(日付の新しいものから順にならべてあります)





 このホームページのヒット数 5万回に感謝して (2005.09.21)


 キーボードの前の皆様に:

 このホームページを、私の講演会の参加者の方々からのお勧めをいただいて開設に踏み切ったのが、2003年3月末のことでした。溝口祭典の佐々木薫さんのご協力を得て、試行錯誤を重ねたうえで、このような形に落ち着いたのが、その年の11月末のことです。2004年の9月11日にヒット数は2万になり、12月29日には3万になりました。4万になったのは、今年の5月12日です。そして、一昨日、9月19日に5万回に達しました。昨年の9月11日からおよそ1年間で3万回増えたことになります。

 この数字は、ホームページとしては決して大きな数字ではないかもしれませんが、私にとっては大きなこころの拠り所になっています。私は長い間の教員生活を通じて、毎日のように、数十人、時には百人を越える学生たちを前にして、講義を続けてきた経験があります。いま私は、教師としてではなく、あくまでも学習者の一人として、同じように、数十人の、そして、時には百人を超える、このホームページへの訪問者の方々に対して、生と死の意味を学ぶためのささやかな発信を続けるようになりました。皆さんのご声援のお陰で、そして、佐々木薫さんのご協力を得て、開設以来一日も休まず継続してこれたことを、たいへん有難く感謝しております。

 私は大学を定年退職後、生と死をテーマにして原稿を書いたり、このようなホームページを作ったりしていくことになろうとは予想していませんでした。しかし、いまの私には、長年の大学における教育活動に劣らず、というより、むしろこの小さな奉仕活動のほうが、私が生きていくうえでも、大切な意味があることを身にしみて考えさせられております。毎日の発信を続けながら、この発信を受け留めてくださっている多くの方々に私自身が支えられておりますことを、この機会に改めて、こころから厚くお礼を申し上げます。







 こすもすセミナー 講演会のお知らせ (2005.09.20)


  私の講演会が下記のとおり開催されます。


 演題: 死を越えて生きる
       --怖れと悩みのない人生のために--

 日時: 11月6日(日) 10:30〜12:00 (午前10時 受付開始)
 
 場所: こすもす斎場 3 階 大ホール
       八王子市元横山町 2-14-19

       電話: 0426−42−0921

 聴講は無料ですが、会場準備の都合上、事前に、こすもす斎場へ電話でお申し込みください。

 交通アクセス(案内図) は下記のホームページをクリックしてご覧下さい。

   こすもす斎場 http://www.mizoguchi-saiten.co.jp


     *************


  講演者のことば

 臨死体験をした人の多くに共通するひとつの興味深い事実は、死後の世界を垣間見て、霊界の存在を確信するようになるということでしょう。その結果、「死ぬのも怖くはない」と言い切ったりもします。また、臨死体験がなくても、優れた霊能者ならば、霊界と交流して霊界の生活にも通じていますから、死後の世界を信じるのは当然のこととして、死を怖れるようなことはなくなります。さらに、臨死体験者や霊能者でなくても、いろいろと聞いたり学んだりして、死後の世界を知るようになり、死の怖れから解放されている人々も少なからずいます。しかし、一般的には、まだまだ死後の世界の存在さえ信じきれないという人々のほうが、圧倒的に多いといっていいのかもしれません。

 死後の世界の様子については、実は、私たちが求めようとしさえすれば、数多くの情報を比較的容易に手に入れることができます。従来からの、死後の世界の存在を説く多くの宗教や教典のほかにも、いまでは、読みやすい霊界関係の書籍も数多く出まわるようになりました。目に見えない世界のことですから、迷信や誤信や人の弱みに付け込む欺瞞などもないわけではありませんが、愛と叡智に裏打ちされた救いのことばも少なくはありません。ほかならぬ自分のいのちに関することですから、大切なことは、自分の良識と知性に背かない真実の教えを、真剣に自分の手で掴んでいくことでしょう。

 私たちは、一人の例外もなく、やがて死を迎えることになります。これほどはっきりしている厳粛な事実を前にしても、なお、死の意味を知ろうとはせず、ただ、死を忌み嫌い、死の問題に直面することを避けて通ろうとするだけでは、こころの安らぎが得られるはずもありません。死は最大の不幸であると思いこんで、嘆き悲しんだりする世間の常識に盲従する前に、私たちには知らねばならない真実があります。この講演では、あらためて、生と死の意味を問い直し、死を乗り越えることによって、怖れや悩みのない明るい生き方を選び取っていくことを、皆さんと一緒に考えていきたいと思います。







 今まで以上にご主人の愛に導かれて (2005.09.05)


 M. Y. 様

 2度のメールを拝見しました。お子様が生まれて間もないのに最愛のご主人を亡くされて、さぞお辛いこととお察し申し上げます。

 一つの大きな救いは、「学生の頃から輪廻転生や人の魂は永遠であると思っていた」とメールにお書きになっておられることで、これは、あなたにとって何よりの、未来に向かっての生きる力になってくれるような気がします。人は迷信や誤信や単なる慰めによっては決して救われることはありません。人が救われるのは真理によってのみです。どうか、その学生の頃からの真理の学びを、これからは一層深めていっていただきたいと期待しています。

 この「メール交歓」の7月29日〜8月24日の分もすでにお読みいただいているということですので、私がまた、お返事を差しあげることになれば、今までのメールに対する返事と同じような内容になることは、ご推測いただけると思います。やはり、大切なことは、ごく狭い地上的な視野でものをみるのではなく、いのちの真理を捉えるのに必要な霊的な尺度から、見つめなおすことでしょう。その視野の拡大のなかでは、「死別」の意味もまったく変わってきて、少なくとも、「不幸」とはシノニムでないことがお分かりになっていくかもしれません。

 お返事の一端にでもなればと思い、本日の「今日の言葉」は、「宇宙で愛ほど強力な引力はありません」(No.62) というシルバー・バーチのことばを載せておきました。どうぞ、ご一読ください。シルバー・バーチの教えは、私にとっても本当に有難く、生きていくうえでの大きな支えになっています。このほかにも、「学びの栞」の「インデックス」により、お知りになりたいことを直接シルバー・バーチのことばから掴みとっていただくことが出来れば、私もたいへん有難く存じます。







 取り返しのつかない挫折ではなく (2005.08.24)


 K. M. 様

 メールを拝見していますと、お苦しみの様子が強く胸に伝わってきます。さぞ、お辛いことであろうと、ご心中お察し申し上げます。たいへん重いお尋ねで、私がそのようなご質問にお答えできる資格があるとは思いませんが、ご自分の悲しみや苦しみに耐えられない思いをされている時でも、知っておられたほうがいいと思われる点を、一つ二つお伝えすることぐらいは出来るかもしれません。

 まず、いのちは、この世だけのものではなく、永遠に続いているということです。繰り返し繰り返し、生まれ変わりながら、悲しみや苦しみを含めて、いろいろな経験を積み重ねていきます。いのちがこの世だけのものと考えれば、それが、22年で断ち切られてしまうのは、取り返しのつかない不幸ですが、永遠のなかのほんの一瞬にしか過ぎない今生の、ひとつの挫折であることが理解できれば、見方も少し変わってきます。たしかに挫折には違いないのですが、それは、決して取り返しのつかないことではなく、その挫折を契機にして、大きく伸びていく新しい出発点にすることも出来るからです。

 これを分かりやすくお伝えするために、私の知人のある優れた霊能力者の話をさせてください。彼は、自分の過去生をいくつか具体的に思い出すことが出来ます。抗争に巻き込まれて相手を殺したこともありますし、人の恨みをかって殺されたこともあります。金銭的なトラブルのなかで自分の無実を信じてもらえず、憤激のあまり自殺したこともありました。そういういろいろな人生での苦しい経験を通じて、いのちの在り様を学び、生きることの意味を覚り、いまでは、生死を超越して悩みや苦しみとは無縁の、まったく明るい人生を楽しんでいるように見えます。彼に言わせれば、過去世で人を殺したことも、人に殺されたことも、自殺したことも、みんな、自分の学びの為の貴重な体験であったということです。

 つぎに、これは、シルバー・バーチの教えですが、ある家族を亡くした人に次のように言ったことがありました。

 「ぜひ銘記していただきたいのは、あなた自身にとって大変な悲しい出来ごとのように思えることも、実は他の大ぜいの人たちのためにあなたを役立てようとする計画の一端であることがある、ということです。あなただけの個人的な見地からのみ眺めてはいけません。その体験を通じてもし大勢の人々の魂が鼓舞されることになれば、それがひいてはあなた自身の魂の成長を促すことになります。」

 いまは、悲しみのあまり、「魂の成長」などと聞かされても、よそよそしく、お辛いだけかもしれませんが、悲しみや苦しみからいつまでも立ち直れないでいますと、それだけ、「亡くなった」お子さんとの対話ができるようになるのも、遅れてしまうことになることをご理解ください。「今日の言葉」N0,56 にもありますように、霊界のお子さんがご家族の方々に近づこうとしても、悲しみや苦しみが厚い壁になって、「連絡通路」を塞いでしまうことになります。お子さんは霊界で今でも立派に生きておられますから、どうか、そのことをご自分で確信できるようになってください。そして、出来るだけ早く、こちらから温かなことばを送ってあげられるようになることを、こころから、お祈りしていたいと思います。







最愛の子を亡くして辛く苦しい毎日 (2005.08.24)


 最愛の息子を、自殺で、亡くしてもうすぐ二年になります。後悔と自責の念で、毎日辛く苦しい日々を、送っています。二十二歳の大学生でした。恋も知らず、苦しい事の多い青春だったと思います。無口で優しい子でした。

 息子が逝ってしまって、家族は、ばらばらになってしまいました。私は食事も出来ず、夜も眠れず入院もしました。夫は酒量が増え時折泣いています。次男は、家に寄り付きません。

 どうして救ってやれなかったか・・・・・そればかり考えて、落ち込んでいます。精神科の薬を、飲んでいますが、効きません。今は何の、夢も希望も楽しみもありません。ただ息子に謝って泣くだけです。

 これからどうやって生きていけばいいのか、わかりません。寂しくてたまりません。息子は、もっと生きていたかったと思います。息子を、追い詰めたのは、私です。悔いても悔いても息子は帰ってきません。

 生きているのがつらいです。息子は、どこにいるのでしょうか? こんな私でも救われるのでしょうか?

  K. M.







 平坦ではない真理への道 (2005.08.12)


 W. R. 様

 メールを有難うございました。相変わらずいろいろと霊的真理を求めて頑張っておられるようで、微笑みながら、声援を送りたいような気がしています。あなたもいろいろと経験しておられるように、やはり、真理への道は平坦ではないようです。紆余曲折があって、迷いや挫折もあって、少しずつ、真理の光へ近づいていくのではないでしょうか。

 あなたの言われる霊能者の能力は、本当に、ピンからキリまであります。私は、過去20年以上もの間、何十回もいろいろな霊能者の話を聞いてきて、そういうことがわかってからは、霊能者のことばには、いまでは、あまり振り回されるようなことはなくなりました。優れた霊能者がおれば、ぜひ会いたいという強い思いは今でもありますが、自分が会うことの出来る優れた霊能者というのは、そう多くはないということも、よくわかっています。

 それよりも、私がいまホームページで紹介を続けているシルバー・バーチは、私が身近に感じうる最大最高の「霊能者」ですから、シルバー・バーチのことばを知ることが出来ることだけで、十分に学べるような気がしています。右往左往しないで、何度もシルバー・バーチを読み返して、その教えを素直に受け入れる。それが、結局は、真理への近道で、自分自身を救うためにも一番大切なことなのかもしれません。私は、シルバー・バーチの教えに親しむようになってからは、内外のいろいろな霊能者からいろいろなことを聞いても、割合、余裕を持って、受け入れたり、受け入れなかったりしているように思います。

 霊性開花のワークショップが楽しくて、よかったですね。これからの、あなたのさらなるご精進を楽しみにしています。







 亡くなられたお子さんに対する供養とは (2005.07.29)


  M. Y. 様

 二度目のメールを拝見しました。お子さんを亡くされて深い悲しみのなかにおられるあなたに、私はいま、どうしたらよいというようなことは申し上げられません。ただ、ここでは、お子さんに対する供養ということを中心に、私の辿ってきた道を振り返りながら、考えていることの一端だけを述べさせてください。

 私自身は、妻と長男を亡くすまでは、霊界とか死後の生というようなことは、何もわからず、信じてもいませんでした。私は、そのような無知の状態で、それまで50数年を生きていたことを、いまでは恥じています。世間でよく考えられているように、人間が死んでしまえば無になって、何も残らないのであれば、事故で肉親を亡くすほど悲しく惨めなことはありません。どのように慰められようと慰められるものでもありません。ただひとり閉じこもって涙を流しながら、深い闇の中に沈んでいくだけです。

 でも、もし、それがそうでなかったら、どうでしょうか。死んだと思い込んでいるのに、実は死んでいなかったらどうなるでしょうか。生や死の意味がよくわからないうちは、そのようなとんでもない勘違いをすることがあります。勘違いをまったく勘違いとも気づかず、いつまでも悩み苦しみ悲しむのです。私がそうでした。「科学万能」の世界の中でのみ生きていた私の無明の闇は、よほど深かったのでしょう。その苦しみから10年も逃れることができませんでした。

 私は、無知無明のなかで苦しみながらも妻や子の供養を一生懸命に考えていました。毎日花を供えてお経を上げていました。私はいまははっきりとわかっていますが、それは、なんの供養にもなっていなかったと思います。私が苦しんでいる間、妻と長男はそのような私を身近に見つめながら「どうして自分たちが生きていることをわかってくれないのだろう」と、やはり苦しんでいたはずだからです。長男からは、「いつまでも元気がない。お父さんはなんでも出来る人ではないか」と霊能者を通じて「叱られた」こともあります。

 私は確信をもって申し上げられますが、供養の第一は、亡くなった家族が立派に生きていることを知ってあげることだと思います。それが何よりも大切な、何よりも大きな供養になります。いくらたくさんの花や供物を供え、立派なお坊さんにお経を読んでもらったりしても、位牌の前で悲しんで泣いていたりするのでは、供養には決してなりません。

 あなたは、また、「子供と一緒に居たい、話をしたいという気持ちを抑える事が出来ません」といわれます。親の気持ちとしては当然のことです。私も一人の親としてそう思います。ただこれも、私は自分の体験でしかお答えできませんが、いまでは、いつも亡くなった妻や長男と一緒にいますし、時折はこころのなかで話もしています。いまの私は、決して「惨め」ではありませんし、一人暮らしをしていても、そんなに淋しいと思うこともありません。さらにいわせていただければ、生と死の意味に気づかない世間の多くの人々よりは、かなり「恵まれている」のではないかと感謝することはあります。

 私は、この私の辿ってきた道について、いろいろとこのホームページにも書いてきました。かつての私のように、大きな勘違いをして悲しみ苦しんでいる方々の「他山の石」に少しでもなることができればと思うからです。世間一般の常識がどのようなものであれ、真理はあくまでも真理であって、どのようにしても曲げられるものではなく、真理だけが救いであると信じるからです。これらの私の書いたもののなかからも、もしなんらかの示唆や指針のようなものを感じ取っていただければ、私はそれだけでもたいへん有難く、こころからの感謝を申し上げるでしょう。


 




 抑えきれない亡き子への思い (2005.07.29)


 武本先生

 お忙しいところ心温まるメールをありがとうございます。

 わたくし、子供を亡くすまでは、人間は死ぬと無になり、死後の世界等は無いものだと考えておりました。子供を亡くしてからキューブラ・ロス、ムーディ、セイボムらの臨死体験に関係する本を読み、つづいて体外離脱関係の書物を読み、これからシルバーバーチの本を読もうとしているところです。武本先生のシルバーバーチの引用を読ませていただいて、心に染み入るものがあったから全文を読もうと購入し、届くのを待っています。

 確かに言葉としては、すばらしいことが書いてあり、また、理解もできるのですが、「子供を亡くす事は、決してお気の毒な事でも不幸な事でもありません」というような境地にいたることは出来ません。子供と一緒に居たい、話をしたいという気持ちを抑える事が出来ません。

 確かに『霊訓』に書いてあることは、そのとうりだと思いますが、頭では、理解できていても感情的に解らず日々苦しんでいます。特に周囲からの誹謗中傷が妻の心を傷つけます。例えば、もう49日も過ぎたのに家で何をしてるんやろとか、他の子供の為に頑張りなとか、本人たちも充分に解っているが、心がついてこなくて出来ないことを指摘され心が傷つきます。

 一番辛いのは、死んだ子供が夢枕に立ち、ちゃんと弔って欲しい、と言われたと母親に言われることです。私達両親の夢にも出てこず、祖母に出るのか?そんな事は無いのでは無いか?そんな中、武本先生の本を読み、もし、霊能力者を紹介していただけたら、子供が、事故現場にまだ居るのでは、あの世で苦労していないか、もしこの世で何かしてやることにより楽に過ごせるものならなんでもしてやるのだが、いろんな思いが先生にメールを出させてしまいました。

 わたくしは、凡人ですので頭で理解しても心で理解できなく、本人と直接コンタクトしたいと思ってしまいます。先生にメールで指摘されたことは、もっともだとは思っておりますが、いまだに本人とコンタクトしたいと言う強い思いは変わりません。

 乱文になり申し訳ありません。今後ともご指導よろしくお願いします。

 M. Y.







 ダウン症のお子さんをもつある母親の手記 (2005.07.28)


 M. K. 様

 メールを拝見しました。私などと違って、早くからシルバー・バーチの教えをいろいろと学ばれてこられたことに感銘を受けています。シルバー・バーチは、苦しみや悲しみなどの意味を何度も説いていますが、それらの教えは、深い闇に沈んでいた多くの方々に生きる力を与え、こころの力強い支えになってきたことと思います。

 私たちは本来は霊的存在であることをつい忘れてしまいがちですが、そのために、すべてのものごとを地上的な狭い視野で捉えて判断してしまうことが多いような気がします。霊的な視野で捉えなおすと、私たちが不幸だと思っていることも、実は、大きな恵みであることもわかってきたりしますが、それが、シルバー・バーチの教えの大切な要点の一つかもしれません。

 メールを拝見していて、たまたま一昨日の7月26日の朝日新聞「ひととき」欄の手記を思い出しました。お子さんがダウン症の障害を持つ43歳のあるお母さんが書いたものです。あるいは、もうお読みになったかもしれませんが、ご参考までに、「神様、ありがとう!」と題されたその相川洋子さんの手記を、つぎに書き写してみます。


 息子は障害を持って生まれてきた。ダウン症候群。告知を受けて驚き、うろたえたが、元気に育った。でも、4歳になった時、姉たちと同じ幼稚園に入れるのには、不安が募った。

 上履きを履き替えるのも、階段を上るのも、一人ではできそうもない。まず言葉が出ないのだ。友達とうまくやっていけるはずがない。前例のない障害児の受け入れに、保護者たちはどう反応するのか・・・。

 最初の保護者会で時間をもらって、お話をさせてもらった。「障害は病気ではないので、治りません。でも皆さんのお子さんたちの中に入って、刺激をたくさんもらって、少しでも成長していって欲しいと思っています。もし、お子さんに説明していただけるのなら、可愛そうだから仲良くしてあげなさいではなく、ゆっくりゆっくり大きくなっているんだよって話していただけたらうれしいです」。

 一年余りが過ぎ、何を心配していたんだっけ?と思う。先生方、保護者の方々、何より子供たちが、こんなにもすんなり受け入れてくれて感動した。

 差別しないでください。同じように扱ってください。そんなことを言おうとしていた私こそ、彼を差別視していたのかもしれない。彼のお陰で、人と人との温かな触れ合いにたくさん出合った。彼を授けてくれた神様、ありがとう!








 シルバー・バーチを生きていく指針にして (2005.07.28)


 武本昌三様

 初めてメールさせていただきます。34歳の主婦です。学識がないので、雑文をお許し下さい。

 大韓航空機事故で奥様と息子さんを失われたことがきっかけで、シルバーバーチをお知りになったということで、シルバーバーチのすごさが分かりました。魂の底からおつらい方々をシルバーバーチは救っている、自分がかねてから信じていたシルバーバーチがどれだけ偉大か、ただただ驚嘆しています。

 私は近親者が他界した経験がありません。本当にこんなものがメールしてすみません。でもシルバーバーチが説く自然の摂理を生きていく指針にしたいという気持ちはあります。時々、既成宗教に入り、実行しやすい儀式や整った組織に身を寄せたい気に駆られます。自然の摂理をなんの組織にも属さず、シルバーバーチとマザーテレサ(私のもっとも尊敬している人物です)の本だけで信じていくのは難しいです。でも、武本さんのHPを見て、人生をかけて自然の摂理を信じている人を知ることが出来て、私は間違っていなかったんだと思いました。

 嫁いだ先の過去がとても暗く、なにかこの家にはあるのではと思った矢先に娘が先天性高度難聴、つまり聴力を持たずに生まれ、あいつぎ主人の勤務先が倒産し、義母が怪我で入院し、息子が頭痛を訴えました、私はたまらず八王寺の長江時の萩原先生を訪ね、全先祖の供養をしようと決めました。先生に「先祖の言いたいことに耳を貸さないからだ」と言われたからです。さあこれからと思ったとき、多少霊能のある知人から、なんにも問題はないから娘さんのことに時間を使ったほうがいいといわれ、供養はやめました。そこから私の真実探しは始まりました。

 不幸な過去を持つ家族、ろう児を妹にもつことで将来いじめられるかもしれない長男、そしてなによりもろう児である娘のため、家族をまもっていかなくてはいけない私のために信じるものがほしく、探しました。縁ではじめにシルバーバーチの本を読みました。でも難解すぎてよく分かりませんでした。そのうちマザーテレサを知り、尊敬するようになり、私で出来る限りぎりぎりの寄付もし、日本手話のミサにも行きましたが、クリスチャンになれませんでした。父が仏教を信じていてその組織に入ろうと思いましたが入れませんでした。それはやはり、最初に読んだシルバーバーチの本の内容が頭にあったからです。今は、シルバーバーチの霊訓12巻少しずつ読んでいるところです。

 わが子はなぜ聴覚を持たずに生まれてきたのか、私をなぜ親として選んだのか、私はなぜろう児の母となったのか、いつも考えています。そのようなことを考えているろう者の方、またろう者のご家族の方にまだ会ったことがなく、少々さびしいです。個人的なことを勝手に長々と書いてしまいすみません。これからもHP見させていただきます。なにか行事があったらお伺いしたいと思います。これからもお体に気をつけてご活躍下さい。

 M .K







 交霊できる霊能者を求める前に (2005.07.24)

  -- お子さんを交通事故で亡くされたM さんへ -- 


 メールを拝見しました。お子さんを交通事故で亡くされて悲嘆にくれているご様子をお伺いして、さぞお辛いことであろうと、ご心中お察し申し上げます。私の『生と死の彼方に』をお読みになって、交霊のできる霊能者の紹介を、ということですが、そのご要望に対して私の考えていることを率直に申し上げさせていただきたいと思います。

 その前に、今年4月1日にこの「メール交歓」に書いた「忘れられない真理と愛のことば」のなかに引用させていただいたつぎの言葉を、また、繰り返させてください。

子どもを亡くすことは

決してお気の毒なことでも不幸なことでもありません。

亡くなった子どもは佛様に近い高い霊性(たましい)なので

この私に「無限の光に抱かれる安心」を教えてくれるために

私の子どもとして産まれ、短い命で死にました。

今では慈悲(愛)に満ちた浄土(天国)から苦しみの多い人間界の私を心配して

あの手この手で私を助けてくださっています。

子どもが亡くなることは親より子どものほうが立派過ぎて

飛び級でお浄土(天国)に迎えらられるという祝福すべきことと思っています。

だからとっても幸せで感謝の気持でいっぱいです。

                  −−−−−−


 これは、N さんというやはりお子さんを亡くされたお母さんのホームページに載せられていることばですが、こういうことばをあなたはどのように受け止められるでしょうか。お子さんを亡くされた方は私のホームページをごらんいただいている方々の中にも大勢おられます。何年も苦しんでおられる方々もおられる一方で、比較的早く、このN さんのような心境に到達される方々も、決して少なくはありません。昨年3月1日にやはり交通事故で他界された美樹ちゃんのお母さんからのメール(2005.03.11) などもご参考になるかもしれません。どうぞ、お読みください。

 それから、このホームページで、シルバー・バーチのことばを毎日のように紹介していますが、これはお読みいただいているでしょうか。おそらく、あなたがお知りになりたい情報は、ほとんどすべて、極めて正確に、これらのことばの中で伝えられています。N さんへのメール中でもふれてありますように、シルバー・バーチの教えは、多分、「20世紀の人類にとって最大最高の奇跡」といっても過言ではないと思います。しかし、それでも、そのことに気がつかない人も大勢いますし、はじめから近寄ろうとはしない人も決して少なくはありません。やはり、霊性への目覚めは人さまざまで、いろいろな試練を経て魂が磨かれ「受容性」が高められていくほかはないのかもしれません。

 このホームページでは、まず、「学びの栞」の索引で、80「シルバー・バーチについて」をお読みいただければ、シルバー・バーチについて、十分に知ることができると思います。それから、死の意味、霊界での生活、霊的交信など、80項目に分類して、それらから、シルバー・バーチの教えや疑問に対する答えを知ることができるようになっています。どうぞ、求めておられる答えを、これらのなかから見つけてください。必ずあります。十分すぎるほどたくさんあります。しかも、その答えは、おそらく、この地上のいかなる霊能者のことばに比べても、はるかに正確で、はるかに高い信頼性があると断言してもいいでしょう。

 しかし、それとは別に、交霊のできる霊能者の紹介をといっておられる意味もお気持ちも私にはよくわかります。日本の社会にも「交霊のできる霊能者」というのは、何千人、あるいは何万人もいるはずですから、何人かの名前をあげるのは別にむつかしいことではありません。巷にはそれを看板に掲げて、生活の手段にしている人もたくさんいます。ただ、どうか、こういう言い方をご理解ください。ほかのこととは違って大切なことですから、私は霊能者の誰かを紹介して、そこへ行ってみてください、というようにはどうしても言えないのです。もしも、私の本をお読みいただいただけで、まだシルバー・バーチもよくお読みになっておられないのであれば、なおさらのことです。

 昔と違って、いまは霊界についての優れた本もたくさん出回るようになりました。私の講演集にも何冊もそういう本からの引用があります。みずから真剣に求める気持ちさえあれば、それらの本からもいろいろと啓発されていく中で、「交霊できる霊能者」のことも自然にわかってきます。何人かの霊能者に会ってみる、ということもあるかもしれません。まず、自分で真理への道を歩み始める。その過程を飛ばして、いきなり到達点へお連れすることはできませんし、してはいけないのだろうと思います。 シルバー・バーチは、よく、悲しみや苦しみの意味を教えてくれていますが、そうしたものすべてが霊的進化の道程で大切な役割を果たしていることも、是非、ご理解ください。

 どうか、この「ご要望にお応えしていない」返信が、お子さんを亡くされた悲しみを克服する第一歩の歩みへと続いていきますように、こころからお祈りしていたいと思います。


今までのページをご覧いただけます
2005. 4〜 6
2005. 1〜 3
2004.10〜12
2004. 7〜 9
2004. 4〜 6
2004. 1〜 3
2003.10〜12
2003. 7〜 9
2003. 3〜 6