(日付の新しいものから順にならべてあります)





 さまざまな人間関係から学んでいく (2005.03.26)


 R. W. 様

 メールを有難うございました。ウィーンのホテルでの出来事は、やはり、ちょっと暗い気持ちにさせられますね。世の中にはいろいろな人がいて、こういう人がいるのも不思議ではないのかもしれませんが、自分自身がそのような人との関わりに巻き込まれてしまいますと、どうしても、逃げ出したいような思いが先にたってしまいます。

 でも、そのようなときには、ちょっと別の見方をしてみたくなることもあります。私は時々考えるのですが、世の中にはいろいろな人がいるといっても、私たちが直接に会ったり、話し合えたりできるような人々の数はきわめて限られています。大勢の「いろいろな人」のごく一部にしか私たちは接していないのではないでしょうか。人にいつも笑顔で思いやりと優しさを与えてくれるような「霊格」の高い人もいれば、わがままで感謝することを知らず、自分自身の欲にふりまわされているだけで、常にまわりには暗い影を落としているような人もいます。しかし、実際には、そのような人々でさえ、私たちは、そのうちのごく一部しか知りません。

 「袖すりあうも他生の縁」といいますし、自分に起こっていることで偶然は一つもない、みんなそれぞれに意味があるのだ、というようなこともいわれています。そういうことを思い出してみますと、自分が何らかの形でかかわりを持った「ごく一部の」いろいろな人との出会いは、それがどのような人とのものであれ、大切にしなければならないのかもしれません。私たちが、この世に生まれてきた目的の一つは、そのような人間関係から学ぶことであると思うからです。「ひどい人」はひどい人なりに反面教師としての役割をもっているのでしょう。

 私は、あなたのドナウ川クルーズの素敵な思い出や、星野富弘さんの詩を読み返したりしながら、やはり、いい旅をしてこられましたね、とお元気でお帰りになったことをよろこんでいます。






 ハプスブルグの旅から帰ってきて (2005.03.26)


 武本先生

 いつもお世話になっております。

 先日、オーストリア・ハンガリーの旅から無事帰ってきました。今回の旅は、私にとって本当に重要な旅でしたが、正直なところ、辛い出来事もあり、ウィーンでは泣いてしまいました。

 私はモニターとして、そのツアーに参加したわけですが、他の人たちは普通のツアーの参加者のようで、母娘、夫婦、友人と一緒に参加していて、海外旅行にもとても慣れていらしゃる方々でした。私だけ一人参加だと思っていたのですが、もう一人、一人参加のご婦人がいらして、最初はほっとしたのですが、その人と出会ったことで、この旅が私にとって暗いものになってしまったことが、とても残念でした。

 ウィーンに着いた夜のことです。宿泊する部屋がその人と同じ12階だったのですが、部屋の鍵がなかなか開かず、二人とも困ってしまいました。そのうち、その人が私に「あなた、喋れるんでしょ。フロントに言ってきてちょうだい!」と言うのです。私はその時、荷物が重くて、それを持ってフロントまで行くのは大変だと思い「私、行ってきますから、この荷物みていてください。」と言ったのです。すると、その人が「一体誰に命令してるの!私は荷物の係りじゃないわ!それに私とあなたは友達でもないでしょ!」と急に怒り出したのです。

 この騒ぎに気づいたホテルの従業員が来てくれて、鍵も開けてくれたのですが、私は、こんなことで、私にとってこれまでの人生で一番大切な旅が台無しになってしまうのが辛くて、少し時間をあけてから、その人の部屋に行って「さっきは申し訳ありませんでした。」と謝りました。でも、その人の怒りは静まってる様子でもなかったので、部屋の中で話しあうことにしました。

 「私の態度に失礼なことがありましたら、心からお詫びいたします。」と頭を下げるばかりでしたが、その人は「私は日本人は嫌いなのよ!それにあなた岡山の人でしょ!○○○倉敷には恨みがあるのよ!殺してやりたいくらいだわ!人殺しはいけないから、お医者さんに、精神を安定させるために薬を飲んでるの!でも、この薬、いつ切れるかわからないわ!私はアメリカ移民で、日本人にひどいめにあってきたの!日本のためにただ働きさせられて、家もとられ、仕事はないし、身寄りもない・・・・日本が私を受け入れてくれないから、またどこかの国に移民するしかないのよ!あなたは日本で暮らせるんでしょ?あなたのような幸せな人間が大嫌いなの!」と言われました。

 私は何が何だかわからなくて、ただ下を向いているばかりでしたが、その時、部屋のじゅうたんが青で星がたくさん描かれているのを見て、私はこの部屋で殺されるのだろうか。ここに導かれたのはもしかして・・・でも、それが私の宿命であるのならそれでもいい。幸い出発前に傷害保険にも入っていて、死亡時の保険金も高かったのも思いだして、これで、甥たちの学費になるのなら・・・私は本当に幸せだった・・・・と妙に冷静にいろんなことを考えていました。その時、ノックの音が聞こえて、ポーターがその人の荷物を持ってきました。そのすきに私は「失礼します」と部屋を出て助かりました。

 そういえば、その人は奇妙なことを言っていました。「あなたの背後にいる組織は、私の組織とは違うようね!わたしは誰かに操られているロボットなの!」 何か霊的な影響を受けているのでしょうか。行く先々で高価なブランド物を値段も見ず、カードで買っている様子だし、これまでにいろんな国を旅行したり、語学研修にも何度も行かれているお話もよくされていました。娘さんもいらして・・・。とてもご苦労されている様子には見えませんでしたが・・・後で気づいたことですが、「○○○倉敷」というのは、私がKAGAYAさんとお会いしたところでした。なぜ、ここでもまた岡山が問題になるのか?不思議でなりませんでした。

 その人と出会ったことで、いつものようにメッセージを受けることが難しくなってしまいましたが、ブダペストの最後の夜の、ドナウ川クルーズでは素敵なことがありました。船上から夜空を見上げると、星がいくつか見えてきました。その中で一つだけ、他の星とは違って二重に見えるのがありました。私は視力がかなり悪いので、そのせいだろうと思っていましたが、そばにいた人も「あの星って、二重に見えない?私、目が悪いのかしら?二つの星がひっついて見えるんだけど・・・・」と言いました。私はそのことになんの返事もできませんでしたが、帰国してから、あの時の星を思い出しました。きっとあの星は彼の精一杯のメッセージだったに違いないと思い涙が流れました。

 そうでした!1996年のハンガリー建国1100年祭には、ドナウのほとりで、秋田県の大曲の花火が打ち上げられたそうです。大曲は彼のお墓の近くの町です。一度もお墓参りをしていませんが、花火はいつかこの目で見たいと思っていました。私よりも先にハンガリーの人たちが、その花火を見ているんですね。なんだかハンガリー人が身近に思えてきました。

 出発前は、海外はまだ二度目だけれど、これが最後。もう、外国に行く機会はないだろうと考えていましたが、このような嫌な思いが残ってしまったことで、逆に、また行こうという気持ちになりました。大切な旅のやり直しです。今度は一人で行こうと思っています。ハンガリー語も勉強します。彼が2ヶ月間滞在したハンガリーには、彼の思い出もいっぱい詰まってることと思います。だんだん元気になってきました。

 帰ると、ベランダの菜の花が一回り大きくなっているような気がしました。先生もご存じの星野富弘さんの詩画集に素敵な詩を見つけました。

 私の首のように茎が簡単に折れてしまった
 しかし菜の花はそこから芽を出し、花を咲かせた
 私もこの花と同じ水を飲んでいる、同じ光を受けている
 強い茎になろう

 R. W.







 キプロスは極楽浄土の気分です (2005.03.25)


 お久しぶりです。お元気でいらっしゃいますか?

 ここキプロスは春爛漫というほど、美しい神様の住んでいた風景と同じ姿がとても気持ちよいです。桃の花、桜、アーモンドの花、菜の花、さらには、ポーピーやそのほか名前も知らない花が咲き乱れています。

 去年は大変お世話になり、ありがとうございました。ここキプロスはギリシャ正教なので、イースターは1ヶ月ほどのちです。ですが、武本さまへ、ステキなイースターになりますよに、心よりお祈り致します。

 去年の体験はすべて、意味があっての体験だと言うことを理解しました。本当に貴重な体験な上に、すべては繋がっていると分りました。武本様には本当にお世話になりました。いつもありがとうございます。

 日本はお彼岸ですね。良い日をお迎え下さい。

 K. M.







 霊界の美樹ちゃんと祈りのなかで対話を (2005.03.11)


 石阪さゆり様
 
 こころあたたまるメールを有難うございました。
 
 美樹ちゃんが霊界へ旅立ってちょうど1年目になりますが、その美樹ちゃんがこのお母さんのメールのことを知って、誰よりも安心し、喜んでくれていることと思います。平和で安らかな霊界での生活の中で、富子と仲良しになってくれているというのは、私にとっても何よりもうれしいニュースでした。潔典(きよのり)もそばにいてくれているようで、心丈夫です。

 霊界へ赴く前の富子は本が好きで、子供向けの図書室を作るのが夢でしたが、いまは、保育所のようなところで、多くの子供たちに囲まれ、忙しく過ごしていることを私はよく知っています。潔典は、いまもいろいろと好きな勉強を続けていますが、確かに「先生」であるようです。長年の霊界との交信のなかで、矛盾もなく伝えられてくる情報に私も随分救われてきました。

 すばらしい霊界で美樹ちゃんが、まわりの多くの方々から愛をうけているのは、当たり前といえば当たり前のことですが、こころが和みますね。私も祈りのなかで、美樹ちゃんと親しく対話させていただきたいと思っています。どうか、明るくお元気でお過ごしくださいますように。







 霊界の妻・富子と仲良しの美樹ちゃん  (2005.03.11)
  
  ー 昨年3月10日に霊界へ旅立った美樹ちゃんのお母さんから ー


 武本先生

 大変にご無沙汰しております。先生のHPをいつも拝読し、メールさせて頂こうと思いながら手が止まってしまったことが何十回とありました。講演会が素晴らしかったこと、終了後にお話しさせていただいて嬉しかったこと、先生の旅行記をいつも楽しみにしていることなど、私の中で先生へお伝えしたいことが溢れかえり、どうにも言葉にできず、本当に失礼申し上げておりました。

 思えば私は去年のこの日に子どもを亡くし、それからまだ日の浅い時に武本先生にすがりつくようにしてメールさせていただき、受け止めていただけたことが一条の光となり、それがいのちの真実を学んでいく大きな契機となりました。

 私が死に瀕する子どもに付き添っていたときにどこかから聞こえてきた「これは決して辛いことではないのだ」という声は不思議なものでしたが、彼女が亡くなってからその声を思い返しては<辛くないなんてそんなことはありえない>と懐疑的にもなっていました。しかし、丸一年経った今、その意味が自分なりにわかる様になってきたと思います。

 先生は昨年「霊界は素晴らしいところですが、美樹ちゃんが迷うことのないように導かれますようお祈りしています」とお返事をくださいました。そんなに愛に満ちた素晴らしい場所へと、この悲劇の後美樹はたどり着くことができるのだろうか? 自分は苦しくても構わないからあの子には安らかに過ごして欲しい。ただひたすらそんなことを願いながら、私はいのちの真実を知りたい一心で手探りでやってまいりました。それ以外に自分の生きる術が無かったのかもしれません。

 精神的に追い込まれた挙句もうだめだ、と諦めかけた頃私は美樹からのメッセージを受け取ることになりました。やはり先生の言われたとおり、彼女は素晴らしい世界に導かれており、いろんな方からの愛を受けておりました。中でも「富子せんせいとは仲良しで、図書館に本を読みに行ったとき知り合った。今は自分より小さい子ども達の世話を手伝っている」 「地上で悲しい思いをした子がいっぱいいる。その中にはこっちに来たくない子も多い。そんな子の側に行ってやさしく話しかける」 「富子せんせいには息子さんがいてその人も先生をしている。何でも教えてくれる先生らしい」 という内容には驚くとともに嬉しくて仕方がなく、私はどこか肩の荷がおりたような感覚をおぼえました。

 武本先生が真っ先に祈ってくださったことを先生の奥様が知っておられ、美樹を導いてくださったのに違いありません。目に見えないものの中に真実があったとは一年前まで私は知る由もありませんでした。そして今は真実を知ることのほかにも数多くの恵みを頂いているような気が致します。先生とご縁をいただけたことを何よりも嬉しく思っています。本当にありがとうございます。

 先生のHPによって私のように力づけられる方がたくさんいらっしゃることと思います。その方たちとともに今後一層のご指導を賜れますようお願いいたします。季節の変わり目、くれぐれもご自愛くださいますよう。奥様や潔典様にどうぞ宜しくお伝えくださいませ。

 石阪さゆり






 大英心霊協会に関連する情報について (2005.03.07)


  私のところには、いまも時折、大英心霊協会についてのお問い合わせがあって、その都度お返事は差し上げていますが、大英心霊協会 (The Spiritual Association of Great Britain) の情報については、直接ロンドンのホームページにアクセスされるのが一番いいのではないかと思います。

 ただ、日本語の情報としては、このホームページの「メール交歓」のなかでも、これまでにいろいろと触れられていますので、ご参考になることがあるかもしれません。それで、ここでは改めて、そのような大英心霊協会に関連のあるメールを抜書きしておくことにしました。関心のある方は、どうぞご一読ください。

 なお、煩雑を避けるために、メールはタイトルだけを載せることにいたします。タイトルの日付により、「サイトマップ」→ 「メール交歓」インデックスから該当箇所をお読みいただけます。

  「メール交歓」

 谷口美砂子さんからの手紙 (2003.03.01)
 谷口美砂子さんへの返信 (2003.03.08)
 アン・ターナーとの交流について (2003.04.04)
 大英心霊協会の Sitting について (2003.04.20)
 ロンドンの大英心霊協会への旅 (2003.05.03)
 大英心霊協会のワークショップにも (2003.06.16)
 I I S 春のワークショップについて (2004.02.18)
 霊界通信で恋人と再会して止まらない涙 (2004.04.20)
 ロンドンの旅より一年を経て (2004.05.06)
 I I S の個人セッション等について (2004.06.12)
 霊界の家族とのコミュニケーション (2004.06.17)
 ロンドンの大英心霊協会で Sitting を (2004.09.26)
 大英心霊協会での体験の記録など (2004.09.26)
 霊界へ旅立った心の優しい妹のために (2004.09.30)
 ひたすらに霊界からのことばを求めて (2004.10.11)
 霊界から差し伸べられている手 (2004.10.12)
 I I S の個人セッション等について (2004.10.23)
 大英心霊協会で何度も聞かされた "Smile" (2004.10.28)
 霊界から送られてきた確かな情報 (2004.11.03)
 一歩一歩光へ向かって進む (2004.11.20)
 ロンドンの大英心霊協会について (2004.11.26)
 I I S の個人セッション等について (2005.02.20)
 






 「風に立つライオン」を思い出しながら (2005.02.26)


  R. W. 様

 長文のメールを有難うございました。

 さだ・まさしさんの「風に立つライオン」は、私もかつて、「外から日本を見る」という比較文化の教材のひとつとして、何度か教室で取り上げたことがあります。「アメイジング・グレイス」のハミングなどがあって、私も親しみを覚えていました。あなたもご承知のように、歌詞の一部には、つぎのように歌われているところがあります。

 3年の間、あちらこちらをまわり、
 その感動を君と分けたいと思ったことが、たくさんありました。
 ヴィクトリア湖の朝焼け、
 百万羽のフラミンゴがいっせいに飛び立つとき暗くなる空や、
 キリマンジャロの白雪、草原の象のシルエット、
 なにより、ぼくの患者たちの瞳の美しさ。

 この偉大な自然のなかで病と向かいあえば、
 神様について、人について考えるものですね。
 やはり、ぼくたちの国は、残念だけれど、なにか大切なところで、
 道を間違えたようですね・・・・・・

 むかし、私がまだ大学生のころ、戦前の外国生活を経験していたある教授の講義で、「君たちも将来、一度でもいいから是非外から日本を見る機会をもってもらいたい」というようなことを言われたことがありました。まだ日本は戦後の窮乏時代で、外国へ行くなどということは、夢のまた夢のように思われていましたが、そのことばは、強く私の胸に響きました。「外から見たら日本はどのように見えるのだろう」と、その頃から関心を深めていましたが、それが私の「比較文化」の原点になっているような気がしています。

 私は、その後、アメリカとイギリスで何年か、外国生活を経験したり、数多くの海外旅行も体験して、外から日本を見ることにも、いくらか慣れていきました。外から見ると、内からだけでは見えにくい日本の姿が、美点も欠点も含めて、よく見えるようになります。それで、つい想像を巡らしてしまうのですが、今度は、同じように、地球を外から見たらどのように見えるのでしょうか。

 1961年の4月には、当時のソ連の宇宙飛行士であったガガーリンが、人類としては初めて宇宙から地球を眺めて、「地球は青かった」と言いました。いまでは私たちも当たり前のように、宇宙にぽっかりと浮かんでいる美しく青い地球を写真で見ることができます。しかし、私がちょっと気になるのは、霊界から見る地球の姿です。

 これは、シルバーバーチなども言っていますが、どうも、かなり陰鬱に見えるようです。体の苦しみもこころの悩みもない壮麗な極楽浄土に比べれば、地球は「五濁悪世」といわれていますから、仕方がないのかもしれません。ただ、さだ・まさしさんの歌をもじっていえば、「やはり、私たちの地球は、残念だけれど、なにか大切なところで、道を間違えたようですね」とはならないことを、祈るばかりです。






 こちらでも菜の花が咲きました (2005.02.26)


 武本先生

 先日は、アルビレオのことを詳しく教えてくださってありがとうございました。

 また、とても不思議なことが起こりました。実は、先日、さださんのコンサートに行きました。本当は「風に立つライオン」が聞きたくて、去年の春頃から、コンサート情報を気にしていたのですが、なかなかチケットが入手できなくて、昨年の11月頃にやっととれたのです。ですから購入時点ではアルビレオのことはまったく知りませんでした。

 待ちに待ったさださんのコンサートでしたが、今思えば、コンサートに行く時期もその日に決まっていたような気がします。そのコンサートは「恋文コンサートツアー」だそうで、残念ながら「風に立つライオン」は聞けませんでしたが、「ふたつならんだ星〜アルビレオ」は生で聞けて幸せでした。でも、それを聞いていて、自分がここに来たのは他に理由があるような気がしました。その予感も当たりました。

 さださんがコンサートで、去年の暮れ(彼の命日の前日)に出版した本の紹介をしてくれたのですが、その時、その小説の舞台が徳島だと初めて知りました。気になって読んでみたのですが、その内容が私にとってはとても深い意味があったので本当に驚きました。

 私の出身高校は徳島市内にあるのですが、その小説の主人公の実家がその近くなんです。それだけでもびっくりしましたが、もっとびっくりしたのは、その高校の関係者とその近くに住む人でないと恐らく知らないであろう「○○○町」というところがその小説に書かれていたことです。その町は地図には載っていません。学校の校門を出てすぐのところに、お墓があるのですが、そのあたりをみんなそう呼んでいました。私が高校に入学してすぐのとき、どうして「○○○町」なんて呼ぶのだろうか・・・・と気になったことがありましたが、その小説の主人公もその名前の由来を気にしているのです。

 実は高校時代に、彼と初めて話したのがそこだったのです。そこでのエピソードを彼が亡くなった後、お母さんにお話したことがあります。その時「○○○町なんてところがあるのね。知らなかったわ。どのあたりなの?」と聞かれたことも思い出しました。どうして、さださんがそんな所をご存じなのでしょうか。もしかしたら知り合いに私の出身高校関係者がいるのではないかと思いました。

 その地名以外にも驚いたことがありました。主人公のお母さん(娘に内緒で献体を申し込んでいた)に似たような女性に、それを読む2、3日前に久しぶりに会ったのです。その女性は60代か70代の独身女性なんですが、献体を申し込んでいます。昔、医師の恋人がいたらしいのですが、事故で亡くなったというのも噂で聞いていました。さださんの小説を読んで、その私の知人がなぜ献体を申し込んだのかわかったような気がしました。

 世間の人は人と違った生き方をすると悪く言います。その人も影でいろいろと言われていたのを私は知っています。今の時代でさえ辛いと思うことは一杯あると私自身も実感しましたが、その時代の女性たちに対する世間の偏見は今とは比べものにならないくらい厳しかったと思います。でも献体の本当の意味が小説を読んでわかったような気がして、その人も幸せな人生を歩んできたのではないかと思えて嬉しくなりました。

 映画化のお話もあるようで、さださんもそれを楽しみにしているそうです。その本の表紙がまた素敵です。青空に雲の絵なんですが、最近、私の持ち物には青空の絵が描かれているものが多くなりました。彼のオリジナル曲の「翼」、葉さんの絵本の「Blue Sky」を意識してのことだったのですが、私にとってそれは「希望・勇気」を意味します。今年の手帳の表紙もそういったものを選んでいます。

 やはり出来すぎています。もしかして彼は私を主人公にした映画を霊界で作っているのではないかとさえ思ったりすることがよくあります。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 このメールを書き始めて2週間以上が経ちますが、その間にいろいろと激しい心の変化がありました。

 実は最近、知人に頼まれて、高校受験生の家庭教師もしていて、とても忙しい毎日でした。合否はまだわかりませんが、一応、受験日までは精一杯のことはできたとは思いますから、とりあえずは自分の責任は果たせたとほっとしたとたん、深い闇の中に突き落とされてしまいました。

 突然、自分の学生の頃の暗い部分の記憶だけが甦りました。私は長い間、金縛りで苦しみましたが、高校時代がその苦しみのピークだったように思います。霊の姿もはっきりと見え、物理的な力も身体にかかり、恐怖と苦痛で毎晩本当に苦しみました。ようやく本当の眠りにつけるのが朝方でしたから、学校にはよく遅刻して、職員室の前に立たされたり、授業中もボーとして話も聞いてなくよく叱られました。ただ休み時間は元気で,馬鹿に明るかったのを覚えています。そうすることが、金縛りをなくす方法だと考えていたのだと思います。当然、成績も最低で、母校の恥だったに違いありません。「一体何しに学校へ来ているのだ!」と教師によく怒鳴られました。本当に誰が見ても私は異常だったと思いますが、当時の私はそれを気にする余裕すらまったくありませんでした。

 今は金縛りで苦しむことがほとんどなくなりましたが、その代わりに、その当時の自分の異常な行動を思い出して、恥ずかしくてたまらなくなることがあります。あれから長い年月が経っているのに、先生方に言われたことを一つ一つ思い出してしまい、劣等感の塊になります。「こんな救いようのない人間、早く抹殺しなければいけない。」と別の私が叫びます。朝起きた瞬間からフラッシュバックが起こり、苦しくて気が狂いそうになることがこれまで何度も周期的にやってきました。他の悲しみや苦しみを経験している時には、一時的に忘れることはあっても、原因が過去の自分自身である限り、永久にこの苦しみから逃れることはないような気がしていました。それでもやっと去年あたりからはそんな過去の暗い時代の自分も受け入れて、前に進めそうに思っていたのですが、ここ数日の突然の激しい落ち込みはもうどうすることも出来ないかのような状況でした。

 でも、これまで武本先生から霊的真理について学ばせていただきました。今この時期にまたこんな心理状態に陥ってしまうのも深い意味があるはずだから、それを冷静に考えように努めました。そしていろいろなことに気づきました。そういえば、そんな過去の暗い時代にも私の心に明かりを灯してくれていたのも彼だったことを思い出しました。高校時代は彼はまだ私の憧れの人に過ぎませんでしたが、何も話していなくてもその当時から私の心の中をわかってくれていたのではないかと思いました。彼だけが私を優しい眼差しで見ていたくれたことに今になって気づきました。今思えば、彼は私の神様のような存在だったように思います。私が「アメイジンググレイス」に惹かれたのも、こんなどうしようもない私をも神様は救ってくださったという気持ちが強かったからだと思います。人生に何の汚点もなく、模範的人間でこれまで過ごしてきたのなら、あの歌もそれほど深い感動を得ることはできなかったと思います。そう考えると、これ以上、自分を卑下することは神様に対して申し訳ないという気持ちで一杯になりました。

 たった今、本当にこのメールを書いている最中に、受験生から電話があり、第一志望の私立高校に合格したとの知らせを受けました。私は受験の前日に「大空と雲」の写真のついたノートにその子の弱点をまとめて書いて渡しました。きっとそれも役に立ってくれたことでしょう。昔の問題児、落ちこぼれも人を教えて感謝されることもあるのですね。

 今私のところのベランダに菜の花が咲いています。実はこれは私が育てたものではなくて、どこからか種が飛んできて自然に育ったのです。ワンルームマンションの5階に住んでるのですが、こんな高いところに、しかもどんな種を蒔いても育たなかったのでそのまま何年もの間放置していたプランターに咲いたのです。こんなことってあるのでしょうか。下手に世話をすると枯らしてしまいそうで、水さえもめったにやらなかったのですが、一体何の花が咲くのか楽しみでした。それが菜の花だと知ったのは2月22日でした。この日は私と彼の思い出の深い日でもあり、私がサウンドミュージックを初めて観て感動した日も去年のその日でした。さださんの「風に立つライオン」を聞いたのもその日でした。

 菜の花の花言葉は「快活、脱皮」だそうです。「報春の使者」とも呼ばれ春を告げる花であるのを知って、かすかな希望も見えてきそうに思いましたが、合格の知らせを聞いて、私にもようやく春が訪れたような気分になりました。菜の花の十字を見て、もう過去の自分を許せる日が近いような気がしてきました。

  R. W.





  I I S の個人セッション等について (2005.02.20)


 I I S (International Institute for Spiritualism) からの案内状によりますと、イギリス・ロンドンの大英心霊協会講師の金城寛氏(ミディアム兼ヒーラー)が来日して、次のような日程で、個人セッションなどが行われる予定です。

 会場: 東京都新宿区内 (予定)
 日程: 4月14日(木) 15日(金) 19日(火) 20日(水)

 1.リーディング(先祖)    40分  14,000円
 2.ヒーリング           40分  14,000円
 3.過去生のリーディング   40分  14,000円
  
 ほかに、スピリチュアル・カウンセリング、スピリットガイドのリーディングなど。

       ***

 また、I I S 講師陣が同行する「I I S聖地めぐり」として、「春の熊野でのスピリチュアル探訪」や「小桜姫神社ほか三浦半島でスピリチュアル探訪」などが予定されているようです。

 関心のある方は、次の IIS事務室(村上弘子さん) へお問い合わせしてみてください。
 
 〒272-0031 千葉県市川市平田 2-7-9
 Tel & Fax  047−322−3444
 E-メール :  infoiis@yacht.ocn.ne.jp
 ホームページ http://www.rr.iij4u.or.jp/~sagb/INDEX.shtml

 







 溝口祭典社長のご母堂が逝去されました (2005.02.19)

 
 株式会社溝口祭典社長・溝口勝巳さんのご母堂、溝口操様は、体調を崩して東海大学八王子病院に入院しておられましたが、去る2月16日、逝去されました。79歳でした。

 溝口勝巳さんのご母堂は、円満な優しいお人柄で、家族の皆さんのみならず、まわりの多くの人々からも慕われていました。私の講演会を熱心に支えてくださった方でもあります。ここにお知らせして、こころからのご冥福をお祈り申し上げます。

 なお、お通夜と告別式は、溝口祭典・こすもす斎場で、つぎのとおり行われます。

 通  夜: 2月20日 (日) 午後6時〜7時
 告別式: 2月21日 (月) 午前10時30分〜11時30分

 こすもす斎場
 八王子市元横山町 2-14-19
  電  話: 0426 (42) 0921
 http:www/mizoguchi-saiten.co.jp








  キプロスは菜の花でいっぱいです (2005.02.13)


 いつもありがとうございます。お元気でいらっしゃることでしょう。

 私の方も色々な形で啓示を頂いて、おかげで、前向きに何でも魂のお勉強として受け取ることにしました。それからは、近くに他界した主人がいても、あまり気にしないようになりました。

 行く場所を失った魂さんほど辛いものはないでしょうし、人間でも無視しすぎると性格が悪くなるのと同じだと思い、少しずつ、早く霊界でのお勉強の為に、居なければいけない場所に行って欲しいという願いを込めてお祈りしております。

 本当に霊界での生活が気にいらないのでしょうか?(苦笑) 他界した母は霊界でも多忙みたいなので、「他界した主人を連れて行って」 とお願いしたことがあるのですが、「行かないと言うから」 で終わり。 まー、見えない人も生きていると思っているので一緒にいるしかないでしょうね。

 武本様も寒い中、多忙なことでしょうから、お体を大事にして下さい。

 (キプロス共和国)
   K. M.







 誰でも小さなシャロン・ストーンになれます (2005.02.02)


 武本昌三先生

 いつもホームページを拝見しております。このたび「身辺雑記」(26) 「与えられている者の与える責任」で、シャロン・ストーンさんの高額寄付ハプニングを拝見して、メールを差し上げました。

 私が一般会員として加入しているNGO「難民を助ける会」では、以前からアフリカでマラリア予防に殺虫剤を塗布した蚊帳を配布しています。この蚊帳は非常に効果があるようです。ご参考までに、URLをお知らせ致します。

 「難民を助ける会」の先頭ページ、

 http://www.aarjapan.gr.jp/


 「ザンビアでマラリア予防の為の蚊帳を2,000張配付しました」のページは、

 http://www.aarjapan.gr.jp/lib/act/act0408-1malaria.html


 「マラリア予防キャンペーン2004 今年はアンゴラで」のページは、

 http://www.aarjapan.gr.jp/lib/event/event0408-2malaria.html


 同会に限らず、その他のNGOでも行なっているかもしれません。

 私のような一般人には高額寄付はとても不可能ですが、このようなNGOを通じて多少なりとも参加することが可能です。

 いささか本題から外れた内容で恐縮ですが、勝手ながら投稿させて頂きました。これからも、人々のためにご活躍されますよう期待しております。


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    玉ノ井重孝(たまのい しげたか)







 導かれて生かされている私たち (2005.01.26)


 R. W. 様

 KAGAYAさんの作品のなかの「銀河鉄道の夜」シリーズからはじまるあなたの長文のメールを、興味深く拝見しました。

 宮沢賢治はご承知のように、法華経への厚い信仰をもっていましたが、法華経を通じて人間の霊性に深く目覚めていった人であろうと思います。人間はすべて助け合いいたわりあって共に幸せにならなければならないという万人共栄の思想をもち、それを農村指導や宗教、文芸活動の中で実践していくことに努めていました。その文章にいつも流れている、人々に対するあたたかい思いやりと優しい視線が多くの読者を惹きつけているのでしょう。

 あなたの東北への旅で会われた「すてきな笑顔」のお話はこころが和みますね。ことばがまるで分からなくても、笑顔というのは人のこころの優しさを魂の奥深くまで染みこませて、しばしば、それだけで人に生きる力や希望を与えてくれることがあります。あなたのあのときの東北への旅は、宇宙から真理の美しさを伝えてくれているようなアルビレオの星に導かれた旅であったといえるのかも知れません。そして、アルビレオの星は、いまも、あなたを導いてくれているのでしょう。あの星が肉眼では、ごく平凡な3等星にしか見えないのに、小さな望遠鏡で見ると、これが金色をした 3.1等星とエメラルド色をした 5.1等星の二つがぴったりと寄り添った美しい二重星であることがわかるというのも、特にあなたにとって象徴的であるように思えてなりません。

 おそらく、人はみんな、あなたのアルビレオの星のように、それぞれに自分を導いてくれているものをもっているはずです。私たちは、決して自分一人だけで生きているのではなく、いつも導かれて、大きな力のなかで生かされていますから、この「導かれて生かされている」という意識をもつことが、生きる力や希望をもつことができるだけではなく、もしかしたら、シルバー・バーチのいう、「悲しみは仮面です。本当の中身は喜びです」を理解するひとつの道筋になるのかも知れない、とも思ったりしています。








 アルビレオの星に導かれて (2005.01.26)


 武本先生
 
 先日、メールに書いていたKAGAYAさんが、16日、岡山に来られました。いつもなんてタイミングがいいのだろうかと思いましたが、今回はお会いした後しばらく、何だか現実感がなくなってしまったようで(魔法にでもかかってしまったというか・・・)ボーとした状態が続いてしまいました。KAGAYAさんの作品は全米デジタルアートコンテストで第一位を受賞したことがあるというほど、すばらしいものでしたが、その中の宮沢賢治「銀河鉄道の夜」シリーズを見て、過去の出来事がいろいろと甦ってきました。

 7年くらい前に東北のほうに旅したことがありましたが、その旅は自分の死に場所あるいは生きる場所を探す旅でもありました。最初は彼が眠る秋田で死ねたら・・・と考えましたが、何故か岩手県まで行ってしまったのを覚えています。汽車の中で一人の農婦に話かけられました。その人は笑顔がとても素敵でしたが、話している言葉がまるでわからず、私は困り果ててしまいました。必死でその人の問いかけに答えようとしましたが、恐らく私の返答もその人にはチンプンカンプンだったと思います。それでも、変な顔一つせず「うんだ!うんだ!」と相槌を打ってくれたようにしてニコニコと微笑んでくれました。その人は「花巻」で降りましたが、私はその優しい笑顔が忘れられず、その時「ここで死んだりしたらバチが当たる」と思い、徳島の実家に帰りました。

 それから数年後、テレビをつけると、その時の私と同じことを考えて旅をした人がいました。その人は私とは逆に東北から四国に死に場所を探しに旅にでたそうでした。ちょうど、徳島までたどり着いた時に、力が尽きてしまい、橋から飛び降りようとしたそうです。その時にたまたまそこを通りかかった刑事さんに助けられたようで、その刑事さんは、朝まで寝ないでその人に付き合ってくれて「生きるとは何か」を教えてくれたようです。お陰でその人は立ち直ることができたそうです。それから10年経ち、その時の命の恩人である刑事さんに是非もう一度会って御礼が言いたいと番組に依頼してきたようでした。

 私はその時「もしかして命の恩人って・・・私の知ってる人では・・・」と思いましたが、その予感が当たりました。実家の近所に住んでいたAさんで、小さい頃にはよく遊んでもらいました。Aさんがテレビに登場した時は本当にびっくりしましたが、彼はこう言ったのです。「いつもはあの場所は通ることはほとんどありませんでした。あの日に限ってそこを通ったのです。きっと神様がそこへ行って救ってあげなさいと自分をそこへ行かせてくださったのだと思います。これから一生の付き合いをしましょう!」

 これには司会をしていたSMAPの中居さんも涙ぐんでいました。実はAさんは近所での評判はあまりよくはありませんでしたが、私だけはきっと純粋で正義感が強い立派な人なんだ。だから周囲の反発があるのだと思っていました。テレビで見て本当にその通りの人であることを知ってほっとしたのでした。

 今ふと思いました。もしかしてあの時のあの笑顔の素敵なおばあさんは、私の本当のおばあちゃんだったのかな?と。ずっと祖母(母の継母)にも苛められてきた私は、一度も見たことがなかった本当のおばあちゃん(母が3歳の時に亡くなった)の写真をお守り代わりに隠し持っていました。花巻のあの方に出会わなければ、私はあの時自殺していたかもしれません。私も命の恩人のあの方にもう一度会って心から御礼を言いたい気持ちで一杯になりました。KAGAYAさんの作品と出会って、そのことをまた思い出させてくれたのも、・・・きっと霊界からのメッセージなのでしょう。「お前は一人ではない!たくさんの人たちが見守っている。本当の祖母も霊界から見守ってくれていることを忘れてはならない」という声が聞こえてきそうな気がしました。

 もう一つ素敵なことがありました。

 KAGAYAさんにお会いする少し前に、赤い星のようなものが私の目の前を横切ることが何度かありました。その前はダイヤモンドのような綺麗な星が横切るのを何度か見ましたが、どうして最近は赤なのか?少し気になっていました。その後、さだまさしさんの”ふたつならんだ星〜アルビレオ〜”という歌を聞いて、はっとしました。アルビレオは「白鳥座」にあって、羽を広げたはくちょうの丁度くちばしに当たる小さな星の名をそう呼ぶことをその時知りました。その星は二重星で赤と青の輝く星が綺麗に並んでいて、それをさださんは”韓紅”と”瑠璃色”を当てて、歌にしたそうです。その歌を聞くと、まるで私の気持ちを歌っているかのようで、深く感動しました。

初めて空を飛ぶ鳥のように
何も知らない私に
目指すべき虹の架け橋となり
雲に紛れて守ってくれた
闇夜に迷う私には あなたは優しい星
疑わずに あなたを辿って生きてきた

韓紅と瑠璃色とふたつ並んだ星よ
その名はアルビレオ美しい星あなたと私の希望

 私の名前が「るり」なので、青だとすれば、あの時、私の前を横切った赤い星のように見えたものは、もしかして彼?赤と青のアルビレオ?それも深いメッセージだったのかもしれないと思ってしまいました。すると今度は、さださんが宮沢賢治が愛について書いていることを引用しているのを見つけました。「愛とは別々に生まれた二つの魂が正しく、同じ方向に向かおうとする力のことだ」

 これも私への霊界からのメッセージなのかもしれません。時々不安になる私に「これでいいのだ。道は間違っていない。」というのがあの赤い星の意味のような気がしてきました。

 そのアルビレオを知ってから、KAGAYAさんの「銀河鉄道の夜」シリーズの”北十字”には特に心惹かれました。私がKAGAYAさんに「銀河鉄道の夜が好きなんです。」と言った時に、KAGAYAさんの表情が一瞬変わったように感じました。その時、まるで私の心の中すべてを読まれてしまったような気がして、なんだか恥ずかしいような怖いような気さえしました。

 幻想的な絵に囲まれていたので、そう感じたのかもしれませんが、展示場を出てからもしばらく不思議な感覚から抜け出すことができなくて、駅の構内を行ったり来たりして、なかなか家に帰れませんでした。そのうち、駅の売店にふらりと入りましたが、そこでどこにでもありそうなキーホルダー売り場の前に立って、ぼーっとそれらを眺めていました。すると、その中の一つが光ったような気がしたのです。一体なんだろうか?と思い、顔を近づけると、「ノーザンクロス」と書いてあります。はっとしました。何でこんなところにそんなものが・・・「北十字星 希望を与える星 南に向かって羽ばたく美しい白鳥が希望と共にあなたのもとへ・・・」と書いてあるのを見て、私がまっすぐに家に帰れず、その辺を何度も歩き回った理由がわかったような気がしました。

 時々、そういった状態になるのですが、そんな時は何かの力が作用しているような気がします。必ずその直後に何か大切なものを見つけるのです。私はそれを買って、携帯につけました。その携帯には、去年の10月の彼の月命日に買ったペットボトルのお茶のおまけに入っていた、ミッキーマウスのマスコットもつけていますが、そのミッキーマウスは”ディレクター”の格好をしている”ディレクターミッキー”というそうです。「さすが!」と思わず笑ってしまいましたが、今回の白鳥を描いた北十字星のキーホルダーも彼からのプレゼントだったのでしょうか。それとも守護霊様が気をきかせてくれて彼を演じてくれてるのでしょうか。毎回毎回、本当に不思議なことばかりです。

 宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」にも本当に深い学びがあるように思います。「鷲の停車場」が近づいてきたとき、列車に幼い姉弟とその家庭教師の青年が乗ってきましたが、自分たちは大きな船に乗っていて、氷山がぶつかり遭難したと、沈没する船の様子を話す青年に、乗り合わせた燈台守が、「本当にどんな辛いことでもそれが正しい道を進む中での出来事なら峠の上りも下りもみんな本当の幸福に近づく一あしずつです」と慰めると、「ああ、そうです。ただ一番の幸いにいたるためにいろいろの悲しみもみんなおぼしめしです」青年が祈るようにそう答えるところなんか、先生の昨日付の”今日の言葉”にある息子を二人までも戦争で失ったある実業家夫妻を前にして、シルバー・バーチが言った「お二人は、人間として最大の悲しみと苦しみを味わわれました。しかし、その悲痛の淵まで下りられたからこそ喜びの絶頂まで登ることもできるのです」「お二人がこれまで手を取り合って生きて来られたのも、一つの計画、悲しみが訪れてはじめて作動する計画を成就するためです。そうした営みの中でお二人は悲しみというものが仮面をかぶった霊的喜悦の使者であることを悟るという計画があったのです。悲しみは仮面です。本当の中身は喜びです。仮面を外せば喜びが姿を見せます。」と共通するものを感じました。

 未完の作品でありながら、宮沢賢治がその童話で伝えたかったことも、今回のことでなんとなくわかったような気がしてきました。

 R. W.







 悲しみを与えられたことに感謝して生きる (2005.01.09)


 A. H. 様

 メールを有難うございました。なつかしく拝読しました。

 「人生を終える時 『幸せだった』と微笑むことができるように」 というのはいいことばですね。私も、自分の人生を終えるときには、そのようでありたいと思います。そして、さらにつけ加えれば、この人生を生きてきてよかった、大きな悲しみにあえてよかった、と感謝できるようでありたいとも思っています。

 私は随分長い間、人生で経験する悲しみの意味が分かっていませんでした。世間の多くの人々と同じように、悲しみの多いのが不幸で、悲しみのないのが幸せだと思っていました。しかし、いまではそうは思っていません。悲しみの多いのもいいことである、少なくても、悪いことではない、と考えるようになってきています。ただ、その場合、ひとつ、条件を付けなければならないでしょう。その悲しみは、必ず乗りこえなければならないということです。そして、一人一人にとって、例外なく、乗りこえられない悲しみはないということも、知っておく必要があります。

 このホームページにも載せている 「明日のことを思い煩うな」 (「随想」No.41)に、「誤解を恐れずにいうならば、悩みや苦しみや悲しみは、すべて決して悪いことではありません。自分にとって必要であるから起こるべくして起こっていると考えるべきなのでしょう。むしろ、悩みも苦しみも悲しみもなく、平穏無事のまま一生を終わってしまうということがあれば、その人生こそ、本当の意味で、悲しむべきなのかもしれません。この世に生を受けて魂を磨いていくという折角の貴重な機会を見逃していることになってしまうからです」と、私は書きました。あなたには、こういう言い方もきっと理解していただけることと思います。

 世の中には、何が悲しむべきことで、何が喜ぶべきことなのかを、取り違えているような人が多くみられますね。気がつかない、知らない、ということは致し方のないことかも知れませんが、そのような「不幸」を克服していくためには、やはり学んでいくことが大切であろうと思います。あなたが、人一倍、生と死について考えさせられる体験を多く持ってこられたのは、それだけ、本当の幸せを掴んでいくための多くの機会が与えられているということで、まだお若いあなたの前には、広い真理への道と大きな可能性が開けています。今年もまた、どうか、あなたにとっていい年でありますように。







  いつも妹さんはあなたの側におられます (2005.01.04)


 W. Y. 様

 たまたま昨日付けの「今日の言葉」では、妹とお父さんを亡くした幼いジョン君に対するシルバー・バーチのことばを取り上げています。シルバー・バーチが「これはまだまだ知らない人が多い大切な秘密です」といいながら、亡くなった妹とお父さんは「いつも側にいてくれている」と述べています。

 一般に世間でも、誰かが亡くなった場合、その死を嘆き悲しむ家族に対して、よく同じようなことを言いますね。亡くなった人は「きっと天国から見守ってくれているでしょう」と。言う人はおそらく慰めのことばの一つとして、そのように言い、聞く人もそれでいくらかは慰められるような気がするのかも知れません。しかし、本当に「天国から見守ってくれている」ことを知って、そのように言っている人はどれだけいるのでしょうか。やはり、これは、「まだまだ知らない人が多い大切な秘密」なのではないでしょうか。

 私は、シルバー・バーチがこのように言ってくれていることを実に有り難いことだと思っています。シルバー・バーチがどのような人であるかは、私は私なりに十分わかっているつもりですし、このシルバー・バーチのことばに少しでも疑いをはさむような気持ちはまったくありません。私の言いたいことは、もうおわかりだと思いますが、あなたの妹さんはいつもあなたの側におられます。そして、あなたが語りかけることばはちゃんと通じています。妹さんを思うこころもきちんと伝わっています。「薄紫の蘭の花」も、妹さんのあなたに対する感謝のことばのひとつではなかったでしょうか。

 新しい年が、どうか悲しみとの決別の年でありますように。妹さんとこころ安らかに語り合えることができるようになる年になりますように。あなたを見守ってくださっている大勢の方々といっしょに、あなたの今年の力強い歩みに期待を寄せていきたいと思います。







  新しい年を迎えてドイツから (2005.01.04)


 武本先生

 ご無沙汰しております。いかがお過ごしでしょうか?

 昨年は、心温まるお言葉を何度も頂戴し本当にありがとうございました。この1年は、あっという間だったような気もしますし、と同時に10年以上の歳月を経たような気もいたします。

 妹を亡くして以来ひたすら妹が亡くなった「意味」を追い求めてまいりましたが、1年を経て、少しずつ分かりかけてきたように思います。自分が今までいかに恵まれていたか、そしてその事を今まで1度も意識したことが無かったという事。こんなにも無知で無力であっても生きていられる不思議。そしてそれが人間の想像を超えた大いなる力によってであること。この世を生きていくうえで1番大切なことを、妹が教えてくれたように思います。

 先生にご報告しなければならない事がございます。12月25日に無事、納骨を済ませました。北陸(実家は北陸にあります)の冬とは思えないほど穏やかな日でした。ちょうどお経をあげて頂いている時に、太陽が墓石に反射し、まぶしくて見ていられないほどに輝いておりました。大英心霊協会で、私が月命日に部屋中にろうそくを灯したことを妹が喜んでいると聞かされておりましたので、その日も綺麗な色のろうそくを沢山お墓の周りに灯しました。

 実は今回の帰国では、いくつか不思議な、否、素敵な事があったのです。まず、実家に戻ると、大きな薄紫の蘭の花が飾られていました。実はsittingで、妹が私や母に上品な紫色の蘭の花を贈りたいと言っているというメッセージを受け取っていたのです。このお花は、11月の帰国時に、母の入っているコーラスグループの発表会があり、私がビデオ撮影をした事への御礼という事だったのですが、伝えられた通りのお花が家にあるのを見てびっくりいたしました。

 更に、年末に家族で訪れた温泉旅館にも同じような蘭の花、そしてその旅館の近くにあったのが “のと蘭の国” という名のフラワーパーク。又旅行中は、天気予報でずっと雪マークだったにもかかわらず、何度か太陽が顔を見せ、大きな2つの虹まで見ることが出来ました。恐らく妹が私たちと一緒に旅行し、私たちにプレゼントしてくれたのでは、と思っております。又命日に当る日、体調を崩して早々に床に就いたのですが、それもその日を悲しまないで欲しいという妹からのメッセージだったのでは、と思えてなりません。

 戦争、テロ、天災と暗いニュースの多かった2004年は過ぎ去りました。しかしこの1年で、愛する者を亡くして悲しむ人々が世界中で何人いたのかと思うと心が痛みます。殊に年末に起こったスマトラ島沖の大津波は、時期が重なるため、1年前の自分を思い出し、ニュースを見るのは非常に辛いです。しかし、どんな悲劇にも必ず意味があるはずだと信じて、皆が心穏やかに暮らせる日が1日も早く訪れることを願ってやみません。

 最後になりましたが、本年も、先生のホームページで亀の歩みではありますが “生きていくうえで大切なこと” を学んでいきたいと思います。先生も御身体にお気をつけ下さい。2005年が先生にとって良い年となるようお祈り申し上げます。

 W. Y.







 ロンドンにいて感じたいくつかの偶然 (2005.01.02)


 武本先生

 本当はEメールでなく、きちんとクリスマスカードをお出ししたかったのですが、住所が分からず結局 Eメールで申し訳ありません。

 時々、ホームページに目を通させて戴いていますが、少し驚くことがありました。まず私の誕生日が6月5日(年は違いますが)ということ、それから7月に私も九寨溝・黄龍へ行っていたということです。7月5日から行きましたので、先生とは少しだけ時期がずれています。

 日本に住んでいた頃はよくアジアを旅していましたが、イギリスに来てからはそのチャンスもあまりなく、残念に思っていましたが、思いきって昨年夏に長期日本へ一時帰国をし旅行をすることにしました。6月下旬にカンボジアとベトナムへ妹と。それからチベットと中国(九寨溝・黄龍・成都)を友人と行ってきました。

 チベットへはずっと行って見たかったのです。街中、山中至るところで五体投地をするチベット人の姿は感動的でした。ただ、中国政府にコントロールされすぎで、中国色が強すぎたことが残念でした。九寨溝・黄龍も本当に綺麗なところで心が洗われる気がしました。次はエチオピアの地下教会へ行ってみたいなと思っています。それと情勢が落ち着いたらイスラエル。行ってみたいところはたくさんあります。

 昨夜、日本に住んでいる友人が里帰り中であったため、ロンドン中心部で食事をしていたところ、そのレストランに、私の日本での仕事の関係者の方が急に現れて驚きました。今回は仕事ではなく、プライベートであったため、私にもイギリスに来るという連絡は一切ありませんでした。驚きました。でも、こういったことってあるんですよね。以前、内藤先生にも偶然ロンドンでお会いしましたし。

 2005年、ますますのご活躍をお祈り致します。

  K. S.








  明けましておめでとうございます (2005.01.01.)


 今年もまた、このホームページを支えてくださっている皆様と共に、苦しみや悲しみがあっても励ましあってそれらを乗りこえ、一歩一歩、光りを目指して学びの道を歩んでいきたいと思っています。どうぞ、よろしくお願いいたします。
 
 新しい年の初めにあたり、皆様方のご健康とご多幸をこころからお祈り申し上げます。

 なお、すでにご案内しましたように、今年から「今日の言葉」の欄を追加することにしました。毎週、月曜日と木曜日に載せて、「学びの栞」と同じように、出典を明らかにしてインデックスをつけ、必要に応じて自由に検索できるようにする予定です。

 「学びの栞」は、引用資料として、どうしても少し長くなる傾向がありますが、「今日の言葉」では、シルバー・バーチを含むいろいろな書物から、真理を伝える叡智のことばやこころに染みる珠玉の一節などを抜き出し、なるべく短くまとめていきたいと思っています。自戒の意味もこめて、若干の解説、感想等もつけ加えていきます。1月3日(月)から始めます。




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