(日付の新しいものから順にならべてあります)






   新しく「霊界通信集」のファイルを開設します   (2011.12.28)


 浅野和三郎先生(1874-1937) は、大正から昭和にかけて、日本の心霊研究に大きな足跡を残された方です。東京帝国大学英文学科を卒業後、海軍機関学校英語教授になり英文学者としても著名でしたが、後にはその職を辞して、心霊研究と霊的知識の普及に全精力を傾けられました。日本の心霊研究の草分け的存在としてひろく知られています。

 その浅野和三郎先生の数多くの著書の中に、『新樹の通信』があります。若くして急逝した次男の新樹氏が、霊能者である母の多慶子夫人を通じて、父の和三郎先生へ送り続けた通信をまとめたもので、霊界通信の白眉といってよいでしょう。現在でも、その復刻版が古い文体のまま潮文社から出ていますが、この本は、このほど、黒木昭征氏によって、きわめて自然で読みやすい現代文に訳されました。

 霊界の子から地上の父へ、あたかもどこかの外国から日本へ便りが届けられるように、何の不自然もなく、具体的に、かつ明瞭に綴られているこの奇跡の通信を、私は、是非一人でも多くの方々にお読みいただきたいと思いました。私は黒木氏からも親しくお付き合いをいただいておりますので、氏に、この新しい現代文訳を私のホームページで公開することをお願いしましたところ、黒木氏は、こころよく了承してくださいました。

 とりあえず、この『新樹の通信』を「霊界通信集」(A) として、来年の1月3日から、主要部分の連載を開始する予定です。一回分の内容量が少し多くなりますので、1月3日以降は、毎週1〜2回掲載を続けることを考えています。ご一読いただければたいへん有り難く存じます。








   真実の言葉によって涙が抑えられることを  (2011.12.21)


 K. S. 様

 メールを繰り返し読ませていただきました。悲痛な叫び声が私にも聞こえてくるような気がしました。大切なお子さんを突然の事故で亡くされて、どんなに悲しく辛いことか、私にはよくわかります。お気持ち、こころから深くお察しもうしあげております。

 私が妻と子を事件で亡くしたのは1983年のことですが、その当時は、私は死がなんであるか、人は死んだらどうなるのか、霊界はあるのかないのかなど、何一つわかっていませんでした。まして、霊界の妻や子の消息を知ることができるようになるなどとは、想像することさえできませんでした。

 私は苦しみのあまり、仏典や聖書を読みながら、何年もの間、何十回にもわたって、何十人もの霊能者といわれる人たちにも会ってきましたが、悲しみから抜け出すことはできませんでした。『天国からの手紙』にも書きましたように、私が長い年月の苦しみからはじめて解放されたのは、ロンドンでアン・ターナーに会った1992年の春からです。事件から9年も経っていました。

 一般的には、大学教授のような人間は、大学教授であるがゆえに霊的真理からは遠いのが普通で、私の場合も、霊的無知から抜け出すのにそれほどの時間がかかったということかもしれません。自分自身が無明の闇のなかで呻吟していたばかりでなく、霊界の妻や子にも随分長い間、心配をかけてしまって、今の私には、かつてのこの救い難い無知の恐ろしさが身に染みて思い出されます。しかし、いまはよくわかるのですが、私の、この9年間の救いのない時間は無駄ではありませんでした。私のような者には、それだけの苦しみと迷いと、そして学びの時間が必要だったのです。

 このようなことを書いているのは、だから、苦しみから抜け出すには何年もかかると言うためではありません。真剣に捜し求めれば、いまではかつてないほどに、はるかに容易に霊的真理に接することができます。私のように長い間苦しまなくても、確かな救いへの道を見出すことは、強い意志さえあれば、誰にでも可能です。

 ただ、苦しみのあまり、できるだけ早く楽になりたい、そのための近道を見つけたい、もし特効薬のような特別の手段があるとすれば、なんとしてでもそれを手に入れたいというふうに考える人が仮にあるとすれば、それは間違いです。霊的真理への近道はなく、特別の手段もありません。あくまでも自分の努力で闇から光へ向かって這い上がっていく責任があるだけです。そして、あなたのお子さんは、おそらく、本当は「偶然に」事故にあったのではなく、あなたが「光へ向かっていく」ことをお教えするために、尊い先導の行為を実践されました。

 何よりもまず、そのことをどうぞご理解ください。いのちの真理を知って必ずその事実を納得できるようになってください。このホームページの「メール交歓」に収められている数多くのメールは、大半が愛するお子さんを亡くされたような方々との間で交わされたものです。あなたからのご質問に対するお答えは、そのなかにもいろいろな形で見出されるはずですし、また、「学びの栞」のなかの数多くの教えからも、お知りになりたいことを学び取ることができます。悲しみに耐えがたい思いをされる時には、どうか、それらの真実のことばによって、少しでも涙を抑えられることができればと、こころからお祈りしています。








   『天国からの手紙』 を拝読して   (2011.12.21)


 先生の本を読ませて頂きました。

 実は、私の二男が今夏、海の事故で亡くなりました。あまりにも突然の出来事に、先生の様に現実を受け入れることが出来ず、毎日写真を見ながらただただ涙する毎日を送っております。何をするにも、何処へ行くにも二男の事が頭から離れず、何をする気にもなれず、今は、 夢も希望も持てません。いっそ、二男の所へ行きたいとさえも考える事があります。

 ある日書店で先生の本を見つけました。今は、先生の本が私の支えとなり、何度も読み返しながら、「人は死なない。死ぬ事が出来ない」と言う言葉を信じ過ごしております。 霊界で私の二男も勉強をし、好きな野球をきっとしてるはずと思います。

 ただ、私には霊的能力もなく有能な霊能者も知りません。先生の様に霊界にいる子供と霊界通信が したいのです。どんな生活をしているのか? 我々家族の思いは通じているのか? 是非霊界通信をしたいのです。 

 お願いします。子供とやりとりの出来る霊能者の方を教えて頂く事は出来ないのでしょうか。先生、どうか、どうか宜しくお願いいたします。

 K. S.







 
   決して絶望ではない死の真実を知る    (2011.12.19)


 T. R. 様

 すでに前のメールのお返事は差しあげましたが、あなたからの2度目のメールに対して、どのようにお答えしたらいいのか考えさせられています。答えははっきりしているのですが、ここでは、シルバー・バーチのことばを引用させてください。かつてイギリスで、戦場に出たばかりで戦死してしまった若者がいました。その若者の親が、なんとかわが子の霊と話し合いたいと思いながらも「対話」ができずに嘆いていたのですが、その親に対して、シルバー・バーチはつぎのように言いました。

 「苦悩の淵に沈まれたあなたの心は私にはよく分かります。ですから、あなたの心の奥底で動めいているものを私が知らずにいると思ってはいけません。あなたはまさに悲しみのドン底を体験されました。そしてその悲しみを少しでも和らげてくれるものを求めておられます。しかし、こんなことを申し上げては非情に思われるかも知れませんが、あなたが求めておられるものを叶えられなくしているのは、知らず知らずとはいえ、実はあなたご自身であることを知ってください。」(栞A:41-k)

 また、最愛の息子さんを亡くして嘆き悲しんでいる母親に対しては、「どうか次のことをよく理解してください。冷たいことを言うと思わないでください。本当のことを謙虚にそして真剣な気持ちで申し上げます。死は、死ぬ人自身にとって少しも悲劇ではありません。あとに残された人にとってのみ悲劇なのです」と言ったあとで、こう続けたこともあります。

 「あなたは見慣れたあの姿が見られなくなったことを淋しがっておられるのです。物的身体が二度と見られなくなったことを嘆いておられるのです。しかし、本当の息子さんは立派に元気で生きておられるのです。ただその手で触わってみることができないだけです。どうかその物的感覚の世界、五感というお粗末な魂の窓の向こうに目をやり、霊的実在を知ることによって得られる叡智を身につけるように努力なさってください。」(栞A:41-l)

 愛する家族を亡くして深く悲しむのは、人間の情ですが、しかし、あえて言えば、やはりそれは、いのちの真実を十分に理解していないことからきていると思います。深い悲しみがまわりに暗い影を作り、それが厚い壁となって霊界の愛する家族からの思いを遮ってしまうことにもなります。だから私は、前のメールで、「ご長男も霊界から辛い思いではらはらしながら見守っておられるはずです」と書きました。

 私の『天国からの手紙』のなかでも少し触れていますが、私の知り合いで映画ディレクターのTさんは高い霊能力をもっていて、Tさんのお母さんの葬儀の折にも、「死んで」いるはずのお母さんと、対話を続けていましたし、軽い冗談なども交わしていました。まわりの家族は涙を流していたのに、Tさんだけは、特に悲しむことはなかったようです。しかし、Tさんのような霊能力がなくても、死がどういうものかをしっかり把握していれば悲しむことはないはずで、そういう「悲しまない」人々は、世間にはおそらく無数と言っていいほど大勢います。

 このホームページのリンク集にもありますが、「大空の会」では、事故や自死を含めて、お子さんをさまざまな原因で亡くされた大勢のお母さん方が集まって毎月例会を開いています。霊界やお子さんとの霊界通信などについても会場の皆さんは熱心に学んでいますが、そこを訪れる人の誰もが、その悲しみとは無縁の雰囲気の明るさに驚かれるかもしれません。

 世間の多くの人が考えているように、もし死が無と絶望であるならば、お子さんの死で悲しんでいる人を慰める術はありません。私がかつて強く反発していた「時が癒してくれる」などというような言葉も、何の役にもたちません。私もこのようなホームページで書き続けることも決してないでしょう。しかし、死が希望とまではいえなくても、決して絶望ではないことを知れば、そのことを本当によく理解すれば、事情はまったく変わってきます。このメールでは、そのことだけを最後に申しあげて、返事にさせてくだだきたいと思います。








   長男を失った悲しみをまた吐き出して  (2011.12.19)


 武本先生

 12月7日にメールを出して、先生にまたメールを送らせていただくのは、お邪魔になると思い、とまどいましたが、読み捨てていただいてよろしいですので、どうか、また書かせてくださいませ。「魂が、そばで今も変わらず生きている」。これは、自分では理解しているつもりですが、返事のない会話を、息子と心でいつもしています。ただただ、空しいです。

 「もうすでに感づいておられることと思いますが、毎日苦しく悲しい想いを背負い、自責の念でつぶれそうな心でおられるあなたの姿は、ご長男も霊界から辛い思いではらはらしながら見守っておられるはずです。そのことをどうかよくわかってあげてください」。これは先生のおっしゃる通りです。

 私の思いは、息子を苦しめていることを承知していても、悲しくて悲しくて、どうしようもありません。なぜ、魂が生きているのなら、その想念といいますか、亡くなった相手と気持ちが通じ合えないのでしょうか。

 霊界のしくみは、もう何年も学んできましたが、こちらの思いが伝わるだけでなく、むこうの人の思いも受け止めることができたら・・・。「心の対話」が、とても空しくてたまりません。息子の、あの元気な笑い声が聞こえてこないこと、ほんとうに涙が溢れてきます。

 一方通行な対話では、心が折れてしまいそうです。生きているなら、姿を見せてほしい。声を聞かせてほしい。そう思うのが、本音である現状です・・・・・。こんなことでは、この世の修行が完成しなくて、霊界で再会できないと思います。悲しみを乗り越える特権を、人生の折り返しの励みにしたいと思いますが、まだまだ、先は長いです。

 苦しみを吐きだしてしまったメールを送らせていただくことをどうか、お許しください。読んでいただき、ありがとうございました。

 T. R.








  真理を知るための確かな歩みを続けて   (2011.12.16)


 K. B. 様

 メールを拝見しました。ご主人を事故で亡くされてまだ日が浅いうちは、お悲しみもさぞ深いこととお察し申しあげます。しかし、その悲しみのなかで、ミーディアムを通してご主人とお話しできたことなどもお伺いし、私も少し救われる思いがしました。

 事故や災害で亡くなったりする方は、東日本大震災を例にとるまでもなく、無数におられますが、それを受けとめている遺族の方々の受けとめかたは、人によってまちまちです。そのなかでも、あなたのように熱心に「亡くなった」ことの意味を求め続けることは、とても大切なことのように思えます。

 あなたは、ご主人が「いつでもそばにいるんだ」と実感できるようになったと書いておられます。そして、納得しても「寂しさはますばかり」とも書いておられます。そういうものだろうと思います。人間にはやはり弱い側面もありますから、それから、霊的真理から離れた世間の常識にあまりにも長く染まっていますと、真理の一端に触れたからといって、すぐに救われることにはならないのかもしれません。

 あえて申しあげれば、大切な家族を失って悲しむのは、いのちの真理を「知らない」ことが大きな原因です。知り始めても、悲しみの余韻は残るでしょう。しかし、本当によく知ることができれば、悲しみは消えていきます。必ず、そうなります。あなたはいま、その知るための道を着実に歩んでおられます。どうか、挫けないで、決して迷信のようなものに捉われることなく、希望をもってそのまま歩み続けていってください。今後のその足取りが確かなものであることを、こころからお祈りしています。








   『天国からの手紙』を読んで     (2011.12.16)


 武本様

 はじめまして、K. B. と申します。主人が昨年7月に事故で亡くなりました。これほど辛い悲しみがあるんだと思い知らされました。

 初めは江原さんの書籍などで「寿命だったんだ」と納得しようと努力し助けられ、4ヵ月後の昨年11月にミーディアム様を通して主人とお話しすることが出来、物凄くうれしく癒され、いつでもそばにいるんだと実感できるようになりました。その時に武本様のホームページ、シルバーバーチの本などを紹介して頂きました。

 そして出会った『天国からの手紙』。何度も読ませていただきましたが、事故のくだりは読む事が出来ません。武本様とミーディアムを通しての奥様・息子様との対話を読む度、奥様の言葉が私の主人からの言葉のように思えて、本に向かって「わかった」「はい」とかひとりごとを言っている自分がいました。

 納得はすれど寂しさはますばかりですが、体は日々元気になり、当然の事ですが日々生活出来てます。「普通に生活して良いんだよね、歳をとっても主人の事忘れたりしないよね」とか不安葛藤は消えません。

 多くの人・書籍に助けられ感謝です。出会い、色々な経験をさせてくれている主人に感謝です。私から逃げたんじゃないよね。私を迎えるために先に行ってくれたんだよね。

 武本様、いつまでも元気でホームページ続けてください。勉強させてくれて有難う。癒やしてくれて有難う。








  霊界のご長男と安らかなこころの対話を  (2011.12.07)


 T. R. 様

 メールを拝見しました。『天国からの手紙』をお読みいただいたことで、大切なご長男は、決して「亡くなった」のではなく、いまも、かつてと少しも変わらず、すぐあなたの側におられることをご理解いただけるきっかけになればと、こころから願っています。

 ブログのなかで、ある雑誌の私へのインタビュー記事の一部を引用しておられますが、そこで私が言っていますように、「死んだ事実」をただ諦めることによっては決して悲しみや苦しみからは抜け出すことはできないと思います。「死んでいない」のが真実で、その真実を知ることによってしか、救いの道はありません。

 問題は、「死んでいないこと」を知るためには、厳然と生と死を隔てている高く厳しい壁を乗越えなければならないことです。古来多くの聖人、高僧たちはそのために難行苦行を重ねてきましたが、今では私たちは、身近に示されている霊的真理を理解することでその壁を乗越えることができます。もちろん、これも決して容易なことではありませんが、これにも重要な意味があるのでしょう。だからこそ、私は、迷信に縋ることなく、新興宗教に没入して幻想のなかで生きるのでもなく、あくまでも自分の力で、決して諦めずに、お子さんの行方を捜し求め続けることが何よりも大切であることを、『天国からの手紙』のなかでも訴えてきました。

 もうすでに感づいておられることと思いますが、「毎日苦しく悲しい想いを背負い、自責の念でつぶれそうな心」でおられるあなたの姿は、ご長男も霊界から辛い思いではらはらしながら見守っておられるはずです。そのことをどうかよくわかってあげてください。なぜなら、ご長男は生きておられるからです。そして、それが揺るぎのない真理だからです。真理だけが、悲しみのこころを癒してくれます。世間の常識からはかけ離れていても、大切なのはあくまでも真理であって、「世間の無知」に引きずられることではありません。

 かけがえのないご長男を突然に20歳で亡くされた悲しみがどれほど深いものか、私にはよくわかります。私も、何年も何年も苦しみ続けました。しかし、そのことが、霊界の妻や長男にも辛い思いをさせていたことには長い間気がつきませんでした。今ではそのことも分かるようになり、霊界の妻や長男に申し訳なかったと、自分の無知を深く反省させられています。それだけに、あなたにも、どうか私の徹を踏まないでくださいと申しあげたいのです。私は、そのために本を書き、講演もし、ホームページでも訴え続けているのです。

 生と死を隔てている壁は確かに高く厳しいものではありますが、決して乗越えられないことはありません。むしろ、それを乗越えることが残された家族の使命であり、特権であり(あえて申しあげますが)、生き甲斐でもあろうと思います。どうか引き続き霊的真理の学びを深められて、なるベく早く、いまも元気に生き続けておられるご長男と、安らかな心の対話ができるようになりますことを、心からお祈り申しあげております。







  20歳で突然亡くなった長男の行方を捜し求めて  (2011.12.07)


 武本先生

 『天国からの手紙』を拝読し、武本先生が、必死に奥様と息子さんを捜されたお気持ちを、同じ思いを抱いた一人として、お手紙を書かせていただいております。

 私も昨年、かわいい大切な長男を二十歳で突然亡くし、それからずっと息子を探しています。どこで、今、何をしているのか、どんな気持ちでいるのか、毎日苦しく悲しい想いを背負い、自責の念でつぶれそうな心で息子の行き先を追っています。

 私がだめな母親だったばっかりに輝かしい未来が待っていた二十歳の息子がこの世を去ってしまい、ほんとうに苦しいです。ブログで、先生の著書を紹介させていただきました。

 http://tomokuraimu.blog95.fc2.com/blog-entry-130.html

 私のようなものが、ずうずうしくお手紙を書いてしまい申し訳ありません。ただ、先生の言葉がとても私に救いとなりましたこと、どうしてもお礼がいいたくて書いております。

 お忙しいところ、読んでいただき感謝しております。お寒い中、どうぞご自愛くださいませ。

 T. R.








  祖国の大震災を目のあたりにしながら   (2011.11.23)


 武本先生

 この度はお忙しい中、拙訳本『どうして、悪いことが起こるのだろうか』にお目通しいただける光栄に浴しましたばかりでなく、身に余るお褒めのお言葉をいただき、胸を打ち震わせながらメールを拝読させていただきました。

 翻訳をしている間、先生の格調高い文章、力強いメッセージ、何よりも高邁なスピリットに一歩でもお近づきさせていただきたく、先生のご著書『天国からの手紙』を常に横におかせていただいておりました。今回、その先生からよくやったねとねぎらいのお言葉をいただいた私がどんなに舞い上がりましたことか、お察しください。

 先生のホームページやご著書から学ばせていただいたことはたくさんありますが、特に肝に銘じていることは、何をするにせよ「動機を大切にせよ」ということです。先生のそのご姿勢は2003年のホームページご設立当初から今日にいたるまで、揺るぐことなく、愛する人々を失って悲嘆にくれる方々に手をさしのべられていらっしゃいます。すべて「他の人のために」という魂からのご発露と拝察いたしており、尊敬の念にたえません。

 先生のレベルには到達すべもございませんが、翻訳作業中、今回の祖国の大震災を目のあたりにしながら、本書を訳させていただく動機を常に自分に問うておりました。編集者の日浅氏も常におっしゃっておりました「メッセージを必要とされるべき人のもとにどうぞ届きますように」との思いを胸に抱き、仕事を進めてまいりました。先生にめぐり会えておりませんでしたら、おそらく「たくさん売れればいい」という気持ちに終始していたと思います。

 ご知己を得させていただきました身の幸運を改めて感謝するとともに、暖かく励ましていただいたお言葉を宝に、また歩み続けていきたいと思います。心より感謝申し上げ、先生のますますのご発展とご健勝をお祈り申し上げます。誠にありがとうございました。

  ノーマンテイラー邦子








  『なぜ悪いことが起こってしまうのか』を読んで  (2011.11.20)


 ノーマン・テイラー邦子様

 あなたが訳された新著、ゴードン・スミス『なぜ悪いことが起こってしまうのか』(ナチュラルスピリット社、2011年11月刊)が、昨日、出版社から送られてきした。前著『霊的世界からの癒し』の訳書に引き続き、新しいご労作をお送りいただき有り難く厚くお礼を申しあげます。

 東日本大震災からまだ立ち直っていない日本の現状では、極めてタイムリーな出版で、早速一読させていただきました。著者のゴードン・スミス氏がBBCの番組出演などで知られている英国トップクラスのミーディアムであるだけに、この新著の数多くの具体的な霊界との交信例が非常に興味深く、苦しみや悩みを抱え込んだ人たちには、大きな導きと癒しになるのではないかと思われます。

 この本の中でも、1章「なぜ、自分達に災難がふりかかってくるのか」、4章「死期を知ることはできるのか」、12章「悪いことが起こるのは過去の報いなのか」、16章「死の悲しみを乗越え霊的に成長する」、20章「祈りの力」などには、私もいろいろと学ばせていただきました。これからも繰り返し、読んでいきたいと思っています。

 あなたは、「訳者あとがき」のなかで、「ゴードン・スミス氏は、死によって愛する人を奪いとられた人たちが抱く疑問に答え、悪いことが起こるメカニズムを霊的側面から解き明かしてくれる。さらにそれは私たちのタイムライン(人生表)にどのような意味をもつのか、その苦難をどのように受け止め、対処していけばいいのかを、照らしだしてくれるのだ」と書いておられますが、これはこの本の特質を極めて分かりやすく言い尽くしているように思えます。

 ゴードン氏自身は優れた霊能者ですが、その持ち味を日本語への翻訳に十分に引き出しながら、文章の構成力、表現力の面にまで、あなたの自然で巧みな日本語がおそらく原文以上の説得力を持たせているのではないかと、感じました。このように勝れた翻訳を出されたことに対し、お礼と共にこころからの敬意をお伝えしたいと思います。有難うございました。








   このホームページの更新について   (2011.11.18)


 このホームページは、2003年春の開設以来、日曜日を除いてほぼ毎日、更新してきました。私が東京を離れて自分で更新できないような場合には、溝口祭典の佐々木薫さんにお願いして、予め原稿を送信しておいた上で、更新の代行をしていただいていましたので、なんとか毎日更新を続けることが出来ました。しかし、今年の8月からは、すでにお知らせしましたように、このホームページの更新を、毎日ではなく、週3〜6回、任意の日に行なうということにさせていただいております。

 今月は、22日(火)と、29(火)、30(水)はお休みをいただき、28(月)の分は27(日)に振り替えて更新の予定です。毎日、このホームページを開いてくださっている方々もおられることを承知していますので、そのような方々には申し訳なく存じますが、どうぞよろしくご了承くださいますようお願い申しあげます。また、このような重いテーマに取り組んでいるにも関わらず、総数では、平均して毎日、百数十名の方々がこのホームページを訪れてくださっています。お姿は見えませんが、キーボードの前の皆様には、ここで、こころからのお礼を申しあげます。
 







  人のため世のためにさらなるご研鑽を   (2011.11.04)


 O. H. 様

 前回(10月27日)に続いて、貴重なメールを有難うございました。霊界からの通信は、確かに、いろいろと困難な要素があり完璧を求めることはできませんが、それにしても、これだけの具体的なメッセージを受け取ることのできるあなたの優れた霊能力に感銘を深くしています。

 このように霊界からの通信が受けられるということは、霊的知識のある人には当たり前かもしれませんが、まだまだ一般の人々には、疑心暗鬼で近寄りがたい領域であるかもしれません。このようなメッセージや、あなたのホームページ「いのちの波動」を読んで、いのちの真実について考え、学んでいってくれる人が少しずつでも増えていくことを期待したいと思います。

 貴重なメッセージをお届けいただいたことを、重ねて厚くお礼申し上げます。人のため、世のために、さらなるご研鑽をこころからお祈り申し上げております。










  霊界から届けられたメッセージ     (2011.11.04)


 武本様

 先月29日の朝の祈りの時に奥様からのインスピレーションを受けました。私の両手の平が温かくなり、今までとは違う感触がありました。その後今までに2,3度にわたって続きを受け取りました。今回のものはかなり具体的な内容でありもし私の勘違いであってはならないと私は慎重になりました。また武本先生の奥様からであり自分の親族のものではないことから間違いがあってはならず、ちょっと躊躇がありました。そんな折、昨夜入浴中に奥様から再び背中を押されました。早くしなさいとの事ですので奥様からのメッセージをお渡ししたいと思います。

 O. H. 


 序文

 私は背後からの命を受け、人々の啓蒙を目的としてこのメッセージを渡しています。私が一人でやっているのではありません。霊界からの通信というものは様々な困難な要素があり完璧を求めることは出来ません。それは人間社会における意思伝達においても大同小異です。言葉のニュアンスなど小さな違いを指摘して全体をないがしろにすることなくその核心、本流を心で読み取って頂きたいのです。

 霊界の救出班

 私は事故や災害などで突然死した人たちの救出や心のケアーの仕事をしています。生前に死後の世界というものを考えた事すらなかった人々は自分がその事態に遭遇すると茫然自失の状態になってしまうのです。何が起きたか理解することが出来ず、精神に大きな混乱が生じているのです。そこでそういう人たちを救出するために上からの指示でその状況や各個人に合った者が救出に差し向けられるのです。私達は被災者が最も親しみを感じていた人物の印象を作ることが出来ます。出来るだけ共感を得やすい姿をとって違和感のないようにして近づきます。被災者の性別は関係ありません。被災者は当初、気が動転しているので私達は当人が落ち着いた頃を見計らって働きかけます。

 ― 私とよく波長を合わせてください。自分を離れて、今あなたを取り巻いているエネルギーと一つになることです ― (途中で、私に対して)

 落ち着かせ状況を理解させた後にしかるべき所へ案内します。それは我慢と忍耐が必要な仕事です。どうしても言う事を聞かない人はその場で状況を理解出来るまで留まる事になります。自分が納得するまではそのままにして置かざるを得ないのです。人生はすべて自己責任ですからあくまでも自分で決断し行動しなければなりません。他の誰もその人間の自由意志を無視して連れて行ったりすることは出来ないのです。それが鉄則です。

 日頃から我がままで頑固な人は他人のアドバイスを聞きません。それは死後も少しも変わりません。そういう人たちは私達の手を煩わせます。そういう仕事をしている霊界人の根底には愛があります。人類愛のある者がそういう任務につきます。

 また今までに事故死によってこちらに来た人たちはその状況を自ら体験し、よく事情が分かっているのでそういう仕事に向いているということになります。事故や災害で死んだ場合、精神にトラウマが残ることがあります。そのトラウマを癒すためにこちらでは様々な施設があり対応できるようにしています。

 東日本大震災の時

 空前の救出活動が行われました。こちらでは亡くなる人はあらかじめ分かっているので事前に対策が講じられています。人は霊的意識の上では自分の死ぬ時期を自覚していますがそれが日常の意識に上がって来ないだけなのです。昔から自分の死期を予言した人達がいましたが自分の霊的意識を自覚出来ればわかるのです。地上の人の霊的意識は霊界に繋がっているのでこちらでは誰が何時死ぬかということは、ほぼ分かっているのです。病気であろうと事故であろうと人間は定められた寿命が来れば死ぬようになっています。不慮の事故というものはなく、自分の持っている因がある事態と引き合うという結果を生むことになります。それは因果律という宇宙の摂理の働きですが実際は地上の人が思うような悲劇ではないのです。

 東日本大震災では今も自分の家や財産に未練を残したり、家族との離別が納得できない人達もいますがそれは少数派です。何処へ行っても疑い深く物分りの悪い人がいるものですがそれはその場に及んでも同じです。

 今回は犠牲者の方の多くが高齢であり、ほぼ自分の人生をまっとうした人達でしたので状況を理解するのにさほど困難は無かったのです。こちらに来て安堵の気持ちが湧き、静かに自分の人生を回想している人もいます。幸せを感じている人のほうがはるかに多いのです。その人たちはもう人生の重荷から解放されたのですから。こちらの世界では不安や恐れなどネガティブな感情に支配されることがありません。こちらは喜びの世界なのです。ネガティブな感情は地上世界特有のものです。皆がその感情に巻き込まれ易いのです。

 トラウマが深く残っているのは地上の人達のほうです。しかし地上に残された人たちは実際は亡くなった親族からの支援を受けているのです。彼らは今回の事によってかけがえのない霊的な宝物を授かったのです。いつかはその事に気付くことでしょう。








  一人でも多くの方々の目覚めのために    (2011.10.31)


 S. U. 様

 メールを拝見しました。私のホームページで「霊訓原文」をお読みいただいていることを厚くお礼申し上げます。

 私は「霊訓原文」の冒頭で、「三千年前の古代霊であるシルバー・バーチが現代英語で私たちに語りかけているのは、奇跡としかいいようのない事実ですが、それだけに、その貴重な真理のことばを翻訳によらないで、原文のまま吟味してみることも十分に意味があることと思われます」と書きました。

 ご存知のように、英語と日本語というのは互いに異質の言語で、背景にある文化も大きく異なりますから、厳密にいうと、例えば、英語の「mountain」は日本語の「山」とは違いますし、「river」も決して「川」とは同じではありません。ですから英語の原文と日本語の訳文ではどうしても多少の「誤差」が生じます。訳者によっては、その誤差の振幅もさらに増幅されたりして変わってくるわけです。

 シルバー・バーチの教えは重大で貴重ですから、それだけに、誤差のない形でそれらを受けとめていくためには、やはり、シルバー・バーチの使った英語をそのままのかたちで、読んでいくほかはありません。私が「霊訓の原文」を取り上げてきたのも、そのような理由からですが、それをお読みいただいていることは、私にとってもたいへん有難く、うれしく思います。

 私の『天国からの手紙』もお読みいただき、有難うございます。あなたのように、霊的真理を受け容れる用意が出来ている方には、こういう本も目に留まるのでしょうが、そういう方々は、確実に徐々に増えてきているとはいえ、まだまだ少数派です。これほど大切ないのちの真理に気がつかないまま、肉親の死に際して深く嘆き悲しむ方々が跡を絶ちませんが、一人でも多くの方が目覚めのきっかけを掴めるように、共に力を尽くしていきたいものと思います。あなたのこれからのご研鑽とご健勝をこころからお祈り申し上げます。









  シルバーバーチの「霊訓原文」に辿り着いて  (2011.10.31)


 武本昌三様

 みずしらずの私がメールをさせていただくことをお許しください。はじめまして、私はS. U.と申します。1959年生まれで、1982年に上智大学の教育学科を卒業しました。現在は広島県福山市在住です。

 今年の9月下旬にシルバーバーチの原文を探しておりまして、こちらのホームページにたどり着きました。そして武本様の1983年から今に至る長い道のりを知り、「天国からの手紙」を読ませていただきました。奥様と潔典さまを突然の事故、それもありえないような軍機による撃墜で失われたこと、武本様とお嬢様の悲しみはいかばかりでしたでしょう。そしてイギリスでのミディアムとの出会いで、お二人に再会され、少しずつ心の平安をとりもどされ、霊界と人間界のつながりをホームページや著書で広く知らせていただいたことは、この時代に生きている私たちにとって大きな道しるべとなりました。

 繰り返し著書を読ませていただいているうちに、私も今与えられた人生を悔いなく、やさしさと思いやりに満ちたものにしたいと心から思えるようになりました。そして先日ミディアムの方にリーディングをしていただき、10年前に亡くなった父と再会することが

できました。そしてご縁のあった数人の人たちからもメッセージをもらうことが出来ました。ミディアムの方に私はこれから霊的な生き方をはじめることになるでしょうと言われ、あらためてこれから新しい人生が始まることを感じております。

 この半年、武本様のホームページにたどり着くまでにはっきりと一本の道が引かれていた様に感じています。2月末に広島の図書館で飯田史彦氏の著書にめぐりあい、その後3年前に購入していた「シルバーバーチの霊言」とブライアン・L・ワイス氏の著書を取り出し読み返しました。それから地元の図書館で関連した著書をむさぼるように読む日々が続きました。そんな中でどうしても繰り返しシルバーバーチに立ち戻るのでした。そして「シルバーバーチの霊言」を原文で読み、味わいたいと考えるようになり、ある方のブログから武本様へとたどり着きました。

 原文はやはりシンプルで美しい文章で、さらに感動が深まりました。その日から少しずつノートに原文と訳文を写させていただいております。武本様にはホームページと著作の文章を通じてではありますが、お会いできたことを神様に心から感謝しております。しばらく迷っていたのですが、やはりそれをお伝えしておくべきかと考えメールさせていただきました。ありがとうございます。武本様のこれからのご活躍と、ご健康をお祈りいたしております。

 S. U.









  懐かしさとあたたかさを感じながら    (2011.10.27)


 O. H. 様

 メールを有難うございました。文面から、何かしら懐かしいような感じとあたたかさが伝わってくるような気がして、繰り返し読ませていただいております。

 1982年の夏、私は三度目の長期滞在のために長女とアメリカのアリゾナへ向かいました。翌年の春、東京で留守をしていた妻と長男をアリゾナへ呼び寄せようとしましたが、妻の母が亡くなり、看病疲れで妻が寝込んでしまいましたので、アリゾナでの再会は叶いませんでした。その年、1983年の夏には、一度は、日本へ帰る手続きも始めたのですが、急にノースカロライナへ行くことが決まり、そこで、妻と長男との再会を果たすことができました。

 『天国からの手紙』にも書きましたが、あの時、アリゾナではなくノースカロライナで家族と再会したのは、重大な意味を持つことになります。いま考えると、私と長女は行くべくしてノースカロライナへ行き、そして妻と長男が帰国のためにあの飛行機に乗ったのも、決して単なる偶然ではないことが、よく分かるような気がしています。その後に続く絶望と悲しみの日々にも、大きな意味がありました。

 1991年の春には、今度もまた、大きな力に引き寄せられるようにロンドン生活を始めることになります。そこでは大英心霊協会での多くのミディアムとの出会いがありました。そして、アン・ターナーとも会うことになります。これも、いまでは、会うべくして会ったということがよくわかります。彼女と会ったのも、決して単なる偶然ではありませんでした。私が長い悲嘆の日々から解放され、大きな天の摂理を理解し始めるようになったのは、それからのことです。

 この『天国からの手紙』の出版では、原稿をまとめる段階から出版にいたるまで、霊界の長男からいろいろと助言や協力がありました。出版社や編集の方々の熱意にも支えられて、あっという間に一冊の本が出来上がったという感じです。そして、いま、この本を契機にして、あなたからも、いろいろと貴重な霊界の情報をいただけるようになっています。あなたの「いのちの波動」に滲み出ている誠実で純粋なお人柄を偲びながら、このご縁に深く感謝申し上げております。やはり、私たちは「同じ船」に乗っているのでしょう。

 前便の私的なメールにも書きましたが、小豆島は私にとっては是非行ってみたい憧れの島になりました。かつて私は、「比較文化」の観点から砂漠での生活を体験する必要を感じて風土の厳しいアリゾナを選んで住んだことがありますが、これとは対照的に、自然の美しい温暖な小豆島は、「豊葦原の瑞穂の国」の原型のような所ではないかと、密かに想像したりしています。

 あたたかいメールをいただきましたことを、重ねて厚くお礼申し上げます。ホームページの「いのちの波動」は、ほぼ全部を一度読ませていただきましたが、これからも、折に触れ、繰り返し読んで学んでいきたいと思っています。どうぞよろしくお導きのほどお願い申し上げます。ご健勝をこころからお祈り申し上げております。








    霊界からの二つの便り      (2011.10.27)


 武本様

 その後お変わりありませんか?小豆島は秋祭りも終わり元通りの静かな島に返りました。これからは紅葉の季節になり、週末は紅葉見物の観光客が増えてくるでしょう。日も短くなり毎日があっという間に過ぎていきます。

 さて22日の夜、寝床で「天国からの手紙」を開いて最初のお二人の写真が載っているページを見ていると奥様から次のようなメッセージが来ました。外部からの思念を感じてそれが自動的に自分の頭の中で言葉に翻訳されていくと表現したらいいのか、私はそういうプロセスでインスピレーションを受け取っています。霊媒として入神状態になってメッセージを受け取るものではなく自分の意識もはっきりと残っていて、いわゆるテレパシーの伝播が行われているのではないかと思っています。それは言葉でこういうものだと表現するのが難しい世界です。宗教的境地を言葉で言い表すのが難しいのと同じです。

 その夜は3点ほどの内容を受け取り、これは忘れない内にメモしておいた方がいいなと思いながらも、近頃疲れが溜まっていることもあって眠ってしまいました。中途半端になってはいけないので翌朝再び本を開いて昨夜の続きを受信できないか試みた結果、残りの部分を感得しました。私が自分でそれらのものを整理してまとまった文章にするよりもそのままのほうが良いかと思いあえてそのまま記述させて頂きます。尚、私が「天国からの手紙」を寝る時に枕もとに持っていくことは通常ありません。この時はふとそう思ったのですが、何気なくふと思うような事柄の中に上からの働きかけがあるようです。

10/22夜
 ありがとうございます。私達は同じ船に乗っているのです。あなたは自分を大切にしてください。御自分に備わった資質を妨げられる事なく伸ばしてください。

10/23 朝
 今、私達は地上にいたときよりはるかに幸せに暮らしています。私の地上人生も幸せでした。私は常に地上の肉親を見守っていますが、こちらでの仕事もありそれは同時進行の形で進んでいます。皆が幸せに暮らしてくれることを願っています。このように新たに夫の理解者、協力者が現われたこと、それも前から決まっていたことですが喜ばしい事です。どうか彼のしている事を助けてやってください。貴方の出来る範囲でいいのです。決して無理なさる必要はありませんから。
 貴方の人生後半は真理探究の為にあることは前から計画されていたのです。その心の有り様がその道を行くのに適しているのです。そういう人は天界から目にとまり自然に受け皿となるべく役目が授けられます。ご自分の優れたところをさらに伸ばしてください。それが貴方を生かす道です。あなたのご家族を大切にしてください。
 さようなら、ごきげんよう。またお会いできるでしょう。私達はこうしていつでも会う事ができるのですから。

 通信は以上です。私が先生のしている事に貢献できる事というのは人々の霊的真理の理解において一助となる事でしょう。私のように何の肩書きも無い平凡な人間が自由に自分の得たものを表現することによって真理というものは以外と身近なところにあること、難しい理屈は必要なく固定観念という鎧を脱いでみればもっと広い視野を持てるようになるというようなことが先生のHPを見ている人達に理解していただけたらと思います。すでに私のHPからの資料が先生のHPに転載されていて多くの方々の目に触れているでしょうから私としてはそういうものが援助の一つになっていることを願っています。また表面に出ない世界で何らかの支えになれればと思います。

 おそらく背後には私達を一つの目的のために導いている存在があり、我々は地上のエージェントになっているのだろうと思います。これはわたしの直感ですが背後で私を導いている霊の組織は先生や奥様を導いている組織と同一かもしくは緊密に連帯しあった関係にあるのではないかと思います。奥様からの通信もその背後の指導霊の影響下にあるような気がします。不思議に思える出来事の裏には彼らの綿密な配慮があるのではないかと感じています。「私達は同じ船に乗っているのです」とはそれを意味しているのでしょう。それは今生だけではなく次の世にも繋がっているように思います。

 私はこの年になっても未完成で欠点だらけの人間ですから奥様からの通信をここに記述するのにある種の後ろめたさを感じてしまいます。私が日常心がけている事は唯一つ、余計なことを考えず、自分の小さな我を離れ、与えられた事をしていく事だけです。今後ともよろしくお願いします。もし小豆島の近くまで来られる機会があれば是非一度寄ってみてください。島をご案内します。

 尚、国立に私の姉が住んでいて私が先生のHPを紹介した所、とても感動して「天国からの手紙」を本屋で探したが見つからなかったのでアマゾンで取り寄せてみようかと言っています。姉夫婦は精神世界に関心があり私のHPも見ています。姉は奥様と感じが似ていて私が奥様に親近感を感じるというのもそういうところから来ているのかもしれません。

 O. H.









  このH.P.に 「リンク集」 をつけ加える予定です  (2011.10.19)


 10月15日のメールにも触れていますが、近日中に、このホームページに「リンク集」をつけ加える予定です。私が奉仕活動の一環として理事の一人になっている「大空の会」(子どもを亡くした親の会)のホームページと、大空澄人氏の「いのちの波動」にリンクできるようにしたいと思っています。

 大空澄人氏のホームページ「いのちの波動」からは、ご了承を得た上で、「真理を求めて」と「死後の世界」のそれぞれ一部を、すでに「参考資料」として転載してありますので、どうぞご一読ください。転載文の最後に「いのちの波動」とリンクできるようにしてありますから、そこからでも、アクセスできます。








  貴重なメッセージの数々を一人でも多くの方々に  (2011.10.15)


 H.O 様 

 重ねてのメールを有難うございます。私は、たまたま、あなたのホームページのなかの「インスピレーション」305回分を全部プリントして、いま一度目を読み終わったところです。これからも折に触れて何度も読み返そうと思っていますが、大変貴重なお教えをいただいておりますことを、こころから感謝申しあげております。天照大御神からのおことばが何度も出てきますが、先日、伊勢の皇大神宮へご挨拶に行ったことに対する一つのお導きであるのかもしれません。私が毎朝、仏壇の前に座ってお名前を唱えている弘法大師からのメッセージも、多く含まれていることを有り難く思っています。

 これもたまたま、このあなたのメールの前に、非公開希望で、ある女性から長いメールが送られてきました。何年か前にご両親を亡くし兄弟姉妹もいないので、一人残されて寂しい思いをしておられるようです。かつての私は、本の中でも触れていますように、私が死んだ後はたった一人取り残されるようになるであろう娘のことを思って悩んでいたことがありましたが、それだけに、このメールを読んだときには、他人事のようには思えませんでした。

 私は、「実はあなたは一人ではありません」というように、亡くなられたご両親たちもすぐそばにおられることを強調する返事を出しましたが、こういう「真実」を理解してもらうことの難しさを、しばしば感じさせられています。あなたの「インスピレーション」(3)には、「あなたは一人で生きているのではありません。自分から拒否しない限りどんな時も孤立無援にされることはありません。常に見守られ導かれていることを忘れてはなりません」とありますが、そのような天の声を聞いていただければ、それが「天の声」であるだけに、はるかに強い説得力を持つのではないかと、思ったりもしています。

 あなたのホームページは、どのページを読ませていただいても、深い共感を覚えます。「私と故郷小豆島」を読んでは、小豆島への熱い思いを募らせたり、「死後の世界」での貴重なメッセージにこころを打たれたり(その主要部分は是非あなたのホームページの出所を明記して私の「参考資料」に転載させていただきたいのですがよろしいでしょうか)、「随筆集」、「意識の世界」などからも、多くのことを教えられています。メールでは私の家族のことにもあたたかく触れてくださっていますが、もしかしたら、このようなあなたの文章が目の前にあるのも、天からの一つのお導きなのかもしれません。

 私は、長い間、霊的無知の中で苦しみ続けてきて、いまではその無知の恐ろしさを身に染みて実感させられていますが、そのような私に出来そうなことは、暗い彷徨と無明の年月を含めて、自分を曝け出すことしかありません。私は、80年を超える歳月を「波瀾万丈」とまではいえないにしても、いろいろと紆余曲折を繰り返しながら生き永らえてきました。しかし、その私のいのちも、結局は、大きな計らいのなかで導かれ護られたきたことを知るようになります。私のホームページでは、そのような一人の人間の生き様をとおして、やはり少しでも、神の存在と天の摂理を考えていただく小さなきっかけになってくれれば、と密かに祈るばかりです。

 そんな、ささやかな「ともしび」になるための願いをこめたホームページですが、あなたの格調の高い「いのちの波動」にリンクしていただけるのは大変光栄で、うれしく存じます。私のほうも、このホームページに新しく「リンク集」を設けて、あなたのホームページを是非リンクさせてください。一人でも多くの方々に、霊的真理についての貴重なメッセージの数々をお伝えできればと思います。「死後の世界」の一部転載とともに、どうぞよろしくご了承くださいますようにお願い申しあげます。









  『天国からの手紙』を読んで        (2011.10.15)


 武本様

 「天国からの手紙」一通り読ませて頂きました。先生の謙虚で誠実な人柄がこの本の中に表現されています。この本の特徴は霊的世界にはふさわしくないとされる大学教授である人が真理の扉を開け、その世界からの波動をこの世の人々に伝えていくということにあると思います。所謂霊能者が書いた本であれば、世間の人は初めからそういう先入観を持って読むことになるでしょう。そこにこの本の意味があるのではないかと感じています。

 私見ですが先生とご家族それぞれが、そういう人生を歩む事はこの世に生を受ける前から承知の上であったのではないかと思います。そしてほぼ最初の計画の通りに事業が進行しているのではないでしょうか。あちらの奥様や息子さんのご活躍の背後にはさらに高いところから指示し見守っている人たちがいてそれはこの人類の浄化運動全体の中の一つの鎖であり、連綿と上につながり一つの統制の中にあるのではないかと思います。

 奥様の経歴を見て感じるものがありました。九段にお生まれになり幼少の頃靖国神社でよく遊ばれていたとのこと、そして後には荻窪にお住まいであったとのことです。また赤倉温泉の別荘で過された時期もあったとか。私の卒業した大学が富士見町にあり奥様が通われたという富士見小学校とは隣同士でした。また歩いて数分の所に靖国神社がありましたのでよく訪れていました。桜の季節は花見に行ったものです。私は武道のクラブにいたものですから寒さ厳しい時に裸足で境内に敷き詰められた砂利の上を走らされその痛さに涙が出たこともありました。また学生生活の後半は荻窪に住んでいました。社会人となってから赤倉温泉には3度ほどスキーに行きました。むろん年代は違いますが親近感と言えばいいのか何かを感じます。

 前回のメールにも書きましたが始めに本を手にとり奥様の写真を見た時にどこかで会ったことがあるような気がしました。この間、朝の祈りの時に奥様の姿が浮かんできました。とても若々しくにこやかな表情でその慈悲が相手を包み込むような雰囲気のある方でした。今は神を感じられる環境に居てとても幸せであり、先生の来るのを楽しみに待っておられるようです。自分は当時の米ソ両大国の指導者を恨む気持ちなど全く無く、世界の国々が争うことのない平和な時代の到来を望んでいること、あの事件に遭わなくても自分の地上界での寿命は尽きかかっていたこと、自分自身が犠牲になった事によってこうして先生を通じて地上界の人たちに真理を伝えられる事に喜びを感じていること、また先生の年齢、健康などを考慮して、あまり根をつめることなく残された人生を楽しんで欲しいと思っておられる様です。

 それからここで公表するわけにはいきませんが現在入院中の私の娘に対するアドバイスまで頂きました。奥様とは何らかのつながりがあるのかもしれませんがそれについては深く詮索する必要はないでしょう。それから私が感得した奥様からの通信は奥様からの直接のものではなく、通常私が繋がっている通信網によって中継されてきたものかもしれません。そういう事は結構あるようですが、その辺の状況は今はわかりません。先生は著名なミーディアムから定期的に霊界通信を受け取っておられる人ですから私のような見ず知らずの素人が出る幕ではないのでこの事は黙っておこうかと思いましたが一応お知らせすることにしました。霊界通信というものはあまりに多すぎると混乱のもとになりますから信じられなければ無視していただいて結構です。御自分で感得するかあるいは1つの確かなところから得るのが最良かと思います。

 人の縁というものは深遠なものです。「天国からの手紙」が私の目に触れたということは偶然ではありません。魂の親和性によって似た波動のものは引き合い、いつか何所かで出会う事になるのでしょう。そう考えれば人生とは楽しいものです。 私のささやかなHPを理解してくださり感謝しております。私のHPに「ともしび」をリンクさせて頂きたいのですがよろしいでしょうか? 今後も先生やご家族のことを心の片隅に置いておきたいと思います。

 H.O 









   霊界の家族に対する一番の供養とは  (2011.10.10)


 H. O 様

 メールを拝見しました。私の『天国からの手紙』をお求めくださり、霊的な視点から貴重なご教示をいただきましたことを厚くお礼申しあげます。

 あなたのホームページ「いのちの波動」も一部ですが拝見させていただいております。格調の高い文章で大切な霊的真理を分かり易く説いてくださっていて、いろいろと大変参考になります。私のホームページの読者の方々にも、是非読んでいただきたいと思いました。例えば、「若くして世を去ることの意味」については、私も何度か、この「メール交歓」で取り上げてきておりますが、「いのちの波動」では、つぎのように、諸神から直接お受けになったお教えを紹介しておられます。

 〈早く世を去るもの達の共通点は霊的にレベルが高くすでに過去多くの事を学んでいるのでそれ以上この世では学ぶ必要がないということである。顕在意識の上では本人も気付かないが潜在意識のレベルではすでに十分に学び多くを知っているのである。好人物で皆から慕われる、人のために尽くせるような人物は早死にすることが多いがそれはそういう理由からである。親より早く死ぬというような場合、実はその者は親よりも霊格が高く自らの死をもって親に霊的覚醒を促すことになっている場合がある。〉 

 また、「死後の世界」のなかでは、霊界のご尊父からのメッセージをつぎのように紹介されていますが、私たちにも関心が深い「供養とは何か」について、これも、実に明快な指針になっていると思います。

 〈我々が常に地上の縁ある人々を援助したいと思って色々と救いの手を差し伸べているのに殆どの人はそれに気付いてくれない。
 我々にとって一番喜ばしいのは、この世の人たちが道を間違えることなく自分の本分を全うして生き生きと充実した人生を歩んでくれること。それが我々に対する一番の供養になるのだ。

 我々に対する形式的な供養は必要が無い。むしろ供養して貰わなくてはならないのは地上の人たちだ。我々はいつでもどこでも縁ある人の手の届くところにいるし、地上の人たちのように物質の束縛が無くはるかに自由なのだ。〉

 私のほかにも、一人でも多くの方々に、このような大切な教えに触れていただきたく、その一端を、ここで再録させていただきました。これからも折に触れて、「いのちの波動」から学ばせていただきたいと思います。貴重なメールをいただきましたことを重ねて厚くお礼申しあげます。有難うございます。








   
霊界と地上界とを結ぶ通路としての役割    (2011.10.10)


 武本様

 インターネットのアマゾンから私に時々書籍のお勧めが来ます(過去にシルバーバーチの霊訓を取り寄せたことからその関連の書籍を勧めてきます)。7月頃でしたか「天国からの手紙」のことでメールが入り、その時一度読んでみようかなと思いましたが、日常生活の慌しさに紛れて何時しか忘れていました。そしてこの間アマゾンから再度この本についてのメールがきましたので取り寄せて今読ませて頂いているところです。

 肉親との突然の離別という悲劇を通したご自身の心の有り様などが飾り気無くありのままに書かれていてなるほどそういうお人柄だからこそ霊界からの支援を受けておられるのだなと思いました。本の中の奥様の写真を見ると距離と次元を超えて訴えてくるものを感じます。生前から高い霊格を持たれていた方だと思いますが、現在もあちらから先生の活動を支援しておられるのではないでしょうか。

 今人々の間で霊的覚醒の芽が少しずつ見られるようになりました。先生には霊界と地上界を結ぶ通路となるべく役割が課せられているのでしょう。現在、他にも無数の通路が築かれつつあるのだと思います。個人であろうとある組織であろうと、その状況やレベルに応じて、開いた通路を通して真理が流入しつつあるようです。人間は一人一人の意識のレベルが違うので、真理というものはある人には理解できることであってもある人には理解できません。そういう環境において霊的に目覚めた人間はそれを広めることが要求されていると思います。

 既存の宗教は人々の知性の進歩によってその存在価値が失われつつあり、これからはより高度な知識、より真実に近いものが求められることでしょう。宗教では色々難しそうな事を言っているけど、わかったようでわからない、実際はどうなのかということが問われていると思います。そういう疑問に答えられるものは霊的真理をおいて他にはありません。

 私もささやかながら4年ほど前から親類や知り合いに見てもらいたいという動機から自分のホームページを開いています。何分にも素人の作品なので至らぬ所ばかりだと思いますがお暇な時に見て頂ければ幸いに存じます。先生の今後のご活躍とご自愛を祈っております。  H.O

 以下は私のホームページです。
 http://ww81.tiki.ne.jp/~okwhiro/








  
「叡智の言葉」のファイルを新設します     (2011.09.23)


  昨年2月1日から取り上げてきた「霊訓原文」は、本日の256回分で終了しました。このように原文を提示して対訳のかたちで翻訳していきますと、原文を離れて自由に意訳する場合に比べて、どうしても訳文が原文の英語に「引きずられる」傾向が出てきてしまいます。お読み直しいただく場合には、そういう点もご理解いただければありがたく存じます。

 この「霊訓原文」のあとは、10月から「叡智の言葉」を新しくスタートさせることにしました。「叡智の言葉」(A)で、シルバー・バーチの教えの要諦を100 のことばにまとめてみる予定です。すでに、「今日の言葉」で、私なりに154回に分けてシルバー・バーチの教えを取り上げていますが、これよりもさらに簡略化したかたちで、繰り返してこころに刻み込めるようなものにできれば、と思っています。

 「叡智の言葉」(B) では、シルバー・バーチ以外のソースから、思いついたものを順次取り上げていくことにいたします。こちらも、100回でまとめることを予定していますが、私の個人的な主観で選ぶわけですから、あくまでもひとつの参考としてご覧いただければ幸いです。










   
愛する家族のいのちを取り戻すために   (2011.09.06)


 E.. W. 様

 私は、『天国からの手紙』の「はじめに」のなかで、「愛する家族が死んでしまったから悲しいのであって、生きているのであれば、決して悲しむことはないはずであろう。それならば、自分で自分の愛する家族のいのちを取り戻すべきである・・・・」と書きました。そして、「あくまでも『本当に生きている姿』を求め続けることである。決して諦めずに。必ず見つけて、愛する家族のいのちを取り戻すために」とも書きました。そのことを実践しておられて、11歳で亡くなられたお子さんのいのちを「取り戻し」、お子さんに感謝しておられるあなたの姿に心からの敬意を表します。
 
 あなたからのメールを拝見して、私は、メーテルリンクの『青い鳥』のなかのエピソードを思い出しました。それは、このホームページの「随想集」(65)にも取り上げていますが、未来の国へ行ったチルチルとミチルが、その翌年、チルチルとミチルの弟として生まれてくることになっている「一人の子」に出会う場面です。未来の国のその子は、広間の奥から走ってきて、まわりに沢山いる子どもたちを掻き分け、チルチルの前に出て挨拶をします。その子は、地球へ生まれるときに持っていく袋を抱えていました。そして、その袋の中には、地球への贈物や知識だけでなく、自分が患うことになる百日咳や狸紅熱といった病気も、きちんと包まれて入っています。

 「その子」は、猩紅熱、百日咳、はしかを病んで、そして子どもの時に死んでいくことを自ら「選んで」、地上に生まれてくるわけです。地上では、これは大変不幸な生涯という捉え方をしてしまいますが、霊界では、永遠の生命は自明ですから、当然のことながら、それは決して「不幸」ではないはずです。むしろ、純真無垢のまま、幼くしてこの世を去るのは、自らと愛する家族のための霊性向上を目指した大切な意味をもつていることになるのでしょう。そしてそれが、決して、単なるおとぎ話ではなくて、「大変な真実」であることを、霊界にいるイギリスの作家・コナン・ドイルも再確認してくれているのです。

 あなたが熱心に霊界のことを学ばれ、いのちの真実を理解されていくなかで憲征君に感謝しておられることに、私も救われる気持ちです。憲征君もそのようなお母さんの姿を見て、霊界できっと安心し、うれしく思っていることでしょう。私の『天国からの手紙』をお読みくださって、憲征君が元気に生き続けている事に確信を深め、「家族みんなで読み、みんな気持ちが楽になりました」と書いて下さっていることに対しても、著者としていささかのお役に立てたことを有り難く思います。私からも、改めてこころからのお礼を申しあげます。








  
11歳で亡くなった愛し子への感謝の気持ち   (2011.09.06)


 はじめまして。私は京都に住む40歳の主婦です。

 2009年5月28日に11歳になる息子を病気で亡くしました。急性りんぱ性白血病でした。7歳で発病し長い治療をがんばり退院し、一年少しで再発しました。助かる可能性は無いと医師に告げられましたが家族は奇跡を信じ骨髄移植に向け頑張るしかありませんでした。強い強い治療、息子は頑張りました。息子の骨髄の方はドナーさんを見つけることも難しく、移植に持っていく状態も難しいともいわれました。後は神様にお任せしよう。悲しく苦しい毎日だけど笑顔で過ごす努力をしました。

 江原さんの本、『神との対話』、バシャール、いろいろな本に出合い心を強くさせてもらいました。 そんなある日先生が検査結果で寛解していることを告げにこられ、まさかの結果にびっくりされていました。その後ドナーさんも見つかり骨髄移植できることになりました。今いる病院から大阪にある松下記念病院に転院しました。

 移植も無事終わり退院まじかで再発。大阪の病院で半年、また京都にもどりました。緩い治療をしながら週末は家で家族と過ごしました。5歳下の妹のことを大事にしていた息子。外泊の時は東寺に行ったり元気になったら行こうと決めていたお伊勢さんにも行きました。その1か月後、いっぱいがんばってくれた息子は天国に旅立ちました。

 息子に感謝の気持ちでいっぱいです。息子は今どうしているのか知りたくて霊界の本をよく探しにでかけます。そしてお盆の休みのときに『天国からの手紙』を手に取り家に帰りました。私が思ってきたことは間違っていなかったと確信できました。家族みんなで読み、みんな気持ちが楽になりました。

 2日前、夢で息子からはじめて電話で会話できました。「お母さん」っていうので「憲征元気か、そっちはきれいやろ」、と言うとまだぼんやりと息子は答えていました。前に読んだ本に、亡くなって1、2年眠ってる魂もあると書いてありました。「何かおねがい事ある」、と聞くので私は前から息子と話していたアセンションをして「またみんなと暮らしたい」、と言いましたが返事を聞けぬまま目が覚めました。まだその時期ではないんだよということだと思います。

 天国で困ったことがあったら富子さん潔典さんに相談に行くように伝えてあるので私も安心です。勝手に言ってすみません。武本さんの本に出会い感謝しています。いつかお目にかかれると信じています。ではお体に気をつけて。

 E.. W.








  いのちの真理を伝えていくための小さな貢献を    (2011.08.22)


 ノーマンテイラー邦子様

 重ねてのメールを拝見しました。新しい本の翻訳作業でお忙しいなかを、拙著をお読みくださって有難うございます。

 1957年からの留学生としてのアメリカ滞在以来、3度目の長期滞在中に、あのような事件に巻き込まれることになろうとは、想像もできませんでしたが、あれからもう28年が過ぎていきました。そして事件当時は、将来、いまのような安らかな心境になれるというようなことも、まったく想像もできませんでしたから、それだけに、霊界の大きな愛の計らいが、ひとしお有難く思えてなりません。

 あの本は、私にとってもちょっと不思議な本で、出版の企画を聞かされてから、執筆を始め、出版が終わって出版記念講演会が開かれるまで、すべてが極めて順調に進みました。あっというまに本が一冊出来上がった感じです。やはり、霊界からいろいろと援助されていたようで、霊的に鈍感な私にも、何度も、そのような導きの手を感じさせられたことがありました。自分の生き様をすべて曝け出してあのように書いていくのには些かのためらいもありましたが、この本を書くのも、私に課せられた一つの使命であったのかもしれません。

 あなたがロンドンで、翻訳出版を含めて霊的知識の普及のためにいろいろとご活躍しておられるように、私も私なりに、いのちの真理を伝えていくための小さな貢献を続けていきたいと思っています。これからも、どうぞよろしくお導きくださいますように。

 ご健勝をお祈り申し上げます。








  『天国からの手紙』に込められた力強いメッセージ  (2011.08.21)


 武本先生

 ご著書を拝読させていただきました。「もう永遠に会えないとなぜ思い込むのか。話しあうこともできないと、だれがそういったのか。死んでしまったのだから、本当にもう会うことも話し合うこともできないのか。それを自分で確かめたのか」という序章から始まる最愛のご家族を突然奪われた先生のご悲嘆、ご心痛に胸が張り裂けそうでした。

 私は先生に実際にお目にかかったことはありませんが、いつも穏やかで暖かく、品性の高いそのお人柄を心より尊敬いたしております。ご自分にも他の人にも常に誠実に真摯に生きていらっしゃる先生が何故あのような悲劇に巻き込まれてしまわなければならないのか。そして潔典さんの愛らしく素晴らしいお人柄を、奥様のお優しい慈愛に満ちたお人柄を思うとますます訳がわからなくなります。

 しかし霊界の潔典さんが次のようにおっしゃったとき、少しだけわかったような気がいたしました。「お父さんは必ず目覚めて立ち直る人だということがわかり、ひとりの苦しみがなん百、何千人、いや何万人の人たちの魂を目覚めさせ、同様の苦しみや悲しみに沈んでいる同胞に慰めと魂の癒しをもたらすことを、その聡明さによってやってくれるということを期待されたからです」

 先生の社会的なお立場はもちろん、高潔なご人格の先生のお言葉に、どれだけ多くの人たちが耳を傾け、救われることでしょう。「愛する人たちは実は死んではいない」という力強いメッセージは、私たちに希望と勇気、そして生きていく意味をも与えてくださるのです。

 「宇宙の摂理の中では悲劇も犠牲者もない。起こるべきことは必要だから起こる。決して不公平もない。不足のものは何もない。あるのは世界のすみずみにまでいきわたる大きな慈愛に満ちた神のこころだけである」

 終章で先生が仰られている上のお言葉を心の灯りとしてこれからの人生を少しでも誰かの助けになれるよう過ごしていきたいと思っております。素晴らしいご本を書いてくださった武本先生、それをサポートしてくださった由香利さん、潔典さんと奥様の富子さん、本当にありがとうございます。

  ノーマンテイラー邦子








   8月以降のホームページの更新について      (2011.07.30)


 2003年春の開設以来、このホームページは、日曜日を除いて毎日入力し、更新してきました。私の著作、論文や講演集などのほか、シルバー・バーチの「霊訓集」はほぼ全部、項目別に分類してありますし、ロンドンの著作権者からの許諾を得て翻訳を進めてきた『シルバー・バーチの教え』も、近いうちに完了する予定です。8月からは、新しく、「寸感・短信」のファイルも追加することにしました。

 この機会に、このホームページの更新を、毎日ではなく、週3〜6回、任意の日に行なうということにさせていただきたいと思います。早速ですが、8月6日(土)は休ませていただきます。いままで毎日、このホームページを開いてくださっている方々には申し訳なく存じますが、どうぞよろしくご了承くださいますようお願い申しあげます。









  求め続けなければならない霊的真理   (2011.07.12)

 Y. S. 様


 『天国からの手紙』をお読みくださって有難うございます。「死後の世界があるという確信に近い気持ち」が強まったというのはなによりです。もっとも、この「死後の生存」については、私のホームページでも、いろいろと繰り返し、紹介してきました。いわば、「当たり前の事実」ですが、それでも、なかなかそのことが理解できずに、死にまつわる苦しみから抜け出せない人々が世の中には決して少なくはありません。

 すぐ目の前に、真理の光が輝いていても、それを見ようともしない人もいますし、眼が曇って、見えない人もいます。これは、イギリスでもそうですし、日本でも同じことで、住んでいる国にはあまり関係がないのかもしれません。『天国からの手紙』にも書きましたが、真実を受け容れるこころの準備ができているかどうかが何よりも重要なのだろうと思います。

 「信頼できる霊能者」についても、同じようなことがいえるのではないかと思われます。日本にも優れた霊能者は少なくありませんし、「霊界通信」も多く行なわれていますが、特定の霊能者の名前をあげて、そこへ行けば霊界通信も出来て、「救われる」というように紹介することが、はたしてその人の霊的真理探究の道に沿うことになるのであろうかと、私はいまでもよく迷わされます。

 これも本に書いてありますが、私は、大英心霊協会で、何人もの「信頼できるミーディアム」に会うまえに、数多くの「霊能者」といわれている人々に何年にも亘って、数十回も会って来ました。何一つ、確信の持てるような情報は聞きだすことができませんでしたが、それでも、それが無駄であったとは今でも思っていません。そのようなこころの準備が私には必要でした。そして、少しずつでも準備を進めていけば、やがて必ず、目の前に自ずから真理への道が開けてくるのではないかと思っています。

 ミーディアムについてのメールのご要望に直接お応えせず、というよりは、お応えできずに、このような言い方を私がするのにも、それなりの意味があるのだと、もし、お考えいただくことができれば、大変ありがたく存じます。








  『天国からの手紙』を読んで確信に近い気持ち   (2011.07.12)


 武本様

 はじめまして。Y. S. と申します。『天国からの手紙』、拝見致しました。読み終わった後、死後の世界があるという確信に近い気持ちが強まりました。

 日本でもイギリスで行われているような霊界通信が行われれば、スピリチュアルの発展につながっていくのではないかと思いました。

 日本で、信頼できる霊能者の方がいらっしゃれば、教えていただければ幸いです。今後も新しい著書のご出版を期待しております。

 Y. S.






今までのページをご覧いただけます
2011. 1〜 6
2010. 7〜12
2010. 1〜 6
2009. 7〜12
2009. 1〜 6
2008. 7〜12
2008. 1〜 6
2007. 9〜12
2007. 5〜 8
2007. 1〜 4
2006. 9〜12
2006. 5〜 8
2006. 1〜 4
2005.10〜12
2005. 7〜 9
2005. 4〜 6
2005. 1〜 3
2004.10〜12
2004. 7〜 9
2004. 4〜 6
2004. 1〜 3
2003.10〜12
2003. 7〜 9
2003. 3〜 6