 すでに触れてきましたように、このホームページの 「学びの栞」は、いろいろな本から学びのために役にたつと思われることばや資料をご紹介するための欄ですが、いましばらくは、シルバー・バーチの教えを学ぶことに専念することにして、毎日少しずつ、日本語の翻訳書から抜き書きする作業をしてきました。この作業は、まだこれからもかなりの間続きそうです。シルバー・バーチのことばは、私にとっても極めて貴重な教えで、何度読み返しても、いつも感動を禁じ得ません。どうか、あなたも、これらの叡智のことばを、繰り返し、読んでみてください。

 もっとも、シルバー・バーチは、「いかに立派な、いかに高級な、いかに博学な霊であっても、その説くところがあなたの性分に合わないとき、不合理あるいは不条理と思えるときは、遠慮なく拒否するがよろしい」と言っています。シルバー・バーチは、何度かこういう言い方をしていますが、それは、自然の摂理と真理を何千年の霊界での生活を通じて体得している人だからこそ言えることでしょう。私自身は、シルバー・バーチの本を何年も読んできて、不合理だとか、不条理だとか思ったことは一度もありません。十分に納得できますし、ただ有難くて頭が下がるだけです。

 そこで、申し上げたいのですが、いま、もし、あなたが悩み苦しんでいてこころの支えを求めているのでしたら、私も悩み苦しんでいるときにはそうするように、どうかあらためて、シルバー・バーチの教えに耳を傾けてみていただけませんか。そこには、間違いなく、ほかの本では得られないかもしれないような導きと癒しの力があります。自然の摂理に適っているから癒しがあり、真理だからこそ力があるのでしょう。シルバー・バーチは、日本語に翻訳されただけでも十数冊のさまざまな教えのなかで、すでに十分に私たちの歩むべき道を示してくれているように思われます。あとは、それらの教えに私たちがどれだけついていけるかです。そして、ついていくかいかないか、あるいは、どれだけついていくのかは、私たちが自由意志で、自分で決めるべきことでしょう。

 「学びの栞」の(67)でも、シルバー・バーチは、「神の公正は無限の摂理によって支配されており、その全てを小さいひとかけらだけでもって理解することはできません」と言っています。おそらく、私たちの悩みや苦しみは、その「小さいひとかけら」ということになるでしょう。私たちは、どうしても狭い視野でものごとを捉えがちですから、しばしば、自分が、あるいは他人に比べて自分だけが、悩み苦しむのは不公平だというふうに考えてしまいます。ですからまた、ここで繰り返しますが、もし、いまあなたが悩み苦しんでいるのでしたら、私も悩み苦しんでいるときにはそうするように、つぎのようなことばに、じっくりと耳を傾けてみてください。「宇宙はただただ感嘆するばかりの見事な法則によって支配されております。完璧な叡智によって創造されているからです。法則が狂うということは絶対にありません。時に不公平のように思えることがあるのは全体の一部だけを見ているからです。全体が見えるようになれば考えが変ります。」









 I I S のワークショップについて(再)(2004.03.05)

 2月18日の本欄で、I I S (International Institute for Spiritualism) の春のワークショップについて、私が同会の機関誌でみた範囲内でのことをお知らせしました。このうち、先祖霊の霊査や過去生の霊査などの個人セッションが行われるのは、5月6日と7日の両日の予定ですが、両日とも、すぐに予約は一杯になったようです。

 I I S では、個人セッションのほかに、「霊性開花のワークショップ」なども行われているようですが、関心のある方は、次のホーム・ページをご覧になってみてください。

 http://www.rr.iij4u.or.jp/~sagb/INDEX.shtml
 







 ハードルの前で立ち止まっている私 (2004.03.03)


 先生、今晩は。ここ最近は、「学びの栞」を興味深く読ませていただいております。何度も繰り返して、理解できること、なんとなく理解できることなど、色々感じながら読んでおります。

 「ハードルは乗り越えるためにある」とありましたが、まさに今、数あるうちのハードルの一つが目の前に立っています。高いです。その前で立ち止まっている私がいます。


 妹は学校に行けなくなった時、最初のつまずきを家族は理解せず、彼女を責めました。そこから数年、ここへきて、病院への入院を経験し、治療の第一段階にきました。「自律神経失調症に悩む妹への手紙」を拝見致しましたが、先生のおっしゃる通り、心の病は自分の心のあり方次第だと思います。しかし同じくらい、環境の影響も大きいと感じております。

 私はいつも同じところで立ち止まってしまいます。父の行動がみられない。どんなに訴えても行動しない。『光と影の旅』の中で、私は、大学教授としての先生以外の先生を知りました。家族の中の父親としての先生です。何より愛する家族を失うという事実は、いつも元気な先生からは想像できないことでした。過去があって、今の先生がいらっしゃり、教壇で私たちに「生きる」ことを教えてくださったのだと感じました。こんなことを申し上げて失礼でしたらお許しください。本の中に描かれていた先生の家族は、私の理想の家族です。だから、将来私自身が、皆、仲良く話ができ、行動できる家族を築きたいと思っております。

 心無い言葉を相手から受けたのは、私自身に「スキ」があったからなのです。これも「学びの栞」から知りました。自分自身を見直しつつ、今後の人生を考えつつ、ハードルから逃げることなく、向き合い、なんとかひとつひとつ乗り越えていくために、引き続き、先生のお言葉、ホームページをたよりに頑張ります。今後とも宜しくお願いいたします。

  M. S.







 京都の舞妓であったキース・ホールさん (2004.02.25)


 梅の花も咲いて春一番が吹き、杉花粉も飛びはじめました。武本先生、お元気でいらっしゃいますか。いつもお世話になり、ありがとうございます。5月には、I I S 春のワークショップですね。大空の会には既に申し込んだ人もいます。

 I I S 春のワークショップで思い出したのですが、12月のワークショップの霊能者、キース・ホールさんは本当ににこにこした素敵な笑顔でした。私は、あの時とても体調が良かったので、キースさんの前世も見えました。キースさんの前世は、日本人の女の人で着物を着ていました。聞けば、彼の前世は、京都の舞妓さんだったそうです。私は、思わず今のキースさんが舞妓さん姿になっているのを想像してしまいましたが。

 また、私が身体があちこち調子が良くないと伝えると、キースさんは「ハリー・エドワードに頼みなさい」と教えてくれました。ハリー・エドワードは、イギリスでも有名なヒーラーだということでしたので、「どうやって頼むのですか? 電話ですか?」と聞きましたが、彼はもう亡くなっているそうです。「え?」と驚きました。彼に霊能力で頼み、ヒーリングをしてもらえばいいということでした。武本先生は、ハリー・エドワードをご存知でしょうか? 存命中なら、イギリスまで行かないといけないのでしょうが、彼はもう身体のない自由な存在なので、以前より頼みやすくなったのでしょうねぇ。

 季節の変わる頃ですが、どうぞお身体ににお気を付けてお過ごしください。

              瀬野彩子








 乗り越えるためにある試練 (2004.02.22)

  M. S. さん
 
 メールを拝見しました。私が「比較文化論」の講義などで、「ハードルは乗り越えるためにある」と言っていたのを覚えていますか。ハードルは試練です。しかし、このようなことを聞かされても、自分がいま試練のまっただ中にいる間は、あそらく、理解しにくいでしょう。「聞く耳をもたない」気持ちかもしれません。こういうことばは、乗り越えたあとでなければ、実感できないものでしょう。そして、乗り越えたときに、はじめて、これは「真理」であり「試練は恵み」であることが分かってきます。だから、必ず乗り越えなければならないのです。乗り越えるためにハードルはあるからです。
 
 今日の「学びの栞」には、「自分で人生を選んで生まれる」という抜き書きを載せました。能力のある者はそれだけ、人一倍高いハードルを設定します。そのようにして、それを選んで人は生まれてくるのです。信じられないような話かもしれませんが、このことを考えてみてください。資料は私のホームページにも沢山あります。身辺雑記の「自律神経失調症に悩む妹への手紙」にも、私自身のことに触れたりもしました。

 繰り返しますが、世の中には、悩みや苦しみを抱えた人々が大勢います。私にも悩みや苦しみがあります。決してあなただけではありません。悩みや苦しみがいけないのではなくて、大切なことはそれをどのように乗り越えていくかです。乗り越えられないハードルはないこともしっかりと胸にたたみ込んでおく必要があります。あなたがいわれるように、いま与えられている試練にどうか自信をもって向き合い、そして、それを元気に乗り越えていってください。








 与えられた試練に向き合って生きる (2004.02.22)

 (教え子の M. S. さんからのメール)

 先生、温かなメッセージを有難うございます。どこかに自分の存在を感じたく、抑えきれない父への怒りが爆発し、「たったひとつのたからもの」から感じた「家族」への想いをメールにて送ってしまいました。自分勝手なメールを申し訳ございません。

 私は父から、「お前とは縁をきる」、「それが大学をでた娘のすることか」、「おまえはうちの恥だ」などと、言われました。今も心の病に苦しむ妹をなんとかしたく、人付き合いができるように、好きなことを思いきりできるようにしたく、この5年、仕事の傍ら、両親の代わりとなって取り組んできたことが、なぜわかってもらえないのか、なぜ父は何も行動しようとしないのか。責めるだけではなく、自分の子供は命をはっても守るものではないのかと、抑えきれない思いでした。義母の介護に妹への対応、すべて母と私でしたから。きっと私はどこか甘えているのかもしれません。
 
 シルバー・バーチの霊訓(1)より 「上を向いて歩こう」 を読みました。最近の私は、下ばかりみていたように思います。太陽が当たらないのは当然です。心配、不安、恐ればかりを抱き、正直、今も言葉にはならない不安があり、言葉にならず、意気消沈の日々です。「何事も修行であることを忘れぬかぎり、何が起きようと意気消沈することはありません」、「霊性は書物からは与えられません。自分自身の生活の中で、実際の行為によって体得しなければなりません」、これらの言葉が心に残りました。

 私が望むのは「行動」です。自分自身の課題でもあり、何より家族に望むことです。頭でっかちになり、世間体を気にして、世間の道からはずれることが「悪いこと」とされる。時には失敗もします。立ち止まりもしますが、そこで何を考え、行動したかが大切だと私は考えます。気づけば、私自身が、人と自分とを比べ、自由のきかない家族環境を嘆き、一人になることに寂しさを感じ、恋人を含め、自分を想ってくれる人を身勝手に振り回していたようにも感じます。


 先生のアドバイス通りに、シルバー・バーチの言葉をひとつずつ読んでいきます。退職した仕事での後輩のお母様が先日亡くなり、明日告別式です。肉親の死に直面したことのない私には、何かを気づかせるもののように思います。今与えられた試練に、向き合っていきます。頭ではわかっていながらも、投げ出してしまうところでした。またメールいたします。先生、ありがとうございます。







 強く生きていくために (2004.02.19)

 (かつての教え子からのメールに応えて)

 M. S. さん
 
 あなたの優しいお人柄を思いうかべながらこれを書いています。世の中には、あなたのように、いろいろと悩みを抱えている人が大勢います。いまの日本の社会は、競争原理や能力主義がかつてないほどに強くなっていて、それが、人間同士の連帯意識や共同体感覚を失わしめ、あたたかな家庭環境をも押しつぶしてしまっているようなところがあります。ゆとりがなくなり、なにかにつけてストレスのたまりがちなこのような社会では、うつ病になる人が少なくないのも、あるいは当然かもしれません。私は、あなたの先輩や後輩からも、何人かから、あなたと同じような悩みを聞いてきました。

 日本はいまは世界第二の経済大国になり、物質的にはきわめて恵まれた生活を送れるようになりました。しかし、精神的にはむしろ荒廃してきて、私たちはいま物の豊かさと心の貧しさの間で揺れ動く難しい時代に生きているといえるのかもしれません。それだけに私たちは、時代の波にただのみこまれてしまうのではなくて、何が大切で何が正しいのかをしっかり見分けられる目を持つことが必要でしょう。そして、私たちにつきまとういろいろな悩みや苦しみも、このような時代を生き抜き、自分を成長させるために与えられた課題であると前向きに捉えて、明るく元気に乗りこえていくのが、おそらく私たちのつとめであろうと思います。

 あなたにお伝えしたいのは、むしろ、こういう世の中だからこそ、私たちはなぜこの世に生まれて、生きていく意味は何か、を知ることが重要であろうということです。そういういのちの真実を知らないでいるのは、私たちのもっている大きな潜在能力と無限の可能性を自ら奥深くに閉じこめ、私たちを本当の意味で不幸にしてしまうような気がしてなりません。私は、ごらんのように、毎日このホームページに、こころの糧になるようなことばを「学びの栞」の項目などに入力しています。これは、このホームページを読んでくださっている方々に参考にしていただくためですが、また、私自身の学びのためでもあります。あなたも、時間が空いているときなどには、どうかいっしょに読んでみてください。いままで気が付かなかった自分自身の本来の姿にも理解を深めるようになって、あなたが明るく強く成長していかれることを、こころからお祈りしています。
 







 I I S 春のワークショップについて (2004.02.18)

 IIS (International Institute for Spiritualism) の機関誌「ライトワーカーズ」(2004年春号)によりますと、イギリス・ロンドンの大英心霊協会講師の金城寛氏が来日して、5月6日と7日に次のような個人セッションなどが行われるようです。

 1. 先祖霊の霊査     30分   10,000円
 2. 人生よろず相談    60分   20,000円 
 3. 指導霊の霊査     30分   10,000円
 4. 指導霊の似顔絵    30分   10,000円
 5. 過去生の霊査     30分   10,000円
 6. 心霊療法        30分   10,000円
 7. 除霊           60分   20,000円

 なお、同機関誌には、I I S の活動は、つぎのような七つの原理を基にしていることが謳われています。

 1. 神は親です。
 2. 人類は皆同胞です。
 3. 霊との交わりと指導霊や天使の参与を認めます。
 4. 人の魂は死後も存続します。
 5. 個人に責任があります。
 6. カルマの掟を認めます。
 7. 永遠に進歩する機会が、すべての人に与えられています。

 関心のある方は、次のホーム・ページをご覧になり、お問い合わせしてみてください。

http://www.rr.iij4u.or.jp/~sagb/INDEX.shtml
  E-メール : sagb@rr.iij4u.or.jp






 長い道のりを振り返りつつ (2004.02.12)


 笹川敏幸様

 メールを有難うございました。青木耀子さんにご縁のある方と知って、なつかしく思います。

 青木さんは、亡くなった家内の友人で、事件後にはいろいろと、霊界からのメッセージを伝えていただいたことがありました。私が、霊界からでもメッセージを受け取ることが出来るということを初めて知ったのも、青木さんを通じてでした。当時は悲嘆の底にあって、藁にもすがる思いで青木さんに頼っていたのですが、そのことについては『妻と子の生きた証に』や『疑惑の航跡』などの著書の中でも触れています。青木さんには、いままでの長い道のりを歩み始めた時点で、貴重な道しるべとなっていただいたことを、深く感謝しています。

 音楽活動と併行して魂の世界を表現しておられるということですが、「魂の世界」は、いまこの世で生をうけている私たちが、悔いのない生活を送っていくためにも、どうしても知っておかねばならない大切な真理であろうと思います。これからの一層のご研鑽とご健勝をお祈り申し上げます。








  人生の恩師の縁に導かれて (2004.02.12)

 青木耀子先生の名前で検索していて、偶然、武本さんのホームページにたどりつきました。大韓航空機の事故の講演の文章を拝見し、当時のことを思い出して思わずメールをお送りしております。札幌在住の笹川敏幸と申します。私は当時、青木先生に大変にお世話になりました。今の私の基礎をつくりあげてくださった人生の恩師であります。

 武本さんのことは今日まで存じ上げませんでしたが、当時、青木先生のもとで開かれた私とほんの数名の為の勉強会で、大韓航空機で尊い命を失った方の話題も出ておりました。そのことが魂の視点からはどのような意味があるのかについて、皆で意見を出し合い、非常に深く視野が広がる思いでした。また、青木先生も家族を失った方が近くにあったそうで、大変に心を痛めておられた事をはっきりと覚えております。そのことで私達も、非常に心を揺さぶられる思いがしました。

 それが武本さんの事だったのだと、さきほど知りました。ホームページを拝見してこのような形で活動をなさっておられる事を知り、深く感銘を受けました。

 私も今は、3年前まで勤めた会社を離れ、カウンセリングを中心にして、音楽活動と並行して自分なりに、魂の世界を表現し、広く伝えていこうと願い、活動をしています。青木先生とゆかりのある方が、このように活動をなさっているのを知り、とても嬉しくなり、思わずメールを書いております。今後も、ご活躍を祈念しております。

  笹川 敏幸





                                 


  人の残酷さと人の優しさと (2004.02.07)


 実の父親と義母が長男を虐待するという大阪府岸和田市でおきた事件は、人間というのはここまで残酷になれるものか、と多くの人々に強いショックを与えました。餓死寸前まで追いやられた15歳の少年は、昨年11月2日に救助されて岸和田市内の病院に入院してからも、まだ意識不明の状態が続いているようです。ただ、最近は医師が体に触ると、顔をしかめるなど、かすかに表情を示すようになった、と伝えられていることが、回復へのたしかな予兆になってくれるようにと祈るばかりです。

 今朝の「朝日新聞」によりますと、実父と義母が殺人未遂容疑で逮捕されて以来、少年が入院している病院や岸和田署などに、全国から沢山の激励の手紙が届きはじめ、見舞金や手作りの人形、お守りを添えたものなどもあるということです。激励の手紙の差出人は、大半が少年と同年代の子供を持つ母親たちということですが、このような人々の善意は、絶望的な暗い事件のなかで、人間性への信頼をつなぎ留めてくれる一筋の光として明るい輝きを放っています。人間というのは、これほどまでに優しいのに、優しいのが人間なのに、としみじみと思わざるをえません。

 シルバー・バーチがいろいろと宇宙の摂理についても教えてくれていますが、その宇宙の摂理は一分一厘の狂いもなく常に厳正に働いていること、自分が蒔いた種子は必ず自分の手で刈り取らねばならないこと、などを強調しているのが思い出されます。このようにしていま大きな重荷を背負いはじめた人たちと、また、このようにして優しさという決して朽ちることのない財産を天に積みあげている人たちと、人間にはいつも二つの局面が見られるようです。同じ人間同士の、このような両極端にある二つの行為や生き方からも、私たちが学んでいかなければならないのが今の人生ということになるのでしょうか。







  「アメイジング・グレイス」の曲が流れる (2004.02.02)

 このホーム・ページのテーマソングのようなものとして「アメイジング・グレイス」を流すようにはできないものか、と考えてきました。私の好きな曲で、これは、もともと古くからあったスコットランドのメロディーに、ジョン・ニュートン(1725-1807) というイギリスの牧師が歌詞をつけたものです。いまもスコットランドの代表的な民謡のひとつで、キリスト教会の賛美歌のなかにも取り入れられ、欧米ではひろく親しまれています。

 歌詞をつけた牧師のジョン・ニュートンは、子どもの頃は家が貧しく、学校へも通っていませんでした。父親のつてで船乗りになり、イギリスの奴隷貿易に従事していましたが、若いうちは無神論者で放蕩の限りを尽くしていたといわれています。その彼が、ある時、大西洋の真ん中で猛烈な嵐に襲われ、船が沈没しそうになります。彼はその時、思わず、「神よ、助けたまえ」と必死に祈りました。

 神をまったく信じてはいなかったのに、なぜ神に救いを求めたのか。彼は、それを神の啓示として受け止めました。やがて船乗りをやめたあとは、奴隷貿易廃止の運動を始め、その後は、牧師になって神の教えを説くようになったということです。この「アメイジング・グレイス」の歌詞は、日本基督教団発行の讃美歌集では、1節と2節がつぎのように和訳されています。

 われをすく いし
 く しきめぐみ、
 まよいし身もいま
 たちかえりぬ。

 おそれを信仰に
 変えたまいし
 わが主のみめぐみ
 げにとうとし。

 この「アメイジング・グレイス」 についての私の思いを、溝口祭典の佐々木薫さんに話しましたら、佐々木さんは、その日のうちにいろいろと調べてくださって、思いがけなく、昨日(2月1日)から、この曲がこのホーム・ページに流れるようになりました。皆さんにも気に入っていただければ、私もたいへんうれしく思います。溝口祭典の佐々木さんには、ひとかたならぬご尽力をいただきましたことを、あらためて、厚くお礼申し上げます。







  人の幸せは命の長さではない (2004.02.01)

 少し前のことになりますが、去る1月17日の「毎日新聞」に、『たったひとつのたからもの』(文芸春秋刊)の著者・加藤浩美さんの記事が載っていました。「人の幸せは命の長さではない」というのは、その記事のタイトルです。

 加藤さんは、一粒種の秋雪君をダウン症で亡くされています。生後間もなく、92年の冬に、医師から「余命1年」と宣告されたとき、加藤さんは大きなショックを受けますが、その時に彼女は、「この親となら何とかやっていけると信じて、私たちのところにやってきてくれたのだ。そんな秋雪に対して、きちんと向き合わなければ失礼だと思った」のだそうです。この「失礼」ということばは、私の胸には、実に鮮烈に響きました。

 それから加藤さんは、秋雪君が成長していく過程を母親の目線で写真とエッセイで記録し続けていくことになります。余命1年と言われた秋雪君は、6年を懸命に生き続けて、5年前の1月に命を閉じました。加藤さんは、自ら撮ってきた写真とエッセイをまとめた著書の中で次のように述べています。

 「一日一日を全力疾走で生きた秋雪と暮らして気付かされたのは、人の幸せは命の長さではないということ。ごはんを食べる、トイレに行く、おこる、泣く、笑う、眠る・・・・・こんな当たり前のことでも、秋雪からは『精いっぱい』ということを教わりました。」







  すらすらと述べられていく真理のことば (2004.01.28)


 今日も、「学びの栞」 には、シルバー・バーチのことばを引用しました。1月17日のメールでもお伝えしましたように、しばらくは 「シルバー・バーチ」 に専念させていただきたいと思いますが、この超人的なことばの達人の一字一句には、読み返すたびに、深く納得させられ、こころを打たれます。

 これらのことばを、シルバー・バーチは、ぶっつけ本番で、一度もことばに窮することなく、そのままで完璧な文章になるように、すらすら述べていったというのですから、まさに神業というべきでしょう。もちろんこれらは英語で述べられたものの翻訳ですが、翻訳者の近藤千雄さんは、シルバー・バーチの英語を知り尽くしていて、読んでいても翻訳文らしい違和感をほとんど感じさせません。この日本語の翻訳文からでも、十分に、「その一文一文に良識が溢れ、人のこころを鼓舞し、気高さを感じさせる」 原文の香りが伝わってくるような気がします。

 今日の 「人類は互いに兄弟であり霊的には一体である」 も、短く切ることが出来ず、つい、長い引用になってしまいました。いつも引用は、核心部分を出来るだけ短く、と考えてはいますが、シルバー・バーチの文章は、なかなかそうはいかないようです。少し長くとも、このまま、何度でも繰り返して読む価値があるよう気がして、長い引用の弁解かたがた、ひとこと、特につけ加えさせていただくことにしました。







 
 「ともしび」 に心をこめて (2004.01.25)


 今日、このホーム・ページのヒット数が 5,000 を超えました。これから長く続くであろう上りの階段を、はじめて一歩踏み上がったような感じです。新年のご挨拶のなかでも同様のことを申し上げましたが、この数字は、私にとっては小さな数字ではありません。毎日のように、日本各地で、何人か、あるいは何十人かの方々がこのホーム・ページを見てくださっていることに対して、なによりもまず、私は、こころから感謝申し上げたいと存じます。

 3年前までは、長年の間、教師を務めてきて、学生たちの前で講義をしたりするのは、まあ、慣れているつもりでした。しかし、このホーム・ページのような場で、各地の、私には見えない方々に私の書いたものを読んでいただいたり、「メール交歓」などを通していっしょに学ばせていただいたりするのは、私にとってはまったく新しい経験で、それだけに、ちょっと身の引き締まる思いをしています。時にはアメリカやイギリスからも、未知の方々からメールをいただいたりして、ホーム・ページでは「学びの場」は世界規模にまで広がりうることを実感させられ、空恐ろしいような気がすることもありました。

 私は、宗教の専門家ではありませんし、哲学者でもありません。このような「いのちの真実」について考えていくという深く大きなテーマに関わってはいますが、私はいわば「初心者」であるにすぎません。学生に対する教師のように教える立場ではないことも、十分に意識しています。ただ、私のかつての悲嘆と慟哭の体験以来引きずってきた長く重い足取りは、いま考えてみますと私の貴重な財産でした。あるいは、そこからも、多くの方々にはひとつの道しるべとして、何かお役に立つものをつかみ取っていただけるのではないか。そのような私なりの奉仕がありうることをひそかに期待しながら、幽かなともしびの灯をともし続けていこうとしているだけです。いま、光を目指しての長いステップを一段踏み上がって一息ついていますが、この機会に、このホーム・ページを訪れてくださっている方々に、あらためて、こころから厚くお礼を申し上げます。









 
私のこころに残ったことば (2004.01.25)


 武本先生
 
 ホームページを開くたびに更新されている「学びの栞」を楽しみに読ませていただいております。
 
 一昨日、読売新聞社主催のシンポジウム「医療最前線−新世紀の患者学」に参加してきました。テーマは「回復力を見直す」でした。このテーマにひかれてではなく、講師の玄侑宗久氏にひかれてでした。臨済宗の僧侶であり、2001年に「中陰の花」で芥川賞を受賞した作家でもあります。私は、この「中陰の花」を読んでから、「水の舳先」「アブラクサスの祭」「化蝶散華」「アミターバ −無量光明」「御開帳綺譚」、ここまで読んできますと僧侶というよりも、人間的に厚みのある方だなと思いましたし、全て光の世界を知っている方だなとも勝手に考えてしまいました。
 
 この玄侑さんの講演で心に残る言葉がありました。「朝日に薬師如来を見て、夕日に阿弥陀如来を見る。薬師如来が治療を行う医師で、阿弥陀如来がすべての人(死)を受け入れてくれる役割をもつ」。「腹が立っても、今まで経験したしたことがない事が起こっても、これらは自分の新しい遺伝子が目覚める時。新しい、知らない自分の目覚める時」。「平均寿命を意識しないほうがいい。日本で一番長生きした人は243歳の男性。その奥さんが137歳」。これには笑えますが、常識というものに余りこだわらないほうがいいということですね。
 
 続くパネルディスカッションで、村上和雄 筑波大学名誉教授の興味のあるお話がありました。糖尿病患者さんの血糖値が、堅苦しい話しを聴いた後より、吉本興業の漫才を生で聴いた後のほうが大幅に下がっているという。笑うことが、脳の一つの遺伝子をONにして、血糖値を下げるのだそうです。

 「私は心と遺伝子の繋がりを研究していますが、人の設計図(遺伝情報)を書いたのは人間ではないと思います。神でも仏でもいいですが、私は『サムシング・グレート』と呼んでいます」。「病になったとしても、命の親(サムシング・グレート)のシグナルとうけとめて下さい」。「私は、科学者と宗教者のコーディネィターになりたい」。
 
 これらが、一昨日私の心に留まった言葉です。
 
 平日の昼間の外出は、何とも気分のよいものですね。雲ひとつない青空を眺めながら、身体が一段とかろやかになったような気分でした。     

    谷口美砂子









 美しくちりばめられた叡智のことば (2004.01.17)
   −「学びの栞」の構成について−


 シルバー・バーチについては、多くの方々がよくご存じのとおり、イギリスのロンドンで、1920年代から実に60年あまりも、霊界の真実を伝えるメッセージを送り続けてきました。その膨大な霊界通信の記録は、世界中で多くの人々に生きていくための貴重な指針として愛読され続けてきました。日本でも、潮文社から 『シルバー・バーチの霊訓』 (近藤千雄訳)というタイトルで、12巻に分けて刊行されています。

 私自身も、シルバー・バーチからは多くの教えを受けてきました。講演集 「いのちの真実を求めて」 のなかにも引用していますが、「毎週毎週ぶっつけ本番でこれほど叡智に富んだ教えを素朴な雄弁さで説き続けるということ自体が、すでに超人的」であり、しかも、「すらすらと完璧な文章が、一度もことばに窮することなく述べられていく」文字通りの神業に、いつも、読む度に深い感銘を覚えさせられています。

 このホーム・ページの「学びの栞」では、いろいろな本から、学びのために役立つと思われることばや文章を、項目別に分類して抜き出していくという作業を続けていますが、やはり、目移りさせないで、これからしばらくは、シルバー・バーチに専念していきたいと思います。この作業で、毎日のようにシルバー・バーチを読み返していますと、その度に啓蒙され納得させられて私自身が楽しい思いをしますので、あるいは、皆さんも、楽しみにしていただけるのではないかと、勝手ながらひそかに期待しております。

 このような「学びの栞」に抜き出していくことばは、核心の部分だけを出来るだけ短くまとめたほうがいいような気がしますが、シルバー・バーチのことばは、どの部分をとっても、真理を訴える強い力がありますので、つい、カットするのが惜しくなり、長めの引用になってしまうこともご了承ください。分類項目は一応 80 くらいを予想して、項目別に、必要と思われる箇所をひとまとめにして読めるようにしたいと思っています。各項目の追加が多くなるに従って、表現の内容にも、多かれ少なかれ、重複するところも増えていくかもしれません。併せてご了承ください。








 死別の悲しみから立ち直るために (2004.01.11)

 (非公開ご希望の悲しみのメールにお答えして)
 
 メールを拝見しました。大切な人との死別の悲しみは、私にはよくわかります。私自身が、ホームページにも書いていますように、かつては悲嘆のどん底で、長い間苦しんでいました。悲しみから立ち直るのに、私の場合は随分年月がかかりました。ですから、あなたにも、すぐにでも「立ち直ってください」というようなことは、とても申し上げられませんし、申し上げる資格もありません。悲しみの気持ちをおさえきれずに、泣きたいときには大声で泣かれてもいいと思います。やはり、気持ちが落ち着くまでには時間がかかりますから。
 
 ただ、私が書いているような、死の意味とか、生きることの目的などは、どこか、あなたのこころの片隅にしっかりとしまっておいてくださいませんか。それから、これも私のホームページなどにも書かれていますが、あなたと同じような、そして、私と同じような、悲しみに打ちひしがれた経験をお持ちの方々も大勢おられて、生と死の真実を学び、理解するようになってからは、実に明るく、感謝の生活を送っておられる、そういう方々も、決して少なくないことも、同じくこころの片隅に入れておいていただいて、ときどきは、思い出してください。
 
 このあなたからのメールは、ご了解がなければ、公開することはありません。しかし、書くことや話すことが癒しにつながっていくといわれることもあります。あなたの場合も、あなたの気持ちを表現していくことがあなたのこころの癒しにつながっていくかもしれません。あなたは一人ではありませんし、あなたのお話に耳を傾けてくださる多くの方々も、こころのサポートをあなたへ向けてくださるでしょう。この欄で、イニシアルだけで掲載している場合も、そういう意味があるからです。
 
 それから、これは、どうしても申し上げておきたいと思いますが、大切な人との死別が、本当の意味で、絶望に値するのであれば、おそらく、世間で一般に考えられ行われているような、慰め、お悔やみ、励まし、あるいは、同情、思いやり等々、こころからのものであっても、すべては空しいでしょう。それだけでは死別の悲しみは決して癒されないでしょう。私は、本当に悲しみのこころが癒されていくのは、いのちの真実を理解し、生と死の意味を知ることが出来たときだけではないかと、考えたりしています。
 
 ときどき、また、このホームページなどもごらんになって下さい。あなたが深い悲しみから抜け出られる日のくることをお祈りしながら、あなたともいっしょに、いろいろと学んでいきたいと思います。


 






 祖母から学んだ最後の教え (2004.01.02)


 武本先生、大変ご無沙汰しております。お元気でいらっしゃいますか。

 さて、先生にお手紙を差し上げるにあたり、まず、二つほどお礼とお詫びを申し上げなければならないことがございます。

 まず一つ目。99年に祖母が他界した際、大変お心のこもったお手紙をどうも有難うございました。そしてそのお手紙にきちんとしたお返事も差し上げず大変失礼致しました。

 先生の大変熱心なご指導の下、英語弁論大会に向けて勉強する機会を与えていただいたことは、私にとって短大生活最良の思い出であると同時に最大の成果でもありました。先生には本当に多くのことを数えて頂き、また、本当に得がたい経験をさせて頂きました。その後、授業で私のスピーチを教材になさっていたと伺い、少し気恥ずかしい一方で、大変嬉しく光栄に思いました。

 "My dearest Grandma" ですが、晩年は老衰のため完全に寝たきり状態でした。父の強い希望もあり、亡くなる直前まで自宅にて看護しておりました。残念なことに痴呆症状が随分と進んでしまい、夜は暗闇を恐れて泣き叫ぶため、父が祖母のベッドの下に布団を敷いて横になり、食事も一人では出来ないため家族が交替で1時間近くかけて食べさせるといった状態で、両親も私も連夜の睡眠不足と介護疲れで疲労困憊、そのうちに父が疲労と心労で体調を崩し、検査の結果、進行した大腸癌であることが判明、即入院、手術・・・・・・・と家庭崩壊寸前の苦境に陥ったこともありました。

 そのような状態で、大好きだったはずの祖母が疎ましく思えてならず、と同時に、そういう感情を持つ自分に対する嫌悪感から生まれる心の葛藤も多々ありました。祖母が亡くなった直後も今も、祖母に対しては、ああすれば良かった、こうすれば良かったと後悔することばかりです。先生から頂いたお手紙に、祖母の last lesson は私だけでなく後輩の皆にも受け継がれている、と書かれていたのを読むにつけ、祖母の本当の意味での「最後のレッスン」を私はどれだけ受け止めることができたのか、答えを見いだせずにいたことも、すぐにお返事できなかった所以でした。

 正直、今でも祖母の最後のレッスンについてはよく分からないことだらけです。しかしながら、生きること=老いること、老いること=生きること、であるということと、それには美しさと醜さを伴うということを身をもって示してくれた祖母に感謝しております。

 そして二つ目。先生のアメリカ生活とご家族のことを綴った御本 『アメリカ・光と影の旅』」をお贈り下さり、どうも有難うございました。こちらももう 2年以上前のことで本当こお恥ずかしい限りなのですが、御礼も申し上げず、重ね重ねの非礼をどうかお許し下さい。

 いただいた御本、第4章から先をどうしても読み進めることが出来ず、最後まで読んでから御礼を・・・・・・と思っているうちに随分と時間だけが経ってしまった次第です。実は、昨年の確か9月1日朝だったように記憶しておりますが、身支度をしながらTVの音声だけを聞いていたところ、聞き覚えのある声に思わずTV画面を振り返れば、武本先生と大韓航空機事故の遺品の野焼きをしている光景が映っておりました。即座に先生のあの御本のことを思い出し、その夜、もう一度最初から、読めずにいた4章から先も、最後まで読ませて頂きました。先生が一体どのようなお気持ちであの御本を書かれたのか、そして、その日の朝 TVで見た野焼きの光景も蘇り、暫く涙が止まりませんでした。

 御本の中に、「人の世で一番大切なのは優しさ」 という潔典様の言葉が書かれていたかと存じますが、この言葉は私への "lesson" であるかの如く心に深く響きました。時折、心に余裕をなくしてはいけない、という自戒の念も込めて、この言葉を心の中でそっとくり返しております。先生やご家族のたくさんのお気持ちが込められた御本を私に贈って下さったこと、本当にどうも有り難うございました。

 学生時代から文章を書くのは不得手でしたが(先生の "比較文化"のレポート等は本当に難儀しました!)、その傾向はますます強くなる一方で、このような拙文で、そしてこのようなタイミングで先生にお手紙を差し上げるのは本当に恥ずかしい限りなのですが、この数年間、申し上げなければと思いながら、ずっと胸の内にあったことを思い切って書かせて頂きました。

 それでは、新しい年が武本先生にとってよい一年でありますように、心からお祈りしております。時節柄、風邪など召されませんように、どうかお身体お大事になさって下きい。
          T.K.







  
  明けましておめでとうございます (2004.01.01.)


 このホームページを開設したのは、昨年の3月末のことでした。途中で少しデザインの変更をして、いまの形に落ち着いたのは11月末のことです。開設時から数えますと9か月になりますが、その間にヒット数は少しずつ増えて、 4,260 ほどで、年を越えました。これは、ホームページとしては多い数字ではないかもしれません。しかし、私にとっては、決して少ない数字ではありませんでした。いわば、一人で細々と語り続けてきた私の声に、ちょっとでも耳を傾けてくださった方、あるいは、耳を傾けようとしてくださった方が、これだけおられたということで、私はそれだけでもたいへん有り難く、こころから感謝申し上げております。

 いのちの真実についての厳粛で壮大なテーマを追っているだけに、このようなホームページを開設し維持発展させていくのは、あまり容易ではありません。いままで入力してきた文章や資料などを読み返してみても、自分の非力を痛感させられることがしばしばですが、これも、あるいは、今生の私に与えられた一つの使命なのかもしれないと考えながら、微力を尽くしております。

 この世で生きていくうえでのものの見方や考え方に少しでもお役に立てるようにするためにも、このホームページに関するご意見、ご感想など、ご批判なども含めて、どうぞお気軽にお寄せください。今年もまた、このホームページを訪れてくださる皆様と共に、力を合わせ励ましあって、一歩一歩、学びの道を歩んでいきたいと思っています。
 
 新しい年の初めにあたり、皆様方のご健康とご多幸をこころからお祈り申し上げます。

今までのページをご覧いただけます
2003.10〜12
2003. 7〜 9
2003. 3〜 6