(日付の新しいものから順にならべてあります)





 「学びの栞」(A)インデックスの修正について (2006.04.25)


 「学びの栞」(A)インデックスは、現在つぎのように修正されています。

 No. 3 「葬祭」 従来の「真理」は→No.61へ No.61は「真理・霊的真理」に修正
 No.23 「輪廻転生」は「輪廻転生・類魂」に修正
 No.33 「幽霊と霊」は「幽霊・憑依現象」に修正
 No.38 「憑依現象」は「シルバー・バーチに対する評価」をNo.51から移して修正
 No.39 「シルバー・バーチの言葉と挨拶」に修正 
     従来の「生命」はNo.51へ移して「生命・バイブレーション」に修正
 No.40 「シルバー・バーチの講演」に修正 従来の「バイブレーション」は
     No.51へ移して「生命・バイブレーション」に修正
 No.64 「運命・宿命」に修正

 『シルバー・バーチの霊訓』は12冊ありますが、これに『古代霊は語る』を加えますと、13冊になります。この13冊の内容について、関連する箇所をまとめて読みやすくするために、80項目に分類する作業を進めているわけですが、これまでに『古代霊』と『霊訓』(1-9)の分類を終え、これからは『霊訓』(10)に入ります。

 『霊訓』(12)は総集編で、1章から12章まで大きく分類された内容になっていますから、このあたりから、内容が重複しないように選別することも必要になっていきます。いづれにせよ、13冊分の入力がすべて終わった段階で、このインデックスを含めて、80の分類の再修正または調整をすることになると思われますので、そのことを予め、どうぞご了承ください。







 愛し子と共に生きている事実を確認する (2006.04.24)


 T. M. 様

 4月13日の私のセミナーにご出席いただき有難うございました。セミナーでも申し上げましたように、私は、長い間、霊的真理からは遠く、死の意味も分からず、数多くの霊能者の話を聞いても信じ切ることができない「劣等生」でした。事件後初めて会った霊能者から、「まだ、2、3年は苦しまれるでしょうね」と言われたことを覚えていますが、2、3年どころか10年近くも苦しみから抜け出すことが出来ず、いまでは、あまりにも長い間、霊的な無知のなかで生きてきたことを、恥じています。私は、よほどの劣等生であったのでしょう。それだけに、家族の死に直面して悲しんでいる人には、私のような劣等生にはどうかならないでください、と強く訴えたい気持ちが私にはあります。

 「大空の会」には、4月10日のメールにも書きましたように、霊能者の方々もおられますし、「子を亡くす」という大きな悲嘆を乗り越えて、比較的短期間で、明るい希望の生き方につなげていっておられる方々も少なくはありません。そのような方々は、私から見るとみんな優等生で、私のほうこそ、いろいろと励まされ、学ばせていただいております。同様に、このホームページを読んでくださっている方々からも、深い感動を与えられることがしばしばです。セミナーでも紹介させていただきましたが、必死になって亡くなったわが子との接触を求めておられたK さんからの3月7日のメール「お母さんの眼を見たかった霊界の幼児」などは、繰り返し読ませていただきながら、深い愛情で結ばれた母と子の「対面」に、私は涙を抑えることが出来ませんでした。

 セミナーでは、時間がなくて詳しくは触れられませんでしたが、あの森田健さんが、霊界ではじめてわが子と逢う話なども、多くの方々の参考になるかもしれません。『「私は結果」原因の世界への旅』のなかで、それは、つぎのように述べられています。

 「ところで君の名前は何て言うの?」
 「僕の名前はケンイチ」
 そこで初めて彼は顔を上げました。そこには胎児の顔がありました。
 私と妻は一度流産を経験しています。妊娠六カ月に入ったときに流産したのです。
 私はその出産に立ち会ったので、私のみが彼の顔を見ていました。その胎児の顔はまるで仏像のようにやすらかだったのが印象的でした。
 へその緒が切り取られ、別室に行ってしまうまで私はずっと手を合わせていました。おそらく最初で最後の私の息子でした。見つめ合うこともせず、何も話し合うこともせず、彼は生まれたと同時に逝ってしまいました。
 私たちは彼に健一という名前をつけ、彼のためにお葬式をしました。
 その顔が目の前にあったのです。私は圧倒的な感情に包まれながら彼を抱きました・・・・・・
 彼は、
 「僕はいつもあなた達のそばにいる」
 というフレーズに続いて、
 「僕はあなた達を助けるために生まれてきたんだ。こういう運命になることは初めから予定されていた」
 と言いました。
 彼の顔はあのとき以上にやすらかで愛に満ちていました。

 森田健さんは、このあとも何度も霊界へ旅をして、健一ちゃんや霊界のご家族に繰り返し逢っていますが、こういう事実があることも、私たちは素直に受け入れ、知っておく必要があるように思います。セミナーでは、森田さんの書いていることが真実であることを「証言」している船井幸雄氏の文も、そのために紹介させていただきました。







 セミナーに出席してあふれ出た涙 (2006.04.24)


 武本先生、お久しぶりです。

 4月13日の「大空の会」でのセミナーありがとうございました。メールをしたいと思いながらも今日になってしまいました。非礼をお詫びします。

 13日はギリギリ3時に到着し、参加者の方々の熱気で一杯の中、先生のお話が始まりました。先生の若々しく力強く、そして確信のこもった声に励まされました。先生が「霊界に旅立った子どもたちを淋しがらずに、アメリカにでも留学させたと、あちらで勉学に励んでいるのだと喜びましょう」、と話されたとき、涙が止まりませんでした。そして、私たちの霊性を高めるためにそうなったんだ、触ることはできなくても、姿は見えなくても、今もここにいっしょにいてくれるんだ、と感じました。

 今まで、ごめんね、ごめんねしか、言うことができずにいた私でしたが、「そうだ、いつでも、ここにいるんだ。一生懸命私たちを気遣って、力になろうとしてくれている」と感じ、魂の存在を感じました。涙が、溢れてありがとう、ありがとう、と言いました。

 私は、最初の子をまだ産むことができないと思っているうちに、出血し流してしまうことになりました。そしてもう一人、次男の後に授かった子を、3人は育てきれないのでは、と思案しているうちに、この子も流れてしまうことになってしまいました。そうなってしまうと、どうしてそんなことを思ったのだろう、どうして何が何でも産んでやれなかったのだろう、この子たちの魂はどうなってしまったのだろうと、長いこと産んでやれなかった子たちへの罪の意識で、自分を責めていました。

 先生も息子さんと奥様を亡くされて、10年くらい立ち直れずにいた、と話されました。でも今では、「霊となって生きている、いずれあちらで会えると、確信をもっています」、と話されました。その時の武本先生には確信以外の何物もありませんでした。先生の「本当ですから、私は確信していますから」と言い切るそのお話し振りから先生の確信が充分に感じられました。そして、シルバーバーチの霊訓や坂本政道氏のモンロー研究所のこと、森田健氏、船井幸雄氏、飯田史彦氏の参考文で実証してくださいました。本当にありがとうございます。

 まだまだたくさん、教えてくださりました。ありがとうございました。先生のお役目は、こうして悲しみや絶望で目が見えなくなった私たちに、真実の光を見せてくれることなのですね。毎日HPありがたいです。またセミナーで、お話もお願いします。

 T. M.







 愛し子との対話を進めていくことになる学び (2006.04.17)


 慶三さんのお母様へ

 素直で優しいご長男の慶三さんを21歳の誕生日の直前に事故で亡くされてから、この8月で4年になりますね。耐え難い悲しみを経て、いまではシルバー・バーチの教えに納得しておられるということは大変重要な、そして幸せなことだと思います。納得しておられる分だけ、シルバー・バーチの教える生と死の「真理」に近づいていることになりますから、ご長男の慶三さんともそれだけしっかりした魂の絆で結ばれていることになります。霊界からは、お母さんの姿はよく見えますから、いまでは慶三さんも安心してお母さんのことを見守ってくれているに違いありません。

 お聞きいただいているホームページのメロディは、「アメイジング・グレイス」です。私はこの歌が好きで、ホームページの構成でいろいろとお力添え下さっている八王子市・溝口祭典の佐々木薫さんにお願いして入れていただきました。このホームページの「随想集」(36) にも 「心に響く『アメイジング・グレイス』」というタイトルでこの歌のことを紹介しています。そのなかにも書いていますが、このメロディーは、もともと、スコットランドに古くから伝わっていました。それに、イギリス中部のオールニー教会のジョン・ニュートンという牧師が、つぎのような意味の歌詞をつけたのです。四節ありますが、そのうちの一節を和訳しますと、こうなります。

  神のみ恵みは
  なんと優しく胸を打つことか、
  私のような惨めな人でなしでも
  お救いくださった。
  生きる道を間違え盲目であった私も、
  今は目が開かれて神を崇めている。

 厳然として存在し一分の狂いもなく働いている天の摂理や神については、私自身も長い間盲目で、理解できていませんでした。その私も、この歌詞のように、いまは目が開かれて神を崇めています。大きな悲しみに遭って、長年、迷い苦しみながら、やっとここまで来ることができましたが、それは何よりも、シルバー・バーチの教えのお陰です。まだ、広大な宇宙の真理の、ほんの一部を知るようになっただけかもしれませんが、これからも、少しずつ、しかし着実に、学びの歩みを進めていきたいと思っています。どうか、あなたもシルバー・バーチの教えをさらに学んでいってください。それは同時に、あなたの大切な慶三さんとの、こころ温まる親子の対話を進めていくことにもなるはずですから。







 納得のいくシルバー・バーチの霊訓 (2006.04.17)


 武本先生

 ご無沙汰しております。慶の母です。一昨年には私のメールが先生のページに掲載され、元気づけられてきました。先生の「学びの栞」を読み、又 先生のページに来られる方、返事を出す先生の暖かさを感じ、どれだけ元気付けられてきたか分かりません。

 宗教というものが何なのか私には分かりません。ただ、言える事は、シルバーバーチの霊訓は本当に真実を語っていると思います。納得いきます。また、頑張ろうと思います。

 今まで何百回と先生のページにはきました。今日、改めて 先生のページで聞く音楽、題名はわかりませんが、涙止まりませんでした。慶を亡くした悲しさ、それもそうでしょう。だけど、自分の魂の中に染み入るそして、自分の魂が浄化されていくような氣がしました。

 先生、有難うございます。これからも、元気で、いろいろな方々の心の支えになってください。本当に心の和む音楽ですね。

 慶三の母より







 親達にとってなによりの癒しとなったセミナー (2006.04.14)


 武本先生

 すばらしいセミナーを頂き、本当にありがとうございました。

 武本先生は大変人気がおありで、先生ファンもたくさんいらしてくれました。
先生のおっしゃることは説得力があり子どもを亡くした親達にとってなによりの癒しとなり、今後の生きていく希望となります。

 先生のご都合がよろしければ、また来年の四月に大空の会でセミナーをお願いします。大空の会の恒例にできれば、すばらしいと思います。
どうぞ、お身体にお気を付けてお過ごしください。
またお目にかかれることを楽しみにしています。

 瀬野彩子







 真実を捉える目を持つことの大切さ (2006.04.10)


 もりと ともこ様

 私の4月1日の「身辺雑記」を読んでくださって、有難うございました。あの小文にも書きましたように、私はあまりテレビは見ないほうですが、ときには、私にとって参考になる有用な番組が、期せずして目に入ってくることがあります。あなたが「レイキ」のヒーラーとして、ヒーリングを実践しておられることをお伺いして、私は、もう何年も前にたまたま目にした、もう一つのテレビ番組の場面を思い出しました。

 ご存知でしょうか、あの映画俳優の川津祐介さんも霊能者でヒーラーです。ふとスイッチを入れたテレビに、川津祐介さんが足が悪くて歩くことができない老婦人の足を治しているところが映し出されたのです。自分の足で立つことも歩くことも出来なかった老婦人が、川津さんのヒーリングを受けて、ベッドから立ち上がり、二歩三歩と歩いて、手を広げている川津さんのところまで辿りつくと、わっと、声を上げて泣き出した姿は感動的でした。

 私は、霊の力や霊能者についてはいろいろと本を読んだりして学んできましたが、自分には霊能力がなくても、このような番組で、「霊力」をさらに検証出来ることを有り難いことだと思っています。あなたが言われるように、人には誰でも生きる意味と役割がありますが、そのことについても、霊能力を持った方々からの貴重な教えや証言などに接することが出来ることを有り難いことだと思っています。そして、やはり大切なことは、いろいろと数多くある情報のなかから、理性に照らして、何が正しく、何がそうでないかを見分ける目をもつことでしょう。人を導き、救うことのできるのは、「真実」だけだと思うからです。

 来る4月13日の「大空の会」のセミナーでは、そういうことも皆さんといっしょに考えていきたいと思っています。「大空の会」は「子を亡くした親の会」となっていますが、そのメンバーのなかには、霊能者の方々もおられますし、あなたのように、ヒーリングの実績を持っておられる方もおられます。「子を亡くす」というのは、きわめて重大な極限の体験ですが、大きな悲嘆を乗り越えてその深い意味を洞察し、明るい希望の生き方につなげていっておられる方々も少なくはありません。セミナーでは、そのような方々ともお会いできることも楽しみにしています。






  生きる意味と役割がある人生 (2006.04.10)


 武本先生、もりとです。毎日ありがとうございます。4月1日付けの霊能者の随想を読みました。私も、番組を見ました。友人たちにも、貼り付けにして、送りました。武本先生が、丁寧に詳しく書いてくださり、とても分かりやすく、理解が深まりました。

 一度テレビで見ていたのですが、また文章で読むことが出来、ああ、そうだったなあ、と改めて心に残りました。ありがとうございます。本当にいつもありがとうございます。

 子どもが親を選んで生まれてくるという話には、何度か出会っていました。でも、織戸智絵さんの話で、2歳の坊やがそう言ったこと、でも15歳の今では、そう話したことを覚えていないこと、など、実際の人物の話だったので、とても興味深かったです。彼女の今生での学びも、すっきりと分かりました。

 本当に、人生には生きる意味があり、学びがあり、役割があるのですね。そういった「今世」を何度か繰り返し、学びを完成させていくのですね。そして霊性を高めていく。他の人のために、自分が出来ることを、毎日、毎日、積み重ねていくことで、霊性を高めていくのですね。

 私は今レイキ(霊気)、現代レイキ療法を11月から学んでいます。シルバーバーチの勉強と同じくらいに大事にしています。レイキとは、大宇宙の大生命の源から、絶え間なく送れている光の波動です。そのレイキのヒーラーとして、ヒーリングの実践を3月からしています。ヒーラーとして、レイキの通路しっかりとするために、心の有り様、生き方が大事です。

 ちょうど武本先生が、霊訓集から選んでくださったトピックが心霊治療のことでした。まさに、重なり、とても嬉しく毎日読んでいました。偶然ではなく、全て必然、。改めて、ありがたく思いました。この世に生かされている、と、ありがたいです。私の今世の役割、使命を、見つけられそうです。

 13日の講演、どうぞよろしくお願いいします。とても楽しみです。

 もりと ともこ







 第45回 「大空の会」のセミナーの開催について(再) (2006.04.06)


 すでにお伝えしてきましたが、「大空の会」(子どもを亡くした親の会)の私のセミナーが下記の要領で開催されます。

 日時 2006年4月13日 木曜日 
 3:00PM〜4:30PM  (「大空の会」の行事は1:00PMから)

 場所 東京ウィメンズプラザ 第1会議室のB

 「愛し子と共に生きていくために」

 はじめに
1.生と死の真実
2.真実を知るための要件
3.真実を捉える目・視野の拡大
4.霊的知識の普及・霊界探訪の記録など
5.シルバー・バーチから学ぶ
6.愛し子とともに生きる

 ご出席の皆さんに対する一方通行的な講演ではなく、資料を配布して皆さんと一緒に学んでいくような形にしたいと思っています。

 連絡先:大空の会事務室(瀬野彩子)
 TEL : 042-562-6803







 涙が溢れたKさんからのお便りのことなど (2006.03.23)


 武本先生、お返事ありがとうございます。感謝を伝えたい思いでメール差し上げたところ、3月9日に、深い愛で一杯の温かいお返事を頂いて、本当に驚き、嬉しかったです。ありがとうございます。

 私は少しずつ、先生のHPを読んでいます。でもごめんなさい。落ち着いた熟読ではなく、走り読みです。また途中で切り上げなければならないという読み方で、中断、中断で読んでいます。でも、何も知らなかったこと、驚くこと、共感すること、先生の学びの深さに、ただありがたく思います。私たちをこうして導いてくだって本当にありがとうございます。

 またKさんのお便りには、涙が溢れ、私にもよく分かります。目を開けようとしている我が子のためを思って目を閉じてもらった。親として、よく分かります。そして辛い時を過ごし、こうして気付かれていく。 Kさんも、選ばれた方なのですね。武本先生も私たちを導くために選ばれました。試練を与えられ、そして霊性を高められ、地上界で私たちを救うという使命を、愛を持って実践されています。ありがたいです。

 取り急ぎお礼を差し上げたく、メール差し上げます。本当にありがとうございます。

  M. T.







 永遠に変わることのない霊的真理について学ぶ (2006.03.11)


 Y. R. 様

 メールを有難うございました。読ませていただいているうちに、他界した家族は、いまでも、というより、いままで以上に実在の人物であることを教えてくれているシルバー・バーチのことばを思い出しました(「学びの栞」A47-g)。ここでそのことばのなかの「家族たち」を、あなたのお父様に読み替えますと、およそ、つぎのようになります。

 あなたのお父様は、地上にいたときと同じように、いまもあなたのことを気遣っておられます。あなたのすぐ身のまわりにいて何かと援助してくれています。自覚なさることがあるはずですが、実際はもっともっと密接な関係にあります。お父様は、あなたの欲求、願望、希望、そして心配なさっていることまで全部読み取っております。そしてあなたの魂の成長にとって必要なものを地上的体験から摂取するように導いてくれております。けっして薄ぼんやりとした、影のような、モヤのような存在ではありません。今なおあなたを愛し、以前よりさらに身近となっている、実体のある存在なのです・・・・・・・・

 あなたはメールのなかで、「『お前も生きているうちにしっかり勉強しないと、後で大変なことになるぞ』 という懐かしい声が、今にも聴こえてくるようでした」と書いておられます。その時も、お父様はすぐそばに居られたのでしょう。私は、あなたのお父様もあなたがそういうふうに書いているのをご覧になって、きっと喜んでおられたのではないか、と思いました。

 この地上に生きているうちに霊界についての正しい知識をもち、死後の実体のある生活を当然と考えている人は、霊界へ行った時、その新しい環境にすんなりと馴染んでいくといわれていますが、霊界の存在を知らないままに行った人は、やはり霊界ではしばらくの間戸惑うようです。シルバー・バーチも 、「そちらから未発達霊を送り込んでこなければ何一つ問題は起きないのですが、現実には何の準備もできていない、適合性に欠ける無知な霊を次々と送り込んでおります。小学校で学ぶべきだったことを大人になって教えるのは、なかなか難しいものです」と述べていたこともありました。(「学びの栞」A13-l)

 しかし、あなたのお父様の場合は、霊界へ行かれてからは、早いうちに、ご自分の認識を改められ、霊界の生活を受け容れられるようになったのではないでしょうか。そのお父様は、霊界に来ても地上時代の頑固な固定観念から抜け出すことが出来ずに、世話係の指導霊を梃子摺らせるような人たちのことも実際に見聞きしておられるからこそ、霊的知識をもつことの大切さを一生懸命にあなたに伝えようとしておられるのかもしれません。

 私たちがこの世に生まれてくる目的は、私たちの居眠りしている魂を目覚めさせることにある、といわれます。そのためにも私たちは、何よりも価値のある霊的真理について学ぶ必要があるのでしょう。霊的真理こそ永遠に変わらぬ真理であって、けっして知性を欺くものではないはずだからです。私は、この霊的真理を素直に、そして確信をもって受け容れながら、「魂を目覚めさせる」ことの大切さについても、あなたと共に共感していくことができれば、と思っています。

 






 天国にいる父からの大切なプレゼント (2006.03.11)


 武本先生、初めまして。

 何度もメールを・・と思いながら、なかなか書くことが出来ませんでしたが、今日は勇気を出して書いています。

 私がこちらのHPと出会ったのは、二年前の父の命日でした。父が亡くなって以来、父はいったいどこでどうしているのだろうという思いは常に心の中にありましたが、その日は命日ということもあり、インターネットでなんとなく検索をしていました。

 モニターに現れる沢山の情報。それらを一つ一つ見てゆくうちに先生のHPに出会ったのです。驚きと言ってもいいほどの感動の中、時間のたつのも忘れ、次々とページを読み進めていくうちにいつのまにか夜が明け、朝になっていました。

 窓から射す朝日の中、私はこれが偶然ではないことに気づきました。これは天国にいる父から私への大切なプレゼント。何の確証もないけれど、素直にそれを信じられる自分がそこにいました。

 父は、生前、「無神論者」と言ってもいいほどの人でした。魂とか死後の世界といったものを、毛嫌いしていたようにさえ思います。その父が、魂の世界に行って、自分が大変な思い違いをしていたことに気づき、我が子が同じ過ちを犯さぬよう、先生のHPに導いてくれたのだと思います。「お前も生きているうちにしっかり勉強しないと、後で大変なことになるぞ」 という懐かしい声が、今にも聴こえてくるようでした。

 以来、度々おじゃましていますが、何故か不思議と、悲しいことがあった時や、どうしていいかわからないほど落ち込んでしまった時に、気がつくとここにいる・・・という感じです。

 先生が長い間暗闇を彷徨ってやっと見つけられた灯火を、私たちに惜しげも無く分けてくださることに心から感謝しております。これからもよろしくお願いいたします。

 台北市 Y. R.







 愛しい娘とミディアムから贈られた「見る力」 (2006.03.10)


 武本先生

 三度のメール送信を、お許しください。まさに長い苦難の道のりを歩んでこられた先生ならではの「知ろうとする意欲さえあれば、掴み取ろうとする気迫さえあれば、真理への道は自ずから拓かれていくのではないでしょうか。そして、この場合も、やはり、自分の理性に照らして『真理』の信憑性を判断する力が問われます。私は、あなたが大切に考えておられる『人の眼』というのも、そういう真理に対して向けられた曇りのない純粋無垢な視線のことも意味するように思われてなりません」という、お言葉に感涙したものですから。

 私は娘を亡くしてから「束の間の再開」を果たすまでの約10ヶ月間、まさに「暗闇の世界」に閉じこもっていました。「娘は『生きとし生けるものがすること』を何一つ出来なかった」ので、「この世に残された私がすること全て」が、悲しみの対象となりました。

 何かを食べれば「あの娘はミルクも飲めなかったのに」、可愛い服を見ては「あの娘は生きている間、産着すら着せてもらえなかった」、美しい花を見れば「あの娘に見せたかった」、愛らしいぬいぐるみを見ては「あの娘に買ってあげたかった」。スーパーへ行けば「紙おむつ」「ベビーフード」「幼児雑誌」ありとあらゆる「悲しみの対象」が陳列されています。街を歩く幸せそうな家族連れを見ては「どうしてあの娘だけがいないのか。」と、絶望的な気分になりました。

 やがて、月日の流れが私に多少の知恵を付けてくれました。「視界に入って辛いものがあるのなら、眼をそらせば良い。」「あの娘に買ってあげたいと思うものは、買えばよい。」 けれども、結局それらは「一時しのぎの手段」に過ぎませんでした。「視界に入れることが辛いもの」には際限がなく、どんなに眼をそらしても、逃れようがありません。娘の遺骨の前に可愛い玩具を並べてみても「どうして娘に買うものは、みなお供えになってしまうのだろう」と、悲しくなるだけでした。そんな日々が続くうちに、いつしか私は「見る力」を失っていました。

 「脳死」となる寸前に「せめて両親のいる側の眼だけでも」と、瀕死の小さな身体いっぱいの渾身の力を込めて、目蓋を開こうとした娘にとって、「何も見ようとしなくなった母の姿」が、どれほどもどかしく感じられたことでしょう!それでは娘は「お迎えの人」を待たせたままで、10ヶ月近くもの間、何もない場所に一人で留まっているわけです。

 「心から信頼できるミディアムとの出会い」は、見るに見かねた霊界からの「救助船」だったのだと思います。そしてセッションによって、娘とミディアムから「見る力」を再び与えられた私は、最近自分の感情まで見え始めたように感じます。

 逃れようとすればするほど膨れ上がった「悲しみ・苦悩」、だがそれは「娘を愛しく思うが故に生じる『切なくも美しい思い』である」・・・ああ、私はどうしてこんな「当たり前」のことに気が付かなかったのでしょう!そしてそのことに気が付いた私は、やっと直居アキラさんの言葉に納得することが出来ました。「人間はまず悲劇を知らなければならないのです。そうすると可能性が見えてくるからです。」

 最後に、直居さんの言葉をもう一つ引用して、締めくくりとさせて頂きます。
「ニューエイジャーでもオカルトでもなく、霊能者でも予言者でもなく、普通の一粒の魂として一緒に旅立ちましょう。無限の美を賛美しながら。」

 K







 無知から逃れるための長い歳月 (2006.03.09)


 M. T 様

 メールを有り難く読ませていただきました。シルバー・バーチの教えに共感していただいておりますことをこころから感謝申し上げます。

 ホームページの「はじめに」のところにも書きましたように、これを開設したのは2003年の3月末のことでしたが、それまでは、私がこのようなホームページを開設することになろうとは、予想していませんでした。八王子市・溝口祭典の佐々木薫さんをはじめ、私の講演会を支えてくださっている方々のご尽力のお陰で、毎日、入力作業を続けているうちにいつの間にか3年が過ぎました。

 このホームページを開設する前の私は、長年の間、いろいろな大学で教えていましたが、大学というのは、過去から現在に至るまで、霊的な知識や探求からは遠く離れたところにあります。大学はあくまでも学問の府であって、学問とは真理の探究にほかなりませんが、その「真理」には、霊的真理は含まれていません。大学では、科学的真理だけが真理であって、霊的真理は科学ではない以上、およそ、「まともな」大学教授が関心を持つ問題ではないと、いまでも、頑なに信じられている傾向があります。ですから、無知を懼れ、軽蔑するような科学者としての大学教授や高学歴のいわゆる「知識人」などが、実は、霊的には一番無知であることが多いのです。

 私はかつて、講演集「生と死の彼方にあるもの」のなかで、すぐれた霊能者としても著名な美輪明宏さんのことばを引用したことがありました。美輪さんは、佐藤愛子さんの「こんなふうに死にたい」(新潮文庫)のなかで、次のように書いています。

 「通常の医者や科学者は、超常現象や己の無知なる部分を認めれば沽券にかかわる、それらを否定することこそ立派な科学者で常識ある人間だと思いこんでいる。この姿こそ小心翼々とした哀れむべき根性である。頑迷ということは愚か者だということである。『超常現象なんてあるわけはありません』とそれに対する勉強も研究もせず何の知識もない癖に頭から否定してかかるのが傲慢なる愚者の発言であり、『この世の中には自分が知らない事はまだまだ山の様にあります。私には知識も経験も無いのでわかりません』と発言する人が聡明で謙虚な人なのである。」

 大学教授などになって、人並み以上に専門的知識を持っている、というように思い込み始めているうちに、かえって、だんだんと霊的真理を見る眼は曇ってくることになります。私の場合も例外ではありません。だから、家族の死に直面すると、ただわけもわからず、悲しみ嘆くだけの長い歳月を送ることになってしまったのでしょう。私は、よく「霊的な無知ほど怖いものはない」と思ったりしますが、いまも、自分の長年の無知を省みて、忸怩たるものがあります。シルバー・バーチも、かつて、ある知識人に対して、次のように言ったことがありました。

 「こう申しては失礼ですが、あなたは物事をガラス越しに薄ぼんやりとみつめておられます。真剣ではいらっしゃるかも知れませんが、きわめて小さなレンズで覗いて全体を判断しようとなさっています。あなたにはまだ永遠の尺度で物事を考え判断することがおできになりません。この途方もなく巨大な宇宙の中にあって、ほんの小さなシミほどの知識しかお持ちでないからです。しかし今、それよりは少しばかり多くの知識を私たちがお授けしているわけです。」

 この「ほんの小さなシミほどの知識」しかもっていない私も、いまはこうして毎日、シルバー・バーチのことばをホームページでお伝えするようになりました。「それよりは少しばかり多くの知識を私たちがお授けしているわけです」と謙虚にいわれることばを、身にしみて有り難く噛み締めながら、私は希望を持って学校へ通い始めた小学校一年生のように、素直に、そして熱心に、これからもシルバー・バーチの教えを学んでいきたいと思っています。







 この世に生まれてきた意味を考え続けて (2006.03.09)


 武本先生、毎日、拝読させていただいてます。ありがとうございます。

 毎朝、7時前後にメール確認と先生のHPをチェックします。そして「今日の言葉」を読みます。心が安定します。温かい愛で一杯になります。ありがとうございます。

 3月5日の「シルバーバーチの講演」は、涙があふれました。そして、私たちに毎日1つづつ、霊言を提供してくだっさっている武本先生に、お礼と感謝の気持ちを伝えたくメールいたしました。

 「学びの栞」も、本当に素晴らしいです。ありがとうございます。そして、先生がこうして霊性を高めたれた、奥様と息子さん失うという辛い経験からこれまでの先生の生き方に感動しています。

 日常に追われ、大事なことを見失いそうな私に、先生のHPはたくさん勇気と愛をくださいます。45歳の去年の夏にシルバーバーチに出会い、近藤先生の本の最新版を何冊か読み出しました。霊訓集は読んでいませんでした。そして今年の1月中旬に先生のHPに出会いました。「学びの栞」は項目ごとに整理されていて、とても助かります。ありがとうございます。

 この25年近く、生まれてきた意味、私の使命はなんだろうと考えてきました。生んであげられなかった子どもたちへの懺悔の思いと。他に2人の、19才・大学1年と17才・高校2年がいます。

 私は国文学での大学受験に失敗し、T大学(もと宗教大学)に英文学で入学しました。その頃から、この世と中間世と過去世があるんじゃないか、思い出し、宜母愛子さんの本などを読み出しました。そして東京の中学校の英語の教師になりました。武本先生は大学の教授でいらっしゃて、へエーそんなすごい方がこのHPを作れたんだ!と驚きました。

 またメールさせていただきたいです。4月の「大空の会」の講演会楽しみです。これからもどうぞよろしくお願いします。

 M. T.








 真理に対して向けられた曇りのない視線 (2006.03.08)


 K . 様

 重ねてメールをいただき有難うございました。鬼子母神の譬えも含めて、人間、人生についての透徹した洞察に私もいろいろと教えられています。

 メールに書かれていますが、私もまた、「霊感」も「霊能力」も「第六感」と呼ばれる能力も持っていません。ですから、私もまた、どんなに頑張ったところで、「アカシックレコード」なるものに、触れることすら出来ないでしょう。かつての私は、そういう霊的なものからは遠く離れた、というより、むしろ忌避するのが当たり前のような科学万能の世界のなかで生きてきましたから、霊的には人一倍鈍感であったとさえいえるでしょう。

 そのために、突然の妻と長男の死に直面しても、生と死の意味が何も理解できずに、ずいぶん長い間苦しみ続けました。私が苦しんだのは、いわば自分の無知のなせる業で、自業自得のようなものであったかもしれません。ただ、自業自得は仕方がないとしても、霊界にいる妻や長男にまで、長い間つらい思いをさせてしまいました。供養のためと思いながら、お経をとなえては涙を流したりしていましたが、それは、何の供養にもなっていないことにも気がついていなかったのです。

 このように、私の場合は、散々道に迷ったり、まわり道をしたようなもので、死の意味を少しでも理解できるようになるまでにも、不必要なまでに多くの時間を費やしてしまいました。しかし、いまは、それもそれなりに意味があったのだと考えるようになっています。

 少し話は飛びますが、「地球は青かった」という「真理」を初めて私たちに教えてくれたのは、1961年に人類最初の宇宙飛行を行ったソ連の軍人ガガーリンでした。私たちは、そのとき以来、宇宙から見た青い美しい地球の映像を、人類史上初めて、眼にすることが出来るようになりましたが、いまでは、自分自身が、ガガーリンやその後に続いた多くの宇宙飛行士のように、宇宙へ飛び出して、自分の眼で直接に地球を眺めなくても、その青い美しい地球の姿は、「真理」として当たり前のように受け止められています。

 したがって、この地球の「真理」を理解するためには、宇宙飛行士でなければならないということはないようです。大切なことは、宇宙飛行士からの情報を、正しいか間違っているか、或いは、誇張があるのか、歪曲されてはいないのか、自分の理性に照らして判断する力をもつことだといえそうです。

 霊界の真理についても、同じようなことがいえるのかもしれません。古来、数多くの人々が、霊界から、或いは、霊界へ行って帰ってきてから、霊界の「真理」を伝えてきましたし、これは、前のメールにも書きましたが、現在の日本でも、何度も体外離脱をして霊界へ赴き、その実相を公にしている人もいます。

 知ろうとする意欲さえあれば、掴み取ろうとする気迫さえあれば、霊能者でなくても、「霊感」も「霊能」も「第六感」もなくても、真理への道は自ずから拓かれていくのではないでしょうか。そして、この場合も、やはり、自分の理性に照らして「真理」の信憑性を判断する力が問われます。私は、あなたが大切に考えておられる「人の眼」というのも、そういう真理に対して向けられた曇りのない純粋無垢な視線のことも意味するように思われてなりません。








 娘から教わった「人の眼」で見るということの尊さ (2006.03.08)


 武本先生

 あたたかい励ましのお言葉を、ありがとうございました。先生の「息子さんと奥様の存在を信じる姿勢」、そして行方不明の娘を捜すきっかけとなった「美樹ちゃんと先生の奥様の対話」・・・先生のHP「ともしび」には、心の底から感謝しています。まさに私たち親子の「灯台」となっています。
 
 ところで、先日ミディアムとのセッション中に、娘から与えられた命題「人の眼でみること」について、私なりに考察してみました。

 実は私は娘を亡くした直後、自分を「鬼子母神」に似ていると思っていました。「鬼子母神は他人の子を殺したというのに、改心後お釈迦様に我が子を返して貰えた。でも私は人間だから、他人の子を殺したわけではないのに、娘を奪われ返して貰えない。」そう思って、嘆いていました。けれども「魂の存在」というものを感じることによって、「娘はいつかきっと返して貰えるのだ。鬼子母神の子をお釈迦様が預かっていたように、私の娘は天界が大切に預かってくれているのだ。」やっと、そう思い直すことが出来ました。

 私事が続いて恐縮ですが、私は子どもの頃から「何故『人間』なんだろう。人の後に「間」が付くのは何故なのだろう?」と疑問に思っていました。それが娘との死別によって(正解かどうかは別として)初めて答えを見つけました。「もしも『魂』とよばれる存在があって、『人』に宿っては戻ることの繰り返しをしているとする。『魂』が『人』として生きていられる『間』だから、『人間』そして『人生』。ああ、漢字・熟語はなんて素晴らしいのだろう!」

 「人間」「人生」などの身近にある言葉、そして「よく知られた昔話」・・・こんな身近なところにも「真実」と呼ばれているものが、案外隠されているものかもしれませんね。隠されているというよりは、私がそれに気が付かなかっただけ、よく見ようとしていなかっただけなのでしょう。

 私には「霊感」も「霊能力」も「第六感」と呼ばれる能力もありません。ですからどんなに頑張ったところで、「アカシックレコード」なるものに、触れることすら出来ないでしょう。けれども自分に与えられた感覚をフル活用するように心掛ければ、この世に生を受けている間、すなわち「人として生かされている間」にしか見えないことを、見つけ出せるのかもしれません。

 こんなにも大切なことを教えてくれた娘に深い感謝を捧げるとともに、あまりにも短い「人生」しか送れなかった娘へ「少しでも多くのお土産を持って再会したい」と願う、今日この頃です。

 K







 ひたむきな母親としての愛にこころ打たれて (2006.03.07)


 K .様

 メールを繰り返し読ませていただきました。生後まもなく亡くなられたお子さんに対する母親としてのひたむきな愛情に、強くこころを打たれています。

 長い不妊治療の末に生まれた大切なお子さんであっただけに、どれほど愛おしく思われたことでしょう。そのお子さんが手の届かぬところへ行ってしまわれて、「息をするのがやっと」であったといわれるのも、無理ではありません。ご心中、こころからお察し申し上げます。

 この間の「今日の言葉」(97) では、二人のお子さんを亡くされたご両親の事例を取り上げました。親にとって愛するわが子を亡くすということほど辛く悲しいことはありませんが、まして、二人の子供を亡くしたときの悲しみとなると、想像を絶するというほかはありません。シルバー・バーチは、その、二人の子供を亡くしたご両親に、つぎの様に話しました。「魂というものは、その奥底まで揺さぶられ、しかも物的なものでは一縷の望みさえつなげない状態下においてのみ目覚めるものであるというのが、基本的な霊的真理なのです。つまり物質界には頼れるものは何一つないとの悟りで芽生えた時に魂が甦り、顕現しはじめるのです。」

 このご両親は、しかし、二人の子を失うという極限の悲しみのなかから、何よりも貴重な霊的真理を掴み始めていくことになります。そのご両親に対して、シルバー・バーチは、さらに、「お二人はその大きな真理を我が子の死という大きな悲しみを通して見出さねばなりませんでした。それはまさしく試金石でした。途方に暮れて、力になってくれるものが誰一人、何一つないかに思えた時に、その自分を見出させてくれることになった触媒でした」と述べています。

 それにしても、生まれたばかりの大切なわが子を奪われるというのはあまりにも過酷で、このようなシルバー・バーチのことばも、受け容れられる気持ちの余裕がもてないのが一般であろうと思います。ただ、いまは霊界におられるお子さんとの接点を必死になって求めておられるあなたのお気持ちは、霊界でのお子さんにも、お子さんを守ってくださっている多くの方々にも直裁に通じていることは間違いないでしょう。霊界との接触を模索しながら、何度かの挫折にもめげずに、ついにめぐり逢うべくしてめぐり逢ったミディアムとの対話は、私たちにもほのぼのとした温かさと希望を与えてくれます。

 いまは、かつては考えられなかったような霊的知識の普及があって、体外離脱をして何度も霊界へ行き、霊界の両親や流産をした子が成長している姿にも逢ってきたというような人も、この日本で見られるようになりました。あなたが言われるように、たとえどんなに短い期間しか一緒に過ごせなくても、住む世界が変わろうとも、「親子の絆」は確かに存在し、切れることはありません。あなたのお子さんは、この影の世界の地上からは姿を消したかもしれませんが、霊界の実在の世界では、いまも立派にあなたのお子さんとして生きておられるのです。その愛しいお子さんと、これからもどうか、母と子の、あたたかな心の対話を続けていって下さい。







 お母さんの眼を見たかった霊界の幼児 (2006.03.07)


 武本先生、はじめまして。昨年11月頃より、毎日拝読しています。

 私は昨年、長い不妊治療の末得た待望の第一子を、生後間もなく亡くしました。その後2ヶ月位は思考停止状態が続き、息をするのがやっとの毎日を過ごしました。夫や家族の介護のお陰で、何とか生きてきた日々でした。

 3ヶ月ほどが経過し「本当に人は亡くなったら終わりなのか?」と、私は「輪廻転生」や「死後生」などについて書かれた本を読み始めました。けれども「いくら本を読んでも、実感出来ないことは信じられない。」そう思うようになり、4ヵ月後初めての霊視鑑定を受けました。ところが、娘が赤ちゃんで他界したため「思い出」などがなかったからでしょうか?「単なる文章」としても矛盾を孕んだ、納得できない鑑定結果を受けました。

 その後がっかりしながらも、読書やネット検索をするなどの、悶々とした日々を過ごしていました。そしてある日、先生のページの「メール交歓」の過去ログの中に「地上で悲しい思いをした子がいっぱいいる。その中にはこっちに来たくない子も多い。そんな子の側に行ってやさしく話しかける」というお話を見つけて、胸騒ぎがしました。そして高額な鑑定料を払って、あるご高名な方に霊視鑑定をお願いしましたが、やはり納得が行かない結果しか得られませんでした。「赤ちゃんのままで亡くなると、ぞんざいな扱いしか受けられないのだろうか?」と、かえって悲しくなる始末でした。

 そんな思いが続く中で、つい先日また別な方のリーディングを受けることとなりました。「これで納得出来なかったら、死後生のことは信じないことにしよう。」そんな気持ちを抱きながら、セッション場所の最寄り駅の改札口の上をふと見上げた時、デジタル時計の「分」表示が娘の誕生日とシンクロしていました。その瞬間「今日こそ娘に会える!」そんな予感がしました。けれどもこれまでの苦い経験から、私は甘い期待を抱かないようにして、事務所の扉を開きました。

 セッション終了後、ミディアムが伝えてくれた言葉の一つ一つを思い出すと、娘の「生涯」と呼ぶには、あまりにもはかなく短い人生を一つの「ジグソーパズル」とするならば、ミディアムの言葉の一つ一つは、まるで美しい輝きを放つピースでした。そのすべてが、寸分の狂いもなく、ピタリピタリとはまっていきます。そしてこの日セッション中に、忘れられない出来事が起こりました。

 ミディアムと娘が、何やら二人で話し込んでいました。「いいですよ。」「大丈夫ですよ。」「出来ますよ。」「どうぞ」などと、ミディアムが受け答えしていました。その直後です。ミディアムがじっと私の目をみつめました。時間にしたら短かったのかもしれませんが、私にはかなり長い時間のように感じられました。その後ミディアムは「娘さんは『久々の肉体はとても重たかった。』『急に大きな身体に入ったので、疲れた。』って、言っていますよ。」と言いました。「赤ちゃんの身体にいたのに、成人の身体に入ったものだから、重たく感じられたのでしょうね。」「?」「実は今、娘さんに私の身体をお貸ししていたのですよ。どうしても『人の眼』で、お母さんの眼を見たかったそうなのです。」

 紛れもなく娘でした。ミディアムには「生後3日目に私たちがNICUへ面会に行ったとき、薬で意識を失わされているはずの娘が、懸命に私たちが立っている側の目蓋を開こうとした。」という話をしていませんでした。最後まで開く前に「紫外線照射中で、ドライアイにでもなったら大変だ」と思った私たちは、慌ててスタッフを呼んで、娘が目蓋を開ききる前に、閉じてもらったのでした。そのときスタッフは「自発呼吸ができないほどの薬が効いているのに、そんな馬鹿な!」と驚いていました。そしてこの日を境に、娘の容態は急速に悪化しました。

 この時娘に最後まで目蓋を開かせてあげなかったことを、私たちは非常に悔やんでいたのです。「きっとあの娘はあの時、この世の見納めをするつもりだったに違いない。最後まで目蓋を開かせてあげれば良かった」と。

 後日、「眼で見る」ということの意味について、こんな記述を見つけました(直居アキラさんのHPより)。

 「我々はこの眼をもって見るということをしにここに生まれている。瞬間的に見るということが創造なのだ。創造というものは、顕現しているときはいつも何かを見ているのである。そこには人間の考える意味はない。だが、奇跡のような美がある。ここに存在すると感じていればあまりに重いが、ここには存在していないと知るといきなり至福が流入してくる。もし人が、意識内部の心理的継続性が、すべての壁になっていることに気づけば、この眼はたちどころに戻される。断続的な眼の存在とは、瞬間瞬間に死ぬ存在である。個というものを確認しない人であり、世界とはあらゆる解釈を超えたものであるがゆえに、世界に対して何の言葉ももたないのである。その時我々は宇宙と同じ構造になる。」

 私には非常に難解な言葉ですが、あの時の娘にとって、単なる「この世の見納め」以上の重要な意味があったことが、朧気ながらも理解できました。

 なお、この日のセッションにより、私の行方不明だった娘は、意外な場所で見つかりました。こんな愚かな母のことを思って、他界後10ヶ月近くもの間、お迎えに来てくれた方を待たせたまま、たった一人で「暗く何もない世界」にとどまっている状態なのだそうです。

 「地上で悲しい思いをした子がいっぱいいる。その中にはこっちに来たくない子も多い。」まさに娘はそのうちの一人でした。胸騒ぎは当たっていました。この日より「娘を閉ざされた暗闇の世界から光の世界へ解放すること」・・・それが、生きている間に娘に触れることさえ許されなかった私の・・・「生きとし生ける者がすることを何一つ出来なかった娘」に対する「今生の母としての最初で最大の務め」となりました。すなわち、私の中の「娘への執着心」からの解放です。

 霊感も霊能力もない私でも「たとえどんなに短い期間しか一緒に過ごせなくても、住む世界が変わろうとも、『親子の絆』は存在するのだ。」ということを実感できる、すばらしい体験をさせて頂きました。ミディアムの能力の高さはもとより、文字通り「全身全霊」、「誠心誠意」というひたむきさ、そして娘の「何としてでも伝えたい」と強く願う、私たち家族への愛情があってこそ、はじめて成せる業なのでしょう。

 本日は、私の素晴らしい体験を是非お知らせしたくて、メール送信いたしました。長文を読んで頂きまして、ありがとうございました。

 K







 I I S の個人セッション等の予定について (2006.02.19)


 I I S (International Institute for Spiritualism) からの案内状によりますと、東京地区の「春のスピリチュアル・イベント」として、次のような日程で、個人セッションなどが行われる予定です。

 ミディアム:金城寛: 4月11日〜13日 17日〜19日 21日

 ミディアム:仲俣弘子: 4月29日

 ミディアム:矢加部サカエ: 4月30日

 実施内容

 1.リーディング(先祖)       
 2.スピリチュアル・カウンセリング 
 3.スピリットガイドのリーディング  
 4.過去生のリーディング      
 5.スピリットガイドの似顔絵
 6.スピリチュアル・ヒーリング
 7.オーラの強力な浄化

 ほかに、種々のアウエアネス・ワークショップなどもあります。

 東京以外の開催地はつぎの通りです。
 仙台(4/16日〜30) 上越(4/8日〜9) 宇都宮(4/25〜27日)
 大阪(4/29〜5日〜9)

 関心のある方は、次の IIS事務室 へお問い合わせしてみてください。
 
 〒160-0021  東京都新宿区歌舞伎町2-45-5 新宿永谷ビル710
 Tel & Fax  03−5285−4991 (受付:12時〜18時/水・日・祝 定休)
 E-メール : info@iis-org..jp
 Web Site  http://www.iis-org.jp







 輝かしい霊的真理への道を歩んでいく資格 (2006.02.12)


 H. N. 様

 メールを拝見しました。亡くなられた娘さんの行方を追って、いろいろと探索の学びを続けておられるお姿にこころを打たれます。かなり早い時期から霊界関係の本などを読んでおられるとはいえ、霊界で娘さんが確かに生き続けていることにまだ確信がもてず、「また悲しみのどん底に突き落とされたり」されるのも、お気持ちをよく拝察することが出来ます。おそらく、生涯最大・最高の難問に取り組んでおられるわけですから、なかなか、安心立命の境地に達することが容易でないのも、無理ではないのかもしれません。

 シルバー・バーチは、苦しみや悲しみには深い意味があることを何度も強調して、「魂というものは、その奥底まで揺さぶられ、しかも物的なものでは一縷の望みさえつなげない状態下においてのみ目覚めるもの」と述べたりしていますが(栞A41-r)、私は、こういうことばに接していますと、私のような者を含めて、子どもを亡くした親こそは神のみ恵みのもとに霊的真理への道を歩んでいく資格が与えられているのではないかと思うことがあります。あとは、ただ、倦まず弛まず、ひたすらに歩み続けるだけです。

 最近は、霊界関係の本もたくさん出まわるようになりました。モンロー研究所関係の本も私の手元に何冊かありますが、かなり自由に体外離脱して、霊界へ行ったり来たりしているような報告も珍しくはありません。でも、いろいろと広く資料にあたるのも大切かもしれませんが、私は、シルバー・バーチを繰り返して読むだけでも、私たちが通常抱いている疑問や質問は、あなたがメールに書いておられることなどを含めて、十分に答えられているのではないかと思っています。

 霊能者のリーディングも、個人的な疑問や質問に答えてもらえる点では重要ですが、おそらく、霊言の質的な信頼性においてはシルバー・バーチに匹敵するものは皆無に近いといってもいいでしょう。それだけに、シルバー・バーチの教えは極めて貴重です。私のホームページでは、いま、シルバー・バーチの膨大なことばを、項目ごとに「学びの栞」欄にまとめる作業を続けていまが、この項目のなかから、お知りになりたい回答を引き出すような読み方をしていただいてもいいかもしれません。

 このようなシルバー・バーチのことばを一人でも多くの方に知っていただくために、私のホームページが少しでもお役に立つのであれば、リンクとしてご紹介くださることはなんら差し支えはありません。お互いに励まし合って、これからの学びの道を歩んで行きたいと思います。メール記載のあなたのホームページのアドレスもそのまま転載させていただきました。








 死後の世界の真実を探し求めて (2006.02.12)


 武本先生

 お忙しい先生に、私のような者が拙い文章でメールすることは大変ためらわれたのですが、どうしてもお話したくて思い切ることにいたしました。 私は去年5月に娘を亡くした母親です。 先生のHPを知り合いに教えてもらい、時々拝見しています。

 私はかなり早い時期から江原啓之さんや飯田史彦さんの本を読み、娘は霊的には存在し続けるのだという考えに頼るようにしてここまで来ました。 そうでもしなければ、自分が娘の後を追いでもしない限り、この現実に耐えることが出来なかったからなのだと思います。 でも、いくらそういう考えを頼りにしても、現実に証拠となるものが得られないと、そんなものは単なる気休めなのではないか、生きている人が自分に都合のいいように作り上げた世界ではないのか、という考えに戻ってしまい、また悲しみのどん底に突き落とされたりを繰り返していました。

 私も本当は霊能者のリーディングなども受けたいのですが、費用もかかることなので簡単には決断できず、そのかわりに、少し前からモンロー研究所のヘミシンクを聴き始め、自分自身で娘を感じられるようになれないかと模索しています。 本も、シルバー・バーチやキューブラー.ロスなど、ずいぶん色々と読みました。 また、昨日(正確には一昨日になりますが)「大空の会」の集まりにも初めて参加させて頂き、小さな一歩を踏み出せたような気持ちでいます。 4月には先生のセミナーがあるのですよね。 そのことも今からとても楽しみです。

 先生のHPは、ただスピリチュアル的な考えを述べているだけではなく、とても力強く、霊的な世界を信じさせてくれるものだと思います。 (この世で)亡くなった(とされている)からといって、決してあきらめなくても良いのだと強く教えて下さっていることを感じます。 とても充実した内容であるだけに、まだ全部を読ませて頂いてはいないのですが、確かお子さんを亡くされた方への返信メールとして掲載されていた、「子供が行方不明になったら探すのが当たり前。 霊的世界に行ってしまった子供も探してあげて下さい」という内容のメッセージには心を揺さぶられました。 実は、娘は自死なので、スピリチュアルな考えをそのまま当てはめていいのかな?と思ってしまうこともあるのですが、この考え方は当てはめさせて頂いても良いのですよね?

 実は私は、娘がパソコンを大好きだったこともあり、娘の記録を残したくてHPを立ち上げました。今ではそこは、お子さんを亡くされた方を中心とする、自死遺族の方が集まって下さる場所になっています。 あくまでも娘の記録と掲示板だけが中心で、先生のHPのように教えや情報があるわけではありませんが、色々な方が気持ちを書くことで癒されると仰って下さいます。 実は、今日もある方の書き込みに対し、先生の言葉を引用せずにはいられず、先ほど挙げました内容を私なりの言葉で書かせて頂いてしまったのです。 事後報告で申し訳ありません。 でも、私のHPにいらして下さる方々にも、先生のお考えをお知らせしたい気持ちで一杯なのです。

 それで、大変ずうずうしいお願いなのですが、先生のHPをリンクとして紹介させて頂くことをお許し頂けないかと思いました。 HPはこちら(http://www.geocities.jp/yoshii_hi/)です。お忙しい中大変申し訳ありませんが、どうぞよろしくお願いいたします。

 H. N.







 シルバー・バーチの教えに触れることが出来た幸せ (2006.02.11)


 N. Y. 様

 34歳の若さでスピリチュアリズムに親しむようになっておられることに敬意を表します。メールを拝見しているうちに、シルバー・バーチのつぎのことばを思い出しました。「学びの栞」(79-e) でもご紹介しましたが、ロンドンの交霊会を訪れた四人の若者に対して述べられた言葉です。シルバー・バーチはこう言っています。

 《あなた方は比較的若い年齢でこうした素晴らしい機会に恵まれたことを喜ぶべきです。今日なおあまりに多くの人たちが日陰の中で暮らし、きつね火を追い求め、幻影を抱き、実在を見出せずにいることは何と悲しいことでしょう。あなた方は一人一人が無限の可能性の宝庫なのです。その中のどれだけを自分のものとするかは、あなた方の努力次第です。それが自由意志をどれだけ行使するかの尺度となります。どこまで追求するか、それはひとえにあなた方自身にかかっております。》

 生まれてきた目的や人生に対する不安を感じたりするのは、若い純粋な魂の遍歴の過程ではよくあることだと思いますが、そのなかで、シルバー・バーチの教えにめぐり合えるというのは、やはり大きな幸運のように私には思えます。私の場合は、50歳代でしたから、少し遅すぎました。もっと早く、若いうちに気がついていれば、何とかしてロンドンでの交霊会にも出席したいと考えたかもしれないものを、今となっては悔やまれます。でも、シルバー・バーチの教えを知らぬままでこの世を終えるのではなくて、その多くの教えに十分に納得し目を開かれたことは、私にとって何ものにも代えがたい、大きなこころの拠り所になりました。

 あなたのメールで、私のような者もまた勇気づけられていることを付け加えて、こころからのお礼を申し上げます。








 人生に希望を持って生きていくために (2006.02.11)


 武本先生

 突然のメール申し訳御座いません。N.Yと申します。最近シルバー・バーチを読む機会に恵まれ、「ともしび」を拝見させて頂きました。私は愛する家族と突然引き離されるという経験はありませんが、先生の言葉に勇気付けられメール差し上げた次第です。

 とてもお辛い時期を長く過ごされたことと思います。ですが、先生のその経験は、私に勇気と希望を与えて下さいました。ありがとう御座います。また、「ともしび」に出会えた多くの方も同じだと思います。

 私は34歳の若輩者ですが、生まれて来た目的やこれからの人生に不安を感じています。そんな時に出会ったのがスピリチュアルでした。ですが、まだまだ不安が大きく未熟です。先生もご存知かと思いますが、東京のIISで勉強させて頂こうと考えています。

 これからもどうかお体を大切に、ご活躍を祈っております。

 N. Y.







 どん底の悲しみこそ天から与えられた大いなる恵み (2006.02.06)


 S. R. 様

 暗闇のなかに差し込む一筋の光を感じさせるような貴重なメールを有難うございました。ご自身の体験から掴んでいかれた、そして、悲しみのどん底にいたからこそ知りえた真理のことばの有難さを、このメールを読んでくださっている多くの方々と共に感じ取っていきたいと思います。

 文中で、シルバー・バーチ様と 「様づけ」で呼んでおられるお気持ちは、私にはよくわかります。私も深い尊敬の念からこころのなかではいつもそのように思っているからです。モーリス・バーバネルが生きているうちに、降霊会に是非とも行ってみたいお気持ちになられたのも、私にはよくわかります。私もまた、同じことを何度も強く感じてきたからです。それは、いまはもう叶わぬ夢となりましたが、それでも、これだけの膨大な量の真理の言葉を、十分に納得して受け入れることが出来る幸せをこころから感謝せずにはおられません。

 私は、昨年11月の講演 「死を越えて生きる」のなかでも、シルバー・バーチの肉声の一部をテープで紹介して、つぎのように述べました。「二千五百年前の釈迦は数多くの仏典を残し、二千年前のイエス・キリストは『聖書』を残しましたが、それらはいづれも、釈迦やイエス・キリストの弟子たちが聞いた話を書き残したもので、釈迦自身、イエス・キリスト自身が書き残したものは一行もありません。しかし、三千年前のシルバー・バーチは、このとおりの現代英語で、直接私たちに語りかけたのです。」

 これは本当に大変なことで、その重大な意義は、いくら強調しても強調しすぎることはないと思われます。ですから、私も、「これらは一字一句、シルバー・バーチ自身の言葉であり、私たちは、霊媒を務めたモーリス・バーバネルの声帯を通してではありますが、このとおり語っているシルバー・バーチの威厳に満ちた肉声を録音で聞くことさえできます。これは、二十世紀の人類に起こった最大最高の奇跡のひとつといってもいいのかもしれません」と付け加えました。

 おそらく、私もまた、悲しみのどん底にいなければ、このような「奇跡」とめぐり合うこともなかったでしょう。特に科学万能を盲信する傾向の強い大学社会などでは、三千年前の古代霊であるシルバー・バーチの霊訓と聞いただけでも、理性が受け入れられるはずのない荒唐無稽な絵空事として、忌避し近寄ろうとさえしないのが普通です。悲しみのどん底にいたからこそ、近づき、求め、知りえた真理のことばであることを考えますと、どん底の悲しみこそ、実は、天から与えられた大いなる恵みであったと言ってもいいのかもしれません。







 眼から鱗が落ちるような真理を知ることが出来て (2006.02.06)


 武本先生

 初めてメールさせて頂きます。2日前にシルバーバーチを検索して、出てきたものを順番に、クリックしていきました。ものすごい量ですが情報を一つも見逃したくない思いがあり、夜中にパソコンにむかっておりました。

 実は10年以上前に、「悲しくて、悲しくてどうして私にこんな事が起こるのだろう」ということがありました。死別の悲しみではありませんが、私にとっては心臓がえぐられるほどの、深い悲しみでした。起きて意識があるとこの現実が辛く、ずっーと眠っていたいと思い、また眠っているときだけ、苦しさから逃れられていたと思います。息をすることも辛く、胸が苦しくて、張り裂けそうで、意識しないでも普通に呼吸のできる事のありがたさ、平凡な幸せの偉大さもその時に分かりました。人前で話す仕事をしていて、何事もなかったかのように振る舞うことが、とてもつらかったことが思い出されます。本当は外出など一切したくなく、下を向いては込み上がる涙をこらえるのに苦労致しました。相談する相手も居らず苦しい毎日でした。10年以上前の状況なのに鮮烈に覚えているものです。

 どうしてこんなに辛いことがおこるのか?何故?何故?の気持ちが沸き上がり、何を私は悪いことをしたのか、神様に教えて欲しい一心で、向かった先は、大きい書店でした。精神世界、宗教のコーナーです。それからは、眠る時間も惜しく、この苦しみを受ける理由を解明することを片端から書籍に頼ったのです。一刻も早く本当の真理が知りたかったのです。眠いとも思わず、何かに急かされるように一日2〜3時間の睡眠で読みあさりました。もちろんその本の中にはシルバーバーチ様(わたしは様ずけでお呼びするしかありません)がありました。巻末や、出版社の案内に載っている、同じ系統の本も取り寄せました。霊界通信、ベールの彼方の生活、死後の世界ほか、沢山の本が今も本棚に並んでおります。これらの本を読んでいくうちに私の心の中に、色々な思い、考えが起こり、この苦しい現実が受け止められるようになっていったのです。

 もちろん時間は掛かりましたが、眼から鱗がおちるような真理を知ることが出来て、不幸のどん底にいた自分ですが、逆に何者にも代える事の出来ない素晴らしいそれこそ人生の秘密を知ることが出来たのです。シルバーバーチ様の言葉は真理として私の心に染み渡りました。モーリス・バーバネルが口述したテープも聞きましたが、シルバーバーチ様の声はとても穏やかでした。モーリス・バーバネルが生きている内に、降霊会に是非とも行ってみたい気持ちに駆られました。この夢は残念ながら叶えられませんが・・

 シルバーバーチ様の霊訓に出会わせてくれた諸々に感謝致しました。目が見えて、字が読めることにも感謝しました。この本のおかげで救われたのです。あれから11年間、スピチュアルなことを、自分なりに勉強してきました。今はシルバーバーチ様の仰っている動物たちのこともとても気に掛かります。人間だけが、やり放題の世の中です。動物実験、肉食なども考えなくてはいけない時期に来ていると思います。他人に優しくするように、動物にも優しくありたいものです。

 長くなりましたが、急に2日前に何故かインターネットでシルバーバーチ様を検索して武本先生のホームページに出会わさせて頂いたご縁のきっかけを書かせて頂きました。もう続けて8時間ぐらい武本先生のホームページを読んでおります。そして今こんな事を書かせて頂いている理由ですが、ご家族と死別された方々の悲痛な文面を拝見して、シルバーバーチ様の霊訓を熟読されることをせんえつながら申し上げたくてメールしました。武本先生の、相手のかたの気持ちに寄り添った温かいお返事を読ませて頂きましたが、武本先生がおっしゃって居られるように、迷信でもなく、慰めでも無く、本当に真理を知ることが苦しい、辛い気持ちから抜け出せる事へ必ず繋がっていくと信じています。私も「学びの栞」を毎日、毎日読ませて頂きます。

 乱暴な文章で恥ずかしいですが、私の座右の銘の霊訓を、一緒に解釈していける場所に出会えたうれしさで思わず、今の思いを書いてしまいました。10年以上前の苦しみの本質は無くなってはおりませんが、体は死んでも、永遠に生き続ける魂に恥ずかしくないようにこの世を生きようと思っています。

 S・R







 第45回 「大空の会」のセミナー開催について (2006.02.03)


 「大空の会」(子どもを亡くした親の会)で私のセミナーが開催されることになりました。聴衆に対しての一方通行的な講演会とは違って、資料を中心に参加者の方々と一緒に学んでいくような形にしたいと思っています。

 このセミナー開催については、 「大空の会」ではホームページで、つぎのようにお知らせしています。

            ***************

第45回 大空の会

日時 2006年4月13日 木曜日    PM1:00〜PM4:30
場所 東京ウィメンズプラザ 第1会議室のB

4月のテーマ:武本昌三先生のセミナー

跡見学園女子大学名誉教授の武本昌三先生を招き、セミナーを行います。22年前の大韓航空機事件で最愛の妻と長男を亡くし、その深い悲しみを経て、真に生きるという輝きを見出した武本先生のセミナーに是非いらしてください。

大空の会事務室(瀬野彩子)
  TEL : 042-562-6803
 







 ヒーラーたちから世界一の聖者と呼ばれた人 (2006.01.26)


 武本様、いつもありがとうございます。日本の都心でも雪が積もって、今年は大変寒いとのことですが、御身体の方をお大事にして下さい。

 さて、先日は英国の情報をありがとうございます。SAGB の英語版を探しました。秋ごろに機会があれば行ってみたいと思います。

 やっと、自分の真理の追求の先生を探せましたが、その方はすでに他界しております。英国のスピリチュアリズムを発展させたハリー・エドワーズさんも、この方に会いにキプロスを訪れている様子です。世界のヒーラーたちがこの方を世界一と呼んで、「聖者」と呼ばれていた人です。

 ギリシャ正教という堅いキリスト教では、人を癒すのは神のみですから、彼がどんな思いで行動していたかと思いますが、世界中から彼の事を聞いて訪れていた様子です。日本ではキプロスという国を知らない人も多いなか、世界のヒーラーの人たちが彼を絶賛している様子です。話は長くなりそうですので、この辺りで終わりにします。

 しかし、いくら偉大な先生に会ったとしても、山の頂上を目指すのは自分自身であるということですから、真理の追求は終わりません。いつもありがとうございます。

 K . M .







 いままでと同じように母と子の対話を (2006.01.23)


 K . K . 様

 メールを拝見しました。昨年 (2005.12.13) のメールに書いておられた脩君のことば「生んでくれて有難う」を思い出しながら、脩君の優しさに改めて胸を打たれる思いです。

 私自身が長い間、生とは何か、死とは何か、まったく分からず、無知のまま生きていましたので、それだけ苦しみも大きかったのかもしれません。しかし、いまは、妻も息子も決して「死んではいない」ことを信じているというよりは、私なりに、知ることができるようになりました。霊界で元気に暮らしていることもわかっていますので、少し淋しいと思うことはありますが、苦しみも悲しみもありません。私がこのようなホームページで訴えているのも、私のように無知のままで悲しむことが大きな思い違いであることを、少しでも多くの方々に知っていただきたい一心からです。

 メールで、「『生まれて来てくれて有難う、育てさせてくれて有難う』と語りかけながら日々過ごしています」と書かれていることに、私も、慰められています。脩君は、そのことばをとても喜んで聞いておられることでしょう。いつも、すぐそばにおられますから、そのことに気がついてあげるだけでも、脩君はこころから感謝し、安心されることと思います。どうか、いままでと同じように、脩君に語りかけ、母と子の対話を続けてください。いま、このホームページで紹介しているシルバー・バーチのことばにも、「死を悲しんではならない」ことの意味が繰り返し述べられています。そういうことばのなかからも、「死」の真実を掴んでいかれるようになることをお祈りしています。








 「生んでくれて有難う」 と言ってくれた愛し子を偲びつつ (2006.01.23)


 昨年の暮れには心温まるメール有難うございました。あの時は私の身体中にある溢れんばかりの不安、後悔、想いを聞いていただきたくメール致しました。

 毎日このホームページを拝読しております。2003年〜の「メール交歓」も読ませていただきましたが、2003年のこの頃は息子は生きていました。そんな時、こんな辛い想いをしていた方達が居られたのだと胸が痛みました。でも皆さん、石阪様、谷口様、鈴木様、皆さん沢山のものを乗り越えて本当に力強く生きておられるのだと知りました・・・・・

 私は先生のホームページを知るまで、手探りの状態の中で日本心霊科学協会、大空の会、瀬野様の先生へのメール、その他いろいろ探し読みました。その時は先生が奥様、息子さんを亡くされた原因を知らず、ホームページを開いて初めて知り驚きました。また先生が八王子で講演会をされる事にも・・・・・ 

 亡くなった息子は八王子に住んでおりました。そして先生の息子さん、潔典さんのお誕生日が6月5日で息子の兄と同じでした。そして潔典さんが事故に遇われた翌年の6月29日に生まれ、21歳で亡くなりました。先生のホームページに導いてくれたのは息子なのかもしれません。家の中には息子の引越しの荷物があり、手を付けられず悲しさで一杯になり泣いてしまいます。

 私が泣いてばかりなので脩はきちんと霊界へ逝けたろうか・・・と自分が情けなくて仕方ありません。現在、先生の講演集 1〜3を読み涙が溢れています。息子が事故・・・・・詳細はまだ書けません。私も納得できず、ただ、息子を信じる、信じたいと想います。「生まれて来てくれて有難う、育てさせてくれて有難う」と語りかけながら日々過ごしています。世間の言動に心乱される事なく、自分を見失う事なく脩と逢える時まで・・・・・。

 今年も講演会があるようでしたら是非お伺いし拝聴させて頂きたいと思います。K . 夏目様の励ましのお言葉、本当に有難うございました。これからも「優しさ、思いやり、あたたかい言葉、人のために尽くすこと」を勉強させていただきながら歩みたいと思います。

 寒さがとても厳しい冬です、お身体くれぐれもおいといください。

 K . K .







 生と死についての真実を知ることの大切さ (2006.01.08)


 E.. U. 様 

 メールを拝見しました。大切なたった一人のお嬢さんを亡くされたご心中お察し申し上げております。ただ、spiritualism についてすでにいろいろと学ばれていることをお伺いして、私も少しは安堵の気持ちがないわけではありません。あなたはやがて、「空虚でつらい毎日」からきっと抜け出られるであろうことを信じるからです。

 何よりも大切なことは、お嬢さんが生きていることを知ってあげることだと思います。生きているのに「死んだ」と勘違いして、いつまでも嘆き悲しむようなことがあれば、それが折角のお嬢さんとの魂の交流を妨げることになります。お嬢さんも、嘆き悲しんでいるあなたの姿をごらんになったら、同じように嘆き悲しまれます。それでは、魂の交流は一層難しくなるでしょう。ですから、「事前の準備」のようなものがあるとしたら、それは、まず、お嬢さんが立派に生き続けていることを知ってあげることだと思います。

 たまたま、きょうの「学びの栞」には、むかし、S・A・G・B (大英心霊協会)の事務長をしていた Ralph Rossiter 氏に対するシルバー・バーチのことばが載せられています。そのなかでもシルバー・バーチは、「あなたの協会には大勢の人が訪れ、そして帰って行きます。ある者は病気が癒えて、ある者は元気づけられて、ある者は啓発されて、逆にある者はがっかりして、ある者は何の反応もなしに帰って行きます。魂にその準備ができていなかったのですから止むを得ません」というふうに述べているところがあります。世の中には、悲嘆のあまりに「溺れる者は藁をも掴む」で迷信にすがったりする人もいないわけではありませんが、迷信では決して人は救われません。おそらく人を救えるのは真理だけでしょう。「魂の準備」とは、真理を真理として知るための理性が必要であるということかもしれません。

 それ以外のことは、そんなに重要ではないのではないでしょうか。この「メール交歓」のなかでも、ロンドンの大英心霊協会に関する情報は、かなりたくさん含まれています。「谷口美砂子さんへの返信」 (2003.03.08)、「大英心霊協会の SITTING について」 (2003.04.20)、「ロンドン大英心霊協会への旅 」(谷口美砂子さんの記録)(2003.04.22〜04.27)、「貴重な体験の記録」 (2003.05.10) などから始まって、その後も多くの人々が訪れ、多くの人々がその感想を述べたりしています。それらもどうぞ、参考になさってください。S・A・G・B へ行かれることが、あなたの学びにとって、そして、こころの安らぎのためにも、大きな前進になることをお祈りしています。






 大英心霊協会を訪れるための事前の準備について (2006.01.08)


 武本様

 ホームページを拝見して、初めてメールいたします。私は、昨年6月、突然の心臓の病気で、14才のひとり娘を亡くしました。空虚でつらい毎日を送っています。

 私は、8月に spiritualism というものを知りました。まだ完全に理解しているとはいえないかもしれませんが、武本様のホームページを読むと、絶望的な気持ちの中に、娘はやはり死んではいないのではという気持ちの方が強くなり、とても励まされます。

 いろいろと本なども読んで、イギリスのSAGB のことを知りました。英語の方は、仕事上やっており、不安はあるものの、何とかなるかな、と、思い切ってちかく SAGB をたずねてみようと思います。娘の魂との交流がないと、どうにも前に進めないのです。

 初めてロンドンに出かけることになり、旅なれてもいないのにひとり旅で多少不安ですが、SAGBに何度も行っておられる武本様に、事前の準備(物心ともに)をお聞きしたく、メールいたしました。もしお時間が許せば、お聞かせいただきたいと思います。

 E.. U.






 明けましておめでとうございます (2006.01.01)


 新しい年の初めにあたり、皆様方のご健康とご多幸をこころからお祈り申し上げます。

 人生行路には高い山もあり深い谷もあって、時には転ぶこともありますが、それを乗り越えていくことで私たちの魂は磨かれ鍛えられます。宇宙の摂理はそういう仕組みになっているようです。

 私たちは過ちを犯すためにこの地上に生まれてきたようなものだといわれます。過ちを犯さない完全な人ならこの地上にいるはずがないからです。そして、取り返しのつかない過ちというものはないともいわれます。私たちは、転んでも必ず起き上がることが出来るはずだからです。新しい希望と新しい可能性を秘めた新しい夜明けが訪れることを強く信じて、今年もまた、このホームページを支えてくださっている皆様と共に、一歩一歩、学びの道を歩んでいきたいと思っています。どうぞ、よろしくお願いいたします。
 
 なお、昨年1月から「今日の言葉」の欄を追加しましたが、毎週、月曜日と木曜日に載せてきて、その数は95になりました。「学びの栞」で『シルバー・バーチの霊訓』からの抜粋を続けてきて、いまは9巻に取り掛かっているところですが、「今日の言葉」は「学びの栞」をもとにまとめていますので、全体のバランスを考え、今年からは、毎週月曜日に一回だけ載せていくことにいたします。タイトルも、シルバー・バーチ「今日の言葉」2005-2006 としました。ご了承ください。




 

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