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    気功で飛ばされていく人を見る      (2017.01.18)


 東京大学医学部教授の矢作直樹氏が書いた『人は死なない』(パジリコ株式会社、2013)には、矢作氏が平成六年(1994)の十月、北京気功ツアーに参加した時の体験談が述べられている。そのなかで氏は、気功でパーキンソン病を治してもらった70代の男性患者のことに触れている。これは「学びの栞」B59-f に引用しておいたが、気だけで病気を治すというのは、医者である氏がいうように、現代医学では解明できないことで奇跡というほかはない。氏はここで、対気で手から気を送れば、人に触れなくても飛ばすことができることについても、つぎのように自分の体験を紹介している。

 《まず、外気功の大家である黄震寰先生。航空工学の教授で六一歳とのことでしたが、見た目には四〇歳代にしかみえない。黄先生は、最初に踊りのように流れる気功の演武を披露された後、三人のお弟子さんを相手に対気を行いました。お弟子さんたちは、それこそ黄先生の体に触れるか触れないかくらいのタイミングで飛ばされていました。試しに私は、そのコロコロと飛ばされていたお弟子さんの一人と対気をしてみましたが、手刀一押しであっという間に飛ばされてしまいました。中健次郎先生のときと同じで、まるで岩と対峠したようでした。》 (pp.36-38)

 この対気で人が飛ばされるのも事実である。これについては、私も体験して知っている。むかし私は友人から聞いて、渋谷にある西野流呼吸法を教えている西野塾に半年ほど通ったことがあった。西野流呼吸法というのは、西野皓三氏が創始したもので、呼吸法で「身体の60兆個の細胞の一つ一つに働きかけ、健康で若々しい身体をつくる画期的なメソッド」であるといわれている。ここで対気が行われていたが、氏や弟子たちが手をかざして気を送るだけで気を浴びた人は後ろに飛ばされていた。矢作氏が中国で見たことを、私は渋谷で何度も見て体験している。

 2001年4月に私は中国の古都・西安を訪問したことがあった。その時に立ち寄った西安市西影路66号の中国人民解放軍第35医院でも私はちょっと不思議な体験をした。中年の女医から中国の気功の話が出て、たとえば、紙幣で箸を切ることも可能だという。私は、部屋にあった中国製の太い骨の箸を一本手に取って、これでも切れるかと聞くと彼女は、切れると答えた。私は、財布の中から日本の古い千円札一枚を抜き取って彼女に手渡し、長い箸の両端を両手で握って彼女の前に差し出した。彼女はしばらく千円札の皺を伸ばしたあと、気を集中してさっと千円札を振り下ろすと、箸は真っ二つに切れた。信じない人がいるかもしれないが、しかし、これも事実である。





   霊的真理から最も遠い人たち          (2017.02.01)


 「今日もっとも必要なのは簡単な基本的真理――墓場の向こうにも生活があること、人間は決して孤独な存在ではなく、見捨てられることもないこと、宇宙のすみずみにまで神の愛の温もりをもった慈悲ぶかい力が行きわたっていて、一人一人に導きを与えていること、それだけです」とシルバー・バーチは言っている。そして、さらに続けて、「これは人間のすべてが知っておくべきことです。また誰にでも手に入れることのできる掛けがえのない財産なのです。そうした基本的な真理さえ知らない人間が何百万、何千万、いや何億といる以上、われわれはまず第一にその人たちのことから考えようではありませんか。それがわれわれにとって最も大切な義務だと思うのです」とも教えてくれている。(『シルバー・バーチの霊訓(3)』p.68)

 実は、「そうした基本的真理さえ知らない人たち」には、いわゆる高学歴の学者、研究者、科学者などが特に多い傾向がある。知らないだけではなく、はじめから頑なに忌避して、近寄ろうとはしないのである。私自身もかつてはそうであった。大学とは真理探究の場であると口にしながら、死後の世界とか霊的真理に対しては、頭から拒否反応を示していた。おそらく今でも、霊とか霊界など「科学的に証明できない」ことを書いたり話したりすれば、大学にいることもできなくなるようなことがあるかもしれない。なぜそのようなことになるのであろうか。かつて講演のなかでも触れたことがあるが、「大般涅槃経」のなかには、つぎのような「盲人と象」のたとえ話がある。

 《昔、ひとりの王があって、多くの盲人を集め、象に触れさせて、象とはどんなものであるかを、めいめいに言わせたことがある。象の牙に触れた者は、象は大きな人参のようなものであるといい、耳に触れた者は、扇のようなものであるといい、鼻に触れた者は、杵のようなものであるといい、足に触れた者は、臼のようなものであるといい、尾に触れた者は、縄のようなものであると答えた。ひとりとして象そのものをとらえ得た者はなかった。》

  これは、大変わかりやすいたとえ話である。牙に触れたり、耳に触れたり、鼻に触れたりしているが、それだけでは、象の実像に迫ることは出来ない。しかし、例えば、耳に触れている盲人Aは、自分が確かに象に触っているのだから、象とは、扇のようなものだと固く信じて疑わないであろう。同様に、尾に触れた盲人Bは、実際に手に触れた感触で、縄のようなものだと思っているわけだから、その判断の正しさには盤石の自信を持つかもしれない。この場合、盲人AもBも、彼らの立場では確かに正しいのである。しかし、それらはあくまでも象の一部であって、象の実像からはほど遠く、結局、彼らの見方は間違いであることになってしまう。部分としては確かに正しいが、しかし、やはり間違っているのである。

 この象の実像を、仮に「真理」と置き換えて考えてみることにしよう。その真理を捉えるのには、どういう見方をすればよいであろうか。少なくとも、視野を広げなければならないことはわかる。象の実像を捉えるためには、牙や耳や鼻だけに触れて、それだけで結論を出してしまうのではなく、目が見えないのであれば、なおさら、大きな頭や腹やお尻に至るまで、できるだけ多くの場所を触ってみる必要があるだろう。そのうえで、全体像を組み立てれば、かなり実像、つまり「真理」に近づくことができるはずである。言い換えれば、象=牙、象=耳、象=鼻・・・・・ではなくて、象=(牙+耳+鼻+尾+脚+頭+腹・・・・・)ということになる。

 真理の探究というのは、学問の目的であり、学者の本分でもあるが、しかし、往々にして、学者は自分の専門領域だけを深く見つめ掘り下げているうちに視野が狭くなって、その小さな自分の世界に閉じこもりがちになる。 広大な宇宙の中では米粒ひとつほどの大きさにもならないちっぽけな地球の上で、科学で説明できないものは真理ではない、と広言しているような科学者がいるとすれば、ちょっと滑稽な気がしないでもない。盲人と象のたとえでは、象の尻尾だけを繰り返し触り続けて研究し、毛の数から色、匂い、成分まで知り尽くして、それで象の実像を理解している権威であると錯覚してしまうようなものである。そして、本当に象の全体が見える人から、象というのはもっと複雑な存在で頭も腹も足もある巨大な動物だと聞いても、そんなものは無学の徒の迷信だと一笑に付してしまうのであろう。

 たとえば、脳科学者と称しているM氏は、脳科学者から見た「死後の生」について、「私は、人間が死んだら無だと思っている。つまり、時間の流れの中で、私という人間にもし死ぬ時がきたとしたら、その後には、私という人間の心を支えていた物質的基盤はすべてなくなってしまい、それで終わりだということだ。いわゆる死後の世界があるとは思わない」と言っている。これは盲人が象の尻尾を熱心に触ってみて、象とはひものようなもので、それ以外は実像ではない、と断言してはばからないのと同じである。大宇宙の霊的真理のなかで、いまも現に生きているシルバー・バーチがこのM氏の「断言」を聞けば、「シミほどの知識しか持たない」無知な小人の妄言だというかもしれない。「基本的な真理さえ知らない」人たちの中でも、高学歴の学者、研究者、科学者などは、しばしばこのように、霊的真理からは最も遠い人たちといえそうである。





   現実味を帯びてきた地球外生命の存在   (2017.02.15)

 
 去る1月17日のNHK「クローズアップ現代」で、「地球外生命を追う」(宇宙から謎の信号?)が放映された。ご覧になった方も多いと思うが、いま地球外知的生命の存在は、専門の研究者の間では極めて現実的に受け止められているようである。その一つの要因は、中国で建設されたばかりの直径500メートルに及ぶ世界最大の電波望遠鏡やアメリカ、オーストラリア、ロシアなどのものを含めて、世界各国での電波望遠鏡による観測技術が格段に進歩していることと、もう一つは、地球と同じような環境が備わっていて生命が存在すると思われる星が数多く見つかっているからだといわれている。そのなかでも、現在、観測の標的にされているのが、昨年2016年8月に発見された太陽系に最も近い系外惑星「プロキシマb」で、4光年という「至近距離」にあるという。

 「至近距離」といっても、秒速30万キロの光の速さで測って4年かかるのだから、地上の尺度では想像もつかないような遠距離であるが、現在その探査機の開発が構想されているようである。小指の先ほどの小さな探査機本体のまわりに1メートル四方くらいの帆を広げて、それを地上からの強力なレーザー光線で集中照射すると、光速の20パーセント程度にまで加速できるらしい。その探査機の開発に20年、「プロキシマb」に到達するまでの時間が20年、さらにデータが地球まで送られてくる所要時間が4年で、早ければ44年後には、地球外知的生命の画像が見られるかもしれないという。理論物理学者のスティーブン・ホーキング博士も「今こそ地球外生命を見つけると公約すべき時が来ました」とまで言っているくらいだから、地球外知的生命の存在も、単なる夢物語ではないようである。

 ただ、私たちはこの宇宙や地球外知的生命の存在について、シルバー・バーチからすでにいろいろと学んできた。シルバー・バーチは、「あなた方に見えている星の彼方にも無数の星があります。惑星の彼方にもあなた方がまだご存知ない別の惑星、別の生活の場があります」と言っている。現代の量子物理学の先端的研究が、時に霊的真理への接近を示唆することがあるように、地球外知的生命の存在についての探求は、霊的世界への接近を意味することにもなるのかもしれない。シルバー・バーチはつぎのようにも言っているが、これは、宇宙と生命をみつめる私たちの視野について、貴重な教えになっているように思われる。このなかでは、宇宙に無数に存在する有機的生命は、必ずしも私たちが見慣れている形体をとるわけではないことが述べられている。それは例えば、映画の「E.T.」の世界を想像すれば、その一端が理解できるのであろうか。そのシルバー・バーチのことばは、こうである。

 《地上世界の知識もまだまだ限界に到達しておりませんが、私たちの世界にいたっては遙かに限界からほど遠い状態です。宇宙には最高界の天使的存在から、意識がようやく明滅する程度の最低の魂にいたるまでの、さまざまな意識的段階にある生命が無数に存在します。意識的生命が地球だけに限られていると思ってはなりません。地球は数かぎりなく存在する天体のうちの、たった一つにすぎません。無限なる叡智をもつ宇宙の大霊が、無限なる宇宙において無限なる意識的段階にある無数の生命に無限の生活の場を与えることができないはずがありません。有機的生命の存在する天体は無数にあります。ただし、その生命は必ずしもあなたがたが見慣れている形体をとるわけではありません。》 (『シルバー・バーチの霊訓(6)』潮文社、1986、p.170)





   40光年先に存在する地球に似た惑星       (2017.03.08)


 前稿で、「現実味を帯びてきた地球外生命の存在」を書いたばかりだが、その一週間後には、「地球に似た惑星 七つも確認」という記事が出た。(「朝日」2017.02.23) 地球から約40光年離れた恒星の周囲を、地球に似た七つの惑星が回っていることがベルギー・リエージュ大学などの国際チームによる研究で明らかになった、と書かれている。質量や大きさが地球とほぼ同じで、地表に海が存在する可能性も指摘されていた。米航空宇宙局のスピッツァー宇宙望遠鏡などで「トラピスト-1」という恒星を観測していた時に、恒星を横切る惑星が少なくとも七つ存在することを突き止めたのだという。昨年2016年8月に発見されたのが太陽系に最も近い系外惑星「プロキシマb」であったが、これは4光年彼方にあるというからかなり近い。「トラピスト-1」までの距離は40光年だから、その10倍の距離にある。しかし、チームの研究者は、「今回の惑星は、地球外生命を探すうえで最も可能性の高いものだ」と言っているらしい。

 果てしなく広がる宇宙の大きさをはかる尺度として私たちは「光年」を用いるが、1光年とは、いうまでもなく、秒速30万キロの光の速さで一年かかる距離である。1秒間に地球を7回半回ることができる速さでも1年かかるということである。この秒速30万キロを、時速に直すと約10億8000万キロになる。これに1日24時間の24倍をかけてさらに365倍すれば、およそ9兆4600億kmになり、これが1光年である。前稿では、私は「プロキシマb」の4光年を「至近距離」と書いたが、それをあえてキロに直せば、37兆8400キロとなり、もう地球の尺度ではとても理解が追い付かない。しかし、それでも宇宙の尺度では、それが「至近距離」である。アンドロメダ銀河(M31)は、肉眼でも満月の約5倍の大きさで見ることのできる最も遠い天体だが、地球から約250万光年の距離に位置している。つまり、私たちが見ているアンドロメダ銀河は、見えるまでに250万年かかっている。言い換えれば、そのアンドロメダ銀河は250万年前の姿であって現在の姿ではない。現在の姿を見ようとすれば、この地球上では、私たちはあと250万年も待たねばならないのである。

 しかし、広大無辺な宇宙ではそのアンドロメダ銀河でさえも、それほど遠い距離ではない。宇宙望遠鏡で捉えられている最も遠い銀河が105億光年、最も遠い天体が133億光年などと聞かされると、もう想像を絶するとでもいうほかはない。「あなた方に見えている星の彼方にも無数の星があります。惑星の彼方にもあなた方がまだご存知ない別の惑星、別の生活の場があります。宇宙は無限に広がっているのです」とシルバー・バーチは言う。(『霊訓 (8)』、p. 101) 私たちは、この宇宙のなかでは米粒一つにもならないようなちっぽけな地球に住みながら、あまりにもそのことに慣れきってしまって、地球以外の星には思いが及ばない。だから、「あなた方の地球は無数に存在する生活の場の一つにすぎません」とシルバー・バーチから言われても、なかなか実感が湧かないのである。近頃になってようやく、地球外生命の存在が現実味を帯びてきているとはいえ、この広大な宇宙には、地球外生命が存在する星が無数にあっても、もともと少しも不思議ではないのであろう。

 ただ、地球はあまりにも小さすぎる。直径で約13,000キロしかない。そして宇宙はあまりにも広すぎる。4光年という「至近距離」にある「プロキシマb」でさえ、光速の20パーセント程度にまで加速できる探査機をあと20年かけて開発できても、その探査機で辿り着くまでの時間は20年、さらにデータが地球まで送られてくる所要時間が片道で4年もかかるから、地球外知的生命の画像が見られるのは、早くても44年後になるということであった。それが、40光年の「トラピスト-1」の場合は、いかに地球外生命を探すうえで最も可能性が高いとはいえ、時速が光速の20パーセントの探査機で飛んで行っても(それも無事に20年でその探査機の開発が成功すればの話だが)、到達までに要する時間は200年、到達して映像が送られてくる所要時間が片道40年ということになってしまうから、やはり私たちの思慮の及ぶところではない。宇宙の創造主の偉大さの前に、私たちはただ、ひれ伏すしかないように思われる。





    伊勢神宮参拝で起こる奇跡的な現象      (2017.03.22)


 『新樹の通信』(「霊界通信集」A30-33)に新樹氏が霊界の伊勢神宮へ参拝した時の様子を和三郎先生に報告している場面があります。二度目の参拝の折には、守護霊も一緒でした。新樹氏が守護霊に、「何卒天照大御神様の御姿を、ちょっとでも拝ましていただくよう、あなたからお願いしてください」と頼みますと、守護霊は了承して、姿勢を整え、瞑目して祈念をこめます。しばらくすると、お宮の内部の奥の方に天照大御神のお姿が現われました。その時の様子を、新樹氏は、「綺麗といっては失礼かもしれませんが、全く綺麗な、そして気高い女神さんで、お体はあまり大きくないように拝しました。御服装は袖の長い・・・・・ちょうど平袖のような白衣をお召しになり、お腰の辺には、白い紐みたいなものを捲いて、前面で結んでおられました。御手には何も持ってはおられないようで、しかしお頸には、たしか頸飾のようなものを下げておられたようにお見受けしました……」と述べ、「僕はうれしいやら、有り難いやら、また恐れ多いやらで、胸がいっぱいでした」と感激していたことを伝えています。

 この世の伊勢神宮でも、拝殿でお祈りを捧げるとき、奇跡的な現象が起こることがあるようです。ダライラマ法王が伊勢神宮を参拝された時、拝殿の前に垂れている御帳が風もないのにふうっと上がったといわれていますが、小林正観さんも、かつて、霊能者でなくても感謝の気持ちを捧げることで天照大御神は反応を示されることを自分の体験として語っていました。小林さんはもう亡くなられましたが、「私は何百という神社にお参りをし、ありがとうをずっと伝えてきました。その神社、神宮の中で、ありがとうという感謝の言葉、感謝の念に一番大きな反応を示してくださるかたが、どうも天照大神さんのような気がしています」と述べていました。拝殿の御帳に向かって手を合わせて、「ありがとうございます、ありがとうございます」を3分ほど唱えていると、多くの場合、この御帳が90度ぐらい、風もないのに上がって、ずっと向こう側が見えたりもしたのだそうです。

 小林さんの場合は、多くの仲間たちと参拝をくり返していましたので、そのような奇跡的な現象を見た人は600人にもなるそうです。小林さんは、神社・仏閣は、要求・要望をするところではなく、お礼を言いに行くところだと述べていました。そこで、「ありがとう詣で」と称して、毎年、仲間たちとお参りするときには、だれもお願いごとをせず、ただ、お礼だけをくり返してきたのだといいます。小林さんは、「お願い事をせず、有難うございます、とお礼だけを申し上げるというのは、天照大神さんにとっても初めてのことだったかもしれません。それで少し驚いて、さらに喜んで、御帳が上がってしまったのかもしれません。御帳は下のほうが数枚に分かれていますが、このときはまったくひらひらせず、まるで鉄板がそのまま電動で上がっていくかのようでした」などと、書いています。そういうことがあって、多くの人がまた来年も、その次の年もという形で「ありがとう詣で」が続いてきたのだと、述べていました。(小林正観『幸も不幸もないんですよ』マキノ出版、2010、pp.244-247)





   地球上の生命体が滅亡する危険性       (2017.04.05)


 十数年前、宇宙物理学者・ホーキング博士は、東京での講演で、「地球のような高度の文明をもった惑星は宇宙に200万個ほどあろうが、そうした星は、文明の悪影響で、自然の循環が狂って宇宙時間からすると瞬間的に生命は失われてしまうだろう」と言ったことがある。高度の文明を持つ惑星は、ほかならぬその高度の文明の故に瞬間的に滅びてしまう危険性を博士は、このように何度か警告してきた。この「瞬間的」とは、地球時間でいうと、100年くらいと博士は考えているようである。この地球についても、「人為的大災害により地球上の生命体が滅亡する危険性は増え続けている。人為的大災害とは突然勃発する核戦争や、遺伝子操作されたウイルス、またその他の脅威のことだ」と語ったこともあった。

 人間はこの地球で高度の文明を発達させてきたが、その成果とは裏腹に、深刻な過ちも冒してきている。中でも核の問題は根が深く、その脅威は戦争だけに限らない。平和利用と称してもてはやされた原子力発電においてさえ、スリーマイル島やチェルノブイリのような大事故が起きたし、日本でも福島での原発の大事故はいまも深刻な後遺症を残している。フロンガスによるオゾン層の破壊や、硫黄酸化物・窒素酸化物による大気汚染も世界中で進行し、発展途上国の南米や東南アジアの国々における熱帯雨林の伐採や、焼畑農業による潅木の焼失は、自然が持つ大気の浄化能力を著しく低下させてきた。それに追い打ちをかけてきたのが中国、米国をはじめとする先進国の工場や、クルマが吐き出す大量の炭酸ガスがもたらす地球の温暖化であった。長い間この地球上で保たれてきた自然のバランスや動植物の相互依存の生体系は、いま大きく崩れはじめ、世界各地で、自然破壊が元凶と思われる異常気象と、それがもたらす歴史的規模の大災害が現実に起こるようになってきているのである。

 このような地球の危機的背景があるにもかかわらず、最近の新聞記事では、「核兵器禁止条約」交渉に日本が不参加を表明したことや、アメリカのトランプ大統領が目先の利益を追求するために、これまで進められてきた温暖化対策を見直して環境規制緩和へ転換する大統領令に署名したことが大きく紙面に載せられている。それになりふり構わぬ中国の軍備増強、北朝鮮のミサイル発射やさらなる核実験強行の姿勢なども繰り返し報道されるようになった。一方では、中東戦争の余波は衰えず、テロ組織の国際的な広がりの中でシリア内戦は現在も多くの市民に犠牲を強いている。かつてのホーキング博士の警告は、いま、一段と現実味を帯びてきているのは否めない。日本は世界で唯一の被爆国で、広島、長崎の原爆を体験してきた。その日本がトランプ政権に遠慮して、「核兵器禁止条約」交渉に不参加を表明していいものであろうか。温暖化対策の見直しは、確実に人間の生存環境を破壊していくことが十分に分かっているのに、それでも、「世界の温暖化なるものはたわけたデマゴーグでしかない」というトランプ大統領の暴言を看過していいものであろうか。考えさせられることの多い今日この頃である。





   金子みすずの詩の英訳             (2017.04.19)


 金子みすず(1903-1930)は、現在の山口県長門市仙崎で生まれた。書店で働きながら童謡を書き、その優しさと多様性を認める感性が詩人の西城八十に賞賛されたが、家庭的には夫に詩作を禁じられるなど恵まれず、1930年に26歳で自ら命を絶っている。その彼女の作品と生涯を伝える絵本が、昨年9月に米シアトルの出版社から 「ARE YOU AN ECHO? (こだまでしょうか)」というタイトルで出版されたという。(「朝日」2017.03.14夕刊)

 本欄でも「金子みすずの詩を読み返す」(2015.01.26)で、いくつかの詩を取り上げてきたが、そのなかの「私と小鳥と鈴と」は、小学校の国語教科書にも載せられたりして、広く知られているようである。「みんなちがって、みんないい」には共感させられる。

  私が両手をひろげても、
  お空はちっとも飛べないが、
  飛べる小鳥は私のように、
  地面を速く走れない。

  私が体をゆすっても、
  きれいな音はでないけど、
  あの鳴る鈴は私のように、
  たくさんな唄は知らないよ。

  鈴と、小鳥と、それから私、
  みんなちがって、みんないい。

 このような金子みすずの詩は、アメリカでは『星の王子さま』を思わせる作品などと称賛されているらしい。全米英語教師協会が子ども向けに勧める20冊の詩集にも入っているという。編集者は、「国や時代を越え誰の心にも響く。わかりやすい言葉の扉を開けると、おおきな宇宙が見えると感じた」と評した。「アメリカ・ファーストが叫ばれる国で、やさしく相手を思いやるみすずの心が人々に届いたのがうれしい」とも語っている。つぎの「大漁」も、そのような作者の気持ちがよく表れている詩である。

  朝焼け小焼けだ大漁だ
  大羽鰮の大漁だ
  浜はまつりのようだけど
  海のなかでは何万の
  鰮のとむらいするだろう

 詩を英訳するのは楽ではないが、上記の「ARE YOU AN ECHO?」では、この「大漁」は、つぎのように表現されているようである。新聞の記事では、「しみいる英訳」という大きな見出しがつけられていた。

    BIG CATCH
  At sunrise, glorious sunrise
  It’s a big catch!
  A big catch of sardines!
  On the beach, it’s like a festival
  but in the sea, they will hold funerals
  for the tens of thousands dead.





   地球温暖化と生存環境の破壊         (2017.05.11)


 4月26日の朝日新聞夕刊に、ロシア・ヤマル半島に出現した巨大な穴を上空から撮影した写真が掲載されていた。永久凍土が解けて、メタンガスの圧力が地中で高まり爆発したという説があるようだが、広大な大地にえぐられた巨大な穴の状況はショッキングであった。シベリヤなど極地のほか北海道などにもある永久凍土は、土壌の温度0度以下が2年以上続いている状態である。これが解けると、内部のメタンや二酸化炭素が放出され、危険な病原体が出ることなども危ぶまれている。ロシア北極圏の気温は毎年0.12度ずつ上昇しているといわれるが、永久凍土の上に築かれたロシアのいくつかの街では、既に建物崩壊の危機の兆候が出始めているらしい。

 同新聞によると、地球の平均温度が1度あがると、面積約330万平方キロメートルのインドよりも広い、約400万平方キロメートルの永久凍土が溶け出すという試算を、英国、スウェーデン、ノルウェーの研究者がまとめた。対策としては、まず、昨年発効した温暖化対策の国際的な枠組み「パリ協定」を各国が守ることが何よりも重要であると指摘されている。パリ協定は、産業革命前からの地球の平均気温上昇を2度か、できれば1.5度未満に抑えるのが目標とされている。しかし、この2度目標を達成しても、現在の永久凍土の40パーセント以上が減ると推定され、1.5度なら、200万平方キロメートルの凍土が解けるのを防げるという。つまり、パリ協定でさえ、現在の地球温暖化による危機の回避は十分ではないということである。地球温暖化による生存環境の破壊は、じわじわと、しかし確実に進んでいるといってよい。

 地球温暖化による、海面上昇の深刻さもすでに指摘されてきて久しい。北極の氷はこの30年間で100万平方キロメートルも融けてしまったという。これは、ノルウェー、スウェーデン、デンマークをあわせたのと同じくらいの広さになるらしい。現在では、毎年3mm以上の速度での海面上昇が観測されているというが、このままでいくと、今世紀中にメートル単位の海面上昇が起こる可能性があり、その影響は特に、ヴェネツィアなどの海抜が低い都市、オセアニアなどの小さな島国などで、すでに深刻な問題となっている。仮に海面が1m上昇するとマーシャル諸島は国土の80パーセントが沈没し、バングラデシュでは、国土の18パーセントにあたる2万6,000平方キロ、岩手県と青森県を合わせた面積に相当する低地が海中に没するといわれている。東京沿岸部の海抜ゼロメートルに近い一部の地域も危機にさらされることになるであろう。地球温暖化防止に向けての対策に世界中が積極的に取り組まねばならないのは、いまや待ったなしの差し迫った課題である。

 日本でも、温暖化対策の一環として、最近、宅配便の再配達を減らして二酸化炭素の排出を抑える取り組みが始まろうとしている。現在、宅配便の配達は、年間35億7千万個にもなっているらしい。このうち再配達される荷物の割合は23.5パーセントで、それに伴う二酸化炭素の排出量は、年42万トンという。環境省によると、この42万トンの二酸化炭素を植物に吸収してもらおうとすると、JR山手線内の面積の2.5倍の杉林が必要になる計算だそうである(「朝日」2017.4.25夕)。再配達分だけでも42万トンというのは、たいへんな排出量だが、それにしても、私たちの生活に、年間35億個を超える宅配便が本当に必要なのであろうか。宅配便は確かに便利な時もある。しかし、宅配便には、包装から、仕分け、配達などの、労力、時間、エネルギーの余分の浪費がつきまとう。私たちは、自分で歩いていけば簡単に店で買えるものまで、あまりにも安易に宅配便に頼りすぎてはいないだろうか。それよりも、私たちのまわりは大多数の家庭ですでにモノがあふれているのである。買わなくてもいいものまで、惰性的に買いすぎていることはないであろうか。宅配便の問題一つを取り上げてみても、私たちの生活には、自然との調和とバランスからかけ離れた「異常」が増幅されてしまっているように思えてならない。





   12歳の殉教者ルドヴィゴ・茨木の信仰           (2017.05.31)


 もう13年も前になるが、2004年11月に私は、長崎県西端の五島列島を訪れたことがあった。その折に、隠れキリシタンの史跡をいくつか見学して、長崎の西坂の丘の日本二十六聖人記念碑の前にも立った。豊臣秀吉によるバテレン禁止令が出されたのは1587年であったが、その後に続いた江戸幕府による禁教令で、キリシタンは厳しい弾圧を受けるようになっていた。そして、1597年、宣教師や修道士ら26人が、初めてこの長崎西坂の丘で処刑されたのである。26人のうち日本人は20名、スペイン人が4名、メキシコ人、ポルトガル人がそれぞれ1名であった。この殉教者の中にルドヴィゴ茨木という少年がいた。殉教者の中では最年少で12歳であった。

 殉教者たちは、京都で捕縛され、左の耳たぶを切り落とされて、市中引き回しとなった。その後、長崎で処刑せよという命令を受けて、歩いて長崎へ向かうことになった。これが1月10日である。厳冬期の旅を終えて長崎に到着した一行を見た責任者の寺沢半三郎(当時の長崎奉行であった寺沢広高の弟)は、一行の中にわずか12歳の少年ルドヴィコ・茨木がいるのを見て哀れに思い、「キリシタンの教えを棄てればお前の命を助けてやる」とルドヴィコに持ちかけたが、ルドヴィコは毅然としてその申し出を断った。「(この世の)つかの間の命と(天国の)永遠の命を取り替えることはできません」と言ったという。

 当時、日本に滞在していたイエズス会の神父、ルイス・フロイス(1532-1597)は、この事件について詳細にローマに報告している(ルイス・フロイス『日本二十六聖人殉教記』(結城了悟・訳、聖母の騎士社、1997)。それによってこの殉教者たちのことは、西欧諸国でもひろく知られるようになった。上智大学のアルフォンス・デーケンさんはドイツ生まれで、たまたま12歳の子供の頃、教会の図書室で、この長崎の二十六聖人殉教者の話に出会ったらしい。彼の記憶では、このルドヴィコ・茨木は、刑場へ引かれていく途中で一人の侍に、「信仰を捨てなさい。そうすれば赦して頂いて養子にしよう」と言われたが、ルドヴィコ・茨木はその侍に向かって「あなたがクリスチャンになって一緒に天国へいらしてください」と答えた、ということになっている。そのルドヴィコ・茨木との邂逅について、デーケンさんは、司馬遼太郎との対談の中で、つぎのように言っている。

 《私は、日本人は偉い、どうしてそんなことを十二歳の少年が言えるのかと驚きました。そしてさらに十字架につけられてからも、最期まで聖歌をうたい続けていたというのです。もちろん天国に入って永遠の生命に与かるという強い信仰があったからこそ、十字架上で聖歌をうたうこともできたのでしょうが、それにしても、烈しい肉体的な苦痛の中でも、なお心の至福と喜びを味わうことができたという神秘的なパラドックスに触れて、私は大変感動しました・・・・・。不思議なことですが、その時から私は、将来戦争が終わったら必ず一度は日本に行き、ルドヴィコ・茨木の殉教の地長崎を訪れたいと決心しました。三百四十七年前の日本のキリシタン史上に残された十二歳の少年の行動が、はるかなヨーロッパの私にインスピレーションを与えたのです。私はそれまで日本人には一人も会ったことがなかった。ただ本を通して、その中で日本人が私にすごい勇気を与えたのです。》(司馬遼太郎『八人との対話』文春文庫、2000、pp.398-401)

 12歳というのは、いまの小学校の6年生の年齢である。その12歳の時にルドヴィコ・茨木は京都にあったフランシスコ会の修道院で、病人の世話をしていたといわれているが、捕らえられ、耳を切られて激痛に耐えながらも、最後まで信仰を捨てずに毅然として処刑場への道を歩んだ姿は感動的である。処刑当日の1597年2月5日、長崎市内では混乱を避けるために外出禁止令が出されていたにも関わらず、4000人を超える群衆が西坂の丘に集まってきていたと伝えられている。群衆が見守る中、ルドヴィコ・茨木を含む26人が、槍で両脇を刺し貫かれて絶命したのは午前10時頃であった、と記録されている。処刑終了後、彼らの遺骸はローマ・カトリック教会の伝統により多くの人々の手で分けられ、日本で最初の殉教者の遺骸として世界各地に送られて崇敬を受けたという。後に、1862年6月8日、この26人の殉教者は、ローマ教皇ピウス9世によって列聖され、聖人の列に加えられた。





    宇宙の広がりに思いを馳せる        (2017.06.14)


 天の川銀河ともいわれる銀河系は、人類の住む地球・太陽系を含む銀河の名称であるが、かつてはこれが宇宙そのものと考えられていた。しかし、アメリカの天文学者エドウィン・ハッブル(Edwin Hubble, 1889-1953)が、1923年にアンドロメダ星雲を発見して、これが銀河系の外にある別の銀河であることを突き止めて以来、宇宙の広がりは一挙に加速した。現在では、宇宙全体に存在する天の川銀河規模の銀河の数は、およそ1000億個であるといわれている。

 天の川銀河は直径およそ10万光年で、秒速30万キロの光でさえ、天の川銀河の端から端まで渡るのに10万年かかる計算になる。しかし、その大きさでも宇宙全体から見れば銀河集団の1000億分の1であるにすぎない。これらの1000億個の銀河には、それぞれ2000億個ほどの恒星があるといわれている。恒星はいわば星の家族のことで、恒星(親)のもとには、惑星(子ども)があり、衛星(孫たち)も付属している。そうすると宇宙には、星の家族だけで1000億の2000億倍もあることになる。それだけの星々が宇宙空間に浮かんでいるのである。これだけ大きな数字になるともう想像を絶するといわざるを得ないが、一説では、その数は、地球上に存在する砂粒一つ一つを全部を合わせた数よりはるかに多くなるらしい。

 アメリカで、1990年4月にスペースシャトル ディスカバリー号によって打ち上げられたハッブル宇宙望遠鏡によって、この宇宙観測の精度は飛躍的に増進した。この望遠鏡は、長さ13.1メートル、重さ11トンの筒型で、内側に反射望遠鏡を収めている。打ち上げ当初は、直径2.4メートルの主鏡に不具合があって、鮮明な画像を結ばなかったが、1993年12月に打ち上げられたスペースシャトルの宇宙飛行士による修理で奇跡的な回復を成し遂げた。それ以来、数度のスペースシャトルの打ち上げで、近赤外カメラや多天体分光器なども取り付けたりして、驚異的な精度での天体観測が可能になった。

 新しい星の誕生や、古い星が爆発して終焉を迎える状況も鮮明な映像で明らかになった。宇宙誕生直後の130億光年彼方の僅かな光も捉えられるようになり、様々な星までの距離を測ることにより、宇宙が急速に膨張していることも証明されている。この「宇宙の膨張の加速」の研究テーマに対しては、カリフォルニア大学のパールミュッター博士など3人の研究者に、2011年度のノーベル物理学賞が贈られている。膨張している宇宙は、逆にいえば、過去に向かっては収縮していることになる。その収縮の極限がビッグバンで、ビッグバンによる宇宙の始まりが137億年前であることも突き止められた。これがハッブル宇宙望遠鏡の大きな成果の一つであるとされている。

 しかし、この宇宙の膨張は新たな疑問を生み出すことになった。宇宙の膨張を加速させているエネルギーをダークエネルギーと呼ぶらしいが、これは何であるかわかっていない。1000億個もある銀河が宇宙でどのように形成されてきたかというのも未知のままである。その大きな謎を解くためには、ブラックホールの実態が明らかにされなければならないという。ブラックホールは、それぞれの銀河の中心にあることがわかっているが、あまりにも重力が大きく、光でさえそこからは逃げ出すことができない。目には見えないが、ブラックホールの近くの物質の動きを調べることでその存在はわかるらしい。ハッブル宇宙望遠鏡は、質量が太陽の20億倍もあるというブラックホールの存在を銀河M87の中心部で捉えているといわれるが、「太陽の20億倍」などと聞かされても、あまりの巨大さに、私たちには想像もつかない。

 このハッブル宇宙望遠鏡は現在、地球の上空600キロを時速2万7千キロで飛び続けているが、2030年ごろには寿命が尽きるようである。アメリカでは、その後の宇宙望遠鏡として、ハッブル宇宙望遠鏡より3倍の大きさのジェームズ・ウエッブ宇宙望遠鏡を開発中と伝えられている。この新しい宇宙望遠鏡が宇宙の観測を始めるようになれば、宇宙膨張のメカニズムや、ブラックホール、ダークエネルギーなどの実態の解明がさらに進められることが期待されている。しかも、期待されているのはそれらの謎の解明だけではない。たまたま見ていたNHK教育テレビの番組で、アメリカの天文学者の一人が、「私たちは何者であり、生命はどのようにしてこの宇宙に誕生したのか。その答えをこの新しい宇宙望遠鏡が導いてくれるであろう」と言っていたのが、印象的であった。

 ともあれ、私たちは。このような宇宙の中にいま生きている。夜空に見上げる星の数も、1000億の2000億倍以上もあることを知っている。その広大な宇宙のなかでは、私たちが住むこの地球も、砂粒一つにもならないような、可憐な存在であることも教えられてきた。137億年の宇宙の歴史の中では、地球が生まれてからは46億年が経過している。この46億年を一年のカレンダーに置き換えて俯瞰してみると、どのように見えてくるであろうか。まず、1億年前に地球全体が温暖化し始めるのが、1年のカレンダーでは12月24日で、12月25日ごろには恐竜が全盛期を謳歌していることになる。そして、現生人類(新人=ホモ・サピエンス)が誕生したのが12月31日で、時間にすれば 午後11時37分になる。ホモ・エレクトスの一部がアフリカで進化して現生人類 (新人=ホモ・サピエンス)が誕生したのが20万年前であったが、これは1年のカレンダーでは、12月31日の午後午後11時37分にあたる。1年も終わろうとする年の暮れになって、私たちの祖先はやっとこの地上に姿を現した。

 さらに、人類が農耕牧畜を始めたのが1万年前で、これは1年のカレンダーでは、12月31日の午後11時58分52秒にあたる。産業革命が午後11時59分58秒 で、私たちの20世紀が始まり、そして終わったのが、午後11時59分59秒であった。そして、現在の私たちは、1年のカレンダーの中では、大晦日の最後の、その1秒の中で生きていることになる。昔は、日本でも「人生50年」といった。いまでは、「人生100年」に近づきつつある。しかし50年も100年も、宇宙の中では「一瞬」であることにはかわりはない。私たちは、その一瞬をこの地上で生きて、あとは、霊界で生き続けることになるのであろう。霊界で生きるということは、或いは、宇宙で生きるということ、といってもいいのかもしれない。この46億年の地球に生きてきて、やがて137億年の宇宙に私たちは還っていく。しかし、さらにいえば、宇宙は膨張し続けているから、137億年前の宇宙の果ては、その光が地球に届くまでの間に、もう470億光年の彼方に遠ざかっているのだともいわれている。そうすると、私たちは、この小さな、砂粒一つにもならない地球という棲み家から離れる時には、470億光年のひろがりへ移っていくことになる。私たちはみな、その壮大な旅への準備を、峻厳な天の摂理に導かれて、この地上で進めていることになるのであろうか。





   幸せを手に入れるための努力はいらない   (2017.07.14)


 もう17年も前になりますが、このHPの随想(15)で、私は「おばあちゃんの教え」を書きました。当時、山口県の萩女子短大・副学長をしておられた河村とし子さんが、NHKの「こころの時代」という番組で、ご自分のおばあちゃんのことを紹介しているお話です。おばあちゃんは、学校に通ったことはなく読み書きもできませんでしたが、み仏への信仰心が厚い人でした。六人いた息子娘たちのうち、四人までを次々に亡くしていましたが、「私たち浄土真宗のご門徒は、先にお浄土へ還らせていただいた愛しい子供たちとも、お念仏のなかで出おうたり話したりできるから幸せじゃのう」とよく言っていたそうです。

 そのおばあちゃんは、すべてのものに有り難いと感謝して拝んでいるような人でした。朝、目を覚ましても、「ああ、今日も目が見えてくださる。手が上がってくださる。足が動いてくださる。有り難いことじゃのう」と何度もひとりごとのように繰り返していたといいます。おばあちゃんのその時の年齢を超えている私は、そのことをいまよく思い出します。また、仏教の教えには「求不得苦」ということばがありますが、それをおばあちゃんは、「無いもんを欲しがらんで、有るもんを喜こばしてもらおうよのう」という言い方をしていました。そのうえで、人に対してはいつも穏やかに、にこにこと笑顔を絶やさなかったと、河村さんは述懐しています。私は、おばあちゃんの、「無いものを欲しがらないで、あるものに感謝しよう」というこのことばも、よく思い出すことがあります。

 私たちは、自分が持っていないもの、足りないものを次から次へと頭に描いて、それらを手に入れることが幸せなんだ、と思いがちです。しかし、本当は、おばあちゃんが言っていたように、すでに持っているものにまず感謝することが、幸せへの第一歩なのかもしれません。目が見えて、耳が聞こえて、歩くこともできる。食べるものがあり、寝るところがあり、体が不自由ではないということだけでも、本当は、たいへん幸せなことなのでしょう。小林正観さんには、『幸も不幸もないんですよ』(マキノ出版、2010)という本がありますが、その中にも、小林さんが、この身の回りの、すでに「有る」幸せについて述べている件があります。すでに有るものを幸せだと思えば、幸せを手に入れようとする努力はいらないというのです。それを、小林さんは、こう書いています。

 「例えば、宅配便の人が今日物を届けてくれた、これも幸せの一つです。郵便局の人が手紙を届けてくれた、これも幸せの一つです。テレビの電源を入れたら、番組表の予定どおり番組がやっていた、これも喜びと幸せの一つでしょう。国によっては地域によっては、電源を押してもテレビが映らないところもあり、電波が乱れるところもあり、思うように画像が映らない、音が出ないというところもあるのです」――このように見ていきますと、なるほど、私たちの身の回りには、幸せが無数にあることがわかります。テレビどころか、電気や水道さえ通っていないようなところが、世界中には決して珍しくはありません。小林さんは、さらにこう続けています。

 《すでにいただいている9990個のものに、私たちはただ気がつけばよいのです。手に入れる必要はありません。すでにもう手に入っているのですから、手に入れようとする努力はいらないのです。すでにいただいているものに対して、ただ気がつくこと。自分がとても恵まれていることに、気がつくこと。それに気がついたら、毎日1個ずつ、あるいは毎日10個ずつ感謝をしていったとしでも、9990個に感謝し終わるにはずいぶんと時間がかかります。足りないものを挙げ連ねるよりも、恵まれていることを挙げ連ねていって、それを数え上げるはうがはるかに楽しくて幸せです。》 (同書、pp.280-282)





    古代のエルサレムへの遥かな想い         (2017.07.28)


  もう何年も前になるが、高い霊能力をもつ知人のTさんから、「一度エルサレムへ行かれたらいかがですか」と言われたことがあった。私は、イスラエルのエルサレムへは行ったことがなかった。その後も気になっているうちに機会を逸して、いまはもう体力も衰えているから、海外渡航も無理である。Tさんが、エルサレムへ行くことを私に勧めたのは、およそ2千年前、ポンテオ・ピラトがローマ帝国の第5代ユダヤ属州総督としてエルサレムに君臨していたころ、Tさんも私も、エルサレムに住んでいたことがあるから、という理由であった。Tさんは、いくつもの過去生を詳細に思い出すことができる稀有の才能を持っている。

 Tさんによれば、当時のエルサレムでは、彼はロバを引いて日用雑貨を売って歩いていた。何年も行商を続けて、2千年前のエルサレムの街の詳細はいまも頭の中にある。何年か前にTさんがエルサレムを訪れた時には、地元の人たちも知らない昔の街の道路の状況などをいろいろと話して案内者を驚かせたという。前世のTさんは、日用雑貨を行商する許可を得るために、ピラトの居る総督府にも出かけたことがあったが、その総督府には前世の私が居て、今でいう司法長官のような役職であったらしい。Tさんは、私と直接話し合ったことはなかったというが、私が、厳格で「融通の利かない」性格であることは、街のうわさ話として耳に入っていた。

 私は霊感は鈍い方だから、そういうことをTさんから聞かされても、何も感じることはない。ただ、エルサレムへ出かければ、もしかしたら、少しは懐かしいような感情が湧き出ることがあるのかもしれない、と思ったくらいである。Tさんは、エルサレムの街は隅々まで歩き回っていて、当時は、たまたまエルサレムへ来ていたイエスの説教も聞いたことがあるという。人々が大勢集まり始めているので、自分もついて行ってみたら、イエスの説教の場面に遭遇した。「あんなことを言っていたら、いまに大祭司カヤバ一派の反感を買い、捕らわれてしまうのではないか」と思ったそうである。やがてその危惧は現実となって、イエスは捕らえられ、カヤバの官邸へ連れていかれた。

 このTさんからの前世の話は、世間では荒唐無稽な妄想として一笑に付されるかもしれないが、もちろん彼が根拠もなくいい加減な創作をしているわけではない。それだけに、彼から聞かされて私が気になっていたのは、大祭司カヤバの訴えを受けて、総督のポンテオ・ピラトがイエス・キリストの処刑に関わっていたことである。聖書などによれば、彼はイエスの無罪を知りながら、無知な大衆を満足させるために不当な死刑判決を認めたことになっている。Tさんの言うように、当時の私がもし彼の下で「法務長官」を務めていたのであれば、おそらく私もイエスの逮捕から処刑に至る状況についても何も知らなかったはずはなかったであろう。私はいまでも、そのことを考えるたびに、何か後ろめたい、複雑な気持ちにさせられてしまうのである。





    世界幸福度ランキング         (2017.08.16)


 豊かさの度合いを示すものとして、よくGDPが取り上げられる。GDP (国内総生産)とは、国内の生産活動による商品・サービスの産出額から原材料などの中間投入額を控除した付加価値の総額である。これを2016年度の数字で世界の国別にランキングした表では、世界1はアメリカで、18兆5691ドルである。2位は中国で、11兆2182億ドル。日本は、4兆9386億ドルで、アメリカ、中国に次いで世界3位である。このように、アメリカは世界一の経済大国で、中国と日本も、世界の経済大国といってよい。しかし、これを一人当たりのGDPに換算してみると、様相が変わってくる。世界1はルクセンブルクで、103,198ドル、2位は、スイスの79,242ドル、3位はノルウェーの70,391ドルである。以下、4位、マカオの67,079ドル、5位、アイルランドの62,562ドルと続く。

  GDP1位のアメリカの人口は、約3億1905万人で、国内総生産をこの数字で割ると、一人当たりのGDPは、57,436ドルになる。これは世界では8位である。中国は人口約13億6782万人で世界一多い。だから一人当たりにすると8,113ドルに下がって、世界のなかでは73位になる。日本は人口約1億2706万人である。GDPは一人当たり38,917ドルで世界22位となっている。世間では、人間の幸福度は、しばしば、資産の多寡で考えられる傾向があるから、こういう経済指標はその幸福度を測るうえでの有力な根拠にされることも少なくはない。これに対して、このような数字とは別に、それぞれの国の国民が主観的に、「自分が幸福と思っているかどうか」だけを基準にして、幸福度をランキングした調査がある。NHKテレビ「これでわかった! 世界のいま――世界幸福度ランキング」(2017.04.02)は、そのような調査を伝えた番組であった。

 この番組によると、「あなたは幸せですか」と聞いてまわって、「幸せ」と答えた人の割合から「不幸」と答えた人の割合を差し引いて、幸福度を割り出しているのだそうだが、毎年、その調査が世界中で行なわれているらしい。その結果、昨年度(2016年)で1位、今年度は2位と、常に1、2位に挙げられるのが、南米のコロンビアである。因みに、今年度(2017年)の幸福度1位は、フィジーであった。フィジー共和国は、オセアニアの国家で、南太平洋のフィジー諸島と北に500km程離れた保護領のロツマ島に位置する300余の火山島と珊瑚礁からなる島国である。幸福度が1位であっても、2016年度のGDPは、46億4000万ドルで、世界190か国中では150位であった。一人当たりのGDPに換算すると95位で、5,181ドルだけである。幸福度2位のコロンビアは、GDPが28億2360万ドルで世界43位、一人当たりでは、5,792ドルで世界89位であるにすぎない。

 中南米のコロンビアは、しかも、治安は悪く、殺人、麻薬、誘拐、爆発事件などが多発する。アメリカで摘発されるコカインなどの麻薬の95パーセントはコロンビア産で、殺人では、日本の100倍もの発生率というから、他は推して知るべしであろう。ただ、国民性はもともと底抜けに明るい。約4,900万人の人々が日本の3倍くらいの国土に住んでいて、中南米のなかでも最も移民の多い国である。しかし、移民はみなアミーゴ(友だち)として受け入れられ、偏見や差別はない。世界で最もお祭りの多い国としても知られ、ミス・コロンビアを選ぶ美人コンテストなどでは、国中をあげて熱狂する。お祭りの間は、殺人や誘拐は起こらないともいわれているらしい。それにしても、これほど治安が良くない国で、なぜ幸福度が世界1、2になるのであろうか。

 テレビ番組では、コロンビアの首都、ボゴタに住む、ダニエル・モヤさんの家を訪問した時のことを映しだしていた。モヤさんは、50代とみえる男性で、妻と子供3人の5人家族である。それに、親戚の子や孫たちも集まって部屋の中は乱雑でありながら賑やかで、明るい。住んでいるのも、日本では「あばら家」としかいえないような粗末な家である。段ボールや廃材を回収してまわって、それらを売って生計を立てているが、収入は月3万円ほどで、コロンビアでも最低賃金レベルであるという。そのモヤさんが言う。「通りからごみを無くす仕事をしていて、皆が満足してくれることに喜びを感じます。」 モヤさんの奥さんも大勢の子供たちに囲まれて、「家族が集まるとき、家族が分かち合うとき、それが私たちの幸せになるのです」と言っていた。街の人の声を聞いても、家族の絆を大切にし、大勢の友人たちと賑やかに過ごすことに楽しみと幸せを感じているようであった。

 ところで、この世界幸福度ランキングでは、世界一の経済大国アメリカのランキングは、69か国中、34位であった。GDP世界第二の経済大国の中国は、フィリッピンと共に、幸福度第3位。しかし、同じ中国でも、一国二制度のもとに自由経済を認められている香港などは、近頃は中国本土からの締め付けが強まり、将来に希望が持てないという理由で、69か国中68位に落ちてしまっている。そして3番目の経済大国・日本の幸福度は、世界で26位である。この幸福度ランキングで、日本より上位の国々は、インドネシア・ベトナム(5位)、アルゼンチン・メキシコ(11位)、パキスタン(13位)、エクアドル・アイスランド・モンゴル(14位)、ペルー(17位)、タイ(18位)、ポーランド(20位)、オーストリア・ブラジル(21位)などが並んでいる。さらに、日本より下位の国々では、上記アメリカ(34位)に続いて、イギリス(36位)、ベルギー・ドイツ(38位)、オーストラリア・ウクライナ(43位)、フランス(45位)、チェコ・韓国(50位)、フィンランド・イタリア(53位)、イラン・トルコ(64位)と続き、最低は、いまも紛争の渦中にあるイラクの69位である。

 幸せとは何か、どのような人が幸せなのか、を考える場合、社会・経済的基盤や金銭だけでは、幸福度は測れないことを、これらの数字は示している。「人は思った通りになる」というが、やはり、本当に幸福な人とは、自分が幸福だと思っている人のことなのだ、と考えていいのかもしれない。





    霊魂の存在について否定的な僧侶たち   (2017.08.31)


 むかし、立命館大学・国際平和ミュージアム館長で超自然現象を批判的に研究する「ジャパン・スケプティクス」という会の会長でもあった安斎育郎氏が、京都周辺の仏教各派に対して霊魂の有無について照会したことがあった。いろいろな宗派から返事が返ってきたが、それによると、「霊は存在しない」(仏光寺・浄土真宗)から、「霊は実体を持った存在」(金剛峰寺・真言宗、延暦寺・天台宗)まで、大きな差があることがわかった。同じ真言宗系の寺院でも、「霊は実体を持った存在」、「霊は観念であって実体ではない」、「霊は存在しない」など多様性が見られたという。(「朝日」2000.09.13)

 このなかで、「霊は存在しない」と主張する浄土真宗・仏光寺の僧侶とは、上記「ジャパン・スケプティクス」の会員で工学博士でもある日野英宣氏である。日野氏は、「霊魂とは、煩悩が生む妄念妄想にすぎない。その作用は、自分自身が原因なのに霊に責任を転嫁する、未知への不安を霊に託して安心する、脅迫や報復の手段として悪用する、の三つに分類できる」とする。そして、「釈尊自身は、古代インドの輪廻転生観や霊魂存在説を否定されたが、その後、さまざまにねじ曲げられた。ブッダとは目覚めた人の意味であり、本来の仏教はそうした妄想からの自由を目指している」 とも述べている。

 安斎氏は、「結局、霊に関する見解は多様で、十三宗百四十派を超えるといわれる日本の仏教では、どの宗派のどの僧侶に出会うかによって、霊に関する理解に大きな差が生じることが示された」と述べている。そして、「たたり」についても、「あるはずがない」から「人間は前世における業の報いを受けて生きる」まで宗派の見解がいろいろと分かれていることを紹介した後、「仏教界はこの混乱をどう見るか?」と、問題を提起していた。 この「混乱」の状況は、おそらく今も変わっていないだろう。私たちが、寺院の僧侶からの、「霊魂はない」とか「仏陀は霊魂の存在を認めていなかった」などの見解を読んだり聞いたりすることは、最近でも決して珍しいことではない。宗派により、僧侶によって違いはあるが、なぜ僧侶が霊魂を否定するのであろうか。

 明治維新までの日本仏教では、一般に霊魂はあるという考え方であったといってよいであろう。しかし、近代化が進んでいくにつれて、欧米の科学的な方法論を取り入れた「仏教学」が導入されるようになると、霊魂はないとか、仏陀もその存在を否定したというような「学説」が現れてくるようになる。現在の大学仏教学部でも、将来の僧侶候補者たちに、そのように教えているらしい。だから若い僧侶が、「霊魂なんてものはありません」と言ったりする。先祖代々持ち続けてきた一般庶民の信仰がゆらぎ、お寺からも離れていく傾向が出始めたのは、そのためもあるかもしれない。

 宗教学者の正木晃氏によれば、仏陀は霊魂の存在を認めていなかったという説は、「無我説」とか「非我説」とよばれる仏陀の教えが曲解されたものだという。本来、これが自分だとか、自分のものとして把握できるものは何もないという意味であったものが、近代合理主義に立脚しようとする宗教哲学者たちによって、霊魂の否定にまで拡大解釈されてしまったものであるらしい。(正木晃『いま知っておきたい霊魂のこと』(NHK出版、2013、pp.110-111) 学問の目的である「真理探究」は、あくまでも科学で立証できることが前提である。つまり、科学で立証できないものは真理ではない。だから、大学で教える「仏教学」などでも、霊魂の存在などは容認できないのである。しかし、「霊的真理」はもともと科学的に立証できるのではない。仏教についても、近代合理主義のなかで把握しようとするのは、根本的に間違っているのではないか。





   「便利すぎる社会」についてのアンケート    (2017.09.21)


 「いま自分が暮らしているのは『便利すぎる社会』だと思うことがありますか?」というアンケートの結果が「朝日新聞」(2017.09.10)に出ていました。そのアンケートでは、男性で「よくある」と答えている人が63.5パーセント、「たまにある」と答えている人が18.0パーセントで、この二つを合わせると、81.5パーセントの人々が、今の日本を「便利すぎる社会」だと考えていることになります。「まったくない」と答えた人は、18.5パーセントでした。女性では、「よくある」が71.9パーセント、「たまにある」が8.8パーセントで、「まったくない」が9.4パーセントで、合計90.7パーセントの人々が、「便利すぎる社会」だと考える傾向にあるようです。

 この傾向に対して、ある50代の女性は、「便利すぎると思う。東京でコンビニ店長をしている今、サービスは日々増え、物も、情報も増え、選択肢も増え、時間は24時間変わらず。ストレス社会は犯罪など負を生むから、もっと、ゆったりとした時間が流れるようになればよいのになと、思います」という感想を述べています。「人間本来の考えたり、手足を動かす機会を徐々に減らしてきているように思う・・・・人類は便利さを追求することで、自らの能力を使い磨かず、退化の道を歩んでいくと思います」と書いた60代男性もいました。牧場を経営している40代の男性からは、「時々小学校の子供たちを受け入れるのですが、『コーヒー牛乳を出す牛はどれですか?』なんていう質問がでたりします。動かなくなったカブト虫を見て『電池が切れている』と言ったりするのを見るにつけ、世の中、便利すぎていないかな、と思ってしまう」という感想も寄せられていました。

 このアンケートで、私が少し驚いたのは、「むしろ日本は不便」という意見があることでした。「海外に住んでいればいかに日本が“不便”であるかがわかる。お粗末なATMサービス(24時間利用できない、外国のカードはセブンイレブンなどを除いて使えない)、デビットカードが普及していない、役所などのいまだにオンラインではない申請など、いくつかの基本的な点において日本は非常に不便な最後進国である」と「海外、40代男性」が書いています。おそらくこの人は、アメリカの大都会に住んでいるのでしょう。確かにアメリカは、コンビニでもATMなどでも日本より一歩先に進んできました。しかし、少なくとも私の体験では、アメリカに較べても「日本は非常に不便な最後進国」とは思えません。この男性は、さらに、「もう少し日本の外に出て、もっと多くの日本人が日本の不便な点も認識できるようになるべきである」とまで言っているのですが、もしかしたら、これは、海外体験が浅い人の気負いかな、と思ったりしました。

 アメリカの都会は犯罪が多いので、ATMには常に監視の目が光っていますし、コンビニのレジには防御用のピストルを忍ばせたり、戸外の自動販売機などは、頑丈な鉄の檻で囲ったりします。ヨーロッパ諸国などでも、コンビニや自動販売機などは、日本に較べてもかなり少ないのではないでしょうか。イギリスのロンドンや地方都市などでは、自動販売機などはあまり目につきません。看板でさえ出さないことも多いくらいですから、自動販売機を目立つように戸外に設置する感覚はイギリス人にはないようです。彼らには、一般に、便利なことが必ずしもいいことだとは思っていないようなところがあります。ロンドンのタクシーが、いまだに自動ドアをつけていないのもその一例です。手で開ければいいものをなぜわざわざ自動にしなければならないのかと、彼らは思っているのかもしれません。






がんで亡くなった僧侶のありのままの最後      (2017.10.11)


 一昨年の暮れの「寸感・短信」欄に、「ある末期がん患者の僧侶のことばを考える」(2015.12.30)という小文を書きました。栃木県益子町の真言宗豊山派・西明寺住職で、内科医でもある田中雅弘氏のインタビュー記事を紹介したものです。田中氏は、深刻な膵臓がんを手術したのですが、今度は肝臓に転移して、「来年3月の誕生日を迎えられる確率は非常に小さい。もう少しで死ぬという事実を直視しています」と、その当時、話していました。僧として医師として、ずっと死の問題については考えてきたのだから、「自身の死も怖くはないのでは」とインタビューの記者が訊きますと、「そんなことはありません。生きていられるのなら、生きていたいと思いますよ。私には、あの世があるかどうかは分かりません。自分のいのちがなくなるというのは、やはり苦しみを感じますね」と、当時の氏は答えています。

 私は、僧職にある人が、自分の死や「あの世」についてこのような答え方をするのには同調できません。その時の本欄にも、「こんな場合、例えばシルバー・バーチのことば一つにでも接することができていれば、言い方が少しは変わってきて、希望の光が差し込んでくるのではないかと思われるのに、なぜそうはならないのでしょうか」と書きました。「シルバー・バーチの教えについては、世界中でおそらく何百万人の人びとが、少なくともその真理の一端には触れてきました。しかしその一方では、まだまだ圧倒的多数の人びとは、『人は死んでも死なない。いのちは永遠である』という極めて単純な、しかし重大な真理一つをも受け留めることができないでいるというのは、どういうことであろうとつい考えてしまうのです」とも書いています。

 実は、私はこの小文を書いた後、田中雅弘氏宛に長い手紙を出しています。あの世があるかどうか分からず、死ぬことに苦しみを感じている、と述べておられる田中氏に、差し出がましいようでも「死後の生」について私の学んできたことの一端をお伝えしたいと思ったからでした。田中氏は、新聞のインタビューのなかで、死にゆく苦しみを「いのちの苦」として捉え、「体の痛みを止める医師が必要であるのと同じように、『いのちの苦』の専門家が必要です。それが殆どいないのは日本の医療の欠陥だと思います」と語っていました。そのような「いのちの苦」が、私の手紙で少しでも軽くなればと、祈るような気持でした。田中氏はこの手紙を読んでくれたと思います。しかし、返事は来ませんでした。

 それから1年半以上を経て、先日、私はNHKテレビで、「ありのままの最後― 末期がんの“看取りの医師”― 死までの450日」(2017.09.18. 再放送10.08.)を観ました。全国放送でしたからご覧になった方も多いと思います。それが、田中雅弘氏の最後までの記録でした。私が田中氏へ手紙を出したころ、田中氏はNHK取材班に自分が死ぬまでの日々を葬式を含めて映像にすることを了承し、撮影が開始されていたのです。田中さんは、医師として、また僧侶として、1000人以上の死を看取ってきた”看取り“のスペシャリストです。取材を申し込んだNHKのディレクターは、「看取りのプロがどんな死を迎えるのか知りたかった」と言っています。「究極の理想の死」を見届けるという意気込みであったようです。しかし、目の前で苦しみ続ける田中氏を見て、「目にしたのは、私の想像とは大きくかけ離れたものだった」と述懐していました。

 田中氏ががんと闘っている間に、私の手紙のことを思い出してくれたことがあったかどうか、それはわかりません。ただ、自分のがんが進行しても、同じがん患者に向き合っている時には、医師として患者の苦痛を和らげ、僧侶として患者の話に耳を傾け、死の恐怖を取り除いていくことを目指していたようです。氏は、「死ぬのが怖いという精神的な苦しみは、自分への執着を捨てることで軽減される」と常に説いていたといわれます。この番組では「誰にも相手にされなかったらこんなに寂しいことはない。話を聞いてもらえるだけでも患者は有り難いと思い満足する」と語って「傾聴」の大切さを説いていましたが、しかし、迫りくる死に直面している人々が、それだけで死の恐怖から少しでも免れ、心が安らいでいくものでしょうか。そのような氏の“看取り”のなかでは、私が手紙で書いたような「死後の生」のようなことばは、遂に一言も出なかったようです。氏自身が「分からない」と言っているわけですから、これは当然であったかもしれません。そして田中氏は、今年、2017年の2月中旬から、急速に病状が悪化して苦しむようになります。

 田中氏は、死期が迫っているのを悟って、自分と同じように医者で僧侶でもある奥さんの貞雅さんに、DNR(苦痛を抑えるための麻酔薬で意識を低下させ眠り続けさせる処置)を頼むのですが、奥さんは、「本人は心の中のどこかでまだ諦めていない気持ちもあるのではないか」と考え、DNR措置を遅らせていました。一日でも長く生きていてほしいと懸命の看病を続けていましたが、医者としては、或いは奥さんの心情としてはそれは当然であったかもしれません。意識が混濁して、ことばももつれてくるなかで、田中さんは、やっと、「眠らせてください。死にたいです」と、途切れ途切れに意思を伝えます。やがて、奥さんは、娘さんで同じく医師の麻香さんの意見も聞いたうえで、DNR措置に踏み切りました。そして、田中さんは眠ったまま、穏やかな顔で3月21日に亡くなられたのです。享年70歳でした。

 この”看取りのスペシャリスト”といわれた田中雅弘氏の死までの日々を記録した51分の番組では、生前の田中氏のことばによって、葬儀の模様や火葬後の白骨までも映し出されていましたが、死後への展望を示唆するようなことばや場面は一つもありませんでした。ご覧になった方々には、或いは、がんの苦しみと死の恐ろしさだけが強く印象付けられたかもしれません。番組の最後で、NHK記者は、「田中さんが教えてくれたことは、理想の死は最初からなかったということではないか。死はきれいごとではない。人は一人で生きてはいけない。だから一人では死ねないということだ」と述べていました。おそらく、この記者も、ほかに言い表す適切なことばがなかったのでしょう。しかし、田中氏のご冥福を祈りながらも、一方では、一人の人間のありのままの死を記録した450日間の映像が、このような無味乾燥で不毛なことばだけで終わってしまっているのをみていますと、私にはやはり、何か一つ、大切な真実のことばが欠けているのではないかという空しさだけが残るような気がしてなりませんでした。






  テレビに出演したアメリカの霊能力者        (2017.10.25)


 2か月前に放映されたフジテレビの番組「奇跡の霊能力者」(2017.08.24)を録画しておいたものを見直してみました。アメリカ・ニューヨークに在住のローラ・ジャクソンさんという霊能者をフジテレビが招いて、スタジオで何人かの出演者を相手に、霊界との通信を「実演」した番組です。ジャクソンさんは、45歳で、3児の母です。かつて高校の英語教師を勤めていましたが、当時は「死者」と話をしたい人などいないと思っていたものですから、自分が死者と対話できる霊能者であることは秘密にしていたと言っていました。でも、その後、大切な家族を亡くした人が「前へ進めるように」、自分の霊能力が少しでも手助けになるのであれば、と考えてリーディングを始めるようになったのだそうです。

 テレビでは、取材班がわざわざニューヨークまで出かけて、ジャクソンさんのリーディングの様子などを映し出していました。彼女がリーディングをする時には、相手の頭の上にテレビのスクリーンのようなものが見えてきて、そのスクリーンの上に、向こう側からのメッセージがイメージとなって現れるのだそうです。音なども聞こえるし、死者からのことばや名前が直接聞こえることもあるので、聞こえたままを伝えているだけだと言っていました。ニューヨークでは、男女3人の前で、実際に霊界にいる家族の名前や、家族だけしか知らないメッセージなどが伝えられて、それを聞いた人が泣き出す場面なども出ています。テレビでは、「この人知を超えた能力をどう捉えればよいのか」というようなコメントをつけていました。

 このジャクソンさんが日本へやって来て、フジテレビのスタジオで、何人かの出演者たちを相手にリーディングをしている場面もあります。長野県の68歳の女性Sさんは、2年前に夫を肝不全で亡くしていました。ジャクソンさんは彼女に向かって、「ご主人との間にお子さんは二人いますね」と言いますと、Sさんは怪訝な顔をしました。子どもは一人だったからです。ジャクソンさんが「彼によると、一人はあなたと居て、もう一人は彼と一緒にいる」と伝えました。つまり、一人は流産していたのです。Sさんは泣き出しました。流産したことまでは知られていないと思っていたからでしょう。スタジオでは、「タレント」のDさんやTさんにもリーディングは行われましたが、Dさんの親友が、子どもの頃、川で溺れようとしている友だちを助けようとして自身が溺れ死んだことや、Tさんの祖母が糖尿病で歩けないでいること、などを正確に言い当てていました。

 私は、長い間、東京やロンドンで、数多くの霊能者から何回もリーディングを受けてきましたから、このようなテレビ番組を見ても、特に驚くことはありません。ロンドンの大英心霊協会での公認ミディアムの大半は、このジャクソンさんレベルの霊能力をもっていますし、私が何度も触れてきたアン・ターナーのように、指導霊から導かれて、「逢うべくして逢った」霊能力者もいました。霊能力者も、金銭目当ての「自称・霊能力者」は論外としても、いろいろな人がいますから、霊界からの情報を伝える伝え方も、それぞれに違います。ジャクソンさんは、自分の子どもが、「今日は宿題がないから」とウソをついて遊んでいても、それをすぐ見破れるそうですし、ご主人が、会社の帰りに「無断で」何処かへ寄り道しても、今どこにいるかがわかる、というようなことも言っていますが、これは少し、特異かもしれません。霊能力を売りものにしたり興味本位に取り扱ってはなりませんが、この画面でも、人々がこころを癒され、涙を流している姿を見ていますと、このようなテレビ番組にも、それなりに意味があるように思えました。






   タブー視されるようになった人の死    (2017.11.15)


 勝海舟、高橋泥舟とともに「幕末の三舟」と称される山岡鉄舟は、明治21年(1888年)に胃がんで死去した。享年53歳であった。死ぬ前には、大勢の見舞い客が訪れ、勝海舟も来て、鉄舟と交わした最後のことばが、こう記録されている。

 海舟「いよいよご臨終と聞き及んだが、ご感懐はいかがかな」
 鉄舟「現世での用事が済んだので、お先に参ることにいたす」
 海舟「さようか、ならば心静かに参られよ」

 これは、医師の大津秀一氏が、『死ぬ時に人はどうなる』(致知出版社、2010)のなかで紹介している鉄舟の死にざまである。大津氏は、これを100年くらい前までは人々が「死をタブー視しない姿勢」を持っていた例として取り上げているのであるが、第二次世界大戦が終わった頃から、徐々に人々は、死をタブー視するようになっていった。「人類史上最高の繁栄を手にして、戦火や疫病で若死にすることもなく、日本では出産後間もなく嬰児が亡くなることも非常に少なくなり、多くの人が寿命を全うするようになり、死は人々の日常から遠ざかった。死は豊かな人生に終わりを告げる不幸なものとなり、非日常であり、忌むべきものとなった」と大津氏は述べている。

 昔は日本でも、人々が自宅で家族に見守られながら死んでいくのが普通であった。これが、1970年代になると、病院や診療所で死を迎える割合が自宅での死を上回るようになり、厚生労働省の「人口動態調査」によれば、2014年の時点では、病院死が75.2パーセントになっている。これに対し、在宅死の割合は、グループホームやサービス付き高齢者住宅で亡くなる人を含めても、12.8パーセントであるにすぎない。このような傾向が、死を「非日常であり、忌むべきもの」にしている原因の一つなっているのであろう。

 大津氏は、しかし、「在宅医療の一翼を担っていた身としては、在宅での死は『タブー視される死』ばかりではなくなっているとも思う」という。病院という異空間ではなく、生活空間に死を取り戻すことで、死はまた『飼いならされてくる』かもしれない」と、昔のように、死をタブー視しないあり方に戻っていくことを期待しているようである。そうなるのは望ましいが果たしてそのようになっていくであろうか。霊的真理の観点からみれば、「死は第二の誕生」で、死をタブー視しないのは当たり前のことであるが、物質的な繁栄が進んでこころが置き去りにされているような社会の風潮の中では、なかなかこの死の真実に人々が気が付くのは容易ではないようである。






   本当の幸せは心のなかにある        (2017.11.29)


 人間の幸福な生き方について、私は、「もともと、幸福とか不幸とはないのであって、あるのは幸福と思っている人と不幸と思っている人だけである」というような言い方をしてきました。多くの資産があるから幸福で、持っている金銭が少ないと不幸なのではない、とも言ってきました。小林正観さんは2011年に62歳で亡くなられましたが、彼の書いた本の中にも、『幸も不幸もないんですよ』(マキノ出版、2010)というのがあります。その本のなかで、小林さんは、「社会全体が足りないものを挙げ連ねて、それを手に入れなければ、幸せだと思ってはいけない。手に入らないうちは、ずっと不幸なのだということになっていました」という書きかたをしています。そして、逆に、「足りないものが手に入ったら幸せだと思ってよし、という価値観に染まっているはずでした」と続けています。

 これはおそらくその通りでしょう。ところが、小林さんは、「社会全体がそういう幸せ論、そういう不幸論を教え込んだにもかかわらず、1パーセントの人は違う価値観で、違う幸せを見つけ出してしまいました」と言っています。小林さんによれば、その1パーセントの人たちというのは、「病気になったり、事故に遭ったり、災難・トラブルに巻き込まれた経験のある人たち」です。「この経験をもとにして、病気をした人、事故に遭った人、災難・トラブルに巻き込まれたことのある人というのは、何もない平穏な日々の積み重ねが、どれほどありがたくて幸せであるかということに、体験的に気がついてしまったのです」と、小林さんは述べて、こう続けています。

 普通に朝が来る。そして、そこには湯気の立ったみそ汁があって、湯気の立ったごはんがあって、納豆があり、たくあんがあり、幸子明太子がある、梅干しがある。そのような普通の朝食を取り、普通に電車に揺られ、普通に会社に着き、普通に仕事をし、同僚と冗談を言い合いながら笑い、おいしいコーヒーを飲み、そして、夕方になって帰ってくる。
 幸せとは、自分の心の中に、ただそれに気がつくところにあるのだということを知ってしまった人たちが、1パーセント存在するのです。すべてのことはあたりまえではないのです。すべてのことはすばらしくありがたいことなのだ、と気がついたら、そこには山ほど幸せが転がっています。どれほど数えても数え切れないほど幸せが転がっています。(同書、p.285)

 私は、たまたま、先週の「折々の言葉」欄で、老子の「足るを知る者は富む」を紹介しました。「知足の人は大地に寝ても、安らかである。知足でない人は、天界に住んでも満足しないし、また、富裕であっても、その心は貧しい」という仏典のことばも引用しています。無いものを欲しがったりしないで、有るものに感謝することが幸せな生き方の第一歩であることも書きました。同じことを小林さんも、「幸せというのは足りないものを挙げ連ねて、それを手に入れるものというふうに思っていでもかまわないのですが、もう一つの、すでに自分がいただいているものに気がつき、それに幸せを感じ感謝をすること。そこに、膨大なる幸せと膨大なる感謝の世界が広がっています」と付け加えて、氏の幸せ論を締めくくっていました。






  ブッダの教えを伝える番組を見て考える      (2017.12.27)


 「ブッダ最後の旅に学ぶ」というNHK教育テレビの番組がありました。ブッダがマガダ国の霊鷲山(王舎城)を出て北へ向かい、ガンジス川を渡ってヴェーサーリーの町までやってきます。そこでブッダは病気になり、その後亡くなるのですが、そのために、このヴェーサーリーの町でのブッダの説教が、「大パリニッバーナ経」に遺言のように記録されているのだといいます。この番組の2回目(2017.11.19)で、講師の東大大学院教授・丸井浩氏が、その中のつぎのような話を紹介していました。ヴェーサーリーの町の様子を見てきたアーナンダが、仏陀に問いかけます。

 《尊い方よ、サールハという名の修行僧がナーディカで亡くなりました。
 かれの行きつくところは何でしょうか。かれはどこにおもむいたのでしょうか。
 尊い方よ、ナンダーという名の尼僧が亡くなりました。
 かの女の行きつくところは何でしょうか。かの女はどこにおもむいたのでしょうか。
 尊い方よ、スダッタという在俗信者がナーディカで亡くなりました。
 かれの行きつくところは何でしょうか・・・・・・》

 アーナンダは、このようにして全部で12人の死亡者の名前をあげて、ブッダに訊いたのです。それに対して、ブッダは、こう答えました。

 《アーナンダよ、修行者サールハは、諸々の汚れが消滅したが故に、すでに現世において汚れのない「心の解脱」「智慧による解脱」をみずから知り、体得していました。
 アーナンダよ、尼僧ナンターは、ひとを下界に結びつける五つの束縛を滅ぼしつくしたので、ひとりでに生まれて、そこでニルヴァーナ(涅槃)に入り、その世界から、もはやこの世に還ってくることが無い。
 アーナンダよ、在俗信者であるスダッタは、三つの束縛を滅ぼしつくしたから、欲情と怒りと迷いとが漸次に薄弱となるが故に、「一度だけ帰る人」であり、一度だけこの生存に還って来て苦しみを滅ぼしつくすであろう・・・・・・》

 テレビの番組では、この場面はこれだけの問答が紹介されただけですが、これが「大パリニッバーナ経」の原文ではこのような言い方で12人分続けられているのでしょうか。ブッダは、いうまでもなく2,500年前の人ですが、自分では書いたものは何も残していません。ですから、その話を聴いた弟子たちが、「如是我聞」(私はこのように聞いた)と冒頭で断ったうえで聞いた話を数多く書き留め、それらが今日まで仏典として残されているわけです。「大パリニッバーナ経」も、このようにして書かれた古代インドのパーりー語の原典を、中村元先生の翻訳によって何とか日本語で読めることになります。しかし、これらのことばが、ブッダ自身の2,500年前の古代インド語の意味をどれだけ正確に伝えているかについては、やはり疑問が残ります。翻訳の誤差や文化の違いの問題もありますし、どうしても隔靴搔痒の感がつきまとうことになってしまうのです。

 この「大パリニッバーナ経」のなかの話でも、アーナンダは、要するに、「人は死んだらどうなるのか、どこへ行くのか」とブッダに訊いているのだと思います。試みに、これをブッダよりもさらに500年も遡る3,000年前に生きていたシルバー・バーチに訊いたら、どのような答えが返ってくるのでしょうか。たいへん幸せなことには、その答えは信じられないような精密さで具体的に聞き取ることができます。ブッダと違って、シルバー・バーチは3,000年の時空を超え、いま目の前に居るように、しかも現代英語の彼自身のことばで答えてくれているからです。

 まず、人が死ぬことについて、シルバー・バーチは「墓の向うにも生活があるのです。あなた方が “死んだ” と思っている人たちは今もずっと生き続けているのです。しかも、地上へ戻ってくることもできるのです。げんに戻ってきているのです」と答えています。(『霊訓(7)』pp.27-28) 「戻ってくる」のは、この地上での修行でやり残したことをやり遂げるためです。だから、修行が進んで、霊性が向上すれば、この地上に戻ってくることはなくなります。「大パリニッバーナ経」の例でいえば、修行者サールハと尼僧ナンターの二人は霊性が高いゆえに、もうこの世に生まれることはなく、在俗信者であるスダッタは、やり残した修行のために、もう一度だけ生まれ変わることになるのでしょう。

 つぎに、死んだらどこへ行くのか。シルバー・バーチは、それをこう答えています。「死後あなたが赴く界層は地上で培われた霊性にふさわしいところです。使命を帯びて一時的に低い界層に降りることはあっても、降りてみたいという気にはなりません。と言ってそれより高い界層へは行こうにも行けません。感応する波長が地上で培われた霊性によって一定しており、それ以上のものは感知できないからです。(『霊訓 (12)』p.34)

 シルバー・バーチならば、さらに、サールハ、ナンター、スダッタたちが、死後の霊界でどのようなところに住み、どのような生活を送っているかについても、具体的に詳しく教えてくれることでしょう。ついでながら、シルバー・バーチ自身の場合は、霊界のはるかに高い階層に居ますから、地上に再び生まれてくることはありません。それを、シルバー・バーチは「私はもう二度と再生はしません。私にとって地上の年季奉公はもう終わっています。こうして戻ってきたのは皆さんをはじめ地上の人々の力となり、絶対に裏切ることのない霊的摂理と真理とをお教えするためです」と述べています。(『霊訓 (11)』 p. 19) 仏典の教えも尊いのでしょうが、このように対比してみますと、改めてシルバー・バーチの教えが現代の奇跡であることを、深く考えさせられてなりません。





    人格と霊格と霊能力              (2018.01.22)


 インターネットの「教えてgoo」欄に、「霊格と人格 霊能力は比例するのか?」という質問がありました。質問者は、「知り合いに霊能者さんがいまして、能力はとても高いし実績もある方です。慈悲深い方だとは思いますが、悪口とか不平不満、霊視自慢が頻繁です」と書いていました。そして、「悪口や不平不満 自慢は良い波動ではないと思うのですが、霊能力が高ければ霊格も高いものなのでしょうか? 霊格と人格はほぼ同じと思っていますが、人格が優れているとは思えません」と続けています。「私は関わって体調を崩したので、距離をおいています」などとも述べています。

 この質問に対しては、いくつかの答えが示されていました。そのなかには、つぎのように、人間には、「人間という霊格しかもっていない」というのもあります。

 ――霊格ってなんでしょうね。誰がそんなものあるといい始めたのでしょう。高級霊というのが霊格が高いというのであれば、人間はどこまで行っても人間の霊格でしかありません。霊格が高ければ人間でありえないでしょ。例えば仏教の区分けに当て嵌めれば、仏の世界の霊格があれば仏になります。最も低いのが天部、菩薩、如来となります。・・・・・人間で生まれ、人間として一生を過ごすということは人間という霊格しか持っていないという事です。

 この人は、人間には、もともと、霊格というものはなく、あるとしてもそれは、「人間という霊格」だけだと言っているようです。これは、私たち人間が、本来、霊を伴った肉体ではなく、肉体を伴った霊であることがわかれば、見方が変わってくると思います。この世に生きている人間にも、当然、霊格はあります。ただ、その霊格は、霊的な視力でしか見えないということではないでしょうか。優れた霊能者は、目の前に背景を何も知らない初対面の人が座れば、人格者であるかどうかはよくわからなくても、霊格が高いか低いかはよくわかる人が少なくないようです。この質問には、つぎのように答えている人もいました。

 ――霊格と人格は同じじゃないと思います。そう見えるかもしれないけど、実際に霊能力が高くても、単に獣霊に操られている場合もあるからです。もしかして、その人は、そういう状況なのかなと思いました。人格者は、不平不満を言ったり、自慢などしないですよ。尊敬できないような霊能者は、近寄らないほうが賢明です。

 この人も、人間が本来霊的存在であることをどれだけ意識しているか不明ですが、質問に対する答えとしては、この方がわかりやすいと思われます。人格というのは、この世で生きている目に見える存在に対して一般の人々が考える見方で、「人格者」であるとか、人格が高い、低いというように言われます。一方、霊格とは、この世ではない、霊界から見た格付けで、簡単に言えば、どれだけ神界に近い存在であるかを示す指標といってもいいかもしれません。当然ながら、刹那的な狭いこの世での尺度で見える人間の姿と、広大な霊界の尺度によって見えてくる人間の姿は、同じではないでしょう。この世で地位も名誉も手中に収めた人格者と言われるような人でも、霊格では、低いと見られているようなことも、決して珍しくはないようです。

 霊能者の場合も同じです。霊能者で霊能力が高いから霊格も高いということにはならないでしょう。霊能力はあっても、なかには人格者ではなく、霊格も低いという人もいるようです。私たちも、本来はみんな霊能者ですが、ただ、霊能力を内に秘めて発現しないでいるだけです。この世での霊能力の有無にかかわらず、おそらく、何より大切なことは、人格者と言われるよりも、霊性の向上を目指して霊格を高めていくことではないでしょうか。地位、名誉、カネなどを基準にしたこの世の評価よりも、目には見えない霊界での評価を私たちは考えていかねばならないのだと思います。イエス・キリストは、「天に宝をたくわえなさい」(マタイ:6-20)と言いました。この世の出世欲などには捉われず、金銭や資産にも執着せずに隣人愛を実践し、自ずから天に多くの宝を蓄えている人が霊格が高いといえるのかもしれません。





    霊性向上を目指して最後まで生き抜く         (2018.02.22)


 慶長5年(1600年)9月15日の関ヶ原の戦いに敗れた石田三成は、再起を望んで一人で戦場から逃れた。何とか北近江まで逃れてきたところ、かつて三成が恩恵を施したことのある村の民に助けられ、一時洞窟に身を隠した。しかし、東軍の執拗な落ち武者狩りの様子を伝え聞いた三成は、逃げ切れるものではないと逃亡を諦め、自分を匿おうとした村民への恩返しとして、自らの居場所を訴え出させたといわれる。捕らえられた三成は、いったん家康のもとに送られた後、京都に護送され、六条河原で斬首されることになった。

  六条河原に向かう途中、三成は檻籠の中から護送役の奥平家組頭に「のどが渇いた。湯はないか」と、声をかけた。組頭は、「そんなものはござらぬ」と答えた。しかし、自らの腰布に干し柿をくるんでいたことに気づいて、それを差し出し、「代わりに干し柿がある。これでも食されよ」と言った。ところが、三成は、「柿は痰の毒だという。せっかくだが、遠慮仕る」と、これを拒否した。それを聞いた組頭は、「なんと、これから首を斬られようというのに、痰の毒でもござるまい」と、三成を嘲笑したという。これに対する三成のことばはいろいろと伝えられているが、司馬遼太郎『関ケ原』(新潮文庫)では、つぎのように記されている。

  「大丈夫たる者が義のために老賊を討とうとした。しかし、事志とちがい、檻輿のなかにある。が、一世の事は小智ではわからぬ。いまのいま、どのような事態がおこるか、天のみぞ知るであろう。さればこそ眼前に刑死をひかえているとはいえ、生を養い、毒を厭うのである」

 三成は、このあと、六条河原で斬られた。慶長5年(1600年)10月1日、関ケ原合戦から2週間後のことである。享年40であった。伝記などでは、斬られる前に、大津城の門前に生き曝しにされている三成を福島正則が嘲笑する場面がある。その正則に向かって三成は「わしに武運と二心を抱く者を見抜く目があれば、今頃お主がここに身を曝していただろう。お主の所業はあの世で太閤殿下にしかと伝える」と言った。ここでは、霊界の秀吉との再会について触れていることになるが、こういういい方は、慣習的にも珍しくはないから、これだけでは、三成が死後の生をどのように考えていたかは、よくわからない。しかし、生命が永遠であり、この世は、霊性向上のための修行の場であるという観点から見ると、この「太閤殿下にしかと伝える」もあり得ることであり、その後の「眼前に刑死をひかえているとはいえ、生を養い、毒を厭う」といったのも、正しい態度といえるであろう。それなりに、三成の霊格の高さを示しているといってもいいかもしれない。

 人は霊界へ移れば、誰でもすぐに、一切の悩みや不安から解放されて光り輝く世界に住めるようになるわけではない。少なくとも初期の段階では、死んで霊界へ来た人は、肉体を棄てただけで、あとは地上にいた時と少しも変わらないのである。個性や性格もまったくもとのままで、利己的な人はあい変わらず利己的であり、貪欲な人はあい変わらず貪欲である。霊的覚醒が起きるまでは、無知な人は無知のままで、悩みを抱いていた人は霊界へ還っても悩み続けていることを、シルバー・バーチは教えてくれている。(『霊訓(7)』p.24)

 それだけに、この地上に生を受けている間に、どれだけ霊性を向上させたかということが、私たち一人ひとりに問われていることになる。それによって、霊界へ還ったときの自分の階層や位置が決まってくるからである。だから、どうせ死ぬのだから、体を労わる必要もなく、学びや体験も要らないということにはならない。三成の最期のことばは、改めて、そのことを思い起こさせる。むしろ、死を前にした人生の最終段階でこそ、私たちは健康にも留意し、自分の力の及ぶ限り、学び残したことのないように学ぶべきことを学び、この世の体験をも深めていくべきなのであろう。そして、たとえ、悲しみや苦しみや辛いことがあるとしても、それらの試練の中でこそ学ぶことが多く、霊性向上のチャンスでもあることを、忘れないでいたいものである。





   死の恐怖を克服して生きる           (2018.03.19)


 仙厓義梵(せんがい ぎぼん、1750-1837)という江戸時代の禅僧がいた。画家としても著名で、88歳で遷化するまでに、多くの洒脱・飄逸な禅画を残した。綾瀬凛太郎『仏教の名言100』(学研新書)によれば、その義梵が死ぬ前に、「来時来処を知る 去時去処を知る 懸厓に手を徹せず 雲深くして処を知らず」という遺偈(ゆいげ)を残した。

 遺偈とは、禅僧が死ぬまぎわにその境地を詩や歌の形で遺したものである。この本の著者は、この遺偈の意味を、「その先は知らないが人はいつか死ぬ。それでいい」と意訳している。しかし、義梵の末期のことばは、「死にとうない、死にとうない」であった。これを聞いた弟子たちは、このことばには、きっと深い真意が隠されているのだろうと思って重ねて聞き返した。ところが義梵は、「ほんまに、ほんまに死にとうない」と言って、果ててしまったのだという。

 室町時代の一休宗純(1394-1481)にも、同様の話が伝えられているが、死を達観していると思われた禅僧でさえ、こういうこともあるのだから、一般の人々にとっては、死の恐怖はなおさらのことである。試みに、インターネットで調べてみると、数多くの人々が死に対する恐怖を訴えていることがわかる。たとえば、そのうちの一つ、「シーマ」と名乗る投稿者は、こう書いている。

 「自分が自分じゃなくなってしまうのを考えると、心臓が破裂しそうになる。 今までの日常生活が、日常生活じゃなくなってしまう。 怖いです。日々、死に近ずいてるのを考えると、イヤだ。逃げたい。でも逃げられない。だから死にたいって思う。でも死ぬのは怖い。どうすればいいのか、わからなくなる。ここ毎日、そればかり考えて、心臓が破裂しそうになる。誰か助けて欲しい。」

 こういう恐怖心は多くの人々がもっているが、どうすればそこから抜け出せるのであろうか。浄土真宗の中興の祖といわれている蓮如上人(1415-1499)は、人間は誰でも死ぬべき存在であることを、『御文章』の「白骨章」のなかで、「自分が先か、他人が先か、今日とも知れず明日とも知れず、人は後になり先になったりして絶え間なく死んでいくものです。朝には元気な顔であっても、夕べには白骨となってしまうのです」(現代文訳)と書いている。そして、人が死んでいくのは老若の順とは限らないので、誰もが早い時期から死後の生の大事を心にかけ、阿弥陀仏に深くおすがりして、念仏すべきである、と信仰の大切さを説いた。「誰か助けて欲しい」というこの投書の切実な叫びには、このような信仰も、ひとつの答えになるかもしれない。

 しかし、やはり、何よりも直截に心に響くのは、シルバー・バーチのことばであろう。例えば、「地上では死を悲劇と考えますが、私たち霊の立場からすれば悲劇ではありません。解放です。なぜなら、魂の霊的誕生を意味するからです。地上のあらゆる悩みごとからの解放です。よくよくの場合を除いて、死は苦労への褒賞であって罰ではありません。死は何を犠牲にしてでも避けるべきものという考え方は改めなくてはいけません。生命現象に不可欠の要素であり、魂が自我を見出すための手段と見なすべきです」(『霊訓(8)』p.62)とシルバー・バーチはいう。このようなことば一つをとってみても、死の真実を知らずに苦しんでいる人には、大きな救いになるのではないか。

 死の真実については、極めて貴重で重大な教えが、シルバー・バーチの霊訓の中には数多く含まれている。人々は、死を忌み嫌い、恐れて、ひたすらに長生きすることを願うが、長生きをすること自体も、実は、大切なことではない。永遠の生命がわかれば、地上で20年だけ生きても100年を生きたとしても、その差は限りなくゼロに等しいからである。シルバー・バーチは、「地上生活の期間、いわゆる寿命が切れる時期は大方の場合あらかじめ決められている」という。(『霊訓(8)』p.61) 「あなたは霊のために定められた時期に地上を去ります。しかも多くの場合その時期は、地上へ誕生する前に霊みずから選択しているのです」とも言っている。(『霊訓(8)』p.71)

 寿命を自ら選択しながら、その長短を気にするのはいささか滑稽であるかもしれない。だから私たちは、死の恐怖に怯えたり、長寿をひたすら願ったりするよりは、この世での学びと霊性向上にもっと心を向けるべきなのであろう。それをシルバー・バーチは、「地上生活のいちばん肝心な目的は、霊が地上を去ったのちの霊界生活をスタートする上で役に立つ生活、教育、体験を積むことです。もし必要な体験を積んでいなければ、それはちょうど学校へ通いながら何の教育も身につけずに卒業して、その後の大人の生活に対応できないのと同じです」(『霊訓(10)』p.63)と、教えてくれている。私自身がかつてはそうであってが、いのちの真実に無知であることは苦しい。なるべき早く霊的真理に目覚めて、怖れや悩みに捉われることからは、抜け出したいものである。






   超高齢社会の死生観について考える     (2018.04.12)


 日本が高齢社会であることはよく知られている。総務省の統計では、平成28(2016)年10月1日現在の日本の人口1億2,693万人のうち、65歳以上の高齢者人口は 3,459万人で、総人口に占める割合(高齢化率)は27.3%であった。世界保健機構(WHO)や国連の定義では、高齢化率(総人口のうち65歳以上の高齢者が占める割合)が7%を超えた社会は「高齢化社会」、14%を超えた社会は「高齢社会」、21%を超えた社会は「超高齢社会」とされている。この基準によれば、日本は高齢社会であるというより、すでに「超高齢社会」である。しかも、この65歳以上の「高齢化率」では、現在の日本人は「4人に1人」であるが、これは、厚生労働省所属の国立社会保障・人口問題研究所では、2035年には総人口に占める高齢者の割合が33.4%となり、「3人に1人」が高齢者になるという推計も出されている。

 この日本の高齢化は、進行の速さで世界でも類を見ないといわれているが、こうした超高齢社会がもたらす課題として、総務省では働き手の主力とされる15歳以上65歳未満の「生産年齢人口」の減少や、高齢者が病気になった場合の介護負担の増大などをあげている。これはまた、「働きながら家族の介護をする人」が増加することをも意味するだろう。いま日本では、医学の進歩を背景にして、年老いて体が不自由になっても、容易には死ぬことはない社会になっているのである。こういう社会の中で、高齢者は、どのように生きていくべきであろうか。少なくとも、医療の進歩による寿命の延長が無条件に歓迎されるような風潮には、必ずしも同調できなくなっていくであろう。長生きが常に目出度いわけではない。現実の問題としても、体力が弱り、歩けなくなり、寝たきりの状態で周囲の介護なくしては生きておれないような状態が、人間として幸せであるとはどうしても思えないのである。

 本年1月21日、保守派の論客として知られた西部邁さんが、遺書を残して東京の多摩川に入り、78歳で亡くなった。ずっと考えてこられたうえでの自裁であったようである。西部さんは北海道生まれで、1957年に札幌南高校(旧札幌一中)を卒業して、その後東大へ入学している。たまたま私は、1956年からの1年間、札幌南高校教諭を勤めて1957年にアメリカへ留学したから、その間、西部さんとは同じ高校に居た。「袖触れ合うも他生の縁」があったことになる。西部さんは、東大卒業後、大学院を経て、東大教授になったが、1988年、東大の人事問題で、教授会に抗議して辞任した。その後は、評論活動を続けながら、テレビの討論番組などにも数多く出演してきたことはよく知られている。

 西部さんは、社会に対して役立つ自分と負担をかける自分とを天秤にかけて考えてきたようである。病気で体が不自由になっても、病院で不本意な延命治療や施設での介護など受けたくはないとかねてから言っていた。他人への負担を避けるなら、自宅で家族の介護に頼るほかはないのだが、しかし、それをも避けたいと思えば、自死しかないと判断したのであろう。死去前日の1月20日夜、西部さんは新宿の文壇バーで長女と一緒に酒を飲んでいたが、午後11時ごろ、長女を先に帰宅させ、その後多摩川へ向かったという。十分に覚悟したうえでの行為であった。西部さんと親交のあった京都大学名誉教授の佐伯啓思氏は、この西部さんの死について、「いかに最期を迎えるか」と題して、こう書いている。

 《このような覚悟をもった死は余人にはできるものではないし、私は自死をすすめているわけではないが、西部さんのこの言い分は私にはよくわかる。いや、彼は、我々に対して一つの大きな問いかけを発したのだと思う。それは、高度の医療技術や延命治療が発達したこの社会で、人はいかに死ねばよいのか、という問題である。死という自分の人生を締めくくる最大の課題に対してどのような答えを出せばよいのか、という問題なのである。今日、われわれは実に深刻な形でこの問いの前に放り出されている。》(「朝日」2018.02.02)

 死は常に一個人の問題で、一般論というのはないから、死についてはそれぞれに自分自身が対処していかなければならない。しかし、佐伯氏のいうように、人は「いかに死ねばよいのか」という問題が、西部さんの自裁によって、実に深刻な形で私たち一人ひとりの目の前に突き付けられているのだとしても、その答えを出すのは容易ではない。氏は人の死に方として、「やむをえず入院すると、そこでは延命治療が施される。私は、自分の意志で治療をやめる尊厳死はもちろん、一定の条件下で積極的に死を与える安楽死も認めるべきだと思う」と言う。ただ、この安楽死は、おそらく少なからざる人々が密かに考えていることと思われるが、現在でも、表面に出して議論することは、まだタブー視されているといえるであろう。

 作家の五木寛之氏は、このまま高齢化がさらに進めば、「自発的なナチュラル・エンディング」を考えることが正しいと思うと述べている。自ら死生観を確立して、「もういい」と思った時に、食事や水を少しずつ減らしていって、ゆったりとこの世から去っていく道もあるのではないか、というのである。ここでは、五木氏は、「そのためにはたとえば浄土へ行くとか、死に際して自分を保つために、なんらかの死生観の確立は必要になってくるでしょう」と死生観の重要性について触れている。そして、そのためには、今までの宗教ではなくて、新しい時代が求める死生観をそなえた思想が必要になってくる、と付け加えている。(五木寛之編『うらやましい死に方』文芸春秋、2014、pp.228-229)

 確かに、自発的に安らかな死を迎えるためには、「新しい時代が求める死生観をそなえた思想」は必要であろう。巷では多くの人々が死の恐怖に怯えているが、その死の恐怖を克服していくための深い学びも欠かせない。しかし、こういう識者たちの書いたものを読んでいると、私には自然に、シルバー・バーチのことばが浮かび上がってくる。「あなた方はどうしても地上的時間の感覚で物ごとを見つめてしまいます。それはやむを得ないこととして私も理解はします。しかしあなた方も無限に生き続けるのです。たとえ地上で60歳、70歳、もしかして 100歳まで生きたとしても、無限の時の中での 100年など一瞬の間にすぎません」とシルバー・バーチは言っているのである。そして、世間一般の死を忌み嫌う風潮に対しては、つぎのように諭している。

 《なぜあなたは死をそんなに禍のようにお考えになるのでしょうか。赤ん坊が生まれると地上ではめでたいこととして喜びますが、私たちの方では泣いて別れを惜しむこともしばしばなのです。地上を去ってこちらの世界へ来る人を私たちは喜んで迎えます。が、あなた方は泣いて悲しみます。死は大部分の人にとって悲劇ではありません。しばらく調整の期間が必要な場合がありますが、ともかくも死は解放をもたらします。死は地上生活が霊に課していた束縛の終わりを意味するのです。》 (『霊訓 (8)』pp.70-71)

 超高齢社会を生き抜くための、「個人の死生観の確立」とか「自分なりの死の哲学をもつ」というのは、やはり、どことなく高尚で手の届きにくい高みにあるようにも思えるが、要するに、死とは何かというその真実を知るかどうかが肝要である。そして、その真実を知ることは、実は、決してそんなに難しいことではなく、誰でも、理性を失わず、純粋で素直に求めていく気持ちさえあれば、このようなシルバー・バーチの教えに触れることができる。その重要性はいくら強調しても強調しすぎることはないであろう。ここでは、ついでにもう一つ、その教えを付け加えてこの小文の締めくくりにしたい。シルバー・バーチは、つぎのようにも述べている。

 《私たちの世界の素晴らしさ、美しさ、豊かさ、その壮観と光輝は、地上のあなた方にはとても想像できません。それを描写しようとしても言葉が見出せないのです。ともかく私は矛盾を覚悟の上であえて断言しますが、”死” は独房の扉のカギを開けて解放してくれる看守の役をしてくれることがよくあるのです。地上の人間は皆いつかは死なねばなりません。摂理によって、永遠に地上に生き続けることはできないことになっているのです。ですから、肉体はその機能を果たし終えると、霊的身体とそれを動かしている魂とから切り離されることは避けられないのです。かくして過渡的現象が終了すると、魂はまた永遠の巡礼の旅の次の段階へと進んでいくことになるのです。》 (『霊訓 (8)』pp.72-73)





   テレビやスマホに心を蝕まれる子供たち    (2018.05.09)

 
 一年間のイギリス滞在を終え、1992年の春、帰国の途中、シンガポールの街の中で、サラリーマン風の若い男性が携帯電話で声高に話しているのを見た。私が携帯電話を見たのはこの時が初めてである。この新しく生まれた文明の利器を手にしていることに、その若者は誇らしげな様子であった。日本でも、その年にNTTドコモが誕生して、携帯電話各社間の相互通話が実現している。その二年後くらいのことであったか、日本でも携帯電話が出回るようになったある日の電車内で、私の前に座っていた若い男女が、1個の携帯電話を交互に手にして、げらげら笑いながら、大声で外部の誰かと得意げに話し合っていたことがあった。いつまでも話をやめないので、私はつい、「車内での通話は、遠慮されてはいかがですか」と、やんわりと注意した。すると女性の方が、いきりたって、「緊急電話なんです!」と私に言い返した。見え透いた嘘をつかれて、私は苦笑した。

 その後、携帯電話は、パソコンや他社携帯電話と送受信できる電子メール機能が付き、インターネット接続サービスも開始されるようになった。2000年頃からは、カメラ付きも発売されるようになり、写真をメールで送る「写メール」も流行するようになる。そして、2007年には、広いタッチパネル画面に指を滑らせて操作し、多彩な機能を呼び出して使う「iPhone」が、米アップル社から発売され、世の中は、「スマホ時代」に突入した。目覚しい技術革新である。しかし文明の利器は常に諸刃の剣である。負の側面もあることを見逃すわけにはいかない。雑音、雑念が益々増えて、人の魂は霊的覚醒からは遠ざかっていく。

 いまでは何処でも、電車内でも、街の中でも、スマートフォンが氾濫していて、小、中学生でもスマホを持ち歩くようになってきた。東京都港区のMM総研の調査では、国内で出荷されているスマートフォンは、2016年で3,013万台になり、2017年度では、3,199万台に増えて、過去最高になっているらしい。街のなかを歩きながらスマートフォンを見たり、自転車を乗りながらでもスマートフォンを見ているような人も増えている。路線バスや観光バスなどの運転士が運転中にスマートフォンや携帯電話を操作し事故を起こした例は、2016年1月から翌年4月までで33件にもなり、その中には、小学1年生を轢いて死亡させたような事故もあった。(「朝日」2017.5.23) こうなると、文明の利器も凶器でしかない。バス会社によっては、営業所に社員個人向けの保管庫を設置して、乗務前にスマートフォンなどを入れて鍵をかけているところもあるらしい。

 同じように深刻なのは、このようなスマートフォンなどの普及によって、ネットによるゲーム依存症が増えていることである。内閣府の2017年度の調査によると、小中学生の7割以上がネットゲームを楽しんでおり、中高生の52万人が、ネット依存症の疑いがあるという。この数字は、すでに極めて異常で病的であることに、まわりの大人たちは気がつかなければならないであろう。小中高生の平日のネット利用時間では、2~3時間が19.9パーセント、3~4時間が13.7パーセントで、5時間以上というのも15.1パーセントとなっている。これを合わせると、毎日2~3時間以上もスマホに時間を取られている小中高生が 48.7パーセントもいることになる。なかには、学校には行かずに、家で一日16時間も、スマートフォンのゲームにばかり熱中している中学生の極端な例も報告されている。(「朝日」2018.5.5)

 一方、テレビを覗いてみると、特に一部の民放などでは、刺激的な、見るに耐えないようなドタバタ劇が繰り返されているのがしばしばである。もう半世紀も前に、社会評論家の大宅壮一氏が、「テレビというメディアは非常に低俗で、テレビばかり見ていると、人間の想像力や思考力を低下させ一億総白痴になる」と述べて、「一億総白痴」という言葉が流行語になったことがあった。いまでは、その深刻度は当時の比ではない。かつての家族が顔を合わせて親しく語り合う「一家団欒」もテレビの雑音にかき消されて、ほとんど死語になってしまった。特に子供は、脳がまだ十分に発達しておらず、快感や刺激を求める欲求が理性に勝る傾向が強いといわれている。言語知能などをつかさどる脳の前頭葉に悪影響を与えるとする研究結果などもすでに出ているらしい。その上に、スマートフォンなどの依存症などが加わると、純真無垢であるはずの子供の精神面は、いったい、どういうことになってしまうのか。子供たちの将来に対して危惧の念を抑えきれないでいるのは、おそらく、私だけではないであろう。





   減少し続ける日本の人口      (2018.06.07)


 厚生省が6月1日に発表した人口動態統計によると、昨年(2017年)に国内で生まれた日本人の子どもの数(出生数)は94万6060人で、統計がある1899年以降、最小であったという。逆に、人口の高齢化を反映して、死亡者数は134万433人と戦後最多で、出生数から死亡数を引いた自然減は39万4373人となり、これも統計開始以降で最大の減少幅になるらしい。今年(2018年)になってからも、総務省統計局のデータでは、5月1日現在の概算値で、日本の総人口は、1億2649万人である。前年同月に比べ23万人の減少となっているから、この人口の減少傾向は毎年続いていて歯止めがかからないようである。

 女性が一生に産む子の数を示す合計特殊出生率も、2017年度は1.43で、2016年度からは0.01ポイント下がり、前年の人口を維持するのに必要とされる2.07を大きく下回った。厚労省も、「こうした傾向は今後も続くので、出生数の減少は避けられない」との見方を示している。(「朝日」2018.6.2) 国立社会保障・人口問題研究所の「出生動向基本調査」(2015年)によると、理想とされている子どもの数は2.32人だが、予定数は2.01人となっていて差がある。その理由を複数回答で問うと、「子育てや教育にお金がかかりすぎるから」が56.3パーセントで、トップであるという。

 少子化に歯止めがかからないなかで、社会保障費は膨らむ一方である。政府が5月に公表した将来推計では、医療や介護などの社会保障給付費は、40年度には今の1.6倍の約190兆円になり、税負担は今より1.7倍、保険料負担は1.5倍になるという。深刻なのは、制度を支える15~64歳の現役世代が大幅に減ることである。現在は2人で1人の65歳以上の高齢者を支えているが、40年には、1.5人で1人をみなければならなくなるらしい。政府はなんとか合計特殊出生率を上げて、60年の人口を1億人程度に維持するビジョンを掲げているが、直近の推計では、60年の人口は9284万にまで落ち込むとみられ、日本の人口問題の先行きは決して明るくはない。(「朝日」2018.6.2) 一体なぜ、こういうことになってしまうのであろうか。

 日本は古来、豊かな土壌と水と熱に恵まれ、西欧諸国などと比べても、格段に食料生産性が高く、そのために、国土のおよそ3分の2が森林であるにもかかわらず、高い人口密度を維持することができた。最近の100年間の人口の推移をみても、1910年(明治43年)に、50,984,840人であったのが、毎年増え続けて、1970年(昭和45)年には、1億の大台に乗り、103,720,060人になっている。人口はその後も増え続けて、2010年(平成22年)には128,057,352となった。100年間で約2.5倍に増えたことになる。しかし、これがピークで、その後は減少に転ずることになる。2015年(平成27年)の人口は、前年比 −0.8パーセントで、127,094,745人である。(総務省統計局の国勢調査による) そして現在、日本はOECD諸国35か国の中でも最も少子高齢化が進んでおり、しかも、世界のどの国も経験したことのない速度で人口の少子化・高齢化が進行しているといわれるようになった。

 現在の日本は世界でも最も豊かな国の一つで、医療制度も整い、技術革新も進んでいる。まわりにはモノが溢れ、少数の例外はあるにしても、衣食住に困らず生活水準はかつてなかったほどに高い。しかし、それでいてなお、さらなる生活の利便性を追い求めて、人々のモノに対する欲求は留まるところを知らないようにも見える。そして一方では、その私たちの社会では、人口が減り、確実に少子高齢化が進行しているのである。これらの問題が、互いに何らかの因果関係で結ばれているのかどうか、私にはよくわからない。しかし、物的欲求のあくなき追及が、結局は利己主義を助長して心を蝕み、人間関係のなかで優しさや思いやりの自然な発露を妨げ、本来備わっている生命力をも委縮させていることがないであろうか。その結果としての出産や育児に対する閉塞感のようなものが、日本の人口動態をこのようないびつな形にしてしまっている一因ではないかと思ったりもしている。





   小惑星「リュウグウ」に到達した日本の探査機  (2018.07.02)


 日本の小惑星探査機「はやぶさ 2」が6月27日、2億8000万キロ彼方の小惑星「リュウグウ」から20キロ離れた探査拠点に到達した。その地点から撮影された小惑星リュウグウの鮮明な写真が公開されている。リュウグウの砂には、生命の元となる有機物や水分が含まれている可能性があり、今後1年半の滞在期間中に3回着陸して採取を目指すと、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が発表している。(「朝日」2018.6.28) この「はやぶさ 2」が日本で打ち上げられたのは2014年12月で、3年半かけて32億キロを飛行して、リュウグウに到達したのであった。地球からの直線距離は2億8000万キロであっても、地球と太陽をまわる軌道を通っていくためには、32億キロも飛行しなければならなかったのである。

 地球と太陽までの距離は1億5000万キロだから、この小惑星リュウグウの位置は、太陽までの距離の2倍近くも遠いことになる。だから、地球の最先端の技術で飛ばした探査機でも、到達するのに3年半もかかった。しかし、この距離も、宇宙の距離を測る尺度では、ほとんどゼロに近く、至近距離といってよい。惑星までの距離を測る一つの方法は、地球から光(電波)を発して目的の惑星で反射させ、さらにその光を地球で受信することによる。その光の往復時間を用いて距離を計算し、それを「光年」であらわすが、いうまでもなく、1光年は光の速度で1年かかる距離である。1秒間では約30万キロで、1光年とは、およそ9兆4600億キロになる。これで計算すると太陽までの距離は、およそ「8分」にしかならない。リュウグウまでの距離も「15分」でしかない。

 私たちが夜空に仰ぎ見る天の川銀河は、太陽のように自分で光を放つ恒星が2000億個集まったもので、直径10万光年の円盤型をしているという。そして、宇宙にはそのような銀河が1000億個以上もあるといわれたりすると、もうその大きさ広さは、私たちの想像を絶するというほかはない。私たちの住んでいる地球も、一周すると4万キロもあって、広大に思えるが、宇宙のなかでは、米粒一つにもならないような、ちっぽけな存在である。そのちっぽけな地球の上の日本で、現代の最先端科学は、いまようやく、探査機をリュウグウに送り込み、重さ2キロの銅の塊を表面に打ち込んで人口クレーターを作り、内部の砂を採集しようとしている。太陽にさらされていない小惑星内部の砂には、太陽系ができた46億年前の状態を保っていると考えられるからである。そしてそこから、生命の根源を探ろうとしている。それは、見方によっては、この地上にいて、霊界の生命の真理に迫ろうとする試みに似ているといえるかもしれない。

 「有機的生命の存在する天体は無数にあります。ただし、その生命は必ずしもあなたがたが見慣れている形体をとるわけではありません」と、シルバー・バーチは言った。(『霊訓(6)』p.170) ラムサも、「銀河系だけでも百億個の太陽があり、それぞれの太陽には生命を維持している惑星がある」と述べている。(『ラムサ―真・聖なる預言』(川瀬勝訳)角川春樹事務所、1996、p. 150) このように、スピリチュアリズムの世界では、この宇宙に高度の知能を持つ生命体が数多く存在することは、いわば常識である。その一方で、現代の先端科学では、いまようやく、光速15分の距離まで、生命の根源を求めて探査範囲を広めてきた。しかし、宇宙の広さから見ると、それはまだ、「井の中の蛙」にもほど遠い。アンドロメダ銀河(M31)は、肉眼でも満月の約5倍の大きさで見ることのできる最も遠い天体だが、これは地球から約250万光年の距離に位置している。しかし、この250万光年彼方のアンドロメダ銀河でさえ、宇宙では、それほど遠い距離ではない。宇宙望遠鏡で捉えられている最も遠い銀河は105億光年、最も遠い天体が133億光年などといわれているのである。

 シルバー・バーチは、宇宙は神の反映であり、神とは宇宙の自然法則であると言っているが(『霊訓(5)』p.140など)、ある日の交霊会で、哲学に興味を持っている学識者から、宇宙創造の目的についていろいろと訊かれたことがあった。シルバー・バーチはそれに対して、「あなたは、きわめて小さなレンズで覗いて全体を判断しようとなさっています。あなたにはまだ永遠の尺度で物事を考え判断することがおできになりません。この途方もなく巨大な宇宙の中にあって、ほんの小さなシミほどの知識しかお持ちでないからです。しかし今、それよりは少しばかり多くの知識を私たちがお授けしているわけです」と答えている。(『霊訓 (7)』p.98) 宇宙航空研究開発機構(JAXA)の小惑星探査機「はやぶさ 2」が、無事にリュウグウに到達したのは確かに快挙ではあるが、それを支えている最先端の現代科学も、大宇宙の視野から見れば、或いは、「ほんの小さなシミほどの知識」になってしまうのかもしれない。





    金銭的な富と幸福の間の関連性は低い        2018.07.23


 ハーバード大学で教えていたタル・ベン・シャハー教授が書いた『ハーバードの人生を変える授業』(大和書房、2011)という本がある。その本では、ノーベル経済学を受賞したダニエル・カーネマンが、「金銭的な富と幸福の間の関連性は低い」ことを発見した、という研究結果が紹介されている。「サイエンス」誌に発表されたその研究結果は、つぎの通りだという。

 「高収入があると幸せになれると広く思われていますが、それは幻想にすぎません。平均以上の収入のある人は比較的人生に満足してはいますが、そのときどきの体験において他の人と比べてより幸せを感じるというわけではありません。収入の高い人たちは他の人たちより気を張っており、楽しむための活動に費やす時間が少ない傾向があります。
 さらに、収入が人生の満足度に与える影響は一時的なものにすぎないことがわかってきました。人は、自分や他人の人生を評価する際、固定化した成功パターンに焦点をおいて考えるため、収入の幸福に対する貢献を誇大に考えてしまうのです」(pp.188-189)

 言われてみれば、この通りで、なるほどと納得させられるが、これが経済の専門家が「幸福」について研究を続けてきた「研究成果」だというから、重みがあるといえるかもしれない。そして、驚くべきことに、「いったん物質的な富を手に入れると、それを手に入れようと奮闘していたときに比べて精神的にずっと落ち込んでしまう人々がいます」とも、述べられている。(p.189)

 どうして、そういうことになるのであろうか。出世競争に明け暮れしている人間は、自分の努力が将来において有益だと思うからこそ、辛うじてバランスを保ち、自分のネガティブな感情にも耐えることが出来る。しかし、ひとたび最終目標に到達し、物質的な富では幸せになれないことがわかると、彼を支えているものは何もなくなってしまい、失望感でいっぱいになってしまうのだと、この本の著者シャハー教授は分析するのである。

 確かに、目に見えないものより、見えるもののほうが評価しやすい。だから人は、物事の判断をする際、より物質的なものに焦点をおきがちになるのであろう。富や特権といった数量で測りやすいものを、測る基準のない感情や意義より高く評価してしまうのも、よくわかるような気がする。シャハー教授は、さらに、「お金に価値があるのは、私たちがお金が過大評価される世界に住んでいるからである」という、社会評論家 H.L.メンケンの寸言を最後に付け加えているが、これも味わい深いことばである。













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