(日付の新しいものから順にならべてあります)





 無料で治療を続けてきたヒーラーの足跡 (2006.12.31)


 もりとともこ様

 メールをいただき有難うございました。毎日、このホームページで、シルバー・バーチのことばをを読んできてくださったそうで、厚くお礼申し上げます。

 3年前にこのホームページを開設した頃は、いろいろな本から心の糧になるようなことばを抜書きしていくということでこの「学びの栞」も始めたのですが、まもなく方針を変え、シルバー・バーチだけに専念することにして、それらを「学びの栞」(A)として、いままで続けてきました。

 昨日も書きましたが、シルバー・バーチのことばは、ほんとうに目が覚めるような叡智のことばの連続で、読み続けているうちに、「抜書き」ですますことができず、つい、全文に近い引用の繰り返しになってしまいました。そしていま、改めて感嘆させられるのは、シルバー・バーチのことばの重みと表現力の見事さです。古今東西、文豪とか哲人といわれてきたような人たちも、深遠な哲理をこれほど澱みなく珠玉のことばで表現できた人はいなかったのではないでしょうか。

 私はいつも思うのですが、このようなシルバー・バーチの教えを、言われたとおりのことばで、ほぼ正確に、こうして日本語で読めるというのは幸せですね。2千5百年前の釈迦や2千年前のイエスのことばとして私たちが聞かされているのは、又聞きのまたその又聞きのようなもので、釈迦自身のことば、イエス自身のことばは、何一つ残っていません。しかし、シルバー・バーチの場合は、現代英語で話されている一語一句に至るまで、そのまま読むことが出来ますし、バーバネルの声帯を通してではあっても、シルバー・バーチの荘重な肉声を録音で聞くことさえ出来ます。これは、やはり現代の奇跡と言ってもいいのでしょう。

 シルバー・バーチがいつも強調しているのは霊力の偉大さですが、これは目に見えるものではないだけに、あなたのようにそれを実践されている方は別として、一般の人々にはなかなか理解することが難しいようです。例えば、現代医学では治すことのできないとされている難病を、目の前で、霊力によって現実に治すというような「奇跡」でも目にしなければ、関心をもたれることさえないのが普通です。時折ニュース種になる金儲けだけの「霊感商法」や「贋の宗教」なども後を絶ちませんから、それらが余計に、人びとを霊的真理から遠ざけているのかもしれません。

 この間、私のホームページを陰で支えてくださっている谷口美砂子さんが、山村幸夫『神からのギフト』−スピリチュアルヒーラーへの道ー という本を送ってくださいました。この著者の山村幸夫さんもシルバー・バーチの教えに啓発されて霊能を開いていかれた人で、真にすぐれたヒーラーであったようです。日本とアメリカで、病院から見放されたような多くの人々の、数々の難病を治すという「奇跡」を頻繁に起こしてきましたが、惜しくも、2002年5月に、治療院としていたロサンゼルスの自宅で亡くなられました。まだ39歳でした。

 この山村さんは、患者さんから治療費は一切取りませんでした。ガンのような難病を治療してあげても、治療費はすべて無料でした。病気を治してもらった多くの人々が感謝を込めて自発的な寄付をする、そのお金で治療活動を続けておられたようです。人のために誠心誠意尽くしている人は、必ず霊界からの援助が受けられる。それを、身をもって示してくれたのがこの山村幸夫さんです。その清清しい足跡がこの『神からのギフト』にはあたたかいことばで残されています。自費出版ですから、一般の書店では売っていませんが、山村幸夫『神からのギフト』出版会 (〒223-0058 横浜市港北新吉田東7-24-8)へ申し込むと、送料込み1,500円で手に入れることができるようです。

 もしあなたがご存じなければ、関心をもっていただけるかも知れないと思い、山村幸夫さんのこともご紹介させていただきました。お元気で佳い新年をお迎えください。








 毎日HPでシルバー・バーチの教えに導かれて (2006.12.31)


 武本先生。

 ご無沙汰しています。ごめんなさい。毎日HPを楽しみに、ありがたく読んでいます。どれだけ励ましになったことでしょうか。本当に感謝の思いでいっぱいです。3年間かけてシルバーバーチの霊訓を項目別に整理してくださったのですね。感慨深いです。

 毎日HPを開きその日のシルバーバーチの言葉を読みます。時間がなく、それだけで出勤したり、またその後に続く以前に集録してくださった分を引き続き読むこともありました。また、時間の取れるときに、一項目分を、味わって読んだり、落ち着いて読んだりでき、そのときにも、大変ありがたいなぁ、と思っていました。12巻は総集編ということで、霊訓の整理はひとまず終えられたのですね。ありがとうございました。

 そしてこれからも、「今日の言葉」と「身辺雑記」と「随想」とが、引き続き読めると知り、とても嬉しいです。武本先生のこれまでに書かれた文章も、とてもあたかたく、思慮深く、ありがたく読んできました。本当に楽しみです。これまでも、読ませていただいた後、「ああ、そうだなぁ。私の考えや思いもお伝えしたいなぁ」と思っていました。でもごめんなさい。日々に追われ、いつもいただくばかりになっていました。本当にありがたく読んでいます。

 私は、およそ1年前に先生のHPに出会いました。そして丁度同じ頃、レイキ(霊気と書きます。霊力と同じものです。大霊から送られてくる愛のエネルギーです)、現代レイキ法(代表土居裕先生)と出会いました。そしてレイキ・ヒーリングと、五戒(今日だけは怒るな、心配すな。感謝して業に励め、人に親切に。)という教えを実践する毎日を社会生活の中で実践しています。その教えとシルバーバーチの霊訓が本当に同じ中味なのです。正しく思い、話し、行動することと、業に励むこと(役割、使命、責任を果たすこと。人のために。)で、魂が霊性が上がり、レイキ(霊力)が通る通路がしっかり太くなるのです。シルバーバーチと武本先生の言葉が、いつも内容が丁度重なり、レイキで学んだことの後押しとなってくれていました。

 また、実はこの12月初めに、父が腎臓透析になりそうだと分かりました。その父のために、私たち夫婦は自転車で10分ちょっとの実家に夕飯後毎晩通い、レイキ・ヒーリングをしています。主治医の先生からは当初、透析は時間の問題だと、宣言されたのですが、数値がよくなり、まだ透析せずにおります。私たちは霊力、レイキのお陰だと思っています。

 天命は変えられませんが、やれることをしていこうと思っています。父には、それまでの生き方を考え直すいい機会になったようです。肉魚が大好きで、主食よりいつも副食中心の食事だったのですが、腎臓にはたんぱく質がだめだということで、肉魚はほんの少ししかいただけなくなりました。私が、シルバーバーチと出会ってから、「殺生した物はいただかない」、と話していたので、父は「食べないでも大丈夫なものなんだなぁ」と、今までの食生活、自分中心の考え方を考え直しつつあります。そして、お医者様に、食事を世話してくれる母に、ヒーリングする私たちに、心配してくる孫や友人の方々、皆のお陰で生かされている、ありがとうという感謝の思いを持ち出し、この世での学びについて考え出しています。

 私は、毎朝毎晩、宇宙平安の祈りと短い瞑想をします。「(大霊に呼びかけます。)大霊、光の存在たち。祈り、すべての生き物の霊(魂)が輝きました。すべての生き物が調和して、真に安らかに、暮らせますように。そのために、私がレイキ(霊力)の通路になれるよう、私が正しく思い、話し、行動できますように、お導きください。私は、自分の使命を役割を果たせました。(完了形で言い切ります。)いつもありがとうございます」と宣言します。祈ります。それからしばらく静かに呼吸を見つめ、発霊法をし、レイキ(霊力)が、体に入り、体から発しているのを感じます。

 来年の4月の大空の会で先生のお顔を見られ、お話が聞けることが、楽しみです。この秋の先生の講演会は、残念ながら行けませんでした。本当に残念でした。でも毎日、先生のHPを開き、叡智と愛の言葉を読ませていただき、たくさんの愛と励まし、そして力をいただいています。そして、いつもシルバーバーチと武本先生と、大霊の率いる霊団が控えてくれていると確信します。これからも、お元気で天からの使命を果たしてくださいませ。

 今日のHPを読んで、今日は必ずメールしたい、しなくっちゃと思い、とりとめもなく書いてしまいました。本当に毎日ありがたく、感謝の思いです。繰り返してしまいますが、先生の言葉を楽しみしています。

 もりとともこ







 来年からのこのホームページの更新について (2006.12.30)


 このホームページの「はじめに」のところにも書いてありますように、私の講演会の主催者や出席者の方々のお勧めとご尽力があって、2003年3月末に、このホームページが開設されました。早いもので、それから、まもなく4年になろうとしています。

 その間、一日も休むことなく、毎日少しずつ、シルバー・バーチのことばを『古代霊は語る』と『シルバー・バーチの霊訓』(1〜12)から書き写す作業を続けてきました。それらを、「学びの栞」のなかで約80 の項目に分類してきましたが、『シルバー・バーチの霊訓』(12)は「総集編」ということになっていますので、4年近く続けてきたこの作業も、『霊訓』(11)の大半をカバーした現段階で、いよいよ終わりに近くなってきました。

 このホームページを毎日欠かさず更新するためには、留守をする場合の処置を考えねばなりませんでした。予め原稿を作っておいて溝口祭典の佐々木薫さんの所へ送信し、入力と公開をお願いするなど、佐々木さんには度々格別のご尽力をいただいてきましたが、来年一月からは、少しぺーすを緩めて、一日おき程度の更新にさせていただきたいと考えております。「今日の言葉」も一週おきくらいに、そして、「身辺雑記」も、「随想」と交互に一月おきに更新させていただきますので、どうぞご了承くださいますようお願い申し上げます。

 膨大な量のシルバー・バーチの叡智のことばは、すでにその大半を「学びの栞」と「今日の言葉」で分類を終え、インデックスもつけてありますので、いままで毎日のようにこのホームページを開いてきてくださった方々は、どうか、必要な箇所を繰り返し、お読みいただければ、たいへん有り難く存じます。一般的には、繰り返し繰り返し読むに値することばというのは、そう多くはないように思われるものですが、シルバー・バーチのことばは、おそらく例外といっていいでしょう。そのために私の『霊訓』からの引用も、惜しくてカットすることができず、ついついほとんど全文の引用というような形になってしまいました。私自身も、なお繰り返し読む必要を痛感させられておりますが、今後も皆様と共に、学びの道を歩んでいくことが出来れば幸いです。








 「不幸」というのはしばしば真の意味での幸福 (2006.12.18)


 遠藤志乃様

 メールを有難うございました。お子様との悲しい別離に重なってご主人が倒れられるという大変なお苦しみのなかで、「大空の会」のためにご尽力されているご様子などをお伺いして、強くこころを打たれています。

 このような、人間の極限状態ともいえるような体験をされているメールをいただきますと、通常は、お返事を差しあげるのも容易ではなく、考え込んでしまったりもするのですが、「大空の会」のお手伝いを、「まさしく息子や天界の子供たちからのプレゼントだと受け止めて」おられて、「とってもとっても・・・楽しいです」と言っおられることに、深くj安堵し、救われる気持ちがしています。霊界のお子さんは、そのようなお母さんの姿にさぞ安心し、そして、誇りに思っておられることでしょう。

 辛いことが次々に重なって、どうしてこんな理不尽なことばかり起こるのだろう、と考えさせられるというのは、世間では、本当はそんなに珍しいことではないのかもしれません。いろいろなところで、いろいろな人が体験していることで、その受け留め方がそれぞれに違うだけといっていいのでしょう。この地上で魂を磨き、霊格を高めていくためには、それらの苦しみは、やはり、与えられるべくして与えられている試練であることを、シルバー・バーチも私たちに教えてきました。次のようなことばもあります。

 《もう一人の方にも同じことを申し上げたいと思います。悩みや困難に追いまくられるとおっしゃいます。が、私はいつも申し上げております ― “それは百も承知しております。もしも悩みも困難もなかったら、あなたはこの世にはいらっしゃらないでしょう。なぜなら、それを処理するために地上へ来ていらっしゃるのですから” と。遭遇しなければならない困難というものが必ずあります。それに挑戦することによって内部の貯え、潜在する霊的資質、神的属性の幾つかが呼び覚まされるのです。》(栞A17-zg)

 これは、もちろん、愛するわが子との死別のような深甚な悲しみや苦しみを言ったものではないかもしれません。しかし、「深甚な悲しみは」さまざまな苦難のなかでも、もっともよく魂の目を覚まさせる触媒である、とシルバー・バーチはさらにその意義を評価していました。世間の常識でいう「不幸」が、しばしば、人間本来の霊的な視野のなかでは、「幸福」の重要な条件であることを、折に触れて考えていきたいものと思います。








 天国の愛し子と共に歩んで行くために (2006.12.18)
 
 
 武本昌三先生
 
 大空の会の会員の遠藤と申します。初めてメールいたします。先生のホームページは毎日拝見しております。シルバーバーチの言葉、そして皆様からのメール交歓は心打たれます。

 私は去年の8月に、14歳の息子を骨肉腫で天国へ送りました。絶望と喪失でどん底の日々でした。息子は東京の病院に入院して二週間後に主人が脳梗塞で倒れ、6日間の意識不明、一命は取り留めましたが、今も重い後遺症があり、身体障害者となりました。39歳で倒れました。自分の身の回りに起こること・・・何が何だか分かりませんでした。夢のようでした。夢なら良いのにと思いましたが、朝目が覚めると現実が始まりました。私が倒れてはならないと、必死でした。 
 息子が天界に旅立ったときも主人は入院していました。何が何だか分かりませんでした。どうしてこんな理不尽なことばかり起こるのだろう・・主人は重い後遺症は残りましたが、命に別状は無く、私は息子が帰ってくることだけが望みでした。望みもすべて失いました。そんな中で、大空の会と知り合いました。インターネットで検索し、会長さんのお言葉に心打たれ毎日読んでいました。でも、私は福島県・・・・行けるだろうかと悩んでいましたが、そこで背中を押してくれたのは天国の息子だと確信しています。

 大空の会で知り合った沢山のお母さんとの出会いは、私も最高の宝物です。そして、お母様たちのたまに何か出来ないか、この苦悩の中にいる方のために自分のすべてを捧げたいと思うようになりました。そしてそれは愛おしくてたまらない息子のためです。息子を先立たせたことは、私の今までの人生の中で最大の悲しみです。でも、シルバーバーチのお言葉は、息子からの、そして天国の子供たちからのメッセージといつも読み返しております。

 武本先生、いつもありがとうございます。そして、息子の死から、沢山の出会い、学びを感じ、感謝しております。今は大空の会で会長さんのお手伝いをしております。会長さんから届く会報やテーマの原稿をレイアウトして皆さんに発送したり、メールでお知らせを発信したり、また掲示板の管理もさせていただいております。(私はたまたまパソコンが好きで、ホームページも持っております。そのことがこんなにお役に立てるなんてとても嬉しく思っています)

 主人の介護をしながらですが、このお手伝いのお仕事は、まさしく息子や天界の子供たちからのプレゼントだと受け止めています。とってもとっても・・・楽しいです。いつも息子と一緒だと感じられます。わくわくしながら、会報つくりなどさせていただけることに心から感謝しております。

 主人が身体障害者になったことで、そこからも辛いこともあります。周りの皆さんとの関係、また、長男と三男の主人に対する戸惑い・・・ 私自身、どう対応してよいか分からず途方に暮れることも多いです。でも、これもすべて魂の向上のための大切な学び、神様の贈り物であると自分の心に言い聞かせ、天国の息子と共に歩いていきたいと思います。

 「母ちゃん、よく頑張ったね」って天国の息子が両手広げて迎えに来てくれる日、その時を何よりの楽しみにしています。天界で、子供たちのお世話をしたいと願っています。息子に逢うためには、こちらで魂を向上させなければならないと思っていますので、これからもきっと辛い学びが待っているのではないかと・・・・でも、シルバーバーチの言葉を胸に、立ち向かっていこうと心では思っています。時々くじけそうになり、泣き崩れることもありますが・・・

 武本先生、いつもありがとうございます。先生にお会いできる日を楽しみにしております。長々と申しわけありません。

 http://www.k3.dion.ne.jp/~chara/  手作り工房 茶羅
 
 大空の会会員  遠藤志乃






 生きがいのメッセージを自分のブログで紹介 (2006.12.18)


 武本先生

 はじめまして、yasuko と申します。先生のホームページは、友人からとても参考になるので、見てみてくださいといわれました。

 私は現在、生きがいのメッセージを自分のブログでいろんな本から紹介しています。少しでも多くの方に、ご家族を亡くされた方々や、昨今の自殺やいじめなどの心の問題を深く考えていらっしゃる方々にも広く、伝わればいいなあと、日々頑張っています。

 寒くなってまいりました、武本先生もお体大切に。

 私のブログは、下記のとおりです。

 http://blog.goo.ne.jp/yasuko-network








 魂のふるさとへの憧れを強めながら (2006.11.26)


 瀬野彩子様

 昨日のセミナーにご出席いただきどうも有難うございました。いつも、講演のあとは質問の続きや、出席された方の対応があって、来ていただいていることを知りながら、ご挨拶もできなくて申し訳なく存じます。

 溝口祭典の「木漏れ日」に書いたものも資料の一部としてご紹介しましたように、近頃は、魂のふるさとである宇宙への憧れがこころのなかでふくらんでいるような気がしています。この地上世界と霊界とは裏腹の関係で、私たちも霊界の人たちも同じ宇宙の中で生きているわけですが、やはり、地上は狭いところですから、広大無辺のふるさとへ「里帰り」したときに、あまり迷わないように準備しておく必要があるようです。それで講演でも、宇宙の在り方などに触れたりもしました。

 あなたの卓越したリーダーシップで、「大空の会」がお子さんを亡くされた多くの方々に、明るさと希望を取り戻していく大きな力になっているのは素晴らしいことですね。生と死の真実を知ることが、「救い」のおそらく唯一の道であることを理解し納得していけるように、これからもみんなで励ましあいながら、学んでいきたいものと思っています。








 「こすもすセミナー」 講演会に出席して (2006.11.26)


 武本先生 こんばんは

 今日は先生のセミナーに参加させて頂きまして、ありがとうございます。 大変貴重で、また興味深いお話を伺うことができました。

 セミナーが終わった後に、大空の会(子どもを亡くした親の会)のみんなとおいしい中華料理を食べに行きましたが、「やはり武本先生はいい」とか、「武本先生のお話をもっとみんなに聞かせてあげたい」とか、そういう話がいっぱいでました。

 毎年、溝口祭典さんでのセミナーに行くことを楽しみにしています。そして、来年の四月には、また大空の会での先生のセミナーをよろしくお願いします。

 どうぞ、これからも先生のその素晴らしさをずっと輝かせてください。

 瀬野彩子







 フォックス家事件の映画について (2006.11.25)


 佃 康正様

 フォックス家事件は心霊史上最も注目される事件ですが、アメリカで映画化されていることは知りませんでした。映画の題名もわかりませんのでお答えできません。悪しからずご了承ください。

 なお、現在まだソフトの不具合で、発信元への送信は出来ない状態が続いています。この返信も直接あなたへ送ることは出来ず、メール交歓欄でお返事することも併せてご了承ください。








 モノから離れて生きることへのあこがれ (2006.11.23)


 玉ノ井重孝様

 メールを有難うございました。あなたのホームページも拝見させていただいて、いつものことながら、あなたの透徹した深いものの見方と洞察力にはいろいろと教えられています。

 「宇宙の法則とアーミッシュの人々」のなかで、あなたは、「・・・・・理由はどうであれ、他者を非難するのは、宇宙の法則に反します。本来ならば、行うべきではありません。戦争や殺人事件も含め、さまざまな悪い出来事も、元をただせば地球人類が進化するための 『大事な教材』 です。彼らは、そのための 『悪役』 を買って出ているようなものです。この観点からすれば、どんな出来事も忌避するのではなく素直に受け入れ、その中で人間として最善の道を進むのが人間本来の姿です」 と書いておられます。全くその通りで、私もいつのころからか、そのような考え方が理解できるようになりました。

 あなたもご存知のように、あの大韓航空機事件が起こった時、私は犠牲者の遺族の一人として、ソ連や大韓航空を烈しく非難していました。そして、事件の「黒幕」であるアメリカ政府に対しても、その責任を執拗に追及し、当時の大統領 ロナルド・レーガンや国務長官 ジョージ・シュルツ、国防長官 カスパー・ワインバーガーなどへは、毎月のように抗議文を送り続けていました。蟷螂の斧であったかもしれませんが、抗議せざるをえませんでした。いまでは、レーガンや、シュルツ、ワインバーガーなども、「悪役を買って出た」哀れな、しかし「大事な教材」であったと、思っています。

 このような「悪役」を演じた彼らにくらべれば、アーミッシュの人たちは、まさにその対極にあると言っていいのでしょう。精神性の高さを身をもって証明したあのような行為は、あなたの言われるように、「人類進化の方向性を明確に示して」いるもので、人々にほのぼのとした希望の光を投げかけてくれました。物的欲望のとりこになって、モノとカネの巨大な渦巻きに巻き込まれてしまっている、そして、そのことにも気がつかない現代の多くの人々にとっては、アーミッシュの人々の電気も機械も車もない、18世紀そのままの生活ぶりは、あるいは、未開社会の後進性を思わせるものかもしれません。

 しかし、人間の本来の生活とは、そして、人間の本当の幸せとは、そのような、モノとは離れたところにあるのではないでしょうか。自分の霊性を自覚するためにもできるだけモノから離れて暮らす。優しさを与えるだけで、失うものをもたない。私もモノとカネの社会にどっぷり浸かってきて盲目であった一人ですが、失うものの大きさに気がつくようになったいまは、そのようなアーミッシュの人々とその生活ぶりに対して、憧れに近い気持ちを抱いています。

 大韓航空機事件を契機にして、長い年月、あなたからは、いろいろと、ものの見方や考え方について導かれてきたことを忘れることができません。この機会に、改めて厚く御礼を申し上げます。今後とも折に触れて何かとご教示いただくことができれば、たいへん有り難く存じます。ご健勝をお祈り申し上げます。








 アーミッシュの人びとの精神レベルの高さ (2006.11.23)


 武本昌三先生

 ご無沙汰しております。いつも先生のサイト(ホームページ)を拝見しています。

 このたび、私のサイト「宇宙文明時代」にて、アーミッシュの人々に関する文を掲示しました。このページから、先生の「アーミッシュの人たちの愛と赦し」ならびに「いまのキリスト教の教えの多くはイエスが説いたものではない」のページにリンクを張らせて頂きました。お礼方々、お知らせ申し上げます。

 (リンク元のページ)サブタイトル「宇宙の法則とアーミッシュの人々」

  http://www.ne.jp/asahi/utyu-bunmei/sinka/other/memo-103.html

 私のサイトの基本テーマは「地球人類の進化」ですが、アーミッシュの人々が今回の事件で示した、精神レベルの非常な高さは、人類進化の方向性を明確に示してくれています。進化のお手本とも言えるものです。

 アーミッシュの人々は、魂や死後の世界の実在などについても、良く理解しているのは明らかだと思います。そうでなければ、「自分から先に撃って」と幼い子供たちさえもが堂々と犯人に言えるはずがありません。被害者であるにもかかわらず、加害者側を愛を持って赦すのも、誰にでも出来るものではありません。極めて精神レベルが高いのは明らかです。

 地球人類すべてが、このような高い精神レベルに達した時に、地球が進化したと言えます。そうなれば、結果的に、死にまつわる悲しみや苦しみも消えてなくなります。進化していないからこそ、このような悲しみや苦しみを味わうのです。換言すれば、このような苦悩を体験し、乗り越えて行くことによって、地球人類はいつの日にか進化を達成するわけです。

 ただし、アーミッシュの人々が、宗教に基づいて理解しているのは、限界があります。シルバー・バーチの霊訓 「いまのキリスト教の教えの多くはイエスが説いたものではない」でも述べているように、宗教には大きなゆがみがあります。宗教を頭から信じるのではなく、宗教の背後にある宇宙の真理を会得する必要があります。

 先生のサイトで、いろいろと学ばせて頂いております。感謝申し上げます。これからも、苦しんでいる多くの方々の支えとなって下さるよう期待しております。

 玉ノ井重孝








 極めて明確に答えられている生と死の真実 (2006.11.07)


 H. S. 様

 メールをいただき有難うございきました。私の著書やこのホームページも読んでくださっていることを厚くお礼申し上げます。

 あの大韓航空機事件が起こってから、今年で23年になります。夢想もできなかった運命の激変に遭遇して、事件後の何年かは生きる意欲も希望もなくしていましたが、いまはこうして、私なりにこころ安らかに生き続けていることの意味を、自分でもしみじみと考えさせられることがあります。

 9月1日の命日の前後に、毎年、家族や親戚が集まって、「富子と潔典を偲ぶ夕食会」を続けてきたのですが、今年は、その日を 9月24日にしてくれるようにという、霊界の潔典からの要請がありました。その日には、潔典が母親の富子といっしょに出席するからということでしたので、今年は 9月24日の夕食会になりました。

 先週の日曜日には、これも事件以来、毎年一度も欠かさず続けてくれている潔典の東京外国語大学の時の友人たち4人の来訪がありました。潔典と母親の位牌の前で、今年6月5日の潔典の誕生日にイギリスのアン・ターナーを通して送られてきた潔典からの伝言と、東京でのリーディングで潔典の近況を伝えるテープを、いっしょに聞いてもらったりしました。4人の友人たちも、いまでは44〜45歳になって、それぞれに立派に社会で活躍しています。そのうちのひとり田上芳彦君は、若くして、三省堂『ウィズダム英和辞典』の編集委員になり、今年は、新装の第二版を、潔典の霊前に供えてくれました。

 人は何故生まれて、死んだらどこへ行くのかというのは、確かに難しい問題ですが、このホームページをご覧いただいてもおわかりのように、その答えは、たとえばシルバー・バーチによって、きわめて明確に与えられております。あとは、その答えを自分の理性で受け容れる用意ができているかどうか、の問題だけのようにも思われます。私は、自分の人生の大半を、このような生と死の真実には全く無知のまま過ごしてきてしまいました。それでも、この妻と潔典の導きで、いまは自分なりに理解できるようになっていることを、幸せな有り難いことであると思っています。死ぬ前に間に合ってよかった、というのが率直な実感です。

 あなたは、生と死の問題に考えを巡らせることがあっても、「無論答えなど出るはずもなく」と言っておられます。それが世間一般の常識で、あるいは逆に、「答えが出せる」といえば不遜になるのかもしれません。先日、文化勲章を受けた瀬戸内寂聴さんが、かつての法話の会で、聴衆の一人から、「人は死んだらどこへ行くのでしょうか」と訊かれて、「わかりません。私はまだ死んだことがありませんから」と答えているのを、私は活字で読んだことがあります。正直といえば正直ですが、それが、シルバー・バーチのいう 「シミほどの知識しかもっていない」人間の限界でしょう。しかし、私は繰り返しますが、それらの問題については、シルバー・バーチによっても、きわめて明確に答えられています。大学の先輩とか後輩というよりも、同じく真理への道を歩んでいる同行者として、その貴重な「答え」に真摯に向き合っていきたいものと考えます。

 ご健勝をお祈り申し上げます。








 避けては通れない生と死の問題について考える (2006.11.07)


 武本昌三様
 
 拝啓
 
 突然のメールで失礼致します。僕は東京外国語大学に通う学生、H. S. と申します。以前、大学の図書館で手にした武本先生の著書 『疑惑の航跡−大韓機撃墜事件』を読み、深い衝撃と感動を覚え、それ以来、こちらのホームページを度々拝見させて頂いております。

 大韓航空機の事件については以前より知っておりましたが、先生の著書を手にし、この事件に大学の先輩である武本潔典様が遭遇していたこと、さらにはお父様である武本先生も大学の先輩であることに驚きました。同時に、本大学にかつて非常に優秀な先輩が在籍されていたことを非常に誇らしく思いました。

 私事で恐縮ですが、昨年(母方の)祖父を亡くしたことや(父方の)祖父が第二次大戦中に戦死していることなどがきっかけで、死とは何か、生きるとは何かということについて考えを巡らせることが度々あります。無論答えなど出るはずもなく、自分の浅はかさにうんざりするばかりなのですが、それでも避けては通れない問題ですので、そういった際は先生のお言葉が非常に優しく語り掛けてくれます。

 ご存知のことと思われますが、現在、東京外国語大学は府中市にあります。非常に個性的でありながら他を尊重するという校風(学生)は、きっと先生や潔典様の頃より何ら変わりの無いことと思います。先生や潔典様には及びもしませんが、かつての優秀な先輩の思いを胸に、日々過ごしていきたいと思います。先生もお元気で、そして、お忙しいかと思いますが、時折大学にも足を運ばれてみてはと思います。春は桜が綺麗です。

 末筆ではありますが、お会いしたことがない僕が、先生や先輩などという言葉を使うことに、心を悪くされましたら申し訳ございません。お許し頂ければと思います。それでは失礼致します。

 敬具








 私の「比較文化論」の公開講義について (2006.10.26)


 押田 径子様

  メールを拝見しました。機器の不具合により、こちらから個人的に発信元へ返信することができない状態が続いていますので、この欄で返信させていただくことをお許しください。

 いつもこのホームページをご覧いただいていることを厚くお礼申し上げます。来月の私の「比較文化論」の公開講義にも来て下さるそうで、お会いできるのは、一昨年のこすもすセミナーの講演会以来のことになりますね。

 この公開講義では、「視野を広げて真実をみつめる」という副題をつけましたが、比較文化論的アプローチで、生と死の問題をも講義の一部に含めていきたいと考えています。あれから、公開講義の教室の割り当ても決まりましたので、改めて講義要領を、下記の通り、お伝えいたします。

  [ 跡見学園女子大学短期大学部 HOMECOMING DAY 公開講義 ]

 講義名: 「比較文化論の展開」 ―視野を広げて真実を見つめる
 日  時: 11月12日 (日) 14時30分 〜 15時30分
 場  所: 306 教室

 当日は、この公開講義のあと、跡見祭の英文科の行事として行われるスキット・コンテストの審査員も頼まれていますから、ゆっくりお話できるような時間はないかもしれません。岩佐さんにもどうぞよろしくお伝えください。あの茗荷谷キャンパスで、また、お元気な皆さんとお会いできることを、いまから楽しみにしています。








 本年度「こすもすセミナー」 講演会のお知らせ (2006.10.23)


  私の講演会が下記のとおり開催されます。


 演題: 宇宙の摂理のなかで生き続けるいのち
         ―悔いのない人生を歩んでいくために

 日時: 11月25日(土) 10:30〜12:00 (午前10時 受付開始)
 
 場所: こすもす斎場 第二式場 3階ホール
       
八王子市本町6−2
         * 
(第二式場は溝口祭典本社のすぐ近くにあります)

       電話: 042−642−0921

 聴講は無料ですが、会場準備の都合上、事前に、こすもす斎場へ電話でお申し込みください。

 交通アクセス(案内図) は下記のホームページをクリックしてご覧下さい。

   こすもす斎場 http://www.mizoguchi-saiten.co.jp


                  * * * * *


   講演者としてのことば

 私たちは、何故この世に生まれてきたのでしょうか。そして、死んだら一体どこへ行くのでしょうか。この誰にとっても極めて重要な問題に正面から向き合うこともなく、ただ、生の意味にも盲目のまま死を忌み嫌うだけでは、明日に向かって明るく生きて行く展望も拓けにくくなるでしょう。折角自ら選び取ってきた今生の貴重な人生に、消すことのできない禍根を残すことにもなるかもしれません。

 私たちには、一人一人が知っておくべき「いのちについての基本的真理」があると思います。それは、私たちは、実は、「死んでも」死なないということです。「死んでも」永遠に生き続けるということです。この単純な、しかし重大な意味を持つ「基本的真理」を、私たちはどのように把握していけばよいのでしょうか。

 それを理解するための一つのキーワードは、「霊」であろうと思います。私たちは、本来、霊であるということです。なかには、人間には霊がある、あるいは魂があると信じている人でも、実在は肉体であって、霊はその付属物であるかのように考えがちです。しかし、霊は肉体の付属物ではないことを私たちは教えられています。本当は、霊が主体であり、肉体が霊に従属しているのです。そして、霊が生命そのものであり、霊だから永遠の存在であり、神性をもっているのです。

  おそらく、この世の中のほとんどの不幸や苦しみは、この霊が人間の主体であることに気がつかず、肉体が人間のすべてであると思っていることから生じているのではないでしょうか。

 もし肉体がすべてであると思い込んでいるのであれば、肉体の「耐用年数」は通常七、八十年から長くても百年くらいですから、その間に思い切り自分の欲望を満足させようとするのは、あるいは当然のことかもしれません。死後にも実感をともなった霊界での生活があり、そこでは地上生活での功罪が厳然たる規範で清算されるということも知らないわけですから、周りの人たちを押しのけてでも、ただひたすらに、物質主義、利己主義に走り、それが幸せに生きることであると錯覚を起こしてしまうことにもなりかねないのです。

 この講演では、一分一厘の狂いもなく働いている宇宙の摂理のなかで、この「いのちの真理」が不変の自然法則として存在しているという重大な事実について、出席者の皆さんと共に認識を深めていけるように、最近の霊的情報にも触れながら検証を進めていきたいと考えています。








 愛に秘められている巨大なエネルギー (2006.10.20)


 H. 様

 メールを有難うございました。

 愛には、いろいろな形がありますね。あなたの言われるように、優しさや、家族愛、隣人愛も、友情も同情も、みんな愛の形ですが、なかには、自分の利己主義や本能を満足させているだけなのにそれを愛だと錯覚することもあるようです。やはり、愛とは何かを考えておくことも大切であると思われます。

 愛について、シルバー・バーチは次のように言っています。「愛とは魂の内奥でうごめく霊性の一部で、創造主たる神とのつながりを悟った時におのずから湧き出てくる魂の欲求です。最高の愛には一かけらの利己性もありません。すなわち、その欲求を満たそうとする活動に何一つ自分のためにという要素がありません。それが最高の人間的な愛です。それが人類の啓発を志す人々、困窮する者への救済を志す人々、弱き者への扶助を願う人々、そして人生の喜びを踏みにじる既得権力との闘いを挑む人々の魂を鼓舞してきました。」(栞A15-a)

 ひとつ、私たちが忘れてはならないことは、愛には強いエネルギーがあるということでしょう。肉体に制約された鈍重な感覚ではその強い力は気がつきにくいのですが、もしかしたら、目に見えるどのような力よりももっと強力なエネルギーを秘めているといえるのかもしれません。その力は、しばしば、生と死を分け隔てる巨大な壁をも貫いていきますし、「不治」といわれた病を治していくような奇跡をも引き起こすことがあります。そして、おそらく、もうひとつ知っておくべき大切なことは、愛を与えるということは愛を受け取るということと同じであるということでしょう。

 よく言われているように、愛の絆で結ばれている二人は、それが恋人同士であれ家族であれ、どのような力も引き裂くことはできません。死でさえも、愛は乗り越えていきます。ただし、逆に、愛がなければ、或いは、その愛が一方的なものに過ぎないのであれば、それが夫婦であってもそれは名前だけで、たとえば霊界での再会は期待できないことになってしまいます。これもあなたが言われているように、愛のエネルギーとして存在している相手に、こちらからも愛のエネルギーを送っている状態が、霊界での再会をも保証する要になるのだと思います。

    * * * * *


 個人的なメールの返送ができない状況が続いていることをご了承ください。

 すでにお知らせしていますように、先月末頃から私のほうの機器の不具合で、いただいたメールの発信元に個人的な返信を送ることができない状態が続いています。何人かの方々には、このような事情で失礼しておりますことを、改めてお詫び申し上げます。








 人は愛から生まれて愛に還ってゆく (2006.10.20)


 武本先生

 8月に初恋の人の告別式で物質化現象を体験したHです。思えばスピリチュアルな事を初めて話したのが先生のH.Pでした。

 私はずっと考えてました。愛って何なんだろうと。愛があるから悲しんだり、どれが本物の愛でどれが正しいのか。優しさと愛情とは違うとか、家族愛と隣人愛とは区別しなくてはなどです。だけど、ふと思ったのです。優しさも友情も同情も愛は愛だって。人は愛から産まれて愛を学んで愛に還ってゆく…だとしたら愛しか存在しないんだとこのH.Pでは言えます。

 この世にはスピリチュアルな本は溢れていて開運の法則など様々ありますが先に亡くなった人達が伝える言葉には愛しか無いと思うんです。形が消えても愛のエネルギーになって存在していたら自分も愛のエネルギーを発していれば、必ず会えるのです。

 人は行動する前に心で行動していてそれは目には見えないエネルギーですが、永遠に消えないとしたら愛の無駄使いなんて決して無いのですね。

 H.







 I I S 冬のスピリチュアル・イベントについて (2006.10.16)


 I I S (International Institute for Spiritualism) からの案内状によりますと、東京地区の「冬のスピリチュアル・イベント」として、次のような日程で、個人セッションなどが行われる予定です。大英心霊協会 (SAGB) ミディアムのサンディー・ホワイト氏も参加されるようです。

 ミディアム:サンディー・ホワイト:(通訳同席)
 
 <12月> 16日(土)、19日(火)、20日(水)、21日(木)、23日(土)、24日(日)
 < 1月>  3日(水)、 4日(木)、5日(金)

 実施内容: 1.リーディング(先祖/知人)
 料   金: 30分 23,000円 (会員18,400円)


 ミディアム:金城寛: <1月> 3日(水)、4日(木)、5日(金)、9日(火)

 実施内容・料金

 1.リーディング(先祖)          40分 15,000円 (12,000円)
 2.スピリットガイドのリーディング   40分 17,000円 (13,600円)
 3.過去生のリーディング        40分 17,000円 (13,600円)
 4.スピリットガイドの似顔絵      40分 17,000円 (13,600円)
 5.スピリチュアル・ヒーリング     40分 14,000円 (11,200円)
 6.オーラの強力な浄化         40分 17,000円 (13,600円)

 ほかに、種々のアウエアネス・ワークショップなどもあります。

 東京以外の開催地はつぎの通りです。

 仙台(12/9日〜1/6) 上越(12/10日〜14) 宇都宮(12/12〜14)
 大阪(11/25〜12/3) 舞鶴(12/9〜10)  松山(11/30〜12/3) 熊本(12/5〜6)
 福岡(12/8〜10)


 関心のある方は、次の IIS事務室 へお問い合わせしてみてください。

 受付:10時〜18時/土・日・祝 定休

 〒160-0021  東京都新宿区歌舞伎町2-45-5 新宿永谷ビル710
 Tel & Fax  03−5285−4991 (携帯:090-6953-1419)
 E-メール : info@iis-org..jp
 Web Site  http://www.iis-org.jp









 機器の不具合によるメールの送信中断について (2006.10.02)


 先月末頃から、機器の不具合により、こちらからのメールの送信ができない状態が続いています。いただいたメールに対して、お返事を差しあげていない場合もあるかと存じますが、どうぞ、悪しからずご了承ください。








 意欲さえあればすぐ身近に見出せる救いへの道 (2006.09.15)


 M. K. 様

  メールを拝見して、昨年亡くなられた3歳のお子さんが、「私たち夫婦に多くの恵みを与え続けてくれています」と書かれていることに少し救われたような気がしています。また、ご主人が、お子さんはいまもすぐそばに「ちゃんと居てくれている」ことを感じておられることをお伺いして、少し安心もしています。ご主人は、お子さんがいま決して不幸な状態で居るのではないこともおそらくご存知のはずですから、やはり、問題はあなたご自身のお苦しみということになるのでしょうか。

 お子さんが転落事故で亡くなられたことを「私の責任です」と言っておられることは、私には痛いほどよくわかりますし、それだけに、お苦しみになられるのももっともだと思えてなりません。そのような立場になれば、あなたでなくても誰でも、この私でも、自分の責任と考えて深く悲しみ、苦しむだろうと思います。

 でも私は、もしかしたら、そのような悲しみや苦しみの意味を受け留める上で、あなたよりほんの少しは、先を歩いていることになるのかもしれません。いまの私には、シルバー・バーチの「あなたが嘆き悲しむとき、それは実はわが子を失った自分の身の上を悲しんでいらっしゃるのであり、自由の身となった息子さんのことを悲しんでおられるのではありません。息子さんは地上にいた時よりずっと幸せなのです(栞41-l)」というようなことばが、私なりによく理解できるような気がしているからです。

 このホームページの「メール交歓」欄では、いままでにかなり多くの、お子さんとの死別の事例を取り上げてきました。あなたのように、お子さんとの接触を求めて、霊能者の情報を求めてこられた方も少なからずおられます。霊能者集団の大英心霊協会や日本の I I S についても、ご参考になればと思っていろいろとご紹介してきました。しかし、個人的に特定の霊能者を私からお勧めするということはしたことはありません。相手の方が悲しみや苦しみを真剣に受けとめ、悲嘆の底にあるが故にこそ置かれている極めて「貴重な状況」をなんとかご自分で活かしていっていただくためにも、やはり、本当の意味で決して優しさや思いやりを示すことにはならない安易な道を、私のような者がとるべきではないとも考えたりしていることをご了承ください。

 私の知る限り、生と死の意味の理解を含めて霊的な覚醒に導いてくれる最高の師の一人はシルバー・バーチで、おそらく、現存のいかなる霊能者よりも、はるかに優れた導きを与えてくれていると思います。いまでは、私のホームページでも毎日取り上げていますように、遠くへ行かなくともすぐ身近に、しかも無料で、何ものにも換えがたい珠玉のことばをふんだんに眼にすることができますが、どうかそのことをまずご認識ください。あなたのメールと同様の来信に対して私が書いてきた返信の数々をもご一読いただけると有り難いのですが、ここでは、シルバー・バーチの教えを通じて、愛しいお子さんとのこころ安らかな対話の日々を迎えることも、あなた次第で確実に出来るのだということを申し上げて、お返事に代えさせていただきたいと思います。








 コントロールできないでいる亡きわが子への思い (2006.09.15)


 武本昌三様

 突然のメールで失礼いたします。いろいろ検索していたところ、武本先生のHPに行き着きました。武本先生なら、信用のおけるシッティングをしてくださる方をご紹介してくださるのではないかと思い、メールをさせていただいております。

 昨年、私は3歳の息子をマンションからの転落事故で亡くしています。私の責任です。テレビをみたがる子供を説得しきれず、「ママ、一人でいってらっしゃい、ばいばーい。ぼくは一人で大丈夫」という言葉を鵜呑みにし、子供をひとり家に残してマンション隣へ行ってしまった間の出来事でした。

 それから次から次へと導かれているとしか思えないような不思議なことが私たち夫婦に起きました。息子は私たち夫婦に多くの恵みを与え続けてくれています。本当に息子に感謝しているし、息子のためにも頑張らなくては、と思うのですが…どうしても辛くて、悲しくて、自分が情けなくて、生きるのに疲れてしまいます。様々なヒーリング方法を実践していますが、今はただ、息子の存在を感じたくて。

 事故現場に偶然居合わせた方が霊能者であり、息子からの別れのメッセージを伝えてくれたりしましたが、現在の消息については自分は能力不足なのでよくわかりません、との事。いろんなメッセージを寝言と共に伝えてくれていた息子のガールフレンド(3歳)も引越してしまったし、知り合いのスピリチュアルカウンセラーを名乗る女性も、なんとなく胡散臭い気がしてしまう…。

 退行催眠をしようにも、現在手のかかる赤ちゃんがいてその時間は取れないし、赤ちゃんがいながら受けられるシッティングなどはないものかと探しておりました(子供から目を離すのが怖くて預けたくないのです)。今も息子はちゃんと居てくれていることを感じたいのです…。夫は息子の死後、そういったことが感じ取れるようになったようですが、私には全然。

 死後1年はがむしゃらに、聖書、シュタイナーの人智学、トランスパーソナル系心理学など…ひたすら本を読みまくりましたが、今は腑抜けのようになっていて、何もする気になれません。息子の死から5ヶ月後に生まれた娘と、なんとか向かい合って…でも、それで精一杯です。

 新しい命を与えられたことに感謝しつつ、でも、息子への思いがどうにもコントロールできない状態ですので、良い霊能者の方がいらっしゃいましたら是非、ご紹介願えませんでしょうか。場所は実家が東京にありますので東京でも構いませんし、子連れでもカウンセリングを受け入れてくださる方がいらっしゃれば、日本全国どこへでも飛んでいく覚悟です。

 また、ご料金の方も教えていただけると助かります…。お時間あるときで結構です。どうぞよろしくお願いいたします。

 M. K.








 私たちのいのちを救う真理のことば (2006.09.10)


 H. 様

 2度のメールを拝見しました。頼りにしておられたご長男が急に亡くなられて、深くお悲しみのご様子、お察し申し上げます。

 魂が永遠であることが信じきれないまま、それでも「なんとしてでもいいから、息子の霊の存在を知り、息子の気持ちを訊いてみたい」と書いておられますが、そのようなお気持ちも、私は私なりに理解できるつもりでおります。悲嘆に暮れながら、この先どうしてよいかわからず混乱状態に陥ることも、誰にでもありうることで、周りの人たちからいろいろとお慰めのことばを受けても、なんのこころの癒しにもならないかもしれません。

 「大空の会」はご承知のことと思いますが、あなたのようにお子さんを亡くされた方々の集いです。気持ちが落ち着かれましたら、一度出席してみられて、お子さんを亡くされた方々が、お子さんとの別離をどのように受け留めておられるか、話し合ってみられてはいかがでしょうか。もちろん、それぞれのお気持ちは決して同じではないかもしれませんが、多くの方々が、あなたのこのメールに対するお答えになるようなお話をしてくださるのではないかと私は考えています。

 いま、ここで、私があなたへのお返事として辛うじて申し上げることが出来るのは、あなたのメールに対する極めて正確な、そして、本当の意味であなたのこころを癒すことになる力強い答えは、このホームページのシルバー・バーチのことばの中からだけでも、数多く用意されているということです。「息子の霊の存在を知り、息子の気持ちを訊いてみたい」という意思を強くもたれて、どうか真剣に、あなたのために用意されている答えをお読み取りください。

 ホームページさえ開けば、それらのことばは簡単に見つけることが出来ます。しかし、簡単に見つけられるから重みがないのではありません。それらは、何ものにも代えられない重大な、そして有り難い、私たちのいのちを救う真理のことばです。








 信じきることが出来ない永遠のいのち (2006.09.10)


 武本様

 昨夜、突然メールしました。名乗りもせず、失礼いたしました。神奈川県に住むH と申します。6月3日に、突然、長男を亡くしました。もう二度と会えない淋しさ、どうして息子が死ななければならないかという疑問、先行きについての不安… それまでとは別世界にいる心地で過ごしています。

 14年前に夫を亡くしたときの混乱、落胆を思い出として語れるくらいに、やっと、なっていたところでした。ある人から、同じような経験を持つ親の会があるから、調べてみたら… と教えていただき、何ヶ月も触らずにいたPCを開き、「大空の会」を経て武本様のホームページにたどり着きました。ここ何日かは、毎夜、いろいろなところを読ませていただいています。

 魂が永遠であること、書物で読み、わかろうとしていますが、信じきっていません。なんとしてでもいいから、息子の霊の存在を知り、息子の気持ちを訊いてみたい… そんなことを友人に言って困らせています。なにもかも投げだしてしまいたい気持ちになります。

 ただただ、後ろ向きなことしか綴れないメールになってしまいます。申し訳ありません。

 H.







 霊界から優しさを届けてくれる愛し子 (2006.09.08)


 k・k 様

 メールを有難うございました。21歳の誕生日に、あなたが「お誕生日おめでとう!」と電話をされると、お子さんは、「生んでくれて有難う!」と返事をしてくれたというお話を改めて思い出しています。大学生活がとても楽しくて、感謝してます、と言っておられたことなども。その脩平君は、お母さんのこころを読み取って、今年は、ご自分の一周忌に秋明菊に花びらをつけることで、またあなたに優しさを伝えてくれたことになりますね。

 私は時折考えることがありますが、霊界へ行ってからは地上のさまざまな束縛から離れ、地上よりははるかに幸せな環境のなかで、のびのびと自由に生きているのに、その様子を地上の愛する家族の方々に理解してもらえなかったら、さぞ淋しく辛いに違いありません。シルバー・バーチを読んでおられてすでにご承知のことと思いますが、そのことで、霊訓のなかには次のように述べられていることばもあります。

 《あなたが愛し、あなたを愛してくれた人々は、決してあなたを見捨てることはありません。いわば愛情の届く距離を半径とした円の範囲内で常にあなたを見守っています。時には近くもなり、時には遠くもなりましょう。が決して去ってしまうことはありません。その人たちの念があなたがたを動かしています。必要な時は強く作用することもありますが、反対にあなたがたが恐怖や悩み、心配等の念で壁をこしらえてしまい、外部から近づけなくしていることがあります。悲しみに涙を流せば、その涙が霊まで遠く流してしまいます。》 (栞A1a)

 私自身も、このような真実の教えにいろいろと随分救われてきました。やはり人間には弱い面もありますから、「まだまだ不安定」と言っておられるのも当然だと思いますが、挫けそうになったときには、こういうシルバー・バーチのことばを思い出して、お互いに学びを深めていきたいものと考えます。脩平君の優しさに応えていくためにも、こころ安らかな日々を過ごされますことをお祈り申し上げております。








 わが子の一周忌の日に花開いた秋明菊 (2006.09.08)


 武本様

 昨年の12月にメールをさせて頂いたk・kです。7月23日に脩平の新盆を済ませ、この9月3日に1周忌の法要を過ごしました。

 心の中にポッカリ空いた、どうにもならない気持ちと向かい合いながら、毎日先生のホームページのシルバーバーチの霊訓を拝読し、今までの自分を見つめながら日々励まされております。

 4年ほど前に友人から頂いた秋明菊、今まで1度も花を咲かす事がありませんでしたが、昨年10月23日私が出先から帰って来ると、二輪の見馴れぬ白い可憐な花が風にゆられながら咲いていました。その花を見つけた時「あ〜脩、あなたは秋命菊になって逢いにきてくれたんだ」と涙を流してしまいました。

 そして四十九日の次の朝、私の見ている前で花びらを落とし旅立ちました。そして今年、昨年よりも太く、大きくなった秋明菊が蕾みを沢山つけましたが、昨年の10月のことを考えるとまだ咲かないだろうと思っていました。私の心の中で、9月3日の脩の1周忌の法要にもし咲いたら本当に脩平なんだろうと・・・・・・。

 9月3日の朝、何気なしに秋明菊を見ると一輪だけが懸命に咲いていました。本当にこんな事があるのだと・・・・・?脩の姉が「ほら、お母さん脩も一生懸命咲いてくれたよ!」と・・・・・ まだまだ涙する日もありますが、秋明菊を脩名菊と思い、一日一日を精一杯生きていかなくてはと思います。そして、神様から安心して人のために生きる課題を与えられるよう、まだまだ不安定な私ですが・・・・・・。

 毎日本当に有難うございます。

  k・k







 立派に実感があるヒーリングの霊力 (2006.09.04)


 武本先生、お久しぶりです。もりとです。ホーム・ページを楽しみに、この夏も読んでいました。本当にありがとうございます。

 私はこの夏、ヒーリングの研修に金土日を使いました。お盆以外の金土日は、先輩のヒーラーの方々のところで、ヒーリングをして頂いたり、私もヒーリングをして、研鑽して参りました。そして、レイキ(宇宙から送られて来るエネルギー・波動)まさに霊力だと、私は考えていますが、そのレイキが通る通路・パイプになっていることにようやく、自分でも実感が持てるようになりました。

 昨日も午前中ヒーリングの研鑽会でした。出掛けに、先生のHPを見て、感動しました。先生の返信の中に、まさに今心にあることが書かれていました。

《人間によって認識されている如何なるものさしにもかからないものです。長さもなく、幅もなく、高さもなく、重さも色も容積も味も臭いもありません。ですから、常識的な地上の計量法でいけば霊カというものは存在しないことになります。つまり実在とは人間のお粗末な五つの感覚で捉えられるものと決めてかかっている唯物的自然科学者にとっては、霊カは存在しないことになります。しかし愛は目に見えず耳にも聞こえず、色もなく味もなく寸法もないのに、立流に実感があります。それは深い愛の感動を体験した者が証言してくれます。たしかに愛のカは強烈です。しかし霊のカはそれよりも無限大に強烈です。》

 まさにその通りです。「立派に実感があります。」レイキが流れると、温かく、柔らかく、優しい、エネルギーが、どんどん循環します。 ヒーリングをすると、ヒーリー(クライアント)さんの病腺にあたると、ピリピリ・ひりひりと感じ、熱い熱を持ったエネルギーを感じます。私たちレイキ実践者はレイキの通路となり、ただレイキ(霊力)を流す通路に徹します。そうすると、ヒーラーとヒーリーの間でエネルギーが循環します。ヒーラーから宇宙の愛のエネルギー・レイキがどんどんヒーリーに流れていくのです。そして、ヒーリーの病腺を流していくのです。

 レイキが流れている間に、感じる方は閉じた目で光を見たり、チャクラが活性化するのが感じられたりします。心地よく眠ってしまうこともあります。私は、ヒーリングしていただくたびに、温かいエネルギーに漂っているうちに、いつも寝息を立ててしまっていました。ヒーリングしているヒーラーもレイキが流れ、ありがたい思いで心が満たされます。ヒーラーの手と目と口から、レイキが特に流れます。受け取る人の必要なところに必要なだけ、用意が出来た人に用意の出来た分だけ、レイキは流れます。シルバーバーチも言っていますが、正しい思い・言葉・行動の分だけ、レイキは流れます。

 先生の返信より

 《親鸞の他力本願思想は、広大無辺の宇宙を支配している霊力を信じ霊力に縋ることである、と考えると分かり易いのではないかと思われます。そして、親鸞の他力本願の念仏は、その霊力へ通じるための祈りであると考えられます。意識されることがなくても、霊力は人間の小さな能力をはるかに超えて無限の巨大さをもっています。》

 ほんとうに先生のお話しの通りです。以前にも、先生が「親鸞がこの世すべての人たちは、親であり、兄弟である。そのすべての人を救うために、霊力を信じ、霊力に縋ったのだ」、と書いていて下さり、感銘したことを、またお便りを読み、思い出しました。

 《そして、霊力の理解とこのような信心があれば、「苦悩を何でもないもののように思えることになる」のも当然の帰結といえるのではないでしょうか。》

 すべて起きることは、その人の魂の成長ため、なのですね。この世に生まれてきた意味は、霊性を高めること。すべて起きることは、必然で、そして、どう生きたかで、霊性が、魂が成長していくのですね。私は、シルバーバーチの教えの実践者、レイキ(霊力)の実践者になり、縁ある方々に、その恩恵を差し上げたいと思います。これからも、武本先生、どうぞよろしくお願いいたします。

 もりと ともこ







 苦悩をも越えさせる霊力の理解と信心 (2006.09.02)


 岩田様

 私の論文「回心と信心」を読んでくださって有難うございます。この論文は、「親鸞とパウロの場合」を取り上げていますが、これは、霊的に無知であった私が、親鸞とパウロの回心と信心から学ぼうとして、自分に言い聞かせるような気持ちで書いていった記憶があります。

 おそらく、親鸞の他力本願思想は、広大無辺の宇宙を支配している霊力を信じ霊力に縋ることである、と考えると分かり易いのではないかと思われます。そして、親鸞の他力本願の念仏は、その霊力へ通じるための祈りであると考えられます。意識されることがなくても、霊力は人間の小さな能力をはるかに超えて無限の巨大さをもっていますが、問題は、その霊力の理解にあるといえるのかもしれません。シルバー・バーチはこの霊力について、こう教えてくれています。

 《人間によって認識されている如何なるものさしにもかからないものです。長さもなく、幅もなく、高さもなく、重さも色も容積も味も臭いもありません。ですから、常識的な地上の計量法でいけば霊カというものは存在しないことになります。つまり実在とは人間のお粗末な五つの感覚で捉えられるものと決めてかかっている唯物的自然科学者にとっては、霊カは存在しないことになります。しかし愛は目に見えず耳にも聞こえず、色もなく味もなく寸法もないのに、立流に実感があります。それは深い愛の感動を体験した者が証言してくれます。たしかに愛のカは強烈です。しかし霊のカはそれよりも無限大に強烈です。》

 この「無限大に強烈な」霊力の理解は、人間の粗末な五感では捉えきれないがゆえに、信心と無関係ではないでしょう。親鸞は教えに迷いをもった信徒たちを前にして、「弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず。仏説まことにをはしまさば、善導の御釈、虚言したまふべからず。善導の御釈まことならば、親鸞がまうすむね、またもて、むなしかるべからずさふらふか。せんずるところ、愚身の信心にをきてはかくのごとし。このうへは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御計なり・・・」と述べますが、私も、このような文からは、少なからず影響を受けてきました。

 そして、霊力の理解とこのような信心があれば、「苦悩を何でもないもののように思えることになる」のも当然の帰結といえるのではないでしょうか。私もまだまだ勉強不足ですが、このような考え方でも、何らかのご参考になれば幸甚です。私の取るに足らない論文を読んでくださったことを、重ねて厚くお礼申し上げます。








 「回心と信心」のなかの親鸞の他力本願 (2006.09.02)


 武本様

 定年後、道徳と宗教に関心を抱いているものです。

 道徳には規範(律法)があり、当然、それを基準として基準内と基準外が生じ、基準外を矯正することが必要になります。これが宗教の役割かなと思っていましたが、親鸞・パウロの項で、「一途に信じ頼みまいらせ候」の他力本願思想に驚いています。

 現代的に解釈すると、座禅同様、一種の恍惚感が感じられ、心が平静になるのでありましょうか。苦悩を何でもないもののように思えることになるのでしょうか。これこそ、天(仏・神)が人間に与えたボーナスのようなものなのでしょうか。多分、そうなのだと思います。

 親鸞・パウロの文ありがとうございました。

 岩田



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