(日付の新しいものから順にならべてあります)







  ちょっと一息いれてアメリカのジョークを〔49〕  (2017.05.26)


 サンディ: 「安い洋服かけを一つ欲しいんだけど。」
 店員: 「これが安くて3セントです。」

 サンディ: 「3セントもするの。もっともっと安いものはないかな。」
 店員: 「あちらの二つ目の通路の左側にくぎ売り場がありますが。」



     ==========


 Sandy: "I want a cheap coat hanger."
 Salesperson: "Here's one for three pence."

 Sandy: "Three pence !  I want something much cheaper."
 Salesperson: "The nail department is down two aisles to the left."







          **********





   スピリチュアリズムから学ぶべきこと     (2017.05.17)


 O. M 様

 あなたが言われているように、子どもにとって両親の影響が大きいというのは事実だと思います。良かれ悪しかれ子供は両親から大きな影響を受けます。しかし、ダメな家に生まれると「進みたい方向に進めず、人生の途中で鬱になって、一時的に破滅する」というのは、必ずしも、そうとは言えないのではないでしょうか。そうならない人が昔も今もたくさん居るからです。それから、「ずっと惨めな状況が続いて、それで自殺したり、投げやりな人生を歩むことになっても個人のせいなのでしょうか」という疑問に対しては、やはり、「個人のせい」というように考えなければならないと思います。

 ものを考える場合、狭い視野では見えないことでも、広い視野では見えてくることがあります。短い時間で捉えたものが、長い時間の中では、全く違って見えることもあります。さらに、「スピリチャリズム」も、もし正しく理解していなければ、重大な勘違いは解消せず、悩みや苦しみから脱却する道には繋がらないかもしれません。

 私たちは、この世で、日本という国の中で、数十年だけを生きているのではないでしょう。この地球上で、何千、何万年もの間、生と死をくり返してきました。そのなかでは、王侯貴族、奴隷、将軍、兵士、富豪、貧民、賢者、愚者、善人、悪人等々、ありとあらゆる種類の身分や職業や、生き方をそれぞれに経験してきているはずです。「自分の歴史の理解の中にあるすべてのものに、あなたはなった経験がある」とラムサも言っています。それらの経験の中では、幸せの絶頂であったこともあり、不幸のどん底に陥ったこともあったでしょう。殺人や自殺も、一再ならず経験しているかもしれません。ですから、そのうちのどこかの一瞬だけを捉えて、その人の幸・不幸や、運・不運を決めてしまうことはできないのではないでしょうか。

 これは、「随想」No.111「私たちはなぜこの世に生まれてきたか」にも書いていますが、私たちは輪廻転生を繰り返しながら、霊性の向上を目指して永遠の旅を続けています。霊性の向上のためには、自ら厳しい過酷な環境を選んで生まれてくることもあるのです。シルバー・バーチも言っているように、何も知らずに誕生してくるのではありません。ただ、「実際に肉体に宿ってしまうと、その肉体の鈍重さのために誕生前の自覚が魂の奥に潜んだまま、通常意識に上がって来ないだけの話」なのです。「惨めな人生が待っている可能性の高い両親の元に、何故、神は子供を授けるのでしょうか」というような疑問が起こる余地ははじめからないといってよいでしょう。

 私たちはみんな、親を選んで生まれてきます。人格円満で豊かな両親を何度も選んできた人は、今度は、人格劣悪で貧乏な両親を選んで生まれてくるかもしれません。逆に、今まで人格劣悪な貧乏な両親を選んできた人は、来世では、人格円満で豊かな両親を選んで生まれてくることもあるでしょう。自分の霊性向上のためにどちらがいいかを考えて、生まれるときには、その都度、自分で選ぶのです。メーテルリンクの『青い鳥』に出てくるチルチル・ミチルの話にもあるように、魂の発展のためには、病気や早死にを選んで生まれてくることもあります。自ら、身体障碍者となることを選んで生まれてくることもあります。そういう生命の真実を知ることが何よりも大切ではないでしょうか。

 ここでひとつ付け加えておきたいのは、この世で「人格円満で豊かな人」も、あるいは「人格劣悪で貧しい人」も、短い視野での刹那的な捉え方であるかもしれません。この世だけをみれば、社会的地位・身分の上下や貧富の格差など不公平や、不平等だらけですが、永遠の視野の中では、そのような地位・身分の上下も、不平等も、不公平もありません。ただ、永遠の霊的向上の歩みの中で、いくらか歩みの速い人と遅い人との差があるだけでしょう。私たちはみんな、親も子も、兄弟も、宇宙の摂理のなかで、神に見守られながら、霊的巡礼の旅を続けている旅仲間と言ってよいと思います。もともとはみんな「他人」ですが、霊的に見れば、一般の他人も含めて「人はみな兄弟」ということになります。スピリチュアリズムから、そういう霊的真理も学んでいただければ、と思います。




          **********





  苦労で霊的成長が得られるとは思えない     (2017,05,16)


 初めまして、O.M と言います。突然の質問で申し訳ありません。お答えいただけると幸いです。スピリチャリズムでは、個人の因果応報と霊的成長を説いてますが、疑問に思う点がありますので、質問したいのです。

 人間として生まれてくると、両親の影響は大きいです。例えば、両親の人格が優れていて家庭円満の家に生まれてくる人と、両親の人格劣悪で、貧乏な家に生まれてくる人とでは、大差があると思います。幾ら個人が努力しても、ダメな家に生まれると進みたい方向に進めず、人生の途中で鬱になって、一時的に破滅する気がします。

 そこからリカバリー出来れば、その不幸も意味のあった苦労だと言えると思いますが、そのまま立ち直れず、ずっと惨めな状況が続くとするならば、どんなに元気で明るかった人でも、暗くて自信のない投げやりな人間になる気がします。それで自殺したり、投げやりな人生を歩むことになっても個人のせいなのでしょうか?

 親がダメで子供が貧乏したり愛情が受けれないという因果は、親がした因果を子供が摘み取っている気がします。そうして子供のする因果は、さらにその子供や世間の人たちが受けている気がします。要は、上から下に因果が流れている気がします。勿論、ダメな因果だけでなく、良い因果もです。本当に、個人で因果は完成しているのでしょうか?

 あと、そんな悪い両親に、なぜ神は良い方向に向くよう指導を与えてくれないのでしょうか? 小さい頃、両親のせいで惨めな思いを沢山し、そのせいで、普通以下の生活しか出来ない人間になって、挙句、その両親の老後の世話をするとしたら、あまり理不尽な気がします。良き家に生まれて、明るく楽しく生きれている人との差はどこに原因があるのでしょうか?

 普通以下の生活と言うのも、お金やモノだけでなく、下の方の仕事しか出来ない人間になると、日々付き合う人間や仕事の内容も、理不尽な物が多いのです。お金が少ししか貰えない仕事だから楽だとは限らず、また、非常識で嫌な人間との接触も増えるのです。そういう生活から小さい頃から抜け出せず、自殺したり、投げやりになる事は、本当に個人のせいなでしょうか?

 苦労をすると、霊的成長が得られるとスピリチャリズムでは言いますが、そうは思えないのです。苦労の後に、普通の生活、幸せが待ってないと、ダメになると思います。普通の生活が出来るようになって初めて、あの時色々しんどい事があったけどと、過去の苦しみを教訓として明るく生きられると思いますが、惨めな事が何十年と続くと、ついにダメな生活と人格に染まり、抜け出せなくなると思います。惨めな生活だけの人生になんの意味があるのかわかりません。

 そういう惨めな人生が待っている可能性の高い両親の元に、何故、何もかもご存じである筈の神は、子供を授けるのでしょうか?最低水準を満たしている親にだけ、子供を授ければ、徐々に世の中、良くなると思うのですが? 長々と書きましたが、この疑問に答えてくださるのならば、嬉しく思います。よろしくお願いします。



          **********





  安らかに生きていくための真理の言葉       (2017.05.07)


 N. K. 様

 メールを拝見しました。「行きつ戻りつの心の揺れ」と書いておられるのを読み返しながら、私にもかつてそういうことがあったことを思い出しております。

 私は今月の随想No.113「不老不死の願望と永遠の生命」のなかでもいくつか引用していますが、シルバー・バーチの、「死は霊の第二の誕生です・・・・。あなたは死のうにも死ねないのです。生命に死はないのです」などのことばは、極めて重大で、私たちにとっては金銭に変えられない貴重な教えです。しかし、いくら重大で貴重な教えであっても、それを素直に受け取れるようになるには、やはり、これもシルバー・バーチがいう「霊的真理を受け入れる魂の準備」が必要なのでしょう。私たちは、「行きつ戻りつの心の揺れ」を経験しながら、「魂の準備」を整えていることになるのかもしれません。

 いろいろと多くの本を読み漁ったり、考え続けたりしてきても、結局は、シルバー・バーチの数行のことばに帰っていく。それでいいのではないでしょうか。その数行のことばを持っていることが大切で、私たちはそれによって、安らかな生き方ができるのだろうと思います。



          **********




  シルバー・バーチの言葉を頼りに生きる       (2017.05.07)

 初めまして。

 毎日とは申しませんが、度々拝読させていただいております。この世の真実を、人生の後半になってから思い知らされ「シルバー・バーチ」の翻訳された多数の本の中に自分への戒めと教訓を見つけ、たった5行の言葉を頼りに生きております。

 何度自分に言い聞かせても、行きつ戻りつの心の揺れをこちらのホームペイジで癒し、バランスを保っていられることは私にとって感謝の一言でございます。武本様の深く悲しい経験があればこその、この場所ですね。時代に合ったメッセージが届けられるとはまさにこういう事だと思います。

 お身体をご自愛下さいませ。これからも訪れて、この場でやすらぎたいと思います。

 N. K.



          **********






  ちょっと一息いれてアメリカのジョークを〔48〕  (2017.05.03)


 農夫:  「おい君、その木の上で何をしているんだ?」

 男の子: 「おじさんの木からりんごが一つ落ちたので、
        もとの所へ戻そうとしているんだよ!」


     ==========


 Farmer: "What are you doing up in that tree, young fellow?"

 Boy: "One of your apples fell down, and I'm trying to put it back!"





          **********





  ちょっと一息いれてアメリカのジョークを〔47〕  (2017.03.31)

 
 判事:「あんたは自分を信頼してくれている人をどうして騙せるんだ?」

 囚人:「だって、判事さん。自分を信頼してくれていない人なら騙しようがないじゃありませんか」


     ==========


 Judge: "How could you swindle people who trusted you?"

 Prisoner: "But Judge, people who don't trust you can't be swindled!"





          **********





   H.P.のカウンターのエラーについて    (2017.03.05)


 一昨日と昨日、このホームページのカウンターのエラー表示が出たりして、見苦しい画面になりました。ご覧いただいていた方々には、お詫び申し上げます。

 2003年3月に、私の講演を熱心に支えてくれていた佐々木薫さんにホームページの開設を勧められ、佐々木さんがこのようにデザインしてくれたのですが、彼女はそれ以来いろいろと技術的な面倒をみてくれていました。

 佐々木さんは、優しさと思いやりの気持ちの深い人で、まわりの多くの人々に好かれていましたが、昨年7月7日にガンで亡くなられました。実は、その佐々木さんがこのカウンター表示の費用を自分のカードで自動引き落としにしていたことを私は知りませんでした。カウンターのエラーサインが出た原因を調べているうちに、そのことがわかったのです。

 たいへん有難いことで、今度もこのような形で、彼女のあたたかさに触れています。カウンターは二日分休んで、また動くようになりました。佐々木さんのご厚意に応えるためにも、もう少し、このホームページを続けていくように心がけたいと思っています。



          **********




  ちょっと一息いれてアメリカのジョークを〔46〕  (2017.03.01)


 若者のフィリップは、農業大学を出て帰ってきたばかりだった。
 彼は近くで働いている農夫に、自分の知識をひけらかすように言った。
 “あんたの栽培のやり方は古すぎるよ。あんな木からは10ポンド分のリンゴも取れないと思うよ。”

 農夫のプットニイーは答えた。
 “それはそうだろうよ。あそこにある木は、梨の木なんだから。”


     ==========


 Young Philip had just come back from an agricultural college.
 He was showing off to the neighboring farmer.
“Your farming methods are so old-fashioned,” he said.
“Why, I bet you don’t get ten pounds of apples from that tree.”


 “I daresay you’re right,” said Farmer Putney.
 “That there's a pear tree.”





          **********




   希望に満ちた生活を送るために     (2017.01.11)


 M. K. 様

 メールを拝見して、私にどのような返信ができるだろうかと、しばらく考えていました。私が妻と子を亡くした半年後の状況を思い出してみますと、悲嘆の底に沈みながら、私は人に会うのも避けて、ひとり固い殻に閉じこもっていました。妻の友人であった霊能者のAさんから、「あと二、三年は苦しまれるでしょうね」と言われたことは覚えていますが、私の場合は、「二、三年」ではすまなかったように思います。二、三年であろうが四、五年であろうが、失われた命が返ってこない来ない以上、絶望しかないわけで、生きていくのもつくづくいやになっていました。「時が癒してくれる」などのような言葉には、嫌悪感しか感じませんでした。

 そのような33年前の私の姿は、いまのあなたと大きな違いがあります。あなたは、仏教や神道はともかく、すでにシルバー・バーチを学んでおられます。あなたが知りたいこと、――最愛の奥様のこと、将来の奥様との再会への展望、死後の世界のことなど、十分にシルバー・バーチから教えてもらうことができます。私の場合は、死後の世界のことなど何もわからず、何年にもわたって数十人の霊能者といわれるような人々に会っても、まだ納得できず、結局、7年も経ったあと、ロンドンの大英心霊協会でアン・ターナーの協力やシルバー・バーチの著作を読むことによって初めて心の底から納得し、生き返ることができました。長い間、深い山中に迷い込んで、下山する道を見いだせず、一人で悩み続けていたようなものです。

 あなたの場合は、いわば、ご自分でシルバー・バーチのような類まれな道案内人をみつけられました。あとは安心して、その道案内人に従っていけばよいのではないでしょうか。間違いなく無事に下山できますし、やがて光に照らされた大道を安らかな気持ちで歩くことになるでしょう。この信頼できる道案内人がいるのといないのとでは大きな違いです。通常は、道案内人と称する人々から不当な金銭を要求されるようなこともありますし、未熟な道案内で、下山できずに迷い続けることもあります。ただ、いろいろと迷い続けることにもそれなりの意味はあるのかもしれません。迷い続けているうちに、真実の「道案内」とはどういうものか、少しずつでもわかってくるからです。

 繰り返しになりますが、悲しみの果てに何があるかもわからず悩み続けるのと、いまは悲しくとも、学びを深めて霊的真理が理解できれば、やがては穏やかなこころの平安に至ることを知っているのとでは、大きな違いです。私がよく「知らないことは恐ろしい」というのも、私自身が霊的真理のようなものは何も知らず、近寄ろうともしなかったために、何年も苦しみから抜け出せなかったからです。だから、大切なことは、正しい道案内人を見つけて、安心して従うことでしょう。それまでは、いろいろと、道案内人の素質や言っていることが本当に正しいのかどうか、疑ってかかることがあってもかまわないかもしれません。疑っても疑っても、十分に批判に耐え、光り輝いてくるのが真理です。

 シルバー・バーチも、どんな高位霊のことばであっても、「理性が納得しなければ拒絶せよ」と言っています。そして、これはもうご承知のことと思いますが、シルバー・バーチは、愛する家族が亡くなったのを「悲しむのは間違っている」、とも言いました。私は、1月1日の随想にも書きましたが、妻と子を亡くして何年も経ったころ、優れた霊能者のA師から、「喜んでください」と言われたこともあります。狭いこの世的な視野で捉えれば、このような言葉は極めて非情に響きますが、しかし、永遠の生命の尺度で捉え直せば、このような言葉にも、真実の重みと救いがあります。あなたが、希望に満ちたこれからの生活を送っていくためにも、このようなことばを理解され、生と死の真理を、さらに奥深く学び続けていかれることを心からお祈りしています。




          **********





   野に咲く花のような笑顔を偲びつつ      (2017.01.10)


 冒頭、このHPにたどり着いていなければ、もっと迷い、もっと苦しんだと思います。ですので、これからも、暗闇を歩く人たちへ、一条の光でお導き下さい。

 非常にご多忙の中、そして、過去のメールにて交信されていることをつぶさに読めば答えが得られるであろうと思い、ずっとメールをお送りするのを躊躇っていましたが、この先に機会が閉じられてしまう可能性もあると思い、往信メールをお送りさせて頂きます。日本列島の「へそ」にあたる湖国に住むM.Kと申します。昨年、7月にうつ病だった妻を46歳(私は55歳)で亡くし、苦しみの中、ここへ辿り着きました。

 妻は十数年前より免疫系の難病を患い、年中微熱が出るような状況で家にいるようになり、そのことでパニック障害やうつ病などを併発しました。妻の家庭は両親の関係に冷えたものがあり、そんな子供時代があったからか、常々「人は幸せになるために生まれてきたんやで」と言い、人一倍、幸せになることを望んでいました。そのような妻ですが、自分の幸せよりも常に周囲に気を配り、自分のことは後回しにするような性格で、誰からも好かれ、野に咲く花のような笑顔は誰からも愛され、僕にとっても何物にも代えがたい存在でした。

 妻の母とは双子のような親子で、実家の近さもあり、常に連絡を取ったり、行き来したりしながら、結婚後も互いに励ましあいながら生きていたのですが、性格や体質も非常に似ていて、同時期にうつ病に罹患され、同じ病院通っていました。6月に僕が仕事へ出た後に一人で家にいるのが不安だということで、実家へ戻り、両親と生活を送っていたのですが、7月の実家のお母さんがうつで自死され、そのお葬式を出した翌々日、ほんの少し目を離した間に、同じ行為に及び、後を追うように逝ってしまいました。

 お母さんのショックも冷めやらぬうちの出来事だけに、気が狂わんばかりの数日と後を追うかと考えたりする日々を過ごした後、武本先生と同じような体験、生きる屍のような数日を過ごした後、あまりの苦しさを脱する模索として、哲学や仏教・神道・キリスト教・スピリチュアル関連・心理学等の本を乱読し、そのどれもに決定的な救いがない中で、「魂は永遠に生き続ける」という自身が最も得たいキーワードで探し歩き、シルバーバーチの霊訓を経て、先生の講演集・HPにたどり着きました。

 シルバーバーチの言葉にあるように、「魂というものはその奥底まで揺すぶられ、しかも物的なものでは一縷の望みさえ繋げない状況下」をまさしく経験し、誰にすがっても、どこへ行って何をしても苦しさの渦が深くなるばかりでしたが、その中で、生きていたころの妻がよく言っていた「人間は死んだら終わりやないねんで」「この世は魂の修行やからどんなに苦しくても行きなあかんねんで」という言葉を思い出し、 いま、なんとか霊について、魂について先生のHPなどから必死に学んでいる所です。

 「信じる」よりも確信的な「知る」という、無知から既知へと自らを推し進めて行きたいと願っているのですが、心の未熟さもあって、独居(子供がいない夫婦でしたので)、悲しみや生きることの虚しさに心が占められていて、「より良く生きる」ということ、自らが神性を発揮して、魂を高めていくということがなかなか実行できず、この先20年ほどの人生をどう前向きに生きていけるのか、魂の永遠性も含めて確信が持てずにいます。

 愛する妻に一日も早く会いたい。いや、先生の言葉を借りれば、「自分で自分の愛する家族を取り戻す」ということの真理に本当に目覚めることをせねばならないのですが、やはり毎日僕の目に触れていた妻の姿が家のどこにも、庭先にも、一緒に出かけたどの場所にもいないという現実の悲しみから抜け出せずに苦しんでいます。せめて、共に過ごした楽しかった思い出や、霊的にも素晴らしい人だった妻と今世で共に暮らしたという喜び、そして、愛し合っていたのであれば(いま、彼女がどう思ってくれているかも不安です)また必ず再会できるという確かな期待を持てれば、この先の人生を一人きりでも頑張って生きられるのにと思う所です。

 ミーディアムのような人たちを介して会話できれば、確信が得られるのでしょうが、実際的には「魂の喜び」が得られるような他利の生き方、小我から大我の生き方を実践していくことが本来の生き方なのでしょう。ただ、そこへ没頭できるだけの、愛する妻との繋がり、今も愛が繋がっているという確信だけが、今の僕の望みですが、どうすればよいのか、ご教授賜れば幸いです。




          **********





   新年のご挨拶にお礼申し上げます  (2017.01.02)


 昨日の元旦には、このホームページを読んでくださっている方々から、いろいろな新年のメールをいただきました。海外を含めて、国内各地からお送りくださったメールに対して、衷心よりお礼を申し上げます。

 私は、新年のご挨拶のなかで、「このホームページで果たす役割は、ほぼ終えつつあるのではないかと思ったりもしています」と書きましたが、これに対しても、いろいろとお心遣いのおことばを頂戴して恐縮しております。有難うございます。

 メールをお送りいただいた方々に、重ねて厚くお礼申し上げます。




          **********





   明けまして おめでとうございます   (2017.01.01)


 このホームページも今年の3月で、開設14年目を迎えようとしています。開設の頃を振り返ってみますと、「死後の生」とか「生まれ変わり」なども、その当時は、いまよりは珍しく、新鮮に受け止められていたような気がします。このH.P.宛のメールも、ほとんど毎日のように届けられて、お返事を差し上げるのにも忙しい思いをしていました。

 13年が過ぎた現在は、霊的真理に関する本も書店に沢山並ぶようになり、霊能者たちがテレビ番組にも当たり前のように登場するようになって、霊とか霊界の存在も、かなり「普通に」感じられるようになってきたのではないでしょうか。「普通に」感じるのと霊的真理を受け入れる「魂の準備が整う」のとの間には、距離はありますが、「死後の生」や「生まれ変わり」についての情報が以前よりは広く行き渡っているのはいいことだと思われます。

 一方、この地球上の環境問題や、世界の政治情勢、人々の貧富の格差増大などは、改善されるどころか、むしろ悪化の一途を辿っているように思えてなりません。私たちが、本来は霊的存在であることを想起して、モノから心への転換を図らねばならないのではないかという思いで、新春はじめの「随想」に「私たちはなぜ生まれてきたか」を書きました。お読みいただければ幸いです。

 いつの間にか、このホームページも、皆様からのアプローチが約67万5千回になって新年を迎えました。ホームページとしては特に多い方ではありませんが、私にとっては、決して少ない数字ではありません。そして、少ない数字なりに、私は自分のこのホームページで果たす役割は、ほぼ終えつつあるのではないかと思ったりもしています。この機会に、改めて、このホームページに付き合ってきて下さった国内外の読者の皆様に厚くお礼を申し上げます。

 新しい年のはじめにあたり、どうか今年も佳い年でありますように、皆様のご健勝とご多幸をこころからお祈り申しあげます。







今までのページをご覧いただけます
2016.  7〜12
2016. 1〜 6
2015. 7〜12
2015. 1〜 6
2014. 7〜12
2014. 1〜 6
2013. 7〜12
2013. 1〜 6
2012. 7〜12
2012. 1〜 6
2011. 7〜12
2011. 1〜 6
2010. 7〜12
2010. 1〜 6
2009. 7〜12
2009. 1〜 6
2008. 7〜12
2008. 1〜 6
2007. 9〜12
2007. 5〜 8
2007. 1〜 4
2006. 9〜12
2006. 5〜 8
2006. 1〜 4
2005.10〜12
2005. 7〜 9
2005. 4〜 6
2005. 1〜 3
2004.10〜12
2004. 7〜 9
2004. 4〜 6
2004. 1〜 3
2003.10〜12
2003. 7〜 9
2003. 3〜 6